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正直、誠意、良心!!!(9.11)

少し汗ばんでくる。

胸の鼓動が高まる。

「ドックン、ドックン、ドックン」

目玉を動かし、辺りを伺(うかが)う。

「キョロ、キョロ」

後ろも軽く振り返る。

誰も居ない。なぜだかほっとする。


こんな状況、誰でも一度は経験した事、

あるのではないでしょうか。

実はこんな僕も子供の頃その後、

両親にこっぴどく叱られ、

声を上げて泣き叫んだ事もありました。

《深く反省していました。》


「誰も見ていなくても、

お天道(てんとう)さま、

神さまは見ていると」

諭(さと)されたのでした。

その時、両親の口から初めて

「神さま」と言う言葉を聞いたのでした。

両親の辛そうな、なさけなく見つめる表情が。

今振り返っても本当に悪い事をしたと、

不肖(ふしょう)な息子であったなと。

反省しきりです。


今日は9月11日(9.11)です。国際情勢では、

北挑戦がアメリカに何か仕掛けるかも?っていう日です。

でもそんな事なんか、おかまいなしです。

我が家は、いたって平和です。


今朝も妻と新車N-boxに乗り込んで、

西条市の西(丹原町)へとドライブ。

市街地から離れて、

「高速乗り場」を過ぎた辺りから、

民家がぽつりぽつりと点在、その代わりに田園が

見渡す限り広がっていく。

ところどころ稲穂の黄金(こがね)色が美しく

「実りの秋」到来近しを、

肌でひしひしと感じます。

もの思いにふけっていると、

ウインカーの点滅と同時に右折して、

ほどなくして道路わきに停車。

ハザードを点滅させて妻が下車します。

「イチジク買ってきます」

こんな所に売店があったかな?

車内から振り返り凝視してみる。

国道と市道が交わる角っこに、掘っ立て小屋が立っている。

暗くて魅力に乏しい小屋だ。人の気配を感じない。

4畳半ほどの広さかな? 縁台をつなぎ合わせている。

その上に何か並べて陳列している。「商品」?

スーパーのレジ袋が吊ってある。

小さな(?)身体を小気味よく動かし、

選別して、イチジクを手に戻ってきた。


《何かの達成感と驚きの感情なのでしょう》、で、

「安いわ!!」「1パック250円と300円」とほざく。

土曜日の夜遅くに農夫がイチジクを陳列している様子を目撃したそうで、

購入したいと思ってたそうな。で本日のこと。


帰って早速、口に頬張(ほおば)る。

思わず「うまい!!」ともれる。

しかもパックに8個から10個ほどの超お買い徳!!

びっくり!!感激!!「明日も買えば?」僕は思いました。

さすが《買い物上手の(おかみさん)千恵子さん!!》

《こういった嗅覚(きゅうかく)はさすが女性(主婦)ですな》

感心、感心。

加えて帰り道すがら、妻の詳細話に、

さらにもっと、驚愕(きょうがく)するのでした。


なんとそこには釣銭用に、

小銭を小箱に入れて準備しているのです。

そこは「良心市」なのです。

「無人店舗」、「ムジンクン」なのです。

今もって地方のいなかでは、目にする機会は多々(たた)あります。

《野菜、果物、たまごなど》今でもよく目にします。

《ほんとによくこれで商売が、

成り立つものだとびっくりします》

人の気配が無い分、

かえって盗難されやすいと思うのですが。


なにせ店員がその場に一人も居ないのです。

悪い心を起こせば、商品のみならず、売上金や釣銭まで、

赤子の手をひねるがごとく簡単に、

「かっぱらう」ことは容易(たやす)いでしょう。


その気になれば、「良心市」だけを対象に回り、

すべて残らず「かっさらう」ことを

企(たくら)めば、当座の資金になりそうです。

そんなこと考えるのは僕ぐらい?

心配しないで下さい。

考えるだけです。

絶対しません。出来ません。

実際そのようなニュースを耳にしたことないのですから。


購買者の「良心」に委(ゆだ)ねられた、

ところから「良心市」と呼ばれるらしい。

提供者も購買者の「良心」を《信じて信頼している》からこそ、提供出来るのでしょう。

《互いの信頼関係が無ければ成り立たない商売です。》

提供者も目に見えない購買者の

「良心」、「誠意」、「正直」等

を信じきっているからこそ、店員を置かずに提供できるのです。


このような販売方式を考案、実現できる日本人って

ほんとに素晴らしい民族です。

お互いの人間性に《あっぱれ》です。


「良心市」のような商売が長く成り立つことを、心の底から願ってやみません。

世知辛(せちがら)い世の中になっている近頃、

一服の清涼剤になった事柄でした。《涼しい風が心の中に吹きました》


今日はここまで。ではまた。近藤浩二でした。

今日も2曲プレゼントです。


ビートルズでインマイライフです。

1965年リリース。オリジナルアルバム6作目「ラバーソウル」のB面4曲目。ジョンの作品。ビートル時代のジョンの代表曲。間奏部分のピアノの演奏がクラッシクのバロック調で有名で印象的。

それ以上にシンプルな曲なのに、バランスの良い完成された、よくできた楽曲。覚えやすくて素敵な曲。日常をテーマに取り上げたラブソング。


シンディーローパーでタイムアフタータイムです。

1984年リリース。アルバム「シーソーアンユージュアル」からシングルカット。全米NO.1獲得。

曲の構想はシンディー本人。雑誌か何かで面白いと「タイムアフタータイム」とだけメモ。「何度も何度でも」の意味。

その後アルバム録音時、収録曲不足のため急きょ仲間と共作し完成させる。


ドュービーブラザーズで「ある愚か者の場合」です。

1979年リリース。8作目のアルバム「ミニットバイミニット」から第一弾シングルカット。シングルアルバム共に全米NO.1.グループ2度目の全米NO.1の大ヒット。キーボード奏者のマイケルマクドナルドと旧友のケニーロギンスとの共作。友人のジムメッシーナのことを歌った歌。バックのキーボードの「フォア、フォア」音の軽さが気になりますが、何度も聞き込めば、テンポの良さと

ハイソな雰囲気を感じさせる、洗練された、玄人(くろうと)好みの楽曲。当時このバック演奏が流行った。グラミー受賞した名曲です。原題「What a fool believes」


