WordPress(ワードプレス)のPlugin(プラグイン)で問題発生

ブログの更新が三日間続いていました。今日も更新しようと活き込んで、調子に乗っていたある時突然

またまたログインできなくなりました。また何か問題が発生したのだ。もう時間がないし、三日坊主で終わってしまうと覚悟しました。


Fatal error: Out of memory (allocated 126877696) (tried to allocate 122880 bytes) in /home/rslitefc2/users/taiyohanasaku/public_html/koji/wp/wp-admin/includes/class-wp-plugin-install-list-table.php on line 210


と初めて見るメッセージに困惑しました。当然ネットで調べました。でも手の施しようがありませんでした。

10時頃、早速レンタルサーバーへメールにて連絡を取りました。事の詳細を記載するとほどなく真夜中の5時頃メールにて問題原因と解決策を教えて頂くことが出来ました。

そうそう作業を開始しましたが指摘のファイルが見当たらず作業がなかなか進まず途方にくれたまま朝を迎えました。


仕方なくもう一度、進捗状況を記載してメールを送信しました。難易度の高い問題で苦労しているのか、それとも日曜日をはさんだため、

担当者が休みかもと思い月曜日の本日まで待ってみることにしました。しかし結局昼過ぎまでメールは届かなかったのです。

もう自分で何とかしなければと思いました。前のメールの中身を何度も読み返し問題究明が明らかになっているので自分でもじっくり取り組めば何とか出来ると信じました。


参考までにレンタルサーバーからのメールの記載を貼り付けます。

「確認をいたしまいたが、おそらく多数のプラグインの導入により不具合が起きている可能性がございます。

ログイン後、不要なプラグインを削除、または無効にし管理する事をお勧めいたします。」

以上の記載より判断して解決策を仕方なく自分で見つけようと考えました。

まずプラグインはオプションのため、絶対必要な項目ではないから、問題になっているプラグインを無効にするとログインできるかもしれないと考えました。そしてそれが正解で問題解決へと導いてくれました。

しかもインストールしたプラグインは幸運なことにディレクトリごとに分割されていました。

最も問題発生の考えられるプラグインからディレクトリに入りファイルの中で最も主要であろうファイルのひとつをリネイムしてみました。

これが最後の処理でした。


問題発生のあるプラグインをスルーすればログインできるかもしれないと考えました。全てが正解でした。

再びログイン画面から入力しました。予想と策が当たったんです。


無事ログイン出来ました。しかし今の状況ははただ、投稿だけが出来るようになっただけです。

まだプラグイン機能が全く使えない状態なので、問題項目のプラグインを機能停止か削除しなければ完全な問題解決にはならないのです。

早速インストールされているプラグイン項目にアクセスし問題になっていたプラグインを見つけました。

そこの項目に削除を見つけ早速クリックしました。問題項目のプラグインのみ削除に成功しました。

ネットでワードプレスで必要最低限項目のプラグインを見つけ、それらの項目だけ残し残りは全て削除しました。全て削除できました。

それですべて成功、完了したと認識しました。


早速ログアウトして再ログインしてみました。問題なくログイン出来ました。

そして今現在投稿できてます。自分ひとりで解決できました。さすがに今回は無理かもと思いました。

それでも諦めずに考え続けて解決できました。達成感いっぱいです。


 

食べる事は一番の楽しみ

僕が小学6年生の時に白黒テレビがカラーテレビに変わった。チャンネルも一つ増えた。中学1年生の時、固定電話がやっと我が家に付いた。

そして、小さなモーター音のうるさい冷蔵庫、すすぎ、脱水が不十分な半自動洗濯機、前輪が一つの小さなトラック車両から家族5人みんなが乗ることができる国産車。

まだまだ不便はいっぱいあったが、今振り返ってみると時代の変わり目だったのだろう。

知り合いや近所も、ほぼ全家庭が同じような状況だったろう。

しかもお金持ちでも普通の家庭でも国民はほぼみんな豊かさを享受でき始めていた。一ドル360円のレートが変わり始めていたのだろう。

そうお金持ちでも一般家庭であっても便利な機械などはそんなに大差なかったと思う。エアコン、クーラーの存在はよくわからないが。


しかし食事は別だだったろう。お金にものを言わせれば、お金持ちは相当贅沢な食事は味わえたであろう。食材を海外から輸入で取り寄せてでも。一般の家庭ではそういう訳にはいかなかったはずだ。

