音楽、歌の良さ


今、僕のスマホの全容量の内2GB近くの容量は音楽が100曲以上入っています。

それほど音楽が好きでよく聴くってことです。寝るときにも音楽流して眠りにつきます。起きたときにも割と大きな音量で音楽が流れているのが当たり前です。

おそらく浅い眠りで身体に悪いかもしれませんがそれが長年、習慣化してしまってるため、今更やめる強い意思がないのです。


テレビを視ることが少なくなった分、好きな音楽をBGMとして聴く機会が多くなりました。歳をとったせいか最近の流行りの歌より昔の歌を聴くことのほうが多いです。

中学生の頃から今現在に至るまでほとんど洋楽しかもアメリカのポピュラー音楽が大半です。

1972年頃、ご褒美で父親に初めて買ってもらったラジオ付カセットデッキ(通称ラジカセ、たぶん2万9千円位だった)にFM放送の音楽番組からカセットテープに殆どの洋楽を録音し、コレクションするのが趣味、楽しみでした。

そしてカバー表紙や曲名をデザインして、棚に並べて眺めては一人悦に浸っていました。

特にお気に入りの番組は毎週日曜日の夕方6時から7時までの全米のビルボードヒットチャートの音楽番組でした。(不覚ながら番組名は忘れました。)出来上がったテープを次の日曜日まで学校以外はほぼ毎日四六時中聴き入っていました。

その当時カセットテープ一本500円程、学生の僕にはもちろん高額でした。それで2、3本のカセットテープに録音した曲を十二分に何度も聴きこんでました。

十二分に聴きこんだら消去する。そして新たに他の歌を録音して再び聴きこむといった具合で使いまわし使用してました。

お気に入りの曲は2、3本のカセットに保存したまま本棚に残して置きました。

20年程前当時のカセットが実家から出てきて懐かしさのあまりsonyのウォークマンで聴き返しました。あ、こんな歌流行っててよく聴いてたなと当時の記憶がよみがえってきました。


記憶にあるところで参考までにに曲名は、

シカゴで愛ある別れ、
リタ.クーリッジでみんな独りぼっち、

原曲はボズ、スキャッグス

トトでホールド、オン、ザ、ライン、

おまけで杏理のオリビアを聴きながら(初期バージョン) 杏里、懐かしーーーー


音楽、歌の良さって人を癒す、落ち着かせる、精神状態を安定させる。

真逆のところで気分を高揚させる、調子づかせる、覚醒させる等がありますよね。

植物や幼児の発育にも影響を及ぼすとか。仕事がはかどる時もあります。

私のような高齢者にとってはもう一つ、音楽、歌の良さは、後になって聴くと当時の記憶がよみがえるところですね。


そして苦い思い出も甘い思い出も当時の映像とともに割と鮮明によみがえってきます。

当時の歌を聴くと脳裏に浮かぶ光景のひとつは、

初めての都会で、日常目にするようになったネオンの明かりに照らされ輝くビル群や商店街

そしてそこを交錯するシックな装いのおしゃれな人々。そんな憧れの彼らの一員になろうともがき始めていた当時の自分。

僕はどちらかといえば苦い辛い記憶がよみがえってきます。

ところが、歌を聴きながら思い出すのは、その切ない、わびしい、寂しいと思い込んでいた記憶が、

歌のメロディーにいったん乗ってしまうと妙に離れがたくて、置き去りにしておけない、懐かしくて、不思議と忘れたくない

自分にとってとってもとっても大切な良い思い出、古き良き時代になるから不思議です。

そう言えば当時、お金なんて無くてろくなもの食べてなかったな。でも仲間がいて夢や希望がいっぱいあって元気で自由で、毎日が楽しかったよな。みたいに。


今、スマホで映画FMのサウンドトラックの

主題曲スティーリンダンのFM

を聴きながら、1980年当時を思い出していました。

映画はともかくサウンドトラックのアルバムはここ日本国内でも意外とヒットしたと記憶しております。

とりわけ当時よく耳にした曲がフォリナーの青い朝


そういえば、この年の12月8日にジョンレノンが撃たれたんだ。

これは悲しい

無かった事にして欲しい現実の記憶。

哀悼の意を込めて、ジョンレノンでビューティーフルボーイ


《注意》リンクは視聴で楽しむ以外の行為はご遠慮下さい。

シンギュラリティー、技術的特異点(第二章)