#ドライブと散歩

今日は昼前から妻と二人で、新車N-boxに乗り込み、朝食と昼食を兼ねて、

昼過ぎまで、家の近くをドライブと散歩。


車が変われば、いつも目に映る風景も変わって見えるから,

不思議だ。新鮮だ。良い刺激。

《写真は本文と無関係》

僕たちはセブンイレブンでお気に入りの「サンドイッチ」を購入し、カウンターの隅に設置してある、

セルフサービスのコーヒーメーカーで

アイスコーヒー一杯を流し入れて外に出た。


乗用車が50台は止まれるというこのコンビニ――セブンイレブン大町店――自慢の駐車場には、

いつも大型トラックが数台停車している。

内側からカーテンが引かれているため、

運転席内部をうかがうことは出来ないが、

恐らく長距離トラックのドライバーたちが

仮眠をとっているのだろう。《暑いのに大変だ》

ここは高速からそう遠くない場所に位置する住宅街。

食料も飲み物も揃い、トイレ設備も整っているコンビニは、

彼等にとっては絶好の休憩スペースという訳だ。


駐車場を出て歩道を進むと、

隣にある運動公園の花壇がしばらく道なりに続く。

季節ごとに花が植え替えられ、

いつもキレイに手入れされている、

この花壇の彩りと香りが、

どれだけの通行人と学生たちの心を和ませているか。

花には詳しくない者にでも、一目で容易に想像できるだろう。

そして公園の中央には、水の都西条市らしく、

給水もできる噴水が吹き出している。

見るだけでとっても涼やかだ。清涼感がある。

しかも花壇を眺めるためのベンチと自動販売機、

ゴミ箱までが近くに設置されているという配慮の徹底ぶり。

さすがは最近改築された、市街地唯一の運動公園。

気配りの細やかさには脱帽する。

少し前までは、夏休みで親子連れを見かけたが、新学期を迎えて、しかも月曜日の朝ということもあり、人通リが少ない。

芝生の緑が鮮やかに光っている。


もう9月だというのに、まだまだ風はなま温かい。

僕たちは歩きながら少しでも暑さを遮(さえぎ)ろうと日陰を求めて、

額からしたたり落ちる汗を手の甲で拭(ぬぐ)う。

しかし広い公園のため、建物が少なく、

頬や耳元、首は文字通り汗まみれ。
どうあがいたところで、

当面の暑さからは逃れられないことを悟っただけだった。


噴水の近くのベンチに腰かけ、

食事を摂ることにした。

噴水近くの給水場で、手ぬぐいを冷水で湿らせ、汗を拭きとる。

ひんやりとする。気持ち良い。心地よい。

飲み切ったコーヒーカップの空き容器に、冷水を注ぎ込み一口吸い込む。

ググ、ゴックン。

「美味し!!」と思わずもらす。


携帯で時間をのぞき込む。そろそろ帰らねば!

ゴミをごみ袋に押し込み、席を立つ。

ごみ袋を持って、来た道を戻る。

駐車場で車に乗り込み15分ほどの我が家に!!帰った!!

ブログでも書こうかな。


今日も洋楽2曲紹介させていただきます。

ビートルズでイフアイフェルです。

当分ビートルズは毎回1曲は取り上げ紹介します。

1964年リリース。これはジョンの作品。彼が全て歌っている。

途中からポールがコーラスで加わり参加。この部分から聞きごたえあり。

本国英国で3作目アルバム「ビートルズがやって来る、ヤ、ヤ、ヤ」のA面3曲目に収録。

映画「ハードデイズナイト」の挿入歌。

とてもきれいなハーモニーに聞きほれてしまいます。

アルバムの中では僕のお気に入り。

ジョンがギブソンのアコースティックギターを抱えて歌っていました。

短いシンプルなラブソングながら、

似たようなメロディーの繰り返しで記憶に残りやすい。

歌いやすくて覚えやすい楽曲だと思うのだが。

サビの終わりでもあり、繰り返しのサビに入る部分の「was in vain」が耳によく残った。「虚(むな)しくだめになった。」の意味。カバーの多い楽曲。


ミニリパートンでラビングユーです。

1974年リリース。全米No.1大ヒット。米国のソウル歌手。シンガーソングライター。

ギターとスティービーワンダーのエレクトリックピアノのバック演奏のみ。

時折小鳥のさえずりが聞こえる。「ララララ、ヂュヂュヂュヂュ、ハーアアア」と小鳥のさえずりが印象的。

ミニー本人と夫、リチャードとの夫婦での共作。

5オクターブの美声で、歌われる美しいメロディーは

まさに珠玉のラブソング。

数多くの歌手が好んでカバーしている。

これぞ永遠の名曲です。

友人の部屋のラジオから不意に流れてきて、思わず聞き入った。

その足でレコード屋に駆け込んで、

鼻歌で「シャララララ、シャラララ、シャラララ、ラララララ」と口ずさんで曲名すら分からず、伝えようとしたが伝わらず、

歯がゆい思いをした思い出がある。

1987年当時レコードの店主すらも、知らなかった。

数日後異なるレコード屋で、

再度鼻歌披露したら、

僕より若い店員が曲名教えてくれました。CD手に入った。

ミニー本人は31歳の若さで、がんとの闘病の末、死去。

本当に凄い人はみんな早くして、死んじゃうんですね。

社会の損出。


 

これこそ自由???!!!

雀のチュチュチュの鳴き声が鮮明に聞こえる、何気ない日常のとある朝、広いダイニング部屋から、

「触らないで」「触らないで」妻が何やら諭(さと)そうとしています。しかし敵も然る(さる)者。手を伸ばして試みます。

「もう、ほんとに触らないで!!!」「もう、、、、」妻は直ぐに限界に達しそうです。「さっき、食べたやろ。」「もう、忘れたん?」

ブル、ブル、ブル、迎えの車が到着しました。「おはようございます」その後「**おばさん、来たよ」「行くよ」

「おはようございます」ガラガラガラ「お世話になります」

バタン、ブルブルブル、キューン。

ガラガラガラ「おにぎり置いてるから」「行ってきます」、バタン、ブルブルブル、キューン。

僕は再び眠りに就(つ)きます。


認知症**おばさんと暮らし始めて約3か月が来ます。羨ましい程彼女は自由なのです。僕たちの《35億》倍以上は自由なのです。ゆえに、世界でも有数の多幸者だと思います。


見かけた人、みんな知り合いで友達です。しかもみんな自分の家に訪ねて来てくれた人なのです。近づき話掛けます。

「覚えとる?」手を取って「一緒に行こう」妻が止めに入ります。「すいません。」


そして手にした物全ては自分の物。「何しよん?」「私のじゃがね」納得してませんが、どうにか取り上げて戻します。


知らない事、分からない事は、なにひとつありません。「分かっとるわね」「何言よんぞね、知っとんじゃがね」。「偉いね」合わせます。


時たま、喧嘩になる時はありますが、直ぐ忘れてくれるのです。

過去をほとんど明確に記憶していません。10秒前の事すら記憶してません。記憶する能力も持ち合わせていません。しかも未来に想いを馳(は)せる思考力も、未来という概念すら存在しないのです。だから悩みや不安が無いのです。

ただひたすら《今(ナウ)》を我儘(わがまま)《僕には少なくともそう映ります。》に生きています。


「しなければならない」「してはいけない」が存在しないのです。

数秒単位で変貌する「やりたい」、「したい」の私欲に身体が動かされるだけなのです。

思うがままに行動するので、次の行動が予測できない。


本音で生きてない日なんて、もう1日も無い。

我慢する日も1日も無い。

やりたいことはやりたい

いま、この瞬間に、言いたい言葉は全部言いたい


まさに人間に生まれてきたなら、こうありたい。を生きぬいているのでしょう。しかしです。記憶を無くす、こんな人生僕には無理です。

正常に生活するというのは、悩みや不安を抱えるのは当たり前の事なのですね。改めて気が付きました。

制限の無い自由は自由とは呼べないんでしょう。そしてそんな自由は幸福では絶対ないのでしょう。


彼女を見ていて気付くことがある。

好きなように生きても周囲に迷惑をかけることは意外と少ない。そして逆に、自分の感覚を押し殺してまで自己犠牲的になっている時ほど、周囲を負のスパイラルに巻き込むことが多い。のかなと思う。


