私の命

最近、気が付いたこと。大切な事は戦い続けることなのだ。と

そこで、とりあえず、パソコン整理しようと、修理に出す前に、パソコンのアーカイブに残っていた、データ見返して見つけた。

プロローグだけ載せますね。よかったら読んでみて・・・


その年の春は冬の寒さが長引き、桜の開花も例年に比べると遅く

4月になってもまだ肌寒い冷たい風がたまに吹く季節でした。

その春、柴崎靖子は晴れて高校生になりました。

そこの高校は地元では文武両道で有名な進学校でした。ですから

近隣の町からも多数の新入生が入学してきました。


そして、この春に新しくあつらえた、黒に近い紺色の制服を羽織

ると、色白の丸い顔の彼女には非常によく似合ったのでした。し

かも、その姿は清楚で凛とした風情を漂わせており、けがれた所

は一切感じさせませんでした。時折、勝気そうに、ツンツンとし

て切れ長の目をした顔つきで、少し腰を振って髪の毛をふわふわ

と、漂わせながら歩く姿はすごく魅力的でした。

その小さくて可愛い女の子は、しかし当時、裕福な家庭の女の子

にありがちな、少し栄養過多で運動不足であろう、白い太い足の

少し肥えたぽっちゃり型の女の子でした。そして几帳面な性格で

両親の躾がしっかりしていたのでしょう。脱いだ靴をきちんと揃

えて玄関の左の靴箱に収めました。

彼も靴を脱ぎ、彼女の勧めたスリッパに履き替え、彼女の後を付

いて家の中を歩きました。彼女は自分専用の名前の書かれたカラ

フルなスリッパに履き替え、自分の部屋に進み小走りで歩きだし

ました。それと同時に振り返り、彼を見上げ微笑みながら「こっ

ち、こっち」と手招きして、小洒落た部屋の扉を開けて彼を通し

ました。

初めて女性の友人の家にやって来て、戸惑いつつも彼の心は少し

わくわく踊っていました。

部屋の明かりが点くと、部屋の左脇に小さい勉強机がふたつ並び

彼女は左側に座り、彼は残った右側に席をとりました。

机の前には小さな窓があり、庭先の背の低い松の枝が彼の気持ち

と連動して風に揺れていました。

彼女は「ちょっと、待って」と言うと、カバンを置いて部屋を出

て行きました。

数分後に彼女は戻って来ました。制服からラフな部屋着と思われ

る緩めのジーンズを履き、少し肌寒いのか薄手のカーディガンを

上半身にまとっていました。

「家に帰ったら制服脱がないと、直ぐしわになるの」、

「女の子は大変だね」

一章

大都市から遠く離れたその村は郵便局すら無く、幹線主要国道が

一本通っていただけでした。そこでは色とりどりなネオンが輝く

わけでもなく、華やかさとは全く無縁な場所でした。ただ陽光と

雨露だけが、贅沢さの象徴とされる田園の広がる小さな田舎村で

した。

そんな場所には似つかわしい貧しい杉村家の次男坊として康平は

生を受けました。同級生の中では最も歳が若いため、小さくて背

丈が低いのでした。

彼は中学生になっても成長期がやって来ず、身体が仕上がらず、

小さくて力も弱かったのでした。その上に顔の表情もまだ子供の

ような顔つきのままでありました。しかしそこがまた高校生にし

ては可愛らしかったのでした。

しかも、身体の大きさが中学生時代からそれほど成長していなか

ったため、中学当時の制服を高校のボタンに付け替えたまま、着

続けていました。制服がそのままで3年間使い続けたため、生地

が少し傷みかけており通常より薄くなっていました。

しかし、活発で動くことが大好きなため、いつもお腹を空かして

いました。

その日は、入学式から初めての登校日にあたり、同じクラスの同

級生との初めての顔合わせでした。

その日は春にも関わらず朝からすごく寒くて、風が吹いていまし

た。

康平は白いワイシャツ一枚に薄手の上着をまとっただけで、見た

目にも寒そうでした。時々くしゃみが出ました。「ハクション」

他の生徒たちは、学校指定の紺色のコートをまとって寒さをしの

いでいました。

初めての登校日なので時間の都合がよくわからないため、康平は

余裕をみて定刻の30分前に自転車で家を出ました。最も近道と

思われる道を父親に買ってもらった腕時計を見ながら走り、10

分程前には学校に到着しました。一人で教室を探し出し教室に入

りました。自分達のクラスだけが、なぜか他のクラスの教室とは

別棟の教室でした。

教室に入ると、中学校当時の知り合いが多く少し安心しました。

