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誕生日

そこは家から10分程のところでした。助手席に乗り込むと

妻が「今日おいちゃん、誕生日よ」と、同時に後ろを振り返ると

「おいちゃん、お誕生日おめでとう!!!」と5歳の女の子が

僕に笑顔を投げかけてくれました。時を置かず、2歳の弟君まで

も「あっ、おいちゃん、誕生日おめでとう!!!」と口にしたの

です。「ありがとうね、ふたりとも」と返すと、お姉ちゃんが

「ほんとは、プレゼントあげたいのに・・・」

「分かってたら、家から持って来たのに・・・」と大人顔負けの

ませたセリフに、感じやすい僕は正直泣きそうになりました。

幼稚園で躾(しつけ)の一環で覚えさせられたのでしょうが

初対面の大人の男性に、強制された訳でもないのに、なんの屈託

も無く反射的に口に出せるのです。《恐れいりやのきしぼじん》

一方最近、リハビリ通所で4月から誕生日祝いが突然取りやめに

なり、残念に思っていたところだっただけに、不意の心遣いに

感激いっぱいでした。どんな時代、どんな境遇であろうが、どん

な人生を送ろうが、誰もが持っている、本人の唯一無二の記念日

である誕生日。絶対、誰だって祝福されたいはず。


どこで、どんな風に祝うかは、個人によって様々でしょうが

想定内の演出は《ふーん、》て感じですが、まったく

予想だにしていない出来事に、僕の心は大きく揺さぶられま

した。数分後到着した場所は市民グラウンドに隣接した幼児

公園。僕はひとり車に残り、妻と子供達がふわふわドームで

戯れているのを眺めていました。風が強く肌寒かったのですが、

少し陽に当たろうと降車して、のそのそと杖をついて

歩いていると、お姉ちゃんが僕に近づいて来て、僕の顔を見なが

ら「大丈夫? 大丈夫?」って何度も聞いてくるのです。笑顔で

「うん、大丈夫よ!!」って答えそれでも、のそのそと歩いて

いると、今度は僕の少し後ろに回って、僕の左腰を軽く触って

「大丈夫。大丈夫」と声掛けをしながら一緒に歩いてくれたので

す。言葉に出来ないくらい感激、心動かされました。「ほんとに

ありがとうね。**ちゃん」と言って顔を覗き込みました。

二重瞼のパッチリおめ目に、バランスのとれた品性の良い、

とっても可愛い顔立ちにびっくりしました。性根が良いから、

素顔が素敵なのか、見た目が良いから、心根も良いのでしょ

うか、どちらにしても、早熟で、めんこい素敵な女の子との

出会いに感謝感激。夕食は居酒屋で乾杯。雇われ女性店員まで

も「なんにもないね・・・・ハッピーバースデー」て、祝福して

くれました。注目の新元号の話題より先に言ってもらえました。

歳をとらないと味わえない幸せもあることを再認識。


帰りの車中。僕らの近くまで身を乗り出して「おなら出た」

少しも悪びれる素振りも無く言い放ちました。その後

僕たちの会話の中で「はい、はい」と、どちらかが言うと

「はい、は一回」と、後ろから、突っ込んできます。

こうして僕たちはわずか半日で、とっても仲良しになりました。

これは人生おける、変動しうる幸福の最大値の、ひとつの出会い

といえるでしょう。58歳になった僕の人生。

まだまだあるじゃないか・・面白いじゃないか・・・

姿勢はエンジョイ。知識はぼちぼち。子供たちとのゆるふわ

交友関係。微笑ましくも、軽ーい関係であっても、人生を

色鮮やかに彩(いろど)るのでしょう。普通、幸せな人間は

自分に正直で素直です。そして自分の幸せに集中するもので

しょう。この素直な思いを正直に表現する人間を僕は愛します。

その上で、自分が「この人は素敵だ!」と思った人と出逢った

際に、恥ずかしくない自分でありたい。まだまだ人生の醍醐味

を見つけよう、探そう、求めよう、手を伸ばし続けよう、そこに

辿(たど)り着こう、まだまだ、いたずらに過ごしてなんか

いられない、安穏(あんのん)として居られない、と思いを

新たにした58回目の誕生日でした。ベストセラー

『七つの習慣』の著者は言っています。「 最も大切なこと

は、最も大切なことを、最も大切にすることである」今後は

これを実践していこう。人生には色々な生き方があります。

《自由に生きる》生き方だって、《豊かに生きる》生き方だっ

て、《自分らしく生きる》生き方だって、ただし無理をしないで

楽しみながら生きようと思っています。今後ともよろしくです。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。PS I LOVE YOU.