やりたい時はやる、《下ネタじゃないです。》嫌なものは嫌だと言う。

自分の欲求は勇気を出してはっきりと口にするなど、潔い我儘(わがまま)はある意味、美徳だと思う。

「貧しき者は幸いである。」「貧しい者」とは《何かが不足していて満たされていない人》の意味です。《物質的や精神的にも》


今日はここまで。ではまた。 近藤浩二でした。

今日も2曲プレゼント。

リタクーリッジでハイヤーアンドハイヤーです。

1977年リリース。ゴールドディスク獲得。米国インディアンの血をひく女性シンガー。自身初の大ヒット。全米no.2を記録。ドラムとギターでテンポ良く刻む、リズム感のあるポップソング。他のミュージシャンによるカバー曲多数あり。この曲が最大のヒット。アルバムエニータイム、エニーウエアに収録。この曲とボズスキャッグスのカバー、ウイアーオールアロン2曲を聞きたくてこのLPレコード購入しました。


アンディーギブで恋のときめきです。英国のアイドル歌手。

1977年リリース。ディスコサウンド全盛に乗り、3週連続全米no.1獲得。一人の姉とビージーズのギブ3兄弟の末弟。30歳でウイルス感染で他界。

ディスコサウンドの牽引車である、ビージーズの後押しに乗って、3曲の全米no.1シングルを持つ。アイドルに似合わず、張りのある、よく通る伸びやかで甘い歌声で歌唱力もあって、作詞作曲もこなし多才であった。ある映画の劇中歌で使用され、とても印象深くけっこう好きな歌でした。


おまけでマドンナでクレイジーフォーユーです。

1985年リリース。マドンナ初の全米No.1記録。映画「ビジョンクエスト」の挿入歌。ほぼ主題曲でしょう。当時サウンドトラックのLpレコード購入しました。映画は後にDVDで観ました。でもストーリー覚えてない。どこにでもある単純な青春映画。ジャーニーのオンリーザヤングとこの曲が好きで何度も聞いていました。


 

普段接点のない人々との交流

昨日、夕方階下に降りようとしてると、「ルルルン、ルン」妻の「鼻歌」が聞こえて来る。何やら楽しそうである。なんだか空気が柔らかだ。「バシャバシャ、バシャ」奥の浴槽から湯溜めの音が。

声の出どころの部屋には全裸の赤ん坊が仰向けになって、手足をばたつかせている。「アーン、クチャ、クチャ、フフフ、ハハハ」妻が「今から入浴させる」《大丈夫かな。》

僕が顔をのぞかせると、ずっとこちらを観ている。可愛い男の子。近づいても微笑んでいる。可愛い!!自分の子供と勘違いしてしまう。隣に横になる。一緒に寝そべる。

手足を触って、ほっぺを押してみる。すべすべ、押し返してくる。僕を見てなおも微笑む。落ち着く。幸せを実感する。何か不思議な感覚だ。平和だ。


ふと、《僕にも、このような純粋無垢な子供時代があったのだな》などと思うと、泣きそうになることがあるのは、誰でもなのだろうか。

純粋なもの》に触れると、たまに涙が流れそうになることがある。自分の何かが薄汚れている証拠なのだろう。赤ん坊と過ごしていると、何かが浄化されていくような感覚を覚える 。何かがこみ上げる。この子の側(そば)に永遠に居たい。

不覚にも理由なく今にも、泣きそうだ。

事の真相は妻のブログで確認。


自分や親戚にこどもが生まれない限り、なかなか「日常的に赤ん坊と触れ合える機会」はないものだ。

誰もが同じ社会に暮らしていながら「まったく接点のない」ひとたちがこの世界には無数にいる。

この境界線が溶け出した時、果たして、世界はどのような風景を見せてくれるのだろうか。不思議だ。嫌な事を忘れさせてくれる。楽しい。愉快だ。穏やかだ。


身体から《邪悪》が無くなっていくようだ。なんだか分からないが、幸福を感じる。上手く表現できない。

が身体全体に純粋な真新しい血流が流れる鼓動を体感する。

生きてて本当に良かった。未来が明るく希望が見えてくる。わくわく感が止まらない。そんな心情、感覚だ。

その時間をよくよく味わうことが出来る

余計なことを考えない。この一瞬にすべてが集中する。

そんなことを感じた夕刻のひと時でした。


今日はここまで。ではまた。近藤浩二でした。

ピーターフランプトンでショウ ミイ ザ ウエイです。

1976年リリース。スタジオ録音の曲をライブバージョンで再発売して全米6位のヒット。英国の超イケメンロックミュージシャン。ライブアルバム「フランプトン・カムズ・アライヴ」からのシングルカット。ギター音をコミカルに変化させる「トーキングモジュレーション」が効果的に使用されたポップなロック。

「I want you to show me the way」と思って口づさんでいました。

「Oh、won’t you show me the way」だったんですね。大意は違わないが、やはりリスニングは難しい。高校1年生の当時深夜のラジオ番組で、人気の女性DJがほぼ毎日流してくれた、当時僕のお気に入りの歌でした。

ライブアルバム「フランプトン・カムズ・アライヴ」はライブアルバムとしては最多の売り上げ枚数、全米だけで1千万枚。当時全米No.1記録。彼の代表曲数曲も収録されています。お買い徳品。

当時Lpレコードでは2枚組ですが、現在CDでは1枚に収録。お得盤です。後に大学生時代バイト代をはたいて、清水の舞台から飛び降りる気持ちでLPレコード購入しました。カセットよりもレコードで聞く人だったので、4畳半の部屋を暗くして、日本酒飲みながら一人でよく聞いていました。歌詞カード見ながら一緒に口ずさんでいました。お気に入りのレコードを引っ張り出して4、5時間聞いていました。《イーグルスの「ホテルカリフォルニア」、ビリージョエルの「ストレンジャー」、フォリナーの「ダブルビジョン」、レッドツェッペリンの「Ⅳ」等》当時デンオンのレコードプレーヤーをラジカセにつないで聞いていました。《ひと夏休みのバイト代全額投入しちゃいました。当時15万程だったかな》思い出す。


ミスタービッグでテュービーウイズユーです。

1991年リリース。年末にラディオから流れてきてこのCD欲しくなった。翌年アメリカ生活時代週末、湖畔のセカンドハウスで隣の家から大音量で耳に入ってきて、しみじみと聞き入ったことを思い出す。ミスタービッグの代表曲。全米No.1獲得。キャンプファイヤーなどでみんなで歌いたくなるような曲。シンプルな上に乗りの良い、これぞアメリカンロックと言った名曲。手拍子とアカペラで歌えたら最高にかっこいいだろうな。


おまけで井上陽水で少年時代です。1990年リリース。

子供時代の場景をスローに淡々と歌い上げる牧歌的な風情を感じさせる、陽水渾身の永遠の名曲。なんと陽水最大のヒット曲。多くの歌手にカバーされている。簡易な言葉の歌詞ゆえに情景を頭にイメージし易い。ミリオンヒット。(100万枚以上売り上げ)


ある夏の日の思い出(ソフトクリームの寿命)