技術的特異点は一世紀程前から議論されていたことらしいが、自分はここ最近知ったことです。

しかしこの歳になって改めて将来のことを考えるようになり、未来を予測しなければ生き続けていけない、勉強しないと世間から置いていかれるぞ、て感じて毎日テレビ見て何もしないで年を取っていく虚しさの恐怖に襲われ、生き方を変えなければって考え始めました。

それで最近はテレビは一日一時間程と制限つけてます。でその代わり本を読んだり身の回りの整理、ストレッチ体操等をしています。


ムーアの法則によると一年と半年で半導体の性能は二倍になっていく。30年後には単純計算で、30÷1.5=20、だから2の20乗、つまり約100万倍の性能になる。あくまで計算上のことです。現実にはそこまではいかないでしょうが。

現在のコンピューターがおよそ100万倍の性能アップになったとしたら我々の生活はどうなるのだろうか?そんな事を最近よく考えるようになりました。

今から30年程前、携帯電話、インターネットが出始めの時代から、現在のスマートフォン、ネット社会が当たり前のような常識、価値観の大きな変化が起こり続けている現在。

我々は当時から現在も生き続けているから大きな変化とは感じないかもしれないが、後になって歴史のひとコマとして視ると相当大きな変革であろう。

コンピューターの性能がおよそ100万倍向上するであろう30年後は現在よりもさらにもっと大きな常識や価値観の変化がやってくるだろうと思われる。生き続けている我々には残念ながらその特異点は認識できないであろう。

そんな特異点が仮に予測し認識できたならば、現代の人々の生き方も社会の仕組みももっと良い方向に変わって行くはずでしょうに。

そうそう簡単に未来を予測できないのは、いつの時代でも当たり前ではありますが。

しかしそんな未来予測も30年後までには出来るようになるかもしれない。


先日本で読んだが、作物の収穫は、光の当て具合、環境の調整によって一年間に24回は収穫できる、とある有識者が述べていた。

もしそういう時代がやってくれば世界中の人口約75億人が飢えることはなくなるそうだ。


ここで自分自身が想い描く未来予想図の一つに、優秀なコンピューターの制御により、食料の需要と供給のバランスをほぼイコールに調整するように過不足なく生産すれば、無駄なゴミも減少するだろうし、自然保護にもつながると思われる。

そして生産と製造分野の殆どを人間と同レベルのAIロボットに行わせる。人件費はかからないし、装置のメンテナンス費用だけで済むだろう。

それらを全て国が運用し、緻密が必要とされる作業だけを人間が行う。


結局30年後くらいには、すべての分野の作業において、現在我々が行っている仕事の殆どがAIロボットが担うようになってしまうかもしれない。

当然宇宙旅行は当たり前になるだろうし、地球が人類の故郷の星になり、新たな居住地を求めて宇宙のどこかの星に人類が住み始めるかもしれない。我々は地球区の日本という小さな地域の住人と呼ばれるようになるかもしれない。


そしてもしAIロボットが人類の英知を超越し、人間の仕事のほぼ全てをロボットが行うようになったとしたら、人間の存在理由はあるのだろうか?人間はただ生き続けるためだけに生きるようになるのかもしれない。

