おじさん

陽が傾き始めても、日差しが和らぐこともなく、

中華鍋の如く、これでもかと熱く照り付ける

尋常じゃない異常な、夏日の連続。

火照(ほて)った身体を冷(さ)まそうと

かき氷を求め学生の放課後みたいに、夫婦二人

ファミレスで《だべった》週末の土曜日(7月21日)。


同時に夕食も摂り、妻がなぜか疲れたというので

何かに急(せ)かされるように、急きょ帰宅。僕が入浴中に

実家の兄から電話で、闘病中の叔父の死(享年74)を

突然知らされる。長い間、病床に伏(ふ)せっていたとは、

風の便りで、知ってはいたものの、なかなか見舞う

時間が取れ無いまま、ここ数年気になっていたのに、

会えないまま、、、、。

これでこの世での再会は不可能になってしまいました。

ここ最近、一番「後悔先に立たず」を痛感した出来事。


僕の人生で重要な位置に立っていた叔父さん。

父の兄弟、姉妹(女4人、男3人)で末弟。

一番陽気で口数が多く、愉快で明るく朗らかだった叔父さん。

僕の少年期に、刺激と彩りを与えてくれた、大好きだった

叔父さん。野球のグラブを買ってくれた、心優しい叔父さん。

小学生の頃初めて、兄弟3人をボウリングに連れていって

くれた、流行に敏感だった叔父さん。

青菜にマヨネーズをかけると、美味しい料理に変身することを

教えてくれた、新進気鋭な叔父さん。毎晩お酒を美味しそうに

楽しげに飲んでいた、人生を心底楽しんでいた叔父さん。

僕の前で《ものまね》していた、「木枯らし紋次郎」を

毎回楽しみに観ていた、ひょうきんな叔父さん。

集団就職大阪から、地元に帰ってきた時

百貨店大丸に、初めて連れていってくれて、おもちゃを

買ってくれた、心優しい叔父さん。大学生当時帰省時に

パチンコに連れていって、僕の負けを、補てんしてくれた

寛大な叔父さん。いつも冗談を言って、僕の脳みそを

ハチャメチャに刺激した、魔訶不思議な叔父さん。

不思議と、父よりも多くの思い出が

残っている叔父さん。肉体は無くなっても、記憶は残る。


この冬の2月、父を見送り、続いて病魔に侵されているとは

いえ、まだまだ若い叔父さんが逝ってしまうなんて微塵も

考えられなかったが、正直な心情。望んでないことは、なぜに

奇跡的に連続して起きてしまうのか? 良いことはそんなに

起きないのに、、、、。


神様か《なにか》によって翻弄(ほんろう)されている人間の

《運命》や《生涯》。

人の《生死の時期》は、人には選択の余地はありません。

ある時、気付いた時にはこの世に生かされているのです。

そして人は生かされている限り、生きなければならないのです。

たとえこの世が、死ぬよりも、辛く苦しくとしてもです。

自殺する人は、死を経験したこともないにも関わらず

死に行く人はそう言うそうです。でも本心は生きたいはず。

生まれ出た人間は本当は、誰一人、死にたい人はいないはず。

みんな生き続けたいはずなのです。しかし自分の意志とは

反して誰もが、いつかは死を迎えるのです。

《なにか》の意志なのでしょう? 誰も知らない《なにか》


しかし不思議と人は、自分のだいたいの死期を悟るようです。

今回の叔父さんも、一週間前に、親族を呼んでほしいと

会っていたそうな。加えて遺言のように、

自分に何かあった時には、と

自分の菩提寺を息子に指示していたのです。

その時の叔父さんの心境を考えると、なにか切ない、

心苦しい、胸がかきむしられる思いです。


誰よりも、人間大好きな叔父さんだからこそ

自分の代から新たな《近藤家》の歴史が始めるほど

孫、ひ孫を輩出し、自分の血筋をこの世に数多く

残すといった、人間の一番の役割を果たしたから、

自分の人生を満足して、逝(い)ったであろう。

まさに天晴(あっぱれ)の人生でした。

きっと天からみんなの人生を陰ながら応援して、

笑顔でエールを送って、見守ってくれるはずです。

きっと向こうで、父と大好きなお酒を

酌み交わして、冗談を言って笑っていることでしょう。

今日(23日)は葬式でした。

今妻と献杯(けんぱい)しながら書いています。拝。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

グラス一杯の幸せ

