非常事態

ほんとに人気(ひとけ)、がない、閑散としている。人が出歩か

ない奇妙な世の中になったものです。人間のひそかな楽しみの

ひとつに人間を見ることがあります。程良い人混みをノソノソ


と歩くのです。そんな時に、人の行き交いざまに、ちらっと他人

を見るのです。《楽しみ》は表情、素振り、空気を感じるので

す。楽しそうに闊歩する子供を見るとこちらも気持ちがはずむ、

ということ。そんな気持ちなのです。嬉しく、楽しく、心穏やか

になれるのです。平時には気づかないささやかな《楽しみ》

です。毎朝、集団登校で小学生がおしゃべりしながらはしゃぐ

姿が、玄関口から見かけない、若くて可愛い声が聞こえません。


感染しない感染させないために人と接触しない、マスクをつける

。知り合いにあっても、マスクをつけてないと話せないのです。

目の前の人は誰もがコロナに感染しているという前提ですべての

行動がコントロールされているのです。ある意味、人を見たら

コロナ《泥棒》と思え、状態なのです。目の前の人間よりも

マスクに重きを置いて、人よりマスクを信じているのです。


目に見えないモノに恐れるあまり、人間不信の人間社会に陥り

そうな状況です。それ以上に寂しいことは、

見ず知らずの人から安らぎをもらえるコミュニュケーション

が以前からあったと思うのです。それが今はほぼ、ありません。


高校数学に「等差数列」というのがあります。平たく言えば、

《ねずみ講》です。聞くだけで、嫌悪感を持つ人が多いですが、

ある数学者が一枚の紙を持って、人を驚かせる真実があります。

「紙を2回折ると、4倍の厚さになります。もし、50回折る

と、どれほどの厚さになると思いますか?」。一人が答える。

「数十センチかな」。もうひとりが答える。「ビル並みかな」。

どちらもはるかに違いました。「太陽まで近づきます。50回

折ることができればの話しですが・・・ 」紙を折る作業を人と

人との接触に置き替えれば、今我々が直面している危機の大きさ

がうかがえます。等比数列が導くシナリオを逆から見た「接触8

割減」理論に違いはないでしょう。全国に非常事態宣言が出され

ました。そもそも、紙を折る事さえしなければ、息のできる地表

に踏み留めるということでしょう。「8割減」を実行すれば、

感染が収束するという試算は、信頼しうる。ウイルスに勝つ

唯一の方法と言われますが、残された時間があるようでありませ

ん。あと、3週大事に過ごせるかどうか? なのです。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

本能寺の変(光秀)