陽の気配が感じられるが、闇がまだ、少しずつ入り混じって

いる、春の明け方。まだまだ肌寒いため、布団の中でごそごそ、

夢うつつの内に時間がいたずらに過ぎて行く。とてつもなく

贅沢な目覚めを頂く。そんな寒の戻りの朝を迎えた誕生日。

台風18号がやって来る、ヒヤ、ヒヤ、ヒヤ、!!!

ほぼ毎朝、東向きの窓から朝日が差し込み、

僕の体内時計の目覚ましを鳴らせて、

朝の訪れを知らせてくれるのですが、

今朝はふと目が覚めると、もう10時だ。「よく寝たな」

きょろきょろと薄暗い部屋の様子をうかがう。

おかしいな、と思いつつ、携帯をのぞくとやはり10時過ぎだ。

階下に部屋の明かりはどこにもなく、

居間に立てたメノラーの薄明かり(24時間点灯)が、

この家の階下には僕のほかに誰も居ないことを主張している。

本来なら車が通っているはずの東側の道路からも、

今は自転車すら、人さえも通っていそうにない。

そんなある種の気味の悪さが漂う朝を、今朝は迎えた。

厠(かわや)に向かい事を済ませて、洗面所で顔を洗って

居間の明かりを点ける。昨夜のままでした。

今朝妻たちがここで過ごした痕跡が感じらねません。

日曜日は認知症**おばさんのデイサービスも休みで、

終日3人で過ごさなければならないのです。

数日前よりテレビの気象情報で

台風18号が日本列島を隈(くま)なく通過するであろうとの予報から、連休にも関わらず、みんなも外出を控えているのでしょう。

台風の進捗(しんちょく)状況を把握しようと、

テレビを点けました。昼過ぎに愛媛県を直撃らしい。

どうなるのでしょうか? 無事に通り過ぎてほしい。

最大級の台風らしいと聞きました。

でも正直それほど

《大変なのだ》、《不安》とは思わないのです。

《マヒしているのでしょう。》《平和ボケ?》


我が家では昼過ぎまで、

僕はテレビ「ワイドなショウ」、おばさんは就寝。妻は仕事(2階で)。

その後、パン食。コインランドリーへ。和菓子とコーヒーで休憩。

外ではビショビショ、パタパタ、ビュー、ビューと激しさを増している雨風。

今日は家の中で楽しもう。好きなことしよう。

楽しいぞ。良い日になりそうです。でもそんな時、


拡声器から大きな声が聞こえる。消防局から、

《注意を促している。避難場所も伝えている。》

「緊急」でも無いのに?

《どうすればいいのだろう?》判断に悩む。

逆に不安を煽(あお)っているような放送だ!!

《やっかいだ》だがここは平野の中心部だからほぼ安心。

《一人暮らしの年寄の方々》

《妻も突然の放送に、

右往左往と少しうろたえて、

不安な表情》

《僕はひとり「アメトーク」で笑いのツボ》笑いこらえるのに必死。

しかも今日の運勢12位で最低。《一体どっちになるのかな?》

ブログでも書こうかな?


《全力投球すると疲労が獲れないので》

《連投が出来ません》

《たぶん中4,5日で軽めに書きます。》


40年以上前(小学生、中学生時代)には「台風が来そうだぞ」

という時は、

夕方から全面停電になって、

家に早く帰って、

家族みんな早めに食事を済ませ、

土間に置いてる貴重品を家の隅の部屋に並べて、

外側の丈夫そうな木戸を完全に閉め切って、

金鳥の座面に「長ろうそく」を立て

早めに床に就いた記憶があります。

そうして知らぬ間に台風は通り過ぎて行きました。

《床下浸水はたまにありました。》

大好きなテレビが観えなくて、残念な反面

ひとつの部屋の中で、家族みんなで過ごす一夜は、

不思議と何か楽しく感じました。

《外は騒々しいので》

ただひたすら黙々と

《顔を見合わせて自家製の米菓子(あられ)を食べていました》

《兄は一人自分の部屋で(贅沢にも)電池でラジオを聞いていました。》が。


今日は3曲洋楽紹介します。ではまた。近藤浩二でした。


ボンジョビでリビンオンザプレヤーです。

1987年リリース。4週連続全米NO.1.

