日常

毎朝、東の空に顔を向けて、まだ柔らかい日差しを身体全体に

浴びて、太古の昔にタイムスリップしたかの感覚にとらわれる。

それは、日がな半日、ただ自然の中に身を委ね、自分も自然の

1部になったように陽だまりに揺られて過ごしているのである。

朝の8時じゃ、人目があるし、世間はうるさいし、社会には

ルールがある。どこかへ朝食に行くには、我が家の家計を燃やし

ているだけのこの身にとっては、ちょっと気が引けるし、日差し

の清々しさが好きだから、晴れ渡った朝空の下、今朝も懲りずに

うろうろ、ウロウロと玄関辺りをうろついています。


今後の自分にどのように反映していくのか、様々な日常の断片。

もっとマクロに視界を広げるべきだろうが、所詮、文明の仮面を

はがせば、我々はただのケダモノ。社会人としてクズかな?

良いか悪いかは抜きにして突っ走るのもいいかと。今日も完璧な

朝の風景。人生の喜び、小鳥たちのさえずり、整然としたつばめ

の一群。高く低くリズミカルに響く車両の通過音。 日中は、


毎日、テレビやユーチューブを見たり、ラジオを聞いたりすると

おびただしい情報のたれ流しにも関わらず、視覚、聴覚の両輪で

脳みそが刺激され、屁(へ)の突っ張りにもならないような取る

に足らない無駄な知識が不思議と記憶に残る。


世界最高峰のエベレストの頂上は二畳ほどの広さしかありません

その地を目前に冒険家の植村直己さんは先輩に「先に行ってくだ

さい」と先頭を譲ろうとしました。最後は、「一緒に行こう」と

並んで頂上に立ちました。酸素が薄い標高8848メートルの

極限状態でも互いに思いやる気持ちに心を打たれます。50年前

ふたりは日本人初のエベレスト登頂に成功しました。


「春雨」は《はるさめ》と読みます。「秋雨」は《あきさめ》と

読みます。「夏雨」は《かう》と読みます。音読みの方が雨脚が

太く豪快な感じがするからと。「時に夏雨、城を攻めるを得ず」

突然の豪雨が城攻めを中断させた様子を伝えています。「冬雨」

は《とうう》と読みます。


部屋の片隅にひとりの男が座っています。どこかうつろ気。最初

は見過ごせても、なぜか気になる。最近の我が家、パソコン、

テレビ、食物、人間の排泄。手触りとして記憶されていくひと

夏の風景。くつろいで、お茶でも飲みながら、静かにブログを

楽しんでます。人間はモラルを捨てれば、稼ぐ方法はいくらでも

ある、ことに、美人はと言います。おそらく、答えは無意識の

中に潜んでいます。勝手に身体が動くままに。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


今はまだ、腹の出た、ただのしがない中年男。《かわいそう》

でも、歴史を見ても、人生最悪の負け戦から天下をとった人

もいてます。兵力、知力とも当時、戦国最強軍団、大将、

武田信玄との三方ヶ原において、命からがら、這(ほ)う這うの

体で逃げ帰った徳川家康、その人です。今はただ自然の成り行き

のままに・・・


 

