謎の??

私は見た。それを見た。ちっちゃな薄いグレーの珍キャラが

数十人。黒とうとうたる夜、寝床のかたわら、ほんの数十センチ

先の暗い違和感。眠りに落ちているはずなのに・・・

それは見えざるものが可視化された瞬間。思い起こせば、

背たけ10センチ足らず、ねずみ色の軍服姿で機関銃を肩に抱え

た、こびとの兵隊集団さんが一糸乱さず小走りで走り抜けた。

兵隊さんたちも、何かの物語に加わりたいのか・・旧友でもある

まいし。おっしゃってくだされば、お迎えにうかがったもの

を・・・ ホスピタリティーは確保しますから・・・

静かに息を殺して振り返ろうとしたが、何かの力がはたらいて

ビクともしない。朝、顔をゆがめながらよみがえった、週末旅行

で体験した今の時期にぴったりの光景。終戦の近い時期だか

らかな・・・ まだひと月以上も先だぜ。どうして? 《人を呪

わば穴二つ》 バカな、こんなことはあり得ない。勝手知らない

他人の家、だから・・ ほとほと奇妙だ。見て見ぬふりをして、

何事もなかったよう平気な顔で耐え忍べば、じきに通り過ぎる。

見知らぬ何かがすっとやって来て「こんにちわ」って言われても

ねえ・・辻褄、矛盾、ただただぼう然自失。潜在意識に残る心の

傷跡?


梅雨中の淡い青空のもと、ほどよい夏の日差しに気分は心もと

ない微妙な毎日。サンビリーバブルな夏の日の宵闇でした。

今となっては、夢だったのか何だったのか、確かなことは何も?

でも気分は晴れ晴れしい、とてつもなく。今日は機嫌が良い。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


焼肉で食事中、おもむろに幼児が「教えちゃろか? 」

「***、気もち、食べれるよ!!」「それ、キムチね。」

ご存知のごとく《気持ち》ではなく《きむち》だ。誰でも自分が

少しでも、できなかったことができたことが嬉しくて自慢気に

他言したいのである。ことに、幼ければ幼いほどに・・・

喜んで、取り分けて、白ご飯の上に手助けてよそおう。程なく

して、手を合わせ「ごちそうさま」ちゃわんの中には、いまだ

赤粒の光る緑のきゅうりがことごとく・・・ 《言うはやすく

行うはかたし》 学んだかな、世の中を・・・


話し変わって、人間より低い位置に咲く花は、上向きに。人間と

ほぼほぼ同じ位置に咲くヒマワリは横に咲く。人間より高い位置

に咲くサクラなどは、下を向いて咲く。《自然ほど不自然に存在

する》《そのような存在は、決して存外には扱えない》ものだ。


握り寿司を宿泊先に持ち込もうと車内からさげて出た次の瞬間。

どうしたことか、十字に結んだひもの隙間から、するりと容器

ごと寿司が滑り落ちた。あわてて容器に戻したものの、

《握り寿司》のほとんどが《ちらし寿司》にすり替わった。

この時から、何か様子が変だった。生活に不安がのぞかせる?

それも暗い脅威を? でも、何事もいたって、普通だ。安心し

た。 めったにないような、不可解な説明できないことが起こる

と不安で怖い。どちらかと言えば、鈍感で、そういう体質とは

程遠いはず。ユウレイにはまだお目にかかったことはない。

今までも、これからも、そうであってほしい。祈ろう!!!