それでもバナナは少し安価で手に入り始めていた。

昔は食事の内容はお金持ちの家庭と一般の家庭では食事内容は大きく異なっていたはずだ。食材はほとんど国内産で高価だったろうに。

だから僕も家内も今のような、それほど豊かな時代に生まれ育っていないため、食事は必ず家庭料理、外食なんてもってのほか、

一番の好物はカレーライス、ざんき(トリカラ)くらいでした。今でもそうです。今の一番は焼肉かな。

だから今でも、食べることに関しては、二人ともかなり貪欲。外食時は結構もめます。

いつの時代でも我々の一番の楽しみは食べる事なのです。


僕は初めてもらった給料を持って、友達と大阪なんばの商店街を歩いて、美味しいものを腹いっぱいと考えていました。

一皿100円の看板を見つけ、初めての回転寿司で腹いっぱい美味しい寿司を食べれた幸福感を味わうことができました。大満足でした。

選択の基準は安くて早くて、好物な物を大量にです。


今日は家内が早朝より仕事で外出のため、負担軽減のため朝食抜きました。たまにはありでしょう。

朝昼兼用でチェーン店の小さなお弁当です。見た目はともかく栄養バランスの悪い食事ですよね。自分でチョイスして買ってきてもらってますが。でもこれで十分なのです。

前日の夕食は食べ過ぎですし、今日の夕食でカバーすれば大丈夫。たまにはこれもありです。いつも栄養考えてもらってるから。

でもこの弁当、色どり見た目もだめですね。食事は見た目7割、味3割、特に弁当はそうだと思います。中学校当時弁当のおかずは意外と、自分で詰めたりしてました。

でも好物のトリカラふたつにエビフライが入っているだけで幸せ。しかもふりかけ付で380円です。安上がりでした、コスパは良すぎ。

野菜不足は青汁で補ってます。

しかも自分一人ぼっちの食事タイムです。BGM流して自由この上なしです。ストレスなしで美味しい楽しい食事が一番です。


現在のような豊かな社会ならお金持ちも一般の家庭も食事内容は大差なくあまり変わらないですよね。

子供のお年玉の金額、一万円程出せば、今ならだれでも流通しているメニューの殆どは口にできるでしょう。

料理人や場所によって味や値段には少しはバラツキはあるでしょうが。


お金を使えば、贅沢をしようと思えばいくらでもできますが、そこまで毎食美味しいと思って食事できるか疑問です。

むしろお金持ちの人たちよりも一般の人たち我々のほうが、たまの贅沢で美味しい食事を、より美味しく楽しめ幸福ではないでしょうか。


飽きることが無ければ我々の毎日の食事もインスタントでも十分なのです。下手な料理人よりはるかに美味いものがあります。

ちなみに僕の今日の弁当のトリカラもエビフライもふりかけも青汁野菜もインスタントです。白米もそうかもです。

健康に害が無ければ僕は何一つ不平不満もありません。むしろ料理の待ち時間が短くてこちらで結構です。

そしてめったにない、たまの贅沢で焼肉や居酒屋で大好きで美味しい料理を頂くのが一番の幸せです。


我が家では今年のクリスマスの料理はすでに出来上がっています。冷凍室に保存されています。

ネット通販で買いました。昨日クリスマスケーキが届きました。auショップで割引特典で購入しました。

大みそかの料理も僕は出来合いの料理でも良いのですが、家内は鍋料理を作って締めに年越しそばを食べると言っています。

ですから年の最後くらい風呂を頂いた後で、冷えたビールで二人でのんびり紅白視ながら、楽しく鍋をつつこうと思っています。


食事は少しづつ口に入れて30回以上噛むように意識しています。

美味しい食事はもちろん大切ですが、医食同源の言葉どうり、食事による健康な身体作りも大事にしています。

何事も身体あってのもの種ですから、まだあと35年程この世界に未練ありますから。

独身時代から自由になる収入の半分以上は食費に充ててました。今でもそうしたいと思ってます。

エンゲル係数って豊かさを測る指標がありますが、我が家はこの20年ほぼ横ばいでしょう。


欲張らずむこう30年として30×2×365=21900回、一日に2回の食事を摂るとして

むこう30年で2万回強、うーん、粗食一万5千回、残りの5千回は好物の食事に充てようかな。その内2千回は洋食、残り和食。

計算どうりにならないでしょうが、これならバランス取れて医者いらずで大丈夫かも。


 

