夏の終わり(秋の始まり)

寝床の東に面する窓から、すでに7時前に眩しい朝の

光が差し込む明るい部屋。祝日の今朝、仕方なく目を覚ます。

なんだかスッキリしない。昼前に少し外出。川沿いに

走行して山側に上昇する。一区切り、程よい所で降車する。


外では肌寒い、ひんやりとした心地よい風がそよそよと

吹き抜ける。透明度の高い穏やかな川の水のせせらぎ。

鳥のさえずりも聞こえる。トンボが群生して出現する。

ここからが本番。風が爽やかな、なだらかな道を歩く。

暑くはないがわずかに、汗ばんできた、歩き回って少し

息はあがっているのに、この上なく幸せな気持ちに包まれる。

6畳ほどの広さの小高い山の脇の展望台から市街一面を見渡す。

「めっちゃ、きれい。」「見渡す範囲があなたの領地です。」

領主時代に言われた言葉が頭をよぎる。上を見る。


まばゆいばかりの青空。真っ白い雲。雨によって浄化された

かのような空気。ところどころ彼岸花の赤が目に入る。

秋めいてきた、木々の色鮮やかな青い山。

白い雲が陽光によって、光が乱反射して刻々と色が変わる。

そよぐ風もひんやり、虫の音が聞こえてきます。空と山が

織りなす絶景。まるで絵画の額縁から、切り抜いたような景色。

人の心を癒し元気にさせてくれる自然。反対に、言い尽くせ

ないほどいっぱいに、人を疲れさせる、突発的な

自然災害があった今年の夏。


自然の景色がほんのりと濃い。日常では有名飲食店で

さんまが定食に横たわる。夏の終わりを告げる

兆候(ちょうこう)を感じる。

今はもう9月の半ば、本当に夏が終わり

秋の始まりを実感する。お金より欲しいもののひとつ。

心の平安、充足を与えてくれる、僕の大好きな秋という季節。

秋はすべてが彩られる季節。秋は終わりではなく、冬を通して

春へとつなぐ大切な季節。暑気が払われ、華やいで、活気ある

人や街。山から華やいでいる市街を眺望する。山の上から

思い入れの場所を子細(しさい)に観察する。高校まで

生まれ育った僕の唯一の故郷(ふるさと)の眺望。

♪ うさぎ追いしかの川 ♪ がふと口から洩れる。期間限定の

楽園。あと2ヶ月もすれば、せわしない冬支度を迎えます。

なんだか、わびしい、ものかなしい、せつない、が入り混じった

複雑な気分になったメランコリーな夏の終わり秋の日中でした。

人間は変わらなくても、大自然は常に変わっていきます。

そんな自然がもたらす恵みに、大いに感謝して生きていこう。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

仕事(労働)

前回の続き。竹田恒泰氏いわく、仕事には2種類あります。

ひとつは《お金を追いかける》仕事。

もうひとつは《お金がついてくる》仕事。


東北大震災後の翌年のこと。為替は超円高。ふたつの企業の

トップの経営方針の両極端な考え。トヨタ自動車では

「国内で生産を続け、国内で販売を促進させたい。」一方某

有名安価家電メイカ―では「出来る限り、海外に工場を

移転していきたい」と。セオリーで言えば、円高では

貿易戦略は困難になりますよね。海外販売は国内の販売価格

より割高になるためです。反対に海外の賃金は国内より

割安になります。通常ならば後者の経営方針でしょうか。


しかしその後、トヨタは上場以来最高の増収増益。片や

家電メイカ―は中国に身売りといった結果に。その結果の違いの

原因は? 目先の利益に飛びつこうとした企業と製造企業の

経営理念である「ものづくり」の王道に立ち還った企業の

差である。との事。なるへそ。経営って難しい。


困難で試練の時だからこそ、むしろ目先ではなく、長い目で

《さらに良い製品》を作ろうと、技術をより研鑽(けんさん)