指示された席について少しの後、左隣の席の女の子がやって来ま

した。女の子は彼女のほっぺと同じ色をした赤くて真新しいマフ

ラーを掛け、品のよさそうな、憧れのお金持ちの生活をしてなさ

るような質の良いコートを羽織っていました。

その子はコートとマフラーを脱ぐと買ったばかりなのか、くっ付

いたごみをこまめに取り除き、丁寧に折りたたんで大きな持参し

た紙袋に入れて机の横のフックに掛けました。

「おはよう」と少し鼻にかかった声で女の子は、康平を見て声を

掛けました。康平も「おはよう」と彼女を見て恥ずかしそうに答

えました。

康平には、中学校時代より密かに思いを寄せていた別の女の子が

いました。しかしその女の子とは一度も話したこともなく、ただ

眺めているだけで幸せを感じていました。見かけるだけでいつも

ドキドキしていました。そしてその子も同じ高校に入学していま

した。

康平は隣の女の子を一瞬見た時「あれ」と思いました。中学校時

代は見かけたことはなかったから、他の中学校からであることは

察しがつきましたが、どこかで見かけたことのある顔つきだった

のでした。でも思いだせませんでした。

チャイムが鳴り終わり少し後、担任が入ってきました。担任は男

性で背丈が高く180cm程ありましたが、威圧感が無く優しそ

うな顔つきをしており、康平はほっとしました。

担任の挨拶が終わり、今度は生徒一人ひとりが出席番号順に自己

紹介していきました。「杉村康平です。」隣の女の子はこちらを

見てにっこりと微笑みました。

男子の自己紹介が終わり女子に移りました。康平は一人ひとりの

名前と顔をしっかり確認していきました。康平は人を覚えるのが

得意で、一度名前を聞くとほとんど忘れることはなかったのでし

た。

隣の女の子が「柴崎靖子です。」

康平は聞き覚えのある名前でした。その名前は小学校当時康平が

密かに思いを寄せていた女の子の名前でした。康平は靖子をよく

見ましたが、当時の面影が感じられませんでした。当時の彼女は

髪の毛が少し天然パーマで癖のある髪質でした。しかし現在の彼

女は髪質の太い黒髪の直毛で肩近くまで伸びていました。「まっ

たくの別人なのかな」とも思いましたが、同い年でしかも同姓同

名でした。隣の女の子がいつもちらちらと康平を見るのを康平は

気が付いていました。隣の女の子も康平に見覚えがあるようでし

た。「きっとあの子に間違いないだろう。」と康平は確証が持て

ないままその時は自分に納得させました。

彼女のことが気にはなっていましたが、話しかけるきっかけをつ

かめず下校時間になりました。その日は係や委員を決めてすんな

りと帰宅しました。

「さようなら」康平は靖子に声掛けしました。

「あ、さようなら」靖子が康平を見て軽く会釈しました。康平も

学生帽を取り軽く会釈しました。

二章

次の日から本格的に授業が始まりました。数学が最初の授業でし

た。康平は数学が好きだったので教科書を配布された時から自分

ひとりですでに30ページほど予習をして、問題を何度も自分で

解いて理解してマスターしていました。ですから余裕で授業を受

けることが出来ていました。

先生の説明が終わり練習問題を各自で解かされました。康平は朝

飯前とすらすらと鉛筆を走らせます。靖子は数学が不得意なの

か、なかなか鉛筆が進みません。何度も書いては消しゴムで消す

という作業を繰り返していました。靖子は康平の進み具合を横目

でちらちら見ていました。答え合わせになり靖子は先生に当てら

れるのを恐れてちょっと不安そうにきょろきょろ辺りを伺いなが

ら赤鉛筆で丁寧に修正していました。そして康平の全問正解のノ

ートをのぞき込みため息をつきました。「あー!あー!」

「いっぱい間違えた!」「杉村君、かしこー」。康平は少しはに

かんで靖子に微笑み掛けました。

次の授業は英語でした。先生が康平の前に来て康平に英語で質問

しました。唐突に英語で質問を受けて康平は戸惑い答えることは

できませんでした。その後靖子が質問を受けました。彼女はてき

ぱきと英語で答えていました。靖子は康平を見て得意そうに微笑

みました。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


全61ページのまだ、完結できてない未完のはなし。

少し自叙伝的小説です。毎回すこしずつ載せていきます。


 

