幸福の条件

いきなりですが、問題です。

中国が《2》です、

アメリカは《3》

フランスも《3》です。

では、日本は《いくつ ? 》でしょうか ?

(ヒント;国であれば必ず持っているもの、象徴となるもの)

さらに言えば、ドイツも《3》、イタリアも《3》です。


人は得るもので生計を立て、

与えるもので人生を築く。

(イギリスの政治家:ウイストン・チャーチル)

他人のために尽くす人生こそ、価値ある人生だ。

(科学者:アルバート・アインシュタイン)

富に執着している人、

そのために気苦労の絶えない人は、実はとても貧しいのです。

富を他のために用いる時、

その人は豊かにとても豊かになります。

(ノーベル賞平和賞、修道女:マザー・テレサ)

病んでいる人が、病んでいる人のために、

祈る時は祈りの力は倍になる。

(ユダヤの教え)

他者に貢献することは、この地球での、

あなたの居場所に払う家賃である。

(元世界ヘビー級チャンピオン:モハメド・アリ)

究極の自己満足は、

人に喜んでもらえることです。

(ソフトバンクグループ創業者:孫正義)

人間は心の持ち方を変える事によって、

人生をも変えることができるということだ。

(哲学者、心理学者:ウイリアム・ジェームス)

奉仕を主とする事業は栄え、

利益を主とする事業は衰える。

(フォード創業者:ヘンリー・フォード)

「ありがとう」が載ったお金を、

集めなければ事業は発展しない。

(ワタミグループ代表者:渡邉美樹)

最高の道徳とは、不断に他人への奉仕、

人類の愛のために働くことである。

(インドの父、政治指導者:マハトマ・ガンジー)

一生の間にひとりの人間でも、

幸福にすることができれば、自分の幸福なのだ。

(作家:川端康成)

真心を持って、人を助ければ、

必ず自分も人から助けられる。これは人生の、

もっとも美しい補償のひとつである。

(アメリカの詩人、哲学者:ラルフ・ワルド・エマーソン)

尽くすことを正直に試みる者には、

全世界もまた彼に対して、

尽くすことを忘れないであろう。

(デパート、ワナメーカーズ創業者:ジョン・ワナメーカー)

他人の利益を図らずして、

自ら栄えることはできない

(アメリカの実業家、経営家:アンドリュウ―・カーネギー)

幸福になりたいのなら、

人を喜ばすことを勉強したまえ。

(イギリスの詩人:マシュウ―・プリオール)

確実に幸福な人となる、

ただひとつの道は、人を愛することだ。

(ロシアの小説家:L,N、トルストイ)

人生は刺激に満ちた仕事ですが、もっとも刺激的なのは、

人のために生きるときです。

(アメリカの教育者、社会福祉事業家:ヘレン・ケラー)

人生に意味を与えるものとは、

わたしたちが得るものではなく、

どんな人物になるか、何に貢献するかです。

(世界ナンバー1、成功コーチ:アンソニー・ロビンス)

他の人に一生懸命サービスする人が、

もっとも利益を得る人間である。

(ケンタッキーフライドチキン創業者:カーネル・サンダース)

幸運に恵まれた時も、不運な時も断固として、

最善を尽くすことが、人生の意味を深めるだろう。

(イギリスの文学者;サミュエル・ジョンソン)

我々は他人に、幸福を分け与えることにより、

それと正比例して、自分の幸福を増加させるのだ。

(イギリスの哲学者、経済学者:ジェレミー・ベンサム)

お金のためだけに働いたのでは、成功しない。

しかし、自分の仕事を愛し、顧客第一でいれば、

成功はあなたのものだ。

(マクドナルド創業者:レイ・クロック)

夢を与えられれば、それを実現する力も

必ず与えられる。

(飛行家、作家:リチャード・バック)

心が平和で活力に富んだ人間が、

いちばん良い仕事をするのです。

(ノーベル平和賞、牧師、活動家:マーティン・ルーサー・

キング・ジュニア)

本当に幸福になれる者は、

人に奉仕する道を探し求め、ついにそれを、

見出したものである。これが私の確信である。

(神学者、哲学者:アルベルト・シュバイツアー)

幸福の条件(先人からのメッセージでした。)


