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確率

優秀な営業マンの習慣のひとつらしいです。

セールス周りの車両運転時、極力右折を避けて

左折周りで移動します。と、かつて何かで聞いた様な気が・・・


実際運転をすると、よく分かると思われますが、右折はたしかに

思った通りにスムーズに流れる時の方がまれです。しかも

ひどい時には、赤信号をまるまるフルで待機する、はめにも。

なんかイライラさせられて、精神衛生上も全く良くありません。

加えて、右折は左折に比べ、注意の度合いも求めれられますので

ただ移動するという、非生産的な行動に神経をすり減らして

しまって、肝心な仕事の目的達成に向けて精力的に活動でき

ないなんてことに陥りかねません。最近つとに考えることに、


助手席に乗車して交通の流れを何気にながめていると以前から

感じていたことですが、世間には不思議な人があふれています。

わが街中に走っている、思いのほか交通量がそこそこ多い国道。

その国道に沿ってスーパーやコンビニなどが店を構えているの

ですが、そこからビジーな国道にわけ入ってこようと右折待ちの

車両が、長時間立ち往生している様子をひんぱんに目にします。


僕は純然たる確率論者ではありませんが、少しの脳みそで

考えて、一度でも経験すれば理解できることなのでしょうが、

左折は比較的容易に進めますが、右折は考えてる以上に容易では

ありません。端的に言えば、永遠に進めないのではないかと

不安に襲われてしまいます。ほんの少し考えれば分かるはずで、

対抗車両と本流車両の2車両のはざまに入り込むことの困難さ。

さほど遠くない位置に、都合よく信号でも存在しており、片車両

でも強制的に停車してもらえれば、親切な方の好意で入れるかも

僕ならこう考えるのです。近くの信号機の設置されている交差点

まで移動して信号待ちにまかせるか、一度左折して、程良い場所

でユーターンをするでしょうか。時間ロスと安全性の点から考慮

すれば、確率的にもはるかに妥当ではないかと思えるのですが・


屋外での活動の際には、おそらくほとんどの人は天気予報の降雨

確率を考慮して、行事の開催や雨具の準備を考えるでしょう。

確率が50%以上なれば、誰もが多くの可能性の方の行動に

傾くはずです。確率論者でなくても、受験の時には倍率を

気にかけ、宝くじの当落に一喜一憂するのです。誰もが

人生の選択に、戸惑い、迷いながら、日常を送っている

訳ですが、そこでは出来うる限り、遠回り、ムダを避けて

てっとり早く近道を歩こうと考えがちです。であっても、

様々な要因が混在して容易に判断しにくい現代だからこそ

ロジスティックに考えて確率論的な発想が求められるのでは・・


もちのろん、人間のすべての行動が確率論では割り切れません。

しかし、ビジネスにおいては、好むと好むざるとに関わらず、

数字による確率論のみで、判断され、行動を要求されます。


とはいえ、世の中が厳格な確率論信奉者の常勝になるとは

限りません。仮にそうであるなら、なんと味気のない

無味乾燥で面白くない世の中といえるのでしょうか。

万が一にも、確率論で世界が動くとしたら、この世の中

《奇跡》を信じて、挑戦する人間が居なくなってしまいます。

魔法を信じる人間にしか、魔法は使えないように、奇跡もまた

奇跡を信じる人間にしか、奇跡は起こり得ないないからです。


今も忘れられない体験があります。僕が小学生の頃、山のすそ野

の友人の家に夕刻遊びに行った帰り、突然の夕立に巻き込まれて

夕飯までに帰れないかもと、あたふたと困惑していた時、友人が

夕空を一見すると「もうじき、夕立止むから心配いらん」って

何の根拠があってか、自信満々に教えてくれました。つかの間

の後、あら不思議、雨がすっかり止んだのです。僕は理由が

知りたくて友人に尋ねました。すると彼はもったいぶりながらも

「この時期の夕立は、雲の切れ間があれば、じきに止むのよ」

だって・・・ 降雨確率もグーグルもなかった時代、人は自分の

あまたの成功体験と失敗体験と気付きの《感性》や

磨かれた心のアンテナ、によって未来予想をしていたのです。

結局、最後の選択は、自分自身でするよりほかにありません。

そこにはおそらく、数字や《確率》なんて発想は微塵も存在し

ないかもしれませんね。本当は僕もそんな人生の方が好きです。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。P.S.I LOVE YOU.


