迷った時

自分が行動したことすべては取るに足らないことかもしれない。

しかし、行動したというそのことが重要なのである。

マハトマ・ガンジー。

夢を持つことの素晴らしさ、それを信じている人には

未来があるのです。

エレン・ルーズベルト。

失敗を恐れる必要はない。恐れる必要があるのは、

やりもしないで、逃してしまうチャンスのほうである。

グレイ・マター。

幸せになる方法は、周りを幸せにしたら見つかる。


他人を幸福にするのは香水をふりかけるようなものだ。

ふりかける時、自分にも数滴はかかる。

ユダヤの格言。

たまごを割らなければ、オムレツは作れない。

オールザ・キングスメン。

どんな馬鹿げた考えでも、行動を起こさないと

世界は変わらない。

マイケル・ムーア。

孤独は優れた精神の持ち主の運命である。

ショーペン・ハウル。

もしあなたが人に愛されようと思うなら、

まずあなたが人を愛さなければならない。

セネカ。

あまりしつこく付きまつわれる愛は、ときに面倒、

それでもありがたいとは思うものだ。

シェークスピア。

わたしが後悔するのは、しなかったことであり、

できなかったことではない。

イングリッド・バーグマン。

何事かを試みて失敗する者と、何事も試みないで成功する者との

間には、計り知れない相違がある。

ロイド。ジョーンズ。

誰からも愛されないのは大きな苦痛だ、

誰をも愛さないのは生の中の死だ。

グリューン・ベルグ。

現状維持では後退するばかりだ。

ウォルト・ディズニー。

どんなに苦しい時でも抜け道がある。

でも、歩くのをやめたやつは最高の抜け道があっても

見つけられない。


人が人を嫌いになることには理由があるが、

人が人を好きになるのには理由はいらない。

芸術とは、最も美しいウソのことである。

ドビュッシー。

生きる意味を問われて、私の心に起きる動揺こそ

わたしの生きる意味だ。


人生に幸も不幸もない、ただ考え方しだいで、

どうにでもなるのだ。

シェークスピア。

人生はただ一回きりである、

あの世などどうでもよい。

単なる安穏無事な生活を送るより、

この世で何事かをやり遂げんと、

冒険を試みるほうが人生にふさわしい。

セオドア・ルーズベルト。

愛はただ与え続けるもの、与え癒しむもの。

愛というものは、愛されるということよりも

むしろ愛することに存する。

アリストテレス。

愛を求める者は、嫉妬と憎しみと裏切りにつながる。


人生は勝ち負けじゃない、負けたって言わない人が勝ちなのよ。

坂本 金八。

王様であろうと、百姓であろうと、自分の家庭の平和を見出す

者が、一番の幸福である。

ゲーテ。

男と女とこうも違った、また複雑な人間の間で、

互いに良く理解し合い、ふさわしく愛するために、

一生を費やして長すぎるということない。


結婚したやつはバカだ、しないやつは・・・・

もっとバカだ。

バーナード・ショウ。

子供は未来であり、回帰なのです。

子は胎であり、海なのです。

リルケ。

人間は、1人では人間でない。

テニソン。

愛というのは、どれだけ多くのものを与えたかではなく、

そこにどれだけの思いやりが注がれたか、ということなのです。

マザー・テレサ。

求める行為は不安を呼び、与える行為は安心を呼ぶ。


自分にできる限度をほんの少し越えたことを、

毎日ひとつ実行せよ。

ローウエル・トマス。

愛する、それはお互いを見つめ合うことではなく、

一緒に同じ方向を見つめることである。

A・デ・サン・テグジュベリ。

快適な空間にしがみつく自分をそこから押し出すのだ。

そして新しいことを始めてみることだ。

ジョン・P・コッター。

今、正しいことも、数年後、間違っていることもある。

逆に、今、間違っていることも、数年後、正しいこともある。

ライト兄弟。

人間は敵意を持つ人生へとおもむかなくてはならない。

・・・グッド・ラック・・・

人生で迷ったら思い出して欲しい言葉。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。座って半畳、寝て一畳。


上善水の如し。


 

名前

自分のものなのに、自分よりも

他人によく使われるもの、ってなあんだ?

