言葉足らず

1;この歳(57歳)になると、他人から「おとうさん」

ってよく呼ばれます。

僕は既婚者ですが、子供はひとりもいません。

2;小さな子供を連れていると「おじいちゃん」っと

も呼ばれます。子供が居ないので。当然孫は居ません。

3;「トイレ 流す時は ボタンを押して下さい」

って注意書きがありました。トイレなんか当然流れません。

流れるのは水です。こういった内容、今週で3回ありました。

ちぐはぐなやりとりです。何かしっくりしません。

こういった経験皆さんありませんか?

当然どれも誰もが理解出来るでしょう。当たり前ですが

僕にも理解できます。でも、天邪鬼(あまのじゃく)で、

0か100か、の性格の僕には、モヤモヤが背中

を走って、玉虫色でグレイゾーンに突入して、99%

(100%じゃないのは宝くじのような感じ)当たらない石を、

投げたくなるのです。結果、気になって仕方ないのです。


聞くところによると、人間の話す会話の80%は意味の無い

言葉だそうです。だから見ず知らずの誰とでも違和感なく、

挨拶を交わすことが出来てしまうのです。といった意味では、

意味の無い言葉は、便利ではあります。残りの20%すら

意味の無い時もあります。にも関わらず、言葉だけを交わす人

はいっぱい。コミュニュケーションって一体何なのでしょう?


あいさつ等、いつもそこにあるものは、当たり前すぎて、さほど

気にしない上に、深く考えないため、少しの変化等には気付か

ないものです。それは気付かない間に、沁みついてしまっている

クセのせいで、思考回路が《マンネリ》や《型どおり》に

陥っているのでしょう。変わり映えのしない新鮮味の無い日常に

足りないものや望むものを出しきること、軽いスキンシップ、

小さな些細なことに、手を抜いてはいけないポイントが

あるのだと再認識しました。そして視点を変えてみて、

少し思い直してみれば、良いのかもしれません。もちろん気に

して、深刻になり過ぎても、意味の無いことは分かっています。


そこで、誰かと意思疎通を図る場合や、相手に何かを伝えようと

するには当然《言葉》が人間にとっては、最善のツールです。

ここで優しさは大切です。思いやりも大事です。よって

人間関係において「嫌われないこと」とか「不快感を与えない

こと」は必要です。であっても、最優先であるのは

「自分の思いを伝えること」です。寒さで固まり、行き届かない

思いやりと底の浅い思慮。結果、出て来てしまうのは、

得も言われぬ不協和音なのかもしれません。心のない言葉は

空虚であり、心のある言葉は(どれだけ表現力に乏しいもの

だとしても)心に刺さります。上手い下手ではありません。

大事なのは相手への敬意(愛とも言い換えれます)だと


思います。ここに至って、歴史的観点から、人間のふたつの

行動原理が見て取れます。ひとつは人間の思考傾向は、人間の

本質が、つくづく《性善説》に基づいていることを証明して

います。言い換えれば、あまねく出会う人は、私である自分を、

悪意を持って、攻撃するものでは決して無いのであって、

例外なく誰もが、好意的に、優しく親しみを持って、

出会えたことに感謝を示そうしている、と相手のことを、

考えているのでしょう。もうひとつは、生物界において、

生態系のバランスの保持と維持のため、また数の論理

(食物連鎖)の上で、特に動物は、争いは避けられず、

殺し合いを余儀なくされてしまいます。しかしながら、

知能の高い動物(人間)こそ、食料の確保や種の保存のために、

戦争は例外として、生死を賭けてまで、争わない方が、

得策であることを思い知ったのです。それから学んだことは、

相手に、敵意を見せない示さない、平和的友好が最善な手段

なのだと、身に染みて痛感したのです。ですから、どのような

言葉であっても、人はお互いにとって、都合の良いように

解釈して、平和的に受け入れているのでしょう。だとすれば、

コミュニュケーションには完璧な言葉は必要ないということ

なのでしょう。加えて、


日本人は《言葉の縁起》をとても大事にしています。

結婚式では「別れる」「切れる」の言葉は、ご法度(はっと)

で決して口にはしません。しかし、強気でも弱気でも

「目は口ほどに物を言う」って言われます。ことに恋愛なんて

賭けなきゃ。自分を投げ出さなきゃ。始まりませんよね。

思いを伝える難しさと、伝わらないもどかしさへの一喜一憂は、

当人にとっては、おおげさでなく死活問題です。大概思い描いた

筋書とは裏腹に、意志疎通が、滑らかになされないのです。

その結果、悲しい結末で、袂(たもと)を分(わか)つのです。

おそらく、人間関係には言語能力、日本語力、語彙(ごい)力

などよりも断然、想像力が求められるのではないでしょうか。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。P.S I LOVE YOU.