再生

5時過ぎに、スッキリ感でお目覚め。外の空気が美味しい。

ここ数日、何かに追い詰められているような精神状態で、

心が気分がどんよりして、何かがもたげている感覚に襲われて

スッキリしないでふさぎ込んでいた。なぜか、力が出ない。


「あなた、戦闘能力は一万にも満たないんじゃないですか。」

「あなた、もう消えておしまいなさい。」「助けてください、

フリーザさま・・・」「頼む、ごくうーー」「悪い、

ちょっくら、遅れちまったようだな!」「せんず、食べな」

もぐもぐもぐ。「ふ、生き返った!!もう、死ぬかと思ったぜ」

「まいったな、いつも、ギリギリだな」「あんがとな、助かった


ぜ!!」 まさにそんなところかな。昨晩、久方ぶりに贅沢な

食事がとれた。家焼肉とビール。健康に欠かせない生活とは?

適度な運動、美味しくて栄養価の高い食事と良質の睡眠。やはり

これに尽きる。昨日、日中、リハビリ所で軽い運動。牛肉をニン

ニクいっぱいで腹いっぱいパクつく。至福のひととき。あと入浴

《健全な精神は、健全な肉体にやどる。》は真実だなあ。


突如、チャイムが鳴った。まだ朝の7時過ぎだ、誰だ、何用だ?

近所の《いかずごけ》だった。とりとめもない話し、なにも、

今じゃなくても・・・ とは言っても、ひととは勝手なもの、

自由気ままなものだ。ほんと迷惑だ。でも、正面切って、文句も

言えない。人とは穏やかに接しないとね。人生で学んだしきたり

だからな・・・ 気を取り直そう、再度、思考を巡らせ直そう


ネット情報によれば、本日は、寅(とら)の日プラス新月。

ダブル開運日。パワフルな日、だそうで何かを始めるには

最良の日。《金運アップ》、って言葉に惹かれた・・・


今、朝ドラが急転直下の展開。僕自身も何かを感じる・・・

そろそろ時節到来? と言っても、ことはそんなに単純じゃない

んだよな。何より、なんだか何も手につかなくて・・・

受け身の生活でブラブラ・・・ どうかしてるぜ、俺。

理念と正義感を尊ぶ自分としたら、やるせない、切ないもんだ。

そろそろ、区切りつけるとき。もう、不良で取り乱すのも限界ね

もうそろそろ、したくの鐘を鳴らさないと・・・


世の中がどんなに進化しても、答えはきっとシンプルで単純だ。

人の行動はいつまで経っても、起きて、食べて、うんこして寝る

を繰り返しているのだ。あくまで、シンプルなことを情熱的に

やる。それは単純な法則なのだ。正攻法が一番。再生、いや

再再生かな? と、言っても、何か路線変更が必要かな?

とにかく、これまでの自分の色の糸を織(お)ろう。時に

他人の色の糸も織り込んでと。そうすれば、誰かの役に立つ

タペストリー(装飾用織物)が織りあがる。


片田舎生まれ、どろんこ育ちの、テレビっ子。特別な何かを持た

ない。誠に残念なことに、これから先の人生は、送った人生より

短いような気が。気になった時が初め時。駒さえそろえば、

詰め手順も見えてくるはず。何だか、外で風の音が聞こえてくる

人生の変わり目にはおそらく風が起こると聞く。一陣の風。

コロナになんか押しつぶされてたまるか!!