鬼平に代表される日本人の好む人気作品

最近テレビを殆ど無駄に視なくなりましたが、それ故にお気に入りの番組はほとんど逃さず視聴します。

朝の連続テレビ小説、大河ドラマ、吉本新喜劇、相棒は欠かしたことはほぼないですね。

音楽番組も時々視ます。


その中の一つに時代劇の鬼平犯科帳もあります。ほとんどがBSテレビの再放送による放送で新作が年に一本あるかないかでした。

当然といえば当然であります。ご存知のように鬼平は実在の人物なのですが、他のヒーローものと同じでノンフィクションの愉快痛快話がそれほど残っておらず、池波正太郎氏によるフィクションものなのです。

原作者が他界した現在、他者による類似作品を良しとしないスタッフの意向で今年2016年をもって新作はもう二度と作られないとのこと。ファンとしては本当に寂しい限りです。先日最終作品をビデオ録画で保存しており、本日視聴しました。やっぱり面白い楽しい。


表題が鬼平なので、悪人を鬼人のごとく情け容赦なくたたっ斬ると思われがちですが、人間の心情、人の心や男女の機微もよく表現されていています。

法律がきっちり整備されていない時代背景だからこそ、様々な意味で自由度を広げており、作者の創造力をかき立てたであろうと思います。

特に上の人間の裁量が問われる決断や結末において、変幻自在の展開のおかげで、鬼平が時たま仏の顔を見せる等多彩に富んでおり

情けのある裁断を下す結末が特に好きでほろっとさせられます。しかし根っからの悪人は必ず最後は成敗されます。


フィクッションものは勧善懲悪ものが分かりやすくて単純明快でよろしい。視終わった後、気分も爽快でストレスが残らず大好きです。

史実なら仕方のない表現もあります。しかしながら時々結末の白黒をはっきりさせないで、玉虫色でうやむやに終わらせたり、

その後の結末は個々の視聴者の想像や想いにお任せします的な視聴者に結末を丸投げするような作品がたまにありますがあれはいやですね。そんな作品を作った監督の作品はその後はほとんど視ないようにしています。


ノンフィクションなら仕方がないところもありますが、フィクションものなら恋愛ものでもなんにしてもハッピーエンドが絶対一番でしょう。


構成がしっかりしている作品としては朝日テレビの相棒も良く仕上がった作品ですよね。今から正月の放送が楽しみです。

ただし鬼平と少し違って全ての分野においてほぼ完璧に整備されている現代の社会背景が災いして、隙や自由度があまり無く遊び心も少なく、少し窮屈な結末が稀にあると思います。


しかしながら右京さんの無尽蔵ともいえる知識には脱帽させられるし、冴えわたる推理には当然と分かっていても圧巻であります。

加えて自分の信念を決して曲げず、上役に媚びへつらわない態度は見習うべき姿勢として自戒しています。かっこよくて痛快です。

人気の秘密がわかりますよね。ご存知のように上述の2作品は国民的ドラマと呼ばれるほどの人気のある作品です。


NHKの番組や新喜劇は数十年の習慣化で、毎日そして週に一回の小さな楽しみなので悪しからず。本当にただのストレス発散なのです。


話は全く変わりますが、僕自身は今もこれからも自由な人間なんだと当然思っていました。もちろん様々な制限付きではありますが。

しかし人間って自分自身で思っているほど自由ではなくて、

特に何ものにも縛られず自由に行動や考え方を毎日瞬間瞬間、選択しているようであっても、

実際は行動の殆どは何かの縛りに結構支配されて選択していることが、テレビを視るという行動一つにおいても考え直させられました。


ひとつは長年にわたる生活の習慣化による縛り。

もうひとつは(生まれてからの避けられない生活行動による刷り込みみたいな偏った思考認識)文化や環境や社会や歴史的背景による縛り。

僕の場合は上述の二つが好みの選択基準に影響しているようです。


僕に限らず他の人々も似たり寄ったりの好みの選択をしているかもです。


 