銀行で椅子に座って待っていると、大男がバックをさげて、大き

なマスクをして、入って来た。一瞬、銀行強盗かと、勘違いす

る。突っ込みところ満載、反応は遅れ、やりにくさ100%。


今日もごちそうさマングース。


 

天体

ほぼほぼ、日差しのない梅雨中の、日曜日。これまでは、早朝、

玄関を開けると、不快なまでにさんさんと照り付ける

朝日が今では恋しい。それでも、太陽は何らかの意志を持って

東の空から徐々に回り南の空へ昇りつめ、異様なあかね色に

染まりながら、西の空へと落ちていく。


本日は、天文学では夏至(げし)で日食で、しかも父の日だ。

記録をさかのぼれば、徳川家光の時代以来らしい。

ただただ、刺激なく怠惰に退屈な日々を過ごす我々のような

一般人ならば、シンプルに《太陽が地球の周りを回っている》

と天動説を考えるはずだ。世界に目を向ければ、その時代、

ヨーロッパにおいては、地動説を唱える渦中の人物が弾劾裁判

の真っただ中、判決は死刑が妥当であったが、出来合いの

レースのごとく、筋書のあるセリフを読み上げ、死刑は免れる、

しかし、男はつぶやいた。《それでも地球は回っている・・・》と。

その真の科学者がガリレオ・ガリレイその人であった。中世の

時代、天文学はもはや、穀物や作物の種まきや収穫の時期を知る

ためのツールとはほど遠い対象となっていた。彼いわく、

《天体観測の目的の、一番重要なことは、神の意志を知ること》


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


昨日は義父の、ひちひち49、日の法要で無事におかげ様で

納骨を済ませることができた。その後、身内数人で饗宴にて

昼日中から、がっつりビールをあおり、程なくして夢の世界へ。

その前日のこと。墓地のとうばに、こぶし大のスズメバチの巣の

退治で、獅子奮迅のごとく汗だくに大わらわ、てんてこ舞い。

どんな障害や壁が立ちはだかろうが、めげることなく、立ち向か

う、たくましい女性。生きる力は雑草以上。夏にも関わらず

厚手の生地のコートに、マスクにフェイスガードに手袋を

身にまとい、肌をいっさい出さずに、ビクビクしながらも

抜き足、差し足、忍び足、ポリエチレン袋でとうばごと、捕獲。

ことごとく生け捕りに成功。無情にも、そのまま焼却炉に直行。

ハチのむさしは死んだのさ! やったな、千恵子、

お前の勝ちだ!!! グッチョブ。 ゴー ツー ヘブン!!!


