「やまと心」タグアーカイブ

文化の日

太陽院院長  近藤   千恵子です(^^♪

11月3日…国民の祝日の今日。

今日は、叔母のデイサービスもお休みで、ちょっと朝はゆっくり…。

おかげさまで、今日は尿の失敗も無く…(*^^)v

そんな遅い朝の始まりでしたが、年間 数少ない旗日。

しっかり日の丸掲揚させて頂きました。

戦前は天長節…明治節と呼ばれていた明治天皇のお誕生日の今日…終日快晴の中、叔母と主人と3人でお昼からグルッとドライブ楽しんで参りました。

銀杏が黄色く色づき…桜の葉も紅葉するこの季節。

はらはらと舞い落ちる落葉樹の葉。

春の桜の季節も好きだけど、今の葉っぱが色づく季節も大好き。

そして、明日…14:23に満月を迎えるお月様。

今日は、昼間の太陽…そして街路樹の紅葉…夜の満月と、文化の日にふさわしく芸術の秋満喫させて頂きました(^^)

きっと、明治天皇がお生まれになった1852年11月3日も、優しい秋の陽射しと、山々の紅葉…そして実りの秋だったんだろうな~と…

外国の文化が入り、浮足立ってしまう様なあの明治の時代。

そして、明治23年10月30日に「教育に関する勅語」を発布され、明治45年(1912年)御崩御。

美しい日本の四季の景観や、食べ物…そしてなにより日本人が大切にしてきたものを誰よりも知っている天皇陛下だからこそ  教育に関する勅語を配布されたのかも…などと思ってしまいます。

きっと神さまは、その時その時にぴったりと必要な人物を、少しのズレもなく 配置される人材派遣のエキスパート。

私の人生も、半世紀以上を過ぎ…自由に動ける時間もきっと決められてるとしたら、これからどんな場に配置されるのか…ワクワクでもあります。

その時その時、今いる場所で 輝いて行けます様に…。

だって、きっと明治天皇さまの過ごされた時代の時よりも、もっともっと贅沢で便利な生活をさせて頂いてる今の私達。

ずっと前、まだカイロを始めた頃…高知の山の中で施術会をさせて頂いてた時、お婆ちゃんが

「今は、便利になっていいね~」

「水道も通ってなかった時、川からパイプ通してお水が来るだけでも有り難かったし、今はお殿様よりもいい生活させてもらってるね~」

と、話してくれることで また今の生活が当たり前になってしまってる私自身…背筋が伸びたような…。

明治維新のころ、西洋の良いモノを取り入れ…そして、この日本の風習やしきたり…大和魂を守っていくことを誰よりも望んだ明治天皇さま。

時代が変わっても、世の中が変わっても…絶対守らなければならないモノ…聖書の中、モーゼが神さまから示された「十戒」とそして、日本人は十戒に加えて、「教育に関する勅語」

私も今回、この風情豊かで四季の恵も豊かな日本に生まれた一人の女性としてしっかり生きて行きたいと…

11月3日文化の日 玄関に掲げた日の丸そして明日満月になるお月様に誓います(*^_^*)

 

 

やまと心の火…燃えるとき

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^ゞ

戦後72年目の8月6日広島県呉市での赤塚さんの講演会主人と参加して参りました。

4ッつのお願いから始まって…糸川先生のお話…イスラエルの話…聖書の話…万穂ちゃんのお話…建国の話…9・11報道の裏側の話…戦艦ミズーリのお話…昭和天皇・今上天皇の玉音放送のお話…勤労奉仕のお話…上島先生からのペリリュウ島の話…巡視船あきつしまのお話…等々

もうこのお盆の月に、しかもあの卑劣な原爆投下で多くの市民が犠牲となった日に、広島で…天から赤塚さんにあれもこれも…と、オールキャストの方々のお願いに応えるようにお話される赤塚さん。

あっという間の2時間半!

何度も聴いたお話だけれど、その状況が目に浮かび…じわ~っと湧き出る涙。

テレビはもちろん、学校でも教えてくれない数々の本当のこと。

終戦の日まで祖国の為に戦い散っていった英霊の方々が…

暑い暑い中…壕の中に投げ込まれた火炎瓶によって奪われて逝った命が…

そして、原子爆弾によって一瞬で失った尊い命の数々が…

年間3万人以上もの自殺者を出すこの日本に今も警告を鳴らし…赤塚さんを通して熱い思いが伝えられていきます。

会場に集まった100名近い方々が、目頭を熱くし 知らなかったことを知り…やまと心に「ポッ」っと火が灯っていくのが伝わってきました。

帰り道、先月も通って帰った山陽道の尾道で 道を間違えたおかげで、 西に見える夕焼けと、南の空に赤く光る満月に近いお月様にも出会わせて頂きました。

72年前の朝、投下された爆弾の後の焼け野原に立ちつくし またその場を遠くから知った者達は、あの日どんな思いで夕焼けや夜空を見たのでしょうか?

そして、3日後に被災地となる長崎を…誰が想像したでしょうか?

平和が当たり前でないこと…。平和を祈り続けている広島は大きな犠牲を受けたからこそ 見つけた小さな平和へのともし火のかけら…

このともし火をずっとずっと繋げていく広島の人々の思い…また日本人が大切にしないといけないモノの数々を今日原爆の日に感じさせて頂き、

改めて…

「どうか安らかにお眠り下さい」…と祈ります。