母の日

本日、花屋さんを通りかかって、たまたま知ったことが

あります。今年「母の日」は「母の月」へ。こんな

ポスターが貼り出されていました。カーネーションなど

花のプレゼントを分散化するため、業界団体が五月を

まるまるお母さんに感謝する月に、しようと呼びかけたもの

です。むろん、コロナ対策でしょう。店の混雑や配送業の負荷を

和らげるためでしょう。小生にも高齢の母がひとりいます。


《花よりダンゴ》の母は「食べれるもんがええ」と花屋には

目もくれず、スーパーの食品売り場へと一直線。値札に目が

当たるほどに近づけ、時にため息をついたり、「これ、安ー」

と微笑み、ひとつひとつ買い物かごに嬉しそうに入れていく

、食べられる許容範囲をはるかに超えているにも関わらず

今もって、貧乏性が抜けきらない。「ほんとに、食べる?」

表情を変え、返答に困窮しながら「もう、ええ」と足を止める。

「お金持って来た?」「忘れた」手を引き連れ返す。今日は

何年ぶりかのダラダラと貧乏人の《暇つぶし》は終了しました。

帰りに「今日は何? 」と何ひとつ知らない、でも子供たちは

しっかり覚えているものです。まさに今、学齢期の子を持つお母

さんたちは大変です。勉強や運動不足の心配をしたり、朝昼晩と

食事を用意したり、食品売り場でケーキの粉や乳製品が品薄に

なっているそうです。家族だけで居る時間が長くなり、おやつの

共作にも手取り足取りで、奮闘するらしい。今ここで、「苺

(いちご)」の漢字を思い出します。「くさかんむり」に

「母」と書いて「イチゴ」と読みます。新聞の歌壇に

こんな歌がありました。《へたをとり 苺に牛乳をかけるとき 

ひとつひとつが 母として 浮かぶ》まだ学校の再開されない

地域は多い。せっかくなので、お母さんへの感謝の思い出が

たくさん残る「母の月」になるといいな・・・ 願わずには。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


母親の悲しい性(さが)として、どんな子供を見ても

我が子と比べてしまうそうです。そして、決まって、ひと言

「やっぱり、うちの子が・・・」しかし、元来、自己アピール

の乏しい小生の昭和ひとけたの母は「あそこの***

君は、・・・」と今に至っても、我が子のことは後回し。

そんな背中を見て育った私は、どんな風に育ったのでしょうか?


数日前に義父が天国に還っていきました。そんな悲しみの中、

義母に付き合ってくれている妻、千恵子に感謝いっぱいです。

拝。


 

いま時分の季節では、藤棚を通りかかる人が多いでしょう。

江戸川柳に《春夏を ふらふらまたぐ 藤の花》とあります。

暦の上ではすでに、立夏(今月5日)を迎え夏に至りました。


陽射しがにわかに強まり、春のような夏のような、そんな体感

の中、藤は季節をまたぐように咲きます。華やいで、強くて

たくましい、しかも、しなやかで夏の到来を予感させる、

古(いにしえ)の時代から憧れの花、あまたの歌に詠まれ

平城京の花と言われる、藤の花。先日、時間の隙間をぬって

訪れました、市内の藤棚の名勝地。


薄紫の花がふらふらと風にそよぐ景色が、特定公園や近所でも

鑑賞できる機会が増えてきました。少し前のこと、福岡県八女市

の神社に樹齢600年に達し、国の天然記念物に指定される

「黒木の大藤」。地元のシンボルとなる藤棚で一輪と残さず、

花を刈り取る作業が行われました。新型コロナウイルスの

感染拡大を受けた措置だそうです。見頃を迎えた藤棚に連日

見物客が押し寄せ、密集を防ぐために苦渋の決断がされたと

先だって、新聞が伝えていました。目下、刈られた花以上に

痛々しいのが、私たちの暮らしでしょう。仕事を失い支払いが

滞(とどこお)る、無情に移ろうばかりの季節の中、ウイルスと

の消耗戦はまだまだ終わりそうにないとの報を聞きます。本当に

がんばりきれるかどうか悲嘆を外に押しやってつぶやいてみる。

藤は下がりながらも、咲くじゃないかと。政府が提唱する机上の


一億二千の規範になるような新しい生活様式は、往々にして、

ときに厳しく、冷たいものになりがちです。四月から緊急事態

宣言、五月もずっと来て、ゴールデンウイークもガラパゴス

諸島(日本)が軒並み支配下に出口が見えないため多くの国民は

ゼエゼエとさすがに息切れ状態、同時に何もかもやる気を

なくしてしまいます。あとは、ボーとして暮らすか、はうように

家にひきこもって、テレビを見る、ラジオを聴くくらい。


何気に風に運ばれ、不意に甘く何ともかぐわしい花弁の香り。

一瞬、桃源郷に誘(いざな)われた錯覚に陥ります。まさに

藤の花が一服の清涼剤になりました。これで、どうにか、

この連休が上出来の《あがり》になりました。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


簡単に人に会っておしゃべりもできないといった、嫌でうっと

おしい状況が続く中、美しいものに触れると心が洗われます、

救われます、励まされます。


 