メスに食べられるカマキリのオスとは逆に、月に食われる太陽の

日食。そんな縁起の悪い現象、絶対、目にしたくないから見ないで


今日もいただきました。

再会

昼過ぎに遠路はるばる県をまたいで、意気揚々として保育園まで

お迎え。嬉々(きき)として、園庭内を飛ぶように走り回り、すぐ車に

乗り込み、「おいちゃん、ちょっとお話したいことが・・・ 」

と言ったくせに荷物を広げ「ちょっと、おいちゃんには、

見せたくないけどなあ」「はい、お待たせ、 ***の

マスクコレクション」「いっこだけなら、取ってもいいよ。」

「ありがとう」「はい、500円になります。」「お金取るん

かい、なら、返品!!!」「100円でいいです」節操がない。

納得できずとも、ワンコインを手渡す。にやけながら、受け取る

と、嬉しそうにバイキンマンの財布に入れ、御満悦。「今、

貯金始めたところ・・ 」に「だますより、だまされるほうが」

と言って財布を2,3度優しくなでてやった。微笑んでいた。


ちょっと、会わない間に、人が変わったみたい。その後、

「おいちゃん、握手して。ハグして。」「おいちゃん、大好き」

っと妙にごまをすって、取り入ろうとする。世渡り上手。恐れ入った。


徐々に規制が緩和され、シングルマザーの母が週末歓迎会で

愛息子の望む我夫婦の元へ一拍のごほうびの旅行。現地で外食。

帰りがけに「ゴチになります!!」と頭をぺこり「ありがとう」

高速に入って、前方車両に引き離されると、「はよ、行けーー」

って上から目線で、せかす。さらに「あ、こうじ(工事)!!」

「こうじ(浩二)は、ここ!!」と手を挙げると「ちがうって、

あっち」再び、「あ、こうじ(工事)!!」と叫ぶと「こうじ

(浩二)はここ。」と、さらにツッコむと、 「うるさい、だま

ろうか?」と、辛らつな言葉でさとされる。夕刻、海側の

瀬戸内湾際を通過してると、夕日に照らし出された海をながめ、「あっ」

「海がきれいー」と恋人に話し掛けるように、ひとりしんみりとよどむ。

西条の田舎から、県庁所在地の都会に住むようになると、こうも

変わるモノなのか。《子供は一日に約300回笑うらしい。》

片や、大人になると約30分に一回と10分の1に減少する。

人生は幸せを探す旅。笑う回数が増えるたびに、幸せに近づく。


今日はここまで。 近藤浩二でした。

では、また。


作家の井上ひさし氏の言葉。

難しいことはやさしく、やさしいことは深く、

深いことは面白く、面白いことはまじめに、まじめなことは愉快に、

そして、愉快なことはあくまで愉快に。

まさに、示唆に富んだ文言。


自分の嫌いな、我が家の熱い風呂に入れられると、「ママの風呂

がいい。出るーー」と、いつも泣き叫んでいる。神妙な面持ちで

出てくると、「次はおいちゃん!!」と言うので「はい、次、

入ります」って手を挙げると、勝ち誇った表情で、近寄って、

頭をなでてくれる。ほんに、可愛いやつだ。気に入った・・・


コロナのことなんて、いっさいがっさい、忘却のはるか彼方だ。

今日もごちそうサマンサ。


 

潮時

前年の年末あたりから週に3回訪問マッサージを施術いただいて

いる。昨日の昼下がりにチャイムとともに、いつもにこやかな

お顔をしながら、要所、要所のツボを「お前はもう死んでいる」

のごとく《おやすみのマジシャン》は、時に強く、時に優しく、

神の手かと勘違いするほどの気持ち良さで、落としていく。


ウトウトとする夢の中で不意に話しかけられ、気のない返事。

「近藤さんとこは、もう10万円入りましたか?」「はい・・」

「うちはまだで・・・ 近所の知り合いも入ったようで・・・」

「どうなってるんでしょうかねえ? 」「知りませんか?」

いつも突如、この身には、いたずらの虫が騒ぎ出す。

「はずれがあるみたいですよ・・・」「え!!」

「はがき届いてませんか? 」「はずれ、って大きく書かれて」

「あなたは、選にもれました、って」「えっ、ほんと?」

「はい」「そうですか・・・」あきれ顔で僕を見ながら、手元を

ぎゅっと強くさせる。「え、はずれがあるんですか・・・」

「美人と男前しか支給されないって」「***さんは・・・・」

「なるほど・・」もう潮時だと判断した。「もちろん、ウソです

よ」「そうですよね」「国民全員に支給って聞いてたんでね」

「はい・・」 いつもこんな風にお互いバカを飛ばし合っている。

《バカになれる分だけ、人は親しくなれる》 その後も、

世間話でお茶をにごす。

《いくら頭で何かを考えても、伝えなければ、ないのと同じ。》

今朝は曇り空の穏やかな空気の中、気がつけば、アジサイが

じゃっかん、雨露にぬれていた。本格的に梅雨の季節到来だ。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


一方、かみさんは、玄関用の敷きマットの清掃交換に来た業者に

ラジコンカーをジョイスティックで操作中に、「今日はおいくら

ですか?」「千****です」「ほう・・・」「ちなみに、

ころラジコンカー、いくらくらいと思われます?」

「2,3千円くらい?」「千円でおつりがきます。」

財布を取り出し、「千円と***円、はい、どうぞ」

「どうも、ありがとうございます」「こんな機械が

千円でおつりがくるのに、こちらは、マット交換するだけで

千円じゃ足りないん・・・ ですよね? 」困惑ぎみの営業マン

に僕がさらに追い討ちを 「そろそろ、しおどきですかね・・」

にやりと笑いかけた。笑うかどには福来り。


今日もごちそうさま。


 