そしてAIロボットが人間のDNAすら書き換えて人間のコピーを作るかもしれない。

最悪な事態とすれば、人間は寿命がなくなり死ねなくなるかもしれない。人間の一番の悩みは死ねないことなんて笑えない世界がやってくるかもしれない。

しかしそんな事態がやってくる前に、神様の怒りに触れて、人類滅亡とか、太陽系が爆発するとか、ブラックホールに飲み込まれるとか、神の存在が明らかになるとか、宇宙全体が数百億年前まで何かの拍子にタイムスリップしてしまい、聖書でいうところの創世記に戻るとか、人類とはまた違う種類の生き物が出現してこの地球を支配するかもしれない。

想像は尽きないが、どのようなシナリオが描かれるようになるのかは時の流れを待とう。

ひょっとしてシンギュラリティーなんて技術的特異点自体がやってこなくて、そのすれすれのところで、何か特別な別の特異点があるかもしれない。

それは技術的な何かではなくて、我々の想像もはるかに超えたところの何かなのです。

技術革新により時代の変革の周期が短くなっているだけに一日一日を大切に無駄に過ごせないと思わされた。

それだけにシンギュラリティーの時期と予測される2040年から50年頃まで、僕が80歳から90歳までは生き永らえて見届けたいと思う今日この頃である。


《追記》

投稿して一時間後、再度読み返してみて、未来は明るい未来であってほしいはずなのに、悲観的すぎる未来なので、明るい未来も考えてみました。


仕事の中で煩わしく単調で厄介な作業はすべてロボットが行い、有意義で創造的で進歩的な仕事は今まで通り人間が行い、ロボットは手助けの範疇で当然あくまでも主体は人間なのです。これって都合良すぎですね。ロボットが怒りますよね。

余った時間は楽しみや癒しの時間となり、ゲームや遊びの種類と場所も増えます。

スポーツや音楽だけではなく、遊びが職業になる時代が来るのでしょう。人間の仕事がロボットに奪われるのではなくて、

言い換えれば、生活のために仕事をするのではなく、今でいうところの仕事をしなくても生活できるような時代になるのです。

そして時間を対価にして生活の糧を得る必要がなくなるわけだから、人生がもっと豊かで充実して、自分の本当にやりたいことがやれて(法律の範囲内で)自分らしく楽しく笑顔で幸福な人生を送れるような時代がやってくる。

細かい問題は省くとして、そんな未来も考えられるでしょう。少し大雑把ですね。

でも未来予測に正解なんてありませんから、個々人が自由に考えて楽しむのもありでしょう。

もっと細かく詰めることができた時にはまた投稿します。


 

シンギュラリティ(技術的特異点)に観る未来像(第一章)

少し前にネットサーフィンしてて、近未来の世界はどうなるのか?その中で特に気になる未来像を見つけた。その世界(未来)を見届けるまでは死ねないと思った。最近の技術革新から判断すると30年後、40年後には、どんな未来がやってくるかなとわくわくしている。


その未来は、グーグルの技術者によると、まず数年後には、人類の殆どの情報がデータベース化され、検索エンジンがもっと進化を遂げて、長い文章や様々な問題にも対応できるようになるそうだ。


そして、半世紀内には、コンピューターの技術革新が今のペースで進めば、人類の最後で最高の発明が数十年後にやってくる。それはAI(人工知能)らしい。その人工知能が自分よりさらに優秀な人工知能を開発する。それを階段を上るがごとく続ければ、人類の未来はどうなるのか想像もつかない。その最初の第一号の人工知能を開発した時をシンギュラリティと呼ぶらしい。人類にとっても大きな分岐点になるだろう。その人工知能は宇宙誕生前からの歴史も把握しており、全人類の脳もはるかに凌駕しており、どのような問題に対しても、あらゆる情報にほんの数分でアクセスし、わずか数時間で自分で学習し、数秒で最も適切な答えを出す。そんな未来がこの半世紀の内に訪れるらしい。


しかしながらここで問題なのは、人間の脳より優秀な人工知能が作られるのかどうか?神が人間を作ったのだとすれば、その人工知能は神かそれとも神以上の存在ということになる。


仮にその人工知能が人間以上ではないとしても、究極のレベルまで到達すると、我々の生活は大きく変わっていくだろう。、、、、、次回へ続く、、、、、


問題に直面WordPressにログインできず?!

