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春4月

やっと桜の花が咲き、チューリップや菜の花も 待ってましたとばかり 咲き誇る春4月。

入園、入学、入社と新しい出会いの時。

思い起こせば、高校の入学式…同じ中学校からは2人だけの隣の市の市立商業高校。

ほとんど全ての人を知らず「初めまして」のスタート。

どんな出会いが待っているのか?

どんな素敵な人と巡り合うのか?

ワクワクドキドキしながらの入学式。

そして、その日張り出されたクラスを見てビックリ。

なんと…なんと女子だけ40名の女子クラス!!

「聞いてないよ~(笑)」

花の高校生活…漫画やドラマに出てくるような出会いを期待してただけにがっかり(笑)

商業高校は女子の割合が多く、8クラスある中 2クラスが女子クラス。

結局、1年と3年の2年間を女子クラスで過ごさせてもらいました。

今の年になると、女子だけの同窓会はかなり楽しそうですが…(*^^)v

今日、知ったギャル語「OB」…おばさん

「OBパワー」で、かなり熱い同窓会になりそうだけど…。

高校卒業の後、入った会社は尼崎に本社があり、そこで2週間の研修。

大阪や本社以外の東京営業所、柏工場、そして新居浜営業所で事務をする私たちが寝泊まりした会社の「開明寮」

東京弁で話す同期の仲間たちに戸惑いながらも、高校を卒業したばかりの新しい生活。

朝は毎日、玉ねぎのいっぱい入ったお味噌汁。

そして、夜は会社の偉い人たちが、開明寮に麻雀に来たりする中 誰が偉いのかどうかも知らない我々は、隣の部屋でテレビをみたり 自由な時間。

本格的に仕事が始まって、私の働く営業所に出張で来られた時、会社の部長だったり、専務だったんだと知り…冷や汗(笑)

研修中、特に仲が良かった柏に住む宏美ちゃんとは 毎晩一緒にお風呂に入って、湯船のお湯を二人で入って「ドバー」っと溢れさせて喜んでた本当に「箸が転がっても面白い」18の春。

4月1日、入社式から2週間。

初めましての出会いから、寝起きを共にした5人。

最後に、新大阪で西と東にお別れ。

次に始まる新たな職場への期待と不安とを持ちながら、中学や高校時代の友達と交わすような軽いお別れ。

遠くに友を持った初めての経験。

小学校や中学校、高校時代のように、すぐに会える友と違うこと。

電話や手紙で連絡しても、あの2週間みんなで語り合い笑いあって過ごした時が楽しかっただけに…会えない寂しさを感じる距離。

次に同期のみんなと会った後のお別れの時は、「次、いつ会えるんだろう…」という思いが溢れ泣けて…泣けて…。

初めて感じた「別れ」の悲しみツラさだったかも…。

一期一会

「また明日…」と言って、また会えることが当たり前に思ってた学生時代から、

社会人となり同期の仲間とのなかなか会うことの出来ない…けれどずっと繋がっている関係。

そして、その後色々な出会いや別れ、時間と距離を超えた繋がりも…たくさんたくさん経験し…

毎日会っていても分かり合えない仲間もいれば、ずっと会うことが無くてもすぐに同じ頃に戻れる仲間も…。

そして、初めて出会ってもずっと前から知ってるような出会い。

様々な出会いと別れ、時間と空間。

天に還った友もあり、本当に出会いの季節だからこそ、思う別れ。

いつも最大の喜びをもって過ごして行きたいと感じる春4月。

 

 

 

 

 

