死生観

一流、立派な人には必ず「死生観」があるという。テレビで視た

一流になればなるほど、立派であればあるほど次のどれかを

経験しているという。《戦争》《大病》《投獄》のどれかか、

ふたつ以上を経験しているという。


「死生観」と聞いて思い出すのは、故スティーブ・ジョブズ氏、

言わずと知れた「アップル社」創業者である天才起業家、

実業家。

彼のスタンフォード大学での有名な演説。そこで彼は生死を

さまよう《大病》を経験し、九死に一生を乗り越え日常生活に

復帰してから、毎朝起きて洗面所で自分の顔を見るたびに自分

にこう問いかけていたと・・・

「今日で自分の人生が終わるとしたら、」

「今日、自分のしようとしていることは・・・」

「本当にこれでいいのだろうか? 」と。


これの意味するところとは、

仮に、あなたが何かの重い病気にかかり、それがかなり深刻な

状況におちいったとして、精密検査の結果、医者からこう

告げられました。

「申し上げるのは、大変心苦しいのですが残念ながら、

あなたの症状はもはや手遅れです、もう手の施しようが

ありません」それを聞いた患者はショックのあまり言葉を

失ってしまった。しかしどうしても聞いておきたいことを

うかがった。「先生、ひとつだけ教えて下さい。」

「わたしはあとどれくらい生きれますか? 」

「えーとー、せいぜいあとひと月ですね」

「そうですか、へへへへ」

もはや患者は笑うしかないはずだ。

あと30日ほどで終わりか・・・


しかしながら、それから患者は自分の人生を心から真剣に考える。

次の日から自分の本当にしたいこと、すべきことを選びに選んで

一生懸命、本気で生きようと心がけるのだ。

もし、医者から

「大丈夫です、心配はありませんよ、まだまだ生きられますよ」

「そうですね、短く見積もっても、まだ30年は生きられます」

そう言われたとしたら、医者から言われる前と言われた後とでは

彼の自分の人生に対する取り組みはまったく変わらないはずだ。

残り30日と30年の人生とでは、その違いの大きさは明白だ。


生死をさまようような経験をしたモノは、一日いちにちとの

向き合い方が大きく異なり、時間、いや人生の密度がおどろく

ほど濃密に濃くなるのだと・・ と言うことは、どういうことか

物事に対する考えが鋭く、深く、真剣度が異なるとのこと。

結果、いままで使わずムダにしていた脳みそをさらに2割、

3割増しに使うようになる。時間もだろう、そうだろう。

すると、いままで自分の中でくすぶって、眠っていた能力が

とつじょ開花する可能性があり、大業を成すことにつながるはずだ。

強い《使命感》を持って物事に取り組めるはずだ。文字通り、

なにしろ、《使命》とは「《命》を使う」こと

なのだから・・・


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。笑ってよろしくです。


 

時そば

めいっこの結婚祝いとのことで久方ぶりに家族で食事会。

支払い時、若い女店員がおさつをいちまい一枚手にとっては

テーブルに置いて数えていた時、家内が口をはさみいれた。

「今、なんどきで? 」女店員は何やらけげんそうに

こちらを見あげて「えっ」ってだけで、言葉を失ったようだ。

見かねた小生が「最近の、若者にはわからんて」

「何ですか? 」女店員が不機嫌そうに眉間を寄せたので、

「時そば」「時そば・・・」

「有名な落語のネタ」「落語のはなし、なんです。」

「あっ、あっ」と、たとえ知らぬとも知ったそうに相うった。


ユーモアに富んだ貧乏な男が、サギまがいにたったの一文を

だましてソバ一杯を食するお話しだ。店主が支払いの金銭を

こまかく声に出して数える最中に、横から《時間》を問うと

いったツッコミをいれ、一瞬、あわてた店主が一文数え間違い

男がまんまと一杯のそばの支払いを無事になすのだ。


凍てつく冬の夜、雲間にわずかに月が浮かんでいる。

灯りがなくてもなんとか足元が見きわめられる。

時は元禄、悪名高い五代将軍綱吉の治世、わいろを当たり前と

した田沼が首席老中を務め、農業生産発展を基盤に都市町人の

産業が発展し経済活動の活発化を受けて、

社会全体が(特に上方を中心に文化、学問、芸術)隆盛をきわめ

華やかで豊かな時代。

商品作物が市場に流通し、まちには夜でも屋台が通りを

にぎわせて庶民にも容易に夜ふけでも食事ができるよう

になった。関西では「時うどん」関東では「時そば」で有名。


江戸市中のほんの外れ、農村のおもかげが色濃く残る街、

大通りにつらなる問屋は、とっくに灯りは落とし

しんーと静けさと闇におおわれているが、通りのつきあたり右に

曲がると子育て稲荷の境内で、その左端は深い木立に接した

はなれのような場所に屋台は構えていた。

しがないふたりの職人がしけた面して通りを歩いてた。

「ひえますねえ」「そうだな」

「こんな時には熱いのをキューとひっかけたいなあ」「ですね」

「で、おめえ、いくらある? 」「ほとんどおけらでやんす」

「いくらってきいてんだよ」「あっしはちょうど9文で」

「おれはもっとしけてらい」「あにっい、あそこにソバ屋がでて

ますね」「よーし、今夜はそばでがまんするか? 」

「えっ、あるんですか? 」「てめえのとらのこ、こっち

によこせやーい」「お前が9もんで、俺が6もんか?