ほんもの

♪むぎわらの・・帽子の君が♪揺れたマリーゴールドに似てる♪

テレビのビールのコマーシャルに使われ、流れ始めたのをきっか

けに、何気に口ずさむようになった歌曲。今や、人気、実力とも

誰もが認めるようになった、若手女性ミュージシャンの売れっ子

一見すると、街で見かけても、ただの田舎娘と勘違いするほど、

じみ、案外地味、写真に写ったお顔はほんと、なんだかショボイ

ごめんくさい、「あいみょん」でも、ユーチューブのライブ映像

で歌う彼女は、ギター抱えて、髪を振り乱して歌うそれは大御所、

レジェンド感がハンパない。生まれついての**って、こういう

人のことを言うのですね。普段はだらしないのに、ここぞって

時は、人が変わったように120%の力を発揮できる人っていま

すよね。あるときは突き放したい感覚、でも、あるときは引き

付けられる感覚。その場に溶け込むタレントのすごみに感嘆しき

り。存在感が郡を抜いてる。それは人をとりこにする浮世の極楽

人が何かに引き付けられる要素って《親しみやすさ》《不思議》

《安全》《心地よさ》などなど、挙げると切りがないが・・・

《あいみょん》ならではのキャラクターのなせるワザ。人間性

とも言えるのか・・もともと、人をもてなしたり、楽しませる

のが得意なのだ。そこにいるだけなら、ただの人、舞台に立った

ら、最高のエンターテイナー。《ほんもの》ってほとんどこれ。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


今朝、庭で、花をながめていたら、思わず、《かまきり》と

目が合ってギョッとした。彼らは複眼なんで360度見渡せるし

にらみつけても、こちらが目線をそらせないと、むこうも、決し

てそらさないのよね。食うか食われるかの、野生の習性ってすご

い。いたずら心にかられて、一度、離れ、再度こっそり近寄り、

《コンパチ》(デコピン)で弾いてやった。ちょっと、罪悪感に

襲われ、居所、生存を確認して、ホッとして、木の枝に乗せて

元の場所に戻してやった。 色即是空 空即是色。


今日もおごちそうさまでした。


 

