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今日は母の誕生日

太陽院院長   近藤  千恵子です(^_^)v

今日、11/15は  母の誕生日。

昭和8年生まれなので、生きていたら  88歳。

8年前の2013年12月19日、その日を選んで  天に還って逝きました。

末っ子で我が儘な私は、母の言うことは 素直に聞くこともなく、母の言うことを「はい」と聞く姉たちと比べて、何でこんな娘に育ったんだろう…と思うこともあったと思います。

ただ、少し  奔放に育ってる我が儘な娘を  少しづつ理解してくれてたのも事実です。

30歳過ぎても、結婚もせず…スキーに没頭し、秋になれば  こっそり準備して 毎年ヨーロッパに1ヶ月スキーに行き、

戻ったと思ったら、志賀高原まで車で向かい春まで戻って来ず…

春に戻って来ると思ったら、春スキー場の山形月山まで足を伸ばし、勝手にアルバイト始めて今度は夏まで戻って来ず…

怪我して、スキーやめたと思ったら  カイロプラクティック勉強すると言って、結婚する気配もなく…

でも、そんな 母の言うことを全く聞かない私を、一番信頼し  陰ながら応援してくれてたのも 母。

母の青春時代には出来なかった数々のこと。

志賀高原で、スキーのインストラクターをやってた頃、届く母からの大きな段ボール。

ミカンやカップラーメン、お菓子がたくさん詰まった中に、入っていた母からの手紙。

53歳でパーキンソン病になった母の手紙は、昔と違い 文字が震え、書きづらい中で書いてくれた手紙。

まさに さだまさしの「案山子」という歌の様な 手紙。

縁あって、主人と結婚した後は、ホッとしたのか どんどん身体が衰えていき…

亡くなる前3年ほどは、会話も出きず…寝たきりの状態が続き…

一番の我が儘で甘えん坊だった私。

いつか触れなくなる母の身体を毎日毎日  マッサージオイルで全身マッサージし、

帰りには 「ごめんね!ありがとう!もうちょっと甘えさせてね!」と…おっぱい触って、ホッペにチューして…。

私が、12月伊勢の神宮にいき  4日ほど会いに行けず、その日も夜 会いに行こう…と思ってた12月19日夕方…危篤の知らせ。

きっと、私が行って甘えてたら、まだまだ限界越えても頑張ってくれてたかも知れない母。

「もう 行くね~」とその日 お風呂に入れてもらって、熱も何も出てなく 看護師さんもビックリするほど  その時が来て…

還って逝った母。

「おなごの子は、気が利く子じゃないといかんよ」

母の言うことは 全く聞かなかった私だけど、この言葉だけは、私の一番大切な教訓。

今もきっと遠い空の上から 自由奔放に生きる私を  はらはらドキドキしながら見守ってくれてる母の娘として恥ずかしくない人生過ごして参ります(^^)

生んでくれてありがとう!

育ててくれてありがとう!

見守ってくれてありがとう!

今日は母の地球に生まれた記念日…おめでとう!!

今日は母の誕生日

近藤 千恵子です(*´-`)

今日、11/15は 7年前に天に還って逝った母の生まれた日。

昭和8年、4人姉妹の末っ子で生まれ  長女のハルヱさんは 看護婦となり満州で還らぬ人となり…

後に残った次女の叔母シメ子は、7歳の時 脊髄カリエスで大手術の末  当時は 障害を持ったことで 結婚もせず生涯独身。

その次女シメ子を 洋裁と介護の仕事で支えて来た参女トミ子も、独身のまま 両親の代わりに姉であるシメ子と共に暮らし…

四女であった 私の母だけが  結婚。

そして  娘3人の母となりました。

私の母のまわりには  自身の姉達や 父の姉…小姑達の思いや考えに従いながらの毎日。

小さい頃は、貴重な牛乳を末っ子でありながらも 5つ上の姉が 脊髄カリエスという重い病気だったため  飲むことも後回しで…

ただ 母がお見合いで結婚した私の父は 子煩悩で優しく、晩年は 共に病気に成りながらも 一緒にデイサービスに行き、父より 7年も早く 天に還って逝ったけれど…

今年5月、同じ所へ還って逝った父ときっと再会しふたり仲良く 私達のことを見守っていてくれる様で…

今日、生きていたら87歳の誕生日。

生まれた時から 常にそばに必ずいてくれた 父と母を天に見送り、思えば天からのエネルギーが半端ない毎日。

生きてる時も、天に還ってからも 変わらぬ父母の愛。

今日、母の生まれた日…改めて 母の子に生まれて来れたことを嬉しく思います。

 

 

母の記念日

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^_^*)

11月15日は、4年前天に還って逝った母がこの世に生まれた日。

昭和8年…1933年酉年11月15日に、この世に生まれ来て…

平成25年…2013年巳年12月19日に、天に還って逝った一つの魂。


日数…29,255日

週数…4,179週+2日

月数…961ヶ月+5日

年数…80年+35日

年月数…80年+1ヶ月+5日


そして、私が母と過ごした時間はその内の

日数…18,712日

月年数…51年+2ヵ月+23日


と、言っても1999年4月30日嫁ぐ日までとするともっと短くなってしまうけど、実家から車で3~4分の場所に住み始めた私としては、やっぱり生まれてから 天に還って逝く日まで一日でも多く見積もりたい感じ…。

実際、お腹の中に居る時も足すと、+10ヶ月と10日も足すと…約52年

長い長い地球の歴史の中、親子で居た時間。

末っ子だから、姉妹の中では一番短い時間。


母娘だから、わかることも有るけれど…

母娘だから、言いたくないことも…

でも、確実に言えるのは やっぱり「母の娘に生まれて来て良かった~」と…。

52歳からパーキンソン病と診断され…今の様に簡単に情報を入手できる時代でもなく、難病と診断されたことで益々病気に近づいて行ってしまったような…。

母がちょうど亡くなった時、私は母が病気になった年齢。

そして、5月末から一緒に暮らし始めた認知症の叔母は母のお姉さん。

52歳で病にかかり、きっと元氣だったら、あれもこれも…やりたいこともあったはず…。

そして、結婚しなかった叔母をみるのも きっと母が元氣で身体が動いていたら 母の役割だったかも…

そんな母の出来なかったことや、やりたかったこと…命ある者が引き継ぐ役目。

そして、天に還って逝った母の魂も、きっとまた魂を磨きにこの地球にやってきて 私自身もまた同じ時を選んで生まれ出て来てるのかも…

私自身の死生観…そして輪廻転生。

2008年に出逢ったエドガー・ケイシーを通して学ばせてもらったことで、超えられた大切な人の肉体とのこの世のお別れ。

魂は永遠不滅の高貴な存在!!

今日この世に生まれた魂も…明日天に還って逝く魂も…

限られた肉体を背負ってのこの世での生活。


29,255日…80年+1ヶ月+5日

この世で生きたひとりの女性であり、子であり、妻であり、母であった私の母。


母と叔母は、姉妹であっても全然違うけれど…叔母が天に還って逝った時 母が姉である叔母に…「いい子育て…したね!」と、言ってもらえるように コピッと頑張ります。