二人合わせても15もんか? これでも足りねえか? 」

折しも、近くの寺で、時を知らせるカネの音がする。

「ボーン、・・・」ちょうど、ここのつ、のようだ。

年配の職人が思いを決めたのか「よし、行くぞ」

ふたりはのれんをくぐる「やあ、おやじ、一杯かけてくれ」

「おふたりさんにですか? 」

「いや、ただのいっぱいだ、いっぱいだけでいいんだ」

「わてらは、なんでもふたりでひとつなんでえ。」

「へい、わかりやした。」


当時ソバ一杯は、《にハチじゅうろく》の16文。諸説あれど、

にハチそばのソバの配分の、ごろ合わせから、

ソバの値段が決められたといわれている。


「おやじ、」「いいちょうちんだねえ、

矢がまとに当たってやがらあ、気持ちがいいねえ」

「へい、当たりや、っていうんです、ごひきにねがいます」

「よし、わかったぜ 」「見かけたら、またよせてもらうよ」

「へい、おまち・・・」男はどんぶりを引き寄せ割りばしを

さいて、どんぶりのふちに口をもっていく。「いただくぜ」

「じゅるじゅるじゅる」「うめえ、おやじ、いいだし出てるよ」

「ズズー、ズッ、ズッ、ズズー」「めんも、のどごしが気持ち

いいねえ」「ズズー、ズズー、じゅるじゅるじゅる」

「あー、満足したぜ」「おい、てめえも食え」

連れのさんぴんの男に残りわずかのどんぶりを渡し、そいつが

不満そうに食いたいらげる。「ごちそうさん」

「おやじ、いくらで?」「へい、16文です」

「悪いが、こまかいのしかないから」「手出してくれー」

「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、

やっつ・・」

男が一文いちもん店主の手のひらへ、ぜにを呼び落としていく。

手にはふたり合わせても、15文しか持ってない。

ここで、男が店主に問う。「おやじ、今、なんどきで? 」

店主は視線を上げ、思い出し応える「へい、ここのつ、で」

そしらぬ顔して男は続ける。「とー、じゅういち、じゅうに、

じゅうさん、じゅうし、じゅうごー・・・(最後の一枚を・・・

隠せない笑みが自然と口元にあらわれる)じゅうろく」

「へい、おありがとうごぜえました」「また、くるよ」

ふたつの影が闇の中へ消えていく。

おおまかには、こう言ったはなしです。本当の落語では、

つかみの笑いがあって結構おもしろい。最後のオチはしたっぱの

さんぴんがアニキのマネをして、一文ごまかそうとするのだが

バカで慣れてないさんぴんは、ツッコミどころを間違えるのだ。

「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、

やっつ、ここのつ、とー」ここでつっこんで

「今、なんどきで? 」店主が「ここのつ、で」と応える。

続けて男が、

「とー、じゅういち、じゅうにー、じゅうさん、・・・」で、

「おあとがよろしいようで」「♪テテテンテン♪」おはやしの音


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。笑ってよろしくです。


江戸時代、時間の考え方は聖徳太子の時代から大陸(中国)の

やりかたをほぼそのまま踏まえて使われていた。

時間の間隔は、季節によっても地域によっても異なる。

それぞれの人間の勝手な受け取り方で、「日の出」「日の入り」

を取り決めその太陽の「日の出」と「日の入り」を基本にした。

すなわち、冬の昼の時間の長さは夏の昼の時間のほぼ半分、

その分、夜の長さは冬の時間は長く夏のそれはほぼ半分短くなる。

明け六つ(午前6時頃)と暮れ六つ(午後6時頃)を定め、

昼と夜をそれぞれ6等分し、合わせて一日を12等分した。そこに

十二支をふり当てて別称としていた。また時間のもっとも若い

時間を「ここのつ」として、それから数字をだんだん減らして

呼んでいた。「ここのつ」「やっつ」「ななつ」「むっつ」

「いつつ」「よっつ」というぐあいだ。

ちなみに、一刻(いっとき)は今でいうとだいたい2時間、

はんときが約一時間ほどだ。まとめるとこうなる。


午前、0時はよる九つ(子の刻)、1時は九つ半。

2時はよる八つ(うしの刻)、3時は八つ半。

4時はあかつき七つ(トラの刻)、5時は七つ半。

6時は明け六つ(うの刻)ー日の出の30分前、7時は六つ半。

8時は朝五つ(たつの刻)、9時は五つ半。

10時はひる四つ(みの刻)、11時は四ツ半。


午後は、12時は九つ(うまの刻)、1時は九つ半。

2時はひる八つ(ひつじの刻)、3時は八つ半。

4時は七つ(さるの刻)、5時は七つ半。

6時はくれ六つ(とりの刻)ー日没の30分前、7時は六つ半。

8時はよい五つ(いぬの刻)、9時は五つ半。

10時はよる四つ(いの刻)、11時は四ツ半。


 

ホームシック

誰にでも忘れえぬ思い出があろう。

それが良かろうが悪かろうが、ときに想い出し

自分の人生をいろどってくれていることを実感する。

若い頃、ことに学生じぶんまでは辛くて悲しいことがほとんどだが

年をとるにつれてうれしい良い思い出が増えたようだ。

あの時もっとこうしてれば・・・ てことも多々あれど。


二階の書棚で若かりしころの写真が目に入った。まだ頭皮が

黒々としてた20代後半のだ。それは新聞記事のモノクロ写真。

思わず座り込み、しばし手に取り、なつかしがった。アメリカ

のいなかの小学校で授業をしていた時の取材記事だった。

着ながしのジンーンズ姿ながら小ざっぱりとした身なりで

往年のすっきりとしたやさ男のおもかげがにじんでいた。

今にいたっては、みにくく小太りに、ほんのりあぶらの浮いた

てかった顔貌が陰残のかげりを宿している。その写真では、

夢や希望にあふれ毎日がバラ色だった、人生で最も華美な時だ。

東海岸のフロンティア精神に富んだニューイングランド地方。

まさにこれぞ古き良きアメリカ、って良さが満ちみちていた。


5月の週末、家から2キロほど東へ、バスを乗り継ぎ市内の

繁華街まで。思いのほかけっこうな人混みだ。注意してないと

誰かにぶつかるか、人混みに流されそうだ。そこかしこに

「マザーズ・デイ」の貼り紙とともにディスカント中だ。

ふと何かを思いつきカードショップに入り、話しやすそうな

女店員をつかまえてたずねた。「マザーズ・デイ」はいつ?

「今週末、明日よ」はき捨てるように、そっけなく言われた。

これだから英米人は嫌いだ、と少し頭にきたのでその店は出た。

ほんのちょっと離れた場所の別のカードショップに立ち寄り、

こんどは親切そうな女店員をつかまえた。「日本からホームステ

イでここにきて、ひと月ほどになるんですが、ホストマザーに

《マザーズ・デイ》に何かしてあげたくて・・・どうすれば?

にこやかに微笑んで彼女はたずねかえした。

「彼女のこと、教えて? 」

「何でもいいよ、年齢、好みとか、趣味とか、知ってる限り」

面倒だなと思いながら、自分から話しかけたよしゆえに、

深く深く考え、たどたどしい英語で、ぽつぽつと

臆面もなく力強く応えた。彼女は忍耐強く聞き取ってくれて

メモ用紙に、アドバイスまでくれた。ありがたい。

こんなときはアメリカ人がとっても好きになる。彼女の指示通り


その後、あと三軒ほど店を回り所望する品を検討品定めをし

二軒目の店に戻り購入して清涼飲料水を飲みながらひとり

通りに設置されたベンチに腰かけて休んでいると、呼ぶ声が

「こーじー、こうじー」と声のする方角に目をやると見覚えの

ある女性の姿が・ ベンチの真向いの通りから手を大きく振って

ふたたび「こーじー」応えて同様に手を振り返す。

彼女は同僚の学校の音楽の女性教師で初めて授業見学に

おうかがいした際に、子供たちと一緒に歓迎のしるしに

「美女と野獣」の歌を送ってくれた。感激した。


車が走っている中、自らの手で車をさえぎりながら注意深く、

通りを横切ってこちらに来られた。久しぶりなので恥ずかし

げもなく横に腰かけ、小さくハグして《チークキス》までしてくれた。

少し頬を紅潮させて、目のやりばに困ったが、ほんのり香り立つ

バラの香水に包まれて、とっても幸せな気分にひたっていた。

そのバラの香りは生涯忘れられない何とも妖艶な

かぐわしい香りだった。こんなことを体験するとアメリカって

ほんとにいいところ、大好きって実感する。今はやりの

ドルチェアンドガッバーナってどんな香りなんだろう?

