《子供》って、まったくもって、不思議だ、
面白い、興味の尽きない、ワンダーな生き物だ。
その存在は、長い間忘れられていた、遠い記憶のかけら。
その熱意は、朽ちることない青白い、炎のきらめき。
その好奇心は、ゆっくりと勢いを増す、緑の風の触感。
そのひらめきは、万華鏡のような、新たな驚きの発見。
その表情は、絶え間なく移り変わる、季節の風情。
つい先日のこと。彼は我が家に来ると、思い出したように
電動鍵盤を触り始めました。あらゆるスイッチやボタンを触って
音が鳴り始めると、僕をちらっと見て、微笑みます。
偶然自動演奏ボタンを、押したようで
「ファン、ファン、ファン、タタッ、タタッ、」
軽快なリズムが流れて来ました。彼が嬉しそうに笑顔を
投げかけてきました。僕が口ずさみながら身体を
揺すっていると、なぜか幼児も真似しようと必死です。
でも言葉がはっきりしません。「アー、ブー、*+」
しかし表情が緩んで、明らかに楽しそうで満足気です。
その後飽きたのか、その場を離れて透明の容器を手に取り
中からミニカーを取り出し、ひとり遊びを始めました。
「ブー、ブブー、ブー」僕がパソコンを触り始めると
近づいて興味深く、画面を見つめていました。
ユーチューブで童謡を見つけて再生しました。
知っている曲なのでしょう、楽しげにそれらしく
歌っていました。「♪ か*+@、か@*+ ♪」
思い出してもらおうと、僕は歌いました。
「♪ カエルの歌が、聞こえてくるよ ♪」
幼児は模倣しようと「♪ か*+@、か@*+♪」口にしますが
上手く歌えません。2度、3度、同じフレーズを歌わせましたが
なかなか難しいようです。しかし嬉しく、楽しそうです。
それは、一度は経験した覚えのある《感情》なのでしょう。
懐かしい調べが、優しく彼の心に響いているのです。
微笑んでいます、時の流れを忘れさせてくれるのです。
明らかに目が笑っており、なんのためらいもなく、素直に
僕の顔を何度ものぞき込みました。ーーーー楽しい、
面白い、嬉しいーーーー(そんな声が聞こえてきます。)
一方夕食後「バシャッ、バシャッ、バシャッ。」
浴槽に湯をためる音が聞こえてきました。
その後僕は服を脱ぎ、浴槽に向かいました。やがて浴槽に
浸かって良い気分で、くつろいでいました。不意に居間から
妻の声に、交じって聞こえてくる声。「ワーン、ワーン、
エーン、エーン。」ほどなくして泣きはらした顔の、
全裸の幼児が連れて来られました。幼児にとっては
気の乗らない入浴時間です。彼は今もって、すぐにも
泣きだしそうな、不安いっぱいの、浮かない顔です。
目には恐怖におののいているため、力強さと覇気がありません。
まったく彼自身、気が進まないのに、風呂内に置かれた椅子に
座らされ、僕と向かい合っています。なおも不安と恐怖の
入り混じった複雑な表情です。安心させてあげようと
声を掛けると、素直にうなずきます。
「***も後でおばちゃんに頭と身体洗ってもらって」
「そしてこの中に入って、湯に浸かって、温まって」
手ですくって2、3度、足先に湯を掛けました。
「エーン」泣き出してしまいました。湯を掛けるのを止めると
泣き止みます。今度は身体に湯を掛けてみました。
「エーン」再び泣き出しました。僕たちには決して解せない
目に見えない、何かがあるのでしょう。可哀想になり、
妻に連れ出してもらい、僕は先に上がりました。
その後妻に連れられて、入浴した彼の泣き声が、
上がり出るまで、泣き止まなかったことは
想像に難くないでしょう。
加えて入浴後、酸素カプセル内でひとり遊びに興じていました。
カプセルの最後尾に、ほふく前進して入り込んで、こちらからは
お尻しか見えません。僕が面白がって、カプセルの蓋(ふた)を
スライドさせて、閉じようとしていると、幼児は不穏な空気を
感じて、慌てて、前後を入れ替えて、驚いた表情で、
這(は)って来ました。ーーーーちょっと待って、何してるの、
閉じないでよ、怖いよ。----目を大きく見開いていました。
彼の目が強く訴えかけていました。何だかわからない
目に見えない、恐怖を感じていたのです。
その数日後のこと。一瞬、凍り付いたように、
まばたきひとつすることなく、微動だにしません。
その表情は、ハトが豆鉄砲食らったようです。
しかし僕を仰ぎ見る視線は、きりっと刺すように鋭く強烈です。
彼に一体何が起こったのか?