なまじっか知識のあるって始末に悪い。「生兵法は大怪我

の基」です。よく夕刻に怪しい空模様を見ながら、

「これから天気どうなるんですかね?」

「西の空見ないと何とも・・・」 中学校で習う

《天気は西から東へと変化する》に、とらわれ過ぎ。

それでは、局所の天気予報や本当の未来は読めませんよ。何が

正しいか分からない変革の今。通用しない壊れた過去の方程式。

専門家や権威者の発言のみが決して正解ではありません。

いかなる人(たとえ子供であっても)の発言にも、

一抹の真実はあるものなのです。だからほんと、素直は大切。


 

電気

人間が生き続けるためには、絶対欠かせないものがあります。

もし、空気(酸素)が無ければ、30秒程しか生きられない

でしょう。仮に、水が無ければ一週間しか生きられないでしょう

それ以外何があるでしょう? 先日台風15号が通過しました。


南方に発生した台風のほとんどが、通過する日本。

メディアで連日、その爪痕の凄まじさが報道されて

心苦しくなってしまいます。天災、天変地異、災害、等が

降りかかった後には、ライフラインが断ち切られてしまい

必ず日常生活に支障を来たします。

インタビューによると、一番の問題は情報が入って来ない

発信出来ないといった、情報が回らない《不安》だそうです。

人の心と身体は密接に繋がっています。身体が丈夫であっても

精神が病んでしまえば、身体も病気になってしまいます。

不安を抱え込んだままの生活では直に、まいってしまいます。

被災された人たちはラジオからの情報が大変貴重なものです。

そして現代人にとってはSNSは重要なコミュニュケーション

ツールで、もはや欠くことの出来ない手段です。それには携帯

電話が必要です。そしてそれには常に充電が必要です。お米を

炊くにも炊飯器が要ります。これにも電気は欠かせません。

食材を保存するには、冷蔵庫も要ります。これにも電気が

必要です。何が言いたいかというと、現代に生きる我々には

もはや電気とは、切っても切れない関係だということです。

灯りだけなら、ろうそくや懐中電灯でも事足ります。でも

一瞬たりとも、電気が無い生活なんて考えられません。


聞くところによると、現在、国連加盟国193か国です。

その中で、すべての国民が不便なく、電気を自由に使用

出来ている国は英国、米国、日本を始め、まだわずかに

20か国程だそうです。びっくりですね。世界規模の行事、

オリンピック等はその20か国で回しているほどです。


自家発電機器を使って、コンビニ店を営業始めたことが

映像で流れていました。仮に、電線が通ってなくても

電気を供給する方法はあります。しかし、大量に長時間の

供給には、燃料を絶やせない、発電機の容量の大小、といった

解決すべき問題がいっぱいあるでしょう。もし、それらの問題が

解決されて、ある大きさの電気をある程度、供給し続けることが

出来る機械が発明されれば、災害大国日本の憂いも、少しは軽減

されるのではないでしょうか。そのような機器が一刻も早く

出現する事を切に望みます。近い将来何か出来そうですね!!


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。P. S. I LOVE YOU.


もし、現代に発明王エジソンのような人が居れば

挑戦してそうですね。この年齢からでも、研究してみたい。

我々の未来には、我々が決して予想も出来ない素晴らしい

未来が待っているはず。近いうちに必ず。強い予感があります。


 