残念ながら、彼女は二人の子持ちの既婚者だった。

「今日は何しに来たの? 」「ただ何となく、暇つぶし」

「あっ、それと・・・」「えーと・・・」「あの・・・」

「ジェーン(ホストの名前)に贈り物をと・・・」

「いいんじゃない、ナイスね」「こうじってやさしいね」

「だから、みんな、こうじのこと大好きよ」

「アメリカに来てくれてほんとありがとうね」彼女は

微笑みながら話してくれた。小生は言葉につまり

かける言葉が見つからず、ただサンキューとだけ

繰り返していた。自分のごいのなさにあきれた。


日が高く陽射しがきついのでほんのり汗ばんできた。

ひとつ目のバスを下車後、残り1キロほどをホットドッグを

かみしめながら、てくてくと景色を楽しみながら歩いて帰った。

帰って、荷物が見つからないように隠して2階の自分の部屋へ

途中「はーい、こうじ、どこに行ってた? 」との声に

「ウースター(街の名前)まで、気晴らしに」と応えただけで

吸い込まれるように部屋に入った。まもなく、ノックされて

一瞬、ドキッとしたが、ドア越しに「お腹すいてない?」

「ない、食べた」と簡単なやりとり。(入って来られてプレゼン

トを見られなくてほっとした。)サプライズで手渡すつもりで。

小一時間ほど、ラジオをつけたままで、鼻歌まじりにカードを

作った。プレゼントは店でラッピングしてもらっているので

あとは渡すタイミングだけだ・・・・ 考えると、

何だかワクワクしてきて、ひとり悦に入っていた。

誰かに何かしてもうのも嬉しいものだが、してあげるのも

同様に、むしろそれ以上にしあわせなものだ。


次の日、日が暮れてきた、まもなく夕食だ。

外でなわとびをして家の付近を駆けていると

「こうじー、こーじー、ごはんよ」との声が

家に入り、プレゼントをチェックしてテーブルについた。

食事を終え、デザートのアイスの準備をしている最中に

プレゼントをとりに階上へ、となりの空いた椅子に

プレゼントを置いてデザートを食した、途中食べながら注文した。

「紅茶が飲みたい」

彼女が席を立って紅茶の準備をしてる間に彼女の

席に近づき、彼女の椅子の上にカードを置いた。

ティーポットを手に持ち小生専用のカップに注いでくれた。

ティーポットをテーブルに置き、座ろうとした

いすの上のカードに気付いたようだ。カードを開け、目を通すと

こちらに顔を向けてきた、そこですかさず、プレゼントを渡した。

包装をていねいにほどき、中を取り出し見て、(以前一度亭主に

彼女が好んで古民家の収集をしていることをうかがったのだ)

しばし呆然と立ち尽くしていた。両目がうるんでるようだ。

力が抜けたように、となりの空いた椅子にでんと腰かけ、

目をみつめ、涙声でサンキューと言ってくれた。

そして、「こうじーー」とうめくようにつぶやき、

しばらくの間、ただただ抱きしめてくれた。


そんなこんなで、小生は今までの人生で、寂しいと感じたことは

しょうみただの一度もない、ホームシックになったことはない。

出会う人にめぐまれてきたのだろう。それ以上に、

今もって、誰かに何かをしてあげることがうれしくてやめられない。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。また笑ってよろしくです。


ちなみに、新聞記事によると、「近藤浩二

アメリカで家を(ホーム)見つける」、との表題で

ホストは思いがけぬことで、驚いたとともに

感激とともにうれしくて感動したとある。

(SHE WAS TOUCHED AND MOVED。)


彼女への感謝の気持ちを余すことなく素直につづった「サンキュー・カード」と

彼女が収集していた「ミニチュアの古民家」を贈った。

カードは、辞書をひきひき、何度も下書きをしたもんだ。

もしかしたら、人生で一番時間かけたかも、そりゃ、苦労したもんだ。

気持ちを届けたいとの強い想いが彼女に伝わったんだ。


そのことを彼女が友人にしゃべって記者が来て、小さな地方紙の

片すみに掲載された。そのご、ケーブルテレビにも強制出演させられた。

通りや街で見かけられると、「有名人、有名人」って

陽気なアメリカ人によくからかわれたり冷やかされて困ったもんだ。


 

心機一転

毎年、毎年何かがあるもんだ。自分にとって、

昨年に続き、今年も「厄年」、って思わされた。

しかも、ここのところ毎日が「厄日」のようなところも

感じられる。しかしながら、ある《出来事》を

きっかけに、ここ二日ばかり、ほんとぐっすりよく眠られる。

今朝はことのほか目覚めがいい、気分が良い。昨年末のこと。


ある若い女性に向かって、ふとぽつりと尋ねた。

「もう、いいお年頃ですよね」(今年春には28歳をむかえる)

「何か《活動》されてるの? 」 見やると、彼女は

一瞬、視線が合いそうになるところを、そらし

「え? え?」とつぶやき、ただただ沈黙「・・・・・」

「最近、めいっこが結婚しましてねえ・・・」

さらに何気に振ってはみてが、なおも素知らぬ顔で

悠然とやりすごされた。心なしか、

いささか視線がおよいでるようではあったが、

(いつもマスクをしているため、表情がよめない。)

ややして、何か思い立ったようで、離れて持ち場に向かった。

ただ、これだけのことだったのだが、その後、

彼女は妊娠出産を迎えることとなり、年初、とつじょ、

関係者多数の面前で、寂しくもここを離れるとの報告をして

小生の前からもどこかへ姿を消すこととあいなった。

親子にも夫婦でも、恋人でも、兄弟でも、親友にも

どのような人間関係にも、必ず《終わり》はあるものだ。


彼女とは、とあるコミュニティーを通じて知り合った。

あどけない顔立ち、ほっそりながらもムチッとした魅惑的な

からだつき。おとなしくも、どことなく威厳もただよっていた。

総じて、女ざかりがからだ全体に、みなぎっていた。

ひと言で申すならば、魅力的な《いい女》感が半端なかった。

初対面の時から、目を惹く気になる女性で、

小生は、ときたま、見かけると、ちょっかいをだしたもんだ。

あわよくばといった、やましい《下心》がないわけではないが・

小生すでに60にさしかかった老いぼれ妻帯者、頭も薄くなり

加えて、半身まひのハンディーキャップといった不自由な

身、しかもこの歳になって、社会に対してこれといった

功績も財産も残せていない無名な、平凡なふがいない

あわれな年寄りであろう。誰の目から見ても・・・

体力の落ち込みもいなめない。(あちらのほうも)

言わずもがな、若い女性に、気にとめられるだけの強みも魅力も

みじんもなかろう、そんなことは百も承知だ。


重々、自覚している。でも、いくつになっても、

夢を持つことくらい許されてしかるべきではなかろうか?

(しかし、無残にも、花は散り落ちた。)

もう二度と顔を合わせることも、見かけることすらないだろう。


そんなことよりも何より、いつから、

そういった相手を見つけ、

それにいたる行為を繰り返していたのだろう?  当然、

カラスの勝手で、小生に口をはさむ余地はどこにもない。

出るまくも、どこにもあろうはずはない。

誰に言われなくとも、重々わかっている、年甲斐もなく、バカな

行為であることも、身の程知らずも、世間体が通らないことも。

それなのに・・・ なぜに・・・

誰よりも、いつも気にかけ、

声もかけていた数少ない知人の小生に、

結婚すら、事前に何の報告もない。

いっさい、おくびにも出さずに、ひた隠しに隠しに、

どういうつもりなのか、理解できない。

ほんと、見くびられたものだ。何かうらみ節のように、

聞こえないわけでもないが・・・  でも・・・

なんだか、わびしい、悲しい、悲しすぎる。いくら望んでも、

叶わぬ恋と、当然わかってはいる。でも、こちらの気持ちは

彼女も承知してるはずなのに、(直接、何度も伝えていた。)

事ここにいたっては、もはや、もう、

どうすることもできないからこそではあるまいか?

多数の面前で報告する前に、そんな小生に、ひとこと《何か》

知らせがあってしかるべきではあるまいか?