子供の頃、《なぞなぞ》でひんぱんに訊かれた。


一昨日の午前中、子供たちへのおみやげにと

何年ぶりかで久しくご無沙汰していた有名ドーナツ屋さんへ

隣町へと足を延ばして半時間(ハーフアンナワー)かけて

おもむいた。家内は仕事でよくご厄介になってるようだが。

並木通り沿いを一本東に位置する目抜き通りに構える地方

有名スーパーへひっきりなしにゾロゾロとにぎやかな人の

群れが慌ただしく、まなこ全体に飛び込んでくる。


そんな人たちを尻目に一歩手前の角を右に大きく曲がってひとり

テクテクと吸い込まれるように入店する。時節柄、消毒液が設置

されているが、べちょべちょになって鬱陶(うっとう)しいので

自己判断で無視して陳列だなを隅々観察しながら、はう様に動く。

そうこうしていると、ある時、親切心からなのかマニュアルから

なのか、身障者への対応へとトレイとトングを手に持って、

ひとりの若い女性従業員が笑みをたたえて近寄って来られ

背後から顔をのぞき込んでこうおっしゃった。

「どうぞ、お使いください」「ありがとうございます、でも、

じきに、連れが来ますから、結構です、すいません」と

微笑み返し断った。彼女はトレイとトングを元の位置に戻すと

「では、お好きな所に、お座り下さい」と声をかけ、丁寧に

応対してくれた。朝から気分を良くした私は「すいません」と

軽くおじきをして背筋を伸ばし店内を見渡した。

ひとりずつの女性客が西と東の隅にそれぞれ腰かけてスマホを

つつきながらコーヒーをすすっている。北側の陽の差し込む

テラス席には年配の男性客大勢が食事が済んだ様子でザワザワと

後片付けを済ませてコートやバックやらをしきりにチェックして

立ち去ろうと腰を浮かせていた。いっきに人気の席がガランと

なって、子供のように喜び勇んで陽当たり一番でベストビュー

ポイントへ腰かけた。やがてやってきた家内に望みの商品を

伝え、席でワクワクしながら待っていると、先般の女性店員が

トレイをさげて近づいた。「お待たせしました、コーヒーの方?」

との声に軽く手を上げて、「はい」と応えた。彼女は

パチクリとした可愛い目元が魅力的な女性で、一瞬目が合って

しまい恥ずかしくなった私は視線を落とすと名札に注意が向いた。

「ごゆっくり」との声に、すかさず「高橋さん、ありがとう」と

名前で呼んでお礼を言うと、彼女は一瞬、ハッとしたようで

ピくッと肩が震え、小さく振り返り目を見て会釈をして立ち去った。

しばらくして、女性店員に目配せして手を上げ「コーヒーおかわり」

と告げると、彼女は笑みを浮かべて近づいて嬉しそうに注いでくれた。

「サンキュー、ミズ、タカハシ」と重ねて言うと、ニコッと

目尻にしわを寄せていっそう嬉しそうに、はねるように戻った。

私が何度も顔を上げてレジ付近に目を向けると、彼女は

コーヒーポットを抱えて給仕の準備体勢を取っていた。

私が手を上げると時を置かずに近寄って応対してくれる。

「飲み過ぎと違う」との家内の忠告に「元とらないとね」

「たかはしさんがいれてくれるから、」「ほんと美味しい」

と答えると「ありがとう」「何回されても、けっこうですよ」

と笑いながら「元以上とってくださいね」「サービスですから」

と声高に優しくおっしゃってくださった。


異なる過日の事。昼食で回るすし屋で食後、立ち去ろうと身体を

すべらせて寄せて杖を手にしてベンチシートから立ち上がろうと

テーブルに手を掛けると、とつじょ・・・ 目の隅にひとりの

男性が・・・ 「どうぞ」と言って手を差し伸べてくれた。

「大丈夫です、ありがとうございます」と丁重に断った。

一瞬、名札に注意が向いて「ファイさん ?」と語尾を上げて

彼を見やると、「はい、外人です」と寂しそうな表情をされた。

自分を卑下してさげすむようで良くない事だと悲しくなった私は

顔から受けた印象から当てずっぽで「ベトナムですか?」と

問うと「そう、ベトナムです」とビンゴだったのか、にこやかに

微笑んで応えてくれた。「仕事で日本に ?」「そうです、」

「ベトナムの印象は ? 」と、彼の問いかけに、こう答えた。

「戦場にされた、悲しい歴史を背負った国、」

「プア・シング(可哀そうに)」

と聞くと、彼は辛そうな悲しい目をして「以前わね」とつぶやく

と「でも、今は変わって良い国ですよ、」「一度来てください」

と笑顔で話してくれた。最後に「ですね、機会を作って、ぜひ

とも」「世界で一番、女性が美しい国とも聞いています」と、

付け加えた。その後、彼は活き活きと、テーブルを片付けている

ように小生には感じられて嬉しくなった。


直接、名前を呼ばれると誰でも自分自身を意識して、アイデン

ティティーを呼び起こされるのだろう、良いことであろうが、

そうでなかろうが。ちなみに、小生の名前の名づけは托鉢で

通りかかったお坊さんに、つけられたと学生の頃に聞かされた。

「ガラガラ、ごめん下さい」「はい」「この家で」

「こんど男のお子さんが生まれますね?」「子供は生まれますが」

「生まれたら、こうじ、とつけたら良いですよ」

「はあ、どうして?」

「こうじ、と名前の人に悪人は居ませんから」と

「考えてみます」で結果、その通りに、

確かに、悪人でないのは間違いないが・・・

安易過ぎないか、もう少し熟考してもよかったのではと。

上善水の如し。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。座って半畳、寝て一畳。


見慣れた通りを転がしていると、母校の小学校が目に入った。

懐かしくなって、記憶の断片をつないで、校歌を口ずさんで

いると「それ、中学校の校歌よ」とツッコまれてしまった。

大人になって、校歌を思い出そうとすると、小学校と中学校が

ないまぜになって、区別がつかないことがよくある。

家内とは小学校は違えど、中学校は同じだ、ごまかせない。

やっかいだ。


 