ユーモア

車中から見渡す空で、雷様がウインクしたようで

ピカッ、ピカッ、ピカッ、三歳児が「光った!」

「光ったね」、「また光ったよ!」稀にしか見ない現象に喜び

心躍ったのか、弾んで何度も呟きました。「うん、光ったね」

と返すと、「雷様が来るね?」と子供らしい発言に、思わず

表情が緩んでしまいます。「へそ隠さないと」そわそわと何やら


忙しそうに足下で動いていました。直後フロントガラスが

ポツリ、ポツリ、ポツリ、と打たれ、雨が流れ始め、前方が

見渡し難くなると、幼児が両手の人差し指を左右にそろえて

扇型に左右に揺らしながら「こんなん、したら?」あまりにも

可愛い仕草に、ドキッ、とさせられてしまいました。彼の意図

する事を理解すると同時に、「シャー、シャー、シャー」と動き

始めました。「この動いてるもの、何て言うか、知ってる?」

って、問うてみると「えーと・・・」、何か考えてそうでした。

少し時間を置いて、口をついて出た言葉は「・スーパー・・?」


空気を察した僕らは「それは買い物行くところ・・・」すると

今度もまた、少しの間の後「えっ、・・クーパー・・?」

「それはブーブー、車の名前」、「ほんとは、知ってるよね?」

「うん、・・・ワイパー」僕らは「正解、ワイパー。」


まだ三歳にして、この《ボケ》、僕らの《ツッコミ》にも

再度《ボケる》。(末恐ろしや)僕が喜んで笑っていると

その様子を見て、彼も満足気に微笑み返してくれます。人間


誰しも「不快を避け、快を求める」行動原理を持っています。

人を苦しめるのを快とするか、人を喜ばせるのを快とするかの

違いはあるでしょうが、人を喜ばせるような利他的行動によって

ほめられる、他者からよい評価をされることによって、大きな

快感がもたらされるのです。人は本来、他人の喜びを自分の喜び

と感じ、利他的行動に自発的《快》を感じる仕組みを生まれ

つき持っているのです。人を喜ばせて楽しませることは、本人に

も人間として本能的な快楽を感じるそうです。私たちは利他的

行動を《快》と感じる遺伝子を受け継いでるということです。

結局、薬局、郵便局、子供の何気ない仕草やユーモアは周りに

喜びの輪を広げながらも、自分自身もますます幸せになってい

く、そんな人間本来の姿が見えてきます。何より大切な事は

人生を楽しむ事、幸せを感じる事、それだけです。


子供と心を合わせることは、ほんと童心に戻れる楽しさや

時折り涙が出そうになる瞬間があります。人生における物事の

大半は、時間が経てばすべて笑い話になるそうです。時間が

経たなくても、その瞬間、瞬間、自分を楽しませることが出来

れば、充実した素敵な人生を送ることが出来ますよね。


余談ですが、彼は車にすごく興味を持っておりミニカー収集が

好きで、毎日眺めては楽しい時間を過ごして居るのです。それで

車に精通しているのです。車の名前も数多く記憶しています。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。 P.S.I LOVE YOU.


本田宗一郎は、こんな言葉を残しています。

「人間は楽しんでいるときに最高の力を発揮する。

すぐれたジョークは、すぐれたアイデアに通じるのだ」

人生の分岐点

人はひとつの出来事で、人生を悲観したり、バラ色になったりと

目まぐるしく移り変わります。社会人になって数年目、今時節、

僕の前に初めて、名前と顔の一致した女神が現れました。

切れ長の二重の目に、薄く引かれたアイライン。調和され配置さ

れた各部位。歩くとわずかに揺れ動く胸部と臀部。ウエーブした

長い髪からの残り香。歩くたびに、こぼれ落ちる若さと可愛さ。

そのすべてを拾い集めたいと、思い患(わずら)う毎日。でも

その日から人生がバラ色でした。ほんの少し目にするだけで

最高に幸福でした。それだけで良かったのに、しかし、バカな

僕は焦って、一歩踏み込んでしまったのです。そしてある日、

決心したのです。《告白》しようと。いつでも逢えるように。


前夜眠れず、手紙を書いて、様々な場面を想定して、シュミ

レーションしました。夜に書く手紙は危険だと聞いていたのに。

「忘れられないの、♪♪♪」「忘れられないの、♪♪♪」

小学生の頃の歌が脳裏に流れて来ました。『恋の季節』。


午前、事務所で見かけ、屋上へと連れ出しました。「***

さん、ちょっと来てくれる。」「はい・・」素直に付いてき

ました。外は建設工事で騒然としていました。「聞こえ難いか

ら、耳貸してくれる。」差し出された耳元に顔を近づけました。

シャンプーの香り、可愛い口と筋の通った鼻筋に、目が釘付けで

話せません。勇気を振り絞って「***さん、これ読んどいて」

封書を手渡しました。彼女は不審げに、封書と僕を何度も

見つめ返していました。この時が僕と彼女との初めての会話で

した。今から考えると、なんと大胆な行動をとったのだろう。

愛は時に人を落胆させますが、時に人を勇気付けてくれます。


それには、次の日、ある場所に来て欲しいとの簡単な内容です。

ただ、返事を同封の便せんに書いて、その日の就業時間内に

僕の机の引き出しの一番底に入れて欲しいと書き添えました。

出張から帰った僕は《気もそぞろ》で、返事の内容以外、何も

考えられません。それも悲しい結末が頭をよぎりました。

封書をポケットに差し込み、そそくさと、同僚の視線をよそに

「お先に、失礼します。」と独り、にやけて、走って会社を後に

しました。家に着き、封書をテーブルの上に置き、服を着替えて

お気に入りの音楽テープをセットして、スイッチを押しました。


「♪♪♪」 封書を手に取りました。鼓動がどんどん速くなる

のを感じました。封書を開けました。便せんを取り出しました。

悪い予感が頭を突き抜けました。

そこには一言だけでした。

「すいません、ごめんなさい。 近藤さん」

ほんと、嫌な予感は当たるものです。「♪♪♪ マイ

エンドレスラブ ♪♪♪」 音楽のおまじない効果なし。僕は、

ただただ悲しくて、悔しくて、便せんを胸に握り締めて

泣くことも出来ずに、自分の運命を呪(のろ)っていました。

人は本当に悲しい時には、泣くことさえ出来ないものだと

学びました。

つかの間の悲しみの後、天より声が聞こえた気がしました。

「お前はまだまだ***にはふさわしくないのだ。」

我に返りました。しかし、

僕には、まだチャンスが残されていたのでした。その後、


紆余曲折がありましたが、これ以上は控えさせていただきます。

昨夜、恋愛小説で感動、泣かされて自分の体験を思い出

したのでした。30年以上も前の、僕の数少ない恋物語でした。

それから後、僕は自分を深く見つめ直しました。当分、結婚を

あきらめ、学生の頃からの《夢》を思い起こし、アメリカに行く

ことを決意して、経済の安定を捨てて、会社を退職しました。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。P.S. I LOVE YOU.