 

健康

体調不良のため、《知的生活》からめっきり遠のいていました。

空き時間には、薄明りの下、昔の甘ずっぱい記憶と魂が溶け合っ

ていました。そんな中、音楽鑑賞か天井を眺めていました。ふと

思いました。天井の無い家に住んでみたい。趣のある星や月を

眺めながら、眠りに落ちることが出来れば、きっとこの上なく

幸せだろうな、なんて何気に考えていました。話を戻します。

今日は僕の仕事始めです。松の内の賑わいも遥かに過ぎ、

先日は正月で疲れたお腹を整えるため、七草粥を食しました。

おかげでようやく体調が回復し始めました。年末から正月にかけ

て酷使した胃腸を休ませ、野草の生薬効果を期待し、本来の

自己治癒力を回復させることを目的とします。しかしたとえ

どんなに節季に忠実に従って、食事や身体を気遣っても

病気や怪我をしない人は、この世には一人も居ません。

話をさかのぼること、想像するに、昨年末誰かからのウイルスが

僕にも襲った。熱を出して、咳にあえいで体調を崩して、

撃沈してしまい、食べることすら、面倒で億劫でした。世間で

言うところの《風邪ひき》ってやつです。僕も人並みに

病んでしまいました。久しぶりです。思い起こせば、数年ぶり。

これで僕が《バカ》でないことが証明できたんじゃないでしょうか。


改めて《健康》は何ものにも代え難い、今年も健康は一番です。

年を越しての、体調不良風邪は正直きつかったでした。しかも

内臓疲労から、僕の愛ある可愛い、くちびるははれ上がり

今もって食用ノリを貼ったようで、かさぶたが付いています。


その一日の間、食事をするために、一日じゅう必死で動く。

その食事でようやく翌日動けるだけのエネルギーを補充し、

また動いてその日の食事を摂取する。ただその日を生きる

ために、その日を過ごして居たのです。生命を維持するため

だけに生活していました。普通であれば、そこには不安と

苦悩しかありません。何の希望もなく、自分の身体から

沸き上がる自然治癒力が、苦しみから解放してくれるのを

待つだけでした。そのような人間の日常と、動物のそれとの

あいだに、どれほどの違いがあるというのでしょうか?