1582(天正10)年、6月2日、午前0時、

京と中国地方との分かれ道、沓掛(くつかけ)において

光秀軍1万3千の兵は休憩をとります。やおら、

立ち上がった光秀は軍配を掲げ叫びます。「敵は本能寺にあり」

光秀軍は進軍の後、本能寺を取り囲み、勢いよく寺内に

討ち込みました。実際、寺内は異様なほど静かで、ネズミ一匹

見当たりませんでした。やがて、本能寺は火を放たれました。

燃え盛る炎の中で、「是非に及ばず(やむ得ない)」といった

謎めいた言葉を残し、信長は自刃をし、わずか49年の生涯に

幕を閉じました。世に言われる「本能寺の変」です。


いまだ、日本史史上最大の謎のひとつ、とされるこの事件。

「なぜに、光秀は主君である信長を討ったのか?」

「光秀の単独犯行か、共犯者はいたのか?」このふたつの

疑問は残されたまま、いまだもって、議論の的になって、

日本史ファンのロマンを掻き立ててやみません。


敗者(明智光秀)が主役の大河ドラマ「麒麟(きりん)が来る」

のクライマックスになるであろう出来事。勝敗は明白でした。

信長は供回り少人数。光秀は大軍。望む物は《信長の首》ただ

ひとつのみ。しかし、いくら探せど探せど見つからない。

「なぜに? 」 日を改めても、多数でも見つからない。

光秀、三日後の6月5日、信長の居城、安土城に入城。

朝廷に銀500枚献上。室町時代の古い領主を呼び戻しました。

近畿の武将たちに呼びかけます。しかし、光秀を支持する者は

ほとんどいませんでした。本能寺の変から11日後、6月13日

中国地方から駆けつけた秀吉によって、あっけなく敗れました。

居城、坂本城に逃げ延びる途中、京都の小栗栖(おぐりす)の

竹やぶの中で土民に襲われ落命しました。この後、

主君を裏切って、天罰が下ったものと噂され、謀反人として

歴史に名を刻まれました。《三日天下》は実際は11日でした。


福井市郊外に、光秀が浪人の頃、住んでいた東大味町の村の畑の

一角に、小さな祠(ほこら)があります。光秀は地元では

「あけっつま」と呼ばれ親しまれています。信長が越前を攻め

滅ぼした時、光秀は、かつて親交のあったこの土地の人々を守る

ため、力を尽くしたといいます。その光秀に、地元の人々が感謝

の意を込めて、そのほこらは建てられたものです。この近くの者

の家に、世間の目をはばかって守られてきた光秀の小さな木像が

今も残されています。それは、今も一年に一度だけ、命日の

6月13日に、ほこらに祀(まつ)られ、法要されます。主君

信長を討ち、謀反人として、歴史に刻まれた明智光秀。しかし、

その本当の優しさを知る人々は今も彼の人柄を慕い続けています


ここで、見方を変えれば、全てを破壊して、新しい秩序の時代を

作るという信長のやり方に、光秀は、ブレーキをかけた、とも

言えるでしょう。歴史の転換期には必ず、アクセルを踏む者と

ブレーキを踏む者が出てきます。後世、アクセルを踏んだ人は

人気がありますが、ブレーキを踏んだ人は人気がありません。


しかし、ここで、光秀の果たした意義を考えてみると、

仮に「本能寺の変」なかったとしたら、間違いなく、信長は

天下を取っていたでしょう。日本を統一して、朝鮮に攻め込み

、中国大陸をも侵攻していったでしょう。考えられないような

《暴走》をやったかも知れません。そうであったならば、当時の

人々の受けた苦しみや悲しみは、計り知れないものではなかった

のではないでしょうか?


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。またお逢いできる日まで。


江戸時代の戯(ざ)れ詩に、戦国三傑を詠んで

鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス

と、信長を評して、あります。

光秀なれば、

鳴かぬなら 放してやろう ホトトギス

であろうか


 