音楽、歌の良さ


今、僕のスマホの全容量の内2GB近くの容量は音楽が100曲以上入っています。

それほど音楽が好きでよく聴くってことです。寝るときにも音楽流して眠りにつきます。起きたときにも割と大きな音量で音楽が流れているのが当たり前です。

おそらく浅い眠りで身体に悪いかもしれませんがそれが長年、習慣化してしまってるため、今更やめる強い意思がないのです。


テレビを視ることが少なくなった分、好きな音楽をBGMとして聴く機会が多くなりました。歳をとったせいか最近の流行りの歌より昔の歌を聴くことのほうが多いです。

中学生の頃から今現在に至るまでほとんど洋楽しかもアメリカのポピュラー音楽が大半です。

1972年頃、ご褒美で父親に初めて買ってもらったラジオ付カセットデッキ(通称ラジカセ、たぶん2万9千円位だった)にFM放送の音楽番組からカセットテープに殆どの洋楽を録音し、コレクションするのが趣味、楽しみでした。

そしてカバー表紙や曲名をデザインして、棚に並べて眺めては一人悦に浸っていました。

特にお気に入りの番組は毎週日曜日の夕方6時から7時までの全米のビルボードヒットチャートの音楽番組でした。(不覚ながら番組名は忘れました。)出来上がったテープを次の日曜日まで学校以外はほぼ毎日四六時中聴き入っていました。

その当時カセットテープ一本500円程、学生の僕にはもちろん高額でした。それで2、3本のカセットテープに録音した曲を十二分に何度も聴きこんでました。

十二分に聴きこんだら消去する。そして新たに他の歌を録音して再び聴きこむといった具合で使いまわし使用してました。

お気に入りの曲は2、3本のカセットに保存したまま本棚に残して置きました。

20年程前当時のカセットが実家から出てきて懐かしさのあまりsonyのウォークマンで聴き返しました。あ、こんな歌流行っててよく聴いてたなと当時の記憶がよみがえってきました。


記憶にあるところで参考までにに曲名は、

シカゴで愛ある別れ、
リタ.クーリッジでみんな独りぼっち、

原曲はボズ、スキャッグス

トトでホールド、オン、ザ、ライン、

おまけで杏理のオリビアを聴きながら(初期バージョン) 杏里、懐かしーーーー


音楽、歌の良さって人を癒す、落ち着かせる、精神状態を安定させる。

真逆のところで気分を高揚させる、調子づかせる、覚醒させる等がありますよね。

植物や幼児の発育にも影響を及ぼすとか。仕事がはかどる時もあります。

私のような高齢者にとってはもう一つ、音楽、歌の良さは、後になって聴くと当時の記憶がよみがえるところですね。


そして苦い思い出も甘い思い出も当時の映像とともに割と鮮明によみがえってきます。

当時の歌を聴くと脳裏に浮かぶ光景のひとつは、

初めての都会で、日常目にするようになったネオンの明かりに照らされ輝くビル群や商店街

そしてそこを交錯するシックな装いのおしゃれな人々。そんな憧れの彼らの一員になろうともがき始めていた当時の自分。

僕はどちらかといえば苦い辛い記憶がよみがえってきます。

ところが、歌を聴きながら思い出すのは、その切ない、わびしい、寂しいと思い込んでいた記憶が、

歌のメロディーにいったん乗ってしまうと妙に離れがたくて、置き去りにしておけない、懐かしくて、不思議と忘れたくない

自分にとってとってもとっても大切な良い思い出、古き良き時代になるから不思議です。

そう言えば当時、お金なんて無くてろくなもの食べてなかったな。でも仲間がいて夢や希望がいっぱいあって元気で自由で、毎日が楽しかったよな。みたいに。


今、スマホで映画FMのサウンドトラックの

主題曲スティーリンダンのFM

を聴きながら、1980年当時を思い出していました。

映画はともかくサウンドトラックのアルバムはここ日本国内でも意外とヒットしたと記憶しております。

とりわけ当時よく耳にした曲がフォリナーの青い朝


そういえば、この年の12月8日にジョンレノンが撃たれたんだ。

これは悲しい

無かった事にして欲しい現実の記憶。

哀悼の意を込めて、ジョンレノンでビューティーフルボーイ


《注意》リンクは視聴で楽しむ以外の行為はご遠慮下さい。

シンギュラリティー、技術的特異点(第二章)