(小生なればこそ、言えなかったやもしれぬが)

ことは、「妊娠」といった状況に至ったゆえの別れで

あるわけだ。しかし、それ依然に、ただ「結婚」した

ことだけでも、直接ひとこと本人の口から伝えてほしかった。

かえすがえすも、なんだか非常に残念であった。

しかし、振り返って、思い出して、推察するに、ピーンと来た。

そこには、彼女のやさしそうに振る舞っている心の奥底に、

小生をさげすんでいた、バカにしたような、小悪魔のような

あざけっていた《心》がちらほらとかいま見えるのだ。

余計な勘ぐりをされることも彼女も承知であろうに。

何かの思惑、裏があるような気がした、細かくは差し控えるが

知らされる前とその後では、彼女に対する小生の対応が、

変わってしまうのは、当然であろう。

それこそ、致し方ないことであるはずだ。  その覚悟が

なければ、身勝手なことなど何ひとつすべきではない。

誰かに想われる、慕われることには、責任が伴うものなのだ。

人とはつねに、多面な顔を持つ生き物だから・・・

良いことをすると同時に悪いこともする生き物だから・・・


人の世は、苦界(くがい)である、

何もかもが夢まぼろしである。

ひと呼吸して、じゃっかん、考え直した。もう、すべて、

済んでしまったことゆえ、

すべて水に流して忘れることにしたのです。

そんなことを思ってからは、何か《つきもの》がとれたようで

すっきりした。目からうろこが落ちたようだ。

心がなんだか軽くなった。 そこでこれからは、

分相応に、自分の身をわきまえて、

また、自分らしく笑って喜びを見出し、

小さいながらも幸せをかみしめて過ごそうと・・・・

良い意味で、何だか生まれ変わった心境なのだ。

何か大きなエネルギーが感じられる。力が満ちてくる。


中国の故事に、「人間万事塞翁が馬」がある。

「人間万事塞翁が馬よ! 人生是修行なり」 とも考える。

大切な何かがなくなろうと、いなくなろうと、

大切な息子や身内が、自分が大きなけがをしようと・・・・

人生何が良くて何が悪いか、死ぬ直前までわからない。

良いことも、そうでないことも、何が人生に変化をもたらすか

わからないものだ。頭ではわかっていたが、つまらぬことで、

(本人にとっては、とっても大事な事案なのですが・・・)

心も身体も悲鳴をあげていたようです。

疲れはてていたようです。ご心配おかけしました。


世間で言えばこれは《失恋》ですよね。誰も経験したくない

避けたい、惨めな悲しい辛い辛い出来事でしょうに。

とんでもないぜ。でも小生にとっては、《失恋》ではなく

《三下り半》なのです。(強がりととらえる人もいるだろうが)

一回死んで生まれ変わった《新しい人生》の始まりです。

「心機一転」何事にも心をくだいてはげもう、はたらこう。

今を懸命に生きようと・・・

そう思わされた出来事でした。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


今日はおまけはなしです。


 

プぺル(えんとつの街)

「上だけを見ろ!!」

「下を見るんじゃない!!」

「下を見ると」「足もとがすくみ」

「前に進めないぞ!!」

ことあるごとに、勇気を与えようと

家族や仲間の励まし。ひとことで言えば・・・・


ディズニーとジブリ映画を足して割ったようなとっても

美味しい、夢とロマンあふれる冒険ファンタジーです。

絵コンテも物語も音楽も素晴らしい。不覚ながら、

クライマックスで胸が、いっぱいになって、小刻みに震え、

えづいた、泣いた。(映画館で)

始まって数分後に、トロッコ列車に乗せられ、

ワクワクドキドキ、

インディージョーンズさながらのスリル満点。

正月疲れで眠たかったまなこも一瞬でパチリ。


今から250年前、時がどれだけ経っても価値が変わらない

《お金》だけに魅せられた人たちをある悪党が、特殊コイン

《エルコイン》で支配しようと煙突をたくさん作り、

多くのけむりで街を包み込み外の世界から閉ざし、外の世界を

見せない様に、あこがれないように、夢を持たせないよう

社会を構築、でっちあげる。


ある日、そんなけむりのはるかかなたで、

赤く光り輝く星がけむりを突き破り、プぺルの街に

転げ落ちていく。そこから物語が動いていく。


どんな社会でもひとりくらい制御不能な異端児はいるもの。

実直で星を見ることを夢見る自分を信じる心優しい少年、

ルビッチとその父親、

昼間は紙芝居で夢を語り、夜は仕立て屋のブルーノ、

ハロウインの日に街へやってきた、

がらくたの「ゴミ人間」、プぺル

素性がよくわからない、地底人間、爆弾作りのスコップ、等々、

個性豊かなキャラクターたち。


夢(外の世界の星を見る)を叶えようと空飛ぶ船に乗り、

分厚いけむりのかたまりを爆破させたルビッチとゴミ人間

(実は、心の父、ブルーノ)たちを励まし、後押しする仲間。

彼らがけむりを一掃すると、街のひとたちが見上げる。

そこには見渡す限りの満天の星空。

最後には、ルビッチの友人で、がらくたで作られた「ゴミ人間」

がくずれ落ち、そのたましいが空へと舞い上がり、

夜空でトワにさんぜんとかがやく星となった。


1%のひらめきと、

99%の努力の積み重ねと汗のたまもの。

原作を読んだあなたも、読んでないからこそ

単純明解で、誰でも楽しめる愛と夢の物語。

入場料、絶対、損をさせません!!

《鬼滅》の次は《プエル》で決まり。

今年は皆さんも、

上だけを見て前進しましょう。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。今年もよろしくです。


総制作指揮、原作、脚本は、

お笑いキングコング、絵本作家で実業家の西野。

制作は吉本興業。

声優に、女優、芦田愛菜、落語家、志らく、

キングコング、カジサック、オリラジ、西森

といった多彩な豪華顔ぶれ。

あっという間の100分。


ユニクロの初売りに出かけ、その足で何気に目的持たず

イオンに入る。人ごみに流されてたどりついた先が

映画館。あみだくじとじゃんけんの結果、「プペル」に決定。


行き当たりばったりの人生の末に訪れた感動でした。

人生いろいろ。


 

思い出

寒い冬のとある前日のこと。夕食がすんで家族そろってテレビを

視聴していた時、小学2年生の末っ子のぼうずが

「かあちゃん、あした、知っとる? 」母親はテレビを見ながら

みかんをひとふさむいては口にほうばっている。

(ここ愛媛は全国きっての言わずと知れた有数のみかん

産地だ) なおもぼうずが「知っとる? 」

「ねえっ、知っとる? かあちゃん」母親はうっとしそうに、

聞こえないふりをしているのか、聞いていないのか、なおも今も

みかんに手を伸ばし、くちゃくちゃと口を動かし、

子供の話をさえぎるように

「**ちゃん、あんたも食べんかい、」「おいしいよ」と、

かたわらのダンボール箱(当時、生産過多から知り合いの農家

から闇で超格安(市場の半値以下)で手に入れていたのだ)から

さらに2個取り出しその一個を愛息子に差し出した。

受け取った少年はみかんをこたつの

上に置き、「かあちゃん、 知っとる」

「クリスマス、って知っとる」「あした、クリスマス」

(母)「え、え」(子)「クリスマスー」

(母)「え、クリスマスー」

(子)「そう、クリスマス、聞いたことある? 」

(母)「うん、聞いたことあるよ、クリスマスやろ」

ようやく、みかんから手を離し、耳を傾けようと

母親は子供に目を向けた。機嫌が悪ければ、いちもにもなく、

はねつけられるところではあるが、食欲が満たされていたのか。


それから後、親子は互いに言い合った、末っ子のおねだりを

母親はしぶしぶ、一部認めた。

「ケーキ、作ってあげるよ」

「ほんと」「ケーキなんか作れるん?」

「作っていらんけん、買うて、買うて」

「買うたら高いんやし、作ったほうが美味しんよ」

「ケーキくらい、かあちゃんでも作れるんよ」

「ほんとかいな・・・・」

「めちゃめちゃ美味しいの作ってあげるよ。」

自信ありげな母親の言葉に同意せざる得ない少年は

何か不安ながらも、初めて見るであろう母親手作りの

ケーキにいくぶん期待を寄せていた。


現代のように欲するものがわずかなお金で手軽に手に入る

時代とは違う《当時》・・ 食べることが何よりも《しあわせ》

そんな時代、ハイカラでシャレた《ケーキ》なんて裕福な友人の

家でごしょうばんにあずかることでしか口にできない

あこがれのお菓子を、

あの昭和ひとけたの、いなかの土のにおいしかしない、

あの《どけち子》の女性が・・・ ほんとにできるんかな?

