太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)
今日夕方、叔母がデイサービスから戻るのを待って 一緒にお墓の掃除に行って参りました。
叔母の…そして母の…お父さん、お母さん、お姉さん達が眠るお墓。
7月にもう一人の叔母の命日に一緒にお墓の掃除とお参りをしてたので、草も生えておらず…あっという間に終わることが出来ました。
叔母が認知症になる前、ひとりで住んでた頃…
叔母が守ってきたお墓は、雑草など生えることなく お盆やお彼岸にお参りに行くと 香の花が枯れることもなく いつもお水やお米が置いてあり、線香立は柔らかく苦労なくお線香を立ててお参りすることが出来てました。
7年前グループホームに入ってからは、私や姉がお盆とお彼岸に行くくらいで、そこまで手入れも出来ておらず…。
そして、何もかも忘れてしまう叔母にとっては 今、まだ両親は生きており 姉妹もまた生きている状態でもあったり…。
忘れてしまうことは、倖せなのでしょうか?
きっと、覚えている頃は 寂しさもあり、両親や姉たちにいつも逢いにお墓に行っていたのかも知れません。
今日、ふたりで 叔母のお墓と 私の母が眠るお墓の掃除を済ませた叔母と私。
子供のいない叔母と 母を亡くし また子供のいない私。
目を離すことの出来ない叔母は、私の子供の様なものでもあり また 母の姉だけに ふとみると母が側にいるようで… 親孝行のやり直しの様なものでしょうか。
そして、子供のいなかった叔母にとっては、娘を持ったような感覚なのか…朝 目が覚めると 私に愛おしく微笑んでくれる毎日。
叔母を子供のように思える時や 母のように思える時…。
神様が、ひとり残った叔母にプレゼントするように我が家にやって来ての生活。
86歳の叔母の残りの人生が この先どう展開していくのかも 神のみぞ知るところ。
ただ、私の母が健在だったならば 母がみたであろう叔母の介護…私が変わりにしていること。
母への親孝行でもあると思い、そして認知症の叔母と一緒に暮らすことで私自身が知らない自分自身が見えてくるものもたくさんあり…この貴重な毎日に今は感謝いっぱい…。
頑張らない介護…主人とふたりで、あーだ こーだと言いながら 楽しんでやらせて頂きます(^^ゞ