言語化

「ズボン脱ぐ!」 立ち尽くしたまま、その場でおろします。

「でるら か だ ぶ ら」「でるら か だ ぶ ら」

なにやら呪文めいた言葉を発しています。そして最後に、

人差し指から順番に、一本ずつ押し出しながら、

「1、2、3、4、5・・・・・」

「1、2、3、4、5・・・・・」「終わった? 」


なにわともあれ、子供ながらも、無理矢理に、
自分自身を奮い立たせるわけですね。

しかし、奮い立たせたところで、
自分が感じた不快感が、消えることはありません。

そのため、苦しさやいらだちは、
刻々と溜まっていき、心を傷つけます。

そして、ある時、ポキッと折れてしまいます。

結果、投げやりになって、行動が停止しました。


「終わった?」「うーん、もういい。」

額や耳のあたりに少し汗をにじませ、まだまだ、不満を残しなが

らも、「替えて」と目で訴えてきます。処理を施し、おむつを

交換してやると、上機嫌で再び、はしゃぎだしました。


3歳になる幼児が朝食に、好物のR-1の乳酸菌を飲み、食事を

終えた直後に感じた排泄欲。床に座ったままで「***出る」

「トイレに行く? 」「もう、出た。」すぐにも、立ち上がり

部屋の隅にひきこまり、戦闘態勢に突入。


なかなか、スッキリと排泄感がぬぐえず、幾度か試みるも

思うようにいかず、心が折れない様に、自分を奮い立たせ

弾みをつけようと、行動や心境を《言語化》しているのです。

誰に教えられるわけでもないのに、いまだ三歳であっても、

《言語化》の潜在力を、開放感などを理解しているのです。


同日のこと、暗い世相を吹き飛ばし、春を感じようと

遠方までドライブで菜の花畑を鑑賞に出かけました。

持て余している、若いエネルギーをはじけさせる

ほどに、歩き周り、走り回わったにも関わらず、

我々の前を、蛇行しながら、急激に方向を変更させて

「あ お り 運転」と振り返りほざき、笑みを浮かべながら

無邪気に狂喜乱舞(きょうきらんぶ)しています。

われわれも、なんとも微笑ましい光景に、心弾みます。


帰り道の用足しのために、道の駅でのこと、

子供専用のハンドルの付いた遊戯に乗りたいとの

所望に応えて百円を投入。周りに誰も居ない状態も

手伝い、ご機嫌宜しく、はしゃぐ男の子。いまだ満足できず

隣の遊戯に移り、無言の要求に仕方なく小銭を投入。

自分の近くに見知らぬ人が近付き、人見知りの彼は、

心が落ち着かず、遊びに集中できないのか、あちらこちらに

視線が揺れ動く。いまだ充足感が得られず、再度、隣の遊戯に

移るも、妻の承諾を得られず、しばらく座ったままで、要求の

視線を送り続けるものの、妻との根比べ。我々がその場を

立ち去ると仕方なく後を追って来るも、屋外に出て、我々が

立ち止まり振り返ると、その場にしゃがみ込み、流し目線を。

視線が合うと、わめきながら泣き出す始末。きりがないので

仕方なく、抱きかかえ車まで連れ込む。泣き叫ぶので力づくで

助手席に押してつける。最後には、顔を座席に押し付けながら

「おいちゃん、きらい。」「おいちゃんもおばちゃんも、だい

ーきらい。」「みんな、だーい、きらい。」と大粒の涙を流し

鼻水たらしながら、大声でわれわれを、なじり、けなし、

さげすむ。半時間ほどで、疲れたのか、気が晴れたのか、

静かに眠りに落ちました。我々の前では、いつも必ず

「良い子」「偉い子」「かわいらしい子」であったのに・・・・


こういう子ほど、一度、《たか》が外れると、始末に悪い。

しかし、聞くところによると、この4月で、親の都合で

ここ西条を離れ、故郷の高知に帰ってしまうのです。

これで、私たち夫婦とも、そうそう、たびたび、会えなくなって

しまうのです。おそらく、私たち夫婦は、彼にとっても、母親の

次に信頼のおける近い存在であったはず。そんな私たちとも、

もうじき、お別れなのです。言葉を覚え初め、最も可愛らしい

時分に、出会えた喜びに、立ちあわせていただいた奇跡に

感謝いっぱいの今日このごろです。子供ってほんとに素晴らしい

ものです。


不満、不快、など、負の感情は抱え込んだままにしておくと

やる気、元気など行動の源泉をなくさせ、何もやる気持ちを

失わせ、何もやらなくなってしまいます。そのために

人は、言葉にならなくても「言語化」することで

その状況から脱しようとするのです。何かを口に

出して、しゃべることで、精神を鎮静化できることを

生まれながらに、身をもってしっているのです。

医学的にも、チューインガムの効用を理解している

欧米人は、作業中であっても、ガムをよくかみます。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。逢うその日まで。


 

変化(数字)

経済活動の回復を願って、金持神社(岡山県)まで参拝に

夫婦ふたりで日帰りにてドライブしました。健全な実践者なれば

「人事を尽くして、天命を待つ。」のでしょうが、まだまだ

未熟者たる我々は「人事の前に、天命にすがる。」とは

なんたる不心得者。しかし、近年の経営者の、多かれ少なかれは

五十歩百歩ではなかろうか。往復路の時間、学びを得ようと、


今一番、影響力があって、最も講演のみで稼いでいるであろう

熱い男、ミスターKのユーチューブを閲覧、楽しみました。

《つるっぱげ》で、松岡修造をも凌駕する程の日本で最高温度

更新中であろう男の言葉は、いたく私の心に響き、その論理性

に脱帽することばかり、その上、タダで経済を勉強できるとは、

時代の先端を走る男の熱情、に圧倒され、抜け目(毛)のない、

筋の通った未来予測に深く納得し、頭をハンマーで殴られる程、

驚愕させられました。詰まる所、変わらなければならない現在を

生きる社会人の、経済の未来予見の重要性、必要性を改めて痛感

変化の激しい現代に、生き残るための「テーマ」は《変化》であ

るとのこと。もはや変わることのできない愚者、野獣は、死すべ

し、です。 さらに少し進めます。さてここで、


《6.3パーセント》。総務省が発表している紛れもない数字。

むこう10年間で、今存在している全会社のうち、なんと

10年後においても、存在している会社の割合なのです。

言い換えれば、今ある会社のうち、93.7パーセントの会社は

なくなるといった現実、衝撃に直面するであろう、との話し。

いつまでも会社が存在して、仕事があることは、決して

《当たり前》ではなく、会社がつぶれないのは《奇跡》なのだ

そうです。実際、ほとんどの経営者は会社が、いつ、つぶれても

《当たり前》との考えのもと、常に経営に、当たっているそう。


会社の生き残りは、「ダーウインの進化論」と同じ理屈です。

生き残る生物とは、どのような生物なのか? 身体の大きい生物

なのか? 否、では、力の強大な生物なのか? 否。答えそれは

《変化》に強い生物なのだそうです。どれだけ大きく、強大で

あろうが、群れをなそうが、《変化》に弱い生物は滅亡して

しまい、逆に、どんなに小さかろうが、貧弱であろうが、弱小で

あっても、《変化》に強く、対応できる生物、種のみが、生き

抜いて生き続けていけるのです。生物を《会社》に置き換えれば


数字その二、《65パーセント》世界の有識者の会合で発表。

今から生まれる子供達が将来、就くであろう職業の全部のうち、

現在どこにも存在しない、いまだ名前のない、考えられていない

職業の占めるであろう割合なのです。ほんと衝撃の予測です。

言い換えるなら、今ある職業の中で、我々が知っている職業

はその35パーセントしか残らないのです。65パーセントは、

人間からAIないしは、ロボットが、人間に取って代わるのか、

まったく必要なくなって、消滅してしまう職業なのです。

もしかしたら、今現在あなたのしている職業が、それかも?