若者二人が辛い毎日を祈りながら生きてる話。

曲途中の「We give it a shot」の歯切れがとっても良い。「試してみる。挑戦してみる」の意味。

似たようなメロディーの「イッツマイライフ」もヒットした。

アルバム「ワイルド イン ザ ストリート」からシングルカット。米国のロックグループ。


マライヤキャリーでヒーローです。

1993年リリース。アルバム「ミュージックボックス」からファーストシングルカット。アルバムともに全米NO.1ヒット。彼女の代表曲。

脅威の7オクターブの音域を持つ世界で最も成功した米国の女性シンガー。全ての人への応援ソング。

あるパーティーの帰りに、ソニーエンタテインメントの社長に自分の歌のカセットテープを渡した。車で聞いた社長が急きょ、Uターンして戻って来て、慌てて彼女と契約したという逸話がある。その後「ビジョンオブラブ」で衝撃デビュー。

発売当時アルバム「ミュージックボックス」毎日聞いてました。


おまけで、フォリナーでダブルビジョンです。

1978年リリース。全米NO.2の大ヒット。2作目のアルバム「ダブルビジョン」から2枚目のシングルカット。とにかくかっこいい。

鋭いギターから始まるスピード感あふれるタイトな楽曲。

急停車して静かにサビに移る部分は最高に決まってる。《レコードで聞くとよく分かる。》

当時ディスコで流れた時、ノリノリで踊ったことを思い出す。

ボンジョビが歌ってもそこそこ決まりそうだ。

また彼らには《駄作》が一曲もない。まれなグループ。

どの曲を聴いても高い完成度。


 

日常生活のちょっとした楽しみ!!