今日は久しぶりに外食しました。

外食と言っても贅沢ではありません。速い、安い、美味いのセルフサービスの、うどん屋です。

うどん屋に来ると、僕は学生時代の《悲劇》を今もって思い出します。

そして《悲劇》なのに、笑ってしまうのでした。


高校1年生の事でした。当時町の商店街には、安くて美味しい有名な、うどん屋がありました。

当時僕は頻繁に、土曜日の放課後、隣町の仲良かった友達と自転車でよく商店街を通って、別の友達の家に、二人して立ち寄っていました。

《一緒に勉強するという名目でしたが、本当はそこで将棋を打っていました。》


学校からの帰りに、友人は決まってうどん屋に自転車を止めるのです。「食べていこう。」

僕がお金持ってない。と言うと「おごっちゃるがや!」と微笑みながら、いつも言ってくれるのです。《有難い友人でした。》

かけうどん、当時一杯100円でした。《僕はそれすらありません。》

《ちなみに、当時僕のお小遣いはひと月2000円でした。》

《ほとんど本代に消えていました。》彼にはその本を貸してあげてました。

僕はいつも彼に甘えて、ごちそうになっていました。

《そんなこともあって、僕は今は極力、他人にはご馳走するようにしています。》


梅雨も過ぎた初夏の頃でした。

夜市の準備でアーケードは忙しそうでした。

その日の午後は実力テストの日で帰りは夕刻になっていました。別の友人の家でそのテストの答え合わせをすることになって、

帰りに立ち寄ることにしました。

お互いにお腹を空かしていました。

僕の期待通りに、僕たち二人は帰りに

そのうどん屋に立ち寄りました。


《ソフトクリーム始めました。100円》の張り紙がありました。

店内に入りました。

すごく混雑していました。しかもムーンとしていました。

暑さと湿気で不快でした。

温いうどんよりも冷たいソフトクリームを食べたい気分です。

しかし二人して、かけうどんを注文しました。

店内は狭かったのでした。

そのため両脇の壁には、

一人用のカウンターテーブルが設けられていました。

その日は僕たちも仕方なく、入って左側のカウンターに座りました。

僕たちが食べ終わる頃、

中学生らしい男子3人が

僕たちカウンター近くのテーブルに着きました。

席が空いていましたが、2人が座り、

1人は通路に立ったままでした。

1分後、立っている彼の所に、女定員がソフトクリームを手に持って、彼に手渡しました。

「少しサービスしたからね。」。

普通よりクリームが少し多く巻かれてそうでした。

彼はとっても嬉しそうに、

はにかみながら受け取りました。

僕はその様子を横目でチラチラと、

羨ましく見ていました。


《しかし彼はなぜか、すぐには、

なかなか食べませんでした。》

彼はうどんを待っている友人と、

何やらこそこそと話しているのでした。

おそらく、自分だけが先に食べるのは悪いと思って、

友人を待っていたのでしょう。

《そんな心優しい彼に、

思いもよらない現実《悲劇》が待っていました!!!》

店内はおそらく、温度が徐々に上がっていました。

手に持つコーンの端からクリームが

少しずつ溶け出してコーンを伝って、

床にポツリポツリとひとつふたつと垂れ落ちています。

そんな事にも気づかないのか、

彼自身はうどんを待っている友人との話に夢中です。


彼は空いた近くのカウンター席に座り直しました。

手に持つソフトクリームに斜めの力が入りました。

《ソフトクリームから声が聞こえてきました。

「早く私を助けて!!!」》

《僕には聞こえましたが、

彼に伝えるには時間がありません。》

《もうすでに、秒読みに入っていました。

10,9、8、7、6、、、、、》

彼にはその《ソフトクリームちゃん》からの

悲痛な叫びが聞こえなかったのでした。


コーンの長さに比べて、

クリームが少し長かったのでした。

しかもクリームをらせんの途中で巻き直していました。

《女定員の学生サービス精神が《あだ》となりました。》


その頃彼の友人たちにも、うどんが来ました。

ソフトクリームを手に持つ、彼の口と喉の中は、

ソフトクリームを食べたくて、

もうすでにカラカラなのでした。

さて食べようと意気揚々と、

高まる興奮を冷まそうと、

ソフトクリームを見ながら、

席に座り直そうとした、

まさにその瞬間でした。

ソフトクリームからの、

じらされた罰なのか、

何かの秩序が壊れて、

コーンのほぼ根元からソフトクリームが、

《彼の口の中に行かず、

床に食べられてしまいました。》


彼は唖然としてました。

そして恨めしそうにいつまでも床を見つめていました。

《彼の心情はいかばかりであったでしょうか?》

僕は言葉に表現できないほど、とっても悲しくて仕方ありませんでした。

《自業自得だ!!!》では言いきれない、

やり場のない悔しさも感じました。

しかしながら、

おかしくておかしくて、仕方ありませんでした。


不思議なことに、

彼は表情を少し引きつりながら、

友人と一緒に、

もう片方の手で床に落ちたソフトクリームを指差しながら、

笑っていました。

友人たち二人も一緒に笑っていました。


友人たちと笑っているその様子を見て、

僕はなぜか一段と悲しくなりました。

何一つ彼にしてあげることの出来ない自分の無力さも自覚しました。


僕に出来ることが、何かあったのでしょうか?

彼にソフトクリームをご馳走してあげるべきだったのか?

そのまま貴重な体験として笑いの思い出の一コマとして、留めて置いてあげるべきなのでしょうか?

彼にこれから生きていく人生の教訓として、

「渡る世間に鬼はなし」を知らせてやるべきか?

それとも「渡る世間は鬼ばかり」や「覆水盆に返らず」を教えてやるべきなのか?

今もって僕にはその正解が解らず、

笑い話として話してしまいます。

しかしその話をすると、

不思議と僕自身悲しくなってくるのです。


ビートルズでエイトデイズアウィークです。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/BeatlesEightDaysAWeek.mp3


エルトンジョンでタイニーダンサーです。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/TinyDancer.mp3


 

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。そして聖人は経験から悟る

徐々に相手との距離が近くなっていきます。もう1メートルを切りました。顔と顔は至近距離数10センチと言ったところでしょうか。互いに声高に叫んでいます。熱が上がり始めるにつれて、互いに真剣な表情で目を合わせて訴えかけています。しかしまったく解ってもらえません。一方がとうとう堪忍袋の緒が切れました。手で相手のほっぺたを往復してしまいました。交渉がやっと一時決着しました。《しかしその場の雰囲気は緊張が走ったままです。》


人の《衝動》は《理性》をも、膝まづかせるものなのです。

以上は想像ですが、

500年程前、探検家コロンブスが北アメリカ大陸を発見し、先住民のインディアンと遭遇した初期の頃のいきさつです。

当時最新科学を有するコロンブスたち文明人は未開人よりも、人並み以上に強欲で身勝手だったでしょう。とりわけ探検家の彼は間違いなく独裁者でわがままの極みであったでしょう。