梅雨明けの晴天、じめじめ暑い日中。早起きした日曜日の夕刻。

日照時間が長くなり、一日が冬よりも、ずっと長く感じられる

今日この頃。部屋に涼を迎え入れようと「ひとりティータイム」


夕闇が、ひたひたと這(は)い下りる頃

少し暑さが和らいだ部屋。よどんでる部屋には風がない。

風が吹かなければ、吹かせればよい。ってことで、

f分の1揺らぎの扇風機からのそよ風、人工的な音を

消して風鈴の音が心地よい。「チャリーン、リーン」

はちみつたっぷりのレモネード。透明グラスにかち氷を

すきまなく入れ、炭酸水でレモンソーダ。「シュッワ、シュワ」

甘さ控えめのクラッカー。季節、時刻に応じて

テーブルセッティングを変えて、ひとり

お菓子と飲み物を楽しむひととき。フィーカの時間です。

そして読書の再開です。闇があたりを覆い尽くした頃

フィーカの終了、引き続きひとり夕食の始まりです。


フィーカとは北欧スウェーデンのブレイクタイムの事。

家にありて風鈴飯食べひたすらに


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

学問

今日は終日、ひとり家の中で、のんびりと過ごしていました。

大学生当時の事を思い出していました。大学ではほとんど勉強

しなかった僕ですが、印象深く覚えていることがあります。

数学の最初の授業でした。興味深い話でした。もう30年以上

前なので、しっかりと覚えてないので、少し補足しながら

記憶をひけらかします。残念ながら、結論が不明瞭です。


科学の進歩の根幹をなす学問は疑う余地が無く《数学》です。

数学(学問)を追究していくと、当然難易度が上がってきます。

そしてそれを理解できる人は減少していきます。その理由は

感覚として捉え難くなるからです。そして現実から離れて

より非現実に傾いていきます。(女性が数学が不得手なのは

男性よりも現実的だから、って今ならセクハラになりそうなの

と、女性の居ない男性だけの授業だったので、よく覚えていま

す。)そうなれば当然、日常生活には、不必要になって、

使う機会はなくなってしまいます。しかし

学問を発展させるためには、感覚では捉えにくい新しい発想が

必要になります。革新的な新しい《概念》です。


例を挙げましょう。古代(数千年前)には壁などに数字が

残されています。そこには、どこの遺跡にも《1》から

始まって数字が表現されています。その表現方法の基本は

「線のかず」で表しています。すると数字が大きくなれば、

その表現方法は困難を極めていきます。そして

ローマ数字にも当初は《1》から《9》までの9個しか

なかったのです。当時の人々には《ゼロ(0)》の

数字の発想がなかったのです。

何も無いものに、数字を付ける必要は無いとの考え方でした。

今我々が当たり前に使っているローマ数字の形は

《線のかず》ではなく《かどのかず》で表現されています。

《ゼロ》の数字を《0》と表現することを

発明したのは千年程前のインド人なのです。彼は

「人が居ない。」と否定的に表現する以外に

「人が0人居る。」と肯定的に表現したのです。

この《0》の発明によって、誰にも容易に無限に数字が

表現できるようになって、数学が飛躍的に著しく

発展したといいます。


小学生から中学生になるとき《マイナス》の新しい概念が

定義され、感覚的に、小さい数から大きい数でも例外なく

《マイナス》出来るようになって、いかなる場合でも

四則計算が可能になって、驚くほど、数式の表現が簡潔で

容易になったのです。現実的には受け入れ難いものですが。


高校数学はそれが、さらに複雑で難解になっていきます。

三角関数(サイン、コサイン、タンジェント)や

複素数、微積分、等です。ある時突然、

見たことのない言葉や数式が出てきて

身勝手に《定義》を宣言して、理論を進めていくのです。

誰でも戸惑ってしまいます。日常生活で突然

江戸時代から明治維新に変わったようなものでしょうか。

当時の人々は困惑してしまって、滑(なめ)らかに

物事は、運ばなかったでしょう。または環境変化で

急に雨が降らなくなって、雨季から乾季に変わって

しまったらどうでしょう?動物は生き延びることは如何に?