土曜日の早朝のこと。早起きの彼は場所を変えて遊びたくて
我が家にやって来て、大好きなおもちゃの車を両手に捕まえて
ひとり楽しげに、酸素カプセル内で無邪気に戯れていました。
ある時突然、手にしていたおもちゃの車が、手をすり抜けて
酸素カプセルの筐体(きょうたい)をつたわって、
床板に落っこちてしまいました。「カチャ、カチャッ。」
賢明な幼児は慌てることなく、先日覚えたばかりの
カプセル内のチャイムである、僕への呼び音を鳴らします。
「ピンポーン」僕は、ついさっき気付いたかのように装い、
彼と視線を合わせました。彼は微笑み、
視線をおもちゃに向けて、声を発しました。
「あ、おった」(あった、それとも、落ちたの意味。)
僕は何も聞こえなかったように、素知らぬ顔をしていました。
「ピンポーン。」再び催促されました。
今度ばかりは気弱な僕も、席を立ちおもちゃの車を
手に取りました。心ならずも、ほんの少し意地の悪い僕は
軽い悪ふざけのつもりで、すぐには彼には戻さないで、
その場に座り込み、ひとり悦に入って楽しそうに
遊び始めました。「ブーン、ブーン、キキー、ブーン。」
その僕の姿を目にした彼から、よく聞き取れなかったものの
僕はその幼児から発する、初めての要求の言葉「ちょーだい。」
を耳にしました。僕はもう一度、はっきりした言葉を聞きたくて
彼を無視して、目の前で、再びひとりで遊び
始めました。「ブーン、ブーン、キキー」
明確に気分を害された彼は、物問いたげに、鋭利な刃物のように
きりっと刺すように、僕の身体全体を見つめて、少し強い口調で
「ちょーだい」と言いました。なおも視線を逸(そ)らせると
体勢を変えて、眉根を寄せて、身体全体をこちらに向き直り、
両手を差し出して「ちょーだい、ちょーだい。」と
はっきりとした言葉で、丁寧に二回、しかしその表情は
今までとは明らかに、何かが違っていました。
妙に落ち着きがなく、何かに、苛立っている様子でした。
不機嫌をあらわにした、そんな彼の姿を僕は初めて
目にしました。その瞳の奥から、伺い知るに、
言うに言われぬ感情が渦巻いてそうです。
それは1歳余りの幼児には、言葉では到底表現出来ない
感情なのでした。それは生まれて初めて抱く感情なのでしょう。
おそらくそれは《怒り》という一言では、片づけられない
《驚き》に加え《憤怒(ふんぬ)》といった、底知れぬ
とっても大きく、深い、ものなのかもしれません。彼は
予想だにしない衝撃で、言葉も正気も失ってしまいました。
目の前の人は、いついかなる時でも、何でも、
自分の要望を聞き入れてくれる、優しいと信じて
疑わなかった「おいちゃん」じゃないのかな?
どうしたのかな? 何かおかしいぞ!
やがて彼は、幽霊でも見るような表情で、僕を仰ぎ見て
何かを訴えようと、顔をゆがめたまま、こわばらせた表情で、
視線を逸(そ)らせないで、僕を見つめ続けていました。
ひきつってしまって、豊かさと柔らかさのまったく欠けた表情。
まるで魂の抜けたような表情、うつろな目つき。
僕はその表情とその目を、生涯忘れることは出来ないでしょう。
その直後、僕に襲う、後ろめたさという、背徳感と罪悪感。
強い後悔と哀憐(あいれん)の念や
憐(あわ)れと不憫(ふびん)の感情。
それは間違いなく幼児の中で生まれて初めて
目覚めた感情なのでしょう。間違いなく、それは
驚きと同時に《怒り》だったのでした。それは一瞬
自分自信の身体の、どこを探ってみても、決して見つけ出す
ことの出来ない感情だったはず。
たとえ負の感情であっても、あらゆる人間の持つ様々な
思いを体感することは、今後の人生にとって、他人の
気持ちを理解する上では、とっても大切な事なのです。
特に《怒り》の感情を表現することは、あらゆる《感情》の中で
最も活力(エネルギー)を必要とされる《感情》のはずです。
したがって、その怒りの感情は短時間で(ほぼ瞬間)で
感じ取ることが出来ますが、その怒りの感情を長時間感じ、
持続することは、生理的に困難なものでしょう。
だからこそ怒りの感情は短時間で、鎮(しず)めることが
出来やすく、忘れやすいもののはずです。
幼児の怒りの感情が《トラウマ》にならずに、
跡形もなく、消え去ってくれることを望むだけです。
この数日間で、彼は一気に年を取った、気分がしたでしょう。
喜怒哀楽の様々な感情を、体感した我が家での生活。
毎日のうたかたの生活の中、幼児には状況の変化に応じて
様々な感情が、生まれ出て来ます。
それをどのように感じ取り、記憶の中に、どのように
残っていくのでしょうか? 神のみぞ知る。
数年の後、その心情を教えてもらいたいものです。
彼とともに、幼児を取り巻く我々の人生も続く、、、、。
今日はここまで。近藤浩二でした。
ではまた。