《どけち》と料理のうまいへたは何の関係もないところだが・・


当日の夕刻、日がすでに暮れかかっている。いつもの食事時間

まで、もういくばくもない。しかも、それらしいブツは今もって

一ミリも目にできない。待ちきれない小僧がおそるおそる

問うた。

「ケーキ、いつできるん? 」「もうすぐ」

「いま、作ってる? 」「まだ・・・」

「もう時間ないよ、みんな帰って来るよ」

「ごはんのおかずが先やろ」子供が居間でテレビを見ながら

母親に問いかけながらせっつく。母親は我関せず、土間で

ドタバタと食事の準備にてんやわんやで大わらわ。


しばらくして、土間の東となりの風呂場の火入りを祖母が

いつものルーティーンでおこなったのか、すりガラスの

戸のすきまからあかあかと暖かな明かりがもれていた。それが

発端に家族がぞろぞろと集まり始めた。姉、兄がテレビの

チャンネル争いで騒がしい、兄が力ずくでテレビの画面の

前いっぱいにしゃがみこみなめるように見ている。

「**ちゃん、 そんな近くで見たら、目悪なるよ」

母のこごとが耳ざわりだが、兄には効いたのかテレビから

距離をとった。「****」「ごはんできたけん」

「テーブル出して、ふかんかね」と、姉に手伝うように

少しきつく催促する。姉はうつぶつ何やら言いながら

むっつりとした表情でいやいや従う。

「***も手伝って」「お皿出して」

「うん」仕方なく、ぼうずも手伝う。「**ちゃん」

「皿こっちへ持ってきて」母の言葉に命じられるまま

鍋から皿へおかずをよそおい渡されると文句を言う。

「また、さかな・・・他には ?」「ない」と、ぴしゃり。

「ケーキは? 」「ごはんのあとで作る」

「デザートは最後やろ」 (奇妙なことに、なぜだか、

こんなところは知っているのが、不思議な母なのだ。)


9人もの家族が丸いテーブルを囲んで座ると白米をちゃわんに

いつものように祖母がすくい各自に手渡す、その間、次男と自分

のために酒を温めている。(おじと祖母の何よりのたのしみ)


小さなおかずひとすくいに対して大きな白米2、3口とは貧乏人

の常識であろう。お腹が満たされつつあるころ、土間のわきでは

ぐつぐつと大きなやかんが音を立ててにたっている。それを

合図に母がようやく、ケーキ作りの準備に取りかかったようだ。


姉と祖母も手伝いに加わった。祖母が洗った皿を丁寧にふきんで

拭いている。母がひろげた材料の包み紙を両手でまるめて土間に

隠し捨てた。その後、母と姉が白いクリームをマーガリン用

のコテで薄く伸ばしているようだ。ゴソゴソしているとじきに

何だかできあがったようで、皿に盛りつけていた。


「何飲む? 」「コーヒー」「お茶」生まれて初めてコーヒーを

作ってもらうと祖母が眉間にしわを寄せて

「子供に、コーヒーなんか飲ませられん」と母にきつくどなる。

むっとした表情で一瞬祖母をにらんだが、言葉をのみ込んだ

ようでいらいらしていた。(とついで以来、母と祖母は

よくいがみあっていたようだが、父は知らんぷりを決め込んで

いたようで、母はいつもひとり陰で泣いていたそうだ)

そんなことはつゆも知らない子供たちは、おのおの身勝手に、

振る舞っていたため、ここでも、子供たちは熱くて

飲みかねるコーヒーをスプーンですくって

ちょびちょび飲んでいた。


待ちに待った・・・いよいよ、やっとこさ実食だ。

兄とぼうずはひと目見てこうべをたれ、言葉を失った。

母の主張する《ケーキ》のその実態とは、

母の好物の「ミルクブレッド」という市販のパンで、

薄くて小さい子供の手のひらサイズの食パンに

白クリームが両面に塗られて、横に横にと重ねられた

だけの味付けパンで、安価でボリュームのある、

お買い得のパンなのだ、

そのパンを半分ほど5センチほど上に重ねて皿にのせて、

一番上のパンの上に、

なんとこともあろうことか、

マヨネーズで、小さく遠慮ぎみに、

《ケーキ》とかかれたものなのだ。(ただ、《ケーキ》とかき

こんだだけでまさに名札を付けたごとくの、

自称する《ケーキ》だけのものなのだ)味はともかく。

その横には、ご愛嬌にありふれたみかんの

ひとふさがふたつほど

大きな顔してちんざしているではないか。

でも最悪のことに、マヨネーズのちょっぴりの塩気で、

クリームの甘さが台無しで、

とんと食べられたもんじゃなかった。

兄とぼうずは土間にまるめて捨てられた

見慣れた袋包みを見逃さなかった。

ふたりは顔を見合わせて軽くうなずくだけであった。

ぼうずは母親を見た。

母は、「おいしかろ? 」とぬけぬけとほざきやがった。

返事するのもアホくさく、黙ってとにかく口に押し込んだ。

母親はさもありなんのごとく、ごくごく普通の面持ちで

コテや皿に残ったクリームを

誰気がねなく集めてなめて、(ほんにずぶとい)

コーヒーで流し込んでいた。

《けちくさい》にも程があるもんだと、ぼうずは

行き場のない《いきどおり》をいつものように

腹の中に押し込み、くちびるをかみしめ、涙をこらえ

自分の貧しい身の上をあらためて思い知らされたのだった。


でも、こんな母親でもなぜだか決して憎めない

嫌いになれない、本音で笑って見つめられる顔が

忘れられないのだ、

妙にいとおしいのだ。これが血縁というものか ?


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。また逢う日まで。


両親のこの手の《子供だまし》には度肝を抜かれたもんだ。

母が夕食に《お子様ランチ》を作ると豪語したのだが、

父が夕食前に、長いつまようじに紙をまきつけ、日の丸の旗を

描き、ワンプレートで、おちゃわん型の白米に刺し付けただけ

だったのだが。これは当時、子供だましで広まった《手》

だったとうわさでよく耳にした。


今この話を母にしても、素知らぬ顔で、

「そんなことあった? 」とちっとも取り合ってくれない。

けたはずれのずぶとさは、今もって健在だ。


そんなハハのおかげなのか、いまだに、

なんでもおいしくたべられる、しあわせものだ。


 

サンタクロース(許されざる真実)

紅葉の景色が、まだまだまぶたに焼き付いて

身体に残っているような気でいたのに。

寒い、寒いというより冷える、冷え込む。

まるで強く厳しい冷気に抱かれてるようだ。

冬の寒さが身に染みるようなると、一年

一年、死ぬ日が近づいているような思い

がじわじわ、じわっとひどく感じる。

いくらあがいても、行く着く先は

決まったようなものなのかな?