子供たち

わが塾の中学2年生は礼儀正しく「よろしくお願いします」

とぺこりと頭を下げ、帰り際には「どうもありがとうございまし

た」と顔を上げてしっかり目を見て照れながらも明るい表情で、

少し声高にはっきりした口調で言う。「今日私の誕生日」と

伝え、視線を向けると、恥ずかしそうに顔を赤めながらも、

うつむき加減で「おめでとうございます」と快く微笑みながら

顔をこちらに向けて優しく応えてくれた。

説明をして納得すると小生の顔をのぞき見て「ふふふ、へへへ」

と、手を口元に軽く当て、笑いながらうなずく。

それはそれは可愛らしいものだ。彼女はミデェアムヘヤーの

黒髪を頭の後方で小さくまとめ、小柄ながらもゴムまりのように

若さをはじけさせてトントントンと階上の勉強部屋へと笑顔を見せる。

バレーボールの部活帰りで、お腹を空かせているようなので、

好物のメロンパンを用意してあげると、いつも機嫌良く

美味しそうに上品な口を小さく開けてペロッとほおばる。

「どれだけ食べても太らないんです」と言うので余分に

2、3個準備してあげると、目を輝かせ物色して手に取って

冷たい飲み物とともに、喜んでほとんどたいらげる。好意を

素直に受け入れてもらえると、こちらもとっても嬉しくなる。

こんな素敵な子が自分の子供であったならいいのになあ、

と少しニキビが見えるものの見た目も可愛らしく、

小顔の上で微笑む可愛らしさが印象的な女性で、

素直で几帳面で礼儀正しく聡明な彼女は、子供らしい

誰からも好かれるとっても良い子で評判の生徒であろう。

それでも、「部活どんな ? 」と訊くと、言いにくそうに

眉間にしわを寄せてはにかみながらひと言こう答える。

「しんどい」と、正直に弱みもみせられて、父性を刺激され

誠にいとおしくなる。


季節が巡り桜が咲き誇って春が訪れ毎日がおだやかで平和だ。

英語の塾の送迎の折り、「行きたくなあーーい」「行きたく

なーーい」と駄々をこねるものの有無を言わせず到着すると

無言で不思議と一目散に教室へと走っていく。

授業を終え、車に乗り込むと後部から何やら声がする。

「あ、あ、あ、アップル」なおも「あ、あ、あ、アリゲーター」

少し間をおいて「ウームン」「ウーム」「ウーム」「あれ」

まわりの者も本人すらも、頭の中が ? におおわれていると、

「ウン ?」と首をかしげて何やら考え込んでいた彼女は、

背筋を伸ばし、あごを引いて姿勢を正して鼻をふくらませ大きく

息を吸い込むと気を取り直して再び「ウーム」「ウン ? 」

「ゴホン」「ゲッ」「ゴホン」「ゲッ」セキをふたつ吐き出すと

「ルーム」「ルーム」「できた」「できたよ」と整った顔を

クシャとさせ、大きく崩して微笑み、全身を弾けさせて

ひとり激しくはしゃぐ。天真爛漫で育ちの良さも感じさせられ

感情豊かで頭の回転が速く行動派の陽気な彼女はどんな時も

人を元気にさせてくれる、とっても楽しい女の子だ。

(悪く言えば、少し気性のはげしい、じゃじゃ馬かな?)


週末県をまたいでお迎え、車内の後部座席の彼にひとくち大の

菓子を与えると「ゲッ、ゴホン、ゴホン」「いつも、セキが

よく出るんですけれど・・・」とふとつぶやくと、

「コロナ? 」と一同驚きとともに発するやいなや

「うんうん、違うよ」と否定する。「お茶いる ?」「はい」

と元気な返事。「これおしっこみたい」

と言いながらいっきに飲み干す。「おかわりは ?」「はい」

「これ、おいちゃんのおしっこ ?」と言いながらまたも飲む。

「おばちゃんのおしっこも飲んでみる」とシモ発言が止まらない。

近づき耳元でこうささやく。「なんで、こんなこと言うか分かる?」

「コロナだから・・・」と言い訳がましく微笑む。

帰りの車内では離れがたいのか、何かしら我々に近づき

「何しちょる ?」「***のこと教えちゃろか ?」

しきりに話題を探ろうとやっきになって色々と振ってくる。

「なぞなぞ」「ぶ、で始まる***の好きなもの、何だ ?」

「ぶた」「ぶた?」「ブロッコリー?」「ブス?」と矢継ぎ早に

聞き取れないほどにまくしたてると、困惑した表情になって

「うっせー、うっせー」「うっせーぞー」と大声で叫びあげる。

「ぶーぶ」。ややして、「こんど晴れたら」と言葉を切ると考え

込んでいるようで「ピクニックで、焼き肉がしたいな」と甘える

ように小さく言った。「それ、バーベキュー、て言うのやで」と

言うと「そうなん、ばーばーきゅうー ?」

「ばーばが、きゅう ?」「ほんと ? 何それ、」と

語尾を上げて視線をこちらに向ける。「ううん、バーベキュー」

と聞くと、いっそう眉を吊り上げ困った表情で顔をそむけうつむく。

風がやみ雨も止んで、霧が晴れると、お別れの時が・・・

車に乗り換えるため外に出て、大人が話し込んで

いる中、わずかにはみ出た丸れんが(幅10センチ、長さ20

メートル)の上を器用に歩く。車が通過しようとすると道脇へ

大きくそれ素知らぬ顔で通過する車を見過ごす。一歳の時から

足しげく我が家に通った付き合いで親族並みの近しい間柄で

お互いがお互いに特に気づかうこともなく、ありのままに

振る舞え合える関係へと深められた。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。すわって半畳、寝て一畳。


誕生日には大好物の焼き肉をたらふく食べた。

焼き肉食べるためだけに、間食を控えたり、運動したり、

ダイエットしたりと、健康に気づかって生活している。


 

母のゆううつ

本日は60回目の誕生日。いろいろなことがあったもんだと

感慨にひたりながら気持ちの良い朝の目覚めをいただいた。

目覚めがいいと、ほんと何でもできるような気になるもんで、

老い先の短い年になっても空でも飛べそうな気になるから

不思議だ。朝日を浴びると私の中でおぼろげな記憶がよみがえった。


身を固めようと大阪から地元に帰って来た時、母がみんなの前で

顔をくもらせて語気鋭く打ち明けた逸話が耳にこびりついて離れない。

小生を身ごもって、また授かったとお腹をさすって喜んで話すと

気性が合わず仲の良くなかった祖母に眉間を寄せてこう言われたそうだ。

「あんた、三人も、産むんかね ? 」(私は三人兄弟の末っ子)