今月に入って初めて自分のパソコンを立ち上げました。

生活習慣を変えさせられる出来事によって、ライフスタイルに変化が起こり始めました。

今、夜中の3時に目が覚めて、喉の渇きを感じてダイニングに導かれパソコンを前に座って、自由時間を楽しんでいます。

《水ってこんなにも美味しい飲み物だったことに改めて気づかされました。》

《パソコンに触るのもすごく新鮮です。初めてパソコンを買って、電源スイッチを入れた時の感覚が蘇ってきます。》

約半月ぶりのブログ更新です。


真新しいノートブックの1ページ目に、初めて文字を書き入れる緊張感が指先に走ります。


つい先日、久しぶりに公共のトイレを利用しました。

身障者用が塞がっていたため、一般の男性用を使用しました。

4角を合板で囲まれた極めて狭い空間に閉じ込められました。

《ほんの少し憂鬱です。鬱屈とした感じです。》


入り口のドアを閉めてカギを掛けました。便座に腰かけます。

そのドアに落書きがされていました。

「右よこを見ろ!」。素直に右横を見ます。

「左よこを見ろ!」。左よこを見ます。

「右ななめ後を見ろ!」。右ななめ後を見ます。

「左ななめ後を見ろ!」。左ななめ後を見ます。

「きょろきょろするな、ばか。」って書かれていました。

《やられた!!》と思いました。

《でもちょっと笑っちゃいました。》

人間ってこんな簡単な誘導に引っかかってしまうのですね。


だって仕方無いじゃない。

《トイレの中って最高に無防備で無力ですものね??》


さらに右隅に

「こども笑うな。来た道じゃ」さらに左隅に

「年寄り笑うな。行く道じゃ」。


《今の自分にピッタリの教訓かもしれない》

と深く考えさせられたものです。

単純な落書きでしたが、予想だにしない楽しい時間でした。

誰かは知らないが《ありがとう》でした。


昨日知人に車に乗せられて走行中、知人が漏らします。

「前の車、伊藤さんかな??」僕が窮します。「う、うん???」

お互い共通の知人に「伊藤」は居ません。僕が問い直します。「どうして??」

「ナンバーが110だから」「はいーーー???」

「い(1)とう(10)」らしい。

「じゃ、893は???」僕が問います。

知人が戸惑います。「え、、、、、」

「8(や)9(く)3(ざ)」

「では8940は???」知人が問います。

僕は少し考えました。「薬師丸さんーー??」「正解!!」


ちょっとした暇つぶし脳トレでした。最後に1つ皆さんに質問です。

共通の知り合いの車のナンバーが「1192番です。」

「さてその人の名前は??」答えはブログの最後に


他愛もない事でしたが、これが結構楽しいものなのです。


ではまた、今日はここまで。近藤浩二でした。

今日も2曲プレゼント。


レオセイヤーでユーメイクフィールダンシングです。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/LeoSayerYoumakemefeellikedancing.mp3


スティービーワンダーでサーデュークです。

高校3年の運動会でのフォークダンスの使用曲、思い出の曲です。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/StevieWonderSirDuke.mp3


答えは「鎌倉さん」でした。「いい国作ろう。鎌倉幕府」らしいです。

生活習慣や考え方を変える

世に成功法則本や自己改革本が数多くあります。

しかし自分を変えて成功出来る人はほんのわずかなのですね。


あなたは変わる必要ある?

それとも変わる必要無い?


変わろうと思っても変われない。だから成功は難しいのですね。

克服すべきはただひとつ、自分です。

塾講師で生徒たちに、頑張れよと言ってる立場なので僕自身頑張らない訳にはいきません。

でないと子供達に言う資格がないですよね。


しかしながら分かっていても、なかなか行動は変わらない。

人間ってなんて変わらないんだ。

そう身に染みて思う今日この頃です。

続けるを決めるのも自分。

辞めるのを決めるのも自分。

全部自分。

その繰り返しの結果が今の自分。


誰でも自分にしかない才能を持っているはずです。

でもその才能を使って成し遂げることとは別物です。

あなたは使わないで無駄にしている能力はありませんか?

才能がありながら、どうしてそれを使えないのでしょうか?

成功を収め裕福になれるはずの人間が、どうして不安で不平、不満な毎日に甘んじているのか?

人生を価値あるものにして、野心があるというのに、どうしてそうできないのでしょうか?


何を待っているというのでしょうか?

何が自分を抑えつけているのでしょうか?

何が引き留めているのでしょうか?

自分に問いかけてみましょう。きっと答えは見つかるはずです。


自分を抑えつけているのは、、、、、、自分です。

他の誰でもありません。

チャンスは全ての人に等しく与えられているのです。


行動を変えていくためには、自分の深層心理まで含めて変える必要があります。

僕自身素晴らしい人生を送りたいので、時々文章に書いて自分を戒めているのです。こんな事ブログに書くな!と怒られそうですが、みなさんお許し下さい。


今日はここまで、ではまた、近藤浩二でした。


 

興味の対象が努力の対象

塾という仕事を長年従事していて、改めて気づいた事があります。

昔からの言い伝えです。「好きこそものの上手なれ」です。


戦国時代の初期の出来事です。1560年、 桶狭間の戦いが起こりました。今川義元2万5千の兵、対する織田信長3千の兵です。普通に考えれば今川義元の圧勝だったと、誰もが疑わないでしょう。