昨日のゆうげ

最近、我が家でも、ボチボチ、ようやく、外食が解禁になった。

食欲があれども、囚人のような粗食浸けが続いたせいか、

「何か食べに行こか? 何がええ? 」「肉が食べたい」

日曜日、一日家にこもっていた姪っ子の二つ返事で焼肉に決定。

小躍りするほど待ちわびていたのか道中、妙にハイテンション。

誰もがニコニコ顔だ。平和には美味なるものが必至だ。小生は、

うし年なんで、共食いになるが、世界一大好物で最後の晩餐も

焼肉の予定。割と席が空いているのにコロナ対策なのか、

三密回避の配慮なのだろうが中途半端、部屋の隅っこに追いやら

れ陣取る、ここじゃ換気が悪いと文句を言いそうになりそうな

言葉を、大人げないとの良識から呑み込んだ。ビール、わずかに

上等な牛肉、白飯、肉、ビール、キムチ、肉、締めはアイスク

リーム・・ でもって、しあわせホルモン大放出。

タレにつけて口に放り込む瞬間は最高にワクワクするよね。この

ご時世、ことに、飲食店が苦境に立たされている。立ち向かうべ

き、帰り際、若い女性店員がお得な格安商品券の営業トーク。

笑顔がないぞ。これじゃ、ただの可愛いマネキンだ。そこで最後

に、返した。「もれなく、私も付いてくる? 」僕の余計なひと

ことに、姪っ子がぴしゃり。「あ、セクハラ」恐れいった。

わかっちゃいるけどやめられない。ほんの少しイカレテて変わり

者なのでご勘弁を。であるが、良識を持ったガラの悪い正義の

味方、決して姑息で汚いまねはできないのだ。ときに、思考と

行動が相反して、ジレンマに陥って頭を抱える。カウボーイ風に

言えば、「かず撃ちゃ当たる」腰のひけた名うてのガンマンだ。総じて、

突然のにぎわいに、お腹がすごい反響だ。誰もがなんだか、

気落ちしていた分、喜んだ、勇気をもらった。

《人を幸せにするも、不幸せにするも、口にするもん次第だ。》


しかし、状況は以前よりだいぶマシだ。自力で生きるしかない。

何事も気の持ちよう。でもって、運命ってやらを追い求めて・・

っと。ようやく、何かが動き始めた。ゴットン、ゴトゴト。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


「何か臭い」「した? 」「いいや」「自分やろ? 」

「うちも知らんよ」怪訝そうに見合う。

車中でのおならは厳禁だ、人間関係の破綻を招きかねない。

近付いてまで、調べるには及ばない。犯人は俺だ。誰も気づかない。


 

紫陽花(アジサイ)と子供たち

現在、水無月、6月の花と言えば、アジサイですね。我が家に

猫のひたいほどの庭先に華やいで赤く咲き誇っている。

ほんのちょっと車を走らせると、道路わきに青々と

雨露に照らし出されて見事に景色をにぎわせ、心が洗われ

明日への活力になる。アジサイは土の性質によって花の色が

変わると聞く。土が酸性なら、青色。土がアリカリ性なら赤色

よくご存じのリトマス試験紙とは正反対だ。だから、恋人に

贈る花としたらNGなのだ。花言葉は「心変わり」なのだから


人気ドラマ相棒で容疑者のひとりが、恋人にアジサイの花を贈

った疑いから、事件が解決されていく、といったくだりがあった。

アジサイ、漢字で書くと紫陽花。昔から、むらさき色と認識され

ていたということだ。赤色と青色を混ぜると紫色になるから・・


どんなモノでも、人でも、綺麗だなあ、映えるなあ、って感じた

ら、名前や種類を、由来を知りたくなって、つとに、調べ直す。

多種多様な顔を持って、まるで七色の仮面をもつミルマスカラス

ばりの華やかさに心惹かれた。今では、変わった色の花弁を見つ

けると、新種の花かもと観察してしまう。話し変わって、早朝か

ら、可愛いお客様たちを朝日の当たる玄関でまちぶせ。しばらく

ぶりの子供たちの早い成長にびっくり。一歳ほどの男の子ふたり

くっきりはっきりとした顔立ちに、頭まで1メートルにも満たな

い身体をのっそり、ゆっくり、ゆらゆらと進める。想像してたよ

りもしっかり、どっしりとした腰が、有望なスポーツ選手への

期待をかきたてる。完成された体格を目にするには、まだまだ

先の事。わが子のいないわが身がたとえ他人の子供であっても

国の宝たちの成長にわずかばかりでも関わり、つぶさに見守り

続けられる喜びに感謝に絶えない日曜日になりそうです。幸せ。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


想像してた最高の幸福を超えた「ハッピー・サンデー」だな。

子供たちの明るい未来を祈らずには・・・ 多彩な表情と行動力

に感心、感服尽きません。どんなときも、どんな場所でも笑える

ユーティリティーボーイたち。社会にこれでデビューできますね

プチトマトと、ひとの子供は成長が早い、ほんと。われわれも

年をとるわけだ。いちにち一日が経験であり、身となり骨となっ

て大きな財産になるのだな。21世紀の令和の戦士たち。

24時間戦えますか? 新種の人間になるかも・・・

若さの光も風もいただきました。ただじゃ転ばない、

原点回帰・・・ かみさんにも子供たちにも気使っちゃって

疲れない様に過ごさないと・・・


今日もごちそうさまーず。


 