して「ものづくり」日本、の原点に立ち返り《お値段以上》を

地道に提供し続けたからこそ、賢い消費者を失わなかった。

「お金もうけ」と恋愛は同じで、追いかければ追いかけるほどに

相手(お金)は逃げてしまう。押し過ぎず退(ひ)いてみよう。


もう一度「ものづくり」日本の精神《決して手を抜かない》

《お値段以上》、《最善を尽くす》、《最良品を》の精神を、

見つめ直そう。まずは時間をさかのぼって歴史を見てみよう。


・昭和時代に群馬県ローム層で岩宿遺跡(磨製石器)の発見。

「人の手によって磨きかけられた」約3万年前旧石器時代の石器

人類最古の「人の手による加工技術の産物」

・1853年ペリー来航の時代から貿易で資産を貯蓄し始める。

以前は米本位制でお米が通貨替わりだった。これ以降お金

(銀か金)が、米に変わって通貨として真に認識され始め

流通し、容易に貯蓄出来るようになる。お米は採れた時が最も

価値が高く、時間の経過とともに価値が下がり、貯蓄しても

価値がきわめて薄い。しかも残ってしまえば、

残るほどに流通価格が下がる。米本位制度が崩壊し始める。

・世界一の優秀な絹織物を厳格な管理と緻密な製造工程によって

光沢があり強靭な製品を作り続け本家中国をしのぎ世界に販売。

・チャイナと呼ばれる陶磁器も元祖中国を超え世界に認知。

歴史が古くは先祖から手先が器用で「ものづくり」の

才能があった。事を物語っている。


最後にまとめとして、日本の持つ強さの秘密は

    1. 日本人の勤勉と完璧主義。
    2. 製品に対する強いこだわり。
    3. ひたむきに仕事に取り組む姿勢。
    4. 「ものづくり」に対して仲間が同じ方向を見ている。
    5. 強いきずなで結ばれたチームワークの良さ。
    6. トップからボトムまで以心伝心の関係。

日本人は、いったん仕事を頼まれれば、たとえ

報酬が少なくても、最悪もらえなくても決して

手を抜くことなく、完璧なものを作り、納入するのです。

むしろ見返りがまったく無ければ、無いほど不思議と

より完全で完璧な仕事をしようとするのです。逆に

そういう人間が尊敬を集め、評価される社会なのです。


日本国が世界で最貧国から世界有数の経済大国に

なった背景には上述が、考えられるが、その精神性の根底に

根付いているのは、江戸時代に広まった《武士道》なのです。

ひとことで言えば《世のため、他人(ひと)のため》の

《利己(りこ)》でなく《利他(りた)》の精神なのです。

幕末当時、英国人が日本にやってきたとき片田舎の

食うや食わずの貧しい農民でさえ、礼儀正しく、規律正しく

生活していることに、驚愕(きょうがく)したそうだ。

英国人が当時日記に記載していたそうな。

衣食足りて礼節を知る、が通説だが、日本人は

衣食足りなくても礼節を知る、国民なのです。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

究極の幸せ

本日の午後講演会に参加しました。無料で聴講者50名程。

地方銀行の愛媛銀行主催による、わが町西条市にある

経営者の集まりである「ひめぎん会」20周年記念の

呼び物で「日本人はなぜ世界で一番人気があるのか」と題した

作家竹田恒泰氏による約90分間のお話しでした。平日の昼間。


大変興味深い内容で、たとえ話しをされ構成がしっかりしており

しかも新鮮な内容の上に、分かりやすく腹の底にしっかり

落とし込まれる、腑(ふ)に落ちるほど、論理的で納得できる

合点のいく事柄でした。しかも笑いありで、面白い。

あっという間。もっと聞きたいと思わせる、

これぞまさにプロの仕事。本当にすごい。カンペなし、天才。

きっと主催者も安い講演料と思ったはず。金額は知りません。

コストパフォーマンス最高。僕なら50万でも呼びたい。


印象に残った事柄は多々ありました。紹介できる内容には

限度があります。僕の記憶力だけが頼りです。今回は

ひとつだけで勘弁をして下さい。また明日書き加えます。

経済会主催です。話のほとんどは経済に関する内容でした。

今世間は不況です。世間を取り巻く状況は厳しいです。

しかしそれでも現在、日本は世界でアメリカ、中国に次いで

経済大国第3位です。今後日本の経済はどうなるのか?