今日はここまで、近藤浩二でした。

ではまた。笑ってよろしくです。


わたしのあこがれの女性である、脳科学者の中野信子氏によると

美人が美人に生まれるのにはそれなりの理由があるとか、

種の存続の観点から、「生殖能力」が高い女性が

美人になる宿命を背負っているとか。

美人の女性の方、精出して、子供を産み落としましょう。


問題の答え;国旗の色の数

日本は《2》です。

ちなみに、人口の2パーセントの天才集団と言われる

「メンサ」の入会試験の一部でした。問題のほとんどは

立体認識を問われる「幾何学」図形の問題が多数を占めるそう。

そのため、女性の人数より圧倒的に男性が多いとか。


 

いじわる

来年小学校に入学する保育園児の送迎に、やむを得ず、初めて

同行した。いつもと様子が違っていると感じた彼は後部座席に

ゆったりと腰かけ私の携帯でユーチューブを視聴している。

それに飽きると運転席と助手席の間の我々に退屈そうな顔で

近づいた。算数が不得意とのことで、顔を寄せてふと尋ねた。

「いちたすさんは ?」「よん」「じゃ、はちたすななは ?」

わからないのか、答える気がないのか、黙殺されて窓越しに

物思いにふけりながら景色を楽しむ彼の鼻歌だけが聞こえる。

「何かほしいものは ?」ほぼ即答で「えるちき」

「どこで買える ?」またもや言うか言わないかで「コンビニ」

じきにローソンの駐車場の、西側の隅っこに停車。

初対面のわたしとふたりだけにされるのが嫌なのか、しばらく

ためらっていたが「自分で買いに行く」お金を渡され、ひとり

トボトボと不安そうな様子で店に入っていった。折しも、

同乗していたツヤのある黒髪を三つ編みに丁寧に結んだ、抜け目

のなさそうな小学4年の姉がいたずらっぽくこうささやいた。

「いいこと思いついちゃった」

人差し指で鼻の頭を触りながら、交差させた両足をしきりに

組み替え、はいた暖色の可愛いスカートを色っぽくはためかせ、

「**ちゃんが返ってくる間に、くるま移動しちゃおう」

「**ちゃんが困ったところビデオに撮って」

「おじいちゃま、に見せよう」と、嬉しそうな表情で、とっても

上品な言葉遣いに、さすが医者の子供だと、育ちの良さを感じさせられた。

即刻、家内が車を、すいていた東側の駐車場の真ん中あたりに止

めエンジンを切り一同車内から店先をのぞき見、彼女は携帯ビデ

オをかまえながら待っていた。まもなく、彼は店外へ、何の疑い

もなく西側の駐車場へと歩みだした。一瞬彼の姿が見えなくなった。

と思ったら、子供ながらも鋭い勘を働かせ、何か様子が変だぞ、

と、辺りをきょろきょろうかがうと、気が付いたのか

こちらに近づいて来た。白い歯を見せながらバツが悪そうに

おどけるような素振りで姉と向き合うと

「**ちゃん、驚いた ? 」「ぜんぜん」「うそばっかり」

「うそじゃないって」と言い合っていたが、じきに映された

自分の動画を笑いながら楽しそうにながめていた。


爽やかな風が吹き抜けおだやかな朝焼けが部屋に差し込み、

何とか灯りがなくても目の前が見きわめられる明るさのもと、

わたしは居間の引き戸際に立ち、ぼんやりと居間の中の様子を

うかがっていた。というのも、

ひとりの男の幼児が、ほんの少し前、灯りのついた居間で

イスに腰かけ、何やらせわしなく、作業をしていたようだ。

小生が「ごほん、ごほん」とせきを立て気配を起こすと

「おいちゃん ?」との声が聞こえた。わずかに戸を開け

のぞきこんで「おはよう、**ちゃん」と「おはよう」

「何しよん ?」との問いかけに「ぬり絵」とポツリと

つぶやいた。わずかの興味本位で「どうどう ?」と

近づいて塗り絵のしんちょく状況をうかがうと、少し

粗雑でまだまだ細部までは神が宿ってないようなので

「悪くはないが・・・」「ここは、こっちの方が良いよ」

と、いささか手心を加えてあげた。「ありがとう」と

満面の笑みを向けてくれた。

その後、自分が引き戸際で、何気に「パチン」と

部屋の灯りを消して戸を閉めて部屋をあとにした。

家内がヤボ用で帰って、「灯りつけんと暗いやろ」と幼児に

訊くと「おいちゃんに消された」と不機嫌そうに言った。