人は変わっていくようで変わっていない。変わってないようで

変わっていく。再生を繰り返している。でも情報不足は否めない

学んで動く。すると、点と点がつながって線になる。より深い

理解につながる。そうこうしていると、脳みそが一気に活性化

してくるはず。きっと何かが変わって良くなる。

イッツ、ゲッティング、ベター、オール ザ タアーアイマイ

ベター、ベター、べーター。Getting better,

♪ Getting  so much better all the time  ♪ なのだ、きっと。

音楽って、テンションが上がる。背中を押してくれる。


美味しい食事と豊かな自然。ゆったりと静かに流れる時間の中、

朝日のよく当たる我が家と子供の頃過ごしたふるさとの思い出が

うまく調和する。ここ西条は、四国の連邦、そびらに置いて、

瀬戸内の海に向かって位置する城下街。

そろそろ季節が春から夏へと本格的に巡って行く。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


人生が終わってしまう前に、理想を追い過ぎず、適度に、現実的

なところで折り合いをつけて、っと。でも、ひと言で言うと、

よく、わかんねえ・・・ 《再生》もそんなに甘くないからねえ


 

意味

今朝は晴れた。特に何もすることがなければ、ここに来る。

朝日を浴びると本当に、気持ちが良い、気が晴れる、

ほんとに、気がまぎれる。風を聞き、光を見る。

天気の変化を、季節のうつろいなど

自然のありように感覚を研ぎ澄ますと、今日の予定とか

明日の何とかとか、すべてが消えてしまう、そういう状態に

入りやすい。見方を変えれば、世界が変わる。


新型コロナの影響で、いやおかげで、否が応にも、夜の仕事を

失って早起きになった。日がな一日、ほとんど何かしら遊んでい

る。経済活動だけに目を向ければ、役に立たない者やモノは、

存在しちゃいけない、って気になってしまう。ほんとに、自分

って中身が何にも無いと、つくづく思い知らされる。今、

ここに存在するのは、正解じゃないのか? いや、絶えず、

正解に近づいているはず、いや、近づいている、と思いたい。

誰もが似たようなはず・・・ 年をとると、人は、男は、

誠に、わびしい、あれこれ考えすぎる、ということです。


社会が大きく複雑になると、生活も大きく、複雑になっていく。

人間社会は面倒なことばかり。生きることは悩むこと。

自然に触れたり、映画を見たりして、流れに流されて、頭を真っ

白にして、日々を生き抜くヒントを発見しよう、としている。


相手に受け入れる余地がなければ何事も伝わらないし通じない。

生きている「世界」すべてに《意味》を見出す必要はないはず。

自然に生きて居ると、社会的に、いわば、強制されている

《意味》が、実は、自分の都合で、作っていることがよく解る。

社会が非常時だからと何だかんだと自分を、ごまかしている。

「世界はそういうものだ」てとこから始めないと・・・

《この状態が当たり前だ》から始めないと・・・

邪魔で迷惑なら周りが治してくれるはず・・・

それがダメだといって・・・・   最後に、


「バカの壁」の著者である、養老たけし氏は、自身の著書の中

で、

すべてのものに意味がある。大多数の人がそう思うのはしごく

当然のことである。なぜなら、意味のあるものしか周りに置かな

いからである。しかもそれを日がな一日見続けているのだからで

ある。すると、世界は意味のあるものだけで満たされてしまう。

それに慣れ切った人たちはやがて、意味のない存在を許さない、

といった暗黙の思いが生じてくる。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


急ぐべからず、怒りは敵と思え。どんな時にも、

社会正義をつらぬくべき、社会秩序を守りぬくべき。何事も、

一生懸命になり過ぎないこと。ほどほどに、中庸(ちゅうよう)

こそが、もっとも美しい。


道端に転がっている小さい石ころ、誰にも見られることのない

チョウチョやみつばちににも見向かれない、ほんに小さい花、

などなど、何の役にも立たない、一銭の値打ちもないもの。

毎朝目にするが、そこに《意味》など求める必要などない。

ときに、自分の存在と重ね合わせて、気が重くなるのです。


僕の最大の幸福は、今、恵まれた環境に身を置いていられること


 

日常

毎朝、東の空に顔を向けて、まだ柔らかい日差しを身体全体に

浴びて、太古の昔にタイムスリップしたかの感覚にとらわれる。

それは、日がな半日、ただ自然の中に身を委ね、自分も自然の

1部になったように陽だまりに揺られて過ごしているのである。

朝の8時じゃ、人目があるし、世間はうるさいし、社会には

ルールがある。どこかへ朝食に行くには、我が家の家計を燃やし

ているだけのこの身にとっては、ちょっと気が引けるし、日差し

の清々しさが好きだから、晴れ渡った朝空の下、今朝も懲りずに

うろうろ、ウロウロと玄関辺りをうろついています。


今後の自分にどのように反映していくのか、様々な日常の断片。

もっとマクロに視界を広げるべきだろうが、所詮、文明の仮面を

はがせば、我々はただのケダモノ。社会人としてクズかな?