敗戦国日本が、なぜ戦勝国、英国、ロシアを抑えて

経済大国になれたのか? その理由の独自の分析と

今後の課題と、我々が取るべき行動を、歴史的側面から

提示されていました。要因は様々でしょうが、


人間の精神性にその謎を解くカギがあるのではと。

ひとつは《労働》、《仕事》とは何か? 言葉の持つ意味の

捉え方に違いがあるのでしょう。との事でした。

聖書による《労働》は人間にとって犯した罪の《償い》

と考える人間。一方《労働》を自分自身の《生きがい》

や《利他》として考える人間との相違なのです。との事。


例えばここで、一万円の仕事を頼まれたとしたなら、

きっちり一万円の仕事をしようとして、した人間。

一万円以上の仕事をしようとして、してくれた人間。

一万円以下の仕事しかしない人間。

どの人間に仕事を依頼したいですか? どの人間が将来

豊かになるでしょうか? もちろん言わずもがなですね?


最後に結局、究極の幸福とは? と問われました。長生きが

短命より幸福とは限らない。その人の最後(逝く時)が重要。

経済会の集まりの話でしたが、お金では無い。もちろん

貯金残高の多さでは無い。功績の多さでも無い。それは

《惜しまれて》逝くことです。誰もが悲しんで遺憾(いかん)に

思われて死んでしまう人が一番幸福な人生を送った人なのです。

さくらももこ先生、うーん、えーん。悲しい。拝。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


追伸、、大雨、台風、地震など自然災害で生活を破壊されていく

災害大国でもある日本。《災害防止予防工学》なる新しい学問を

一刻も早く確立させて、自然にされるままでなく

自然に、対抗していく方にも考えを考え直す必要があるのでは

、、、。とは僕の考え。でないと数年後、人類の文明は破滅する

予感が、、、。例えば、台風が発生した時にミサイルか何かで

発生雲を消滅させる、など。でも実現不可能な夢の話かな。


 

自分らしさ

ーーーーどうすればいいのだろう?

ーーーー何処を見ればいいのだろう?

ーーーー何を口にすればいいのだろう?

ーーーー正しい答えが分からないよ。結果彼が出した答えとは?

なぜか困惑している様子です。普段の彼と、どこか違う風です。


お盆以来、我々夫婦に、とっても嬉しい訪問客でした。

あと数日で2歳の誕生日を迎えるその幼児は、

徐々に脳が発達しつつあるのでしょう。思いの外、

知恵も付いています。話せる言葉も増えてきました。

彼の思いが、正確な言葉となって、我々に伝わって来ています。

行動に伴って、同時に言葉も観察できます。すごく面白い。

覚え初めの《言葉》と、覚え初めの《マージャン》は

すぐにでも、使いたがる。の言葉通り。

言葉を覚えた喜びと、自然な本能による欲求なのでしょう。

「ブー、ブー、いっぱい。ちょうちょ。赤。青。」

覚えたモノを目にすると、その名前や特徴を口にして

我々に確認、承認を求めているようです。事あるごとに、

何かを見つけては、「見て、見て」って。呼ばれます。

いつもの席に座ってから、言葉を出し続けています。


ところが約一時間後のこと。妻が用事で外出するので、

左半身不自由な僕だけでは不安もあって、妻の姪子である、

ひいき目に見ても、若くてきれいな女性が、入れ替わりで

部屋に入って来ました。幼児は初対面の彼女をちらりっと

見たと思ったら、恥ずかしいのか、うつむいたままで、

急に無言で、おとなしくなってしまいました。

しばらくの間あれほど、うるさく開いてた口が、

閉じられたままです。静かです。しかも身体も

ほとんど動きません。動かせないのでしょう。


《何か》が彼の行動を押さえつけてしまいました。幼児は、

わずかの間に成長し続けている《身体》と《頭》と《心》。

「いい子」になるようにと、願っている周囲の大人たち。

周りの大人と社会の都合に合わせるように育ってきた幼児。

そこで、今まで、そうなろうと応えていた幼児。

でも今回、どうすればいいのか、分からない、表現出来ない、

突然初めて出くわした《感情》。その後なぜだか

分からないが彼は、自分の顎(あご)を

テーブルに叩きつけていました。不思議なことに、彼はまだ

2歳弱にも関わらず、自分で自分を痛めつける

自傷(じしょう)行為をしていました。自分で処理できない心の

不安やもどかしさを、落ち着かせようと

本能が衝動でさせているのでしょう。


他人はそれを、《悪》としての、《人見知り》の一言で

片づけようとします。僕は、彼の、

その凍り付くような無言や行動停止、

「それこそ」が、本当の彼自身《自分らしさ》だと思います。

脳の回路を通過しないで、「心のままに」《フリーズ》した

身体と言葉は、本能からの《感情》による行為なのです。


人は生まれてから、周りの大人の都合の良いように

知識や常識を植え付けられて、一人前の人間のごとく

育っていきます。それこそが本当の《成長》とでも

あるかのごとく。そしてそういった子供が社会では

優秀で良い子と考えられています。しかし昨今(さっこん)