誰と出会って、誰と過ごすかで、あっという間に、

人生は変わります。

もうひとつ。

理由が無くても、逢えるのが、友達です。

理由が無ければ、逢わないのが、知り合いです。

理由を作ってでも、逢いたいのが、好きな人です。


塾考

いつの時代でも、どこの学校でも、5月の連休が終了すると、

定期試験が始まりました。試験の対処こそ、我々学習塾では、

その存在意義を誇示し、見せびらかす、腕の見せ所なのです。

でももう、それも限界に来ていることを思い知らされました。


今週から連日、夕刻から連夜、脳みそフル稼働です。

今年から塾生の確保のため、小学生から高校生まで枠を

広げました。そのため、前年の試験対策が通用しなくなり、

新たな勉強の必要に迫られるのです。入学した高校が進学校では

ないため、予想は出来ましたが、意外にも、本人のメモによると

国語の試験に「干支(えと)」すなわち十二支の《読み》、

《漢字》と対応する《動物》が問われる問題があるというので

す。もう一般常識です。僕自身、順番に漢字でホワイトボードに

書き出そうとしましたが、いきなり、自分の干支である、二つ目

の丑(うし)で、つまづいたのです。「多分、東大生でも書けな

いんじゃないか。」ってお茶を濁してごまかして、スマホで調べ

てしまいました。すると学生は「先生、スマホ使っても良いです

か?」「自分で調べた方が早いか」彼は自分のスマホを取り出し

て、それを見ながら練習を始めたのです。すると彼は、ものの

数分で、十二支を一度は覚えました。塾講師なんて《かたなし》

です。これの意味するところは? 私の存在意義は一体どこに?

とうとうやって来たのです。塾講師の仕事が無くなる!! もう


《師》や《士》の付く職業の人間はAIに取って変わられると

いった時代の変遷を痛感させられました。少しの知識を持った

我々のような人間は、小学生でさえ持っている携帯電話の、足元

にも及ばない、容易に負けてしまう、想像を大きく超えて凌駕

(りょうが)されるのです。情報処理の速さや能力だけを取り上

げれば、人間はとてもコンピューターには及びません。2045

年には、人工知能は全人類の脳を超えるのです。そして数分後

彼は覚えたであろうと、十二支のテストを自らしてみましたが、

うろ覚えだったようで、いくつか間違えていました。彼が一言。

「先生、覚えるのって大変ですね。」って顔を引いて照れくさそ

うに笑いました。そこで僕は、読んだ本の受け売りで得意げに

話しました。「覚えるのはそれほど難しくはないのよ。」

「本当に難しいのは、忘れる事。覚えるよりも、忘れる事の方が

はるかに、難しいのよ。」「人は一度覚えてしまった事は、忘れ

たくても忘れることが出来ない生き物なのです。」「覚えるため

の方法は色々、考えられているのに」「確実に忘れられる方法は

ひとつも無いのですから。」「そういやー、そうですね。」

彼は座り直して、僕を二度見返し、相槌を打ちました。また

コンピューターが不得意で、人間の存在意義のひとつに

《雑談力》もあるのです。《無駄話》は出来ても《雑談》は

存外、コンピューターには難しいのです。人間でも難しい

ですが。人間は覚えておきたいことは、忘れたくないのに、

忘れたい事は、忘れられないなんて、不便極まりないですよね。

楽しく《雑談》するには、そんな人間の本質も十分に理解しない

と上手に付き合うこと出来ないですから。「あの話、持ち出して

も、もう忘れてるだろうから、大丈夫かな・・」《失恋話し》や

《失敗話し》など、忘れたい嫌な思い出は、なぜに忘れない?


学校には、勉強以外に存在意義があるから、そこでの先生が

居なくなることは決してありませんが、勉強だけを教える

塾講師はもう不必要な時代なのです。本や新聞、雑誌もコン

ピューターに駆逐(くちく)されると言われてましたが、

利便性よりも紙媒体の温かさを渇望する人達が存在する限り、

その需要は無くなりません。うーん、人間が血を流す寿命ある、

不完全な動物でほんとに良かった。体温を持った、決して

リセット出来ない、一か所に落ち着つことの無い存在で、好奇心

から変化を求める呼吸をする生物である、所以(ゆえん)なので

す。全ては理(ことわり)ってことなのです。

以下、某成功者の言葉です。

今あなたがしている事は、

誰かが見ています。いや、誰もが見ています。

手抜きは、必ず、ばれてしまいます。しかし、安心して下さい。

丁寧は、きっと、伝わります。加えて、

成功を目指す人は、3つのものを配ります。

目配り・気配り・心配り。

自分一人では、決して、成功出来ません。

周りの人たちに、3つを配りましょう。さらに、

目配りには、鳥の目、魚の目、虫の目、3つが大切です。

全体を観る目、流れを観る目、詳細を観る目、です。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。P.S. I LOVE YOU.