技術的特異点は一世紀程前から議論されていたことらしいが、自分はここ最近知ったことです。

しかしこの歳になって改めて将来のことを考えるようになり、未来を予測しなければ生き続けていけない、勉強しないと世間から置いていかれるぞ、て感じて毎日テレビ見て何もしないで年を取っていく虚しさの恐怖に襲われ、生き方を変えなければって考え始めました。

それで最近はテレビは一日一時間程と制限つけてます。でその代わり本を読んだり身の回りの整理、ストレッチ体操等をしています。


ムーアの法則によると一年と半年で半導体の性能は二倍になっていく。30年後には単純計算で、30÷1.5=20、だから2の20乗、つまり約100万倍の性能になる。あくまで計算上のことです。現実にはそこまではいかないでしょうが。

現在のコンピューターがおよそ100万倍の性能アップになったとしたら我々の生活はどうなるのだろうか?そんな事を最近よく考えるようになりました。

今から30年程前、携帯電話、インターネットが出始めの時代から、現在のスマートフォン、ネット社会が当たり前のような常識、価値観の大きな変化が起こり続けている現在。

我々は当時から現在も生き続けているから大きな変化とは感じないかもしれないが、後になって歴史のひとコマとして視ると相当大きな変革であろう。

コンピューターの性能がおよそ100万倍向上するであろう30年後は現在よりもさらにもっと大きな常識や価値観の変化がやってくるだろうと思われる。生き続けている我々には残念ながらその特異点は認識できないであろう。

そんな特異点が仮に予測し認識できたならば、現代の人々の生き方も社会の仕組みももっと良い方向に変わって行くはずでしょうに。

そうそう簡単に未来を予測できないのは、いつの時代でも当たり前ではありますが。

しかしそんな未来予測も30年後までには出来るようになるかもしれない。


先日本で読んだが、作物の収穫は、光の当て具合、環境の調整によって一年間に24回は収穫できる、とある有識者が述べていた。

もしそういう時代がやってくれば世界中の人口約75億人が飢えることはなくなるそうだ。


ここで自分自身が想い描く未来予想図の一つに、優秀なコンピューターの制御により、食料の需要と供給のバランスをほぼイコールに調整するように過不足なく生産すれば、無駄なゴミも減少するだろうし、自然保護にもつながると思われる。

そして生産と製造分野の殆どを人間と同レベルのAIロボットに行わせる。人件費はかからないし、装置のメンテナンス費用だけで済むだろう。

それらを全て国が運用し、緻密が必要とされる作業だけを人間が行う。


結局30年後くらいには、すべての分野の作業において、現在我々が行っている仕事の殆どがAIロボットが担うようになってしまうかもしれない。

当然宇宙旅行は当たり前になるだろうし、地球が人類の故郷の星になり、新たな居住地を求めて宇宙のどこかの星に人類が住み始めるかもしれない。我々は地球区の日本という小さな地域の住人と呼ばれるようになるかもしれない。


そしてもしAIロボットが人類の英知を超越し、人間の仕事のほぼ全てをロボットが行うようになったとしたら、人間の存在理由はあるのだろうか?人間はただ生き続けるためだけに生きるようになるのかもしれない。

そしてAIロボットが人間のDNAすら書き換えて人間のコピーを作るかもしれない。

最悪な事態とすれば、人間は寿命がなくなり死ねなくなるかもしれない。人間の一番の悩みは死ねないことなんて笑えない世界がやってくるかもしれない。

しかしそんな事態がやってくる前に、神様の怒りに触れて、人類滅亡とか、太陽系が爆発するとか、ブラックホールに飲み込まれるとか、神の存在が明らかになるとか、宇宙全体が数百億年前まで何かの拍子にタイムスリップしてしまい、聖書でいうところの創世記に戻るとか、人類とはまた違う種類の生き物が出現してこの地球を支配するかもしれない。