コロナ

現在、抗(あらが)うことのできない現実が、私たちの生活を

二分(にぶん)するほどに翻弄(ほんろう)しています。誰かの

陰謀なのか、我々を震撼させている、まさに無差別殺人の連鎖。

同時に経済活動の停止。もう二度と、取り戻すことができない

かもしれない、以前の然るべきまっとうな生活。 願わずとも、


開店休業中のため、エネルギー消費を極力抑えようと、感染防止

にて、ヘタに動くこともなく、ナマケモノのように、家の中で

テレビを見て、食べて、出して、寝て、新聞見て、テレビ見て

食べて、出して、寝ての、落ちぶれたような自堕落な日常。

何ひとつ生み出すことのない、何ひとつ価値のない、

誰も助けることなどできない行為なのでしょう。所詮、


人間なんて、99パーセントはムダでできているのです。

と言った意味においては、人間はタチが良いのです、

いずれ、消えちゃうから・・・ 運命のままに・・・

流されます。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。いつか、会おうぞ。


活動にとどまらず、思考までもがほぼ停止状態に。

対策(リーダー)

テレビを見ると、コロナの話題、B級ドラマの再放送ばっかり。

時事番組やバラエティーでは、大きく距離を空けて位置するか

遠隔放送に様変わりしています。マスクの品薄と医療現場での

マスク不足を反映してのことでしょう。理解に苦しむことは、


どんなに隔離、締め出しを行っても、決して毎日新規感染者が

ゼロにならない不思議な現状。本当のところはわかりませんが、

都心から県外への外出を控えないやからが、いまだあとを

絶たないとか。


本当に強いリーダーならきっと、つばきを飛ばしながら、

こう言うかな? ねじりハチマキ姿をSNSに載せる。

「政治家も官僚も、夜を徹してコロナ対策をやっている。」

「だから国民の皆さんも、家から出るんじゃない!!!」

「国民は、何があっても、わしが守る。」

「守ると言ったら守るんだ。」

「守ると言っているんだから、国民も言う事を聞け!!」

「補償? 全部してやる。」

「でも、必ず返せよ。孫の代までかかってもいいから。」

「事態は深刻だ、試練だ。国民の心をひとつにしないと

乗り切れない。」「ひとつになれないやつ、ならないやつは

この国から出ていってくれ!!!」

「セルフ・ロックダウン」


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


現金支給はいったい、いつなんだ? 早くしてくれ!!!


 