 

 


 

人間性

言葉もはっきりと話し、もうすっかり成長したと感じさせる、

今年3歳になろうとする男の子が口にした言葉。朝に出会うと

「おいちゃん、おはようございます」その丁寧語の流暢さに

きょとん、とさせられ、返す言葉に固まってしまいました。

その後、大人との会話が成り立つほどに発達・・ほんと人の

成長ってすごいと感じました。想像以上に早い変化、実際に

人が変わって、違った人間になった様に感じられました。

数分後、話に飽きた僕は、テレビを点けて、目線も合わせず

顔を背(そむ)けると、「おいちゃん、***のこと、

好きーー?」って、不安げな口調で眉根を寄せて聞かれて

しまいました。何て返してやろうかと意地悪な僕は「えーと、

どうかな?」視線をそらせない様に見つめられて、僕は故意に

背中を向けて、答えずにいると今度は「おいちゃん***こと、

好きよね」と、彼自身の欲する答えを言われました。こんな

処世術どこで習って覚えたんだろう。昔の彼(人間)が出来る

ことだけで彼(人間)の価値を判断してはいけないのだ。将来

の彼(人間)は今の自分が想像できないほど大きな事をやって、

多くの人々の幸せを左右する存在になっているのだな、きっと。

人間はたったひとつの些細な事で、信じられない変化を遂げる

生き物なのです、本当に驚きです。きっと、今まで彼を取り巻く

環境が、彼を励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげ

たことを評価してほめた結果なのだろう。考えるに、そのきっか

けになるのは彼の《好奇心》《関心》があったからなのです。


「僕のさっきの行為は大人としてのマナー違反だ」と思い直し、

彼を呼び寄せ、ほっぺたをすり合わせて言わせてもらいました。

「うーん、***大ー好きーー。」彼はぱっと明るくなり、

満面の笑顔を返してくれました。直後、気がすんだのか、

席を離れ一人で遊び始めました。人は経験とともに、知識知恵の

獲得と比例して、自我を強く意識し、自分と自分以外の人間の

感情の境目(相違)を明確に感じ始めた証拠なのでしょう。今ま

では、言葉が話せないがゆえに、口で言わなくても、周りの大人

は自分の要求を叶えてくれたのに、言葉を覚えれば覚えるほど、

自分自身の思いが伝わり難くなるし、さらには、思いが伝わら

ない《もどかしさ》が胸の痛みとなって跳ね返ってくる。

《僕大きくなんて、なりたくないよ》子供の本音がなんだか

伝わってきそうです。


自分自身の思いを言葉で正確に伝えようと、彼は知り得る言葉を

脳みそをフル稼働させ選択して口にするのだが、不思議なことに

言葉を満足に話せない時よりも、相手は自分を理解してくれない

現実に苛立(いらだ)ってしまうのです。自分を自覚すれば

《怒り》、《せっかち》、《焦り》等、言葉で言い表せない感情

を抱えこんで思い悩み続けるのでしょう。そしてそれを埋め合わ

せるように、さらに知識や知恵を学び、多くの言葉を覚えて、

意思の疎通を図ろうと努力するのです。しかし多様な言葉で

物事の解決を図ろうとした人類の歴史と同様におそらく最終

手段は《力で持って相手を支配しようとなるのでしょう》っか。

人は年齢の増加で知性が高くなればなるほど、無力感とともに

その限界を痛切することになって、悩み多い辛く苦しい現実を

過ごすようになるのです。多分、それから先の彼の人生は

《人間性》に依(よ)るでしょう。そして《人間性》は

言った言葉、言われた言葉で、作られると言われます。しかし

ここで話す言葉、言われる言葉は《好奇心》や《関心事》に

影響されるのです。好奇心は、間違いなく、日々の生活を

豊かにしてくれます。そして好奇心は、学びたい心の

原動力になります。好奇心の無い生活はきっと

単調でつまらないものです。一方、


周りを見てあらゆるモノに《関心》を持つように意識すれば、

次に何がどうなるのかを先回りして、想定しておくことが出来

、物事がスムーズに、はかどれるのです。なぜなら、人の感情は

絶え間なく揺れ動くからです。そして、愛される、選ばれる、

守ってもらえる価値には相手を絶対に、おびやかさないという

保証が含まれています。

人は、年齢を重ねるだけでは、大人になるとは限りません。

自分の事ばかり考えず、他人との違いを受け入れて

相手を思いやり、子供のような心を忘れないこと。

正直であること、素直であること、夢中になること。

何も考えずにできるのが子供で、何事も自然に振舞う

ことが出来れば、

きっと素敵な大人になれるのでしょう。っね。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。P.S. I LOVE YOU.


 

読書

こんな経験無いでしょうか?

