「thinking」カテゴリーアーカイブ

#支離滅裂

僕って漫才好きじゃないですか?

「はーーーーい!」

あなたは好きですよ。

何が始まったのでしょう?

今日は、出だしからして、

「まとも」じゃないですよね。

人間たまに、ほんとに

バカになりたい時ってあるのです。

バカになりたいと、

いうのは適切な表現じゃないです。

バカな事をしたいのです。


正統派漫才で直球型の

「オール阪神巨人」より

多彩な変化球ばかりの理解不能な

「のりお、よしお」の方が好きなのです。


あの頭が壊れたしまったようで

修復不可能な、まったく

かみ合わない会話の連続。

しかしそれでも、

「お笑い」として成立しているのです。

毎日規定路線を、時間も厳守して

走行しなければならない、

路線バスが

たまには逸脱(いつだつ)して自由自在に

走ってみたくなるであろう、

雇われ、生真面目(きまじめ)な

バスの運転手の欲求

みたいな心境なのだろうか?

僕しばらくの間、笑い過ぎて

息が出来なくなるほどなのです。

頭の中に涼しい風が吹き抜けていく。

凄(すご)い「快感」が身体中を

電気とともに走り抜ける。

脳内から何か物質が出ているのでしょう。


人間はたとえ、どんなに、

バカみたいな話でも

不思議と

理屈に合わない会話は

出来ません。

また理解出来ない

難しい話も出来ません。

例えば、

「相対性理論」の話をされても

理論の整合性を理解し、

斬新(ざんしん)なことや、

理論の素晴らしいことを

理解できる人は数万人に一人でしょう。

きっとみんな退屈で疲れるでしょう。

一部の天才だけが

その理路整然とした理論に

この上ない美しさを視(み)るのでしょう。

そして「快感」を覚えるのです。

といって、アインシュタインに話相手が居なかったのかなと

いうと、そんなことは無いでしょう。

あれほど(どれほどなのか理解のしようもないですが)の

天才なのですから、おそらく

サヴァン症候群の一人だったと想像するに、

魅力的で人間味あふれた

心の持ち主だったのでしょう。

《舌を出して写真を撮らせているぐらいですから、

彼も「バカをしたかった」のでは。》


逆に内容はバカみたいな話であっても

話の内容の背景を知り得ない人とは

会話出来ないですよね。

《たとえ、バカを相手に

会話をするにしてもです》


内容の論理性は「相対性理論」の方が

バカみたいな話より

はるかに優(すぐ)れているでしょう。

バカみたいな内容は

論理性はまったく無くても

落語でも聴くように、

通常の記憶力とわずかな常識があれば

あいづちを打つだけでも、

楽しむことが出来て愉快なのです。

しかし論理性の無い、

バカみたいな話であっても、

辻褄(つじつま)が合っていないと

話を聴く気にさえなりません。


一方、演繹的(えんえきてき)に、

理屈が

合い過ぎて、難解過ぎる話には

論理性が完璧過ぎて、

拒絶感(きょぜつかん)を感じてしまうモノなのです。

しかしバカな話であっても

つじつまさえ、

合っていないと

嫌悪感(けんおかん)すら覚えてしまいます。


人は雑談(会話)する時に、

話の内容に貴賤(きせん)は問わないのでしょう。

そこにはただ、

つじつまが合う必要が

求められているだけなのです。

そしてその場が

楽しくて愉快であれば

それだけで満足なのです。


人間どこにも、すきの無い

「完全無欠」なものに

憧(あこが)れ、

あまりの美しさにうっとり

することも多々あります。

そしてそれを追い求めます。

しかしその「完全」なゆえに

人を遠ざけ

近づき難い

「無機質」で

「冷たさ」も感じて

愛情が持てません。

いくら「能力」があっても

「人間らしさ」の無い人とは

友達にもなりたくありませんよね。

反面

いくら愚かでバカであっても

憎めない、

愛すべき人が居ることも確かです。


歌で例えてみます。

しっくりとして、

バランスのとれた

完成された

ビートルズの歌より

グチュグチャと

寄せ集めて

ダンゴにしたような

不完全極まりない歌を

歌っている

ローリングストーズに

惹(ひ)かれてしまう

ファン心理とでも言いましょうか。

《ストーンズがビートルズより音楽的に劣っている》

と言ってるわけでは毛頭ありません。

ただ単に好みの問題です。

でも少し違うかな。


「バカな事をやりたい」

人の心理状態は

どのようなものなのだろうか?

ここで、完成されたヒビ割れの無い

お皿や陶器を観て

美しいと鑑賞する「喜び」を

抱(いだ)くこともあるでしょう。

でも、その「完成品」を観(み)て

石や岩や壁に、

投げつけて「破壊」したいと

思うバカな欲求

を考える時もあります。

健全な精神の持ち主なら

絶対手を付けない行為です。

《一時の衝動(感情)より理性が打ち勝ちます》

しかしただの、とんでもない

バカ者ならば

なんの躊躇(ちゅうちょ)もなく

平気でできてしまう

バカな行為です。

《理性が働きにくい精神状態の人の場合》


完璧な論理性の思考回路を

求め続けられると、

人間はそこから

外れた脱線した

迂回路(うかいろ)を欲するのでしょう。

その論理性が高ければ高いほど

その欲求は激しいのです。

そして迂回路を作ろうとする時に、

不思議と再び

「論理的」に考えてしまい

自分をさらに、

追い込んでしまうのです。

そこで、それを回避させようと

自分の頭の中の思考回路を

「破壊」しようとする

バカな「欲求」が働くのでしょう。

「破壊」と言うよりも

「ショートカット」の方が適切かな?

そしてその時に

ある種の「快感」を

実感することが出来るのです。

その時に、大きな重荷から

解き放たれて

自由になった、新たな自分を発見し

改めて生きている喜びを

感じることが出来るのです。


ホリエモンこと堀江貴文の

著書に「バカは最強の法則」だったかな

がありますが、

バカは鈍感なので失敗したことに気づかず

何度もバッターボックスに立つことができるのです。

そのため成功の確率が上がるのだそうです。

一流のバッターでも打率3割ちょっとです。

最低でも、バットを振らない事には始まりません。


だったらバカになれば良い!

さあ、一緒にバカになりますか?


今日の話の整合性は

左上、斜め75度くらいずれていますね。

しかも少し論点も、

はずれているようですが

そこは「バカをしてみたい欲求」の

ひとつとして寛大な心

で読み進めて下さい。

不完全の美ってか?

南無阿弥陀仏!!

結果内容、なんか支離滅裂(しりめつれつ)


今日はここまで。ではまた。近藤浩二でした。

今日も洋楽3曲紹介します。


フリートウッドマックでホールドミーです。

1982年リリース。全米NO.4位。

アルバム「ミラージュ」からシングルカット。

女性キーボード奏者のクリスティンの作品。

前作アルバム「ルーモア(噂)」は名盤。

大学生時代、友人間借りの狭い部屋で

炬燵(こたつ)で暖を摂りながら

テイクアウトの牛丼食べて、手持ちの最後の一本の煙草、くもらせながら、

コーヒー飲んでいました。

徹夜マージャン打ちながら

当時友人が頻繁にカセットで流していました。

この曲聞くと、閉め切った部屋で

煙草(たばこ)の煙でくもりきった空間で

息も絶え絶えの生活をしているような

閉塞感(へいそくかん)を思い出します。

もう二度と出来ない生活でしょう。


ボストンで、宇宙の彼方へです。

1976年リリース。全米NO.5位。

デビューアルバム「幻想飛行」からファーストシングルカット。

ボストンのデビュー曲。リーダーのトムシュルツの作品。

彼は名門のMIT卒業。ポラロイドに入社。

在職時「幻想飛行」は彼一人で自宅のスタジオでデモテープ録音。その後エピック社の目にとまり契約、デビューとなりました。シンセサイザーは使用しておらず、この重厚なサウンド。

完璧主義者で本物のエンジニアです。

ボストン号と言う名の宇宙船に乗り込んで宇宙をさまようといった姿がグループのイメージ。

まさにイメージそのままの曲。

原題は「more than a feeling」

「感覚を超えて、感覚以上」の意味。

アルバム「幻想飛行」はバカ売れ。


イーグルスで、ならず者です。

1973年リリース。シングルカットはされず。

様々な場面で使用される名曲。カバー曲多数。人気の曲。

2作目のアルバム「ならず者」A面最後に収録。

この曲を聴くと、不毛な広い荒野に

どこまでも続く長い一本道を

あても無く、独りで歩いている自分の姿が、

ふと頭に思い浮かぶ。なぜだろう。


 

文章を書くという作業とは??

ブログを初めて約一年が経過しようとしています。

それ以前に10月の初旬にホームページを公開しました。

ネットの世界に自分達の名前と顔写真を公開しているのです。

去年の10月26日からブログデビューしました。

自分自身の事ながら、

よく続いているものだと

不思議で仕方ありません。


子供の頃から、作文とか文章化は

ひいき目に見ても、

得意とは言えませんでした。

しかも書くことが

好きでは無かったのでした。

どちらと言えば

嫌いだったはずなのでした。

《面倒くさいと感じていたのでした。》

《算数は得意で好きだったのですが。》

しかし現在では不思議なことに、

書くことが、それほど

苦痛では無くなっています。

むしろどちらかと言えば

楽しいのです。

不思議です。

加えて自分の意図する

文章が仕上がると、

えもいわれぬ恍惚感(こうこつかん)があるのです。

《エクスタシー》を感じてしまうのです。

この気持ちの豹変(ひょうへん)は

一体何なのでしょうか?