食べることが好き、音楽が好き、本が好き、スポーツが好き、

花が好き、緑が好き、夏の日差しが好き、言葉が数学が好き、

面白いことが好き、楽しいことが好き、明るいことが好き。

美しい人が好き、可愛らしい物が好き。何かをすることが好き。

《愛》が大好き。人が何かを好き、誰かを好き、って心情は、

もっともハードルの低い純粋で容易な喜び、単純でほとんど理屈

のない、動機付けの薄い行為でしょうか。だからこそ、素直に

言葉にするのが、妙に気恥ずかしいのです。なぜなら、そこには

自分の心の裸を、のぞかれているように感じるからでしょうか。


ただならぬ状況の中、これが近々で最後だぞ、ってことで訪問。

3月31日で、親の都合で引っ越しをした3歳の幼児に週末会いに

行きました。夕刻、保育園までお向かいに出向きました。


保育園の脇口付近で、抱っこをせがんでいるのか、なかなか

歩き出そうとしない様子です。一瞬、こちらに顔を向けて遠方の

助手席の僕の姿を捉(とら)えたのか、満面の笑みを浮かべなが

ら小さく手を振り、視線を投げかけてくれました。視線が合った

と同時にこちらに小走りで駆け出しました。小躍りしながら

何か含み笑いを浮かべながら、嬉しさが隠しきれない様子です。

じきに車窓の付近まで近寄ると「おいちゃーーん」と

大声で叫び挙げました。 マスクを装着してドアを開け広げ


わずかに外へ立ち上がり、幼児を抱きしめました。「***」

「うれしーー」「会いたかった」。思わず力が入りました。

「痛いーー」。「おいちゃん、痛い。やめてーー」

はっとさせられ、我に返り 「ごめん」 笑いかけると彼もまた

顔を向けて目を細め、にっこりと笑みを浮かべてくれました。

次の瞬間、彼が僕の股間を軽くつかみ「おいちゃんの****

つかまえた」。彼がニターと微笑みます。「***の****

つかまえた」。すると、彼はひらりと身をひるがえし笑い返す。


親子でも恋人の対象でも、血がちっとも交じってないのに、

なぜか、懐かしい、親近感が半端じゃない、どう考えても

他人とは思えない《存在》なのです。そんな存在なんて、

そうそう居ません。初めて会った時から、何があっても

どんな嫌なことがあっても、決して嫌いになれない、いっそう、

離れるのが寂しい、忘れることのできない《存在》。

そこにあるのは絶対《愛》以外、に考えられません。その後、


せめて最善を尽くそうと、外食は控え、食料を買い込み

マンションの一室で体面にならないように腰かけ、食事。

何か特別なことをするわけではなく、ただただ同じ空間に

居る、目につく場所に居るだけで嬉しい幸せなのです。


「こんにちわ」には「こんにちわ」で返してくれます。

「あそぼう」にも「あそぼう」で返してくれます。

「ありがとう」には「どういたた・・ました」と

口ごもりながら、目をパチクリさせて頭をかきます。

こちらの言葉を覚えようと、《おおむ返し》で応えよう

と頑張ります。上手くできない時でも、こちらも面白がって

伝えます。八の字お菓子を手渡します。「これ何?」との質問に

指折りながら「マーブル、マーブル、マーブル、マーブル、

マーブルチョコレート」て、手のひらを向けました。

首を無言で縦に振りながら最後に「・・・・チョコレート」

「え、できん」「無理、無理」と抱き着いてきます。


愛する人に一番、して欲しいことは、愛を返してもらうこと、

同様に、いやそれ以上に、愛し返して欲しいだけなのです。でも

これは純粋な《愛》とは言えないでしょう。真実の《愛》とは

決して尽きることのない、絶えることなき、見返りを求めない

行為の源泉こそが本物の《愛》なのです。その代表は、母の愛。

最も尊くて素晴らしい《愛》は、無償で無条件の見返りを

求めない愛なのですが、それは誰もが持ってはいません。

疑う余地のない誰もが持つであろうそれは、

親の子に対する愛だけです。それはまさに無償の愛

一方通行、ときに、うっとうしく、しがらみが強く、重たく

感じるほどですが、自分が親にならないと、そのありがたみは

生涯、理解できないかもわかりませんね。

我々が帰ろうと、車に乗り込むと、「おいちゃん(ち)家に行

く、行きたい」と駄々をこねて、大声で叫ぶので母親に抱かれ

付近をドライブ。いつもなら、自分が去り行く立場なので

寂しさを感じにくい状況だったのですが、人が目の前から

立ち去っていくと、残される側は《祭りのあと》のような

虚無感と脱力感とともに、防ぎようのない寂しさがつのる

のです。今後の長い人生で、自分で乗り越えないといけない

感情なので、無情にも降ろしましたがその後、車が見えなくなる

まで車道や歩道のある、ぎりぎりまで見送ってくれてたようで

お母さん、ほんとにお疲れさん、ほんとに、ありがとう。


《愛》は人間にとって、最も尊く素晴らしいモノ。どうぞ、

みなさんも、惜しみなく《愛》を、降り注いでください。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


参考までに、漢字辞書によると、「愛」という漢字は、

人が立ち去ろうとする時に、後ろ髪を引かれるように

振り返る姿に、心臓の位置付近に「心」の字を付け出した

モノで、その時の感情が「愛(いと)おしい」という気持ち

と定義されています。社会を癒していきましょう。


 

用意

かつて中学生のテストで、珍回答を目にしました。

用意□□の□に入る文字は?