いつもそばにあるのに気付かず、見えなかった世界。

しかしある日突然、その世界が見えて来るのです。そうなると

その世界が急に気になりだして、その世界が毎日見えるように

なるのです。そしてそれを見るのがむしろ楽しみに

なって、毎日がわくわくするのです。言い換えれば、

毎日、目にする庭先で、季節の途の、ある日に、可憐(かれん)

に咲いた、美しい花に魅せられるようなものです。学生時代なら

学生時代じゃなくても、一番多いパターンは、

それは

きっと、

《異性》     ではないでしょうか?

男性なら《女の子》、女性なら《男の子》。それ以来単調な日常

がバラ色の世界に見えてきます。僕にも、もちろん


そんな学生時代がありました。でもおとなしく、気弱な僕は・・

ある日、そんな女性の友人との会話で不意に小耳にはさんだ

のです。

「本をよく読んでる、知的そうな人に心惹かれる・・・」

僕ってとっても単純なのです。それまで屋外で馬鹿みたいに

はしゃいでいたのに、その日を境に放課後図書館に立ち寄って

ハードカバーの小さな文字で書かれた本を2、3冊借りて

閲覧室で、それらしく振る舞っていました。彼女に見られて

いた訳でもないのにです。きっと不器用でバカなのでしょうね。

その彼女のちょっとした言葉で、ぼくの人生は大きく変えられ

たのです。不思議なもので、最初は苦痛でしかなかった読書が

ある時から結果、一番の楽しみになったのです。週末が楽しみ

で時間の経つのも忘れるほどに、文字を追いかけていました。

そしてその好みがこの歳まで続いているのです。

昔は推薦図書だけでしたが、今では様々の分野に

拡散しています。会社の先輩から「社会人になってからが

本当の意味での勉強だ。」と工業高校卒業の人から大学卒が

言われましたから若干頭にきたものでした。でもその人の

読書量は半端じゃなかったので、素直に納得しました。

本日一冊の本を読みました。仕事場に何気に置かれた本。

僕なら絶対に手に取ることのない分野。妻が数か月前より

積み上げていた一番上の本。『心晴日和』タイトルになんとなく

惹かれてページをめくりました。学生を待っているまでの時間

つぶしのつもりが結局、最後のページまでめくることに。(学生

は体調不良で土曜日に変更。)人は個々人によって、

誰もが、異なる固有の周波数を持っています。そして

その周波数に合った情報しか知り得ることができません。

だから、自分では決して見つけられない、盲点をカバーする

ために、時には違った周波数の人のアンテナを借りて、自分に

とって空前絶後の周波数で、思いもよらない情報をキャッチ

しなければ、人は思考回路が固まって、考え方が画一化して

しまう危険性があるのです。というのも、人の思考や行動は、

自分が普段いる環境や習慣に、無意識のうちに合わせてしまう

ものだからです。昔、本で読んだ事ですが、読書をする目的は、


《未来に恋するため》と書いてありました。なんだか素敵な理由

だったことだけ覚えています。記憶が不確かですが、真意は、

暗く不安になってしまう毎日の現実生活。でも本の中で、

もし光輝く言葉が見つかれば、きっと未来が輝き、毎日が

ワクワク出来るようになるのではないでしょうか。

だったような・・・なにせ、《知性は言葉に宿ります》から。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。P.S. I LOVE YOU.


連休が終わって、初夏の少し汗ばむ陽気が続いています。やっと

何かを始めてみようと、徐々に気持ちが盛り上がってきました。

本より、もともと人間には
「自分のため」という目的では
発揮できない力が眠っています。

自分以外の誰かのために
自分が存在していると
感じる機会が増えれば

努力を継続したり
一見不可能と思われるような
壁を超えたりすることができる。

センス

週末の仕事を終えた、寛(くつろ)ぎのひと時。妻の声が

届いてきました。「こっちに来てみて。」何事かと

声の出どころに着いて、はっとさせられました。見慣れた部屋の

景色が一変していたのでした。数日前より宣言していたシアター


ルームの様子です。《やると言ったらやってしまう》のが我が妻

千恵子のすごい所です。プロジェクターの置く台がまだ箱なので

付け焼刃の感は否めませんが、分相応の金額で至らない所は

知恵と工夫と行動力でなんとか、それらしくこなして、しまう

ところは、父親譲りの《器用》を受け継いだようです。その後


「この大画面でビールでも飲みながら、映画観てみたいよね」

「うん、食料買い込んで、ビデオ借りに行こう!!」ってことで

昨日、決行。『ボヘミアン・ラプソディー』を鑑賞。再びあの

感動を体感しました。案の定、ウェンベリーのライブ場面から

二人とも、ほぼ半泣き状態、32型程度の画面と音響だけでは

決して味わえなかった感動です。アルコールの効果も手伝って、

僕の身体は「熱い興奮」と同時に心は「穏やかな平安・心地

よさ」で満たされたのでした。そのゆるやかな時間の流れに身体

を委ねていると、まるで、楽園の中で覚めない夢を見ている様子

で、すごく心が落ち着いた、つかの間の、心安らぐ《旅》でし


た。どんな生活レベルであっても、くよくよしないで、生活を

明るく楽しむ《極意》(センス)に、心癒されたひと時でした。

毎日の暮らしを、豊かにすることなんて、ささやかなことで可能

なのです。センスは、人それぞれですが、仕事も遊びも人付き

合いも、きっと《センス》が大切なのでしょう。それは

どれが良くて、どれが悪いとかではありません。ただ、

人生を磨くには、おそらく、センスを磨くと、より素敵になるの

ではないでしょうか!