母はこの時こう思ったそうだ。(自分は8人も産んどいて)

(このババアが ・・・)と。(8人目は幼少時亡くなった)

祖母が逝ってから10年ほど経っていたが、怒りが収まらない

様子で顔をしかめて懐かしく思い出し、しっかりと語ってくれた。


祖母がそんなことを言ったとは露ほども知らない私は

《おばあちゃん子》で、兄弟で一番よくなついた小生を

あれほどよく可愛がってくれたのに・・・学校から帰ると

よく祖母に声をかけられた。「こうちゃん」「何 ? 」

「ちょっと、こっちに来て? 面白いテレビしよるよ」

「うん」と祖母の近くの横に寄り添って寝っ転がった。

そこで放送されていたのは歌舞伎? 小学生には理解できない

日本古来の観劇であった。「面白かろ ?」と訊かれて

「うーん」と口ごもっていると、「イエ~、フォー、ポン、ポポン」

と、とつじょテレビに合わせて何やら、うなるように

奇声を発して楽しそうにひとり興じていた。小生がきょとん

としてあっけにとられていると、こちらに顔を向けてかすかに

微笑んだ。しばらくして、その場を離れ戻ると顔を寄せて

「これあげよ、黙っとかんかんよ」とささやいてこっそりと

お小遣いをくれた。祖母はどんな気持ちであったのだろう?

(母にはいつも冷たく当たっておきながら)

まごには優しく接してくれた。心優しいおばあちゃんだった。


不確かな記憶だが、1、2歳の時だろう。

母に向かって「おっぱい飲みたい」と言うと

ためらいがちに伸びきってたれた《いち物》をこう言って差し

向けられた。「あんた、かまれんよ、すぐかむんやけん」と。

母にたびたび、とがめられたようで妙に頭の片すみに残っている。

母によると、小生はコロッとたやすく、陣痛もほとんどなく

生まれ出たそうで、母は楽だったと目じりにしわを寄せて

嬉しそうに教えてくれた。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。すわって半畳、寝て一畳。


高校一年生の時、学校帰りに立ち寄った本屋の出入り口

付近で雑誌をひんぱんに立ち読みした。当時の僕らには

すごく刺激的だった「週間プレイボーイ」に連載の

マンガ「俺の空」ドキドキしながらなめるように読んだ。

その後、同級生を見る目が変わってしまった。はや生まれの

同級生の中で一番年が若く、このごろ成長期を迎えたようで

ホルモンが、出まくっていたのだろう。


ささっと書いた落書きみたいなものが、一億円で売れないかなあ

宗教上の理由で、美味しいものしか食べられない厄介なやつです。


 

幸福の条件

いきなりですが、問題です。

中国が《2》です、

アメリカは《3》

フランスも《3》です。

では、日本は《いくつ ? 》でしょうか ?

(ヒント;国であれば必ず持っているもの、象徴となるもの)

さらに言えば、ドイツも《3》、イタリアも《3》です。


人は得るもので生計を立て、

与えるもので人生を築く。

(イギリスの政治家:ウイストン・チャーチル)

他人のために尽くす人生こそ、価値ある人生だ。

(科学者:アルバート・アインシュタイン)

富に執着している人、

そのために気苦労の絶えない人は、実はとても貧しいのです。

富を他のために用いる時、

その人は豊かにとても豊かになります。

(ノーベル賞平和賞、修道女:マザー・テレサ)

病んでいる人が、病んでいる人のために、

祈る時は祈りの力は倍になる。

(ユダヤの教え)

他者に貢献することは、この地球での、

あなたの居場所に払う家賃である。

(元世界ヘビー級チャンピオン:モハメド・アリ)

究極の自己満足は、

人に喜んでもらえることです。

(ソフトバンクグループ創業者:孫正義)

人間は心の持ち方を変える事によって、

人生をも変えることができるということだ。

(哲学者、心理学者:ウイリアム・ジェームス)

奉仕を主とする事業は栄え、

利益を主とする事業は衰える。

(フォード創業者:ヘンリー・フォード)

「ありがとう」が載ったお金を、

集めなければ事業は発展しない。

(ワタミグループ代表者:渡邉美樹)

最高の道徳とは、不断に他人への奉仕、

人類の愛のために働くことである。

(インドの父、政治指導者:マハトマ・ガンジー)

一生の間にひとりの人間でも、

幸福にすることができれば、自分の幸福なのだ。

(作家:川端康成)

真心を持って、人を助ければ、

必ず自分も人から助けられる。これは人生の、

もっとも美しい補償のひとつである。

(アメリカの詩人、哲学者:ラルフ・ワルド・エマーソン)

尽くすことを正直に試みる者には、

全世界もまた彼に対して、

尽くすことを忘れないであろう。

(デパート、ワナメーカーズ創業者:ジョン・ワナメーカー)

他人の利益を図らずして、

自ら栄えることはできない

(アメリカの実業家、経営家:アンドリュウ―・カーネギー)

幸福になりたいのなら、

人を喜ばすことを勉強したまえ。

(イギリスの詩人:マシュウ―・プリオール)

確実に幸福な人となる、

ただひとつの道は、人を愛することだ。

(ロシアの小説家:L,N、トルストイ)