昨晩より段どった暖房機器の温風に手をかざし

暖をとりながら、そんなことを考えていた。

ふと気付くと、街はだんだんクリスマスに色づいてきた。


などと心細いことを考えてしまうのは

最近何かと気の滅入ることが多いためか?

来年春にはよわい60を数え世間でいうところの

還暦、ひと回りしてもとに戻ってしまう《年寄り》

というカタゴリーに入ったこの身が何ともいとおしい。


子供の頃のこと。あれは、そうだ小学一年生の年の瀬、終業時、

左となりの席の当時としては珍しい、ほんのり肥えたおかっぱ

頭の色白のおとなしい女の子が「いっしょに帰ろ」と言うので

断わる理由もないから、校舎の北がわの通りに面した裏門から

東に向けてテクテクとふたつの小さな木枯らしは家路に向かう。

女の子の家の近くになると、「いっしょに宿題しよう」

「え、石川さんの家で? 」とふたりは家の中へ消えた。


入って、いっときは過ぎただろうか。すでに、夕闇が濃い。

ひとくぎりついた女の子が奥の引き出しからクリスマス色の

包装のチョコレートのひとかけらをひそかに口にほおりこんだ。

「ムシャ、ムシャ」さらに、ひとかけら砕くと

すっと男の子に向けて、

「ふん、こうじくん、食べんかい」「ありがとう」

(ありがたい、うんめえ)「おいしいね」

「うん、わたしチョコレート一番好きなんよ、

こうじくんも・・・(好きよ)」

(小さな声ではっきり聞き取れなかったが)

(そう聞こえたと僕はいまでも思っている)もうすでに天国に

旅だった彼女から真相は聞き出せないのが残念ではあるが・・・

彼女はひとつ上の兄とのふたり兄妹で、転勤族で、財閥企業の

住友関係か、電力会社に勤める父と働き者で家におじゃますると

必ず紅茶とイチゴケーキをかまってくれた心優しい母、(でも

バカのひとつおぼえみたいに、

「こうじくんは家どこ? 」って聞いて決まって「あーあっ、」

「しずとし(父の名前)、さんとこの」ってうなずきながら

応えていたのだが、子供ごころに大人のあいそって

始末に悪いもんだなと思ってた)との

4人家族で、当時としては核家族のはしりであったろう。


それが証拠に・・・お互い照れ臭くて目を合わさない様に、

ただただ部屋のどこぞに目をやっていた。

しばらくして、「そのチョコレート、お母さん、

買ってくれたん? 、ええねえ」と男の子がたずねた。

瞬時に目つきが変わった女の子は

「ううん、違うよ」女の子は、

向きを変えて男の子の目をみつめ、

はっきりとした口調、きりりとした表情でこう答えた。

「サンタクロースさんが、プレゼントでくれたんよ」


再び思い出した。

そんなこともあって、人の優しさがことに身にしみる、

涙がちょちょぎれる。つい先日のこと、

知り合いのお母さんから、どう見ても23,4の独身、

ふっくりした顔立ち、からだつきで、人がらもさばけた。

男気のない女性だけの中学、高校を過ごしたためか、

他校の学生と当時から恋におぼれて若くしてみおもになり

就職と同時に認知を受けられぬとも男子を出産、親元を離れて

シングルマザーの苦労人なのだが、それだけに、ほっとけない。

「このままでは、」「義理がたちませんから」と

さんざん子供のめんどうをみた我々を気づかって、

夕食の席を設けてくれた。当然、その席には、

少し気の早いサンタクロースから

プレゼントを受け取った男の子の姿も。

大人の手のひらサイズの大きさが評判の《チキン南蛮》の

有名店「鳥シン」席について料理を待っているその間のこと。

「もう4歳になったから」「そろそろ現実を知るのも」

「いいころかも・・・」言下に、言うか言わないかで

母親の顔つきが瞬時にこわばり眼光鋭く(えッ、信じられない)

「よしてくださいよ」おどろきの表情からいささか怒りの表情に

変わっていくのを僕は見逃さなかった。「まだまだ、夢は夢の

ままにしておきたいので・・・」と、言い終えた彼女のいらだち

とその焦りが手に取るようによくよくわかったため、となりの

子供を引き、頭をなでよせた。微笑みかけると返してくれた。

なおも引き下がらないで、

「ところで」「プレゼントはどこに」

「で、プレゼントは枕元に? 」「置くんですか? 」

「いいえ、ツリーのそばに・・・・」言い終わらないうちに

口もとを手で抑え「あっ、」(あぶない、あぶない、

聞いてたかな? )「もう、やめてくださいよ」

「誘導尋問じょうずですね」「ほんと、もう」

「こわい、こわい」「わかってますかね? 」

「大丈夫でしょう」「わかってないでしょう」

「まだ、むじゃきに笑ってるから」男のコはこうべをたれて

ただただまわりにひきつられて、愛想笑いでほほえんでいた。

「ごめんなさいね」「いえいえ、」「私のほうこそ、」

「場をしらけさせないようにと、思って」

母は頭をかきながらベロを引き出しして

笑いながらこたえてくれました。こちらも

申し訳なさが心にきわまってはじけながら

頭をさげた。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。皆さん、良いクリスマスを・・・


子供のころから、厳しい現実を肌身に感じていたため、

クリスマスの甘ずっぱい夢はいっさい感じられずに少年期を

過ごしてきた。いちどでいいから、サンタクロースにあいたい。


その後僕はあきれて石川さんにこう言った。

「サンタクロースなんか、」

「いるわけないやろ」

「全部、お父さんか、お母さんが」

「買いよんよ」「石川さん」

「ほんとうに子どもやねえ」

「僕は保育園のときから」

「知っとるよ、」

「サンタクロースなんかいないと」

僕はしたり顔で言ってしまった。子供のしたこと

にしても、ほんと罪なことをしたもんだと、今は思う。

そんなこんなで、その後彼女の僕への態度は冷たくなった。

で、若くして、サンタクロースにつれていかれたのかな・・・


もう、決して、あやまることさえ許されない。

なんだかひどくつらい、切ない・・・・

冬の蚊

「あっ、蚊ー? 」「これ、かあかー? 」

「うそー、もう冬よ」「えっ、ちがうんかなーー」

片手でにぎりつぶそうとしたが、指の間をすり抜けられた。

季節はずれの小さな、目をこらさないと認識できないほどの

むし(蚊のような)成虫になってまだ間もないのか、

おぼろなげに、おぼつかない足どりでゆらゆらと空中を

ふらついている、今にも力尽きそうに(まるで今の自分のよう)

