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7年目の3.11

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)

また今年も、3月11日を迎えました。

未曽有の被害を引き起した大震災…そして大きな大きな津波。

「高台に避難して下さい!異常な潮の引き方です。逃げて下さい!!」…と、ぎりぎりまで防災無線で多くの人々に呼びかけ、自らは津波の中に飲み込まれていった24歳の女性…

誘導し救助に行き、津波の中に飲み込まれた消防隊や警察官の方々も…

2012年8月から我が家で2年半仲間と共に勉強させて頂いた聖書の勉強会の第一回目の日、教えて頂いたのがイザヤ書第40章。

イザヤ書は、全部で66章あり 旧約聖書39章と新約聖書27章を足した数と同じでもあり…

イザヤ書40章は、ちょうど新旧の境目となる様な箇所でもあると、教えて頂き…またその40章の初めには


あなた方の神は言われる、

「慰めよ、我が民を慰めよ…ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終り、そのとがは  すでにゆるされ、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を主の手から受けた」

呼ばわる者の声がする。
「荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ。

もろもろの谷は高くせられ、もろもろの山と丘とは低くせられ、高低のある地は平らになり、険しい所は平地となる。

こうして主の栄光があらわれ、人は皆ともにこれを見る。これは主の口が語られたのである」

声が聞える、「呼ばわれ」

わたしは言った、「なんと呼ばわりましょうか」

「人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のようだ。主の息がその上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ。

たしかに人は草だ。

草は枯れ、花はしぼむ。しかし  われわれの神の言葉はとこしえに変わることはない」

よきおとずれをシオンに伝える者よ、高い山にのぼれ。

よきおとずれをエルサレムに伝える者よ、強く声をあげよ、声をあげて恐れるな。

ユダのもろもろの町に言え、「あなたがたの神を見よ」と。

見よ、主なる神は大能をもってこられ、その腕は世を治める。

見よ、その報いは主と共にあり、そのはたらきの報いは、その御前にある。

主は牧者のように  その群れを養い、そのかいなに子羊をいだき、そのふところ入れて携えゆき、乳を飲ませているものをやさしく導かれる。


イザヤ書第40章の1節~11節まで書きながら…あの日神さまの呼びかけのように、恐れず声をあげ続け…多くの命を守った彼女はまさに主の御使い。

そして、あの日突然天に還って逝った多くの御霊もまたきっと主の御心の中。

しっかりと主に抱かれ還って逝った御霊。

生あるもの必ず死があり…

あれもこれもとやりたいことを 出来ることの尊さを 改めて氣付かせてくれたあの日。

そして、どんなに世の中が進化しても 神さまのもと 常に迷える子羊。

肩を縮ませ…手を合わせることしかできなかったあの日の私。

イザヤ書の40章は新しい神さまとの約束の書…新約聖書の始まり。

人類の救世主として、生をうけたキリストイエス様が歩んだ時代。

神の言葉を伝え…主と共に生きる生き方を示し、死んでも死なない永遠の命のあることを示してくれたキリストイエス。

あの日天から警告が鳴り…新しい時代の始まりであったとしたら、7年経った今…神さまやあの日天にあげられた多くの御霊に恥ずかしくない生き方…

そして、40章の最後31節に書かれてるように 主を待ち望み主と共に…


しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。

走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。(イザヤ書40章31節)

神さまへの信頼

太陽院院長 近藤  千恵子です(*^^)v

今朝、日本エドガー・ケイシーセンターから届いた珠玉の言葉は、初めて目にした ケイシーのリーディング…

もし人が神に大きなことを期待できないとしたなら、その人の神はまったく貧弱な神だということになる。そうではありませんか?

If an individual doesn’t expect great things of God, he has a very poor God hasn’t he?

(462-10)

クリスマスは、2017年前に生まれたキリスト・イエスのお誕生日。

処女マリアが、大天使ガブリエルによって
「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」と告げられ…

戸惑うマリアに、さらに大天使ガブリエルが…
「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。」

そして、更に言った天使の言葉の中に、
「神にできないことは何ひとつない。」…と。

そして、2017年前の12月25日、処女マリアの体を通って生まれて来た神のひとり子キリスト・イエス。

神さまからの地上に住む人間への大きなプレゼントとして、生まれて来たキリスト・イエス。

イエスさまを通して、語られた神の言葉…そして知る神の愛。

聖書の中、イエスさまの誕生から十字架への道…そして復活しまた天に昇り、聖霊によって人々が神の言葉を話し始める聖霊降臨が書かれた聖なる書…新しい神さまとの約束である…新約聖書。

八百万の神…全てのモノに神が宿るとするやまとの教えと、神さまのひとり子として生まれて来たキリスト・イエス。

日本人だからこそわかる、見えないけれど確実に存在する神さま。

新約聖書で知った、人間そのもののキリスト・イエスだからこそ、ありありと神の存在を自身の生活の中に受け入れることが出来、また今日のケイシーのリーディングに有る様に、