閉塞してしまった社会を打破しようと、《ナンバーワン》より

《オンリーワン》のうたい文句とともに

《個性》や《自分らしさ》が見直されようとしています。


おそらく姪子の、美人女性特有の風貌や雰囲気が幼児の

本能の何かを強く刺激したのでしょう。その刺激は、

思考(理性)による行為を、抑制させるほど強烈で

あったのでした。僕は

「いいぞ、その調子だ。それを大切に育って行けーー。」と

身勝手に思いました。それが***お前特有の持ち味なのだぞ。

社会や大人たちの都合(常識)に無理して合わせるな。

自分を貫け。無理して社交的である必要は無い。人見知り結構。

そしていつまでも、自分らしさを貫いて、いつの日か

社会の《規格外》と呼ばれろって願った今宵(こよい)でした。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

 

本性

エジソンによると発明の行動原理は、本当かどうかはともかく

「1%のひらめきと99%の汗(努力)」らしい。一方

僕が考えるに、人間の行動原理は

「1%の本音(真実)と99%の建前(虚偽)」だと思う。


8月に入っても、なおも暑さが続いて「あついね、あついね。」

って言ってた時には、このままこの暑さが続けば、

12月になったら、どれほど熱くなるかと、気をもんでいたけど

立秋を過ぎた頃から《四季のある国日本》のありがたさを

しみじみ、かみしめることが出来ました。朝夕冷房を付けた

ままだと、肌寒く感じるようになってきた、

今日この頃です。


昨年春、妻以外の他人と生活するという《人生最大の譲歩》を

自分自身に受け入れて過ごしてきましたが、

正直もう限界でした。受け入れる時は、身寄りもなく

妻の母の姉なので、温厚で優しい義母の思い出しかなかった

こともあって、グループホームに入れるのは忍びなく

姉妹なら認知症であっても、間違いなく良い人だろう、

うまくやっていけるだろうとの、安直な考えでは済まなかった。


まだ数年前には《ボケ》始めていたとはいえ、妻や僕の名前も

記憶にあって、会話も正常と思えてたのに、しばらく

会わなくなって、どうしているのかと不安になっていたものの、

  • 夜中に徘徊(はいかい)する、
  • 自分の物と他人の物の区別がつかない、
  • 排泄物を汚物と認識できない、
  • 身体の自然現象に対応できない

等の病状を耳にするようになって、どこかに入居し直す

必要に迫られ、身内が看(み)てあげるのが一番、

との判断だったのでした。色々ありました。結果


おかげさまで、この8月から妻ふたりとの生活に戻りました。

一番の決め手は、排泄物の処理のわずらわしさなのでした。

毎日どこかに、垂れ流され、廃棄物の後処理と

不快臭には閉口でした。


約一年間、認知症と生活して気付いた事のひとつ。

人の口にする言葉は、ほとんど

信用できない、なんとでもなる。

そこに真実があるかどうかは究極のところ、本人以外

誰にも、分からない、判断出来ない、っという事。

認知症のおばさんには本人にさえも、真実かどうか

判断できませんでしたが。とどのつまり、誰にでも、

何事においても、口先で取り繕うことは

簡単に出来るのです。


「おばさん、お腹すいた?」

「ないね。」でも食べ物を、口に近づけるといくらでも

食べるわ、食べるわ。際限ない。

「おばさん、おしっこある?