いつの間にか黒くて暗い車内にまぎれて見失ってしまった。

車は車道に向け駐車場を出ると左手に曲がり踏切を抜けると

そのまま直進、いくつかの信号を通過して北へ一キロ転がす。

車道の両脇の木立は短い秋の間にほとんどの葉っぱを

落とし果てたのか、異様にかぼそい小枝が冷たい風にあおられて

ざわざわと小刻みに震えている。店舗のガラス壁が

淡い冬の陽の光に照らされてわずかにまぶしい。

冬の心地よい晴れ渡る陽気の下、車中は静かでおだやか。

さらには、大きなバイパス通りを左折すると車両の数も

雑踏をきわめて運転も慎重にならざる得ないところではあるが


「ブルブル、リンリン」バックの脇に手を差し入れ

前方にも注意を向けながらもスピーカーモードで応える

「はい、」後部座席から、

早朝から、はじけんばかりの笑顔の男の子が変貌した、

いきなり

「おいおいおいー」「おいおいおいおいー」

「なにしてんだよーー? 」怒り口調で、しかし、

なかば冗談まじりに、「おいおいおいおい」

「何してんだ」「お前、けいたい」

「さわってんじゃねえよ」「しっかりーーー」

「運転してろー」「、って」「言ってんだよー」

「おいおいおい、おまえーー」

とつじょの空気の変わり様に一瞬、車中は凍てつく。


ややして、思わぬ注意喚起に自分を取り戻し思い起こして、

けいたいを慌てて切る。と同時に、振り返り様子をうかがう。

「**ちゃん」「今の何? 」「どうしたん? 」

「どこでそんな言葉、おぼえたん? 」負けじとこちらも

「おいおいおいおい」「何か言うた? 」「おいおいおいおい」

「もういっぺん、言ってみて」。おかしな言葉に

こちらの調子もくずされる。「ハハハッ」「ハハハッ」

笑いかけると、「ハハハッ」目じりを細めて笑い返してくれる。


そうこうしていると、じきに車は左折して目的地に到着した。

「中に入る?」「車で食べる?」笑顔で問いかけると、

「入る」と満面の笑顔で応える。車道沿いの店の横に止めて

一同、店に入る。


店内はコロナのせいか、比較的すいていたのだろう、

客はわずかに点在するだけだ、おおかたの席が空いている。

陽当たりにいいお気に入りの席に腰かけるとさっそく

フレンチ・フライをほおばりながら、おまけのおもちゃを

開け広げ何やら熱心にいじっている、ほんにうれしそうだ

楽しそうだ、上機嫌だ。こちらも気分がいい。席について

まもなくして、左に人の気配を感じ、人影が視界に入った。

「おはようございます」見上げると町内の若造とその娘だ。

人がいいのだけが取り柄で人なつっこいのだが、いささか、

頭が弱い青年は30手前でおめでた婚で所帯持つと同時に父親に

なり、まだまだ元気な祖父母と両親と同居暮らしである。

祖父母は町内でも一番の古株で、家の正面で「修理工場」を

始め、景気の波に乗りかなり大きくした。

一人息子は高齢とともに商売から退いた、うちの兄貴と同級の

さらにその息子は「手打ちうどん」の修行の末、店を

始め、祖母の強い発言力のおかげでけっこう繁盛していたのだが

持病のぜんそくを悪化させ店を閉じ、親の遺産でほぼパラサイト

依存して暮らしているとのうわさだ。

「あっ、おはよう」と応えると

「よく、来られるんですか? 」「いいや、たまにやけれど」

「今日は休みやし」「お客さんが来たから」

「朝の教会の礼拝休んだんよ」

若造は娘から手を離し、しゃがみこんでけげんそうに顔を近づけ

「えっ、えっ、」「何です? 」

「今日、日曜日やろ」

「普通なら教会に行かんとね」

「えっ、」「キリスト教」「信仰されてるんですか? 」

近づけた顔をさらに近づけ、きょとんとした表情で問うた。

「冗談、冗談」「うそやで」笑いながら返事した。

「ですよね」「びっくりした」言下に、言うや言わないうちに

「びっくりついでに、もうひとつ」

「この子」「知っとる」

「いいえ、知りません」「初めてです」

「誰です? 」「どこの子? 」我々に子供が居ないのを

知っている青年が問うた。すかさずに、僕は、

「ひろってきたんよ」て応えると、青年は笑いながら

「加茂川ですか」

「そうそう」「去年の祭りで迷子になってたんで」

「ハハハッツ」「よく、今まで生きてましたね」って、

娘に目をやりながら声に出して笑って答えた。

「ひろったというよりも、」「さらったっていう方がええかな」

「そうですね」あきれた調子で別れを切り出した。

「親元に、早く返した方がいいですよ」

「そうやね、」「そうするわ」

「それじゃ、」「では、また」「さようなら」

その場を離れた。


帰りの車中で、窓を通して景色をながめていた男の子が

「あっ、ムシー、」とつじょ、大きな声で叫んだ。

ぎょっとして振り返り問うた。「どこ? 」

「そこ」「窓の上のほう」「あそこ」

「蚊やね、たぶん」「手でたたいて、殺さんかい」

「うん」「しんちょうにせんかいよ」「いっぱつで」

「わかった」冬の寒さで弱りきったむしは幼児の

気配すら気取れずに、

「ぱしーーん」との音とともに

「やったよ」男の子は勝ち誇った表情だった。

そのかわいい白くちいさな手のひらは、

赤く染まっていた。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。会えるまでお元気で。


自分の考えや、もうそうがうまく言葉にならず

いらだって、自己嫌悪におちいり、自暴自棄になりかけて

いたのです。暇にまかせて多読をしていると、なぜか心が

もやもやっとして胸がうずくので、再度筆をとったしだいです。


店内で食事中、家内のバーガーのパンの切れはしが

こぼれ落ち、胸元の服の上にのっていた。男の子が

すかさず、「落ちたよ」「**ちゃんが取ってあげる」

家内に近づき、おもむろに小さな手が家内の胸元にのびた。

「おっぱい」「さわってやったーー」と、

おおはしゃぎでわめいた。店内が騒然としていたため

幸運にも、まわりの客は誰も気付いてそうにない。

よかった。蛇足ながら、男の子は《巳年》なのだ。


またよろしく願いますね。


 