幸運なことに、思考力が単細胞並みに、欠落しているおかげで

プラス思考も無いかわりに、マイナス思考も思い浮かばない、

といった《ケガの功名》にあやかりました。


《人間は考える葦である》と言われますが、僕は体調不良の間、

そのカタゴリー外の生物でいたようです。思考力が完全停止

してしまいました。そのせいで、人間である前の、本能だけで

動く動物のような、すさんだ日々を送っていました。これは逆

に、本当に貴重な体験でした。人間は高度の知能を所有するが

ゆえに他の動物と一線を画しています。知性と本能の能力の加減

によらず動物は、死の危険に直接関わる、目に見える外敵には

予防も含め、知恵と本能で割と容易に防御出来ます。一方

死に直接関わっていないためか、直接目には見えないためか、

目には見えない小さな外敵には対処を怠りがちです。しかも

その予防には目も手も行き届いていません。自然界には目には

見えぬ恐ろしい微生物が、無尽蔵にはびこっています。奴らは

自分の住かを拡大しようと、執念深く常に隙を伺っています。

しかし正月すら酒を断ったこの身には、なんの《うまみ》も

無いと、おそらく嫌気がさして、ここの所、僕から退散したよう

です。ーー「ざまあみろ」--少し気を抜くと、弱った身体は、

あおりを食って、ウイルス等に簡単に侵入を許し、健康を害して

しまいます。すんでの所で、かろうじてまだ人間である

おかげで、わずかな知力で対処することができました。風邪への

抵抗力は、身体から《酸性》を除し《アルカリ性》に傾ける必要

のために、柑橘系の果物(みかん)を大量に摂取しました。


おそらくその程度の知恵が無くても、生物の本能ってやつは

とんでもなく優秀で、尊敬以上の畏(おそ)れ多い、意識を持っ

た《存在》なのです。もし想いが乗れば、人間は変化を嫌うた

め、流れに任せて楽な方を選択しそうです。一度外敵に侵入され

衰弱した身体を無理に酷使しない方が、身体は楽でしょう。

でも本能に従順な身体は、生命維持のため、外敵に対して、

野放し状態にできずに、なんと立ち向かうのです、しかも

戦うのです。生物の細胞の本質は、どのような環境にあっても、

不利な状況の中でも、勝てそうもない戦いにも挑み、前に進んで

いくのです。現実の世界であったならば、人間は無理に障害を

克服しようとしないで回避しようとするでしょう。なぜなら、

障害を克服しようとする戦いこそが、目的に向かって進んでいく

ため、凄まじい活力を必要とするからなのです。生命組織の防衛

のためには、生物には排除の理論が働きます。生命の維持のため

には、どのような敵にも、立ち向かって戦い抜くのです。しかも

その戦いは、決して諦めることもなく、努力し続けます。

無理だ、「不可能」と言われながらも、障害を乗り越えなければ

ならないのです。それは限界を超えるような、のっぴきならない

戦いなのです。生物の本質は、常にそれを心得て、対処している

のです。これを《狂気》と言わずして、何を狂気と言おうか。

このことはまさに、生物の矜持(きょうじ)なのです。


あなたの中に何かがあれば、あなたにそれだけの価値があれば、

道は必ず開けるものなのです。生物はそのように創造されている

モノなのです。現実社会で、障害に遮(さえぎ)られると、途端

に勇気や気力はしぼんでしまい、歯を食いしばる、といった

精神力を保つのは難しいことです。体調を崩し、弱り切った身体

が、日ごと回復に向かっていることに感謝して、奇跡のような、

本能の成せる《御業》に自分自身の強い想いも、重ね合わせて

いました。何事においても、都合のいい状況や環境が整うのを

待っているものには、決して何事も成すことはできません。

無理だと言われながらも「不可能」をやり通し、障害を乗り越え

ていくモノこそが、どのような世界でも通用することができるの

です。を、再度学んだ今年の正月でした。自分自身が考える以上

に、内なる本当の自分が、自分を一番よく分かっているのです。


今日はここまで。近藤浩二でした。

久しぶりに文章を書くと、やはり想像以上に

疲れてしまいました。今日はもう寝よう。

疲労の上で、病気に付け入れられる、隙を与えてしまったこと

は空白の年末を過ごすことになった、ひとつの契機でした。


ではまた。PS I love you.

師走

今年最後であろう晴れ間の広がる週末の日曜日。東予地方の

西条市から南予地方八幡浜市まで2時間強のロングドライブ

のため、休日なのに早起きの予定。昔から目覚ましは

使用しなくても、目覚めることはできるのですが、身体と気分が