人生は刺激に満ちた仕事ですが、もっとも刺激的なのは、

人のために生きるときです。

(アメリカの教育者、社会福祉事業家:ヘレン・ケラー)

人生に意味を与えるものとは、

わたしたちが得るものではなく、

どんな人物になるか、何に貢献するかです。

(世界ナンバー1、成功コーチ:アンソニー・ロビンス)

他の人に一生懸命サービスする人が、

もっとも利益を得る人間である。

(ケンタッキーフライドチキン創業者:カーネル・サンダース)

幸運に恵まれた時も、不運な時も断固として、

最善を尽くすことが、人生の意味を深めるだろう。

(イギリスの文学者;サミュエル・ジョンソン)

我々は他人に、幸福を分け与えることにより、

それと正比例して、自分の幸福を増加させるのだ。

(イギリスの哲学者、経済学者:ジェレミー・ベンサム)

お金のためだけに働いたのでは、成功しない。

しかし、自分の仕事を愛し、顧客第一でいれば、

成功はあなたのものだ。

(マクドナルド創業者:レイ・クロック)

夢を与えられれば、それを実現する力も

必ず与えられる。

(飛行家、作家:リチャード・バック)

心が平和で活力に富んだ人間が、

いちばん良い仕事をするのです。

(ノーベル平和賞、牧師、活動家:マーティン・ルーサー・

キング・ジュニア)

本当に幸福になれる者は、

人に奉仕する道を探し求め、ついにそれを、

見出したものである。これが私の確信である。

(神学者、哲学者:アルベルト・シュバイツアー)

幸福の条件(先人からのメッセージでした。)


今日はここまで、近藤浩二でした。

ではまた。笑ってよろしくです。


わたしのあこがれの女性である、脳科学者の中野信子氏によると

美人が美人に生まれるのにはそれなりの理由があるとか、

種の存続の観点から、「生殖能力」が高い女性が

美人になる宿命を背負っているとか。

美人の女性の方、精出して、子供を産み落としましょう。


問題の答え;国旗の色の数

日本は《2》です。

ちなみに、人口の2パーセントの天才集団と言われる

「メンサ」の入会試験の一部でした。問題のほとんどは

立体認識を問われる「幾何学」図形の問題が多数を占めるそう。

そのため、女性の人数より圧倒的に男性が多いとか。


 