教え

梅雨より先に真夏。日本列島は真っ赤です。夏日か真夏日。梅雨

に入ったというのに、雨が降らずに、酷暑に見舞われた日本

列島。昨日は日本一暑い、ことに、運動しながらマスクをつける

と息も絶え絶え、生きた心地がしなかった。家中ではクーラーは

欠かせない。そんな中、予定のリハビリで汗を流す。まわりは

ジジババ。お年寄り方も同様にゴソゴソバタバタ、まさに、身を

切るように、うごめいていた。ほぼ三密状態で大丈夫? 3時間

ほどの長い軟禁状態にげっそり、自分もぐったり。もう年だ。年

には勝てない。疲労と空腹で、横になれど寝る事さえままならな

い。歩く、足元もおぼつかない。改めて、身体を大切にしようと

思った。確かに、体調がすぐれないと、気持ちも心も不安定でグラグラ。


リハビリ所で目にした文言。かきくけこ作文による、

美しく長生きする秘訣、って

か、 感動

き、 興味

く、 工夫

け、 健康

こ、 恋

どれも当たり前だが納得。あと、食事の基本の・・・

「まごわやさしい」が豆、ごま、わかめ、野菜、さかな、しいた

け、いも。わかっちゃいるけど、ただの精進料理じゃねえか、

こんなんじゃ、力が出ねえ。美味しいものを、バランスよくを

身上にしている。だって、残された食事って、あと何回?

世の中にはびこる《教え》って、どれもこれも、冷たくて、

権威者目線の、結果論なんですよね・・・ 今に生きる人間には

《きつい》、って。長生きを目的にある人生、その向こう側には

何がある? いかんせん、

《そんなん、楽しくないって。生きてるとはいえないよ。》

あなたが考えている以上に、人生は短いもの。タイム イズ

マネーだ。ほんと時間は大切だ。 タイムマシーンよ、あなたが

いれば、人生はどんなに素晴らしいことか・・・ 何かいつも

文句ばっかりで申し訳ありません。て、油断してると、世間の

くだらない常識に洗脳されて、脳みそ、腐っちゃっいますから・・・


それに何より、

《人生は楽しむもの。楽しんだもん勝ち。》

楽しむも楽しまないも、自分の気持ちひとつで変わるモノ。

「いつも喜んでいなさい。

絶えず祈りなさい。

すべての事について、  感謝しなさい。」

これ、以前、聖書の勉強会で学んだ。

楽しんで、喜ぶことが、生きる活力、原動力になる。そこに

は生かされている感謝。毎日がんばれるのは感謝しかない。

帰宅後、さっそく、暑気払いにビールをごっくん。とにかく、

生活に必要なもの、生活に彩りを与えてくれるもの、テンション

を盛り上げてくれるもの、これらを、自分なりに快適

リフォームしよう。誰もが、あこがれるおじさんになること。

毎日ワクワク、ドキドキして、人生の可能性を広げよう、と。


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


身体が元気じゃないと、ほんと、何事もにっちもさっちもいかない。

ほとんどの人は、息をしているだけで活きていない。今こそ

エキセントリックで風変りなばかちんのパワーを見せる時かな。

気に食わねえからって、決して、デスノートに僕の名前書かないでね!!


今日も来てくれてありがとう。

ごちそうさまでした。


 