乗らないので、タイマーで音楽を流す”STAYIN ALIVE”数十秒後

には、坊主の説法で諭されたように、スッキリくっきりとなって

さらにカカオいっぱい、カフェイン抜きのチョコレート一片を

口に含み、車に乗り込みました。高速に入ると、そこかしこに

色づいた錦柄の山々が見渡せました。もう当然、見頃を逃した

山の斜面の紅葉。イチョウの黄色やぶなの濃い黄色。さらには

もみじやカエデの赤色。いまだ見どころの多さで魅了して

くれました。パーキングで降車して、のんべりと少し歩くと

吹き渡る風は思いの外、ひんやりとして、すでのところで

冬の到来が身体全体、五感全てで感じさせられました。

もうひと月もすれば新年を迎えます。


先ごろ24節気のひとつ、大雪(たいせつ)だったそうです。

参考までに次の節気は12月下旬の冬至(とうじ)です。小雪、

大雪、冬至の順。北方のシベリアから上空に寒気が流れ込み、

冬型の気圧配置、西高東低がわずかに見られ、本格的な冬の

足音が聞こえ始めました。自然界においては、各地で雪が舞い

落ち、積雪があったそうです。クマが冬眠のため穴に隠れる、

鮭が群がり川を遡上(そじょう)する、山鳥が鳴かなくなる、

にらが芽を出し始める、などが観察できます。今年も

春夏秋冬、それぞれの季節の中で様々な表情がありました。

動物達は、それぞれの持つたくましさで、年を重ねて生き続けて

いきます。我が家に目を向けると、師走も数日過ぎたので、


気分を盛り上げるため、クリスマスツリーを出しました。

残念ながら、我が家にはサンタク、ロースはやって来ません。

せいぜい、豚、ロースが関の山でしょう。

であっても、クリスマスケーキやクリスマス用の

骨付きチキンの宣伝メロディーを耳にしたり、

クリスマスツリー特有のクリスマス色である、赤色、緑色を

目にすると、不思議と、本当に心うきうきワクワク、幸せな気分

いっぱいになります。焼肉を食べると幸せホルモンと言われる

ドーパミンが脳内に分泌されるそうです。また男である僕は、

何も無くても、若くて美人な女性を目にするだけでも、とっても

幸福な気分になれます。毎年、年末になると、まもなく一年が

終わってしまうというのに、子供の頃からなぜか心躍り、明るい

気分になっていた僕なのでした。しかも気分が落ち着き、

ささやかな幸せを大切に、ひとり胸に抱きしめていました。


赤色は食欲を促進させ、青色は食欲を減衰させます。このように

《色や音》に人の心理は強く影響を受けます。歳のせいか最近は

茶色系統の食事に傾いています。ところで週末日曜日は教会で、

クリスマスのゴスペルコンサートで心癒され、

元気をいっぱいもらえました。そこでは自分たち好み、

でも遊び心のある、穏やかで創造的な演出のコンサート。

想像以上に強く美しいものでした。聴き手を音楽に近づける力が

すごいのです。この時期にとても響くものを持っていました。

しかも目にも嬉しい、赤や緑など色とりどりいっぱいに

飾りつけされて、若い女性も多く、何かきらめく心惹かれる

ほんとに心豊かな幸福感で満たされました。年末は疲れや

気の緩みから体調を崩しやすいものです。こういう時期だから

こそ、心に響くものに触れたくなるのです。


《成功》という言葉と関係の無い、無条件の幸福感は

愚直(ぐちょく)な人間をひとつぐらい、高次の次元に

引き上げてくれます。そのことで穏やかでない感情は、

不思議と消え去ってしまいました。《色と音》は人間を

誘惑します。また外出して買い物が出来ない僕は、

最近、安直で安価なネット購買が増えました。

あれも欲しい、これも欲しい、でも消費、いや浪費は金銭的な

罰を招きます。僕はそんな欲にけがれたわが身を恥じて

虚しくなっていました。そんな感情とどうにか上手く共存して

生活していました。でも今ではそんな物欲も、先日の

休日のちょっとした幸福感、安堵感で不思議と

霧消(むしょう)してしまいました。

人の愛情、様々な自然の表情、街の色や音、それらが僕に、

元気、活力を与えてくれたのです。


最後に、示唆(しさ)に富み、うんちくのある言葉を

「『一体どれだけ努力すればよいか」という人があるが、「君は

人生を何だと思うか』と反問したい。努力して創造していく

間こそ、人生なのである。」 御木徳近 元PL教団の教主


今日はここまで。近藤浩二でした。ではまた。毎日の生活や

未来に希望がつながる、実りある今日を過ごせますように。

生活とは、活きる力のことなのです。活力が花を咲かせます。


無題


強運


いきなりですが、いちごパンツ、ってご存知ですか?