想像は尽きないが、どのようなシナリオが描かれるようになるのかは時の流れを待とう。

ひょっとしてシンギュラリティーなんて技術的特異点自体がやってこなくて、そのすれすれのところで、何か特別な別の特異点があるかもしれない。

それは技術的な何かではなくて、我々の想像もはるかに超えたところの何かなのです。

技術革新により時代の変革の周期が短くなっているだけに一日一日を大切に無駄に過ごせないと思わされた。

それだけにシンギュラリティーの時期と予測される2040年から50年頃まで、僕が80歳から90歳までは生き永らえて見届けたいと思う今日この頃である。


《追記》

投稿して一時間後、再度読み返してみて、未来は明るい未来であってほしいはずなのに、悲観的すぎる未来なので、明るい未来も考えてみました。


仕事の中で煩わしく単調で厄介な作業はすべてロボットが行い、有意義で創造的で進歩的な仕事は今まで通り人間が行い、ロボットは手助けの範疇で当然あくまでも主体は人間なのです。これって都合良すぎですね。ロボットが怒りますよね。

余った時間は楽しみや癒しの時間となり、ゲームや遊びの種類と場所も増えます。

スポーツや音楽だけではなく、遊びが職業になる時代が来るのでしょう。人間の仕事がロボットに奪われるのではなくて、

言い換えれば、生活のために仕事をするのではなく、今でいうところの仕事をしなくても生活できるような時代になるのです。

そして時間を対価にして生活の糧を得る必要がなくなるわけだから、人生がもっと豊かで充実して、自分の本当にやりたいことがやれて(法律の範囲内で)自分らしく楽しく笑顔で幸福な人生を送れるような時代がやってくる。

細かい問題は省くとして、そんな未来も考えられるでしょう。少し大雑把ですね。

でも未来予測に正解なんてありませんから、個々人が自由に考えて楽しむのもありでしょう。

もっと細かく詰めることができた時にはまた投稿します。


 

シンギュラリティ(技術的特異点)に観る未来像(第一章)

少し前にネットサーフィンしてて、近未来の世界はどうなるのか?その中で特に気になる未来像を見つけた。その世界(未来)を見届けるまでは死ねないと思った。最近の技術革新から判断すると30年後、40年後には、どんな未来がやってくるかなとわくわくしている。


その未来は、グーグルの技術者によると、まず数年後には、人類の殆どの情報がデータベース化され、検索エンジンがもっと進化を遂げて、長い文章や様々な問題にも対応できるようになるそうだ。


そして、半世紀内には、コンピューターの技術革新が今のペースで進めば、人類の最後で最高の発明が数十年後にやってくる。それはAI(人工知能)らしい。その人工知能が自分よりさらに優秀な人工知能を開発する。それを階段を上るがごとく続ければ、人類の未来はどうなるのか想像もつかない。その最初の第一号の人工知能を開発した時をシンギュラリティと呼ぶらしい。人類にとっても大きな分岐点になるだろう。その人工知能は宇宙誕生前からの歴史も把握しており、全人類の脳もはるかに凌駕しており、どのような問題に対しても、あらゆる情報にほんの数分でアクセスし、わずか数時間で自分で学習し、数秒で最も適切な答えを出す。そんな未来がこの半世紀の内に訪れるらしい。


しかしながらここで問題なのは、人間の脳より優秀な人工知能が作られるのかどうか?神が人間を作ったのだとすれば、その人工知能は神かそれとも神以上の存在ということになる。


仮にその人工知能が人間以上ではないとしても、究極のレベルまで到達すると、我々の生活は大きく変わっていくだろう。、、、、、次回へ続く、、、、、


問題に直面WordPressにログインできず?!

初めてブログを書き出して一週間程で問題発生!ログインできず?

出来る限りブログは毎日更新しようと活き込んでいた矢先、水を差された状況でした。とにかく自分で出来得る解決策をネットで調べ試行錯誤を繰り返しましたが、原因が把握できず、結局自分ひとりの力では解決できず、レンタルサーバーへ問合せをして、原因解明と対処を教授いただき無事に再開出来るようになりました。せっかくなので、ここで私が理解できた範囲で言及しておきたいと思います。自分自身が忘れないためにも。


ブログをするソフトはWordpressが一番という情報によりWordPressを使用しようとレンタルサーバーからインストールしようと思ったのですが、ルートディレクトリであるpublic_html直下には簡単にインストールできそうでしたが、私はブログを二つ設置する必要がありpublic_htmlの下のサブディレクトリに二か所手間がかかりましたがftpソフトでWordPressをアップロードでコピーしてインストールして使えるようにしました。初めの二週間程はなんの問題もなく、ログインでき使えておりましたが、先月の上旬ごろから突然ログイン画面が表示されず、403forbiddenとなり、ログイン画面が表示されなくなり、困惑していました。