初めてブログを書き出して一週間程で問題発生!ログインできず?

出来る限りブログは毎日更新しようと活き込んでいた矢先、水を差された状況でした。とにかく自分で出来得る解決策をネットで調べ試行錯誤を繰り返しましたが、原因が把握できず、結局自分ひとりの力では解決できず、レンタルサーバーへ問合せをして、原因解明と対処を教授いただき無事に再開出来るようになりました。せっかくなので、ここで私が理解できた範囲で言及しておきたいと思います。自分自身が忘れないためにも。


ブログをするソフトはWordpressが一番という情報によりWordPressを使用しようとレンタルサーバーからインストールしようと思ったのですが、ルートディレクトリであるpublic_html直下には簡単にインストールできそうでしたが、私はブログを二つ設置する必要がありpublic_htmlの下のサブディレクトリに二か所手間がかかりましたがftpソフトでWordPressをアップロードでコピーしてインストールして使えるようにしました。初めの二週間程はなんの問題もなく、ログインでき使えておりましたが、先月の上旬ごろから突然ログイン画面が表示されず、403forbiddenとなり、ログイン画面が表示されなくなり、困惑していました。

ただネットで調べれば簡単に解決できるものと当初は楽観としておりましたが、手を尽くすこと一週間解決の糸口が見えず、毎日の業務優先で、これといって手を付けずに置きましたら、家内からブログが書けないので早く解決してほしいとの懇願があり、再度取り掛かることにしました。もう自分一人の力では限界と判断し、サーバーにメールにて連絡を取り2、3回のやり取りだけで、原因究明と解決策が解明し、直ぐに問題解決につながりました。WordPressはルートディレクトリにインストールするならともかく、サブディレクトリにインストールする時は、注意が必要。問題は.htaccessファイルに問題があったようで、このファイルがWordpressのアクセスに制限を掛けていた。ルートディレクトリの.htaccessファイルにWordPressが許可も求めており、ファイルが認めないことが原因らしい、そこでこのファイルの名前を変えるとよろしいとのことで、実際ファイルのリネエムをすると、ログイン画面が現れ、直ぐにログインでき解決。


塾長近藤浩二の一言 《WordPressをサブディレクトリにインストールする時は、注意が必要。》


 

行事の意味合いはあるのか?

本日10月31日です。そして明日は11月1日です。

ある人種におけるの新年の始まりとされ、

収穫祭のハロウイーンの始まりとされていると、ウイキペディアにありました。

それがどうでしょう。一昨日の土曜日に地元の商店街で、昨日は県庁所在地の松山で

ハロウィーンのイベントが大々的に催されていました。


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日本の正月を1月1日以外にやっている地方があるだろうか。いくら海外のイベントだからって、クリスマスイブを12月24日以外に実行する人が国内にいるのだろうか?でもハロウインは別ってこと。そこの判断、根拠は何なのか?

休日にすれば、集客が見込め、現場が活気づくからの判断だけだろう。

もう一つは、ハロウインの言葉やその内容が認識不足で定着していないためだろう


それで商魂たくましい人達が、ハロウインの言葉と仮装の楽しさ、面白さで参加を呼び込み、人を集め、人が集まれば、そこにはお金が落ちるからってことだよね。

経済効果のあることには、反対や意義を唱える人は少ないよな。


宗教的な意味合いをそれほど取り上げない日本人ならではって感じかな。

日本の行事以外で海外の行事で日本に定着したものって、クリスマスとバレンタインぐらいかな、それに数年後には10月末にハロウインも定着しそうな勢いだ。





わが町伊予西条でも秋祭り10月15、16日の日時は神社のお祭りだから、動かすことができないが、祭りに付随する行為が節操なく行われていることに、僕はうんざりしている。