良いか悪いかは抜きにして突っ走るのもいいかと。今日も完璧な

朝の風景。人生の喜び、小鳥たちのさえずり、整然としたつばめ

の一群。高く低くリズミカルに響く車両の通過音。 日中は、


毎日、テレビやユーチューブを見たり、ラジオを聞いたりすると

おびただしい情報のたれ流しにも関わらず、視覚、聴覚の両輪で

脳みそが刺激され、屁(へ)の突っ張りにもならないような取る

に足らない無駄な知識が不思議と記憶に残る。


世界最高峰のエベレストの頂上は二畳ほどの広さしかありません

その地を目前に冒険家の植村直己さんは先輩に「先に行ってくだ

さい」と先頭を譲ろうとしました。最後は、「一緒に行こう」と

並んで頂上に立ちました。酸素が薄い標高8848メートルの

極限状態でも互いに思いやる気持ちに心を打たれます。50年前

ふたりは日本人初のエベレスト登頂に成功しました。


「春雨」は《はるさめ》と読みます。「秋雨」は《あきさめ》と

読みます。「夏雨」は《かう》と読みます。音読みの方が雨脚が

太く豪快な感じがするからと。「時に夏雨、城を攻めるを得ず」

突然の豪雨が城攻めを中断させた様子を伝えています。「冬雨」

は《とうう》と読みます。


部屋の片隅にひとりの男が座っています。どこかうつろ気。最初

は見過ごせても、なぜか気になる。最近の我が家、パソコン、

テレビ、食物、人間の排泄。手触りとして記憶されていくひと

夏の風景。くつろいで、お茶でも飲みながら、静かにブログを

楽しんでます。人間はモラルを捨てれば、稼ぐ方法はいくらでも

ある、ことに、美人はと言います。おそらく、答えは無意識の

中に潜んでいます。勝手に身体が動くままに。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


今はまだ、腹の出た、ただのしがない中年男。《かわいそう》

でも、歴史を見ても、人生最悪の負け戦から天下をとった人

もいてます。兵力、知力とも当時、戦国最強軍団、大将、

武田信玄との三方ヶ原において、命からがら、這(ほ)う這うの

体で逃げ帰った徳川家康、その人です。今はただ自然の成り行き

のままに・・・


 