ただネットで調べれば簡単に解決できるものと当初は楽観としておりましたが、手を尽くすこと一週間解決の糸口が見えず、毎日の業務優先で、これといって手を付けずに置きましたら、家内からブログが書けないので早く解決してほしいとの懇願があり、再度取り掛かることにしました。もう自分一人の力では限界と判断し、サーバーにメールにて連絡を取り2、3回のやり取りだけで、原因究明と解決策が解明し、直ぐに問題解決につながりました。WordPressはルートディレクトリにインストールするならともかく、サブディレクトリにインストールする時は、注意が必要。問題は.htaccessファイルに問題があったようで、このファイルがWordpressのアクセスに制限を掛けていた。ルートディレクトリの.htaccessファイルにWordPressが許可も求めており、ファイルが認めないことが原因らしい、そこでこのファイルの名前を変えるとよろしいとのことで、実際ファイルのリネエムをすると、ログイン画面が現れ、直ぐにログインでき解決。


塾長近藤浩二の一言 《WordPressをサブディレクトリにインストールする時は、注意が必要。》


 

行事の意味合いはあるのか?

本日10月31日です。そして明日は11月1日です。

ある人種におけるの新年の始まりとされ、

収穫祭のハロウイーンの始まりとされていると、ウイキペディアにありました。

それがどうでしょう。一昨日の土曜日に地元の商店街で、昨日は県庁所在地の松山で

ハロウィーンのイベントが大々的に催されていました。


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日本の正月を1月1日以外にやっている地方があるだろうか。いくら海外のイベントだからって、クリスマスイブを12月24日以外に実行する人が国内にいるのだろうか?でもハロウインは別ってこと。そこの判断、根拠は何なのか?

休日にすれば、集客が見込め、現場が活気づくからの判断だけだろう。

もう一つは、ハロウインの言葉やその内容が認識不足で定着していないためだろう


それで商魂たくましい人達が、ハロウインの言葉と仮装の楽しさ、面白さで参加を呼び込み、人を集め、人が集まれば、そこにはお金が落ちるからってことだよね。

経済効果のあることには、反対や意義を唱える人は少ないよな。


宗教的な意味合いをそれほど取り上げない日本人ならではって感じかな。

日本の行事以外で海外の行事で日本に定着したものって、クリスマスとバレンタインぐらいかな、それに数年後には10月末にハロウインも定着しそうな勢いだ。





わが町伊予西条でも秋祭り10月15、16日の日時は神社のお祭りだから、動かすことができないが、祭りに付随する行為が節操なく行われていることに、僕はうんざりしている。

個人的には、子供の頃は、治外法権的に道路を歩いたり、おいしいものを食べて、大好きだった。

しかし最近は若者のマナーの悪さに、嫌気がさしてきた。

加えて神さんを先導する屋台を掻き揚げる人達の接待として、花代、つまり現金を差し上げるのであるが。一般の民家なら、子供のおこずかい程度で十分なれど、屋号を出して商っている場所なら、そういう訳にもいかない、総数100台近くに全て差し出すとしたならば、相当な金額になる。

祭りの二日間内で市内全域を回り歩き花を集めきることは不可能なため、祭りの数日前より在宅であろう時間帯の夕食時に来訪し、花代をせがむのである。これには閉口である。

祭り二日前に、とある居酒屋で食事中にはっぴを羽織った若者二人が当たり前のごとく、花代を要求していたことには、あきれ果てた。やってることはやくざと同じだ。恥ずかしいことだ。

そんな当たり前のこともわからない、マヒしている。正常じゃない。

楽しむことも大事だが、本来の意義を再確認、認識してして宜しい行為とそうでない行為を常識的に判断し謙虚を取り戻しこんな行為を慎んで欲しい。


今、テレビで東京では、ハロウイン本番の本日盛り上がっています。と仮装した人達がパレードで楽しんでいる。


確かに世の中は矛盾だらけだ。不合理で、理不尽なこともいっぱいだ。

しかしそんな中でも、行事の本来の意義を理解し、しっかりと後世に伝承していき、

しなければならない行為と、してはいけない行為の区別を一人の人間、大人として、ルールにのっとり、人間として恥ずかしくない行動をとってほしいと思うし、自分にも戒めていこうと感じた日であった。