当時地球はまだ平面であって、ある地点を過ぎれば突然落下して、奈落の底に落ちると一部の知識人以外の人たちは信じていました。

そのような世界観の人たちを引き連れての新航路の発見の旅なのです。独裁者でなければリーダーは務まらないでしょう。


先日の週末。一軒間口の、行列のできる人気のたこ焼き屋の軒先の駐車場で、車内の助士席に座っていました。椅子に腰かけて、行列に加わろうとする一組の母娘を見つけました。3、4歳と思しき可愛らしい女の子が店の窓口付近で、飛んだり跳ねたりしています。しかも駐車場の地面に手で絵を書いています。とても活発な、お子さんです。お母さんは疲れているのか、椅子に座って女の子の遊ぶ様子を頬杖ついて観ています。

女の子と目が合いました。こちらに近づいてきます。車のドア越しに「降りて」「降りて」と声が聞こえました。僕はドアを開けました。さらに近づいて来て、再び「降りて」「降りて」とせがんできます。《彼女は僕と一緒に遊んで欲しかった。》のでしょう。

「ごめんね」「病気で降りられないの。」「ごめんね」顔を近づけて謝ります。

近くで顔を見ました。尋常でない何かを感じました。彼女の両方の頬っぺたが青くにじみ、ひと筋の切り傷が見受けられました。

「ほっぺたどうしたの?」「けがしたの?」答えません。

再三再四聞きました。にこっと笑うだけです。お母さんを見ました。「転んでけがしました。」ふーん。

左右両方の頬っぺた同時に? 不自然過ぎます。

冗談で「DV?」と言うと笑っていました。《あながち、当たらずとも遠からずかも》と思いました。

その後、順番がやってくるまで10分間、あちらこちらに行ったり来たり、当たり構わず触りまくり両手が真っ黒。その手で自分の顔や服を触って、それらも真っ黒。

少しもじっと、していられません。お母さんは一刻も目離しできません。


「元気で子供らしい可愛らしい子供だった。」と帰りの車内で妻と話していると、

「あのほっぺた、転んでけがしたなんて嘘やろ。」

「たぶんお母さん、言うこと聞かん時に、両手でつねるのでは。」

「何度も何度もつねって青血になった。」のでは。

その憶測に僕たちお互い納得。

《子供に対して、《しつけ》を超えた、強い怒りは無いにしても、それに準じる感情は否定出来ないでしょう。》

《まさに、隠すより現るです。》

子育てって本当に大変なのだろうと、子供のいない僕ら夫婦は知る由もありません。


そう言えば、僕が「DV?」と聞き返した時に、母親の表情が一瞬変わったような。《母親は内心、ドキっとしていたのでしょう。》


何度言っても、どんなに言おうとも、

自分の「意志」や「言い分」や「気持ち」を、分かってもらえなければ、

イライラして頭に血が上り、

手や足が反射的に出てしまい、

力で持って説き伏せたがる、ことは人の常でしょう。


近年「体罰」が問題視されて、その是非が論議されています。職業としての指導者ならば、手が出た時点で、レッドカードでしょうが、当事者同士が納得ずくでの《指導》や《躾(しつけ)》はある程度《容認》されて然るべきと僕は思います。


僕が社会人になって間もない数年間、振り返ってみると、

酷似した《失敗》を幾度も繰り返していた時、

先輩の一人が、

「《痛い目》しないと、治らないのかな? 近藤くんは?」

と言われてしまいましたが、実際、

「厄介事」になって相当「苦労」した後、僕自身、

《注意力》、《観察力》、《責任感》等が少しは身に付いたような気がします。


「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」

そして「聖人は経験から悟る」 と言われます。

人によっては、頭で理解するより、

身体で経験し体感しないと、

学ぶことが出来ない事があることも事実でしょう。


今日はここまで。ではまた。近藤浩二でした。


ポインターシスターズでアイムソーエクサイティッドです。

1982年リリース。 アメリカの黒人女性コーラスグループ。

ポップで乗りの良いディスコサウンドです。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/ThePointerSistersImSoExcited.mp3


スティックスでパラダイスシアターです。合衆国のロックバンド。バンド10周年迎え、円熟を極めた傑作コンセプトアルバム。2曲の大ヒットシングルを含む。

1981年リリース。同名アルバムタイトル曲。

原題はザベストオブタイムズ。同アルバムからファーストシングルカット。ライト感あふれるポップロックな作品。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/StyxTheBestofTimes.mp3


 

抗酸化生活と病気予防法!!!

先日「水素による病気にならない身体作り」の勉強に行ってきました。

厚生省によると、現在医療費が40兆円をこえています。

《由々(ゆゆ)しき事態です!!》

病気になって、病院に行くより、

病気にならない病気予防に自分自身で取り組みましょう!!

人はなぜ病気になるのか?

原因の90%は身体の《さび》が原因です。

《さび》とはつまり身体の《酸化》なのです。

残りはウイルス菌による感染が原因だそうです。


ではなぜ《さび》るのか? 答えは、

呼吸をするからです。

酸素はもともと《酸化力》の強い毒性の強い気体なのです。

しかし生物は呼吸によって、酸素を利用した《酸化》過程を通じて大きなエネルギーを得ています。生きるためには欠かせない気体です。

ここで身体を《さび》つかせる原因の酸素を特に《活性酸素》と呼ばれます。

体内で酸素を利用し代謝が行われる過程で《活性酸素》は自然に発生する、酸素を吸えば必ずできるものなのです。

《活性酸素》は毒性が強く、体内の細胞を酸化させることで老化やさまざまな病気を引き起こす原因になります。

《活性酸素》は身体の細胞を損傷させ、細胞の突然変異、細胞の壊死を起こさせるのです。


ここで病気や老化を防ぐためには《酸化》を防止する必要があります。

つまり《抗酸化生活》を心掛けるのです。

身体の《酸化》、病気を予防する方法は3つあります。

1.《活性酸素》や病気の原因となる物質を身体に取り込まない。

2.仮に取り込んでも、身体の中で除去する。

3.《活性酸素》や病気を生み出し易い《酸化》環境を作ら       ない。


まずは1番から視ていきます。

人が口にするのは食べ物と水です。ここでは水に特化します。

と言うのも、《活性酸素》の大部分は水から体内に取り込まれているからです。

ここで注意すべきことがあります。地下水のみで生活されている方はともかく、ほとんどの家庭は水道水を使用されているでしょう。

水道水(特に飲料水)は必ず浄水器を通しましょう。発がん性物質《トリハロメタン》を除去するためです。(90%除去されます。)「全国の水道水は厚生省の安全基準はクリアしていますが、沸かすと発がん物質が2倍から3倍ほど増加するのです」

昔は《消毒》のためだと(煮沸消毒)称して水道水を沸かせていました。それが当たり前だと信じられていました。「浄水器を通さない水道水の飲料水は決して沸かしてはだめです。」沸かすのは自殺行為です。《昔は常識でも今では非常識なのです。》

また、ほとんど市販の飲み物は電位特性プラスの食品なのです。水道水は完全な電位特性プラスなのです。地下水は若干プラスの水もありますが、ほとんどが電位特性マイナスです。