結果は皆さんご存知の通り、数の上で圧倒的に劣勢の織田信長の勝利でした。

この説明で終わりにしようと思ってましたが、成績が芳しくない生徒が「どうして、織田信長が勝てたのですか?」予期していない質問でした。

無視することも出来ず、知っていたので説明することにしました。

「奇襲でした。」「どのような?」「桶狭間と言われる狭い窪地で義元の首を取った」「もっと詳しく知りたい」僕は知っている限りの知識を総動員させて説明しました。

生徒達は興味津々な様子で熱心に聞いていました。僕はご満悦で気分がとっても良かったものです。

しかも、そこに居合わせた生徒たちはその後、歴史にすごく興味を持ち始め、歴史の成績が上がってきました。


出来事の結果だけを、読み上げて終わるつもりが、そういう訳にはいかなかったのです。それが思わぬ好結果につながりました。

歴史はストーリーですから、興味の対象は結果だけでは無くて、その過程が大切であると子供達でも気が付いているのです。


問題から答えを出すのは、ほとんどの問題の場合、わずかな時間であるか、ほんの一瞬でしょう。

しかしそこに至るまでの99パーセントは時間をかけて勉強した努力のはずです。

何事も結果が全てではなくその過程も大切です。

だから努力することは大切です。

と教えたかったのですが、、、、、、


生徒達は歴史においては結果のみならず、

その結果に至る経過に興味を持ち始めました。

しかしほんの少しトリッキーな数学や科学の計算には頭が回らないのか、考えたく無いのか、その結果に至る過程にはまったく興味を持ちません。


僕はこれは仕方の無い事だと気が付かされました。

人間好きな事には興味を持ちます。嫌いな事には興味がわきません。無駄になるかもしれない努力なのだと本人が一番よく分かっているのです。無理強いはよくないと思いました。

残念ながら頭の良し悪し、得手不得手は生まれつきある程度決まっていると僕は思っています。

ある事柄が得意な人は初めから得意なのです。不得意な人は初めから不得意なのです。数学、芸術、スポーツ等においては顕著に出ます。

誰でも疲れる事はやりたくないのです。見通しの立たない努力はしたくないのです。


現行の学校教育では教育格差はますます広がると思われます。

勉強の得意な子供はますます得意になるでしょう。80点が100点近く取れるようになるのでしょう。一方不得意な生徒はほんの少し点数が取れるようになるだけでしょう。30点の生徒が40点程度になるだけでしょう。

すなわち、ある生徒は得意な分野はさらに得意になるでしょう。しかし不得意な生徒は人並みにもなれず、底辺を這っているままでしょう。

落ちこぼれが無くなるどころか、ますます格差が広がりそうです。


しかしです。ほとんどの人達は自分の不得意な分野を把握できずに、努力すれば一人前になれて、さらに努力を重ねれば一流になれると思い込んでいるのです。不得意を克服しようとするのです。

あのイチローですが、誰かがもし無理やり野球ではなくサッカーをやらせていたとしたら、野球と同じ程度の功績を残していたかどうかです。おそらく途中で努力することさえ断念したでしょう。

僕が思うに不得手な事柄はおそらく努力しても、一流どころか、一人前にもなれないでしょう。


今日はここまで、ではまた、近藤浩二でした。


 

偉い人ってどんな人?!

偉い人って数多く居てますが、どんな人を言うのだろうか?

早速ウイキペディアで調べてみると、「歴史に遺るような、並外れて優れた人間のこと」と記述されてました。


僕が子供の頃、伝記と言われるような本にその生涯が物語になっている人を偉人と言うのでしょうか。誰が判断しているのでしょう?

偉人は時代によって、つまり世代によって異なるでしょう。

また国によっても変わるでしょう。

そして価値観が変化すれば、それに従って個々の人達の考える偉人達も異なるはずでしょう。

また、誰もが知っている人以外にも、自分の周りの自分だけが知っている偉人も存在するはずです。


少し列挙してみます。

  • 徳川家康
  • 織田信長
  • 豊臣秀吉
  • ナポレオン
  • ジョージ、ワシントン
  • 伊藤博文
  • エジソン
  • ベンジャミン、フランクリン
  • ガリレオ
  • ヘレンケラー
  • マザー、テレサ
  • アインシュタイン
  • 湯川秀樹
  • 坂本龍馬
  • ゴッホ
  • モーツァルト
  • イエス、キリスト

僕が学生の頃、伝記で読んだ人達の一部です。


今の年齢になって感じますが、たしかに名を残すような、並外れた優れた人であるには違いないと思いますが、腑に落ちない人も含まれているように思えてなりません。

今もってそうですが、本屋に行っても、図書館に行っても、児童館に行ってもです。伝記コーナーみたいに区切られて、初めから「この人達は偉い人です」のように押し付けられ、教え込まれて、詰め込まれている気がするのは僕だけでしょうか?

