夢の世界

インストラクターの募集条件バッヂテスト2級を手に、1988年12月あこがれの志賀高原へ。

白銀の世界の中、毎日スキー学校で大好きなスキーを教える…なんて夢のような毎日。

しかし…しかし、四国愛媛で合格した2級と雪国長野の2級はかなりレベルに差が…(泣)

インストラクター1年目は、夢と現実の大きなギャップ。

大好きでなければ きっと早々に地元に帰っていたかも知れないことばかり…。

『好きだからこそ…越えられる大きな壁』

当然、次に目指すバッヂテスト1級への壁は、何度も何度も打ちのめされて…

結局スキー学校が閉校するまで合格することも出来ず…。

愛媛で2級を一緒に取った仲間は、地元で早々に1級を取ったというのに…毎日毎日朝から晩までスキー三昧

こんなに恵まれた環境に身を置きながら、合格出来なかった自身が情けなくて…悔しくて…。

滑りだけでも1級の滑りになって帰ろうと、その後 横手山の上 渋峠でアルバイトをしながらのスキーの毎日。

そんな中、埼玉に住むスキー学校1年目の同期でもあり もう指導員も持ってる佳代さんからバイト先にかかった電話。

「東京都のバッヂテストがゴールデンウィークに志賀高原寺子屋であるから、受けてみたら?」と…。

志賀草津ルートが、開通するゴールデンウィークの1日。

数時間抜けてテスト受けに行きたい…と伝えた所「やめてもらってイイですよ」と…。さみしい答え。

翌日荷物をまとめて、草津方面から次々とあがってくる車の中から1台の家族連れの車をヒッチハイク。

テレビ番組でもないのに、気持ちよくたくさんの荷物と一緒に乗車させて頂き…。

ちゃっかり蓮池まで乗せてもらって、ひと冬分の荷物はまたまたちゃっかり連休を利用してレーシングキャンプに来ていた愛媛の仲間に自宅まで持って帰ってもらって…。

とんとん拍子に事が運び、バッヂテストまでの数日間はホテルに連泊して練習。

そして無事、そのシーズンに目標であった1級を獲得(東京都の検定ですが…)

『捨てる神あれば 拾う神あり』 本当に本当に、感謝感謝…ありがたや~

《こんどうちえこ26歳の冬~春》

 

 

 

 

 

始まりは出会いから…

人生の転機となる時、必ず人との出会いがあると聞かされたけど…

まことに、節目節目で用意されたように、自身の人生がガラリと変わるような出会いがあったことは、

今の私には大きく頷ける。

もう数十年も前、まだ20代の頃…

いつも週末通っていたスキー場に来ていた見かけぬ素敵な女性。

白いウェアーに身を包み、上から滑るさまは かっこよくて、思わず声をかけさせてもらった。

「いつもどちらで滑っておられるんですか?」

「私、白馬のスキー場でアルバイトしてたんですよ。」

私の脳裏に叩き込まれた スキー場で働く…なんていう新しい世界。

普通のOLを満喫し、週末スキーヤーだった私にとって

夢のような世界を経験したその女性は輝いてみえた。

それから半年ほど経った初秋のころ、営業所の所長が私を呼び出し こう伝えてくれた。

「来春、新居浜の営業所と高松の営業所をひとつにするから、辞めてもらわないといけない」

今でいうリストラでしょうか。

しかし私の胸は、高鳴り 歓びに溢れ…

「来春でなく、12月で辞めさせて下さい」…と。

あのお姉さんの様に、毎日スキーが滑れる!!!

ちょうど先シーズン、バッヂ検定2級を習得した私は、

当時の愛読書「スキージャーナル」の左枠に書かれていた

“インストラクター募集”の欄を見逃してはいなかった。

採用基準は、バッヂ検定2級程度~。

今思えば、このリストラも神様が仕掛けてくれた プレゼントだったのかも・・・。

あの日、ゲレンデで輝く素敵な女性に出逢っていなかったら

きっと、ここから始まった私の人生はまた違ったものになってた

かも知れない…。

《こんどう ちえこ25歳の冬~初秋の出来事》