先生が言うには、幸運なことに、数学を学ぶことで、

当時のような、大きな歴史の転換点を、感じるような

貴重な体験が出来る。そしてその突然の変化を、上手に対応

出来たものたちが生き残っていけるのだ。そのものたちとは

どのようなものだったのか、を研究し考察する点において

学問は共通している、との話だったかな。最後のほうは

記憶が不鮮明です。悪しからず。でもなぜか納得させられた。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


フランス 対 クロアチア

優勝 フランス


 

極限(振れ幅)

台風が発生して、雨、雨、また雨。なおも雨、雨

そして雨。もううんざりだ、勘弁してくれ。

橋や山肌を破壊して、結界を取り除き、点在している家々の

枝分かれした道に流れ込み、道を川に変えて、茶色の濁流が

枯れ木や枯れ葉と、ともに自動車をも流している。

おそらく猫も犬も、にわとりも、あげくは人までも。

そんな現状の中、対岸の火事の如く、車に乗り込み

県内を渡り走った週末の日曜日。


もなかアイスとアイスコーヒーをお供に、ドライブ大好き

夫婦二人で車内で会話を楽しんでいました。絶えることなく

次々に変わる景色や話題もなんのその、

話し弾むこの上なき楽しさ。


あれこれと他愛のないことを、思い考える稚拙(ちせつ)

な頭脳。自分勝手な理屈で構築していく世界。

そんな世界を少し覗いてみましょう。「ようこそ。」


この世の中は2種類しか存在しない。

生物界、はオスかメス。

人間界、は男性か女性。

視界、は見えるものか見えないもの。

する側とされる側。与えられる者と奪われる者。

万物は有限か無限。このとき気付いたこと。

今まで無限だと思っていたものは

有限の集まりによる、無限ループの結果だということ。

この世が始まって、時間は永遠に終わらず、

流れ続けるでしょう。しかしその時間は、何か個々の持つ

有限と考えられる、時間のつながりで出来上がっているのです。

そして思い当たったこと。人間が生まれた理由の一つは、

物事は有限であることを思い知らされるためなのだと。


またこの世界のモノは、ほとんどが固有の振れ幅が存在します。

その振れ幅内で生かされて、存在させられています。

今走っている車にしても、材料の破壊限度を超えない範囲の、

力加減の釣り合いで、存在しています。車のスピードも

スピードメーターが振り切れない、範囲までしか出せないように

制限されています。これは万物すべてに当てはまります。

生き物にもその大きさや寿命には限度があります。

その振れ幅を超える時、そのモノは存在できなくなります。


しかし例外がありました。たびたび振れ幅を容赦なく

超えて存在するものの、ひとつが《自然》なのです。

自然は振れ幅を超えても、なおも、いつも、いつまでも

存在し続けます。今回の甚大(じんだい)な

被害が証拠でしょう。「今回はこの程度に抑えておこう」

「今日はこのぐらいにしておいてやろう」、っといった

「優しさ」や加減を、自然は持ち合わせていません。極限を

超えて、その強大さを、我々にまざまざと知らしめるのです。

まるで神様が何かの「うっぷん」を晴らすかのように。

雨を降らせ過ぎないように、地上を揺らせ過ぎないように

火山噴火を吐き出し過ぎないように、なんて考えが及びません。


しかし、《極限》が無く、最も恐ろしいものは、

人間の頭の中の思考、によって生み出されたモノなのです。

思想、嫉妬、欲望、などなど。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

喜怒哀楽(感情)