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、ナポレオンなどは戦争で多くの人を殺戮して手に入れた名声です。確かに素晴らしい志や信念に根差した行動であったでしょう。身習う生き方もあるでしょう。僕も信長の考え方やその行動力は驚愕しましたし好きな武将です。


ある国、ある時代ではレーニンやマルクスが尊敬されましたが、

平等を謳って成功した国はありません。

「自由な社会よりも平等な社会が人を幸福にする」とする考えは間違いであることは歴史がそれを証明しています。しかしながらレーニンやマルクスを偉人と捉える人達も数多く存在しました。


現在は自由な社会で資本主義な社会です。ですから「お金持ち」が偉くて偉人であると考えられています。となると後の時代ではビルゲイツや孫正義など金持ちが偉人として伝記に描かれるのでしょう。

たしかに今のような現実的な物質社会において、そこを生きる我々は「有名」、「地位」、「名声」、「権力」、「お金」などを判断材料に人の偉さを測りがちです。もちろんある分野に特別に、際立って優秀で努力したからこそ、成功をおさめ「地位」や「お金」を手に入れる事が出来たのでしょう。それを疑う余地はありません。


でも僕は思うんです。そこに偏りはないでしょうか。ただ自分がそうなりたいと望み、拝められるような人だけが本当に偉い人なのでしょうか?

それは自分には無いもので、もし仮に自分がそれを手に入れる事が出来れば、自分の心の中の穴を埋める事が出来るだけなのではないでしょうか?


世界一の大富豪のビルゲイツはお金持ちになっても幸せにはなれなくて、虚しい心の穴を慈善団体を作って寄付をすることで埋めていったのです。

またフェイスブックの創始者のマーク・ザッカ―バーグも資産の99%を寄付しています。


人はいつも自分に無い物を強く願い欲しがり、すでにもうそれを持っている人を尊敬し憧れるのです。そして偉いと考えるのです。

僕の考える偉人のひとつには、

どれだけ自分の理念にそって生きたかであり、
それは自分に利がなくても、怒りを買ったとしても、
批判されたとしても、理念に沿って生きるのです。

そのうえでどれだけ他人に貢献できたか、なのです。

そしてそれは時代が変わろうが、国が変われろうが、誰からも尊敬される思想であり、功績であって、特定の人達からのみ拝められる偶像ではなく、それは普遍的でなければならないのです。


今日はここまで、ではまた、近藤浩二でした


《追記》先日の日曜日、地元で市議会議員選挙がありました。候補者の中には僕が割と知っている方が出ていました。内心あんな人が議員に成ったらこの街も終わりだと思っていた人達が当選してました。別のある人がその人は偉い人だと言ってたのです。そこで人によって、偉い人の定義は大きく異なるものだと痛感したのでした。


 

近未来予想!?

昨日の続きです。近未来予想です。


パソコンやスマホが

「一家に一台」から「ひとりに一台」の時代が今です。

「ひとりに一台」の次は? その未来は?


単純に誰でも考えられる事では、

「ひとりに一台」から「ひとりに数台」でしょうか。


その程度なら、どこかのパソコンメーカーでも考えていたでしょう。

でもそうなると、その市場は過当競争になってしまいます。

そして行き着く先は価格競争になってしまいます。その結果自分達の首を自分達で絞めることになってしまいます。


ここで、携帯電話の必然性の未来社会と、コンピューター社会と、ネット社会の、三つの組み合わせを考えた男がいました。

スマホの登場は社会の常識ばかりでなく生活スタイルや経済の枠組みまで変えてしまいました。

そしてそれぞれの市場(カメラ業界もですね)を一手に獲得してしまいました。もしかすれば今後、テレビ業界も変えてしまうかもしれません。


その結果、時代が大きく変革しました。今もなお変わり続けています。

僕も子供の時、当時の大人たちが予想した、21世紀の未来はどうなるのか、その予想図、それに近い絵画のような漫画を、たびたび本や雑誌で見かけた記憶があります。

その時に見た物と21世紀の現代ではかなり違っていると思います。

記憶は確かではありませんが、違いを列挙してみます。

  • 町並みがスマートでした。今のようなずん胴のビルではなくもっと曲線形のスマートなビルでした。
  • 自動車が空を飛んでいました。しかも水中も水上も雪道もたやすく走ります。そしてその形状も細くてかっこよかったはずです。
  • ドアがほとんど自動ドアです。
  • ほとんどの機械、特に家電は遠隔操作で動かします。
  • もっと多くのロボットが活躍していました。
  • 同時自動翻訳機をみんな身に付けていました。