そんなの簡単って思われたあなた、学生時代に

ちょっと、軽く勉強されたか、歴史に興味のある方ですね。

似たような言葉で、いちよむなしく、いやろっぱ、むしごろし、

これで、はっ、はっ、って分かるのでは。そうです、西暦の

語呂合わせなのです。仕事が終わって夕食前にBSテレビで


歴史学者の磯田道史氏が番組内で口にしたのを聞いて

驚いたのでした。磯田氏は、最近僕のお気に入りの人物で

博学多才であって、歴史に対する評価が斬新な切り口で、尊敬

とともに心惹かれる方なのですが、そんな大先生でも、歴史の

年表を、邪道ともいえる、語呂合わせで覚えていられることに

驚きとともに、この人も、僕と同じなのだと、とても嬉しく

なったのでした。ここで、いちごパンツとは1582

(天正10)年の事で、日本史史上重要な年なのです。


ひとつは明智光秀が織田信長を自刃に追い込んだ、本能寺の変。

もうひとつは織田・徳川軍が甲斐の武田勝頼を自害させた年。

織田・武田といった戦国時代をけん引した二大名家の滅亡が

同じ年に起こりその後、時代が大きくうねり始めだしました、

と言った、日本史史上意義深い分岐点のひとつなのです。

織田信長はまさに風雲児、それまでの日本人の価値観を、

根底からひっくり返し、能力と実力を重視して、地位や名誉、

肩書などはほとんど無価値だと考えていました。

その考え方は現代の人間にも通じる考え方なのです。


しかも新しもの好きでだけではなく、《本物》を見抜く力も

持っていた、神に選ばれた《魔王》なのでした。

一方武田勝頼は鎌倉時代から続く名門、戦国最強軍団を築いた

甲斐の虎こと、武田信玄の庶子(しょし)で甲斐武田家の当主。

聡明で領民思いで、父信玄時代より領土を拡大した名君でした。

ふたりとも時代の表舞台に出て、スポットライトを浴びたと

思ったら、突然姿を消した、《不運な英雄》なのです。そう、

ただ《運》がなかっただけなのでしょう。悲運の将なのでした。


長い日本史の歴史から見れば、彼らは、ほんの一瞬程しか

登場しないのですが、鋭く輝く閃光のような記憶と記録を

我々に深く刻みつけた英雄なのでした。逆に、長く光り、しかも

くっきりと地道に輝き続け、大きく花開き、天寿をまっとうした

勝ち組の英雄、秀吉、家康、等も存在しています。


彼らは決して派手さはありませんし、しかも保守的な活動ながら

も、地道に慎重に、かつ忍耐強く思慮深く案件に対処しました。

不思議なことに、彼らも目先の我欲に走りながらも、後世に

有益になるような功績を、数多く残しています。

悲しい最期と天寿をまっとうした英雄の違いは何なのでしょうか

それはただ《強運》と言えるのでは。どれほど能力があろうが

努力しようが善良であろうが、《強運》のある人には残念ながら

到底勝てないのが現実社会なのです。《運》のあるなしは

誰にも読めません。それが《競争社会》の原理、原則なのです。

現在大河ドラマ「西郷どん」放映中ですが、明治維新の新政府の

要人のほとんどは、その最期は暗殺か、自害です。

「神はサイコロを振らない」とはよく言われますが、それは

考えられる、全ての条件(科学的要因)がたとえ同じで

あったとしても、導き出される結果は決して同じではない

場合もあるのだそうです。どんな物事の結末にも、

人間にはもちろん、神様さえも、関わっていない不確かな要因

が存在するのです。そしてその不確かな要因が多少なりとも

その結果に影響を及ぼすとしたなら、我々は一体何を信じて

生きていけば良いのでしょうか? 各個人に委ねましょう。


何を信じる


先日、又吉直樹の番組ヘウレーカでの事。ある学者先生の話が

興味惹かれる内容でした。学生時代の宗教の授業時間。先生で

ある神父さんが、生徒の前で、聖書を手にして「今からここで、

人間の起源において、聖書が正しいのか、進化論が正しいのか、

議論をしなさい」っと言われて、聖書派と進化論派とに

分かれて、議論が始まったのでした。進化論派である学者先生

が「人間の起源の問題を、宗教で書かれている内容と科学書に

書かれている内容とではどちらが正しいでしょうか?」っと、

聖書派に問うたそうです。聖書派は反論できなかったのでした。

それを見ていた神父先生が、進化論派に対して「その点に

おいては、君たちが正しいのかもしれない。しかし

この世界の半分以上の数十億人は、この本である聖書に、

すがらないと、頼らないと、生きる指針としないと、

生きていけない人間なのです。しかもそれぞれの

人生において、この聖書を、心の糧(かて)にして、活きる

力として、生きて生かされているのです。そして君は、そういう

人間が存在していることを、理解してあげる努力をすると

君は将来立派な科学者になれます。」とおっしゃったそうです。

それぞれの個人にとっては、自分の人生において、世の中の

正しい事や完全なものだけが、必ずしも《正解》や

《信じるにたるもの》ではないのでしょう。


普遍的で誰もが《正しい》と考えられているものだけが

世の中の常識として信じられているのではないのです。たとえ

科学者であっても、世の中には、目に見えるものだけではなく、

目に見えないものへも思考を向ける柔軟性が、欠けてしまうと、

私たちは《目に見える、半分だけの、精神的に貧しい世界観》を

妄信的に生きることになってしまうのでしょう。

見えるものと見えないものには境界線などはなく

きっと、連続性の上で成り立っているのでしょう。


名言


・「たった一度の人生に何を刻むのか。

自分の生きた証を、何を持って語れるのか。」

by プロジェクト X、新リーダーの言葉

考えさせられました。

・「すべてこの世はこともなし」

by ロバート・ブラウニング

(神が天に居られるので、)世の中全体が平穏である


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

下町ロケット

期待にたがわぬ、とはまさにこういうことを

言うのでしょう。予想を超える、対価を払ってもなおも

おつりが返って来るほどの、満足感で締めくくられました。

やっとゴースト編が終わったところなのに。物語はまだ始まった

ばかりなのです。またまた始まりました。零細企業の逆襲です。

テーマは「宇宙(そら)から大地へ」別の言葉で「ロケットから

農業機械へ」です。「週刊文春」連載ベストセラー小説です。


技術立国日本らしい、レベルの高い自分の技術に自信と誇りを

持った、でも商売下手でお人好しの人達の集まる中小企業、

佃製作所が、様々な苦難障害に直面しながらも、強い経営

理念と哲学を曲げることなく、たとえ壊れやすくて弱いながらも

一枚岩でも受けて立ち、全身全霊を傾けて、どうにか

乗り越えていくのです。ところが、ほっとしたのも、

つかの間です。あくどい輩は、執拗に留まる事無く、

否応なく小さな、ほころびを見つけては、想定外の手口で