水素水は電位特性はマイナスです。

よって水素水を飲むと、身体の電位が下がり、マイナスに傾きます。

ここで、仮に電位特性が上がり、プラスになると、

原因不明の、頭痛、めまい、耳鳴り、食欲不振、嘔吐等になり、

リュウマチ、ぜんそく、橋本病等、難病の膠原病(こうげんびょう)にかかりやすいのです。


機能水素研究振興財団(総務省管轄)によると、水素水の飲用によって、

病院の臨床試験により、血糖値が2割減少したそうです。

また水素水作用機序の効果には

      1. 薬の副作用抑制の効果
      2. 栄養分抽出、吸収効果
      3. 水素水の安全性の保障 等があります。

したがって飲料水は浄水器を通した水素水を飲用しよう。1人1日1.5リットルから2リットルを毎日飲用。それを少なくとも半年間続けよう。すると《半年後、体内全体の水分が良質の水分に入れ替わります。》健康体に近づきます。


次に2番です。

身体に生成された酸化力の強い《活性酸素》には

(-O等)、《体内酵素》によって、

無毒化されるものもあります。

しかしほとんどの《活性酸素》(-OH等)は、

無毒化できる《体内酵素》は存在しません。

ここで《体内酵素》を増やすには、

1日、1人(あくまで推奨)

      1. 350グラムの生野菜(酵素は熱に弱いためです。)
      2. 200グラムの果物

を摂取すること。

《酵素》は《活性酸素》を除去しないものもあるが、《酵素》は生命維持のためには欠かせない栄養素なのです。


ここで《体内酵素》で無毒化出来ない《活性酸素》は《水素》の《還元力》を使うのが、一番手軽で有効的です。

すなわち、《活性酸素》を《水素》と体内で反応させ無毒な水(H2O)にして、汗や尿にして排出させるのです。

《抗酸化》のためのその他の方法には、《酸化》を防ぐ栄養素(ビタミンC、βカロチン、ポリフェノール)を含む食品を多量に摂取する。

また、免疫細胞を減らさないように、また正常に機能するように、

生活に《ストレス》や《疲れ》をため込まない。


次は3番の《活性酸素》が体内に生み出しにくい環境を作ること。

《生活環境》の電気特性をマイナスにする。俗に「マイナスイオン」の発生している場所に身を置く。

例えば、山の上、キャンプ場、滝、噴水など(水が割れる時にマイナスイオンが多量に発生する。)

電気機器を身体の近くで長時間使用しない事。

例えば、電気毛布、電気カーペット、パソコン、IHクッキング、テレビ等、電磁波の身体の影響を防ぐには、電気機器の側に備長炭を置く。


最後に、《水素風呂》を生活に取り入れる。

《水素風呂》の効果、効能は以下の4つです。

1.血栓を溶かす力

2.血流が良くなる

3.低体温症(平熱36度以下)の改善

低体温症が改善されれば、免疫力が高くなる(がんになりにくい)。基礎代謝が活発になる。体内酵素が増えやすくなる。

《水素風呂》で最も期待大の効果、効能は《温熱効果》です。

4.温熱効果

身体が冷めにくい、ーー>

ーーー>体幹の加温、保温、ーーー>

その結果、

 ーーー> 《ヒートショックプロテイン》効果が出て、

《細胞修復》を正常に行う。

加えて、厚生省が認可している温熱効果のある装置は、

気泡浴(ジャグジー)と水素風呂のみです。


まとめると、

水素を身体に取り入れると、

社団法人、水素研究会の発表(臨床応用研究)によると、

1.動脈硬化の抑制

2.酸化ストレスの削減

3.病気の予防

4.体質の改善

5.病気の進行を抑制

6.酸化環境から身体を守る


水素の摂り方(水素はガス状(気体)で摂取)

1.水素水の飲用《消火器系で吸収》

2.水素ガスの吸入(呼吸器系で吸収)

3.水素風呂(皮膚から吸収)

4.錠剤、カプセルの服用(体内で水素を生成)


詳細はホームページをご覧下さい。「現在もとのホームページに加筆中です。」


 

昨日、気温25度、湿度75%の某室内、ロボットのペッパー君が「近藤***さん、お誕生日おめでとうございます」と、

母の誕生日を15人程の知人と共に、祝福してくれました。

不快の環境下、突然の恵みに(よわい)齢80を超えた母も汗をかきながら、子供のように嬉しそうに微笑み、表情を緩めていました。

まだまだ元気で人生を謳歌している様子は、

息子としても、本当に有難い事だと手を合わせる思いです。


残念な事に、動物はオギャーと生を受けた途端、老いていきます。そして、否応なしに、

生き続けている私たちの最終形態は「死体」なのです。


「さび」まくって、「老化」しまくって、生存し続けるための最低機能のひとつが異常を起こし、故障して完全停止してしまって死ぬのです。言い古されたことですが、

我々は生まれ出た時から、死に向かって生きているようなものです。

不老不死は古来より人間の永遠の願いです。かの中国の始皇帝は「水銀」が万能薬であると思い込み、好んで服用して毒が蓄積し、かえって死期を早めました。

年をとり、病気をし、死ぬことは、生まれたものの宿命であるのです。どんなに(あがな)抗っても、(あがな)抗っても、アンチエイジングは人間のはかない抵抗なのです。


しかしながら年をとっても、いつまでも若くありたいと願うのが人情です。

適切な努力をすれば、限界はあるでしょうが、

老化を遅らせ、病気を予防することは可能です。


最後にもう一度、《抗酸化》生活をするには、

  1. 浄水器を通した水素水を毎日1.5から2リットル飲用する(《活性酸素》を還元し水にする)
  2. 毎日野菜250グラム、果物200グラム摂取する(酵素を取り込む)
  3. 《生活環境》をマイナスイオン発生場所に身を置く。
  4. 電気機器の電源を極力オフにして、身辺に備長炭を置くことによって電磁波から身を守る。(難病の膠原病予防)
  5. 《ストレス》や疲れをため込まない(免疫力の維持向上)
  6. 水素風呂等日常生活に、手軽な健康習慣を取り入れる。(全身から水素を取り込もう)

以上のような、

酸化環境下から身体を守れば、

ほんとの意味で、死ぬまで生きられるでしょう!


今日はここまで。ではまた。近藤浩二でした。

今日も2曲プレゼント。


バングルスでイターナルフレームです。邦題(胸いっぱいの愛)

1989年リリース。米英ともにチャートNO.1。

米国女性4人の女性バンド。自身最大のヒット曲。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/TheBanglesEternalFlame.mp3


スティーブウインウッドでアークオブアダイバーです。

英国のマルチプレイヤー。ソロ後2作目、1980年にリリース。同名アルバムタイトル曲。全世界で一千万枚以上の大ヒットアルバム。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/SteveWinwoodArcOfADiver.mp3


お遍路さんへの接待!!!!!?????