恐ろしい時代です。裏を返せば、誰にもチャンスがやってきてい

る時代でもあるのです。なにせ、今の世界の経済地図の65

パーセントは、新たに塗り替えられるわけですから・・・


生き残るには、常に勉強を怠らず、いつでも《変わる》柔軟性が

必要充分条件なのです。学ばず、変わらないモノはただのバカ。

時代に合わせて《変化》が要求されている、現在、これからも。

社会の変化のスピードはますます速くなっていきます。その社会

の変化に取り残されるようでは、恐竜のように絶滅の末路が・・


そのためには、謙虚で素直な心を持ち、すぐに変わる勇気が必要

昔の成功体験など、何の役に立たない、むしろただの足かせです


今や世界に冠たる、天下の超優良企業のトヨタ自動車。その

前身は機織り企業。終戦後数年でモータリーゼーションがやって

来て、今後ますます発展しそうな車社会を予見。アメリカ全盛を

憂いて、自国車を製造したい、走らせたいとの夢を実現しようと

社長の英断の元、技術も工場も無い中、ほとんど孤軍奮闘、

多くの逆境を乗り越え、現在のトヨタ自動車を創業。その後

の成功は万人の知るところ。《変化》に恐れることなく

時代の未来を正確に読み切った社長(経営者)の知見の

鋭さ、勇気ある決断。に尽きるのでしょう。ただ《変化》

することは誰にとっても怖くて、不安なこと。それを《不安》

から《確信》に変えるには、学び(勉強)するしかないのです。

なぜなら、いつの時代であっても、未来を正確に予見すること

など誰ひとり、決して不可能なのですから、神以外に・・・


現在、金持ち日本一のソフトバンクの孫正義さんは、今、儲けの

大部分を「自動運転」に投資しているらしいとか、参考までに。


余談ですが、会社が5年後、生き残っている割合が、

《14,5》パーセント強、であって、20年後に至っては、

《0.4》パーセント。ほぼ残っていません。最近入社した人

は、今働いている会社が退職するまでほぼ、存在していないこと

になりそうですね。悲しいことに。だから常に、自社の社長

(経営者)の動向に目を皿のようにして、注視して観察を。


現場で社員と一緒に仕事するような社長では、人間的には信用で

きても、経営者としての重要な任務を怠っている愚か者です。

常に外に出て社会の動きを観察、勉強するような社長でなくては


会社を信じて自分の将来を会社に託すのも良し、勉強を重ねて、

自分自身を信じて、会社を飛び出し、未来を自分で掴むも良し。

しかしどちらであっても、《変化》することを、常にいとわない

柔軟性とその変化に飛び込む《勇気》と《大胆》さが求められる


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。お会いできる時まで。

お読み頂き誠にありがとう存じます。


あくまで、動画拝聴して、僕がその要約してみたのです。

インプットしたものを記憶にとどめ置くために

アウトプットしたに過ぎません。

信じるも信じないも個人の責任において・・・


ミスターkの動画の内容はご自由にとのご配慮により。

勝手に文章に落とし込みました。自分の後学のためのみに。


 

神秘

謎の同居昆虫、チョウチョのボチボチ生態日記。

彼(蝶々)の黒い便の原因。考察するに、(ほんに暇よね)


お日様のある広い大空に、おもいっきり羽ばたきたい欲求に

反して、人間ごときの、ちっぽけな部屋なんかに閉じ込められた

ストレスによる精神的抑圧。食料となる花のミツの種類の少なさ

による栄養分のかたより、栄養不足などと推量できる。人間に

とっては、たかがハチミツなんてどれも似たり寄ったりですが、

チョウチョにとっては極めて深刻な問題で、優美に飛び回ったり

異性を惹きつけるために、魅力的なスタイルの維持、魅惑的な羽

の鱗粉(りんぷん)の量と質の健全性の保持の観点から必要です

自然に咲いた多種多様な、しなやかで強い健康な花々から様々な

種類のハチミツの摂取が必要なのです。異なる花によって微妙な

栄養成分の違いは、われわれチョウチョにとっては、とっても

大きな違い、問題なのです。以上はあくまで私見であります。


現在彼はここ数日間、居間兼台所内を自由に、我々の存在など

気にも留めないで、お構えなしに、飛び回っています。ほんと

癒される。我が子が、目の前で、元気にはしゃいでるようです

心穏やかに、悠々と、ゆったりとした時間の流れを感ぜざる

を得られません。ときおりお腹を空かすのか、小さな花に

止まって、何も気にせずに天敵が居ないことに、安心しきって

いる様子です。まだまだ甘いよ。人間という史上最強、最恐の

俗物の存在を忘却している様子です。捕まえて売り飛ばされる

ともつゆ知らずに。かわいそうに。自分を大切にしてね。

よく分かりませんが、彼は生まれて、このかた未だ太陽を見た

わけでも、自然の壮大さも感じた事などないにもかかわらず、

いつも必ず部屋の東側の、陽の良く当たる窓際、太陽の見えそう

な場所に好んで止まってるのです。《生物の本能》なのでしょう

まさに「今を生きている」といった生物の《神秘》の片りんを

まざまざと見せつけられて目頭が熱くなって感動せざるをえませ

ん。あんなに小さくてか弱い生き物であっても、毎日を精一杯、

精力的に、100パーセントの自分を出し切っているのです。

ひるがえって考えて、自分はどうなのか? 考えさせられました


今日もここまで。近藤浩二でした。

ではまた。またお会いしましょう。


あくまでも私個人の独断と偏見による憶測ですのであしからず。


 

 