きりがないのでこれぐらいにしておきます。


前述の未来は、常識の大きな破壊とそこに住む人達の理解が無いと無理でしょう。そしてそれに伴う大きな技術革新が必要でしょう。

子供の頃は空飛ぶ自動車の登場を一番に待ち望んでいました。しかし現在の物理学のニュートン力学を充足させるには、さらなる時間を要しそうである。

何かの本で読んだ事だが、現在の社会環境では、夢の機械タイムマシーンは創造不可能であると断言していました。理由は光より速くタイムマシーンが走らないと、時間を超越出来ないのです。しかしながら、相対性理論では光より速い物はこの世には存在しないと明言されているためということらしい。


現在の科学の常識から考えると、空飛ぶ自動車やスマートなビルは、残念ながら、21世紀中でも不可能だと考えています。


近未来は、僕の想像では次のようになるだろうと考えています。

  1. 化石燃料の使用が減少して自然代替エネルギーである、太陽熱、風力、水力が大きく増えるようになると思っています。
  2. 車はほとんどが自動運転になるでしょう。
  3. 家電製品のみならず、日用品、椅子、机等までもネットに接続された状態になり、求める様々の情報が取得出来るようになる。
  4. 各地区に経済特区のような場所が出来、未来都市のような小さな街が作られるような気がしています。

大きな変化は無いと申しましたが、2、3、だけが実現されただけでも生活スタイルは大きく進歩したように感じるでしょう。

その実現のために4番のような場所が作られ徐々に広がっていくのではないかと考えています。

現在でもどこかの国では未来都市建設中です。


期待の人工知能ロボットが人間に執って代わるにはまだ数十年はかかると思われます。

2、の自動運転の技術は現在ほぼ出来上がっています。実現には社会環境の整備が必要なだけなのです。

資源を持つか持たないかが、国力の強弱を決定しないように、また環境衛生などの両面から、エネルギー源が大きく変換すると考えています。

それを実現するためには、ライフラインの新たなな整備が必需であると思います。


そのためには国民である我々が公共に対する町作りをもっと理解する必要があると考えています。

例えば道路を広げたり、新たに作ったりする時、飛行場、駅を新たに建設する時、政治家まで巻き込んで反対のストを起こす人達がいますが、町の発展から視ると言語道断です。公共意識お無さも甚だしい。考えるべき意識でしょう。


以上が僕が考える近未来のひとつです。

では今日はここまで。近藤浩二でした。


 

世の中はまさにスマホ時代

家内の知り合いの一人にパソコン教室を営んでいる女性社長が居ます。

世界一大富豪のマイクロソフトのビルゲイツはOSソフトを開発の折り、

「一家に一台パソコンを」を目標に掲げていました。


その上を行ったのが、そのマイクロソフトとのOS戦争に敗北した、アップルの創業者のひとりである、スティーブ、ジョブズでした。後に彼はiphoneを開発しますが、

「ひとりに一台スマホを」と掲げました。

実際その夢は実現するような勢いです。


くだんの経営者はワープロからパソコンへの転換時にパソコンの到来を予想しました。手作りのパソコン数台から事業をスタートさせ、いち時期はパソコン数十台を設置する程に拡大したそうです。

しかしスマホの登場で事態は急変したそうです。パソコンが一家に一台行き渡る前に、手軽で操作性の良いスマホの登場は世間の常識を大きく変えてしまいました。


家に固定電話は無くても家族全員スマホを持っている家族は多く存在します。そして家にパソコンは無くても各人スマホは持っている人達も数多く居てます。

実際知り合いに某有名家電メーカーに勤務されていた方であっても、家にパソコンもDVDプレーヤーも所持してないそうです。そんなこともあってか、パソコンやパソコン関係のアイテムはその需要を大幅に減少させています。すでに、企業やいち愛好家や職業で必需品と言う方しか、もはやその存在意義は無くなっています。


くだんの経営者も今では大部分を占めていた、いち個人の客はひどく減少し、今では職業訓練校として、市から委託を受けることで経営がどうにか維持出来ている状態だそうです。

経営の能力の問題というよりも、著しい技術革新が社会の需要をも変えてしまったほんの一例です。


「一家に一台」から「ひとりに一台」の時代はここ十年程で変化しましたが、「ひとりに一台」から次はどうなるのでしょうか?