攻撃を仕掛けられ、危うく切り崩されそうになります。

しかし崖っぷちの瀬戸際で、機転を利かせ、

はじき返し守りぬくのです。転じて反撃を繰り出し

最後には、勝利の雄叫びを上げるのです。


天才的で整合性のある、隙の無いストーリー展開と

物語の重要な分岐点での、絶妙な会話の駆け引き。

そして必然的に、どんでん返しで最後に勝利するなんて、

まさに池井戸作品の真骨頂なのです。どんな窮地に陥って、

先の見えない状況であっても、複雑で絡み合ったであろう

問題の糸が一気にほどけて、解決に導かれていくのです。


著者池井戸潤氏の作品の主人公は、誰もが共通して

思い描くであろう《善人》が《悪人》に必ず勝利します。

桁はずれのお人好しで、自分の事よりまず他人の事を

心配して、考慮して実践努力してしまうのです。今作も


自分が信じる《正義》のため、「困った人が居れば、見過ごせ

ない、救いの手を差し伸べる」と言った信念の行動原理が

存在するのです。解決の糸口の見つけ方は、人間の本心である、

心境の変化を詳細に描写することによって、物語を展開、

進行させていきます。そして最後の決め手は、我々人間が

《原点回帰》の行動をとった時に、初めて気付かされるのです。

その後、真理がさらに見えてきて、どれほど小さなきっかけ

であっても、突破口にして道が開かれる、と言った手法は、

まったくぶれずに顕在でした。


現代人が失いつつある、数字やお金だけでは表現出来ない

熱い《夢と情熱》だけが一番の才能で売りといった、

熱い善人による、勧善懲悪の物語なのです。こざかしい

《悪人》どもを心優しい《善人》達が、打ち砕いて

勝鬨(かちどき)を挙げる姿を見て、すっきり、スカッと

心晴れ晴れして、留飲(りゅういん)が一気に下がります。

しかるにその過程は紆余曲折で、戸惑いながら、彷徨

(さまよい)いながらも、人間の根源である《魂の尊厳》に

光が当てられ、人間の《良心》、《善》、《誠意》をとことん

信じ、自分の《正義》を貫いて生きる姿勢に感動して、共感する

仲間との痛快サクセスストーリーに僕も感涙(かんるい)に

くれるのでした。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

挑戦

もうじき、秋が深まり冬の訪れの兆しが見えてきます。

太陽が気持ちいい。日差しが最高。草木がなびいている。

うっそうとしてた山が、色づき始めています。秋晴の中、木の葉

やそよ吹く風にだって、幸せの肌触りを感じて嬉しくなります。

自然がじきに幻想的な紅葉を演出してくれます。そんな日に

我々夫婦が待ちわびていた人が現れました。週末の土曜日


穏やかな昼下がり、僕の一番の友人であり、教師でもある

二歳の幼児が、我が家に登場してくれました。我々が

一見すると何気ないモノ。でも彼のどんなモノにも向けられる

温かくて繊細なまなざし。「*@<@*+>」つぶやく。彼は

目の前の、どんな小さなモノであっても、想像の翼を広げます。

決して尽きるこの無い好奇心、色眼鏡と先入観を持たない真っ白

な概念。目にしたモノすべてが興味の対象。彼の小さな身体内に

激しく脈々と息づいている、意識のすべてを傾けていきます。

小高い山の中腹辺りの公園で腰かける。奇抜な飾り物を見つけ

近づき、観察しようとする。身体を滑らせ転倒し身体を撃つ。

痛みと恐怖心で、「エーン、エーン」しかしすぐに立ち直る。

失敗を恐れないで、挑戦し続ける者。死をも恐れないで、

生きるを探求する者。常に、ほとばしるように流れる気力。

一種の畏敬(いけい)に似たものさえ感じます。なぜなら、

自分にとことん素直で正直で、誰の目、さえ一切がっさい、

気にしない、思いついたら迷わず即行動します。まるで

《すべては自己責任》と、自分自身から行動をとりたがります。

人知れず喜び、挑(いど)み続けるその姿に、崇高(すうこう)

なもの、高貴なもの、献身的な何かが感じられます。軽食を


摂った後、後部座席に立ち、後方から景色を楽しんでいます。

帰路途中座席に立ったまま、手を伸ばした状態で、身体を支え

何かを耐え忍んでる様子で、突然口を閉ざしたままでした。

何かを感嘆するたびに、口を開く。でも、感じるままの気持ちと

思いはなかなか言葉に出来ません。我々には聞き取れない

事がほとんど。


彼は充足感が得られるのなら、何を差し出しても、失くしても

構わない。一方私達大人は多くの場合、大きなリスクをとらな

かったり、失敗を恐れたり、自分のコントロールできる範囲内で

行動をしようとするので、突き抜けるほどのモノを取得すること

はできません。私利私欲の影が見える、夢と野望への醜い執念。

世の中の矛盾を見過ごし、社会の理不尽を看過し、自分の

心が感じた違和感にも、立ち向かわないのです。幼児である彼は

自分の心に、激烈に忠実であり続けているのです。世間が

《終わり》だと思っているところが、彼には《始まり》

かもしれません。だからこの命枯れ果てたとしても、誰に

なんと思われたって、笑い飛ばすだけ。と思っているようです。

幼児である彼を見ているだけで元気をもらえます。人が評価

しようが、評価しまいが観察、挑戦をすることが子供の特性。

何か違和感感じて、投げ出したくなって、何もかも

しっくりしない、何かが足りなくて、眉をひそめる、

顔をしかめたくなることが、そこら中に転がっている

現実が私たちにはあります。それでは日常生活は過ごせたと

しても、面白みがない。挑戦なくして、人の成長はありません。

我々に、最も危険な行為は《自己満足》や《自己防衛》です。

自己の内に目を向けたり、広く熱心に学んだり、することは

いっぱいあります。ここで知行合一(ちこうごういつ)が大切。

おそらく、どれだけ《わからないこと》を信じられるか、そこに

飛び込めるか、どうかなのです。幼児は見えない感じる道を

行き、ありのままの人を、モノをすべてを受け入れていきます。

子供は絶妙なバランスを保ちながら、成長していきます。加えて

子供達は、ほんの少しの知恵と勇気を兼ね備え、そして

ほとんどが無欲であります。ただ幼児の挑戦は

ある意味《向こう見ず》の側面があるかもしれません。

と言っても、挑戦だけが現実を変える力があります。

人はもろいようですが、強いものです。しかも、

限界を超えることで、確かに人は強くなります。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


彼が突如無言になったのは、車酔いだったようです。顔色が

青白くなって、額と耳下に、冷や汗か脂汗をかき、おむつを

汚していたのでした。その後汚物を処理し、横にして休ませると

再び機嫌よく何かを遊び始めました。


分かった風に書いていますが、正直よく体感出来ていません。

でもここに書くことだけで、自分自身に言い聞かせるようで

あり、これが今の僕の挑戦なのです。


 