自由

バタフライ(蝶々)のその後。

投稿以来、注目を集め、多数の人の目にさらされたことも含め

ほんの数日で、狭い駕籠内に嫌気がさしたのでしょう。

知らぬ間に、彼は小さな駕籠穴を通して、逃走に成功、部屋のど

こかで・・・ 生きているのかどうかさえも、生死不明でしたが


週末の金曜日、気晴らしをして、気が晴れたのか、食料を求めて

再び舞い下りて、換気扇の排気穴か、神棚のさかき、お神酒辺り

付近? 状況証拠から推察するに最高温場所が一番心地良かった

のです。かれの心の内に分け入って見よう・・・


ここ(駕籠)ちょっと狭すぎ、ここから出たいよ出して、お願い

今の内に栄養補給を、「チュチュ、チュチュ、チュルチュル」

あー美味しい、お腹も満たされたし、もう少し準備運動しとこ

なんか軽快な波動を感じるじゃないか。「バタバタ、バタバタ」

やっぱりここ狭すぎる。あれあそこから、ちょっと出れそうや

ないか? 試してみるかな? よっこらしょ、あれ、意外と簡単

出てしもたぞ。もう戻られへんぞ、こうじさん、ちえこさん、

堪忍な、ほんとに堪忍やで、怒らんとってや、わては旅に出ます

ここはどこや、お日様が感じられへんのやけど、教えて神様、

お天道さま。あっ、ここらへん、温かいやないかいな。こっちに

お日様があるのかな? だんだん温かくなってくるやないかいな

水も緑の葉っぱもあそにある。ここでちょっと休んどこ。楽やな

楽ちん、楽ちん。ふー。緊張が切れた。ふー、ふー。ふー。

眠むくなってきよった、寝たろうか? 寝たろう。眠る。

今日はもう寝るよ、おやすみなさい。ずー、ずー、ずー。

あー良く寝た。今までで一番気持ちよく寝たよ。明るく

なってきたぞ、もう朝か、あ、人影が、こうじさんおはよう、

あれ、まだ寒いぞ、あー寒いよ、今日は遊びに行くの止めよ

今日一日中、ここで過ごそう。僕の家系はインドア派なんよ。

今日は朝からずっと気持ち良いくらい、温かいな、ひょいと

こうじさんひとりで、何かしてる、ちえこさんがいてへんな。

どないしはったんやろ? 「ばん、@「」:;。・、¥」あっ、

大きな物音が、ちえこさんがいてるぞ。この二日ほど何も

食べてないぞ。お腹もすいたし、二人に僕の姿、見せに行こう

忘れられない内に、温かくて気持ち良い空間だね。ごきげんよう

お久しぶり、僕まだまだ元気ですよ。どこかに食べ物はないかな

この部屋も、まだ狭いやんか。どないなってんね、食べれへん

かったら、僕、死んでしまうやないけ。ちえこさんが、僕を

追いかけてきよるやんけ。捕まえるもんなら、捕まえてみいや。

えっ、あれ、これ何、ちっとも動かれしまへんやんか、これ

どないなってんね。何してくれるねん、このボケが、しわくぞ。

何してくれるねん、おんどれが、ケツかち割ったろか、

頭かち割って、チュウチュウ吸うたろうか?ここ知ってるとこや

あっ、食べ物があるぞ。あー、美味しい、満たされた、満足。

何かまた、音楽が聞こえてきた、遊びたなった。「バタバタ」

あれ、今度はどこにも出れそうな穴ないなー。どないしょ?

あっ、また広くなった、飛んだろ、あーやっぱり広いと

気持ち良いな。「バタバタ」今度はいつもよりたくさん

飛んだろ。「バタバタ、バタバタ。」 バタバタ飛ぶ(フライ)

するから僕バタフライやねん、呼ばれとんねん。知っとったか。

冗談やで、本気にするか、こんなベタな話し・・・・

あれ、また捕まえられた。疲れたさかいもう休むで、


今日はここまで、近藤浩二でした。

ではまた、また会えるその時まで、お元気で。


蝶々を、ググッって見て知ったこと、本当かどうかは本人の

責任において、チョウチョ知識その一。

寿命は約二週間程、いつから二週間かは分かりませんが

さなぎから脱皮して、チョウチョになったのが、正味正月の4日

暦で18日の土曜日頃に尽きてしまう、はかない命。その二。

視力は約0.2程とか・・・


あと、現場の状況から、フンは黒い点ほどです。黒い便とは

彼は栄養不良です。偏った食生活だろうから。彼の寿命は、

標準より短いかも。長生きしてほしいな、愛着わいて来てんで

す。不思議です、人の心は。子供の頃、アマガエル捕まえて

口にバクチクくわえさせて、バラバラに破壊して面白がっていた

自分を現在猛省しています。今では、チョウチョ一匹の命に心配

いっぱい、あと、駕籠の中では普段そんなに飛ばないのに、音楽

(洋楽)流したら不思議と飛ぶのです、バタバタと。音楽止めた

ら飛ばない。聴覚器官はないと思いますが、何か波動(波)を感

じてるとしか考えられない。しかも学習能力もあるようで・・・

ほんに命、生き物たちって、不思議、《神秘》です。


 