「ない、ない。」直後に寝床で放尿。

人間の本能の感覚においてさえ、この有り様。

おそらく思考に関わる本心の判断はさらに不確かでしょう。

認知症本人は自分の本心を隠すことの利得を考慮して

嘘をついているのではないはずです。

正常な思考の人間が自分の利得を考慮して

本心を隠して、嘘をつくことぐらい少しの

罪悪感もなく簡単に出来るはずでしょう。

妻が正常だった頃から、嫌いだったと言っていた

頑固で身勝手だったおばさん。認知症のせいなのか、

徐々に暴かれていく人間の本性の行動。

(刻々変わっていく生理的に受け付けない表情)

自覚がないだけに、正直始末が悪い。


「お金儲けの良い話があるけれど、聞きたい?」

「わたし、お金には興味ないんよ」っていう人。

こんな人こそ、《世の中お金がすべて》、って思っている人。

100%嘘でしょう。なぜって、お金のために、

自分の人生の99%を費やして、お金儲けして

お金のために仕事をして、自分の時間や楽しみを犠牲にして

自分以外の誰かのために費やして、他人の人生を生きている

人のなんと多いことか。なんと言葉と行動との間の距離が

遠い人の多いことか。


ほとんどの人は1%の本性を、自分にも他人にも隠して、

99%(本人には100%でしょうか)虚偽の人生を

生きているのです。そして周りの人も他人の1%の本性を

見抜くことが出来ずに、99%の虚偽の人間像の印象で

だまされ続けるのでしょう。それは99%のうわさ話で

翻弄されて、1%の真実を見抜けず、理解出来ない

状況を作っている昨今のネット社会や、個人情報保護法の

はびこる社会と同じ様な気がします。


人間の本音はその人の虚偽の言葉と行動の中に隠されて

見え難いのです。物事や人間の快い表面だけに惑わされず、

虚偽の中に隠された、本当の真実を見たいものです。

真実を見抜くことがどれほど困難な事か、そして

真実を見れずに、だまされている人(当然僕も含めて)の

いかに多いことかを痛感した最近です。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


判官びいきの国日本。国民の8割が応援していたで

あろう高校野球、秋田の金足農高。

でも実力通り、現実には奇跡は起こらず大阪桐蔭優勝。


 

言葉

先日ふと思った。この世界は《言葉》であふれかえっている。

でも「言葉」って一体、誰の、どこから、生まれ出て、

理解されて伝わっていくのだろう?

誰かが、どこかから、何かを聞いて、口から言葉として

吐き出ていくのだろうか?それとも、誰かの身体

の中から、自然と湧き出て、言葉となって出るのだろうか?

言葉の最初の発生とその伝承の謎の解明に何気に気付いた事。


今年のお盆期間は言葉の未熟な幼児が初めて我が家に

やって来ました。午前中の活動は、初めての体験に

緊張して疲れたのか、車に乗り込むとあっという間に、

こっくりこっくりと、船をこぎ始めてしまいました。

重い頭が固定できずに、振れてしまう頭を、両手で自然と

バランスをとっている姿がいじらしく、僕の身体にもたれ

掛けてやると、すやすやと夢の世界に。可愛い寝顔にうっとり。


うたた寝も兼ねて昼食も摂ろうと、いったん家に戻り

マットに寝かせて自分たちもそれぞれの寝床で

横たわっていました。空気がよどまないようにと

すべての部屋の仕切りを開け広げ、明かりをつけない状態

のままでいると、僕の部屋の入り口付近に、起き出した

彼の姿が目に入り、ふと視線が合いました。


「***、どうした?」無言ですが目が何かを訴えていました。

「寂しい?」大きくうなずきました。僕は不思議に思いました。

彼は、《寂しい》って言葉を知っていたのかな?

彼は、いつ、どこで、覚えたのかな?

《寂しい》の意味を、どこまでどれほど、解っているのだろう?