個人的には、子供の頃は、治外法権的に道路を歩いたり、おいしいものを食べて、大好きだった。

しかし最近は若者のマナーの悪さに、嫌気がさしてきた。

加えて神さんを先導する屋台を掻き揚げる人達の接待として、花代、つまり現金を差し上げるのであるが。一般の民家なら、子供のおこずかい程度で十分なれど、屋号を出して商っている場所なら、そういう訳にもいかない、総数100台近くに全て差し出すとしたならば、相当な金額になる。

祭りの二日間内で市内全域を回り歩き花を集めきることは不可能なため、祭りの数日前より在宅であろう時間帯の夕食時に来訪し、花代をせがむのである。これには閉口である。

祭り二日前に、とある居酒屋で食事中にはっぴを羽織った若者二人が当たり前のごとく、花代を要求していたことには、あきれ果てた。やってることはやくざと同じだ。恥ずかしいことだ。

そんな当たり前のこともわからない、マヒしている。正常じゃない。

楽しむことも大事だが、本来の意義を再確認、認識してして宜しい行為とそうでない行為を常識的に判断し謙虚を取り戻しこんな行為を慎んで欲しい。


今、テレビで東京では、ハロウイン本番の本日盛り上がっています。と仮装した人達がパレードで楽しんでいる。


確かに世の中は矛盾だらけだ。不合理で、理不尽なこともいっぱいだ。

しかしそんな中でも、行事の本来の意義を理解し、しっかりと後世に伝承していき、

しなければならない行為と、してはいけない行為の区別を一人の人間、大人として、ルールにのっとり、人間として恥ずかしくない行動をとってほしいと思うし、自分にも戒めていこうと感じた日であった。


 

なんとも不思議な話(最終編)

四足の珍獣(現在では珍しいですが、自分ももう20年以上見てないですよ。

ひと昔前には割とよく見かけました。)その珍獣って何でしょうか?みなさん想像してみて下さい。


そんな事があったにも関わらず数日間は、自分達も忘れているように過ごしていました。

でもある夜中、寝付きかけた時、「ガリガリ、ガリガリ」と奇妙な音が聞こえてくるじゃありませんか。寝床の部屋の明かりを点けたその時、「トントントン、トントントン」って音に変わったんです。何かが二階に上がったかな?って思いました、ゆうれいじゃないよな?足があるんだから、でも気味が悪い。その夜は、

一階の雪隠に行き、また寝ました。次の日の朝、珍獣の正体が想像できました。


本日はここまで。to be continued,,,,,,,,


《最終章》

翌日廊下に掃除機をかけていると、ある一本の柱の下部5センチ程の位置を何かで引っ掻いたような傷がついていました。

ネズミが爪で引っ掻いた痕だろうことは直ぐに合点がいきました。駆除方法を検討しました。


生け捕りはトドメを差さないといけから性に合わないので、ドラッグストアーで毒殺用食料を買い込みました。

小学生の頃、ネズミの生け捕り用金網にネズミが一匹生け捕りされているのを朝目撃し、下校時家の近くの通学路の側の川に息絶えている金網の中のネズミを見たときは気分が悪くなったことを思い出しました。母が入れたそうでした。

そんなこともあり駆除用餌をキッチンの隙間に2袋配置して、ダイニングの扉を開けっ放しで数日様子を視て配置位置を変えたり、食材袋を交換する等数回しました。

駆除方法の選択肢がすくないため、家の中の何処かで息絶えた死骸を発見するかもという悪夢も考えられましたが確率は低いと希望的観測の下の決断。今から思うと最適な方法でした。

2週間程後、食料袋が破かれて中の食材がはみ出ているのを確認し、その後2週間同様に罠をし続けて破けた袋を再度確認して、その後数日はネズミの存在気配を感じなくなったので、罠は取り除きキッチン周りを綺麗に片付けました。

そして今現在に至ります。その間にはほぼ家全体をリホームもしました。


その後、なんとネズミはおろかゴキブリすら見かけなくなりました。我が家から害虫、害獣は駆逐されたようです。バンザーイ!!