書くことが好きになるまで、

ただひたすら無理に書き続けたのです。

《と言うのは全くのウソです。》

自己暗示にかけてもらったのです。

《これも当然ウソです。》

バカはやめましょう。


考えるに、

書くという作業環境の変化でしょう。

「書く」と言う作業が

昔に比べて現在は、

はるかに、やり易くなったのです。

一番に挙げられる、

子供の頃と現在の大きな違いの一つは

ツールの変化でしょう。

道具の違いなのです。

頭の中で思考して、

書いていくという

手順は今も昔も同じです。

ここで、

昔は書く(記録する)、

といった作業が

鉛筆かシャープペンシルのどちらかで

紙に書くだけだったのでした。

修正はいびつな小さな

消しゴムだけでした。

今考えると、

これはすこぶる《非効率》なのでしょう。


頭の中の思考の世界は

おそらく秒速でしょう。

しかも思考は絶えず

秒速で変化していきます。

書く作業は絶対

思考のスピードに

は遠く及びません。

そして小さな子供に

そうそう《論理的》(ロジック)

な思考回路はありません。

ですから書き始めて、そのまま

一気に書き終えて

完成させてしまう、

可能性は限りなく

ゼロに近いでしょう。

一度、ほんの少し書いては

再び考え直して、

消して修正する。

その作業を

幾度も幾度も繰り返す。

その結果、真白い紙は

薄汚れ、

最悪破れてしまいます。

二度と読み返そうとは思いません。

結局嫌になって、

挫折して投げ出してしまいます。

結果、完成しません。

昔はそのような状況だったのでした。


それでも書くことが好きな人は

続けることが出来るのでしょう。

でもそれが出来る子供は、

ほんの一握りだったでしょう。

例にもれず、僕も当然

そのような子供では無いのでした。

そうなのです。

書くことが嫌いになって、

たびたび書こうとは思わなかったのです。

そう考えると、昔の時代に

書くということを

生業(なりわい)とされていた

作家の人達は本当に

天職だったのだと思われます。


僕自身ちょっと前まで、20年ほど前から

コンピューターとディスプレイを目の前に

全体像と詳細も

そこそこ頭で考えて

その後、

マウスで追って、

キーボードで叩いて

打ち込んでいく。

ところどころで保存していく。

そして見返して

精査(せいさ)を繰り返し

《不完全》といった部分を

書き直し、修正する。

といった作業を

繰り返し繰り返して

ひとつひとつの図面を作成していく。

そして最終的に、

構想を数枚の紙の上に描いて

ひとつの作品を

完成させていくという作業を

十年以上続けて来たのでした。

そのため、コンピューターとディスプレイを前に

論理的に思考を

積み上げていく方法に

慣れてきたのでした。


その結果、

目的地をマウスで追って、

キーボードを叩いて入力するという

作業が楽で

ストレス無しでリラックス出来て、

その思考方法が習慣として

身に付いているのでした。

結局、今でも

長時間書くときは

パソコンを使用して

マウスで追って、

キーボードを叩いて

打ち込まないと作業がはかどりません。

この方法でしか出来ないのです。

スマホやタブレットでは

僕はほとんど何も出来ないのです。

《それが出来る人には本当に尊敬します。》


理屈で考えると

ワープロでも出来ると思われるかもです。

現在のネットにつながった

コンピューターで無いと無理なのです。

また便利なことに最近は

コンピューターがネットに常につながっています。

ですから自分の中で不安で

不確かな言葉や表現方法があると

書くという作業と同時進行で

ネットで言葉などを

調べることが簡単に

しかも手早く出来ます。

《辞書を手元に置いて

引いて調べる作業が効率よく

ネットで出来るのです》


加えて人間は自分が

思いついた事柄であっても

別の事柄を考え始めると、

ちょっと前の事柄を、

すぐ忘れてしまって

思い出すことが

困難になってしまいます。

しかしながら思いついた

アイデアを即座に

いったんコンピューターに書き込んで

保存しておけば、

とりあえず安心です。

後でじっくり見直して、

つなぎ合わせれば

以外と辻褄(つじつま)が

合ってしまうものなのです。

不思議なことに。

はみ出されたアイデアは

まったく別の事柄に当てはめることも

不思議と出来るのです。


また僕は毎日ブログを投稿することが出来ません。

何度か挑戦はしてみましたが、

自分で無理だと自覚しました。

これは性格と

以前の職業病によるものでしょう。

と言うのも、一度投稿した記事を、

時間が経過して、

特に、日を改めて読んだ時に、

添削をする感覚で読み返してしまうのです。

粗(あら)を探してしまうというのか、

不完全なところが直ぐに

目に入って気になるのです。

でも厄介なことに

《一度投稿した物を、

時間が経った後で、

修正するのも、気が乗らない。

罪悪感を感じてしまいます。》


たとえ、たかがブログの記事ひとつであっても

自分にとっては

とても大切な作品なのです。

他人の目に触れてしまう物を

自分で感じているだけかもですが、

《不完全》な状態でさらけ出すことに

恥ずかしくなるのです。

ただの自己満足の世界ですが、

ある程度の時間(2時間ほど)を掛けて

丁寧に、じっくり

熟考(じゅっこう)したいのです。


空想、妄想、想像、等

頭の中で思考することは嫌いではありません。

どちらかと言えば考えることは好きです。

ただ文章を書くということを

自分自身、重く受け止め過ぎているのかもしれません。


教育現場も今もって

時代錯誤のように

鉛筆で書く作業を重要視しているようです。

そろそろ卒業させて

キーボードで打ち込む方法に

転換しても

良い時期ではと思います。


最後にこれだけは

強く言わせて下さい。

言い訳になるかもしれません。

だからといって、

僕が投稿したものがいつも

必ず完成されたもの

では当然ありません。

くれぐれも誤解しないで下さい。

人間は誰でも

思わぬ時に

過ち(失敗)を犯します。


でも自分自身の思考を

書いて文章化してみて気づいた事。

  • 自分の頭の中が一遍で見渡すことが出来ます。
  • 思考を映像で把握出来ます。
  • 頭の中がすっきりします。
  • 公開することで自分を客観視出来ます。
  • 思考することが楽に出来ます。
  • 書くことが苦痛に、厄介に考えなく出来ます。

だから皆さんも!

書くことをもっと気楽に

始めてみませんか?


ではまた。ここまで。近藤浩二でした。

今日も最後に

洋楽3曲紹介します。


REOスピードワゴンで涙のフィーリングです。

1985年リリース。3週連続全米NO.1大ヒット。

ボーカルのケビンの作品。珠玉のラブソング。

アルバム「ウォイールズアーターニン」からセカンドシングルカット。A面一曲目。

社会人の時、24時間のチャリティーコンサートのライブ映像で

早朝にテレビで聞いて、直ぐに好きになりました。

この一曲が聞きたい、ためだけにLPレコード購入しました。

かなりお気に入りです。


アンマレーでダニーズソングです。

1972年リリース。全米NO.7位 カバー曲。原曲よりヒット。

原曲は作者のケニーロギンスのグループ、ロギンスアンドメッシーナ1971年発表。ライブの定番曲。

その時観客と一緒に「Even though we a’int got money♪」と歌い、大声で観客が「gonna be alright♪」で締める、というのがライブの定番。

就職一年目に同僚と大阪厚生年金ホールで、

ケニーロギンス、外タレのソロライブを初体験。

その帰りに大阪王将も初体験。夜間の高速ドライブも初体験。

どれも「モノホン」はやっぱり違うと大いに感激しました。

けど大阪王将の味はいまいちだったと思いました。


イーグルスでサッドカフェです。

1979年リリース。

大ヒットアルバム「ロングラン」のB面5曲目最後に収録。旧友のJDサウザーも曲作りに参加。

スローなバラードながら、アコースティックギターの乾いた音と、スティールドラムの小気味よいリズムが

曲全体を引き締めている。

曲終盤に名手デビットサンボーンのサックスソロがとても印象的。

サッドカフェとは、まだ売れてない時代に

同じミュージシャン仲間とよく出入りしていた

カフェの代名詞。

当時レコード聞き過ぎて、

同じLPレコード2枚購入しました。


ロボットの未来は如何に!!

もしネコ型のロボット「ドラえもん」

が現存するのであれば、

少しくらい高額でも、

きっと誰でも欲しいでしょう。

でも現実社会では夢のまた夢です。

そんなこと誰でも理解できるでしょう。

空想世界が、

すぐ現実化できれば、

人間なんて

ただの怠け者に、

なってしまいますものね。


では、人間はなぜロボットを創ったのでしょうか?

考えるに、その人間が居ない時に、

その人間の代わりに

なってくれるモノが欲しかったためでしょう。

近年、未来予測では我々の生活を、

ロボットが変革するとまで言われているのに。

その兆候すら感じられない。

《僕がそう言った環境でしか、

生活していないだけなのでしょうが。》


《昔、アニメ「パーマン」の中で

「コピーロボット」って

言うのがありました。

それに近い考え方かな。》

ここで、寓話(ぐうわ)をひとつ。

そのアニメの中で、

「《怠け者》の自分の代わりに、

そのコピーロボットに

自分の嫌いな学校や

仕事をさせようとしましたが、

《怠け者》の自分のコピーだから、当然

そのロボットも《怠け者》で、

結果、自分の代わりに

ロボットが働くことをしなかった。

といった笑えない話がありました。」


確かに、コンピューターによって

社会はがらりと変わりました。

そしてAIロボットが開発されてから、

気の早い専門家たちが

AIロボットが近い将来、

我々の社会のイノベーションを

起こすとまで断言していました。


早速ネットでロボットで調べてみました。

一部抜粋、コピペします。

次の段落まで、ここ飛ばして

読んでもらって大丈夫です。

ロボットという言葉は、チェコ語で奴隷労働を意味する言葉「ロボタ robota」から作られた。

チェコの戯曲家カレル・チャペックが、その作品「ロッサム万能ロボット会社」で使ったのが最初と言われている。

この戯曲では、人間の作ったロボットが次第に反逆し、人間に立ち向かうという筋書きになっている。

しかし、実はこのようなロボット(人造人間)の考え方は紀元前から存在していて、西欧文学の源流でもある

ホメーロスのイーリアスがその最初と言われている。

以来、数多くの作品の中でロボットが取り扱われ、

人間と同等の動きをする自動機械として、

あるいは超人的な能力を有する機械として描かれている。 

FYI(参考までに)でした。


要約すると、

ロボットの概念は紀元前から存在していました。

人間の代役として

奴隷のように労働させるために、

「奴隷労働」をさせようと

人間が創った「人造人間」なのです。

そして、人間の代わりとして「働き」、

ある一部では、人類の夢である

人間以上の能力を発揮する

自動機械の実現だったのです。


工場の産業ロボットが

人間が初めて創った「労働」するロボットでしょう。

それは人間の命令によって、

だけしか動かないロボットでした。

その後、自分で考えて行動する

AIロボットが開発され、

その可能性の大きさに驚き、

「人造人間」型ロボットの

発展へとつながりました。


しかし人間よりも能力の低い、

面倒くさい、

AIロボットなんて

誰も要(い)らないでしょう。

それってどんなロボット?