いじわる

来年小学校に入学する保育園児の送迎に、やむを得ず、初めて

同行した。いつもと様子が違っていると感じた彼は後部座席に

ゆったりと腰かけ私の携帯でユーチューブを視聴している。

それに飽きると運転席と助手席の間の我々に退屈そうな顔で

近づいた。算数が不得意とのことで、顔を寄せてふと尋ねた。

「いちたすさんは ?」「よん」「じゃ、はちたすななは ?」

わからないのか、答える気がないのか、黙殺されて窓越しに

物思いにふけりながら景色を楽しむ彼の鼻歌だけが聞こえる。

「何かほしいものは ?」ほぼ即答で「えるちき」

「どこで買える ?」またもや言うか言わないかで「コンビニ」

じきにローソンの駐車場の、西側の隅っこに停車。

初対面のわたしとふたりだけにされるのが嫌なのか、しばらく

ためらっていたが「自分で買いに行く」お金を渡され、ひとり

トボトボと不安そうな様子で店に入っていった。折しも、

同乗していたツヤのある黒髪を三つ編みに丁寧に結んだ、抜け目

のなさそうな小学4年の姉がいたずらっぽくこうささやいた。

「いいこと思いついちゃった」

人差し指で鼻の頭を触りながら、交差させた両足をしきりに

組み替え、はいた暖色の可愛いスカートを色っぽくはためかせ、

「**ちゃんが返ってくる間に、くるま移動しちゃおう」

「**ちゃんが困ったところビデオに撮って」

「おじいちゃま、に見せよう」と、嬉しそうな表情で、とっても

上品な言葉遣いに、さすが医者の子供だと、育ちの良さを感じさせられた。

即刻、家内が車を、すいていた東側の駐車場の真ん中あたりに止

めエンジンを切り一同車内から店先をのぞき見、彼女は携帯ビデ

オをかまえながら待っていた。まもなく、彼は店外へ、何の疑い

もなく西側の駐車場へと歩みだした。一瞬彼の姿が見えなくなった。

と思ったら、子供ながらも鋭い勘を働かせ、何か様子が変だぞ、

と、辺りをきょろきょろうかがうと、気が付いたのか

こちらに近づいて来た。白い歯を見せながらバツが悪そうに

おどけるような素振りで姉と向き合うと

「**ちゃん、驚いた ? 」「ぜんぜん」「うそばっかり」

「うそじゃないって」と言い合っていたが、じきに映された

自分の動画を笑いながら楽しそうにながめていた。


爽やかな風が吹き抜けおだやかな朝焼けが部屋に差し込み、

何とか灯りがなくても目の前が見きわめられる明るさのもと、

わたしは居間の引き戸際に立ち、ぼんやりと居間の中の様子を

うかがっていた。というのも、

ひとりの男の幼児が、ほんの少し前、灯りのついた居間で

イスに腰かけ、何やらせわしなく、作業をしていたようだ。

小生が「ごほん、ごほん」とせきを立て気配を起こすと

「おいちゃん ?」との声が聞こえた。わずかに戸を開け

のぞきこんで「おはよう、**ちゃん」と「おはよう」

「何しよん ?」との問いかけに「ぬり絵」とポツリと

つぶやいた。わずかの興味本位で「どうどう ?」と

近づいて塗り絵のしんちょく状況をうかがうと、少し

粗雑でまだまだ細部までは神が宿ってないようなので

「悪くはないが・・・」「ここは、こっちの方が良いよ」

と、いささか手心を加えてあげた。「ありがとう」と

満面の笑みを向けてくれた。

その後、自分が引き戸際で、何気に「パチン」と

部屋の灯りを消して戸を閉めて部屋をあとにした。

家内がヤボ用で帰って、「灯りつけんと暗いやろ」と幼児に

訊くと「おいちゃんに消された」と不機嫌そうに言った。

家内が部屋の灯りをつけてそばまで寄って「進んでいる ?」

と訊かれると、問いかけとはまったく関係のないところで、

ため息まじりに、ひとこと吐き捨てるかのごとく、

「おいちゃん、って、(意地悪)いじわるやねえ」と・・・

自分がトイレから居間に入ってふたたび灯りを消すと

「、おいちゃん」と幼児の叫び声が背後から

とっさに、「何か ? 」と返すと「こらー、バカー」

無論のこと、慌てて引き返し灯りをつけたことは、言うまでもない。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。今日も笑ってよろしくです。


車内で何気に聞き流していたラジオからの

哲学的な問いかけに一瞬、耳がぴくッと動いてダンボに止まった。

少し声高の男性が落ち着いた口調でこう問いかけた。

「なぜ今、世界はここにあるのか ?」

「なぜ今、自分はここにいるのか ?」

しばしのあとで、透き通った声で、歯切れよく、

的を射るように、

「世界があなただから・・・」

「あなたが世界だから・・・」

、との答えに、お互いいささか恥ずかしく、

何かわかった風に「ふーん」と顔を見合わせ、ただ

息をのんだだけであった。


 

稲作の村文化

ある団体で「マスク上げてください」「マスク、マスク」と

やたらとうるさい、全国的に正義感中毒がはびこって社会問題を

引き起こしているらしい。

現実的な合理性や客観的な論理性を無視してでも、

個を捨て、集団に寄り添わないと生きにくい社会。

それが日本。使われにくい、嫌われると生きていき難い。

ほんと面倒だ、窮屈だ。社会通念にあらがうことが許されないということだ。


日本人はなぜに集団主義的傾向が強いのか?

そのひとつの理由は、古くからの農耕社会にまでさかのぼる。

欧米人は麦作、日本人は稲作だからというもの。

麦作は比較的簡単に育て作ることができる。個人でも家族くらい

の集団で容易に育てられ作れるのだ。わざわざ仲間を作る

必要がないのだ。一方、稲作の発育には何よりも水が最重要要因

である。そのためには、《かんがい》が必要になる。

「我田引水」の理由で大量殺りくまで発展するほどなのだから。

その《かんがい》を維持、管理するには、集団で共同体を造る

必要になる。その共同体を、維持しようとするには、

そこには必ずルールがある。不思議なことに、

それを維持するためには、問答無用で、他人に

《ちょっと犠牲を払いましょう》、

《労力を払いましょう》、といった自己犠牲的振る舞いを

求められる。そこにたとえ、論理性や合理性が成立していよう

が、していなくてもだ。やっかいなことに、しかもその犠牲が

美しく、尊いものに見られる、といった大いなる誤解を生む。

しかしながら、それを払わずにひとりだけ得をしようとする人が

いたら、みんなも同様に得をしようとして労力を払わなくなる、

犠牲を払わなくなる。もし、そういう人がでると集団、共同体が

壊れてしまって困るから、それを排除するか罰を与えようと

なる。話し合いで納得させようと努力することなしに・・・

罰として、寄ってたかって注意をしよう、足を引きずり

下ろそうとするらしい。ある意味、いわれなきイジメだ。

集団を維持するために必要な社会性のひとつといった

もっともらしい口実をたてにして。確かに、


個を殺し、組織を大切にするため、社会通念や同調圧力に従って

生きる方が日本社会には適応している。個を捨ててみんなで

一緒に何かをするのが好きな人は、統計によると、

日本人の7割に及ぶという。自分で意思決定するのが楽しくて

好きだと思う人は3割にも満たないらしい。

7割以上の人は、自分で決めるより

他人に何かを決めてもらって生きる方が楽だと思っている。

この時、脳科学的に、大脳皮質から快楽ホルモンである

ドーパミンが放出されるらしい。

自由意志がわずらわしいと感じる人が日本人には多数いると

いうことだ。

なんともどこを切っても金太郎アメといった日本人らしいではな

いか。稲作の村文化が生んで育んだまったく悪しき習性だ。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。今日も笑ってよろしくです。


 