未来

不思議なもので、半世紀以上生き続けて、年老いてくると、

若いころよりも明らかに、その先は短くなっているにも関わらず

若い時よりも、未来のことを考えることが多くなってきます。

先が短いがゆえに、先が読み易いこともあるのでしょうが、

まだやり残した事が多くあって、残された時間内に

どうにかしてやり遂げたいと強く願っている心境なのに、

具体的に動き出せない自分がいるのです。でも気持ちが切迫

する中、時間は容赦なく無情にも過ぎて行きます。どうしよう。

さらに知り合いが次々逝ってしまうと人生は無常だ、はかない。

結果、毎日焦り始めているからなのです。自分はなぜに、どこに

向かっているのだろう。答えの出ないことを考え始め、

自分ひとりの禅問答が始まるのです。特にこれと言って、

とりえの無い自分にがっかりしてしまいます。だめだ、だめだ、

今の自分に、見切りをつけるようなことだけはよしておこう。

考え込んで、過去を振り返ると、自分が悲しい道化師に

なったみたいなのです。ただで得られるものなんて存在しない、

どんなものにも代償は払わなければならないのです。おそらく

人間誰しもが、過去を土台にする以外に、未来を考えることは

出来ないはずです。

強く意識的に自分を顧みない限り、人間の未来に対する行動は、

現在の行動の延長線上にしかないのです。


僕ら含めて、総じて、サラリーマンって人種は、時間の切り売り

なので、なまじっか苦労して手に入れたお金が、多過ぎず

少な過ぎず、中途半端に持っていると、手放すのが

惜しいのです。そうであるから目の前にチャンスが

巡ってきても、なかなか、それに飛び込むことができません。

持っている《もの》を失うことを恐れて、みすみすチャンスを

逃すことになりかねません。何かを得ようとするなら、

今持ってる何かを手放して、物理的に空間を作らないと、

新しい何かは入ることはできません。


我々には誰ひとりとして、先回りして未来を覗

(のぞ)き見することは出来ません。しかも未来を正確に

予見することも決して出来ません。たとえそうであっても、

楽しい明るい未来を夢見て、子供のように心躍らせて、

わくわくどきどき、することは、誰にだって出来るはずです。

何をお前ごときがの上からのもの言いのようですが、立て続けに

身に起こった事柄で、寒さと共に、つとに身に染みた事でした。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。今日は思いつくままに、書きなぐってみました。


 

ナビゲーション

初めて出かける場所へ「目的地です。お疲れさまでした。」

カーナビって便利ですよね。数十年前ならともかく

現在、車の運転で、カーナビ使ったことのない人ってまず

居ないでしょう。科学の発展によって我々の生活は本当に

便利になったようです。カーナビの開発はすでに昭和時代から

始まっていました。当時から未来予想で《自動運転》の概念が

あったそうです。斬新な発想と豊かな才能を持つ人がその当時

から日本に居たなんて驚きです。当時僕なんて車内から道行く

女性を、目で追うてばかりで「発想」でなく「妄想」が日常

茶飯事でした。顔から火がでるような思いです。お恥ずかしい。


現在何処に居ても「目的地」さえ入力すれば、そこまで導いて

くれるなんて楽でいいですよね。でも時には最短距離や最速の

行程を選択してくれないことも、多くの頻度で発生しますが。

時にまわり道なんて、このあたり人生と似ていて面白いですね。

「設定」によっては高速道路を外したりと、通りたくない道も

除外することもできますが、度々「ルートを外れました。」と

音声で注意を喚起してくれます。いっそう、人生の途中でも

信頼できる何か(神様)から、そう言ってもらえればいいのに。

きっと楽かも。面倒くさい時が、人生多いですから、ね。


自殺者、精神疾患者の多い、まともじゃない現在の日本。

人生の未来を悲観したり、何度もドロップアウトして

人生の障壁と先の見えない時に人生のナビでもあれば楽

もしかして、近未来願望の未来世界で、自分の「目的」を

入力すれば、何でも自動で導いてくれる《人間人生の目的》の

ナビゲーションが、作られる時代が訪れてくるかもしれません。

その目的の空白欄には「お金持ち」や「世界一の美人」とか

「幸福な結婚」、「独裁者」、「不老不死」とかが

入力されるかもしれません。それが発明されれば

たとえ一刻(いっとき)の苦痛からでも、開放されて、明るい

未来の見通しが立ったなら、明日を生きる希望が生まれるやも。


僕なら「苦労しないで楽しく生きる」と入力しようかな。

「それは無理です。」「真面目に地道に努力を続けて下さい。」

とか諭され、説教されてしまいそうです。今、僕の人生振り

返って、もちろん《夢》はいっぱいありましたが、どれも

《ただの夢》で終わっています。結局楽なサラリーマン

なんて情けない。今となっては、《本気》じゃなかったって

ことでしょう。でもそれもただの言い訳ですね。自分に才能が

なかっただけなのです。だっていつの時代でも、才能のある者は

どのような境遇に置かれようと、悪い状況に陥ろうとも、必ず

乗り越えて、事を成して、名を残しています。結局は、


「意思あるところに、道は開ける」でしょうね。しかしこれも

どれだけ《言葉やことわざ》をたくさん知っていようが、

考えていようが、本当の《真理》そのものを知らない者には、

どれほど優秀で、完璧なナビゲーションが存在しても、

おそらく「目的地」にはたどりつけそうにありません。

「コースがそれました、リルートして下さい。」の連続で、

最後にも「目的地付近です」と、さまよってばかりでしょう。


でもそんな《人間人生の自動》のナビゲーションなんて絶対出来

っこないでしょう。だめだ。またやる前から無理って決めつける

僕の悪い癖。想像の世界くらい気楽に楽しまないと。喝(かつ)

僕は人間のナビゲーションにはどこか、うさん臭さを感じます。

その人間が自分の利害を最優先させてしまうのが人間の欠点。

機械であれば、多分人間に優劣を付けないで公平でしょうから。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。夢の持てる明るい未来に、乾杯!!!


また明日から楽しく書こう!!