突き抜けるような青空の下、昼12時前の過日です。

スーパーマーケットの駐車場で車を停車して、家内が惣菜パンとアイスコーヒーを求めようと、小銭入れとチャージカードを取り出そうとしていました。

スーパーの出入り口付近に、濃い茶色の地味な服装に杖を左手に、右手に托鉢(たくはつ)を抱えたお遍路らしき人《真実は解りません。》が一人立っていました。それを見た家内が一言。

「500円あげよ!!」

《なんとばかな!!》


幸運なことに、

小銭入れに500円硬貨が見当たらず、断念した様子。

しかしです「小銭全部あげよ!!」と漏らします。

「100円で良いのに」僕が思います。


支払い直後で家計は切迫しています。

《自分たちは100円パンと100円コーヒーなのです。》

二人合わせて一食分の予算をお遍路さんの接待に割こうとしています。《なんと慈悲深く情に厚いのでしょう!結構な事ですね》

結局、200円だけにした様子。


遍路聖地であるここ四国では、全身白装束のお遍路さんを見かけることは、日常茶飯事です。

ですからお接待を行う精神は、昔から地元の人たちには根付いていると思います。

しかし僕が観察している間(約15分間)、くだんの彼に接待をしたのは家内だけでした。《みんな自分の事で精一杯なのです。》

《暮らしにくい、温もりの無い世間になったものです。》

しかしながら僕が子供の頃、

家の玄関が開いて「チーン」と鈴がなると、母が両手に精米を握らせた僕を連れて、遍路さん持参の袋に精米を静かに差し入れた記憶があります。お礼の札と共に頭を撫でてもらいました。そしておそらくお経を諷経(ふぎん)して頂いたでしょう。でもその時間がすごく長く感じられました。

ほとんど、どこの家庭でも当たり前だったと思います。


僕は一人で居る時に、接待を進んで行うことはまずありません。

その理由はそのお遍路さんをよく知らないためです。

《疑心暗鬼の僕は明鏡止水の家内には遠く及ばないのです。》


以前家内が隣町新居浜市でカイロプラクティック治療院を経営していた時、数人のお遍路さんが来院され、二人してお話を伺う機会が何度かありました。

  • 「最愛の子供を亡くし我が子の供養に」と、目に涙をためて話されていた哀愁帯びた老夫婦。 《供養と気持ちの整理》
  • 「遍路するなんて特別な何かがあるんですよ。」と最後までその何かを口にしなかった俳句好きの元気な老人。《後日知ったことですが、傷害罪で逃亡中だったのでした。》《しかし結局、遍路中にその方は捕縛されました。》 《現実逃避》
  • 「遍路するなんて、お金と時間に余裕があるからできるのです。」と笑いながらおっしゃた独身女性。 《旅行気分》

数年前民主党政権の時代、トップの菅直人氏と鳩山由紀夫氏が、

国のかじ取りもそこそこに、四国巡礼を打っていると話題になりました。彼らの本意は知り得ませんが、民意が得られず第一線を退きました。

地元ではそのような報道から、有名人に会いたい一心で車で追っかけてまで、過分の接待を施してた人も多く居ました。

彼らも何か似たような動機付けなのでしょう。


お遍路されている人の真意はともかく、僕たちの祖霊供養と功徳、信仰心のために、現在は極力積極的に接待をしています。

ですから、遍路周りという行為は、その時にどのような人間であっても、接待《施し》を受ける正当性を得るための免罪符や金科玉条になるのです。


どのような不遇な人にでも道を譲って、情けを掛けてもらえるお遍路さん、次はあなたの番かもしれません。


今日はここまで。ではまた。近藤浩二でした。

今日も2曲プレゼント。


ビートルズでメドレー(ゴールデンスランバー)です。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/TheBeatlesGoldenSlumbersCarryThatWeightTheEndHerMajesty.mp3


ザナックでマイシャローナです。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/TheKnackMySharona.mp3

ああ言えばこれ食う????

少し前に食べ物番組のテレビを見ました。

「とり貝」を食する番組でした。

通常、「とり貝」って焦げ茶色の細くて長い貝ですよね。

まず殻を見てびっくりしました。《さだめし、細長い殻を予想していました。》

ところがです。

《ホタテやあさりと同じように丸い、楕円形の貝殻なのです。》


「とり貝」の名前の由来は、殻を開けた時に、茶色の細長い部分(筋肉)が鳥のくちばしに似ているところからきています。

貝としては、茶色の部分は噛み切り易い適度な歯ざわりとほのかな甘みがあり美味。

豊凶の差が激しいため、総じて寿司ネタとしては高値で取引される。肝機能の強化、動脈硬化の予防に効果が有るともいわれる。

ヒモの部分は軍艦巻きとして寿司ネタにもなる。


しかしです。

我が町愛媛県伊予西条では「とり貝」と言えば、

地元では「ばか貝」のことを指します。

通称「青柳」(あおやぎ)と言います。


「ばか貝」とは面白い名前ですよね。

名前の由来は諸説あります。

  • 外見はハマグリに似ているものの、貝殻が薄く壊れやすいことから「破家貝」として名付けられたとする説。
  • いつも貝の口をあてオレンジ色をした斧足(ふそく、筋肉による)を出している姿が、あたかも口を開けてを出している「馬鹿」な者のように見えたとする説。
  • 一度に大量に漁獲されることがあるので、「『バカ』に(「非常に、凄く」の意)多く獲れる貝」の意でその名が付いたとの説
  • たくさん獲れた地域の名「馬加(まくわり)」(現在の幕張)を「バカ」と音読みし、「バカ貝」と呼ばれるようになったとする説
  • 馬鹿がハマグリと勘違いして喜ぶ様から馬鹿が喜ぶ貝という意味であるとする説
  • 蓋を閉じずに陸に打ち上げられて鳥に食べられてしまうことなどの行動から「バカ貝」と呼ばれるようになったとする説。
  • 頻繁に場所を変える「場替え貝」から来ているとする説。

地元の食品業者の間では、「とり貝」または「姫貝」として、高値で取引されています。子供の頃は「ばか貝」としてたびたび、食卓で目にしたものです。

生は酢漬けでよく食されます。

でもなんと言っても、てんぷらが一番です。

一度に大量に捕獲されるので、保存のためほとんどは天日干しにされ、

あぶっておやつや酒の肴に最適です。

《地元の土産ものとして人気です。》


全国区のすし屋のチェーン店では、この「ばか貝」見かけることはありませんが、地元の酒処では「とり貝」として当たり前にメニューにあります。

しかし残念なことに、春先にしかない季節限定メニューなのです。《やっている所もあるかもです。》

ぜひ一度機会があれば、口にしてみて下さい。味は保証します。


今日はここまで。ではまた。近藤浩二でした。

今日も2曲プレゼント。


ザカーズでレッツゴーです。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/TheCARSLetsgo!.mp3


オリビアニュートンジョンではるかぜの恋です。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/OliviaNewtonJohnDontStopBelievin.mp3


 

「じうこ、うどんこ」のすべらない話!!!!!

我が町には唯一国道が縦断しています。

隣町に行くには避けては通れない道です。

数年前より走行中、隣町との境目近く、国道沿いにカラオケスナックの看板が目につきました。カラオケスナック「あかね」とありました。

その屋号「あかね」と声に出して呼ぶと、車中で二人して共通の出来事を思い出します。《そして二人して、にやつくのでした。》

それはまさに《若気の至り》とでも言うものでしょうか?