 

やさしく歌って

夜中のBSのテレビ番組で稀代の名曲はいかに生まれて育って広く世に知れ、有名になったか?

取り扱っている番組で、その夜はロバータ、フラックが歌って大ヒットした、バラードの名曲「やさしく歌って」に焦点が当てられていた。





自分も何度も耳にして、よく聴いた歌でお気に入りの歌だったので経緯が気になり最後まで視聴した。

原曲では、「彼の歌で私をやさしく殺して」と少し衝撃的な内容ではあるが、邦題の「やさしく歌って」はうまく付けたなと感心した。歌詞が先で別の人が後でメロディー附けたらしい。

経緯はこうだ。その女性がある有名な男性歌手のライブを観に行き、ある歌を聴いてた時、その内容が、まるで自分自身の昔の事のようで、なんだか古くて懐かしい痛みを感じたそうで、心をちくちく刺されたようで、痛みを感じながらも、とても懐かしく、思い出を蘇らせてくれた彼の歌に酔いしれたそうだ。それでその女性実はシンガーソングライターはその場で店のナプキンに歌詞を書き留めたそうだ。



それで歌詞の骨組みが出来上がったそうで、女性歌手がアルバムをリリースする時、曲数が不足したので、穴埋めのために、書き留めておいた歌詞を仲間に見せて、わずかな時間をかけて、仲間とともにその場で完成させたそうだ。名曲、名作の誕生なんてこんなもんだ。


ドラマティックな背景で生まれる傑作なんてそうそうあるもんじゃない。


【早い者勝ち!】 あなたのお名前、残ってる?


上のリンクから懐かしいあの頃を検索してみよう!!

なんとも不思議な話(前編)


真夜中のことである。いくら考えても納得のいかない不思議な事が起こった。


昨日は朝からほとんど一日中、雨がしとしと降り続いていた。

ほんとにブルーな気分な一日だった。

12時過ぎに寝床に就き、なかなか眠れず、携帯電話の電源が切れたことに気が付き、充電器を取ってこようとダイニングの明かり点けて、椅子に向かっていると、ゴミ箱のほんの少し横に黒茶色の3センチほどの気味の悪い物体が、、、





ナメクジラ、、、ゲゲゲ、こいついつの間にどこからやってきた。???

あの場面を思い出した。「ゴジラが国会議事堂付近で暴れています。」

空も飛べない、のろまのこいつが、監視カメラで追跡してみたい。と思った。

突然、湧き出たわけでも、飛んできたわけでも、はてなが頭の中を交錯した。

早速ネットで調査、ナメクジって陸上に生息するカタツムリと同じ巻貝の仲間で、殻が退化した貝だって。夜行性で湿気を好む。なるほど雨の降ったその夜中に、雨後の竹の子ならず、雨後のナメクジ。酵母菌や生野菜を好む。だんだん存在に納得してきた。

前日、夜に弁当を食し、ゴミ箱にポイ。食べ残しの発酵食の野菜の漬け物が弁当箱、ゴミ箱の中に、匂いを嗅ぎつけてノッソノッソと出現したんだ。

ナメクジって雌雄同体なので、交尾しなくても一匹でも産卵できるって、できなくてもいいでしょう。そんな必要あるのかな。世の中に必要な生き物なんだろうか?

食物連鎖のどこに位置するんだ?

この世に必要でないものはないっていうけれども。あの黒い悪魔のゴキブリも同じなんだろうな?


今、思い出した。数年前に奇妙な場面を目にした。

秋の夜、仕事から帰って裏口の扉、納屋の入り口(我が家は玄関のカギを失くしてたため、裏口の納屋からの出入りが日常化していた。)を開けると地面這う黒い動く物体、ゴキブリだ。気持ち悪い。棒で叩き殺そうかと思ったが、奇妙なことに、

ゴキブリは怪我をしたのか動きが鈍いではないか。普通じゃないぞ。って思った。

自動灯火が点き、その様子を眺めていると、足が何本かなさそうだ。どうしたのだろう?