もう一度尋ねました。「ひとりは寂しい?」うなずきました。


一歳余りの彼は、聞いたことはあっても、おそらく誰かに

何かで覚えたのではないはず。なぜなら《寂しい》っと

口に出せないから。知っている言葉ではないはず。

でも聞くだけで、なんとなく体感できる、分かる

理解できている。賢明な彼には空気が読めるのでしょう。

自分の感情を、口で発することは出来なくても、

不思議なことに、聞くだけで、その言葉の意味を《共有》

出来て、把握できているのだ。なぜだろう?不思議だ。

言葉は分からなくても、知らなくても

当然人間は解り合える存在なのだ。


《言葉》の成り立ちや細かい意味を、頭で理解できていなくても

《言葉》は、特に感情を表す《言葉》は頭で理解するものでは

ないのだ。

「初めに言葉があった」とは聖書のヨハネの福音書にある。

ところ変われど、《言葉》は人類の歴史とともにどこかで

生まれ出て発展しているのだ。


《言葉》の持つ、その《響き》や《雰囲気》は、頭の中を

通り越えて感じてしまうのだ。ゆえに《言葉》は身体全体で

感じ取る《感性》なものであることを、改めて幼児から

教えられた。だから《言葉》とは、長い歴史の果てに

身体(DNA)に沁み込んだ、きっと人間の身体の一部分から

吐き出されてできた、身体の一部分のはずだ。ゆえに《言葉》は

頭で、理解するものではなくて、長く忘れていた記憶を

思い出すように、身体で感じ取るものなのだ。そして言葉は

不思議なもので、身体の部分から出来上がったものだから

ひと文字、ひと文字、まったく無駄がなく、

過不足なく、出来ているのです。やはり世の中には、

無駄なものや、無駄なことは、何ひとつ絶対に無いのだ。

《言葉》は絶対、感じるものであって、《生き物》であり

《ミュージック》であり《リズム》であり

《波》や《感性》なのだ。

つまるところ、よくわからないが《言葉》に関して

現在感じ得た、僕のつたない言葉でした。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

おじさん

陽が傾き始めても、日差しが和らぐこともなく、

中華鍋の如く、これでもかと熱く照り付ける

尋常じゃない異常な、夏日の連続。

火照(ほて)った身体を冷(さ)まそうと

かき氷を求め学生の放課後みたいに、夫婦二人

ファミレスで《だべった》週末の土曜日(7月21日)。


同時に夕食も摂り、妻がなぜか疲れたというので

何かに急(せ)かされるように、急きょ帰宅。僕が入浴中に

実家の兄から電話で、闘病中の叔父の死(享年74)を

突然知らされる。長い間、病床に伏(ふ)せっていたとは、

風の便りで、知ってはいたものの、なかなか見舞う

時間が取れ無いまま、ここ数年気になっていたのに、

会えないまま、、、、。

これでこの世での再会は不可能になってしまいました。

ここ最近、一番「後悔先に立たず」を痛感した出来事。


僕の人生で重要な位置に立っていた叔父さん。

父の兄弟、姉妹(女4人、男3人)で末弟。

一番陽気で口数が多く、愉快で明るく朗らかだった叔父さん。

僕の少年期に、刺激と彩りを与えてくれた、大好きだった

叔父さん。野球のグラブを買ってくれた、心優しい叔父さん。

小学生の頃初めて、兄弟3人をボウリングに連れていって

くれた、流行に敏感だった叔父さん。

青菜にマヨネーズをかけると、美味しい料理に変身することを

教えてくれた、新進気鋭な叔父さん。毎晩お酒を美味しそうに

楽しげに飲んでいた、人生を心底楽しんでいた叔父さん。

僕の前で《ものまね》していた、「木枯らし紋次郎」を

毎回楽しみに観ていた、ひょうきんな叔父さん。

集団就職大阪から、地元に帰ってきた時

百貨店大丸に、初めて連れていってくれて、おもちゃを

買ってくれた、心優しい叔父さん。大学生当時帰省時に

パチンコに連れていって、僕の負けを、補てんしてくれた

寛大な叔父さん。いつも冗談を言って、僕の脳みそを

ハチャメチャに刺激した、魔訶不思議な叔父さん。

不思議と、父よりも多くの思い出が

残っている叔父さん。肉体は無くなっても、記憶は残る。


この冬の2月、父を見送り、続いて病魔に侵されているとは

いえ、まだまだ若い叔父さんが逝ってしまうなんて微塵も

考えられなかったが、正直な心情。望んでないことは、なぜに

奇跡的に連続して起きてしまうのか? 良いことはそんなに

起きないのに、、、、。


神様か《なにか》によって翻弄(ほんろう)されている人間の

《運命》や《生涯》。

人の《生死の時期》は、人には選択の余地はありません。

ある時、気付いた時にはこの世に生かされているのです。

そして人は生かされている限り、生きなければならないのです。

たとえこの世が、死ぬよりも、辛く苦しくとしてもです。