それを誰が仕掛けてどのような時代を作るのかは想像も出来ません。しかしそのチャンスは誰にでも有ると僕は思います。これから数十年先の未来をどう見据えるかによって各人の未来が変わってしまいます。


未来がどうなるのか、ただの傍観者になるのでは無くて、自分達で仕掛けて、自分達の考える未来を作っていきましょう。

最後に筆者の座右の銘です。スティーブ、ジョブズの言葉で

「ハングリーであれ!、愚かであれ!」です。

いつもこうありたいものです。


今日はここまで、ではまた、近藤浩二でした。


《追記》

「ひとりに一台」と理念を掲げたジョブズでしたが、後のインタビューで自分の子供にスマホを使用させますか?との質問には、自分の子供達には使用させたくないと望んでいたそうです。不思議ですね?

目的が入れ替わる

年が変わってブログを書こうと思いパソコンに向かってあれこれいろんなことに想いを巡らせていました。

しかし正月でアルコールが入り睡魔のせいか、気分が乗らず筆が進みません。頭の中に想い浮かんだテーマを考えましたが考えがまとまらない。投稿の締め切りには時間が一時間程で日付が変わる。考えがまとまらない上に筆が進まない。


新年が初めってそうそうブログをスタートしないのは気分が良くないと思ってました。そこでその一日の出来事を箇条書きに書くだけにしようかなとも考えました。まるで小学生の日記みたいになるかもと思っていました。でも自分自身が認めることが出来ません。それで後から編集することにしてとりあえず投稿だけしました。

昨日と今日はその投稿の編集をする前に考えがまとまらず途中の話のまま投稿したことを考えました。


それで気が付いたのです。僕はブログを書くことだけが目的になっていたことに思いあったのです。本当はブログを書いたその先に目的があるのにもです。


誰にでもよくある話ですが、ある目的である行動を行っている間に目的が変わってしまうことってよくあります。

学生時代要点の整理と全体の流れを把握するため、ノートと教科書の二つを読み返して別のノートに数種類に色のマーカーや下線を引いたりカッコで囲んだりとカラフルにいっぱい時間かけてまとめ上げて整理ノートと作り上げました。これで今度のテスト対策はバッチリって思ってました。でも不思議な事にあんなに時間をかけたにも関わらず、テスト結果が伸びない時が多々ありました。

しっかり覚えて自分のものにすることが目的であるのに、ノートに綺麗にまとめ書きをすることで満足していたんです。こういうこっとって誰でも経験したこっとってあると思います。

本来の目的が作業の途中で別な物に入れ替わっているんです。僕は、年末部屋の掃除をしようとしました。数年前の懐かしい写真の束を見つけました。一枚二枚と見ていくうちに懐かしくなって椅子に掛け直して結局最後まで全部見ました。みなさんその後僕何をやったと思います。片付けするのをほっといて写真を探し始めたのです。

掃除して片付けするのが最初の目的だったのです。でもその途中でまったく別の目的に変わりました。そのことにまったく気が付かず時間だけが経過して結局初めの目的は達成されることなく次の目的、次の目的へとどんどん変わっていきました。そして時間だけが過ぎてしまい一日が終わったのでした。


今回ブログを書くにあたり自分なりに目的があったのです。しかし続けていくうちに、内容はともかく書いて一日に一回投稿するということが目的なってしまっていました。じっくり時間をかけて考えなくて投稿することがほとんどなのです。スピードが求められる上に、早いレスポンスが可能になったため仕方のないことなのでしょうが、投稿したい内容によっては毎日投稿可能なテーマと、何日間時間をじっくりかけて洗練すべきテーマがあるはずと考え直しました。しかも毎日考える事は時間の経過とともに変わり続けるのです。


今日はブログが途中で終わってしまったことで改めて考えたことを書いてみました。。人間の目的は行動の最中でさまざまに変化していくということ。そしてそれは誰しも当たり前であるということです。