エピソード

社会のたから、家族のほこり、それが子供。

いっときの安らぎ、癒しの時間、でも迫り来る別れの時。

見覚えのあるコンビニの予告看板を目にして「のど渇いた」

彼の意を受けて、そのコンビニで停車。「***も行くーう! 」

買い物かごに、可愛らしいちっちゃな手で食べ物、飲み物を

選んでは喜んで入れていく、ほほえましい。レジへと向かっていると、

「あの、ミドリの」と、何かを見付けたのか、足と言葉が止まった。

指差す方向に目を向けると、緑色が特徴のパッケージのDVDが

「あれ、買って、お願い!!」「他に何もいらんけん」その場に

立ち止まって、一ミリも動こうとしない。いつも控えめな彼が我々に

せがんだ初めてのこと。買ってもいいかなと思ってはいたものの、

何だか、はめられた気がしないでもなかった。「仕組んだな? 」

とはいっても、子供にはわかろうはずもなく・・・


依然、クリスマスに一緒に鑑賞したであろう「グリンチ」と推察。

「前に、いっしょに見たと思うよ」手にとってみると、確信持てずとも、

何だか買う気になれずに、まごついていたら、幼児が予期せぬ言葉を

のたまわった。「これ、シリーズ、もんやねん。」「・・・・」なぜか、得心さ

せられ、納得させられ、返す言葉が見当たらず、購入させらてし

まった。聡明な子供には大人もかたなし、ってところ。

なんて、賢い、機転の利く、抜け目のない可愛らしい子供・・・・ だから

何だか決して憎めない、恐れいった。まさに《目から鼻に抜ける》とはこのこと。

たかだか1000円ちょっとだし、今日でとうぶんお別れなので、

餞別代りにと・・・・ たかが子供っていっても、決して侮(あなど)れない

ほんと《われ以外、皆、わが師》です。忘れずに魂に刻んどこ。のちに、

お母さんに聞くと、そんな言葉は教えた覚えはないとのこと。末恐ろしや

ほんのちょっと小耳にはさんだ言葉を最高の時に、絶妙のタイミングで

使えるとは・・・勉強させられます。「男子三日会わざれば、刮目(かつもく)して見よ」


我が家には暗黙のルールがある。できうる限り極力、高速道路は

走らない。後部座席に幼児を搭乗させた時は。ベルトでしばりつ

けたくないので・・・・ 「愛媛に行くよ!」「愛媛ってどこ? 」


「ここどこ? 」「愛媛」「ここが、愛媛? 」「うん、愛媛」

「***住んどったやろ」「そうなん・・・」「ママと住んどっ

た場所に行ってみる? 」「うん。」かつての家の前を通過する

と・・・ 見慣れた景色に脳が刺激されたのか「思い出した?」

「あー、あー、」「思い出した? 」「うん、ここ来た事ある」

「ザグザグ。覚えてる? 」「何それ?」「花火買ったやろ」

「ザグザグ、行くーーう」前を通過してると「何で、

ザグザグ、閉まったん?」「代わりに、トイザラスは?」仕方なく

ちょっと、遠出におもちゃ屋に行く羽目に。まさに、やぶへび。


ほんと、子供に甘ーーーい、わが夫婦。そんな者に限って

子供が居ないのだ、人生とは、不条理、ほんと、ままならない。

口惜しい限りだ。


確かなことがひとつある。これからは、彼らの時代だ。

にわかに、後部座席がまた、あわただしく騒ぎ出す。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。また会う日まで。


風呂から出て衣服を着けていると、「おいちゃん、

おむつ着けんのん? 」「大人はおむつ着けんのよ」

「でも、バアバは着けるよ」「それは別」「ふーん、別」

「別? 」「何が・・・」首をかしげ、何かを考えている。


ある時「屋根がない、あのおうち、屋根がないよ」「どこ? 」

「あそこ」それは、天井が、一枚板の形の家だった。ちょっと、

理解に戸惑ったが、他の家の形状と比較してふに落ちた。

合掌つくりのような典型的な形だけが屋根と刷り込まれているだけなのだ。

「あれは、ああいうデザイン、やねん」「デザイン? 」「うん、デザイン」

「ふーーん、デザイン」「デザインか・・・」初めて耳にした言葉に

納得できずとも、繰り返す。


子供のエピソードにはほんと、事欠かない日常だ。思い出してたら。

終わりそうにないなあ。切りがないな・・・・

ちょこちょこ小出しにしますね。


 

真面目

夕刻、ドライブ途上の車中でのこと。運転中の妻に一本の電話。

「私は、今、***に居ます」「****と、いたしまして、」

「その理由と言いますのが・・・・」

「*****と思っているしだいです・・・・」などなど。

電話が切れた後で、僕が尋ねた。「堅いの・・・・」

「さっきの人、あの、ものいい何?」「何ともぎょうぎょうしい」

「もっと普通にしゃべられんのかーー」妻が応えた。

「元、航空警察やから・・・・」さらに僕が「本人は別に、ええけど」

「まわりの人が、たまったもんじゃないよ・・・・」

「気の休まる暇がないぞ。」妻がとどめを刺した。「だから、

あの年で独身やね」「ふーん、俺と同じくらいじゃないん」「もう一生、独

身やな」「こうじ・・・・より上よ」「ふーん、最悪・・・・」


疑う余地もなく、四角四面を絵に描いたような、きまじめな人なのだろう。

しかも、正義感の異常に強い、24時間いかつい顔をして冗談ひとつ

口にしない、ある意味で、悪い言い方をすれば、人格破綻者でないのか。《言葉が過ぎました、すいません》

独身時代、僕にも似たような上司が居た。ほんとに苦手だったが、

よく食事に誘ってくれたので、それなりに付き合った。回らないすし屋で

いみじくも、彼がつぶやいた。「あんたが、うらやましい・・・」自由で、

真面目でない僕の言動は、つとに戒められたもんだが、本心は僕のよ

うに生きてみたかったなんて、聞いてみないとわからないものだ。40歳

過ぎて、胃を悪くして、手術して長期休養を強いられた上に、退職間際

まで会社に、いいように使われたそうだ。周りに気を使いすぎて自分自

身を見失って、自分の人生を行きてこれなかった、ことを悔やんだはず。


コロナのせいで、うっとうしいマスクが嫌で、すぐにはずして、おしゃべり

してしまう僕は、いつも注意を受けてしまう。とある事業所の人に伺った。

「家ではさすがに、マスクしないでしょう?」ほとんど即答で、

「してますよ、立場上、かかるわけにいかんですから・・・・」

僕は正直、この人、 《**シカ、変わっている》って思った。 100%の感染防止に、例外は認められないってこと。

その人の《人となり》を理解して、真面目にウソをつくような人でな

いだけに、かわいそうというか気の毒で・・・・ 寝ている間ですらマスク

姿が目に浮かぶのです。しかも、子供や両親までもが彼の考えに異を

となえられず、マスクを強いられていると思うと・・・・言葉がみつからない。

《あくまで、想像です。》 そこまでして、自分の大切な時間、家族を犠牲

にしてまで、守るものって、いったい何? 《蛇の道は蛇》ってわけで。

《人って、悪いことと、わかっていても止められず、良い事って、わかっ

ていても、何で素直に、できないんだろう? 》


きまじめで、忠実な会社人間が陥りやすい《悲劇》だろうか?

《**さん、ごめんなさい》 こんな人に限って、

「まさか、こんなはずじゃなかったのに・・・・」って最後に口にして、

会社や世間をうらむことになってしまうもの。


でも、確かなことがひとつある。《真面目》は人間の中で、間違いなく

最も崇高な美徳のひとつである。何かを成し遂げた人は、すべからく

その道においては真面目である。《真面目》は成功への絶対条件だ。

しかしである。何事においても、過ぎれば、《あだ》となる。《過ぎたるは

及ばざるがごとし》 真面目一辺倒では、物事の枠組みにとらわれすぎ

て、問題の袋小路に迷い込みやすい、部外者、外れモノ、異端者の

違った視点が何かを大きく変えるもの。パラダイムシフトの真っ只中の

今だからこそ。得てして、真面目より不真面目の方が得なことが多い気がする。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。会える日まで。


くだんの僕の上司は、仕事中は決して仕事以外の話はしてこなかった。

それで僕は、努めて、仕事以外の話題を振ったもんだ。プライベートで

は、同じ野球チームで共にプレイしたが、結局、親しい友人までにはな

れなかった。疎遠になってから、20年以上になるかな。思い出すことに

仕事中、よく気がつくと、僕の様子伺いに近付いて居たようだ。

ある時、僕が「はくしょん、はくしょん・・・・ 」「誰か、俺のことで

想いわずらっているのかな? 」ってひとりごとを言うと、僕の

後方でクスクスって声がした。振り返ると彼が居た。

くしゃみ一回、悪口、くしゃみ二回で、誰かの慕う想い。

って耳にしたことがあったので。


僕は別に、不真面目を推奨するつもりもなければ、

真面目な人をディスってるつもりも、マウントしようとも

思っていません。正直、僕は真面目な人が大好きです。なぜって、

総じて、《真面目な人は、正直者で誠実な人だからです。》

ただ、自分がひねくれ者で、上から目線で、ほんと、

あい、すいませーん。 あくまで、私見ですのであしからず。

でもほんと、「オネスティー イズ ザ ベスト ポリシー」は真実。


 

(Blog to Soul)水素風呂と時代劇と音楽を愛する左半身麻痺の塾講師