事件

週末の土曜日、昨日は久しぶりに陽差しが照りつけていた

ひなたに居ると温かい日暮れどき・・玄関のチャイムの音と共に

はやりのトレーナーにクラシカルなジーンズと

屈託のない笑顔で我が家に訪れた母親に、連れてこられた

大人しい色白の新中学生の男の子。

車で5分ほどの距離にある、街の中心街から離れた田んぼに囲ま

れたにぎやかさとは縁遠い、ふたつとなりのひなびた自治の住民。

祖母の推薦で学習塾探しに駈けずり回っている2件目のわが塾。


席につくなり、子供にそっけなく

「自分のことくらい」「自分で挨拶しなさい」

途端に、目つきが変わると、彼は「****です」

「よろしくお願いします」とぺこりと頭を下げた。

恐縮して、小生も同様に自己紹介をして頭を下げた。

子供を見ると、手にはひっかき傷、多数、足はすり傷もあるとか。

「ワンパクなんですね ?」「バンドエイドでも貼ったら ?」

との問いかけに、母親こう言い放った。「わたし男兄弟の3人

で」「骨折か、大出血以外は、たいしたケガじゃありませんよ」

その後、母親がここにくるまでの《いきさつ》を

語り始めた。「**塾に行ったんですがね・・・」

「この子は、そんなに出来がいいとは思っていませんが」

「数分のテストの結果を見るなり、ですよ」

悲しそうな目つきで、でもけげんそうに

「いきなり、***高校はムリですね」

「って、こうですよ」「わたしも思わず」

「売り言葉に買い言葉ってやつですか」

「お世話になりました」

「って、そこを出ました」となんとも勇ましい。


「通塾は自転車で ?」と男の子に尋ねると、母親が

「いいえ、祖母かわたしが、車で・・・」と、子供を制して応え

ると、なおもボソボソッとしゃべり出した。

「えーと、あれは、そうですねえ、娘が・・・

「中学校3年でしたから」「5年前になりますかねえ」

「わたしの住んでいる部落で」「空き巣がたびたびありましてねえ」

「犯人が、最後には、入った家の人と鉢合わせになったようで

ナイフを取り出して」「走って逃げたそうなんですが」「それがねえ」

当時を思い出して、苦虫をかみつぶしたような表情で彼女は

「その姿がねえ・・・」「セーラー服を着た、ぼうず頭の」

「パンツを頭にかぶった、背の低い子供だったそうでね」

「身元がすぐに割れまして」

「あっけなく、捕まったんですがねえ」

「その時に、そいつが身に着けていた、セーラー服と頭にかぶっ

ていたパンツが、わたしの娘のものでねえ、

血の気が引きましてねえ、娘は鳥肌がたったそうでねえ」

「警察からお返ししますって言われたんですが」

「見るのも、おぞましくて、丁重にお断りしまして、いかようにもって」

「盗まれたものは、娘の衣服だけでしてねえ」

「すべて、ズタズタに切り刻んで始末されたようです」

「刑事が聞いたそうです、どうしてこんなことを ?」

「空き巣は、趣味で」「なぜに服ばかり ?」

「一度、セーラー服を着てみたかった」

「女性ものを身に着けてみたかった」って

幼い顔して小声でつぶやいた、そうで。

「もう、こわくてこわくて」「身の毛もよだつんで」

「だから、それから子供をひとりにはさせられなくて」「はい」


さして、美人でもない今年50を迎える母親は、その明るい

引き込まれる話術と数々の修羅場をくぐり抜けたであろう、その

人間力との合わさった魅力で、私はいっぺんで好きになってし

まった。(もちろん、人間として。)


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。笑ってよろしくです。

運とは ?