母の日

本日、花屋さんを通りかかって、たまたま知ったことが

あります。今年「母の日」は「母の月」へ。こんな

ポスターが貼り出されていました。カーネーションなど

花のプレゼントを分散化するため、業界団体が五月を

まるまるお母さんに感謝する月に、しようと呼びかけたもの

です。むろん、コロナ対策でしょう。店の混雑や配送業の負荷を

和らげるためでしょう。小生にも高齢の母がひとりいます。


《花よりダンゴ》の母は「食べれるもんがええ」と花屋には

目もくれず、スーパーの食品売り場へと一直線。値札に目が

当たるほどに近づけ、時にため息をついたり、「これ、安ー」

と微笑み、ひとつひとつ買い物かごに嬉しそうに入れていく

、食べられる許容範囲をはるかに超えているにも関わらず

今もって、貧乏性が抜けきらない。「ほんとに、食べる?」

表情を変え、返答に困窮しながら「もう、ええ」と足を止める。

「お金持って来た?」「忘れた」手を引き連れ返す。今日は

何年ぶりかのダラダラと貧乏人の《暇つぶし》は終了しました。

帰りに「今日は何? 」と何ひとつ知らない、でも子供たちは

しっかり覚えているものです。まさに今、学齢期の子を持つお母

さんたちは大変です。勉強や運動不足の心配をしたり、朝昼晩と

食事を用意したり、食品売り場でケーキの粉や乳製品が品薄に

なっているそうです。家族だけで居る時間が長くなり、おやつの

共作にも手取り足取りで、奮闘するらしい。今ここで、「苺

(いちご)」の漢字を思い出します。「くさかんむり」に

「母」と書いて「イチゴ」と読みます。新聞の歌壇に

こんな歌がありました。《へたをとり 苺に牛乳をかけるとき 

ひとつひとつが 母として 浮かぶ》まだ学校の再開されない

地域は多い。せっかくなので、お母さんへの感謝の思い出が

たくさん残る「母の月」になるといいな・・・ 願わずには。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


母親の悲しい性(さが)として、どんな子供を見ても

我が子と比べてしまうそうです。そして、決まって、ひと言

「やっぱり、うちの子が・・・」しかし、元来、自己アピール

の乏しい小生の昭和ひとけたの母は「あそこの***

君は、・・・」と今に至っても、我が子のことは後回し。

そんな背中を見て育った私は、どんな風に育ったのでしょうか?


数日前に義父が天国に還っていきました。そんな悲しみの中、

義母に付き合ってくれている妻、千恵子に感謝いっぱいです。

拝。


 

いま時分の季節では、藤棚を通りかかる人が多いでしょう。

江戸川柳に《春夏を ふらふらまたぐ 藤の花》とあります。

暦の上ではすでに、立夏(今月5日)を迎え夏に至りました。


陽射しがにわかに強まり、春のような夏のような、そんな体感

の中、藤は季節をまたぐように咲きます。華やいで、強くて

たくましい、しかも、しなやかで夏の到来を予感させる、

古(いにしえ)の時代から憧れの花、あまたの歌に詠まれ

平城京の花と言われる、藤の花。先日、時間の隙間をぬって

訪れました、市内の藤棚の名勝地。


薄紫の花がふらふらと風にそよぐ景色が、特定公園や近所でも

鑑賞できる機会が増えてきました。少し前のこと、福岡県八女市

の神社に樹齢600年に達し、国の天然記念物に指定される

「黒木の大藤」。地元のシンボルとなる藤棚で一輪と残さず、

花を刈り取る作業が行われました。新型コロナウイルスの

感染拡大を受けた措置だそうです。見頃を迎えた藤棚に連日

見物客が押し寄せ、密集を防ぐために苦渋の決断がされたと

先だって、新聞が伝えていました。目下、刈られた花以上に

痛々しいのが、私たちの暮らしでしょう。仕事を失い支払いが

滞(とどこお)る、無情に移ろうばかりの季節の中、ウイルスと

の消耗戦はまだまだ終わりそうにないとの報を聞きます。本当に

がんばりきれるかどうか悲嘆を外に押しやってつぶやいてみる。

藤は下がりながらも、咲くじゃないかと。政府が提唱する机上の


一億二千の規範になるような新しい生活様式は、往々にして、

ときに厳しく、冷たいものになりがちです。四月から緊急事態

宣言、五月もずっと来て、ゴールデンウイークもガラパゴス

諸島(日本)が軒並み支配下に出口が見えないため多くの国民は

ゼエゼエとさすがに息切れ状態、同時に何もかもやる気を

なくしてしまいます。あとは、ボーとして暮らすか、はうように

家にひきこもって、テレビを見る、ラジオを聴くくらい。


何気に風に運ばれ、不意に甘く何ともかぐわしい花弁の香り。

一瞬、桃源郷に誘(いざな)われた錯覚に陥ります。まさに

藤の花が一服の清涼剤になりました。これで、どうにか、

この連休が上出来の《あがり》になりました。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


簡単に人に会っておしゃべりもできないといった、嫌でうっと

おしい状況が続く中、美しいものに触れると心が洗われます、

救われます、励まされます。


 

