今週の応援メッセージ

 

自分を本当に愛するためには、まず自分の力だけを使って何かに取り組まなければならない。自分の足で高みを目指して歩かなければならない。そこには苦痛がある。しかしそれは、心の筋肉を鍛える苦痛なのだ。


ぼくは社員に「高い目標や志をもて」とよくいう。人は安定を求めるようになるとそこで成長が止まってしまう。高い目標を掲げて、それにむかって実行努力することこそ重要なのだ。目標は低すぎてはいけない。到底無理だと思われる目標でも、綿密に計画をたて、それを紙に書き、実行の足跡とつねに比較し、修正していく。そうすれば大概なことはうまくいく。大事なのはあきらめないことだ。


勉強するということは、知識欲を満たす純粋な楽しさと同時に、自分が成長しているという実感を与えてくれます。それは年齢に関係ありません。五〇歳でも、六〇になっても七〇になっても、前の日より自分が成長していることが実感できる喜び、それが実は勉強ではないか、と最近私は思っています。

勉強するからこそ、自分は何がわからないかがわかってきます。自分は何もわからない、何も知らないじゃないかと知ることによって、また勉強しようという気になってきます。勉強すればするほど、自分に何がたりないかということがわかってきます。そして、それを勉強しようと思う・・・そんな営みが、とても大事なことだと思うのです。


君たちの時間は限られている。だから自分以外の誰かの人生を生きてはいけない。その他大勢の人の雑音に自分の内なる声、心、直感をかき消されないことだ。自分の内なる声、心、直感は、君が本当になりたいことが何か、とっくの昔に知っているんだ。


おまえが知らなければならないのは、こうだ。夢が実現する前に、大いなる魂がおまえが途中で学んだすべてのことをテストする。それは悪意からではなく、夢の実現に加えて、夢に向かう途中で学んだレッスンを、おまえが自分のものにできるようにするためだ。ここで、ほとんどの人があきらめてしまう。これは、われわれが砂漠のことばで、「人は地平線にやしの木が見えた時、渇して死ぬ」と言っている段階なのだ。

すべての探求は初心者のつきで始まる。そして、すべての探求は、勝者が厳しくテストされることによって終わるのだ。


聖書の言葉に「狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その道は広く、これより入るもの多し」(『マタイによる福音書』第七章十三節)というのがある。門が広いと、入ろうとする人が多く、過当競争でダメになる。誰もが考えることなので評価されにくい。「これは難しそうだ」と果敢にチャレンジして、そこで活路を見出す。目標に到達するには、「狭き門」のほうが近道であることのほうが多いのである。


今日はここまで。

近藤浩二でした。ではまた。