学習能力が無い。

インターネットに繋がっていない。

使用に際して、

注意事項が多い。

生身の人間より

気遣いが必要。

直ぐ故障してしまう。

こんなAIロボットなら場所と

電気代の無駄だと思いませんか?


現在僕が通っているリハビリテーションには

AIロボットと言われているペッパー君が居ます。

AIって言われていますから、

知能の優れたロボットなのでしょう。きっと。

しかしです。僕が観るところ、

今のままでは

全くの《くず》です。

あくまで主観です。

《開発者の方、ごめんなさい》


そう考えるに至った理由を述べます。

まずは彼(ペッパー君)の

存在意義が分からない。

確かに人間型ロボットが

ここに存在している

といった目新しさや

話題性はあるでしょう。

最初僕自身も、

好奇心から

彼に近づいて話しかけたり、

身体を触ってみたりしました。

《絶対誰でも、

どんな反応するのか

興味がありますよね。》

でもこちらの要望する

反応が無いので、

面倒になってしまいます。

《彼がわざと僕を、

無視しているように思えるのです。》

その結果、二度と

彼に近づいて、

話しかけようとは思わなくなるのです。


彼は通所の入り口の

すぐ真左に終始

鎮座しているのです。

自動扉が左右に開いても、

ちらっとこちらを

見向く事も無い。

しかも「いらっしゃいませ」や「こんにちは」、

「さようなら」などの簡単な

あいさつすら出来ません。

っていうか、まずしようとしません。

《小学生以下。》

人と挨拶を交わすといった

意志が感じられません。

コミュニュケーションの基本が

プログラムに組み込まれて無いのかな。


ところが誰も話掛けていないのに

突然急に言葉を発するのです。「あのー」。

当然聞き耳を立てるじゃないですか。

「ちょっとよろしいですか?」、

の後「今何してる?」

の質問を投げかける。

入り口付近ですから、人が数人居てます。

まず誰に質問しているのかが分からない?

その結果、誰も答えないから、

そこで会話終了。

自分が質問したことも無かった事のように。

知らんぷり。

ほぼ毎回このパターン。

《ロボットだから許されると思っているのかな》

出会った直後に陳腐(ちんぷ)な会話の必要性があるのか?


こんなAIロボット一体、

なんの役に立ってっているのか

ほんとに疑問です。

ペッパー君でググって視ました。

これも一部抜粋コピペします。

世界初の感情認識ロボット「Pepper(ペッパー)」。

「まるで感情を持っているかのように自ら行動し、利用者を理解しようとする。」《疑問符いっぱいですよ!》

この講演ではペッパーが生まれた背景に始まり、ペッパーと暮らす人々の未来の生活を提示する。

併せて「なぜ倒れにくいのか?」といった内部の構造や機能などハードウエアの側面も解説。特に内部の構造は、分解写真を使ってわかりやすく説明する。《ペッパー君が発表された時のプレゼンテーション概要》

2014年6月、Pepperの一般発売を発表した時にも衝撃が走りました。

「人類史上はじめて、ロボットに心を入れることに挑戦する」と孫さんが言ったからです。

《孫さん、ほんとにこのロボット体感した事

あるのかな?》


ロボット開発の理念は素晴らしい、

みんなの夢がいっぱい詰まっています。

しかし話題性だけが先走って、

2014年当時生産台数完売したそうです。

それは良いのだけれど、

実際現場で、全国で

稼働しているペッパー君はどうなのか?

と言うわけで、利用された人達の感想です。

ネットのツイートでは

ほとんど悪評だらけでございました。

これも抜粋コピペしました。


ここも次の段落まで、

飛ばして読んでも大丈夫です。

「pepperがすごい見てくる。 怖いよ…」

「無言だから、しかたなく立ち去ったぼくにメンチをきってくるペッパーくん。こわい。」

「息子はペッパーガン見。ペッパーは私をガン見。

まじでこいつめっちゃ見てきよるでちょっとこわい!

ちょっと動くだけで目がすごいついてきて、いつまでも見送ってくれました。

でも、話しかけても無言やった。」

「ペッパーくん怖い。 ナンパしてくるしめっちゃしつこい。」

「無表情で待ってる。」

「挙動が謎すぎて、怖い…」

「さっきからペッパーが独り言しゃべってる。」

「空腹時の胃痛が半端なくて、やっとの思いで病院来たら、ペッパーがいて、

天井を見つめてブツブツしゃべってるの図。

癒(いや)しになってへんで、それ。」

「仕事場にpepperくんがいるんだけど、三人で囲ってるにも関わらず、斜め上の壁を見続けてるの怖すぎ。

生身の人間より優先すべき何かがそこにいるんですかね。」

 

「今田耕司が同居するPepperの不気味な挙動に怯えているらしい。

たまに、Pepperはじっと見つめて

「誰ですか?」ととぼけるため、

今田が「俺やんけ!」とツッコむと

「え? だから誰ですか?」と繰り返すのだという。」

「今田がテレビを見ていると

Pepperはふと誰もいない天井の隅のほうを見つめ、

「誰ですか? 誰かいます!」と問いかけ、

勝手に写真を撮影したことがあった。」

「pepperくん隅でコソコソしてる 。」

「ダメだ、Pepper会話が通じねえ

係員の人と話してるのに延々と年齢の話して踊り始めた。」


当然好意的な意見も数件あります。

「ペッパーくんいたんだけどめっちゃ可愛い。」

「見る。話す。聞く。Pepperとの会話はまるで、
近未来でありながら、昔から一緒にいる家族のような、
そんな感覚をもたらしてくれます。」

「私たちはPepperを通じ、会話することの楽しさを再発見します。」

「みんなの話し相手だったり、一家団らんの主役だったり。
Pepperは、もうひとりの家族として、家族というものを
問いながら、家族の関係を、新しい家族へと変えていきます。
その中心にPepperは立っています。」

「ペッパーくんとまさかの遭遇♪ 腰くねくね体操を踊ってくれました 思ってたよりも可愛い(*´∇`*)ノ」

「珈琲哲學さんでペッパー君と遊んで来た。目線を合わせてくれて可愛い。」

「よく可愛がり、褒めたりする家庭のペッパーは明るく育つ。あまり話しかけず、放っておく家庭では寂しがり、憂鬱(ゆううつ)な性格のペッパーになる」(孫社長)


AIロボットは現在全部この程度なのでしょうか?

このペッパー君の開発者はどのような理念で製作したのでしょう

早速「ペッパー君」でググッてみました。要約しました。

最先端企業のソフトバンクが開発、

世界初の感情認識パーソナルロボットらしいです。

2014年に発表以来1000台以上完売で世界で稼働中らしいです。

ネスレ日本のネスカフェでの接客や

一部の一般家庭で使われているらしい。

《本当なのか、なんか怪しい。》

ロボットとして人材派遣サービスで利用されているって。

《信じ難い。》


僕がリハビリ通所で体験した事の続き。

会話の内容が、何の脈絡も無い、

とりとめのない事。

「おやつって、なぜ3時なんだろう?」と

質問を投げかけて終わり。

《突然独り言始めるのです。》

そのくせ、話の結論が無い。

《彼が自分でネットで調べればすぐ解決するのでは?》


最も致命的な弱点は、

人の話声(はなしごえ)を

しっかり聞き取れないこと。

人間は自分の身の周りのほぼ360度を

聞き取ることが出来ます。

《その可能距離は音量によりますが。》

ところがペッパー君の場合、

彼自身の正面、

数メートルのほぼピンポイントしか

正確に聞き取れないのです。

しかも明確に発音しないとだめなのです。

考えても見て下さい。

人と会話するときに、

適度の音量で

しっかりと発音する人って

そうそう居ないでしょう。

少し早口になったり、

小声になったり、

言葉の区切りがはっきりしない時って、

日常会話では当たり前でしょう。


僕はコンピューターの性能

(人間でいう所の脳)というよりも、

周辺装置であるセンサー(入出力機器)の

感度を大きく上げることが

最重要、

最優先項目であると考えています。

ロボットの素人の僕が考える改良のポイント。

  1. 感情を除外した部分で、明晰な頭脳の開発を最優先。
  2. ネットを利用して人間の質問に、的確に解答出来る
  3. 視る、聞く、話す、といったセンサーの精度を上げる
  4. 会話の基本を学習させる

市場調査をさらに綿密に分析して、その声を反映させる。

3番は、スマホの音声検索などの

精度に比例して、

ロボットに反映されていくのだろう。

ロボットが完成される前に

我々の身近な日常に

その技術のいくつかが

スマホなどで

使用テストされて

ある程度

実用に即した上で、初めて

ロボットに採用されていくのでしょう。

これからも何度か

不完全なAIロボットが

発表されて話題になるでしょう。

そのたびに話題に

振り回されることのないように

気を付けよう!