コロナ

現在、抗(あらが)うことのできない現実が、私たちの生活を

二分(にぶん)するほどに翻弄(ほんろう)しています。誰かの

陰謀なのか、我々を震撼させている、まさに無差別殺人の連鎖。

同時に経済活動の停止。もう二度と、取り戻すことができない

かもしれない、以前の然るべきまっとうな生活。 願わずとも、


開店休業中のため、エネルギー消費を極力抑えようと、感染防止

にて、ヘタに動くこともなく、ナマケモノのように、家の中で

テレビを見て、食べて、出して、寝て、新聞見て、テレビ見て

食べて、出して、寝ての、落ちぶれたような自堕落な日常。

何ひとつ生み出すことのない、何ひとつ価値のない、

誰も助けることなどできない行為なのでしょう。所詮、


人間なんて、99パーセントはムダでできているのです。

と言った意味においては、人間はタチが良いのです、

いずれ、消えちゃうから・・・ 運命のままに・・・

流されます。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。いつか、会おうぞ。


活動にとどまらず、思考までもがほぼ停止状態に。

対策(リーダー)

テレビを見ると、コロナの話題、B級ドラマの再放送ばっかり。

時事番組やバラエティーでは、大きく距離を空けて位置するか

遠隔放送に様変わりしています。マスクの品薄と医療現場での

マスク不足を反映してのことでしょう。理解に苦しむことは、


どんなに隔離、締め出しを行っても、決して毎日新規感染者が

ゼロにならない不思議な現状。本当のところはわかりませんが、

都心から県外への外出を控えないやからが、いまだあとを

絶たないとか。


本当に強いリーダーならきっと、つばきを飛ばしながら、

こう言うかな? ねじりハチマキ姿をSNSに載せる。

「政治家も官僚も、夜を徹してコロナ対策をやっている。」

「だから国民の皆さんも、家から出るんじゃない!!!」

「国民は、何があっても、わしが守る。」

「守ると言ったら守るんだ。」

「守ると言っているんだから、国民も言う事を聞け!!」

「補償? 全部してやる。」

「でも、必ず返せよ。孫の代までかかってもいいから。」

「事態は深刻だ、試練だ。国民の心をひとつにしないと

乗り切れない。」「ひとつになれないやつ、ならないやつは

この国から出ていってくれ!!!」

「セルフ・ロックダウン」


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


現金支給はいったい、いつなんだ? 早くしてくれ!!!


 