 

思い出

今朝の事。起きがけのコーヒーを、起き抜けのお茶に変更して

トイレでスッキリを感じて、「今日も調子が良いぞ」って

玄関に向かっている僕の背後から、妻の声が

「***さん、亡くなったって、、、」「ええっ」

上がっていた士気が、一気にふやけてしまいました。


僕の母親よりわずかに年上だったでしょうか。二年程前まで

数十年間我が家の近所に居を構え、旦那さんを亡くしてからは

ひとり暮らしをしていて、毎週妻の施術を受けられていた、

僕のお気に入りの《おばさん》でした。その穏やかで

優しい眼差(まなざ)し、ゆっくり、ゆったりとした

気取らない動作と飾らないしゃべり口調が、本当に

心いやされる、得(え)も言われぬ、心和(なご)まされる、

ご内儀(ないぎ)、おかみさんだったのでした。

ずっと昔から(僕が生まれる前から)知っている誰かのような人

数年前より物忘れが発症し始め、東京在住の息子さんの

世話にと、引っ越しされた数年後の便りが

《死の報告》とは寂しい限りです。特別に何かを話し、

何かをして頂いた、僕の人生の何かを変えたわけでもないし、

取り立てて僕自身の《何か》ではないのですが不思議と、

決して忘れられない懐かしい存在なのでした。


人生のすべてはやがて煙のように消えて無くなってしまいます。

でも《いつか》は、それらのすべては素晴らしい

《思い出》となって、きっとよみがえって来るはずです。

どのような形であれ。必ず。


今日はここまで。近藤浩二でした。ではまた。

今日は在りし日の***おばさんを思い出しながら、、、


施術後に「楽になった。ありがとう。」っと、またコーヒー

と菓子を召し上がって「美味しかった。ありがとう。」って

玄関を立ち去って行く小さな姿が思い出されます。拝。


 

喧嘩(けんか)

朝夕ともに涼しいというより、すっかり冬かと勘違いするほど

寒くなってしまいました。数日前、昼前の11時過ぎ車に

乗り込み、昼食を兼ね、隣町へと新鮮卵を購入に出発します。


秋晴れの中、草をなびかせる、でも穏やかな風、空には薄く

静かにたなびく雲、草木がもうじき色付き始める季節が迫って

来ています。秋の柔らかい光に導かれ、低い位置に

視線が移りました。ほんのりと肌寒く、車中から心地良く

秋景色を眺めていました。青空と取り囲む古い家並み、

川べりを走行中、うっすらと、緩やかに、わずかに

揺れ動く白い穂先が僕の視界を捉(とら)えました。

次の瞬間「ススキがいっぱい」確信が持てずとも、

思わず声が、、「あれ、ススキで?」いきなり聞かれて、

泡(あわ)食ってしまって、声が上ずってしまいました。

「えっ、、っと、、」、、押し込まれて、自尊心が

傷つきたくない僕は、しどろもどろと言い訳がましく

「ススキ科か、、ススキの仲間の植物やろ、、」との自己弁護に

走って、自己嫌悪が襲い掛かっていると「えっ、、ほんとに?」

と再度尋ねられ、さらに自己弁護を重ね塗りしてしまいました。

「そんなの、本人に聞いてみないと、分からないでしょ、、」

そんな僕の発言に嫌気がさしたのか妻の逆襲が始まりました。

「もう、ほんとに素直じゃないのね。大嫌い。」

「もっと素直になりなさい。」その時二人の視界に

本当の《ススキ》らしき一群が見えました。

「あれが、ススキですよ。」妻が強い口調で自慢気に

言い切っていました。僕にもなんとなく納得できましたが

なんだかその正当性が認められず、悔しくて抵抗しました。

「君はススキさんですか?」ダイコン役者が絵空事を論じます。

「私はススキではなくて、、鈴木ですよ」とオチをつけました。

「よく間違えられるのよ。気を付けてね。」「あっ、そっだね」


僕たち夫婦はつまらない、些細(ささい)な事でよく

揉(も)めます。お互い聞き流せば、済むことを生来の

負けず嫌いがそうさせるのでしょう。バカみたいです。その後

本気で喧嘩になって言い争いに至ります。良く言えば《本音》

でぶつかり合います。結果どちらも折れないから、互いを

ののしり合ってしばらくの間、沈黙になります。《時間》の経過

だけが、ふたりの《かすがい》として存在しているのです。でも

これで20年近く今もって365日二人だけで生活しています。


本音で傷つくならば構わない。でも、嘘で傷つくのならば

いたたまれない。理屈では理解できても、悪態をつかずには

いられない。これが人間の悲しいサガです。しかし互いに

相手をよく理解し合っているのでしょう。加えて根本的に人間を

愛しているのだなと思います。それは《本音》でぶつかり合う

からなのです。自分は勝たず、相手も負かさず、敬意を払って

《虚》(嘘)ではなく《誠》(本音)を振りかざす限りは、

相手を切っても、傷つけても、血は流れません。


得てしてとかく、我々は自分の正当性を言い張って

しまいがちです。しかし一方の正当性の反対は

《また別の正当性》であることを引き合いに出すまでもなく、

論争は相手に歩み寄る気持ちが、無い限り、平行線なのです。

夫婦喧嘩はたいがいこれでしょう。したがって結論は、

第三者が、客観的に下す以外に答えは出ません。結局

ほとんどの人は残念ながら、その言葉に、

生き方が追いついていないものです。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。今日も楽しんで書けました。


 

(Blog to Soul)水素風呂と時代劇と音楽を愛する左半身麻痺の塾講師