ド ン 。思わず口元が緩むと同時にあきれてしまいましたが。


もちろん正答は、周 到 です。うなると同時にいたたまれなく

なりました。自分の指導の未熟さと生徒の将来の不安で身につま

せれました。そこで、さらに強く頭の中に刻み込もうと、

集中させて、テンポ良く、一分間で、一日50問の熟語の練習に

取り組むことにしました。


感染防止の拡大対策でシンプルな「国民一律10万円」に変更

された現金給付案です。スピード重視と言いながら、そうとは思

えなかった政府です。ただただ迅速な支給の実現を望む今です。


何事においても、先手とスピードが大事なのは、歴史の攻防から

思い知るところです。すべての日常生活を、改めて、

《用 意 ド ン》 です。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

非常事態

ほんとに人気(ひとけ)、がない、閑散としている。人が出歩か

ない奇妙な世の中になったものです。人間のひそかな楽しみの

ひとつに人間を見ることがあります。程良い人混みをノソノソ


と歩くのです。そんな時に、人の行き交いざまに、ちらっと他人

を見るのです。《楽しみ》は表情、素振り、空気を感じるので

す。楽しそうに闊歩する子供を見るとこちらも気持ちがはずむ、

ということ。そんな気持ちなのです。嬉しく、楽しく、心穏やか

になれるのです。平時には気づかないささやかな《楽しみ》

です。毎朝、集団登校で小学生がおしゃべりしながらはしゃぐ

姿が、玄関口から見かけない、若くて可愛い声が聞こえません。


感染しない感染させないために人と接触しない、マスクをつける

。知り合いにあっても、マスクをつけてないと話せないのです。

目の前の人は誰もがコロナに感染しているという前提ですべての

行動がコントロールされているのです。ある意味、人を見たら

コロナ《泥棒》と思え、状態なのです。目の前の人間よりも

マスクに重きを置いて、人よりマスクを信じているのです。


目に見えないモノに恐れるあまり、人間不信の人間社会に陥り

そうな状況です。それ以上に寂しいことは、

見ず知らずの人から安らぎをもらえるコミュニュケーション

が以前からあったと思うのです。それが今はほぼ、ありません。


高校数学に「等差数列」というのがあります。平たく言えば、

《ねずみ講》です。聞くだけで、嫌悪感を持つ人が多いですが、

ある数学者が一枚の紙を持って、人を驚かせる真実があります。

「紙を2回折ると、4倍の厚さになります。もし、50回折る

と、どれほどの厚さになると思いますか?」。一人が答える。

「数十センチかな」。もうひとりが答える。「ビル並みかな」。

どちらもはるかに違いました。「太陽まで近づきます。50回

折ることができればの話しですが・・・ 」紙を折る作業を人と

人との接触に置き替えれば、今我々が直面している危機の大きさ

がうかがえます。等比数列が導くシナリオを逆から見た「接触8

割減」理論に違いはないでしょう。全国に非常事態宣言が出され

ました。そもそも、紙を折る事さえしなければ、息のできる地表

に踏み留めるということでしょう。「8割減」を実行すれば、

感染が収束するという試算は、信頼しうる。ウイルスに勝つ

唯一の方法と言われますが、残された時間があるようでありませ

ん。あと、3週大事に過ごせるかどうか? なのです。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

本能寺の変(光秀)