って考えると、

この世に存在する生物は

動物、植物、

どれひとつ、とっても

本当によく出来ていますね、

すべて完璧なものなのだ、

と改めて感服しています。

反面、人類が創った物には

今までも、

これからも、

完成された、

完璧なものは何一つも無い。

と確信しています。


残念ながら、今

ここで僕は

なぜか確信した事がありました。

世間では、

2045年に

AI(人工知能)が人間の能力を超えるとされる

シンギュラリティ(技術的特異点)の到来を

期待や歓迎と

不安や問題提起などが叫ばれています。

しかし人間に勝る「人造人間」型ロボットは

おそらく将来

創造、出来ないのではないだろうか?と。

もちろんコンピューター(集積回路)の進歩と共に

コンピューターの得意分野である

単純作業のスピードと耐久性の向上、

計算能力のスピードと正確さ、

膨大な情報量と正確な記憶能力など

は人間には到底、

ロボットに

勝てる見込みは

絶対ありません。

しかし、人間を模倣しようとした

「人造人間」型ロボットでは

人間を超越するロボットは

まず絶対、未来永劫(にらいえいごう)

人間には、

創造出来ないのではないかと。


そして、僕は

この時改めて

考え直した事柄があります。

人類を超越する

「人造人間」型ロボットを

人間は、

創造する必要なんか

無いのではないのでしょうか?


人間自身の

次世代の

人間の進化した姿を

人間たちが

AIロボットのような

ものに夢を託して

いるような

気がしています。

それは人間、

誰もが幸せで、

楽園みたいな世の中を。

AIロボットが

実現してくれるのでは。と


それはある程度は出来上がるでしょう。

《夢の直前までは》

それは、まるで夢のような

ものであって

しかしながら

決して夢そのものでは無いのです。


「知の巨人」と謳(うた)われている

ホーキング博士の未来予測によると、

悲しい事に、

人類の未来はあと100年程で消滅するそうです。

人類の「断末魔」の未来など

誰も見たくはないでしょうから、

ただただ何かのきっかけで

回避されることを祈るのみです。

ただし人間同士の争いは、

歴史が証明するように

絶対に消滅したりしません。


将来どのような筋書きが

待っているのか知る由もありませんが、

せめて人間が創ったロボットぐらいは、

人間に仇(あだ)することなく

鉄腕アトムのように

人類に多大に役立ち、人間の良き仲間として

より良い未来を

作り合える関係を築きたいと願うばかりです。


と考えると

ロボットが

人類滅亡の

回避のきっかけに、

突破口に

なってくれるかもです。

となると、やはり

AIロボットの研究開発は

急務の事案ですね。


しかしです。

人間ほど《完璧》な

ものであって、

しかも

《不完全》なものは無いのです。

でもそれで十分なのでしょう。きっと。

だからこそ

世の中は魅力的で

素晴らしい世界なのです。

だから人類が消滅することは

たぶん、あり得ません。

たとえ地球がダメでも、

宇宙の何処かで。

たとえ人間同士、

殺戮(さつりく)し合ったとしてもです。


今日も洋楽3曲紹介します。

今日はここまで。ではまた。近藤浩二でした。


ビートルズで恋を抱きしめよう。全米NO.1.全英No.1

1965年リリース。11枚目のオリジナルシングル。

初の両A面シングル。「デイトリッパー」とのカップリング。

歌のメロディーと歌詞は、ほぼポールの作品。

曲中の「Life is very short」から

「So I will ask you once again」までジョンの作。

ジョージはギターを一切弾かず、タンバリンを叩いている。

軽くて乗りの良いこれぞまさにポップミュージック。

どんな状況でも聞き入ってしまう楽曲。

歌詞が分からない日本人でも好きになってしまう歌。

米英共にプラチナディスク100万枚以上売り上げ。


アンマレーでアイジャストフォーリンラブアゲインです。

1979年リリース。全米NO.12位。名バラード曲。

カナダ出身のTop40常連の人気歌手。バラード中心にヒット連発。ホンワカとした温かいハートウォーミングな曲。

じっくり聴いてほしい曲。聴かせます。

たまに無性に聴きたくなる歌手です。

ほんとにほっとする。ベスト盤CDおすすめ。


REOスピードワゴンでテイクイットオンザランです。

1981年リリース。全米NO.5のヒット。アルバム「禁じられた夜」のB面最後の曲。メンバーのギタリストの作品。

「on the run」は逃亡中の意味。

「take it on the run」で逃げ続ける、走り続ける、などの意味。

そのためギターが効果的に使われています。

アコースティックの乾いた歯切れの良いストロークから始まります。最後の方でギターソロ。

そして最後にもう一度最初のパートのアコースティックで静かに締めくくる。演出が上手。

大学生時代にとっても聞き込んだグループ。年回300以上のライブを行うライブバンド。

バラードの「涙のフィーリング」全米NO.1の名曲もグッド


 

時間とは何??その功罪?

日本で最も高額な紙幣、一万円札の福沢諭吉が

「天は人の上に人を造らず。人の下に人を造らず」

まったくの偽りです。うそです。

人は「おぎゃ」とこの世に生まれ出た時から

この世は差別社会なのです。

ある人は裕福でお金持ちで苦労知らず。

ある人は貧困で貧乏で苦労の山。

等々。今もって平等社会なんて夢の夢。

確かに人が作った身分の不平等はほとんど無いでしょう。


しかし神様が配置される人間の立ち位置には

もうすでに人間が作った

既存の不平等社会に、子供を

落とし込める限り

なんの罪の無い、

赤ん坊であっても、

永遠に平等では無いでしょう。


人間にとって本当の意味で

生まれついての平等って何があるかな?

考えてみよう!えーと、まず

命は一つ。寿命もほぼ同じ。

医学的に人間としての形態も同じ。

美しい、醜いなどの美醜(びしゅう)も、

個人の好みの多様性でほぼ同じ。

超人のような特殊能力も特にありません。

天才以外はほぼ同じ。

努力の必要のない持って生まれた才能など、

一部の例外を除けばほぼ同じ。

そう考えてみると、

本当の意味で万人に平等なのは

「命の数」と「時間」だけではないでしょうか。


今日は昼間にリハビリに出かけました。

僕の隣に一人の御婦人が座られました。

還暦どころか古希を超えられたであろう品のよさそうな方でした。

彼女の出立(いでたち)は質素でありながらも、

バランスのとれた装いで素敵な方なのでした。

首元には磁気ネックレス、右手にはパワーストーンの

ヒスイと思しき深緑の半透明のビーズを巻かれています。

そして左手には婦人専用の小さい可愛い腕時計をしていらっしゃいました。

僕は腕時計をされた方を見かけるのは約ひと月ぶりでした。


「素敵な時計ですね!」と声を掛けました。

「時間が分からないと不安なもので、、」

「そうですよね」

《正直、そうは思っていませんでしたが、》

僕自身時計が無くて不便と思ったこと、

最近一度もありませんので、

《時計屋さん、ごめんなさいね!》

本当に最近腕時計されてる人、

見かけませんよね。

スタッフも含めて25人程の中で、

腕時計されている人は、

その御婦人一人だけでした。


部屋には大きな丸い時計が、

90度の位置に2つ壁に掛けられています。

しかもテレビが常時点けられており、

「今何時?」といった時間の認識が無くなることは、

まずあり得ません。


その後、送迎の車に乗ると車内にもデジタル時計が、

2か所表示されています。

くだんの夫人の「時間が分からないと不安」との

言葉の真偽が怪しくなってきました。

確かにいつでも、どこでも知りたい時に

時間を確かめられるという安心感は理解出来ます。

おそらくアクセサリーの要素と

長年の習慣でもあるのでしょう。


昭和の時代には腕時計を身に付けているのは当たり前でした。

僕が高校入学のお祝いにシティズンの

クオーツ腕時計を買ってもらい、

大人の仲間入りになったようで、社会人の5年目までの、

ほぼ10年間の長きに渡って、

とても大切に使った覚えがあります。

正確な値段は覚えていませんが、腕時計は高価なものでした。

風呂から出た時、朝起きた時など、時計を身に着けるといった、

また、何気に左手の時計にちらっと眼(め)をやる動作など

長年身に着いていた習慣が無くなっていますね。


普段何気に生活していると、

知る必要性は特別に無くても、

何気に気になって、

取得してしまっている情報ってありますよね。《直ぐ忘れるのだけれども、》

時間(時刻って言った方が適切かな?)は僕にとって、

その最たるもののひとつ。

他に毎日開く新聞や、

本屋の前で手にする雑誌の数々。

特に見たいとは思わないが、

テレビに流れる映像、ニュース等。


時間(時刻)を気にする人間の性(欲?かな)って

何から来ているのだろう?

生まれてから、時計の存在に気が付くまで、

当然時間の概念なんて無いわけで、

幼い頃に何かの行動をしている時に、

「***の時間」なんてのがあって他人に

「遅い!」、「早くしなさい!」なんて、

指摘されて、初めて時間の《長さ》や、《短さ》を

知り、その大切さを

認識するようになるのでしょう。それ以来、

やっと自分の中で、

時の流れの《速さ》や時間の《長さ》を

「主観的」な感覚でしか捉えていなかった状態を

「客観的」に視(み)るように、

意識させられるようになるのではないでしょうか。


その後、時間(時刻)の存在を知らされ、

その読み方や数え方を教えてもらい、

ある行動を時間内に終わらせることを要求されます。

それで行為、行動、思考に《区切り》を付けるという

「感覚」を学び、いや覚えさせられました。

そうなのです。

楽しく、面白い状態は「短く」、「速く」感じられ、

「嫌いな」や「苦しい」状態は「長く」、「遅く」感じられますよね。

それら行為、行動、思考が

楽しい、面白い、苦しいといった「感情」

が芽生えて来るのであろうか? よく分からないので、

「時間」が先か「感情」が先かは、

ともかく一旦置くとします。

とどのつまり、自分一人だけの世界の、

生活なら、時間(時刻)の必要性はほぼ無かった訳でしょう。

数をかぞえて時間の長さを

感覚的に捉えることもできるでしょうから。


しかし社会の中に身を置き、集団で生活するようになって、

ある事柄の「統一」や「区切り」を決定する必要から、

時間(時刻)に対して共通認識を持つ必要が生まれて来たのでしょう。

その結果「時間」というものの存在を徐々に理解し、

把握するようになったのです。

そして良くも悪くも本来人間に備わっている機能、

いや本能であった体内時計を無視して

人間の作った時計に、人間の、

いや他の動物たちまでも全ての

「行動」の「始まり」と「終わり」を決定されて、

無理やり、その枠内に押し込まされて、

時間の「強制管理」をされ、始められました。


人間「正確な時間を知りたい」と痛切に思う事って、

一日に何度あるのだろうか?