自殺する人は、死を経験したこともないにも関わらず

死に行く人はそう言うそうです。でも本心は生きたいはず。

生まれ出た人間は本当は、誰一人、死にたい人はいないはず。

みんな生き続けたいはずなのです。しかし自分の意志とは

反して誰もが、いつかは死を迎えるのです。

《なにか》の意志なのでしょう? 誰も知らない《なにか》


しかし不思議と人は、自分のだいたいの死期を悟るようです。

今回の叔父さんも、一週間前に、親族を呼んでほしいと

会っていたそうな。加えて遺言のように、

自分に何かあった時には、と

自分の菩提寺を息子に指示していたのです。

その時の叔父さんの心境を考えると、なにか切ない、

心苦しい、胸がかきむしられる思いです。


誰よりも、人間大好きな叔父さんだからこそ

自分の代から新たな《近藤家》の歴史が始めるほど

孫、ひ孫を輩出し、自分の血筋をこの世に数多く

残すといった、人間の一番の役割を果たしたから、

自分の人生を満足して、逝(い)ったであろう。

まさに天晴(あっぱれ)の人生でした。

きっと天からみんなの人生を陰ながら応援して、

笑顔でエールを送って、見守ってくれるはずです。

きっと向こうで、父と大好きなお酒を

酌み交わして、冗談を言って笑っていることでしょう。

今日(23日)は葬式でした。

今妻と献杯(けんぱい)しながら書いています。拝。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

グラス一杯の幸せ

梅雨明けの晴天、じめじめ暑い日中。早起きした日曜日の夕刻。

日照時間が長くなり、一日が冬よりも、ずっと長く感じられる

今日この頃。部屋に涼を迎え入れようと「ひとりティータイム」


夕闇が、ひたひたと這(は)い下りる頃

少し暑さが和らいだ部屋。よどんでる部屋には風がない。

風が吹かなければ、吹かせればよい。ってことで、

f分の1揺らぎの扇風機からのそよ風、人工的な音を

消して風鈴の音が心地よい。「チャリーン、リーン」

はちみつたっぷりのレモネード。透明グラスにかち氷を

すきまなく入れ、炭酸水でレモンソーダ。「シュッワ、シュワ」

甘さ控えめのクラッカー。季節、時刻に応じて

テーブルセッティングを変えて、ひとり

お菓子と飲み物を楽しむひととき。フィーカの時間です。

そして読書の再開です。闇があたりを覆い尽くした頃

フィーカの終了、引き続きひとり夕食の始まりです。


フィーカとは北欧スウェーデンのブレイクタイムの事。

家にありて風鈴飯食べひたすらに


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

学問

今日は終日、ひとり家の中で、のんびりと過ごしていました。

大学生当時の事を思い出していました。大学ではほとんど勉強

しなかった僕ですが、印象深く覚えていることがあります。

数学の最初の授業でした。興味深い話でした。もう30年以上

前なので、しっかりと覚えてないので、少し補足しながら

記憶をひけらかします。残念ながら、結論が不明瞭です。


科学の進歩の根幹をなす学問は疑う余地が無く《数学》です。

数学(学問)を追究していくと、当然難易度が上がってきます。

そしてそれを理解できる人は減少していきます。その理由は

感覚として捉え難くなるからです。そして現実から離れて

より非現実に傾いていきます。(女性が数学が不得手なのは

男性よりも現実的だから、って今ならセクハラになりそうなの

と、女性の居ない男性だけの授業だったので、よく覚えていま

す。)そうなれば当然、日常生活には、不必要になって、

使う機会はなくなってしまいます。しかし

学問を発展させるためには、感覚では捉えにくい新しい発想が

必要になります。革新的な新しい《概念》です。


例を挙げましょう。古代(数千年前)には壁などに数字が

残されています。そこには、どこの遺跡にも《1》から

始まって数字が表現されています。その表現方法の基本は

「線のかず」で表しています。すると数字が大きくなれば、

その表現方法は困難を極めていきます。そして

ローマ数字にも当初は《1》から《9》までの9個しか

なかったのです。当時の人々には《ゼロ(0)》の

数字の発想がなかったのです。

何も無いものに、数字を付ける必要は無いとの考え方でした。

今我々が当たり前に使っているローマ数字の形は

《線のかず》ではなく《かどのかず》で表現されています。

《ゼロ》の数字を《0》と表現することを

発明したのは千年程前のインド人なのです。彼は

「人が居ない。」と否定的に表現する以外に

「人が0人居る。」と肯定的に表現したのです。

この《0》の発明によって、誰にも容易に無限に数字が