1582(天正10)年、6月2日、午前0時、

京と中国地方との分かれ道、沓掛(くつかけ)において

光秀軍1万3千の兵は休憩をとります。やおら、

立ち上がった光秀は軍配を掲げ叫びます。「敵は本能寺にあり」

光秀軍は進軍の後、本能寺を取り囲み、勢いよく寺内に

討ち込みました。実際、寺内は異様なほど静かで、ネズミ一匹

見当たりませんでした。やがて、本能寺は火を放たれました。

燃え盛る炎の中で、「是非に及ばず(やむ得ない)」といった

謎めいた言葉を残し、信長は自刃をし、わずか49年の生涯に

幕を閉じました。世に言われる「本能寺の変」です。


いまだ、日本史史上最大の謎のひとつ、とされるこの事件。

「なぜに、光秀は主君である信長を討ったのか?」

「光秀の単独犯行か、共犯者はいたのか?」このふたつの

疑問は残されたまま、いまだもって、議論の的になって、

日本史ファンのロマンを掻き立ててやみません。


敗者(明智光秀)が主役の大河ドラマ「麒麟(きりん)が来る」

のクライマックスになるであろう出来事。勝敗は明白でした。

信長は供回り少人数。光秀は大軍。望む物は《信長の首》ただ

ひとつのみ。しかし、いくら探せど探せど見つからない。

「なぜに? 」 日を改めても、多数でも見つからない。

光秀、三日後の6月5日、信長の居城、安土城に入城。

朝廷に銀500枚献上。室町時代の古い領主を呼び戻しました。

近畿の武将たちに呼びかけます。しかし、光秀を支持する者は

ほとんどいませんでした。本能寺の変から11日後、6月13日

中国地方から駆けつけた秀吉によって、あっけなく敗れました。

居城、坂本城に逃げ延びる途中、京都の小栗栖(おぐりす)の

竹やぶの中で土民に襲われ落命しました。この後、

主君を裏切って、天罰が下ったものと噂され、謀反人として

歴史に名を刻まれました。《三日天下》は実際は11日でした。


福井市郊外に、光秀が浪人の頃、住んでいた東大味町の村の畑の

一角に、小さな祠(ほこら)があります。光秀は地元では

「あけっつま」と呼ばれ親しまれています。信長が越前を攻め

滅ぼした時、光秀は、かつて親交のあったこの土地の人々を守る

ため、力を尽くしたといいます。その光秀に、地元の人々が感謝

の意を込めて、そのほこらは建てられたものです。この近くの者

の家に、世間の目をはばかって守られてきた光秀の小さな木像が

今も残されています。それは、今も一年に一度だけ、命日の

6月13日に、ほこらに祀(まつ)られ、法要されます。主君

信長を討ち、謀反人として、歴史に刻まれた明智光秀。しかし、

その本当の優しさを知る人々は今も彼の人柄を慕い続けています


ここで、見方を変えれば、全てを破壊して、新しい秩序の時代を

作るという信長のやり方に、光秀は、ブレーキをかけた、とも

言えるでしょう。歴史の転換期には必ず、アクセルを踏む者と

ブレーキを踏む者が出てきます。後世、アクセルを踏んだ人は

人気がありますが、ブレーキを踏んだ人は人気がありません。


しかし、ここで、光秀の果たした意義を考えてみると、

仮に「本能寺の変」なかったとしたら、間違いなく、信長は

天下を取っていたでしょう。日本を統一して、朝鮮に攻め込み

、中国大陸をも侵攻していったでしょう。考えられないような

《暴走》をやったかも知れません。そうであったならば、当時の

人々の受けた苦しみや悲しみは、計り知れないものではなかった

のではないでしょうか?


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。またお逢いできる日まで。


江戸時代の戯(ざ)れ詩に、戦国三傑を詠んで

鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス

と、信長を評して、あります。

光秀なれば、

鳴かぬなら 放してやろう ホトトギス

であろうか


 