奇跡

人間ってなんて傲慢なのだろう。いやいや自分って、どうにも

傲慢だったのだろう。との、いましめを感じる年末年初。


ともすれば、私たち人間は、悲しい、残酷なことに、

自分の目に見える範囲の人間、しかも自分にとって《益》を

もたらす人間にだけしか、興味、関心事を向けていない《悲哀》

に気付かされました。しかしながら、現実には、いたるところで

自分の見えていない、家のかたすみ、街の片隅、村の片隅、森の

片隅など、ありとあらゆる、いたるところで、時は、歴史は

命はつながり、流れ続けているのでした。


生物は大別すると、二種類に分けられます。ひとつは植物。

もうひとつは動物です。基準は、《動く》か《動かない》か

です。言い換えれば、動かなくても生きていけるモノと、動かな

ければ生きられないモノです。さらには、自分で栄養を作られる

か、作られないモノです。もっと言い換えれば、他の命を食べ

て自分の命を生きながらえる、維持していく、なんとも身勝手な

ケダモノたちです。我々人類は、悲しいかな、このカタゴリーに

帰属します。話を戻します。


昨年末、ある知り合いの方から、食料となる植物を頂きました。

誰にとっても、とっても馴染みのある野菜です。しかしなので

す。ひと昔前ならいざ知らず。令和のこの時代に・・・。

僕の子供の頃には、自前の畑なら、日常茶飯事の《事件》が

まさに青天の霹靂(へきれき)、寝耳に水、の変事が起こった

のです。

そこには、ある奇妙な物体が、現代の女性ならきっと、発狂する

ほどの、気絶しかねない、現象が勃発していたのです。それって

・・・ 《ウジ》とか《ゲジゲジ》と呼ばれても、当たらずとも

遠からず・・・小さくて、青くて、気味の悪い、ニョキニョキ

動くバグ、虫なのでした。見なれた、この僕でもいっぺんで

食欲を失(な)くさせる存在、成長したら、あんなに優雅に

可憐に、我々の目を楽しませてくれるのに・・癒してくれるのに

・・・その名は《青虫》でした。


神様のなさることは、いたって摩訶不思議で、理解不能です。

幼い時には、あんな形で、我々の食料の上をはえずり周り、

身の毛もよだつお姿なのに、成長すれば、なんとも華麗に

舞い踊るようになるとは、誰ひとり予想もできはしまい。

我々人類への戒めでもあるのでしょうね、きっと。


ともあれ、彼(青虫)を、我妻、千恵子はたまごパックの透明

容器に、野菜の切れ端ともども、隔離させ、呼吸穴を開けて、

台所の隅っこで、飼育を始めたのです。年末差し迫ったころ、

彼は、室内の程良い温度を感じてか、今がころあいと悟って

たまごパック容器の最も高い位置まで登りつめ、ピタリとも

動かなくなりました。日が経つこと、数日後の正月二日の事

彼は薄くて、柔らかい衣を脱ぎ捨て、いやいや、破り捨て

バタフライ(蝶々)へと成長していたのです。その後


千恵子は100均にて、かごやら、網やら、植物やら

わたなどを買い込み、昨日、ただの一頭(とう)の彼の

ために、新居を作ってあげたのです。彼はきっと、喜んで、

今では、うれしそうに、楽しそうに、優美に舞い踊っています。

それにしても、僕の中では、決して見ることのできない

であろうと思っていた、連続していく命の《営み》を

目の当たりにできた《奇跡》なのでした。後は、

たまごから、殻を突き破って出てくる、ひよこかな。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた、お目にかかれる時まで。


こんな真冬に、現実に、蝶々を見える喜び、いやされる。

みなさんにもぜひお見せ差し上げたいです。

残念ではございますが、文面より想像致して下され。

動画を私のフェイスブックに7日に投稿しましたので、

どなたでも、検索なさって、ご随意に。


蛇足ではございますが、昆虫は数を数える時は、

学術的には、一匹、二匹、・・・とは言わず

一頭、二頭、・・・と数えるのだそうです。

諸説ありますが、ある学者の英米人が、

ワン ヘッド(head)、ツー ヘッズ(heads)と

数えたことよるのだとか。参考までに。


 

冗談

久しぶりに、ご無沙汰の居酒屋に、フラッっとお邪魔しました。

飲み物の注文の際「消費税アップの関係で、

値段変更になりました」と店主が申し訳なさそうに、

切り出しました。続けて「ソフトドリンクは据え置きで

8パーセントです」「心苦しいですが、ビールはあおりを受け

て、10パーセントです」さらに、にやけながら「オレンジジュ

ースは・・・・・

100パーセントです。」

 

「え!!」一瞬、目が点になりました。

 