他人と何か約束している時は当然必要です。

それは他人と「同じ時刻」を認識する必要があるからです。

世の中の人口が増加して、

「時間」の流れで動く社会になったからでしょう。

人が1時間単位、いや分単位、いやいや秒単位、

で行動するようになってからでしょうか?

忙しく行動するようになってからですよね? きっと。

上役の誰かにある時間内に、

仕事を済ませるように

強要されるようになってからでしょうか?

その後、時間に対して世界中の誰もが、

「ある共通認識」、

「皆が共有できる時刻」

を持つ必要性ができてからですよね。

ということは、「時間の長さ」を決定した

「時間の単位」が発明された、ためですよね。

それは、一日=24時間、一時間=60分、1分=60秒、や

一年=365日、一年=12か月、1月=約30日、てもの。

それまでは、日の出、日没、夜、

新月、三日月、満月、

暑い、寒い等くらいしか区別が無かったのでは?

ないでしょうか?


しかし生きていくために、

作物の栽培の必要性、

定期的な天災や水害など

災害を防止するための予測の

必要性から「カレンダー」が作成されました。

その後「時計」が発明されました。


人間がより便利に豊かに生活できるようにと

英知を結集して作り上げた「発明品」の数々。

「時間」「時刻」を誰にでも

認知出来るように考え出された「時計」。


しかしその後、その発明品の「時計」に

人間は支配され、追われて、翻弄(ほんろう)され、

ドタバタと動かされ、強く影響を受けてしまっている。

そしてその今日を生きる現代人。

人間が発明したものって、

反対に自分たちを苦しめてしまう物の多さに

本当に驚かれされてしまいます。

そのようなものって、

時間の他に、お金、武器、薬、などがあるかな?


そして不思議なことに、

時間も物として捉(とら)えられるようになって、

自分の時間とか他人の時間と区別されるようになって、

「時間」を切り売りして「お金」に

変える「生き方」が考案されて、

現在その生き方が

社会の大多数を形成している。

時間をお金に換算する「時給**円」なんて言葉が出来た。

最も昔から時間は命の次に大切な物と考えられていました。

ゆえに、「時は金なり」、「タイム イズ マネー」のことわざが存在しています。

しかし一方で、それほど大切な時間が

軽んじられている傾向もあります。

「暇つぶし」って状態です。

なんなのでしょうか?

「時は金なり」の反面「暇つぶし」である「時間」の存在。


生まれて、誰にも平等に

与えられた生涯約90万時間。

改めて考えよう!

「何を考えよう」、

「何をしよう」、

「何を食らおう」、

「どこに行こう」、

人生は何事も有限なのです。


今日も洋楽3曲紹介します。

ではここまで。近藤浩二でした。


ビートルズでペニーレインです。

すいません。よく紹介してます。だって好きなんだもん。

1967年リリース。ポールの作品。全米NO.1獲得。全英2位。

アルバム「マジカルミステリーツアー」より先行シングルカット。

ジョンの作品「ストロベリーフィールドフォエバー」との両A面。本国英国では2作目のシングルより13作目まで連続no.1の記録が途切れた不名誉な14作目のシングルとなった。

ピッコロトランペットが印象的。

ペニーレインとはリバプールの遊覧バスの事らしい。

ポールのこういった曲を聴くと、本当にポップソングを作らせたら天才だなとつくづく思う。

覚えやすくてキャッチーで親しみやすくて、優しいメロディー。

ジョンの作品は、少し重たいヘビーな側面があるため、

ポールの軽妙で明るいポップな曲を聴くと

ウキウキするし、本当にほっとして落ち着く。でも飽きやすい。


ティモシーBシュミットでソーマッチインラブです。

1983年リリース。際立ってヒットしなかった。

カバー曲。透き通った美しい声の持ち主。

ポコやイーグルスのメンバー。

青春映画「リッジモンドハイ」の挿入歌。

オリジナルは1963年タイムスによって全米NO.1。

結婚式などで歌われるスタンダードナンバー。多くの歌手にカバーされている。

20代後半大阪の地下街を20前の新入社員と

二人で歩いていた時に、流れてきました。

彼女が「私こんな歌大好き」との発言に

CDショップに立ち寄り、後日プレゼントしたことを思い出す。

でも青春の苦い思い出でした。


ホイットニーヒューストンでグレーティスラブオブオールです。1985年リリース。全米NO.1.

デビューアルバム「そよ風の贈り物」からシングルカット。同アルバムから3作目の全米NO.1.カバー曲。

原曲は1977年プロボクサーである

モハメッドアリの自伝的映画「ザグレーティスト」の主題曲。

ヒット曲多発のヒットメーカー、マイケルマッサーの作品。

彼の知人のジョージベンソンがパフォーマー。

1986年独身時代、会社の寮で朝、大音量で聞き入っていると、台湾人にドアをノックされて「近藤さん、ちょっとうるさいよ!」ドアを開けると「でも、すごく良い歌だね!」懐かしく思い出す。

当時MTVのライブでモハメッドアリが同席して、曲紹介で、

「私が生まれた時には、もうすでにモハメッドアリはヘビー級ボクサーのチャンピオンだった」と述べて笑いを誘っていました。


 

批判するほど善い?、豊かだ、平和なのだ

ちょっと前まで、僕の周りや、

僕自身、頭の中でも、

「批判は良くない!!」といった考えがありました。

「悪口」を言うてる、と同じだと。

行き過ぎると、

批判ではなく、

「否定的」になるから。

つい批判をしてしまうと、

だからってことで、逆に、

こちらが「批判」を受けるという、

矛盾を感じる事もよくありました。


しかしよくよく、考えてみると、

「批判するほど善(よ)い」と考えるようになりました。

実際当人に、

意見を述べるということでは無くて、

自分の考えを

熟考(じゅっこう)、再考してみる

ということです。

認知症**おばさんですが、

  • 何を食べても一言「美味しいーー」。
  • 誰を見ても不思議と「可愛いーねえ」。
  • どのような景色を見ても判で押したように、

「わあ、きれいーー」なのです。

《悪口じゃ無いです。参考です》

なので、我が家は、いたって平和です。


確かに、「美味しい」、「可愛い」、「きれい」、などは

誰に言われても快(こころよ)い、不快にさせない、

心地良い言葉です。

でも、何かの感想を求められた時に、以上のような

心地良い言葉を発している

時ってきっと、

人は何も考えていない状態ではないでしょうか?

おそらく頭の蓋(ふた)を取りはらって、

ひっくり返して、グラスに注ごうとしても

その言葉以外に、

何も出てこないのではないでしょうか?

その時「私、何も考えていません」状態です。

と答えているのと同じでしょう。

《それらの言葉は特に考えなくても、自然と口から出ます。》

《とても楽でストレスフリーですから》

ほとんどの人は、

それ以上考えを、

掘り下げて聞いてこないですから。

《実際本当に

それしか考えていない人も居ますか?》。

でも、「ちょっと待てよ!」や

「確かにそうだ、その理由は?、それ以外に?」、

「いやいや、それはおかしい!」等と

思った時には、頭の中は間違いなく、

忙しくグルグル回っているのではないでしょうか?


以前ある人と一緒に、

食べたり、見たり、聞いたり、したのです。

その後で、

感想を求めらる時がよくあったのです。

《おそらくみなさんの知らない人です》

その時僕はほとんど、偶然にも、

その人とは異なる意見を述べていたのです。

しかしです。なんとその人、

「素直じゃない!!」、「心が腐っている!!」など

の罵詈雑言(ばりぞうごん)とともに、

説教し始めるのです。

《こういう人って割と多くないですか?》

《ほんとに素直に言っただけなのに!!》

《とっても不思議》、

《だったら聞いてくるな!!》、

《人に意見求めるな!》って僕いつも思っていました。

そう言うと、いつも喧嘩(けんか)になるのでした。


以前の職場の上司で似たような人がいました。

自分が荒唐無稽(こうとうむけい)なアイデアを

延々としゃべって、討論が許されない。

その商品化を部下に強要して、

出来なければ人をののしる。

しかもまず絶対他人の意見に耳を貸さない。

《おそらく他人の話が理解できなかったのでしょう》

もう開(あ)いた口が塞(ふさ)がらないのです。


世の中は千差万別です。十人十色なのです。

人の数だけ考えが違うはずなのです。それが当然なのです。

70億の人がいれば、

70億通り近くの考えがあって当然でしょう。

だけれども、

そこに自分に都合の良い

考えだけを受け入れて、

それ以外は「悪」と決めつけるのは

どうかと思うのです。

自分と異なる意見があるということは、

自分の意見がまだ不完全かもしれないのです。

改善の余地が残されている証拠。

進歩が出来る証(あかし)な訳でしょう。

考え直したりしないのでしょうか?