神さまに対して絶対的な信頼と、そして本当に大きなことを期待する私が居たり…。

この世での常識や自身の経験を越えたところにある、神さまへの期待…しっかりと信じわくわくと、おさな子のような心で主と共に歩んで行きたいと改めて思わされた、今日のケイシー・センターからの珠玉のメッセージでした。

主の契約

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)/

旧約聖書…まだアブラハムもイサクもモーゼも出てくる前のお話。

新約聖書は、キリスト・イエスを身ごもった母マリアのお話から始まるから、今から2017年程前の出来事から書かれており…

そのもっともっともーーーーっと前、イエス様誕生より3000年程まえの「ノアの方舟」のお話。

旧約聖書、創世記6章5節に…


主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。

主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも、わたしは、これらを造ったことを悔いる」と言われた。

しかし、ノアは主の前に恵みを得た。

神はノアに言われた、

「わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、わたしは彼らを地とともに滅ぼそう。」

そして、主はノアに三階建の方舟を造らせ ノアの家族と地に住むすべての清い獣の中からオスとメスとを七つづつ…、清くない獣の中からオスとメスを二つづつ…また空を飛ぶ鳥の中からオスとメスを七つづつ…

その選ばれた獣や鳥が全地のおもてに生き残るように…と。

方舟が完成し、そして主の言われた通り 獣や鳥たちと共にノア一家も方舟の中に入り…

七日後雨は降りはじめ、そしてそして四十日四十夜地に雨が降り 主の造ったすべての生き物…人も家畜も、這うものも、空の鳥も…みな地からぬぐい去られた…。

ただノアと、彼と共に方舟に居た者だけが残ったそう…。

そして、天から雨が降らなくなり 水が地の上から引いて方舟が今のトルコのアララテの山にとどまったのが…今日の日付と同じ7月17日と書かれています。

そして、その後 主はノアと契約を立てたそう…

契約には、こう書かれてます!
「すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起こらないであろう…」と。

そして、契約のしるしとして  雲の中に、にじを置く…とも。


もう二度と洪水は起こさないと、約束した契約は今、崩れていってしまったのでしょうか?

旧約聖書とは、キリスト・イエスが生まれ出る前の神さまとの約束…契約が書かれた書。

そして、今 主イエス様が十字架にかかったことで 人類の罪を贖い、救いをもたらす…という新しい神さまとの約束。

しかし先週、襲った九州の大雨や土砂崩れ…。そして、2011年3月11日の東日本大震災。

各地で起こる目や耳を塞ぎたくなるような事件や災害。

「我が子…イエスを信じなさい」と母マリア様は、メジュゴリエの小さな村で35年以上も現れ メッセージを残しています。

神のひとり子が、神さまの生き方を多くの人々に示した…この地上で神と共に生きる生き方。

人は何度も生まれ変わり…未熟だった魂も少しづつでも成長し…

もしかすると2000年前、目の前でイエス様の十字架への歩みを見た人も…

復活を見た人も…

その後神さまの臨在をありありと感じたことのある人々も…

ただ、イエス様ひとりに贖ってもらうのではなく、あの東日本の大震災で天に還って逝った何万人もの方々は…救い主イエス様と同じ?

きっときっと今回の大雨によって天に還って逝かれた魂も…

あのノアの方舟の時、神さまがノアを救ったように…神さまが選び世の人々に、あのビアドロロッサ…十字架への道をイバラの冠を打ちつけられ十字架を背負い、血を流しながら歩いた罪なき贖いびとイエスさまを見せられるような…

ノアの時代とは違う、尊い魂を持つ人々の召天。

どうか、多くの人々が罪ない方々が 世の罪を背負うことのない世の中になりますように…

今日、ノアの方舟が5000年前トルコのアララテ山にたどり着いた日…旧約聖書の時代とは違う 今。

益々、この世での生き方が問われるように思わされた神さまの契約。

世界一のベストセラーである聖書を読む機会が少ない日本人。

日本人だからこそ、深い所で理解することが出来る聖書。

九州熊本は、私が2年半勉強させてもらった無教会の「キリストの幕屋」が開かれた場所。

幕屋の創始者手島郁郎氏は、阿蘇の山の中で、神さまの声を聴き聖書集会を子供も含む5人から始まったんだとか…。

イエス様が群衆に神の御言葉伝えていた場所は、教会ではなく野原や湖上…。

日々の生活の中に、神さまとの対話が生まれてくるのかも…。

今朝、私の携帯に届いたエドガー・ケイシーセンターからの珠玉の御言葉

内なる静かで小さな声こそが、人を動かす力に命をもたらし、その命が人間の奮闘努力の土台となるものを与えるのです。(239-1)