「じょうだん、冗談」  「でも多分、間違いじゃあり

ませんよね」 「ええ、うちは品質には、自信持っています

から」 「今日は娘手伝いに入っていますので」店主が


「客商売慣れてないので、失礼があっても、許してやってね」

程なくして、三か所のテーブルが埋まりました。私たちは

「さんまの塩焼き。」右隣の家族連れは「アユの塩焼き」

左となりの夫婦は「ブタのしょうが焼き」しばらくして

ほぼ同時に三つの料理が出来上がりました。手伝いの娘さんが

配膳の手伝いします。少し頭が弱いのか、確信が持てないのか

確認しながら、こう叫びました。

「さんまのかたーー?」 周りが注目する中、私たちが手を

挙げました。 目が合って、プレートを手渡されました。

「あゆのかたーー?」 右となりのお父さんが手を挙げました。

無駄に元気よく「はいー」テーブルまで置き渡します。 最後に

・・・・・

・・・・「ぶ た の か たーー?」

みんなが注目する中、左となりの腹の出た

《肥えた》おばさんが、

いきよいよく手を挙げて返事しました。

アホな娘が、さらに余計なことを「たしかに、肥えてますけど

・・・」周りが凍りつきました。「冗談、じょうだんですよ」

「少し頭の弱い、アホな子なので、すいません」店主が

客に頭を下げています。 以上は、ウソみたいな実話です。


勉強大嫌いな、我が塾の小学4年生の男の子。国語の漢字の小

テスト。今回はがんばって、満点取る、と公言しました。

久しぶりに、精一杯努力の成果を見せてもらえました。でも、

やはり、どこか抜けています。やらかしてくれました。

テスト問題の漢字は、すべて正確に丁寧に書けています。

しかしです。満点じゃなく、《はなまる》もらえていません。

「どうして《満点》じゃないの?」尋ねました。

彼は、残念がって、恥ずかしそうに、肩を落としてこうつぶやき

ました。「名前見て」彼は自分の名前の漢字を間違いていたの

でした。さらに「ひらがなで書いたら良かったねえ」って

でも不思議と憎めない、愛すべき子供なのです。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。P.S.I LOVE YOU.


「出来の悪い子ほどかわいい。」ってほんとですね。

小学生の子供の仕事は《遊び》だと、僕は確信しています。

塾講師失格とも思いますが、少しアホで、元気で明るい子供が

世の中を変えるような人間になれる、と本気で信じています。

《活動的なアホ》が一番怖い。確か、偉人の誰かが言っていたよう

な・・・


 