食べることが好き、音楽が好き、本が好き、スポーツが好き、

花が好き、緑が好き、夏の日差しが好き、言葉が数学が好き、

面白いことが好き、楽しいことが好き、明るいことが好き。

美しい人が好き、可愛らしい物が好き。何かをすることが好き。

《愛》が大好き。人が何かを好き、誰かを好き、って心情は、

もっともハードルの低い純粋で容易な喜び、単純でほとんど理屈

のない、動機付けの薄い行為でしょうか。だからこそ、素直に

言葉にするのが、妙に気恥ずかしいのです。なぜなら、そこには

自分の心の裸を、のぞかれているように感じるからでしょうか。


ただならぬ状況の中、これが近々で最後だぞ、ってことで訪問。

3月31日で、親の都合で引っ越しをした3歳の幼児に週末会いに

行きました。夕刻、保育園までお向かいに出向きました。


保育園の脇口付近で、抱っこをせがんでいるのか、なかなか

歩き出そうとしない様子です。一瞬、こちらに顔を向けて遠方の

助手席の僕の姿を捉(とら)えたのか、満面の笑みを浮かべなが

ら小さく手を振り、視線を投げかけてくれました。視線が合った

と同時にこちらに小走りで駆け出しました。小躍りしながら

何か含み笑いを浮かべながら、嬉しさが隠しきれない様子です。

じきに車窓の付近まで近寄ると「おいちゃーーん」と

大声で叫び挙げました。 マスクを装着してドアを開け広げ


わずかに外へ立ち上がり、幼児を抱きしめました。「***」

「うれしーー」「会いたかった」。思わず力が入りました。

「痛いーー」。「おいちゃん、痛い。やめてーー」

はっとさせられ、我に返り 「ごめん」 笑いかけると彼もまた

顔を向けて目を細め、にっこりと笑みを浮かべてくれました。

次の瞬間、彼が僕の股間を軽くつかみ「おいちゃんの****

つかまえた」。彼がニターと微笑みます。「***の****

つかまえた」。すると、彼はひらりと身をひるがえし笑い返す。


親子でも恋人の対象でも、血がちっとも交じってないのに、

なぜか、懐かしい、親近感が半端じゃない、どう考えても

他人とは思えない《存在》なのです。そんな存在なんて、

そうそう居ません。初めて会った時から、何があっても

どんな嫌なことがあっても、決して嫌いになれない、いっそう、

離れるのが寂しい、忘れることのできない《存在》。

そこにあるのは絶対《愛》以外、に考えられません。その後、


せめて最善を尽くそうと、外食は控え、食料を買い込み

マンションの一室で体面にならないように腰かけ、食事。

何か特別なことをするわけではなく、ただただ同じ空間に

居る、目につく場所に居るだけで嬉しい幸せなのです。


「こんにちわ」には「こんにちわ」で返してくれます。

「あそぼう」にも「あそぼう」で返してくれます。

「ありがとう」には「どういたた・・ました」と

口ごもりながら、目をパチクリさせて頭をかきます。

こちらの言葉を覚えようと、《おおむ返し》で応えよう

と頑張ります。上手くできない時でも、こちらも面白がって

伝えます。八の字お菓子を手渡します。「これ何?」との質問に

指折りながら「マーブル、マーブル、マーブル、マーブル、

マーブルチョコレート」て、手のひらを向けました。

首を無言で縦に振りながら最後に「・・・・チョコレート」

「え、できん」「無理、無理」と抱き着いてきます。


愛する人に一番、して欲しいことは、愛を返してもらうこと、

同様に、いやそれ以上に、愛し返して欲しいだけなのです。でも

これは純粋な《愛》とは言えないでしょう。真実の《愛》とは

決して尽きることのない、絶えることなき、見返りを求めない

行為の源泉こそが本物の《愛》なのです。その代表は、母の愛。

最も尊くて素晴らしい《愛》は、無償で無条件の見返りを

求めない愛なのですが、それは誰もが持ってはいません。

疑う余地のない誰もが持つであろうそれは、

親の子に対する愛だけです。それはまさに無償の愛

一方通行、ときに、うっとうしく、しがらみが強く、重たく

感じるほどですが、自分が親にならないと、そのありがたみは

生涯、理解できないかもわかりませんね。

我々が帰ろうと、車に乗り込むと、「おいちゃん(ち)家に行

く、行きたい」と駄々をこねて、大声で叫ぶので母親に抱かれ

付近をドライブ。いつもなら、自分が去り行く立場なので

寂しさを感じにくい状況だったのですが、人が目の前から

立ち去っていくと、残される側は《祭りのあと》のような

虚無感と脱力感とともに、防ぎようのない寂しさがつのる

のです。今後の長い人生で、自分で乗り越えないといけない

感情なので、無情にも降ろしましたがその後、車が見えなくなる

まで車道や歩道のある、ぎりぎりまで見送ってくれてたようで

お母さん、ほんとにお疲れさん、ほんとに、ありがとう。


《愛》は人間にとって、最も尊く素晴らしいモノ。どうぞ、

みなさんも、惜しみなく《愛》を、降り注いでください。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


参考までに、漢字辞書によると、「愛」という漢字は、

人が立ち去ろうとする時に、後ろ髪を引かれるように

振り返る姿に、心臓の位置付近に「心」の字を付け出した

モノで、その時の感情が「愛(いと)おしい」という気持ち

と定義されています。社会を癒していきましょう。


 

用意

かつて中学生のテストで、珍回答を目にしました。

用意□□の□に入る文字は?

ド ン 。思わず口元が緩むと同時にあきれてしまいましたが。


もちろん正答は、周 到 です。うなると同時にいたたまれなく

なりました。自分の指導の未熟さと生徒の将来の不安で身につま

せれました。そこで、さらに強く頭の中に刻み込もうと、

集中させて、テンポ良く、一分間で、一日50問の熟語の練習に

取り組むことにしました。


感染防止の拡大対策でシンプルな「国民一律10万円」に変更

された現金給付案です。スピード重視と言いながら、そうとは思

えなかった政府です。ただただ迅速な支給の実現を望む今です。


何事においても、先手とスピードが大事なのは、歴史の攻防から

思い知るところです。すべての日常生活を、改めて、

《用 意 ド ン》 です。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

(Blog to Soul)水素風呂と時代劇と音楽を愛する左半身麻痺の塾講師