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。P.S. I LOVE YOU.


 

桜の散り際

どれほどの歳月が流れようが、どんなに寒い冬が来ても・・・

必ず春が訪れ桜が見れますよね。心が和みます。しかし命には

必ず終わりがあります。陽の光漂うその道脇に・・・ そして

大好きな風景に今日も風が吹いています。まるで悠久の風を

受けるように、歴史を紡ぐように咲き続けている桜。近くで、

はためいた旗がいつまでもなびいています。道端の至る所で

ピンクのじゅうたんが見られます。桜の木々から内なる声が

聞こえて来ました。「おいおいおいおい・・てめえたち、

この桜ふぶき、散らせるもんなら、散らせてみあがれ? 」

その時です。突然一陣の風が・・・「ヒューーン」見事に、

ひとひら、ふたひら、広げた手のひらの上に、次々に乗って

いきます。季節を肌で感じられる時節です。単調な自然にも、

その自然の中に身を委(ゆだ)ねれば、楽しい現象です。

陽の光に囲まれ、全身を少し冷たい風で吹き突かれながら、

大切なものを護り抜き、散り死んでいくモノ達がいます。

男は、死ぬ間際、空を見上げながら「楽しかったな」と呟き

ました。たまらない《ジン》とくる死に方だな、と、思います。

自然の大きな木を見ていると、確かに人間は育ちます。畏敬

の念、尊敬するモノってあります。自然は観るものではなく、

感じるモノです。観察するって感じる事。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。P.S. I LOVE YOU.