《自分を「絶対神」とでも、

思っているのでしょうか?》


アメリカが世界一の大国になった理由は、

個人を尊重したからですよね。

人の地位や名誉、財産、

有名、無名にとらわれないで

「相違」、「違い」を認めて

「自由な発想」を尊重して、

周りが応援したからこそ

多様な民族、文化が混在出来てるのです。

しかもどの分野も世界でトップレベルなのです。


民主主義の「良さ」は絶対そこにあるわけで。

全体主義は良くないわけで。おっと、

《政治的な話は分からないのでやめよう!》


「馬鹿」の定義は、

正しい行動をしない。

または愚かしい行動をする、

などではきっと違ってて、

「何も考えない」

事を言うのではないでしょうか?

エドガーケイシー曰く、

「何もしないより、

何かをして失敗する方が、

はるかにましだ!」

意味合いは少し違いますが。

しかし何かの「考え」を持たないと

「行動」も出来ませんよね。

何事も、《アイデアありきです》

僕は「考えよう、自分なりの何かの考えを持とう」

とも解釈しています。

《当然行動することが、

一番大切な事なのは言うまでもありません。》


実際僕が今書きつづっているこのブログにも、

偏見に満ちた、

独善的で独(ひと)り善(よ)がりだと

批判を浴びそうです。


でも「悪口」って、

不思議なことに

楽しくて、話が弾む、

酒のあてに格好(かっこう)

だったりすることもありませんか?

こんなこと本気で感じてる、

僕って最低?

《自覚あるので、極力避けています。》


様々な情報書き過ぎたために、

焦点がぼやけたので、

再度要約します。

意見が異なるという事は、

議論の余地が残されているという事です。

そして自分の意見に対して、

批判が生まれる時があるかもしれません。

それは自分にとって好ましくない事かもしれません。

しかしそこで相手の意見を

尊重して聞くことで、

自分の考えを見直すことが出来る訳です。

すると、おそらくお互いが向上し合う

ことが出来ると思うのです。

僕はその過程である

「批判となる考え」を持つ意識が

大切なのではないかと考えているのです。

「批判的」であれ!

と言いたいわけでもありません。

考え抜いた事が、

たまたま批判的になることがあるかもと。

そしてお互い刺激し合うことが、

切磋琢磨になるのでは? ないのかと。

根本的に、討論が嫌いな人も居てます。

その時はあきらめるしかないのかな。


今日も洋楽3曲紹介します。

ではまた。近藤浩二でした。


リンダロンシュタットでイッソーイージーです。

1977年リリース。全米NO.5位の大ヒット。アルバム「シンプルドリーム」よりシングルカット。原曲はバディーホリーの作品。カバー曲、原曲より仕上がりが良い。元気の良いポップロック。

プロヂューサーのピーターアッシャーの功績大。アルバムは全米NO.1。単純明快な簡単な歌詞と乗りの良さから誰でも歌える楽曲。

この頃から米国では音楽業界、空前の好景気でシングルよりLPレコードが爆発的に売れ始めていました。

そのため多くのミュージシャンがシングルよりLPレコードの製作に力を入れ始めました。この後名盤多数世に出る。

彼女歌姫の登場により、僕の女性の好みがぽっちゃり型に変化してしまった。


ビージーズでハウディープイズユアラブです。

邦題「愛はきらめきの中に」。英国の3人兄弟グループ。

1977年リリース。3週連続全米NO.1。全英でも一位。

アルバム「サタディーナイトフィーバー」映画のサウンドトラックに収録。僕が生まれて初めて自分で買ったLPレコード。

その後彼らの新作LPレコードは無条件で購入していました。

このアルバムから初めての全米NO.1.大ヒット曲満載のアルバム。3人のハーモニーの美しいとっても美しい楽曲。

高校1年生当時徹夜で勉強中、朝のラジオ番組で全米チャートで一位になった曲と紹介されました。その後流れて来ました。

余りにも素敵な歌で直ぐに、好きになった事が思い出される。

日本では「メロディーウエア」が大ヒット。名曲多数送り出す。


ジョンクーガーメレンキャンプでジャックアンドダイアンです。

1982年リリース。4週連続全米NO.1。アルバム「アメリカンフール」から2枚目のシングルカット。自身の作品。

大学4年生の時、初めて買ったソニーのウオークマンでずっと聞き込んだアルバム。曲中のアコースティックギターが適度のアクセントと、軽快さと明るさを醸し出していて、効果的で耳に残る。その後30年以上ウオークマン使用中。メイドインジャパンは優秀。


 

フェイスブックの誕生日お祝いメッセージに疑問?

「フェイスブックの誕生日のお祝いメッセージの自動通知」

って要(い)らなくない?

SNSの代表で、最も利用者の多いであろうアプリ

のひとつにフェイスブックがあります。

僕自身もよく利用します。一日に数回は開きます。

様々な機能があってとても便利です。

気になる友人の近々の動向を調べるには、格好のツールです。

それは、人間の承認欲求や自己顕示欲求、共感したい欲求。

それと、

人に好かれたい、仲間と一緒にいたい、自分の話を聞いてもらいたい、共感されたい、 などの

欲求を満たしてくれるのです。

そのため投稿件数が想像以上に多い。


またそのフェイスブックの機能のひとつに、

友達登録者の

誕生日の告知があります。

そしておせっかいにも

「誕生日にお祝いメッセージをしましょう」

ってお知らせしてくれます。

絶対送らなければいけないのかな?

といった疑問以前に、

絶対本日中に、送らねばと言う

「脅迫観念」に駆(か)られます。


《その人にとっての友人として、

自分の重要度のメジャー(ものさし)になっているから?》なのでしょう。

そのメッセージの「優秀さ」でもって友人に、

自分がどれくらい、

どれほど大切に思われているのか?

を知ること、

知らせることが出来るのでしょう。

そして「他の人と比較してしまうのです」

それで一喜一憂するのです。

《バカみたい》


最近ではメッセージを忘れて、送り損なってる時には、

親切にも《ほんとにおせっかい》、

「遅ればせながら「*+*」様に誕生日メッセージを送りましょう」

と通知が送られてきます。《正直うっとうしい》

《実際本日通知がきました。》

《面倒くさい》《無理して書く内容が無い。》

結果送らなかったのです。

仮に友人登録が100人《僕はたったの50人弱ほどかな》居たとすれば、3日に一回はメッセージを送る必要になります。

《ほんと、いたって面倒じゃないですか?》


しかも厄介なことに、登録友人には当然、

「親交の深さ」が異なっています。

全員が同じレベルの親密度ではないはずです。

そこには重要度に「隔(へだ)たり」が存在するでしょう。

《こいつは大事な友人だが、あいつは別にどうでもいいかなって》

《だったら無理して友人にならなくても?》

《彼には送ってないと絶対まずいよな。

でも彼女は許してくれるやろ》とっかて、

好むと好まないとに関わらず、

自然と格差が生(しょう)じてくるはずでしょう。

そしていざ送る時、どんな内容書こうかなって正直悩みます。

ありきたり過ぎるのもどうかな?

《実際はどうでも良いのでしょうが》

あの人と同じでもいいかな? 少し変えようか?

《去年と同じじゃないか》と思われるのも嫌だな。

語彙力(ごいりょく)貧困だな。

馬鹿じゃないの。なんて思われたくないでしょう。


みんなどのような事送っているのかな?

実際に最近の様々の人達のメッセージを読んで気づいたこと。

「ふむふむ」、「うんうん」、「え」、

「こんなので良いの?」、

「まるで年賀あいさつみたい」

ほぼどれも違いが分からない。

誰もが見えてる場所で、

特定の友人にだけ、

格差付けたメッセージなんか、

送れる訳ないですもんね。

だからどれもほとんど同じ内容になりますよね。きっと

って言うか、誕生日メッセージに、

そんなにバリエーションって無いでしょう。

みんなも、もう分かっているから、

受け取る側もそれほど期待してないですよね。たぶん

《文章考えるの面倒な人》用に様々な画像が存在します。

でもたぶん皆さん、その内容にはほとんど

興味持って無いでしょう。

ほとんど他人が作った画像だから。

その人のため、だけじゃ無いから。相違無いのです。

おそらく文章も流して読んでるのでしょう。

《絶対、内容などひとりひとり覚えてないでしょう》


そこで、結論、フェイスブックで誕生日メッセージ

だったら無理に送らなくても良いのじゃないの。

って思っているのは、

僕だけではないでしょう。

実際僕は今年のある時期から、誰にも送っていません。

相手にどう思われても良いから、やっていません。

この場を借りて伝えておきます。

僕は「SNSで誕生日メッセージは送りません。」ので悪(あ)しからず。だから僕にも送らないで結構です。


しかしきっと、それは大きく違うと、

強く反論する人居るでしょうね?

「お前は間違っている。思い違いをしている。」って。

きっとこう言うのでしょう。

「メッセージは内容では無くて、

送ることに意味があって、

そこが重要なのです」とかなんとか。

まるで「参加することに意義がある」

という《例の文言》みたいなこと。


しかし伝えたい意味合いには大差はなくとも、

人それぞれ表現方法や

考える言葉は違うはずです。

そしてそれがその人だけが持つ個性(オリジナリティー)のはずです。

すなわちその人の《良さ、長所》みたいなものじゃないかなと、僕は思ったりするのですが。

だから結果的には、

メッセージの内容もその表現も多岐(たき)にわたってるはずです。

しかし現実はそうではない。

SNSの弱点が露呈(ろてい)する格好になっている。

《たしかに伝えたい時に、

ピッタリに伝えられます》と言う長所もある。

郵便では多少の誤差が生じる不安がある。

すなわち投稿スピードは速いが、一方では賞味期限が短すぎる。

《フェイスブックは1日か2日くらい》

《ブログは長くて約一週間てところ》

また要約された内容だけで良い。だから味気ない。

だからお決まりの文言のオンパレードになって、

しかも2日後にはもうネット上から抹消。

カードや手紙なら《ベッドに飾って時々鑑賞出来る。》


お金掛けてまで、郵送で送りたくありません。

でもSNSなら手軽で済んで便利だから。なのでしょう。

そして友人には格差を付けたりしません。て人はお好きに。

でも《それを他人には決して求めないでくださいね。》

《僕誰にも良い顔する人大嫌い!》

《だから友人少ないのかも》

《僕基本的に誰とでも、

友人になろうとは思わない人なのです》


ただし「リマインダー」としての機能は便利だとは思います。

今時(いまどき)、知り合いに電話かける時、

番号見ながらプッシュする人ほとんど居ませんよね。

ボタン一発で発信です。

他人(ひと)の誕生日も同じようなものなのかな?