確率

優秀な営業マンの習慣のひとつらしいです。

セールス周りの車両運転時、極力右折を避けて

左折周りで移動します。と、かつて何かで聞いた様な気が・・・


実際運転をすると、よく分かると思われますが、右折はたしかに

思った通りにスムーズに流れる時の方がまれです。しかも

ひどい時には、赤信号をまるまるフルで待機する、はめにも。

なんかイライラさせられて、精神衛生上も全く良くありません。

加えて、右折は左折に比べ、注意の度合いも求めれられますので

ただ移動するという、非生産的な行動に神経をすり減らして

しまって、肝心な仕事の目的達成に向けて精力的に活動でき

ないなんてことに陥りかねません。最近つとに考えることに、


助手席に乗車して交通の流れを何気にながめていると以前から

感じていたことですが、世間には不思議な人があふれています。

わが街中に走っている、思いのほか交通量がそこそこ多い国道。

その国道に沿ってスーパーやコンビニなどが店を構えているの

ですが、そこからビジーな国道にわけ入ってこようと右折待ちの

車両が、長時間立ち往生している様子をひんぱんに目にします。


僕は純然たる確率論者ではありませんが、少しの脳みそで

考えて、一度でも経験すれば理解できることなのでしょうが、

左折は比較的容易に進めますが、右折は考えてる以上に容易では

ありません。端的に言えば、永遠に進めないのではないかと

不安に襲われてしまいます。ほんの少し考えれば分かるはずで、

対抗車両と本流車両の2車両のはざまに入り込むことの困難さ。

さほど遠くない位置に、都合よく信号でも存在しており、片車両

でも強制的に停車してもらえれば、親切な方の好意で入れるかも

僕ならこう考えるのです。近くの信号機の設置されている交差点

まで移動して信号待ちにまかせるか、一度左折して、程良い場所

でユーターンをするでしょうか。時間ロスと安全性の点から考慮

すれば、確率的にもはるかに妥当ではないかと思えるのですが・


屋外での活動の際には、おそらくほとんどの人は天気予報の降雨

確率を考慮して、行事の開催や雨具の準備を考えるでしょう。

確率が50%以上なれば、誰もが多くの可能性の方の行動に

傾くはずです。確率論者でなくても、受験の時には倍率を

気にかけ、宝くじの当落に一喜一憂するのです。誰もが

人生の選択に、戸惑い、迷いながら、日常を送っている

訳ですが、そこでは出来うる限り、遠回り、ムダを避けて

てっとり早く近道を歩こうと考えがちです。であっても、

様々な要因が混在して容易に判断しにくい現代だからこそ

ロジスティックに考えて確率論的な発想が求められるのでは・・


もちのろん、人間のすべての行動が確率論では割り切れません。

しかし、ビジネスにおいては、好むと好むざるとに関わらず、

数字による確率論のみで、判断され、行動を要求されます。


とはいえ、世の中が厳格な確率論信奉者の常勝になるとは

限りません。仮にそうであるなら、なんと味気のない

無味乾燥で面白くない世の中といえるのでしょうか。

万が一にも、確率論で世界が動くとしたら、この世の中

《奇跡》を信じて、挑戦する人間が居なくなってしまいます。

魔法を信じる人間にしか、魔法は使えないように、奇跡もまた

奇跡を信じる人間にしか、奇跡は起こり得ないないからです。


今も忘れられない体験があります。僕が小学生の頃、山のすそ野

の友人の家に夕刻遊びに行った帰り、突然の夕立に巻き込まれて

夕飯までに帰れないかもと、あたふたと困惑していた時、友人が

夕空を一見すると「もうじき、夕立止むから心配いらん」って

何の根拠があってか、自信満々に教えてくれました。つかの間

の後、あら不思議、雨がすっかり止んだのです。僕は理由が

知りたくて友人に尋ねました。すると彼はもったいぶりながらも

「この時期の夕立は、雲の切れ間があれば、じきに止むのよ」

だって・・・ 降雨確率もグーグルもなかった時代、人は自分の

あまたの成功体験と失敗体験と気付きの《感性》や

磨かれた心のアンテナ、によって未来予想をしていたのです。

結局、最後の選択は、自分自身でするよりほかにありません。

そこにはおそらく、数字や《確率》なんて発想は微塵も存在し

ないかもしれませんね。本当は僕もそんな人生の方が好きです。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。P.S.I LOVE YOU.


なまじっか知識のあるって始末に悪い。「生兵法は大怪我

の基」です。よく夕刻に怪しい空模様を見ながら、

「これから天気どうなるんですかね?」

「西の空見ないと何とも・・・」 中学校で習う

《天気は西から東へと変化する》に、とらわれ過ぎ。

それでは、局所の天気予報や本当の未来は読めませんよ。何が

正しいか分からない変革の今。通用しない壊れた過去の方程式。

専門家や権威者の発言のみが決して正解ではありません。

いかなる人(たとえ子供であっても)の発言にも、

一抹の真実はあるものなのです。だからほんと、素直は大切。


 

電気

人間が生き続けるためには、絶対欠かせないものがあります。

もし、空気(酸素)が無ければ、30秒程しか生きられない

でしょう。仮に、水が無ければ一週間しか生きられないでしょう

それ以外何があるでしょう? 先日台風15号が通過しました。


南方に発生した台風のほとんどが、通過する日本。

メディアで連日、その爪痕の凄まじさが報道されて

心苦しくなってしまいます。天災、天変地異、災害、等が

降りかかった後には、ライフラインが断ち切られてしまい

必ず日常生活に支障を来たします。

インタビューによると、一番の問題は情報が入って来ない

発信出来ないといった、情報が回らない《不安》だそうです。

人の心と身体は密接に繋がっています。身体が丈夫であっても

精神が病んでしまえば、身体も病気になってしまいます。

不安を抱え込んだままの生活では直に、まいってしまいます。

被災された人たちはラジオからの情報が大変貴重なものです。

そして現代人にとってはSNSは重要なコミュニュケーション

ツールで、もはや欠くことの出来ない手段です。それには携帯

電話が必要です。そしてそれには常に充電が必要です。お米を

炊くにも炊飯器が要ります。これにも電気は欠かせません。

食材を保存するには、冷蔵庫も要ります。これにも電気が

必要です。何が言いたいかというと、現代に生きる我々には

もはや電気とは、切っても切れない関係だということです。

灯りだけなら、ろうそくや懐中電灯でも事足ります。でも

一瞬たりとも、電気が無い生活なんて考えられません。


聞くところによると、現在、国連加盟国193か国です。

その中で、すべての国民が不便なく、電気を自由に使用

出来ている国は英国、米国、日本を始め、まだわずかに

20か国程だそうです。びっくりですね。世界規模の行事、

オリンピック等はその20か国で回しているほどです。


自家発電機器を使って、コンビニ店を営業始めたことが

映像で流れていました。仮に、電線が通ってなくても

電気を供給する方法はあります。しかし、大量に長時間の

供給には、燃料を絶やせない、発電機の容量の大小、といった

解決すべき問題がいっぱいあるでしょう。もし、それらの問題が

解決されて、ある大きさの電気をある程度、供給し続けることが

出来る機械が発明されれば、災害大国日本の憂いも、少しは軽減

されるのではないでしょうか。そのような機器が一刻も早く

出現する事を切に望みます。近い将来何か出来そうですね!!


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。P. S. I LOVE YOU.


もし、現代に発明王エジソンのような人が居れば

挑戦してそうですね。この年齢からでも、研究してみたい。

我々の未来には、我々が決して予想も出来ない素晴らしい

未来が待っているはず。近いうちに必ず。強い予感があります。


 

(Blog to Soul)水素風呂と時代劇と音楽を愛する左半身麻痺の塾講師