足元のおぼつかない1歳あまりの幼児が、部屋に向かって独りで
恐る恐る歩み出した。少しの《不安》と《寂しさ》の
感情がいまだに表情に表われている。彼は1メートルにも
満たない姿で、わずかに開いた引き戸から、
人の気配を感じる部屋に、不安ながらも静かに足を踏み入れる。
既に居座る人を見て立ち止まる。振り返った人と目が合った。
ーーー時が止まった。----
「**」、「いらっしゃい」、「おいで」。
僕話せなくても、少しは聴き取ることは出来るよ。
ーーーあっ、見たことのある人や。---
ーーー僕の事、呼んでくれたーーー
ーーー良かった。近づこうーーー
不安定な足取りで接近した。
ーーー抱っこしてもらおうーー
向き直った、開いた両足の間に入り込む。
両手を広げて差し上げた。--おじさんお願いーー
右手だけでお尻ごと抱えて、持ちあげて抱き抱える。
磁石で吸いつくように、ピタッと止まる。
ーーー良かった。すごく安心ーーー
身体中がほどけるような安堵感(あんどかん)。
安堵で緊張が和らいだ。不安や寂しさが
さしあたり、一掃(いっそう)された。
肩の荷が下りたように、吐息をもらす。
溶けるような安堵感の中に落ちていく。
人心地ついたので、好奇心があふれ出る。
ーーーあれ、何かな?---あそこにも何かーーー
狭(せば)まっていた気道が開き、
身体に新しい空気が取り込まれた。
「あーっ、あーー」、「いっ」、
「うっーー、あっーー」時折指を指し、辺り四方を見ている。
ぼんやり見ているようで、目の輝きと引き結んだ口元が
意志の強さを物語っている。見るものすべてが新鮮で
あるがため、際限のない好奇心の大きさで、そのすべてを
のみ込んで、咀嚼(そしゃく)しようと試みても、
赤子の知恵では、咀嚼しきれず、
困惑した表情は隠せない。その後
すぐに、見慣れない表情の認知症の老婆の姿と
意味のなさない言葉の羅列(られつ)に
子供の表情が何やら、少し険しくなっていく。
ーーー僕分からないよ。---
ーーー知らないよ!ーーーこの人誰?--
幼子の、まったく確立されてない処世術
(しょせいじゅつ)が、急な付け焼刃では当然上手く
機能しない。
ーー「あっ、可愛いね」、「可愛いね」ーー
ーーー「あれ、こっち、こっち」ーー
ーーー「ほれ、見とーみ」、「こっち、こっち」ーー
ーー「ほれ」ーーー「きれいなかろ」ーー
ーーー僕自分が見たいものを見るからーーー
ーーーうるさいからだまっててーーー
理解出来ない上に、矢継ぎ早に、飛び込む言葉。
ーーー速すぎて、はんのう出来ないよーーー
ーーー「あれ、どうしたん」、「こっち、こっち」ーー
ーーーしつこいーーほっといてーーうるさいーーー
自分を無視する反応にいら立つ、イラつく認知症老婆は、なおも花に群がるハチのようにしつこく刺してくる。
ーーー「可愛いね」--「こっち、じゃがね」ーー
身体を乗り出し、幼児になおも触れる。
子供は危険な香りには、むやみに近づこうとはしない。
赤ん坊はもっと、慎重な近づき方を好むはずだ。
ーーー大きなお世話ーーー
堅固に形成されたはずもない、幼児の警戒心が無理矢理
瓦解(がかい)されていく。やがて
こじ開けられた、開けっひろげの心の隙間に、不意に
「不安」の感情が忍び込んでくる。
その「不安」が「心もとなさ」と「寂しさ」を呼び込む。
その心の感情が鼻腔の奥の涙腺(るいせん)を刺激する。
その感情の起伏が大きく震える。母親の顔を臭いを
思い出す。ーーおかあさんーー《さみしいよ》
それが限界を飛び越える。爆発する。こらえ切れず、
「わーん、わーん」、「うんぐ、うん、うん」えずく。
「わーん、わーん」自分の感情を刺激した声がさらに
攻撃してくる。「あれ、泣いたらいかんがね」
「泣いたら」、「泣いたらいかんよ」。
「どうしたんかいね?」
ーーー僕もう、いやーーーおじさん助けてーーー
《お前が泣かしたんだ》。僕はむっとした。
病氣と分かっていても、あまりの身勝手な発言に憤りがわきあがった。
「泣かしたらいかんがね!」、「こまったおばさん」。
また時たま、話せない幼児に対して、物を与えると、
「ありがとう、言わんかね」、「言わな、いかんよ!」
ここ数日、連日連夜、赤ん坊が我が家にやって来た。
初めてのお披露目時には
ーーー案の定----期待にたがわずーー
ーーー泣いていたーーー
何事においても数を重ねる度に、やっと事態が
前向きに安定に動きだすのだ。最近やっと、
まるでペットが飼い主に慣れるごとく
安心感が、見慣れた人と慣れた家の雰囲気とで
心の中に築き上げることが出来たのか、
こちらの意志が問題なく通じ合うのか、
何事も素直に応じる。
しかるに見慣れない人に話掛けられると
《不安》と《恐怖心》と傍(かたわ)らに
100パーセント絶対的信頼を寄せる
母親が居ない《寂しさ》が《不安》にさらに拍車をかける。
病気のおばさんには何ひとつ罪も咎(とが)
も無い。もちろん、そんなことは百も承知だ。
しかし僕の大好きな赤ん坊を、無理やり
振り向かそうと、いわれのない
いじめにあっているようで
どうにも我慢ならないのだ。
自分の怒りを鎮めようとしたが、
ひどく、しゃくに触った。
ーーーー古今東西----
==赤ん坊は泣くもの==
==若者は悩むもの ==
==少女は夢見るもの==
==壮年は働くもの ==
==老年は邪魔もの (1部例外あり)==
と、世間では相場は決まっている。
誰にとっても、恐れるべき最大の敵は
自分自身をよく知らない人間との遭遇なのだ。
今日はここまで。近藤浩二でした。
洋楽紹介します。ではまた。
クリストファークロスでセイリングです。
1980年リリース。全米No.1位。アルバム「南から来た男」からセカンドシングルカット。
グラミー5部門受賞の鮮烈デビュー。
渋い航海(セイリング)を感じさせる名曲です。
ロッドステュワートに同名異曲あり。
スティックスでテューマッチタイムオンマイハンズです。
邦題「時は流れて」。1981年リリース。全米No.9位。
アルバム「パラダイスシアター」からシングルカット。
若い女性に人気のギター担当のトミーショウの作品。
「too much time on my hands」
=「俺は時間がたっぷりとある」=「時間を持て余している」
が原題の意味。若者の心情を歌った楽曲。
ピンクフロイドでアナザーブリックインザウォール(パート2)です。
1980年リリース。全英全米ともにNo.1位。アルバム「ウォール」からシングルカット。アルバムは2枚組の名作。
メンバーの中心人物、ロジャーウォーターズの作品。
「We dont need no education」
notとnoで二重否定の様ですが、ここは
強い否定を表します。「教育なんて必要ないのさ!」って意味。
「所詮、壁の中のレンガの一片にすぎないのさ」が主題。
シャリーンで「愛はかげろうのように」です。
1982年リリース。全米No.3位。アルバム「ソングオブラブ&シャリーン」からシングルカット。世界的に大ヒット。
様々な経験をした年配の女性が、自分の人生に嘆く若い女性に対して、自分の経験を語る曲。