僕が地元に帰ってきてサラリーマンをしていた15年程前の事でした。家内が仕事で大阪に出張に出かけたのでした。

家内が大型旅客船を利用した、その帰りの船内の出来事でした。

《ここから先は家内から聞いた話です。》


家内は電話を頻繁に使用します。充電が直ぐに無くなってしまいます。

当時はガラ系の折り畳みのピンク色の電話でストラップの類をチャラチャラとやたら多く付けていました。そのためよく目立つ電話でした。


現地で仕事終わりに、携帯の充電が残り少ない事に気づきました。大阪で船に乗り込んだと同時に、女性専用のトイレの近くでコンセントを見つけ、すでに充電している先客もいたようなので、安全であろうと安心して充電して置いたのでした。


夕食も済ませて露天風呂も頂いた後、寝る準備を終えてトイレの用事のついでに携帯を回収にきたのです。コードの先の携帯が見当たりません。焦りました。忘れ物として遺失物扱いになってるかもとのことで、案内所に届け出ました。寝床に戻ろうとした時に、ソファに腰かけて携帯をつついている女の子が目に入りました。


彼女の持っていた携帯は自分のそれと思われるものでした。特別なピンクのがら系の形から確信しました。声を掛けました。


「ちょっとごめん。その携帯電話、あなたのですか?」

女の子はびっくりしていましたが、「はい、私のです。」しかし目が少し泳いでいます。《嘘が付けないのです。ほんの出来心なのでしょう。》

さらに突っ込んで聞きます。「電話番号は?」「忘れました!」

女の子の表情が変わって下を向いて顔を隠そうとしています。

まじかで見ると間違いなく自分の携帯電話でした。

「ちょっと見せてくれる。」

《女の子も観念したしたようです。》

「はい。どうぞ」女の子はバツが悪そうに、家内に携帯電話を手渡しました。


「これ、トイレの近くに置いてあったよね!!」「盗ったの?」

「違います。」「忘れ物かと思ったのです。」「少し触らせてもらってただけです。」

「返してもらうよ!!」強く言い放ったのです。女の子は肩をすくめながら、小さい声で「すいません。」「ごめんなさい。」

「本当にすいません。」と何度も繰り返して頭を下げています。


携帯電話が見つかってほっとしたので、それ以上は咎めませんでした。

しかし家に帰って気が付きました。最も高価なストラップが無くなっているのでした。

当時パワーストーンが出始めていました。

流行りもの好きの夫婦はイオンの有名店で、個々人に合った石を組み合わせて、素敵なストラップとして高いお金を払って購入し、携帯に取り付けていました。


無くしたストラップはあの女の子の仕業であろうと推測できました。

しかし連絡先が解りません。ところがです。

《携帯を手にした彼女の心情はどうだったでしょうか?》

不意にも、とっても欲しかった、携帯電話を彼女は突然手にしたのです。

《誰かに電話を掛けたくて仕方なかったのでしょう。》

そして結局彼女は、親しい友人にその携帯から電話をしていたのでした。

《さぞや楽しく、少し自慢気に話したかもです。》

その形跡が履歴に残ってしまいました。


家内は当然その履歴へ電話を掛けました。そこには女の子の友人である、我が家の近くの中学の女子生徒が出ました。

そこで女の子の連絡先と彼女の名前が判明しました。

その彼女の名前が「**あかね」だったのでした。


早々女の子に電話を掛けて連絡をとりました。

「**あかねちゃん?」

「はい、そうです。」

「ちょっと聞きたい事があるのですが、」

「はい」

「携帯に色の付いた石のストラップ、付いてなかった?」

「付いていませんでしたよ。」

《言い逃れられると思ったのでしょう。》

《しかし悲しい事に、たかが子供の浅知恵と薄弱な覚悟なのです。》

「うそ、うーん」、《彼女は嘘をついていました。》

あのストラップ結構、値段高いのよ」《家内が追い詰めて行きます。》

「しかもその石の持っている、エネルギーも高いのよ」

「それに作ってもらった人にしか、合わないように作ってるあるのよ」

「その本人が持っていると、すごいエネルギーが発揮できるのよ」

「でも、その本人以外の人間が持っていると、、、」

「石のエネルギーが強すぎて、、、、」

「本人以外の人間に」

「すごく悪い事が起こってしまうかもしれないのよ」

「分かる?」「分かろ?」、、、

、、、、、、《目に見えない力は強大です。》

《その女の子が驚いたように叫びました。》

「あ、ありました!!」

「今!!」

「ポケットに手を入れたらありました!!!」

《嘘つけ!! 調子良すぎやろ!》《最初からあったやろ!》

「これ、返します!!」

「そう」


といったやり取りがありました。

そして彼女は翌日の放課後に返すと言って、家の近くの公園に呼び出しました。


定刻5分前、駐車場にすでに自転車から降りて、神妙な表情で待っています。

少しやせた幼い顔立ちの可愛らしい女の子でした。

《本来は、真面目で素直で良い子でしょうに。》

《魔が差したのでしょう。》


家内が近づきました。

「**あかねちゃん?」

「はい、そうです。」

彼女は手に持っていたストラップを家内に渡しました。

「ほんとうに、ごめんなさい。」

と3回ほど言っては頭を、いっぱいいっぱい下げています。

《本当に悪い事をしたと反省しているようでした。》

「ごめんね。ありがとう」

「もう、絶対に、こんな事したらだめよ!!」

と家内が言って立ち去ろうとした時でした。

その女の子が家内に近づいて来ました。

「あの、すいません。」「これ!!」

と言って家内にある物を手渡しました。

家内が戻ってきました。車に乗り込んで、

これも渡されたとクシャクシャのメモ書きを、見せてくれました。

手で握りしめてポケットに入れていたのでしょう。

少し湿っていました。

メモ書きを広げて読んでみました。

鉛筆で丁寧に書いていました。

「ほんとうに、ほんとうに、ごめんなさい。」

「ゆるしてください。」「もう二度としません」

「おやにも、

学校にも、

けいさつにも、

ぜったい言わないでください。」

「おねがいします。」

**中学2年 **あかね

ところどころ、が漢字で、

ほとんどが平仮名で、書かれているところから、

彼女の学力が「推して知るべし」ですよね。


僕たちは数回読んで、おかしくておかしくて仕方ありませんでした。

わざわざ学校名と自分の本名をしっかり書き記していたのです。

《やっぱりまだまだ中学生だと思ったものです。》

僕たちが車で駐車場から出ていくまで、彼女はずっとこちら向きに、頭をいつまでも下げていました。

セーラー服姿の、そんな彼女がとても可愛らしかったことを思い出します。

《僕たちが誰にも「チクリ」しなかったのは当然です。》


その公園の近くに、カラオケスナック「あかね」はあるのです。

その女の子がその後成長して、そのカラオケスナック「あかね」で働いていても、不思議では無いと考えられるのでした。

僕たちは彼女と関わった一人の人間として、親のように、彼女の事が心配になるのでした。

機会があれば、ぜひその「あかね」に立ち寄ってみようと思っていますが、、、、、


国道を通り、カラオケスナック「あかね」を見るたびに、僕たちは当時の事を思い出して、にやにやするのでした。


これは当然、すべて実話です。


最近昔の事を思い出すことが非常に多くなりました。

これも《寄る年波》とでも言うのでしょうか?


今日はここまで。ではまた。近藤浩二でした。

では、次回の語り部は、コロコロコロ、

はい、世紀の大俳人、松尾 水ばしょうです。

お楽しみに。今日も2曲プレゼント。


ELOでミッドナイトブルーです。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/ELOMIDNIGHTBLUE.mp3


ブルーススプリングスティーンでハングリーハートです。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/koji/wp/music/BruceSpringsteenHungryHeart.mp3