1979年1月21日 32歳の若さで亡くなった井村和清さんが、死の直前まで綴った手記「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」に書かれた詩
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「あたりまえ」 昭和54年1月1日新年の贈り物(井村和清)
あたりまえ こんなすばらしいことを
みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる、お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いていける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせなことがあるのでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます。
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる
空気を胸いっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、
みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、
それを失った人たちだけ なぜでしょう
あたりまえ
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今日はバレンタインデー♡
チョコレートを大好きな人に贈ることが出来るのも 受け取ることが出来るのも たくさんの奇跡の連続が重なって…。
本当にありがとう…有り難い有り難い奇跡の連続。
そして、何度読んでも 泣けてくる この詩。
変わらない日常が、幸せであること。
あたりまえのことが、あたりまえでないこと。
日本は、地震大国。そして、津波も起こるし、交通事故も毎日どこかで起こってしまっている。
「行ってきます」と出掛け、帰らなかったとしたら…いえ、いつも恐れて生きるのではなく、あたりまえに染まらないこと。
ついつい日常の中、トイレだって
紙があるのがあたりまえ。お水が流れるのがあたりまえ。
戸が閉まるのがあたりまえ。
外出の時も、車が動くのがあたりまえ。
道路があるのがあたりまえ…だと。
あー。
この日常のささやかな事柄の数々を 改めて思わせてくれるこの詩。
新約聖書 テサロニケ人への第一の手紙5章
いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって、
神があなたがたに求めておられることである。
そして 被災地の未来のために祈り歌われた 讃美歌
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