世界一大富豪のジェフ・べソス氏がアマゾンCEOを退任した。

自分一代で世界一の巨大企業に育て上げた手腕は、相当なあふれ

るほどの才能や能力があるのだろう。しかし、成功者は一流であ

ればあるほど、何かを悟っているようでもあり、何か見えない力

の存在を実感してたようで「ただ、ついてただけです」と、い

たって謙虚だ。《運》の要因も、かなり大いにあったはずだ。

古くから《運も実力のうち》とはよく言ったものだ。


日本国内で、かの経営の神様と謳われた故松下幸之助氏は

採用面接で、《ひとつの質問》だけをかならずしてきたという。

それは・・・・

「君は、運がいいかね ?」といったシンプルな質問だった。

「あなたは、自分が強運だと思いますか ?」といったもの

で彼の採用基準は「人は才能や能力がいくらあってもダメで」

「人は愛嬌があって、強運でなければダメだ」の考えだったようだ。


ここに《運》は自分で作ることができると、信じているあるひと

りの若者がいた。彼は将来、起業を起こし成功することを夢み

て、学校の勉強はそこそこに、起業資金を作るため、朝起きると

新聞配達、夜は皿洗いにと朝から晩までアルバイトに明け暮れ

た。それをひとつのカンカンに詰め込んで貯(た)めていた。

住まいも安いおんぼろアパートに暮らしていた。そこの大家さん

である、おばあちゃんと毎日顔を会わすたびに、明るく元気よく

「おはようございます」「こんにちは」とにこやかに

あいさつを交わしていたのだ。ある日の事、仕事から家に

帰ろうとするも、家の近くに多くの人だかり、どうしたの

だろうかと見上げると、アパートがあかあかと火の手をあげて

燃えているではないか、あたふたとするまもなく、アパートは

全焼で何もかも燃え尽きて、彼はすべてを失った。当然あの

貯金の入ったかんかんも・・・ 彼が落胆して落ち込んでいると

大家のおばあさんが彼の前にやってきて、こうおっしゃった。

「こんにちは」微笑み「これ、残っていたよ、良かったねえ」

と、彼のあの例のカンカンを手渡したのだ。彼はやっぱり

《自分は運がいい》との確信に至り、

《運は自分で作る事ができる》との信念のもと、

それからも明るく元気にあいさつを続け、前向きに生活を

していた。まもなく彼は起業をして、小さいながらも

会社を経営して優雅に暮らしていた。話しはここで終わらない。


彼は秘書の採用面接をしていると、あるひとりの若い女性が

やってきた。履歴書を見ると、かつて自分が住んでいた、あの

アパートの近くに住んでいた。彼は彼女にくだんの火事のことを

語って聞かせると、彼女はもの静かにこう言ったそうだ。

「実はわたしも似たような話しを、聞かされたことがある

と」「おばあちゃんは、アパートを経営してたのだが、ある日

火事で祖母のアパートは全焼したそうで、その時に、そこに

住んでいたひとりのアルバイトに明け暮れたいた学生は、貯めて

いた貯金も失って、大きくがっかりしたようで毎日肩を落とし

ていた。しかし、祖母は、それからも、明るく元気にあいさつし

てくれる彼の姿を、見るに忍びなくなって、焼け跡から似たよう

なカンカンを見出し、少しの気持ちばかりに金額を多めに入れ

、その学生に手渡してあげたそうですよ」との話しであった。

彼女はその大家さんのお孫さんであったのだ。彼は自分は運が

いいのではなく、それは、おばあさんが自分を気にかけてくれ

た、ただの《好意》であることに気付いたのであった。あのおば

あさんは、自分のアパートを失って、悲嘆にくれているのも

関わらず、他人を思いやってくれた。彼は、していただいた親切

に感謝するとともに、それを思い出しては、目頭が熱くなって

泣けてきたそうだ。その後、彼は、運が開けるとは、

人の心が開くことなのだとの考えに変わったそうだ。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。笑ってよろしくです。


 

 

ひさびさ

前年、4歳になった男の子が昨日我が家に遊びに来た。

(たびたび、登場するので、今さら、説明は不要だろう)

玄関口で、顔を見ると満面の笑顔でイスにかけている

小生のところまで走り寄って来た。

「おいちゃん、おみやげ(土産)あるよ」とうれしい言葉。

母親のところまで戻り、手に提(さ)げて返ってきた。

「ありがとう」にっこりと微笑み返す。見ていた家内が

「おばちゃんには? 」と聞くと、素知らぬ顔で即座に

「これ、おいちゃんと一緒に食べて・・・」と、

家内に視線を送りふたたび、にっこりと微笑む。その後

テレビ棚のすみに何やら見つけた様子で、寄ってしゃがみこんで

つかみとって、小生まで寄ってきて、拾った小さなホルダー

のようなものを、親指と人差し指ではさみつかんで

小生の目の前でぶらぶらと揺らせながら、こう言い放った。

「おいちゃん」と呼びかけ、ためて、ためて、

ゆっくりと、はっきりと、目をみつめながら

「これ、だいじ(大事)な、もん・じゃ・ない・のーー」

彼は得意げに、なかば、あざけるようにニタニタしていた。


以前から所属するある団体に、久方ぶりに見かけた女性との

会話。「お久しぶりですね」「ですね」

「お元気そうで何よりです」「ありがとうございます」「おかげ

さまで」両手をひざに、お互いおじきしながら笑顔で応える。

その女性はひと言で申せば、さしずめ《ザ・美人》と言えるかな

目鼻立ちの整った、人がらもさばけた足の長い40代二児の母親

スカーレット・オハラほどのしなやかな強さ。

オードリー・ヘップバーンに勝るとも劣らない品の良さ。

マザー・テレサばりの慈悲深さ。

一緒にいるだけで安心感といやしに包まれ

ほっこりさせていただけるほどの幸福感。

彼女を見かけるだけで、心にさわやかな風が吹き抜ける。

うれしくて思わず声をかけずに居られない。楽しませてあげたい

彼女に目線を送り呼び止め、

「ケチでバカな男の話し」「しましょうか?」「聞きたい? 」

「はい・・・」語尾が上がり、何だかけげんそうにしている。


「昔のころの江戸での話し、ひとりのケチでバカな男が居た。」

「はい、それで? 」「その男が、長屋のご隠居さんに呼び止め

られて」「てめえ、みっともねえたらありゃしない」

「おい、いい年して、鼻くらい《かめ》ってんだよ」

「ですけどねえ、紙がもったいねえでしょう? 」

「もったいねえだと、」「じゃ、良い事、教えてやろう」

「へい、何でしょう」「あのな、一回鼻かむだろう」

「鼻かむだろう」「その紙、すぐに、捨てるんじゃねえんだよ」

「へい、どうするんで? 」「ここから大事だからよく聞けよ」

「へい、」「鼻をかんだ紙を、よく洗って、乾(ほ)すんだよ」

「へい」「よくかわかした、その紙で・・・」

「へい、よくかわかした、その紙で・・・」

「よくかわいたその紙で・・・」

「そう、その紙で、おしりふくんだよ」「へい」

「1枚の紙で、2回使うから節約にもなるってすんぽうよ」

「な、どうだい? 」「いいですね」「そうだろうそうだろう」

いいことを聞いたと思った男はさっそく、行動に移すことに・・

それからしばらく後のこと。通りで出くわした男にご隠居さん

が問うた。

「てめえ、まだ鼻たらして、みっともねえやつだな、ほんとに」

「紙がもったいねんで」「何、もったいねえだと」

「前に教えてやったことすりゃいいだよ」

「へい、あっしも、やろうとしたんですけれどね・・・」

「お、やろうとしたけど、どうしたんって? 」

「それがねえ、(順番)じゅんばん、まちがえちゃってねえ」

「それから、一週間も、(臭)においがとれねえたら」「とれね

えたら」「困ったもんでして、弱った、よわっちゃったよ」

「てめえわ、ほんとのバカだなあ」

「あきれたご隠居さんが言ったそうな。」


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。笑ってよろしくです。


彼女は何とも言えない、不快そうでもあり、おもしろくもあると

言った、表現の難しい表情で、でもニタニタしながら、

小生から離れ、仕事に戻った。


 

(Blog to Soul)水素風呂と時代劇と音楽を愛する左半身麻痺の塾講師