克っちゃん♡

ぞろ目の…222。

数字が続くと何だかいいことが起こるような氣がする

今日は、2月22日。

この日を、にゃん にゃん にゃんの日と呼んでた克っちゃん。

昨年のこの日、天に還ってしまった克っちゃん。

お昼、花屋さんでピンクのチューリップを買ってお家を訪ねて行くと、98歳のお婆ちゃんが出迎えてくれ、

ありがとうね~。今、お母さんお墓に行ってるから、ちょっと待っててね…と。

42歳で天に還って逝った克っちゃんの自慢の婆ちゃん。

LINEのプロフィール写真も婆ちゃんの笑ってる写真。

克っちゃんの願いは、婆ちゃんが100歳まで笑って暮らしていること。

克っちゃんの願いは、両親が共に笑っていてくれること。

お父さんが、昨年頸椎の手術を受けることになった時も、一番心配してた克っちゃん。

自身が倒れる日の昼間も お父さんに術後の頸椎の具合を聞いていたとか…。

無口なお父さんは、「うんうん」って言っただけで、きちんと答えなかったことを悔やんでいると…。

今日、お花屋さんに行った時、一目でピンクのチューリップが飛び込んできて、「あっ!克っちゃん!!」と…。

迷わず手に取った かわいいピンクのチューリップの鉢植え。

お婆ちゃんが、「克っちゃん、チューリップ好きでね~。昨年、亡くなった時も、克っちゃんが植えたチューリップが花咲かせて  それを見るとツラかった…と。

昨年の2月22日と言う日を選び、天に還った克っちゃん。

ちょうど、私は2月21日から始まった赤塚さんの長崎での聖書講座を受けて、夜行バスで帰ってきた日。

いつも一緒に色々と手伝ってくれてた由香里さんも、沖縄でのアクセスバーズの講習会を受けて帰ってきた日。

23日、お通夜まで誰も克っちゃんがこの世からいなくなるなんて信じられず、お通夜に参列して始めて、近しい人たちに回ってきた訃報。

私に連絡が入ったのは、夜8時を過ぎた頃 由香里さんから…。

「今、良いですか?」と…。

運転中ながら、「いいよ!!」と…。

ちょうど、往診から帰ってきている途中…。

「克江さんが…」

「えっ…克っちゃんが何?」

「克江さんが、亡くなったんです…」と。

・・・・・・・・・・。

えっ!!!!!

2月11日、建国記念の日の記念行事に石鎚神社の会館で一緒に手伝ってくれて、その時愛車のFIATの調子が悪いと言ってたけど、本人はあんなに元氣だったのに…。

終わった後も、一緒にコーヒー飲みに行って  おしゃべりしてたのに…。

晩御飯もそこそこに、克っちゃんの家に…。

お通夜も終わり、お父さんとお母さんと棺に入った克っちゃん。

「ウイルス」が原因だったらしくて、夜  突然家で倒れて病院に運ばれて行ったとか…。

自宅で、しかも42歳という若さだけに、お母さんなどは警察の人に第1発見者と言われ色々聞かれたんだとか…。

病院に運ばれてから、数日意識不明の状態が続き、息を引き取ったのが昨年の2月22日だったとか。

その後、解剖の結果原因が「ウイルス」だったとわかり、お母さん自身原因がわかったことにひと安心。

大事な大事な娘が倒れ、たとえ仕事とはいえ犯人扱いされてきたお母さんやお父さんの心情。

いたたまれない思いもたくさんあって、やっと我が家に戻ってきた克っちゃん。

「ウイルス」なんて目に見えない、どこで  どう入ってくるのかわからないモノに、ひとりの命が無くなったこと。

共に我が家での聖書の勉強会にも始まった時から最後まで一緒に学んできた克っちゃん。

始めて神さまへのお祈りの言葉を言う時

「お父様・・・」

と言ったあと、笑いが込み上げて もう次に言葉が出なくなり そのまま次の人に…。

でもあの時の克っちゃんの 胸の中 魂の奥深いところからの歓びが あの止まらない笑いだったこと…私は知ってます。

本当に神さまが克っちゃんを私に出会わせてくれて共に歩み学べた数年間。

伊勢の五十鈴川の禊も6月と12月両方とも体感。

皇居の勤労奉仕も共に参加し、天皇皇后両陛下の御会釈も賜り…。

西条でのケイシー講座も、赤塚さんの講演会も いつも気持ちよくお手伝いしてくれて、我が家での聖書の集会後は、終わった後 夜中の1時、2時まで共に語り合い…。

まだまだずっとずっと続くと信じてたこの世で共に過ごす時間。

命に限りがあることを教えてくれた克ちゃん。

今日も、主人と訪れ  お婆ちゃんやお母さんと克っちゃんの祭壇の前で 克っちゃんの話をいっぱいいっぱいしてきました。

想い出すたびに、今もすぐ傍にいる克っちゃん。

「人は2度死ぬ。」と、赤塚さんから聴かせてもらったけれど、肉体との別れは昨年。

そして2度目は克っちゃんのことを忘れる日。

きっと私の記憶の中から、克っちゃんのことを忘れる日はもっともっとずっと後。

ありがとう!!この言葉しか思い浮かばない克っちゃんへの言葉。

いつもいつもこの世で共に過ごした以上に、一緒に居てくれるような今。

にゃん にゃん にゃん と忘れられない日を選んで逝った克ちゃん…改めて ありがとう♡

今晩は、辛島 美登里さんの歌う「サイレント・イヴ」

青春

16年ぶりの友と、再会しました。

カイロプラクティックを共に学びながら、ちょうど介護のケアマネージャーの資格習得の為 忙しくなりなかなか合うことがなくなり16年。

8年前に自身で介護事業所も立ち上げ、今は所長となりイキイキと動いてる彼女の話に、あの頃と体系も変わりお互いおばさんになってしまったけれど、16年たっても変わらずあっという間の時間でした。