今日はかなり早起きしました。

ファーストペンギン

起業家と呼ばれる人たちがリスクを恐れず、リスクを背負って

新たな事業に挑むベンチャー精神の持ち主。とはネットで調べた

ファーストペンギンの説明。「語源」はペンギンの習性から生ま

れた言葉で、ビジネス界隈でよく用いられます。氷原にポカリと

穴が空いた時。ほとんどのペンギンは穴の周りに集まり、中を

のぞみ込み、中に、食料の魚は居ないか、天敵の大きな肉食獣は

居ないか、氷上から中の様子を窺(うかが)います。大多数の

ペンギンは食料の獲得よりも、命の危険を心配して、飛び込も

うとはしません。そこに笑みを浮かべ、スタスタ、ひょこひょこ

とやって来たのは、お腹を空かせた大胆不敵な一匹のペンギン。

奴は周りが顔を見合わせ、飛び込むのをためらっているのを

尻目に、ドボンって穴の中に飛び込むのです。この段階では


まだ周りのペンギンは、一匹も飛び込みません。目の前で飛び込

んだペンギンの、顛末(てんまつ)をうかがい注視しているの

です。奴が多くの魚を土産に持参して、無事に還って来るのか、

血だらけになって猛獣に食べられてしまうのか。その結末を

凝視、無事に魚を持って還った様子を観て、確実に安堵して、

食料にありつけるのを認識して、初めて一斉(いっせい)に

飛び込むのです。そうして誰もが食料にありつくことが

出来るのです。時には、最初のペンギンの動向を最後まで

確認せずとも、安全で魚をゲット出来るだろうと、5割以上の

見込みを信じて、2番目、3番目に飛び込むペンギンも存在しま

す。広く知られるようになったのは、NHK朝の連続ドラマ「あ

さが来た」で五代友厚がヒロインのあさに、ペンギンの写真を

見せ「ファーストペンギン」の大切さを説(と)いた時で

しょうか。先日半年間続いた朝ドラ、NHKドラマ「まんぷく」

のモデルの安藤百福さんは、まさにその「ファーストペンギン」


と言えるでしょう。閉塞していた時代に、風穴を開けて新しい

爽やかな風を吹かせて、人々を快くさせて、元気を与え幸福に

した者達。その呼び名はまさに強大な尊敬に値する称号なの

です。しかしです。歴史をさかのぼってみると、

彼らのほとんどは、その勇気と忍耐と労力に見合うだけの、

見返りを受け取ることは、大概ありませんでした。ハイリスク

なのにハイリターンじゃないのです。ファーストペンギンよりも

セカンドペンギン。セカンドペンギンよりサードペンギンの方

が繁栄を長く維持するのです。それぞれの時代にも誰にも役割

があるって事なのでしょうか? 新たな時代を切り開こうとする

ような人間は誰よりも早く、先に走り始めるのです。しかも2歩

も3歩も先を走りたがるのです。でも先走り過ぎ、頑張ってしま

うため、目先が見えない時があって、誰も歩いていない道という

ことも重なって、その道中は過酷を極め、嵐が襲い、遭難寸前で

す。結果、迷い込み、躓(つまづ)いて、倒れてしまう事が多い

のです。それは先駆者として、避けられない運命なのです。

2歩や3歩までも行かなくても、程良く半歩先に行く人間が、

2歩3歩先を行く者が倒れた様子を注意深く観察して、

学習するのです。それから同じ失敗をしないように改善案を

実行に移して、先駆者が落としてしまった、より美味しくて、

さらに大きい果実を拾い上げていくのです。二番手戦略の優位性

とでも言いましょうか。欧米の車企業より《トヨタ》。《アップ

ル》より《マイクロソフト》。《ソニー》より《松下電業》。

信長より秀吉、家康。等の歴史がそれを物語っています。しかし


何より喜ばしいことに、今も全世界で年間数億食売れ続けている

今世紀最大の発明品と言われるカップ麺の発明者の百福氏は、

日清食品の創業者で、生涯(享年96)現役の発明家。名実共に

成功した、偉大な実業家兼発明家。「ファーストペンギン」

として、真に活躍した数少ない成功者。ドラマでは多くの辛苦を

経験、飢えて豚並みに落ちぶれて、臭い飯を食べて生き延びたり

即席めんの類似品、粗悪品に悩まされ、利益を度外視して

即席めんの協会の立ち上げに尽力しました。ここで概して、


人間を含む全ての生物は、絶えず変化する不確実な環境に適応

しながら今日まで生き延びてきています。不確実な状況において

は、群れの誰かがチャレンジャーになって、不確実な現実と格闘

し、新たな活路を見出さなければなりません。もし全員が過度に

自己防衛本能を働かせ、不確実性を避けて、行動を起こさなけれ

ば、群れ全体が滅んでしまいます。このジレンマを乗り越えるた

めに、生物は進化の過程で《不確実性を好む脳》を発達させてき

たらしいことが、最近の脳科学研究で明らかになっています。


ドラマでは多くの大切な教訓を我々は得ることができます。

まずひとつは成功者の典型的な行動力と言えるでしょうか。

「言うは易く、行うは難し」ですが、

1とにかく挑戦してやってみる、少しでも可能性があれば何でも

実行してみるということ。つまり、《バカバカしい》とか《意味

がない》とか言って、やらずじまいなやつらは、結局そこまでし

て成長したくないという事。『やらない』という行動を通して、

無理してまで成長しなくても良いと言う自分を正当化しているの

です。2もうひとつは《世の中の役に立つ》と言う揺るがない信

念を曲げることなく貫いたのです。またそれが行動の源泉にも

なっているのです。

3・そしてどんな人の言葉にも耳を傾ける《謙虚》

4・《既成概念》に捕われない《柔軟な思考》

5・自信を持つのに根拠はいらない・・自分は出来ると思い込む

だけ・・ やれば出来る・・成し遂げるまで頑張る。

6・神経質過ぎるほどの注意力による《観察眼》等でしょうか。


昭和の時代には、人は結婚して子供を授かって、家族を作ること

に値打ちがありました。言うまでもなく、人間は、子孫を多く

残し、繁栄させることに本来の価値があります。しかるに、

平成の世であった時代には、科学の著しい進歩に伴って、日常

生活では、身の周りにはモノが、社会には、未だ矛盾が溢れか

えっていました。昭和から引き続き社会が豊かになったおかげ

で、人々の価値観は大きく移り変わっています。好むと好まざる

とに関わらず、日本中がこの価値観の変遷の波に飲み込まれてい

きました。結果、個人主義が蔓延し、結婚を望む若者が激減、

さらに子供の数も低減、かくして人口減少に歯止めがかかりませ

ん。詰まる所少子高齢化に起因する、労働人口減少等、多くの社

会問題が引き起こされてしまいます。平成からどんな時代に

変わっても、人は愛を渇望します。しかし深い愛ゆえに人は傷

つき、人を傷つけると言った罪を犯します。それでも人は愛を

求め続けます。平成を振り返れば、人々は常に大きな代償を

払い、それぞれの欲望と執着の中で生きてきました。大きな

喪失体験の連続。現在、効率と競争の冷たい社会だからこそ、

真に本当に必要なものは、《温もり》とか《信頼》や《安心》

なのです。人は心配や不安を抱えたままでは冷静になれません。

愛する人、会社、頼りにしていたものが崩れ落ちてしまいます。

真に頼りに出来るのは自分の思い、思考、気づき、真理だけで

す。だからこそ、今この瞬間にだけ気持ちを集中し、頭を休める

と、視野が広がり、周りが見えてきます。そして目の前の畑を

ひとつひとつ耕していけば良いのです。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。PS I LOVE YOU.


新元号が発表される前夜に、少し平成を振り返ってみました。