表現できるようになって、数学が飛躍的に著しく

発展したといいます。


小学生から中学生になるとき《マイナス》の新しい概念が

定義され、感覚的に、小さい数から大きい数でも例外なく

《マイナス》出来るようになって、いかなる場合でも

四則計算が可能になって、驚くほど、数式の表現が簡潔で

容易になったのです。現実的には受け入れ難いものですが。


高校数学はそれが、さらに複雑で難解になっていきます。

三角関数(サイン、コサイン、タンジェント)や

複素数、微積分、等です。ある時突然、

見たことのない言葉や数式が出てきて

身勝手に《定義》を宣言して、理論を進めていくのです。

誰でも戸惑ってしまいます。日常生活で突然

江戸時代から明治維新に変わったようなものでしょうか。

当時の人々は困惑してしまって、滑(なめ)らかに

物事は、運ばなかったでしょう。または環境変化で

急に雨が降らなくなって、雨季から乾季に変わって

しまったらどうでしょう?動物は生き延びることは如何に?

先生が言うには、幸運なことに、数学を学ぶことで、

当時のような、大きな歴史の転換点を、感じるような

貴重な体験が出来る。そしてその突然の変化を、上手に対応

出来たものたちが生き残っていけるのだ。そのものたちとは

どのようなものだったのか、を研究し考察する点において

学問は共通している、との話だったかな。最後のほうは

記憶が不鮮明です。悪しからず。でもなぜか納得させられた。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


フランス 対 クロアチア

優勝 フランス


 

極限(振れ幅)

台風が発生して、雨、雨、また雨。なおも雨、雨

そして雨。もううんざりだ、勘弁してくれ。

橋や山肌を破壊して、結界を取り除き、点在している家々の

枝分かれした道に流れ込み、道を川に変えて、茶色の濁流が

枯れ木や枯れ葉と、ともに自動車をも流している。

おそらく猫も犬も、にわとりも、あげくは人までも。

そんな現状の中、対岸の火事の如く、車に乗り込み

県内を渡り走った週末の日曜日。


もなかアイスとアイスコーヒーをお供に、ドライブ大好き

夫婦二人で車内で会話を楽しんでいました。絶えることなく

次々に変わる景色や話題もなんのその、

話し弾むこの上なき楽しさ。


あれこれと他愛のないことを、思い考える稚拙(ちせつ)

な頭脳。自分勝手な理屈で構築していく世界。

そんな世界を少し覗いてみましょう。「ようこそ。」


この世の中は2種類しか存在しない。

生物界、はオスかメス。

人間界、は男性か女性。

視界、は見えるものか見えないもの。

する側とされる側。与えられる者と奪われる者。

万物は有限か無限。このとき気付いたこと。

今まで無限だと思っていたものは

有限の集まりによる、無限ループの結果だということ。

この世が始まって、時間は永遠に終わらず、

流れ続けるでしょう。しかしその時間は、何か個々の持つ

有限と考えられる、時間のつながりで出来上がっているのです。

そして思い当たったこと。人間が生まれた理由の一つは、

物事は有限であることを思い知らされるためなのだと。


またこの世界のモノは、ほとんどが固有の振れ幅が存在します。

その振れ幅内で生かされて、存在させられています。

今走っている車にしても、材料の破壊限度を超えない範囲の、

力加減の釣り合いで、存在しています。車のスピードも

スピードメーターが振り切れない、範囲までしか出せないように

制限されています。これは万物すべてに当てはまります。

生き物にもその大きさや寿命には限度があります。

その振れ幅を超える時、そのモノは存在できなくなります。


しかし例外がありました。たびたび振れ幅を容赦なく

超えて存在するものの、ひとつが《自然》なのです。

自然は振れ幅を超えても、なおも、いつも、いつまでも

存在し続けます。今回の甚大(じんだい)な

被害が証拠でしょう。「今回はこの程度に抑えておこう」

「今日はこのぐらいにしておいてやろう」、っといった

「優しさ」や加減を、自然は持ち合わせていません。極限を

超えて、その強大さを、我々にまざまざと知らしめるのです。

まるで神様が何かの「うっぷん」を晴らすかのように。

雨を降らせ過ぎないように、地上を揺らせ過ぎないように

火山噴火を吐き出し過ぎないように、なんて考えが及びません。


しかし、《極限》が無く、最も恐ろしいものは、

人間の頭の中の思考、によって生み出されたモノなのです。

思想、嫉妬、欲望、などなど。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

(Blog to Soul)水素風呂と時代劇と音楽を愛する左半身麻痺の塾講師