言語化

「ズボン脱ぐ!」 立ち尽くしたまま、その場でおろします。

「でるら か だ ぶ ら」「でるら か だ ぶ ら」

なにやら呪文めいた言葉を発しています。そして最後に、

人差し指から順番に、一本ずつ押し出しながら、

「1、2、3、4、5・・・・・」

「1、2、3、4、5・・・・・」「終わった? 」


なにわともあれ、子供ながらも、無理矢理に、
自分自身を奮い立たせるわけですね。

しかし、奮い立たせたところで、
自分が感じた不快感が、消えることはありません。

そのため、苦しさやいらだちは、
刻々と溜まっていき、心を傷つけます。

そして、ある時、ポキッと折れてしまいます。

結果、投げやりになって、行動が停止しました。


「終わった?」「うーん、もういい。」

額や耳のあたりに少し汗をにじませ、まだまだ、不満を残しなが

らも、「替えて」と目で訴えてきます。処理を施し、おむつを

交換してやると、上機嫌で再び、はしゃぎだしました。


3歳になる幼児が朝食に、好物のR-1の乳酸菌を飲み、食事を

終えた直後に感じた排泄欲。床に座ったままで「***出る」

「トイレに行く? 」「もう、出た。」すぐにも、立ち上がり

部屋の隅にひきこまり、戦闘態勢に突入。


なかなか、スッキリと排泄感がぬぐえず、幾度か試みるも

思うようにいかず、心が折れない様に、自分を奮い立たせ

弾みをつけようと、行動や心境を《言語化》しているのです。

誰に教えられるわけでもないのに、いまだ三歳であっても、

《言語化》の潜在力を、開放感などを理解しているのです。


同日のこと、暗い世相を吹き飛ばし、春を感じようと

遠方までドライブで菜の花畑を鑑賞に出かけました。

持て余している、若いエネルギーをはじけさせる

ほどに、歩き周り、走り回わったにも関わらず、

我々の前を、蛇行しながら、急激に方向を変更させて

「あ お り 運転」と振り返りほざき、笑みを浮かべながら

無邪気に狂喜乱舞(きょうきらんぶ)しています。

われわれも、なんとも微笑ましい光景に、心弾みます。


帰り道の用足しのために、道の駅でのこと、

子供専用のハンドルの付いた遊戯に乗りたいとの

所望に応えて百円を投入。周りに誰も居ない状態も

手伝い、ご機嫌宜しく、はしゃぐ男の子。いまだ満足できず

隣の遊戯に移り、無言の要求に仕方なく小銭を投入。

自分の近くに見知らぬ人が近付き、人見知りの彼は、

心が落ち着かず、遊びに集中できないのか、あちらこちらに

視線が揺れ動く。いまだ充足感が得られず、再度、隣の遊戯に

移るも、妻の承諾を得られず、しばらく座ったままで、要求の

視線を送り続けるものの、妻との根比べ。我々がその場を

立ち去ると仕方なく後を追って来るも、屋外に出て、我々が

立ち止まり振り返ると、その場にしゃがみ込み、流し目線を。

視線が合うと、わめきながら泣き出す始末。きりがないので

仕方なく、抱きかかえ車まで連れ込む。泣き叫ぶので力づくで

助手席に押してつける。最後には、顔を座席に押し付けながら

「おいちゃん、きらい。」「おいちゃんもおばちゃんも、だい

ーきらい。」「みんな、だーい、きらい。」と大粒の涙を流し

鼻水たらしながら、大声でわれわれを、なじり、けなし、

さげすむ。半時間ほどで、疲れたのか、気が晴れたのか、

静かに眠りに落ちました。我々の前では、いつも必ず

「良い子」「偉い子」「かわいらしい子」であったのに・・・・


こういう子ほど、一度、《たか》が外れると、始末に悪い。

しかし、聞くところによると、この4月で、親の都合で

ここ西条を離れ、故郷の高知に帰ってしまうのです。

これで、私たち夫婦とも、そうそう、たびたび、会えなくなって

しまうのです。おそらく、私たち夫婦は、彼にとっても、母親の

次に信頼のおける近い存在であったはず。そんな私たちとも、

もうじき、お別れなのです。言葉を覚え初め、最も可愛らしい

時分に、出会えた喜びに、立ちあわせていただいた奇跡に

感謝いっぱいの今日このごろです。子供ってほんとに素晴らしい

ものです。


不満、不快、など、負の感情は抱え込んだままにしておくと

やる気、元気など行動の源泉をなくさせ、何もやる気持ちを

失わせ、何もやらなくなってしまいます。そのために

人は、言葉にならなくても「言語化」することで

その状況から脱しようとするのです。何かを口に

出して、しゃべることで、精神を鎮静化できることを

生まれながらに、身をもってしっているのです。

医学的にも、チューインガムの効用を理解している

欧米人は、作業中であっても、ガムをよくかみます。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。逢うその日まで。


 

(Blog to Soul)水素風呂と時代劇と音楽を愛する左半身麻痺の塾講師