 

なんとも不思議な話(最終編)

四足の珍獣(現在では珍しいですが、自分ももう20年以上見てないですよ。

ひと昔前には割とよく見かけました。)その珍獣って何でしょうか?みなさん想像してみて下さい。


そんな事があったにも関わらず数日間は、自分達も忘れているように過ごしていました。

でもある夜中、寝付きかけた時、「ガリガリ、ガリガリ」と奇妙な音が聞こえてくるじゃありませんか。寝床の部屋の明かりを点けたその時、「トントントン、トントントン」って音に変わったんです。何かが二階に上がったかな?って思いました、ゆうれいじゃないよな?足があるんだから、でも気味が悪い。その夜は、

一階の雪隠に行き、また寝ました。次の日の朝、珍獣の正体が想像できました。


本日はここまで。to be continued,,,,,,,,


《最終章》

翌日廊下に掃除機をかけていると、ある一本の柱の下部5センチ程の位置を何かで引っ掻いたような傷がついていました。

ネズミが爪で引っ掻いた痕だろうことは直ぐに合点がいきました。駆除方法を検討しました。


生け捕りはトドメを差さないといけから性に合わないので、ドラッグストアーで毒殺用食料を買い込みました。

小学生の頃、ネズミの生け捕り用金網にネズミが一匹生け捕りされているのを朝目撃し、下校時家の近くの通学路の側の川に息絶えている金網の中のネズミを見たときは気分が悪くなったことを思い出しました。母が入れたそうでした。

そんなこともあり駆除用餌をキッチンの隙間に2袋配置して、ダイニングの扉を開けっ放しで数日様子を視て配置位置を変えたり、食材袋を交換する等数回しました。

駆除方法の選択肢がすくないため、家の中の何処かで息絶えた死骸を発見するかもという悪夢も考えられましたが確率は低いと希望的観測の下の決断。今から思うと最適な方法でした。

2週間程後、食料袋が破かれて中の食材がはみ出ているのを確認し、その後2週間同様に罠をし続けて破けた袋を再度確認して、その後数日はネズミの存在気配を感じなくなったので、罠は取り除きキッチン周りを綺麗に片付けました。

そして今現在に至ります。その間にはほぼ家全体をリホームもしました。


その後、なんとネズミはおろかゴキブリすら見かけなくなりました。我が家から害虫、害獣は駆逐されたようです。バンザーイ!!


 

やさしく歌って

夜中のBSのテレビ番組で稀代の名曲はいかに生まれて育って広く世に知れ、有名になったか?

取り扱っている番組で、その夜はロバータ、フラックが歌って大ヒットした、バラードの名曲「やさしく歌って」に焦点が当てられていた。





自分も何度も耳にして、よく聴いた歌でお気に入りの歌だったので経緯が気になり最後まで視聴した。

原曲では、「彼の歌で私をやさしく殺して」と少し衝撃的な内容ではあるが、邦題の「やさしく歌って」はうまく付けたなと感心した。歌詞が先で別の人が後でメロディー附けたらしい。

経緯はこうだ。その女性がある有名な男性歌手のライブを観に行き、ある歌を聴いてた時、その内容が、まるで自分自身の昔の事のようで、なんだか古くて懐かしい痛みを感じたそうで、心をちくちく刺されたようで、痛みを感じながらも、とても懐かしく、思い出を蘇らせてくれた彼の歌に酔いしれたそうだ。それでその女性実はシンガーソングライターはその場で店のナプキンに歌詞を書き留めたそうだ。



それで歌詞の骨組みが出来上がったそうで、女性歌手がアルバムをリリースする時、曲数が不足したので、穴埋めのために、書き留めておいた歌詞を仲間に見せて、わずかな時間をかけて、仲間とともにその場で完成させたそうだ。名曲、名作の誕生なんてこんなもんだ。


ドラマティックな背景で生まれる傑作なんてそうそうあるもんじゃない。


【早い者勝ち!】 あなたのお名前、残ってる?


上のリンクから懐かしいあの頃を検索してみよう!!

(Blog to Soul)水素風呂と時代劇と音楽を愛する左半身麻痺の塾講師