家内が部屋の灯りをつけてそばまで寄って「進んでいる ?」

と訊かれると、問いかけとはまったく関係のないところで、

ため息まじりに、ひとこと吐き捨てるかのごとく、

「おいちゃん、って、(意地悪)いじわるやねえ」と・・・

自分がトイレから居間に入ってふたたび灯りを消すと

「、おいちゃん」と幼児の叫び声が背後から

とっさに、「何か ? 」と返すと「こらー、バカー」

無論のこと、慌てて引き返し灯りをつけたことは、言うまでもない。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。今日も笑ってよろしくです。


車内で何気に聞き流していたラジオからの

哲学的な問いかけに一瞬、耳がぴくッと動いてダンボに止まった。

少し声高の男性が落ち着いた口調でこう問いかけた。

「なぜ今、世界はここにあるのか ?」

「なぜ今、自分はここにいるのか ?」

しばしのあとで、透き通った声で、歯切れよく、

的を射るように、

「世界があなただから・・・」

「あなたが世界だから・・・」

、との答えに、お互いいささか恥ずかしく、

何かわかった風に「ふーん」と顔を見合わせ、ただ

息をのんだだけであった。


 

稲作の村文化

ある団体で「マスク上げてください」「マスク、マスク」と

やたらとうるさい、全国的に正義感中毒がはびこって社会問題を

引き起こしているらしい。

現実的な合理性や客観的な論理性を無視してでも、

個を捨て、集団に寄り添わないと生きにくい社会。

それが日本。使われにくい、嫌われると生きていき難い。

ほんと面倒だ、窮屈だ。社会通念にあらがうことが許されないということだ。


日本人はなぜに集団主義的傾向が強いのか?

そのひとつの理由は、古くからの農耕社会にまでさかのぼる。

欧米人は麦作、日本人は稲作だからというもの。

麦作は比較的簡単に育て作ることができる。個人でも家族くらい

の集団で容易に育てられ作れるのだ。わざわざ仲間を作る

必要がないのだ。一方、稲作の発育には何よりも水が最重要要因

である。そのためには、《かんがい》が必要になる。

「我田引水」の理由で大量殺りくまで発展するほどなのだから。

その《かんがい》を維持、管理するには、集団で共同体を造る

必要になる。その共同体を、維持しようとするには、

そこには必ずルールがある。不思議なことに、

それを維持するためには、問答無用で、他人に

《ちょっと犠牲を払いましょう》、

《労力を払いましょう》、といった自己犠牲的振る舞いを

求められる。そこにたとえ、論理性や合理性が成立していよう

が、していなくてもだ。やっかいなことに、しかもその犠牲が

美しく、尊いものに見られる、といった大いなる誤解を生む。

しかしながら、それを払わずにひとりだけ得をしようとする人が

いたら、みんなも同様に得をしようとして労力を払わなくなる、

犠牲を払わなくなる。もし、そういう人がでると集団、共同体が

壊れてしまって困るから、それを排除するか罰を与えようと

なる。話し合いで納得させようと努力することなしに・・・

罰として、寄ってたかって注意をしよう、足を引きずり

下ろそうとするらしい。ある意味、いわれなきイジメだ。

集団を維持するために必要な社会性のひとつといった

もっともらしい口実をたてにして。確かに、


個を殺し、組織を大切にするため、社会通念や同調圧力に従って

生きる方が日本社会には適応している。個を捨ててみんなで

一緒に何かをするのが好きな人は、統計によると、

日本人の7割に及ぶという。自分で意思決定するのが楽しくて

好きだと思う人は3割にも満たないらしい。

7割以上の人は、自分で決めるより

他人に何かを決めてもらって生きる方が楽だと思っている。

この時、脳科学的に、大脳皮質から快楽ホルモンである

ドーパミンが放出されるらしい。

自由意志がわずらわしいと感じる人が日本人には多数いると

いうことだ。

なんともどこを切っても金太郎アメといった日本人らしいではな

いか。稲作の村文化が生んで育んだまったく悪しき習性だ。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。今日も笑ってよろしくです。