これから、また新たに繋がり、共に歩んで行くことになる彼女とのご縁に感謝。

その後、またまた数年ぶりに、花咲塾の1期生と再会。

今は、松山に住むという彼女の彼はフランス人。

英悟も日本語も苦手な彼女にとって、フランス語は一番しっくりくるんだとか…。

中学生時代もなかなかクラスメートとの距離や考え方に馴染めず少し不登校ぎみだった彼女。

人が人と出会うことの奇跡を思った時、きっと一生懸命生きてる彼女の前にフランス人の彼が現れたのも主の祝福。

しかも絵を描くことの好きな彼女にぴったりの、彼の家族。
お父様が画家だとか…。

彼のワーキングビザが3月で切れるらしく、もうこれで別れてもいいと言う彼女だけど、

色々聞いてると、本当に彼女の不器用な所も含めて守り、大切にしてくれる彼氏の存在は貴重。

日本好きの彼氏は、6歳の頃「7人の侍」を観て日本に憧れ、まずは京都に来たのだとか…。

そこで出会った彼女は、逆にフランスに興味あり 夢の中で第一次世界大戦のころドイツ軍に攻め入られた夢を見たこともあるとも…。

しかも、まだまだ21歳の若い彼女。

舞台は揃い、フランスへの一歩を踏み出すかどうかは、彼女が「決める」ことなのだけれど、

絵の勉強も含め、環境を変える絶好のチャンス。

色々、私が彼女と話してる中ずっと黙ってた主人が放った一言が…

「人間は環境の奴隷になってしまう」と…。

自分が変わりたければ、環境を変えることが一番であると…。

自分の身を置く場所によって、人は向上もするが、堕落もしていく。

カイロを教えてくれていた会長が「腐ったミカンは伝染する」と、いつも言ってたことを想い出します。

大きく一歩踏み出すか、このまま見送り美しい思い出で終わるのか…。

一歩踏み出すためには、NHKの朝のドラマではないけれど

「勇気」「愛情」「信頼」「希望」と四つ葉のクローバーが揃うことで大きく羽ばたいて行けるそう。

ただWikipediaによると、「希望」「誠実」「愛情」「幸運」の4つのようですが…。

そんなことはどうでもよいことで、出逢った人が自分自身の使命に氣付きイキイキと過ごすことが出来たなら嬉しいです。

いつまでたっても青春!
いくつになっても求め探し動く者の道は開かれる!!

今日、久しぶりに会えたふたりと話してるとき、ふと浮かんだ【青春】というこの詩

詩:サミュエル・ウルマン  訳詩:岡田義夫

青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ

年を重ねただけで人は老いない
理想を失う時に初めて老いがくる

歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ
苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、
精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か

曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる
事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く
求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大そして
偉力と霊感を受ける限り、人の若さは失われない
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ
人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる

明日は、昨年42歳の若さで突然旅立った友の1周忌。

いつまで…と自分自身でも知ることが出来ない人生。

いつ、終了~とサイレンが鳴るかわからない現実。

「今」「この時」を、共に生きることの奇跡噛みしめて…。

そして歌は、「こころ旅」

 

 

 

友!

新約聖書 ヨハネによる福音書/15章13節

人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。

と、あります。

友ってなんだろう?と、ふと思いました。

学生時代の友、OL時代の友、スキー学校での友、カイロを学んできた中での友、そして結婚してからの友との関わり。

今年もたくさんの年賀状をパソコンで簡単に作り、宛名書きさえもプリンターに頼ってしまい、でも一年に一度だけの元旦に届く友からの便りはまた嬉しくて…

美味しいものを食べに行ったり、どこかに旅に出たり、悩んでることを話してみたり、嬉しいことを共有してみたり、たまに思いが伝わらずすれ違ってみたり…。

この聖書の一節のように、命を捨てられるほどの友って、私にはいるのだろうか?

逆に命を捨ててくれるほどの友もいるのだろうか?

あの大東亜の戦争の時、祖国の為に散って逝った命があり、その命もまた同胞。

アメリカ軍は、誰かが死んでも自分だけは生きて帰りたい!!という思いで戦地へ行き…。

日本軍は、誰かのために 命懸けで戦おうと戦地へ行き…。

250kの爆弾を積んで、敵艦に突撃していった 若き英霊たち。

その様をみて、「クレイジー」と思ったアメリカ軍。

日本が敗戦となり、アメリカが一番恐れていたのは、この武士道精神、大和魂、日本精神。

戦後、教育が変わり私が生まれた昭和37年は、昭和20年の終戦からたった17年。

昔と違って、玄関に鍵がかかり サッシの窓が音も消し、教育や高度成長によって変えられてしまったのか…。

信じる心、愛する心。そして真実を見抜く心。

軍歌であり、準国歌として 歌われてきた「海ゆかば」

行かば 漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ

初めてこの歌を目にしたとき、私は衝撃でした。

この歌を小学校から歌ってきた日本。

イスラエルが2000年ぶりに建国される基となった ユダヤ人トルンペルドールは、日露戦争の後、大阪でロシア軍の捕虜としていた時に、日本を手本に もう一度自分の祖国を取り戻したい!とシオニズム運動を興し、

そして トルンペルドールは、テル・ハイの村で開拓中、アラブ人の侵略によって 命尽きる最期の時

「国のために死ぬことはよいことだ」

と言って死んで行ったそうな…。

親子や兄弟姉妹、そして隣近所、学校、職場…魂の触れ合うこの世の中、「袖振り合うも多生の縁」

人類の罪を背負って十字架にかけられたキリスト・イエスのように…

また夏の暑い日も  冬の寒い日も、国民(くにたみ)のため、無私の氣持ちで祈り続けて下さっている陛下のように…

同じ時代に生まれ、出会えた多くの友に…

愛のかたちを、届けられる人になっていきたいと 思う今日でした。