二種類の人

夕食時、ラインに私の一本の動画を送ったら、返礼に、一分弱の

動画が付いてきた。「また、遊びにきてね。待ってる・・・」

居間全体のアングルから部屋着姿の幼児にズームイン。さらに

恥らいながらおどける笑顔がそれはそれは可愛い。ズッキ―ン。


「今、ひとりで、遊んでる・・・」 かける言葉が見つからず

戸惑ってる様子が手に取るようにわかる。今すぐ駆け寄り

見つめ抱きしめたい衝動にかられた。まるで愛する恋人か、

我が子のよう。世の中には二種類の人間しか存在しない。

《愛する人と愛される人》

かの、トルストイは、かくのたまわった。

「確実に幸福な人になる

ただひとつの方法は、人を愛することだ。」

さらにこうも・・・

「愛は人生に没我を教える、それゆえに

         愛は人間を苦しみから救う。」 深い・・・

「没我(ボツガ)」とは我を忘れる事と、すぐ、ググった、よ。

今朝、おきがけに、寝床でフェイスブックで誰かの投稿を目に

して、心に刺さったので紹介させていただいてます。詰まる

ところ、究極の幸福とは、お互いに愛し合える人、と言えそう

だ・・・


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


テレビのCMで長澤まさみが言ってた。

「世の中には、虫コナーズか虫コナーズ的なものの、

どちらかを使ってる、 近所の***さんちは、

虫コナーズ的なものを使ってるらしい、

(にやけながら)勝った・・・」「(あきれながら)何に? 」

たったこれだけの掛け合いですが、妙に記憶に残った。吹き出し

そうになった。思い出しては、ひとり含み笑ってしまう。


男女が結びつくには、《心を裸にしよう》って。自分の想いは、

自粛するな!!

今日もごちそうさまでした。


 

好き嫌い

「***さんは、どうですか?」「・・・ もう、ええ」

微笑んで、近づき、声をかけると、相手はなぜか、怪訝(けげ

ん)そうに、眉間を寄せた。あからさまに嫌われ、そでにされた。

僕は、何がなんだか、さっぱりわからなくて、困惑して、席を

立ってその場を離れた。気分を害して心がざわついたので、落ち

着こうとお手洗いに向かった。「お前が嫌いなら、俺の方こそ、

お前なんか、大嫌いだ!!」あいつはいったい、何を考えている

のだろう? 自分の接し方に何か問題があったのだろうか?

相手は何か攻撃されそうに思ったのか? ただ、僕を嫌いな

だけなのか? 世の中にはほんと信じられない様々な人が

いる。 もっと、平和的に愛情を持って付き合えられないもの

だろうか? 「いい年して、まったく、いけ好かないやろう

だ。」「いいだろう、まぬけやろう」「もう二度と、お前なんか

かまってやらないぞ」「長い人生で、てめえは、いったい、何を

教わった?」何だか、人間嫌いになりそうだ。ほんと、むなくそ悪い。


僕も、けっこう、人見知りで、初めての場所や初めてのひとたち

の中では、不安がのしかかって、引っ込み思案で、思うように

振る舞えず、充分、力を発揮できない子供だったのですが・・

ある時点から、人が変わった様に、ときに、社交的になったり、

孤独を愛したりと、変貌自在に豹変します。周囲の人は戸惑うば

かり。ですが、子供の時分から、誰とでも、友達になれて、仲良

くなれたものです。学校の通信簿にも「誰とでも、仲良くでき

る」って、評価されたものです。でも当然、こんな僕でも苦手で

関わりたくないって人も存在します。少数ですが・・・


のっけの彼は、僕とはそりが合わないと感じたのでしょうか?

「好意を持ってくれてる」なと感じると、親近感がわいて、当然

その人間が好きになってしまうものが人間というものでしょうに

相手に「きらいーーー」と感じると、こちらも鏡のように跳ね返

って「俺も、お前、きらいーー、いや、大嫌いーー」とこうなる。

良い意味でも悪い意味でも、たとえ言葉にせずとも、心は通じて

しまうものだ。《した方は忘れても、された方は忘れない》って


今日はここまで。近藤浩二でした。

では、また。


有り難いことに、学生の頃の同級生は見かけると、近づいて「元

気か?」や「近藤くん、わかる?」「こうじ、どうや?」「ビー

バー、ひさしぶり」(中学生の時の愛称)とか声を掛けてもらえる

内心はどう思っているかわからないが・・・ しかし、基本的に

は、ほとんどの人は、親しみを持って、いさかいを起こさない

よう平和的に振る舞う。

《人をゴキゲンにするもフキゲンにするも付きあう人しだい》

じゃないでしょうか? こう見えて、くじけそうになりそう

なので、努めて明るく、振る舞っています。


今日もおごちそうさまでした。