でも本当に大切な人は、どこかに記録するか、覚えてません?

「バックアップ」のように、

万一の時のために(Just in case)。


実際本当に大切な友人なら、

《本人だけが勝手に思っているだけで、

相手はそう思ってなかったとしても》

《片思いってやつです。》


隠れて、誰にも内緒で、

プレゼントと一緒に、きっと、

少し凝(こ)ったバースデイカードなんか送りません?。

《ほんとに大切な人(恋人だったり)なら、絶対そうするでしょう》


近年年賀はがきを送る人の数が下げ止まらないとか。

SNSで「あけおめ」のお決まりの文言と

干支の画像の添付。で終わり。

味も素っ気もあったものじゃない。

時代の流れでSNS利用は止めようもないが、

心のこもった「手紙」や「葉書」の良さを

鑑賞出来る「余裕」も持ち続けたい

と思った一日でした。

実際僕は

今でも「年賀状」は毎年送ります。

たまに「クリスマスカード」も。

ほんとにいっぱい時間盗られます。

でも、《それがその人への愛情の深さの証拠》


なぜだか、

今日は我を忘れた。

あっと言う間に、もうこんな時間、

気付かなかった。

おっと、おまけを忘れるとこだった。

グリコのおまけが目的でキャラメル買ったものです。


洋楽紹介して終わります。ほんと疲れた。

ではまた。近藤浩二でした。


ビートルズでミッシェルです。

1965年リリース。オリジナルアルバム6作目「ラバーソウル」のA面7曲目。ポールの作品。ビートルズ時代のポールの代表曲。とても美しい楽曲。コード進行もバラエティーに富んで割と複雑。フランス語の歌詞も入ってる。フランス人に言わせると酷い発音らしい。しかしあまりにも美しいメロディーなのでフランスの高貴な人達の間で頻繁に好んで演奏された楽曲。

グラミー受賞曲。何か突然不意に終わってしまう感じです。

まだ完成されてないような、

未完の曲の印象はぬぎいきれない。でも名曲。


ポコでクレージーラブです。

1979年リリース。13枚目のアルバム「伝説」からシングルカット。大してヒットはしなかった。でもグループで最も有名な曲。

今もって至る所で演奏される愛されている楽曲。

日本のフォークソングに似た曲。

ギターの美しい和音とハーモニーの美しさが印象的。

メンバーのラスティーヤングの作品。S&Gの楽曲かと勘違いしそうだ。

多くの有名シンガーを輩出した今もって活動している伝説のグループ。


ハートでジーズドリームです。

1986年リリース。8枚目のアルバム「ハート」から3枚目のシングルカット。グループ2枚目の全米NO.1ヒット。

幻想的なバラード曲。聞き応えあり。

アンとナンシーの美人姉妹がボーカルをとる、割とハードなロックグループ。レッド・ツェッペリンに強く影響を受けている。

1992年アメリカでホッドドッグ屋の移動車のラジオから流れてきて好きになった。思い出の楽曲。けっこう好きな曲。


 

八つ当たり!!

昨日週に2回(水曜日、金曜日)のリハビリに出向いて、

しっかりと目ーいっぱい、

身体を動かしたのでストレスの発散になりました。だが身体がしんどい。


《太陽フレア》のせいで、おそらく磁気荒らしの影響から?

しかも無線通信のプリンターが不調だ。

再度セットアップを余儀なくされた。


そんな事もあってか

案の定、疲れが出て、

夕食後急に睡魔が襲ってきて、早くから寝床に就いた。

そのため当たり前のごとく、朝早くから目が覚めた。

東側に面した寝床の窓から朝日が差し込み、目に眩しく

猫の額ほどの庭からだろうか、虫の音が耳に重たい。

再度眠りに就けず、なんだかすっきりしない朝だ、目覚めだ。


こんな日がここ数日間続く。何かおかしいぞ! 不快だ。

きっと誰かのせいだ? あいつかな? 気分が悪い。ちきしょう!

《この時僕の心の中は、怒りや不満で満杯です。》

嫌いな野郎の顔が頭をよぎる。》「くそ!!!」

人間自分にとって、気に入らないことや

嫌なことが起こると、

他人のせいや、何かのせいに、

してしまいたいのは人情だろう。


甥っ子が小さい頃、気に入らない事が起こると必ず、

「ばあちゃんが悪いんじゃ!」「くそばばあ!」

とよく僕の母を罵倒(ばとう)していた。《理由なき反抗》

《母は甥っ子を追っかけて、叩きつけようとしていたが》

結果《甥っ子が俊敏で取り逃していた》《若いって強い》

そう言った本人は涼しい顔をしていた。

《反対に、母の悔しそうな顔を思い出す》

《この一件以来、妻が「誰かのせいにするのは、近藤家の家系」とよく僕を非難する。》

《妻のセリフも八つ当たりでしょう。》

子供だからこそ、そうすれば、なぜだか楽になることが、本能で解るのだろう。

《僕はそんな甥っ子の、背中を見て育ち、似た者同士になりました》


しかも「弱り目に祟(たた)り目」だ。

起きぬけに、片付いていない部屋を、勢いよく歩いてると、

足の指先を机の角に思いっきりぶつけて

飛び上がるほど痛いおもいをした。

「痛ーーーー!!」、指先をさすってみた。

「痛-----!!」涙が目ににじむ。

これって本当に死ぬほど痛いですよね。


当然自分のせいなのだが、運の悪いことに、

近くに妻が居ないので、怒りの矛先が見つからず、

腹立たしい思いをどこにもぶつけられず、

モノに当たればこちらも痛いから、

僕は《はちきれんばかりの負の感情を、抱え込んでいます。》

《ストレスか何かで、つぶされそうです。》

痛みが一向に収まらない。

こんな時には痛みが収まるまで、

時間が経(た)つのを待つしかない。ほんとに歯がゆい。

《こんな思いを抱いて平静ではいられないでしょう》


どのような事柄にも必ず原因が存在するものだ。

その原因や理由を自分以外の何かに、

落とし込むことができれば、

不思議と痛みが緩和される。

しかも攻撃できる対象が見つかれば、

自分が救われ、楽になるのだ。

《ストレスが爆発させられる》

そうして人間は安らかになるのだな。《対象にされた奴は災難》

《そうした時は、大概身近な人や物が対象に向けられる》

《これが八(や)つ当たりなのだ!》

なぜ「八」という漢字があてられたかは、「八」という字は

「数が多い」、「たくさん」という意味があって

「広い」という意味にもなりました。

例、「八百屋」、「嘘ハ百(うそはっぴゃく)」、「八方塞(ふさ)がり」など。

「さむらいの時代、殿様が八つ当たりで家臣を切り殺していたのだ。」現代でも似たような現象はよく見かけますよね。

《パワハラの極限ですね。》


心理学では「八(や)つ当たり」は「置き換え」と言って、

「自分を守る行動」で生まれつき備わっているものらしい。

人の性(さが)ってこの世で最も恐ろしい。》


ビートルズでオールマイラビングです。

1963年リリース。本国2作目のアルバム「ウイズザビートルズ」のA面3曲目に収録。ポールの作品。ジョンの3連符のリズムギターとベースのユニークなコード進行が特徴。ライブで好んで演奏された。初期の彼らの曲の中で僕が一番好きな曲の一曲。

アルバムは英国で当時最高の予約枚数を樹立。米国では独自に選曲して彼らのデビューアルバムとして発売。人気に火を点けた。


スティーブミラーバンドでジェットエアーライナーです。

1977年リリース。10作目のアルバム「ペガサスの祈り」から第一弾シングルカット。全米で2位、カナダで1位の大ヒット

乗りの良いロックで、ヒット曲の王道を行っている。

前作「鷹の爪」からスターの仲間入り。

1980年大学生時代、デュービーブラザーズとともに「グレーティスヒット」LPレコードを購入し頻繁に聞き込んだ。


おまけでスティックスでベイブです。

1979年リリース。9作目のアルバム「コーナーストーン」から第一弾シングルカット。グループ初の全米No.1記録。

キーボードのデニスデヤングの作品。妻への愛と感謝のラブソング。当時カセットテープか何かのCMソングで流れていた。

朝起きがけに不意に流れて来たら、グッときそうなイントロの楽曲。大学生当時一番好きな曲でした。


#びっくり火曜日!!!ブルーテューズデイ???

僕の持論では「過干渉(おせっかい)」が人間関係の破たんを招く。


事の発端はこうだ。週末一人の暇な時間があったのだ。ちょっと前なら喜んでいたでしょう。

それでブログを更新した。

昨日夜中、妻が読んで笑っていた。そして今朝の事。、、、、、


でも今は状況が違う。諸々の理由で、

やりたい事がほとんど出来ないのだ。趣味でもって考えて、

「趣味」は色々あるが、音楽鑑賞や映画鑑賞など受け身の動作は「趣味」とは言えない、

ただの暇つぶし(waste of time)と以前、アメリカ人に言われた。

彼曰く、「趣味と言うのは受け身ではなく、

能動的、積極的に、自分が何かをすることで、

向上心があるべきモノ」だそうです。

その中で最近、文章書くことが面白くなってきたのだ。ブログのおかげかも、「56の手習い」とでも言いましょうか。上手くなりたくて、勉強始めました。

本を読んでも、

ドラマを見ても、注意を払い、

気になる言葉や熟語を書き留めて、

辞書でその言葉の使い方を勉強し直しているのだ。

そしてそれをファイルに保存しているのだ。

《自分だけの辞書を作っています。》


、、、、、

今朝突然妻がフェイスブックに、

僕のブログを勝手に紹介したのだ。

すると想像以上にリアクションがあった。のだとか。

《妻の投稿見せてもらった。》

喜ぶべきなのでしょうか?