その後、やつはドアの隙間から何かから逃れるように必死で外へ逃げって行った。

自分はさらなる入り口のドアを開けた。もっとびっくりする場面に出くわした。

ドアから1メートル向こうの廊下に後ろ向きに構えてた四足の珍獣がこちらを振り向いたのだ。その時であった。

目があったのだ。一瞬、時間が止まった。ドッキとした。心臓に悪い。ドアノブを持ってからわずか数秒間の出来事である。

おそらくやつも初体験だろうに。こっちは殺してやろうと思ったが、向こうは殺されると思ったろうか。

自分はドアを開けっぱなしにして、

ひとまず納屋から外に出て、退散した。





やろうが家の中から、せめて納屋の中まで、希望とすれば屋外に出てほしいと考え、10分程、様子見で家の辺りをうろつき、家の中から出て行っただろうかと半信半疑ながら家の中に戻り入った。廊下付近にはすでに居てなくて、何処に行ったかは分からないままでした。

その間に、さっきの光景を思い出し、何が起こってたのか想像した。ゴキブリがやつに(四足の珍獣)に襲われた。ではないんだろうか?

食用ではなく、動くものに野生の血が反応して遊び感覚で襲ったのでは。ゴキブリ側にはそんなやろうがこの世に存在するとも考えつかなかったであろう。

やつ(四足の珍獣)が家の中にいるのかどうかはっきりしないため、僕は心中穏やかにあらずでした。

家の中に居ないとなんの確信も持てないまま、家内と二人夜を過ごすことにしました。絶対人間のほうが強いと思っていましたから。

実際にはやつとも数日間、夜をともに過ごしていたのだが、


to be continued,,,,,

毎日が日曜日

みなさん、こんにちは。初めまして。

私、齢55の既婚者で左半身麻痺で、毎日特に変化がない。すべき用事はありますが単調で気分はもうものすごく暗いブルーなんです。

そんな私が今頃、今になって、今さらって感じですが、ブログを始めるいきさつを書きますね。良かったら読んでください。


9年前の脳出血後、以前の仕事、機械設計を断念する事余儀なくされ、学習塾を始めました、開塾当初は一人で続けるには、十分な生徒も集まり、結構楽しく、気分も晴れやかでバラ色とはいかずとも、薄紅色で未来も明るく前向きな毎日を過ごしていました。

ところが、今年4月に塾生が卒業して以来、少子化と大手進学塾の塾生確保の勢いと不景気のあおりを受け、塾生が激減。そこでサイドビジネスとして、昨年知人より持ち込まれた水素に関わる話。説明会を聞けば聞くほど未来を予感させる事業に納得。

そこで、水素風呂のレンタル事業を始める事に。手始めにホームページを作ることに。初めてのこともあり手間取りつつ、約2か月かけて完璧ならずも無事完成。サイトにアップに成功。ホット一安心。

同様にホームページ開設した知人からメールをいただきアクセス増やすコツを検討中とあり、早速ネットで検索するとブログ開設がかなり強力なツールになるとあり、知人はすでに数年前より開設済みらしいが、遅ればせながら自分も始めたってことです。

今日、初めてブログって始めました。かなり不安もありますが、とにかく何かに挑戦しようと数日前に水素風呂のホームページをサイトにアップし来訪者を増やしたい一心で、ネット情報でブログの力を認識して、ネタが続くかどうか、読んでくれる人がいるのかどうか等、心配事もありますが、とにかく動いてみることに、始めてみることに、問題が出たときは、その時考える事に、こんな無責任でかるーい感じで始めちゃいます。


恥ずかしながら私の顔写真と塾の玄関貼り付けます。


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(Blog to Soul)水素風呂と時代劇と音楽を愛する左半身麻痺の塾講師