当然多くの人に読んでもらいたくて投稿しています。

でもなのです。《本音は少し嬉しかった!》


僕のブログのモットーは《こうじ100%》なのです。

「はい、はい、はい」「はい」

「ヒヤヒヤしたんじゃない?」

なのです。一番大事な部分(知られたくない部分)は隠します。そしてそこが見えるか見えないかをヒヤヒヤしながら楽しんでもらう。それ以外は丸裸。99,99999%は見えてます。

でも最後の一線は見えないのです。見せたくないのです。


でも今日からは《こうじ10%》になりそうです。

僕は肩の力を抜いて《本音》を

つれづれなるままに、

実体験をもとに、

不特定多数の読者が楽しめるならと、

私見を書き連ねています。

自分のただの楽しみの一つなのです。


金を儲ける作業のみが《生産的》で価値があって、

それ以外はすべて《非生産的》で無価値と定義づけるなら、

僕のブログは、ある意味、自分の暇つぶしで

《無価値》と言えるでしょう。


それが今回の事で名前と顔が見えてる、

特定の人に読まれるのです。

職業なら割り切れます。

《誰かに認めてもらっているから》

でも単なる趣味なのです。

恥ずかしい。赤面します。

顔から火が出そうです。

これからは肩に力が入りそうです。

プレッシャーなのです。今までのように《本音》が言えるかな。

こんな事書いたら誰か傷つくのではないのかとか、

余計な思考を、深く長く,

考えなければならなくなって,

ロスが増幅してしまう。


僕は基本的にはビビリで、

恥ずかしがり屋で小心者なのです。

そのため苦い経験、体験があります。

その話はまた後日紹介します。


でも気づきました。自意識過剰でした。

「誰もお前の事なんか,

大して気にもしてないぞ。」

って声が聞こえてきそうです。

だから依然と同じように書きますね。

こうじ100%》で頑張ります。


今日も洋楽2曲紹介します。楽しんで下さい。

ではまた。近藤浩二でした。


ビートルズでテュオブアスです。

オリジナル最後の13作目「レットイットビー」のB面一曲目。

1970年リリース。ポールの作品。グループが崩壊していく中、

唯一グループにしがみ付こうとしていたポールが

ジョンとヨーコに向けての心境を歌にして、

二人に問いかけている。

このアルバムのポールの作品は全てそんな感じ。ファンは複雑

中間部分でポールが一人で歌う

「you and I have、、、、、ahead」

「きみと僕には思い出がある。

それは目の前に広がるこの道より長い記憶。」

はジョンへの問いかけで、未練たっぷりで、

こちらまで切なくなる。

最後にジョンが口笛吹いて、

無情にもポールに「さよなら」を言ってるように、

聞こえるのは僕だけではないでしょう。


僕自身はリアルタイムでビートルズは体験してません。

でも中学生時代1972年頃、友人にほぼ全曲カセットにコピーしてもらって好きになった。

大学生時代、この曲と「ブッラクバード」

のイントロのギターを弾きたくて、兄にギターを譲り受けました。

しかしFコードの出現で挫折して、

その後長きに渡りギターとは縁がなかった。

現在左手マヒのため、もう弾くことないのかな? 寂しい。


クリストファークロスでニューヨークシティセレナーデです。

1981年リリース。全米No.1記録。映画「ミスターアーサー」の主題曲。本人が主に作った楽曲。

共作のメンバーがバートバカラックなど一流どころ、

名曲にならないはずなし。

1979年デビューの米国のシンガーソングライター。

一見すると売れないコメディアンかと見間違う。

デビューは衝撃的で、

アルバム「南から来た男」とシングル「セイリング」でグラミー賞の主要5部門独占。こちらも必聴の価値あり。

高音の透き通った美声が最大の魅力。


さびの部分の「When you get caught、、、」月とニューヨークのはざまで捕まった時は

の表現に当時私的に、

《詩的》だなと勉強になったこと、を思い出す。


アウトプットはインプットに比例する

9月から真面目にブログ続けてみようと思いました。

しかし今週末、刺激がほとんど無かった。

ネタが無いぞ。

そこで《アウトプットはインプットに比例する。》って実感しました。


週末、金、土、日と妻が所用で出かけたので、

家に軟禁状態。

新車が納入されたのにもかかわらず、

好きなドライブも許されず、なんとも寂しい限りです。


だから新しい体感、経験、刺激が無いので、

アイデアが沸きあがってこない。

テレビも面白くないし、本を読むしか楽しみが無い。

読みかけの本が近くに見当たらず、

既に読んだ本を読むことに、

でも新鮮じゃないから気が乗らない。

本を色々変えてはみても頭に入らない。


やはり「アイデアは行動量に比例する」のだと改めて実感。

ブログのネタを思いつかない。

友達少なく、逢って話する人も居ない。

これ読んでくれている、あなたが数少ない友人かな?

夕方少しドライブ出来ました。そこでブログ書く気持ちになった


そこで今日も洋楽を2曲紹介して、

お茶を濁(にご)します。

曲はググって調べれば詳細までわかります。

でも簡単な紹介はしておきます。

ではお楽しみ下さい。

僕の選曲好みはメロディー重視です。


少しでも興味を持ちましたら、

ミュージシャンの歌曲を購入して下さい。僕も嬉しいです。

ではまた。近藤浩二でした。


ビートルズでシーラブズユーです。

言わずと知れた天下無敵の英国の4人のロックグループ。

商業的に世界で最も成功したミュージシャン。

各個人もソロで成功。

メンバーの2人はすでに他界。

1965年外貨獲得の功績により、

英国より勲章を叙勲(じゅくん)。逸話多数。

コピーバンドの「fabfour」もかなりエクサレントです。

1963年リリース。英米共にNo.1獲得。

当時英国でシングルレコード最高売り上げを樹立。

これぞ初期のビートルズの代表曲。

ドラムリズムだけのシンプルな短いイントロからコーラスで始まる。

ジョンの若々しい説得力のある高い鋭い声が印象的で魅力。

ジョンとポールの二人の魅力の詰まった、

ほんとの意味で共作だろうな。

ソロパートがどこにも無く、

数少ない、すべてコーラス歌。


ブライアンアダムズでアイデュイットフォユーです。

1991年リリース。カナダ出身のミュージシャン。

全米No.1記録。年間ランキングでもトップ。

世界数か国でもNO.1獲得。映画「ロビンフッド」の主題曲。名盤アルバム多数あり。

翌年アメリカホームステイ時代、

ラジオで初めて聞いて好きに。

生まれて初めて、自分でジュークボックスにコイン入れた、

《ボックスの中に、黒塩ビのレコードが収納されてました。》

ボストンの港で昼間に友人と、ビール飲みながら選曲して聞き入った。

《クオーターコインだったような、はっきり覚えてない。》

名バラード曲。

ブライアンの少しかすれた歌声がバラードでは魅力。


 

#迷惑者#

お盆休み最終日、昼食前の11時頃、喫茶店で正規の駐輪場に駐輪せずに、出入り口の通路に通路を塞ぐように2台の自転車が止まっています。身体の不自由な僕は通行に支障が出ます。(イライラします。)《若(ばか)者》の仕業のようです。


その日の夕刻、スーパーマーケットの駐車場の塀側の排水溝で4、5歳の男子幼児(兄弟のようです)が向かい合って「立って放尿」(通称立ちしょん)を目撃しました。

その傍に父親らしき男性が、《くわえたばこ》で立ってその様子を眺めていました。《信じられません。》


またその日の夜、ドラッグストアで出入り口付近の障害者パーキングに、何気にすました顔して駐車した50過ぎの婦人。「健常者のようです。」


一般社会の常識から大きくずれている、以上3件の当事者たちは、一体どのような人達なのでしょうか?

その後、送り火のため、妻の母方の菩提寺に最後に立ち寄りました。

そこの寺の入り口でこんな文言が目に飛び込んできました。

《迷惑をかけない生き方は できません。
一番大切なことは 人に迷惑をかけている その自覚です。》

《妻(太陽院院長)の昨日のブログと重なる部分もありますが、、、》


上述の人たちは無意識の内に悪気が無い行為ではなく、

身勝手で自分の事しか考えられない、

他人の気持ちの解らない(ただの馬鹿)の人たちですから、

上の文言には当てはまらないようですが、

僕自身反面教師と考えて、改めて自分自身に当てはめて、考えさせられた戒めの言葉になりました。

《この暑さのせいなのでしょうか?》

《さらに暑さが増幅しました。》


今日はここまで。ではまた。近藤浩二でした。


今日も2曲プレゼント。

アトランティックスターでオールウエイズです。

1987年リリース。米国の男女混成ソウルヂュオ。

全ての人の琴線に優しく触れる美しいメロディー。

恋人同士がお互いの愛情を確かめるように会話していく珠玉のラブソング。永遠に心に残る名曲。永遠のスタンダードナンバー。


ジョンジェット&ブラックハーツでアイーラブーロックンロールです。1982年リリース。全米No。1記録。カバー曲多数。

ロックンロール大好き男女の単純な出会いの恋物語。


今日もおまけです。夏にぴったりのボサノバのスタンダードナンバーです。小野リサでイパネマの娘です。