《子供》って、まったくもって、不思議だ、

面白い、興味の尽きない、ワンダーな生き物だ。

その存在は、長い間忘れられていた、遠い記憶のかけら。

その熱意は、朽ちることない青白い、炎のきらめき。

その好奇心は、ゆっくりと勢いを増す、緑の風の触感。

そのひらめきは、万華鏡のような、新たな驚きの発見。

その表情は、絶え間なく移り変わる、季節の風情。


つい先日のこと。彼は我が家に来ると、思い出したように

電動鍵盤を触り始めました。あらゆるスイッチやボタンを触って

音が鳴り始めると、僕をちらっと見て、微笑みます。

偶然自動演奏ボタンを、押したようで

「ファン、ファン、ファン、タタッ、タタッ、」

軽快なリズムが流れて来ました。彼が嬉しそうに笑顔を

投げかけてきました。僕が口ずさみながら身体を

揺すっていると、なぜか幼児も真似しようと必死です。

でも言葉がはっきりしません。「アー、ブー、*+」

しかし表情が緩んで、明らかに楽しそうで満足気です。

その後飽きたのか、その場を離れて透明の容器を手に取り

中からミニカーを取り出し、ひとり遊びを始めました。

「ブー、ブブー、ブー」僕がパソコンを触り始めると

近づいて興味深く、画面を見つめていました。

ユーチューブで童謡を見つけて再生しました。

知っている曲なのでしょう、楽しげにそれらしく

歌っていました。「♪ か*+@、か@*+ ♪」

思い出してもらおうと、僕は歌いました。

「♪ カエルの歌が、聞こえてくるよ ♪」

幼児は模倣しようと「♪ か*+@、か@*+♪」口にしますが

上手く歌えません。2度、3度、同じフレーズを歌わせましたが

なかなか難しいようです。しかし嬉しく、楽しそうです。

それは、一度は経験した覚えのある《感情》なのでしょう。

懐かしい調べが、優しく彼の心に響いているのです。

微笑んでいます、時の流れを忘れさせてくれるのです。

明らかに目が笑っており、なんのためらいもなく、素直に

僕の顔を何度ものぞき込みました。ーーーー楽しい、

面白い、嬉しいーーーー(そんな声が聞こえてきます。)


一方夕食後「バシャッ、バシャッ、バシャッ。」

浴槽に湯をためる音が聞こえてきました。

その後僕は服を脱ぎ、浴槽に向かいました。やがて浴槽に

浸かって良い気分で、くつろいでいました。不意に居間から

妻の声に、交じって聞こえてくる声。「ワーン、ワーン、

エーン、エーン。」ほどなくして泣きはらした顔の、

全裸の幼児が連れて来られました。幼児にとっては

気の乗らない入浴時間です。彼は今もって、すぐにも

泣きだしそうな、不安いっぱいの、浮かない顔です。

目には恐怖におののいているため、力強さと覇気がありません。

まったく彼自身、気が進まないのに、風呂内に置かれた椅子に

座らされ、僕と向かい合っています。なおも不安と恐怖の

入り混じった複雑な表情です。安心させてあげようと

声を掛けると、素直にうなずきます。

「***も後でおばちゃんに頭と身体洗ってもらって」

「そしてこの中に入って、湯に浸かって、温まって」

手ですくって2、3度、足先に湯を掛けました。

「エーン」泣き出してしまいました。湯を掛けるのを止めると

泣き止みます。今度は身体に湯を掛けてみました。

「エーン」再び泣き出しました。僕たちには決して解せない

目に見えない、何かがあるのでしょう。可哀想になり、

妻に連れ出してもらい、僕は先に上がりました。

その後妻に連れられて、入浴した彼の泣き声が、

上がり出るまで、泣き止まなかったことは

想像に難くないでしょう。


加えて入浴後、酸素カプセル内でひとり遊びに興じていました。

カプセルの最後尾に、ほふく前進して入り込んで、こちらからは

お尻しか見えません。僕が面白がって、カプセルの蓋(ふた)を

スライドさせて、閉じようとしていると、幼児は不穏な空気を

感じて、慌てて、前後を入れ替えて、驚いた表情で、

這(は)って来ました。ーーーーちょっと待って、何してるの、

閉じないでよ、怖いよ。----目を大きく見開いていました。

彼の目が強く訴えかけていました。何だかわからない

目に見えない、恐怖を感じていたのです。


その数日後のこと。一瞬、凍り付いたように、

まばたきひとつすることなく、微動だにしません。

その表情は、ハトが豆鉄砲食らったようです。

しかし僕を仰ぎ見る視線は、きりっと刺すように鋭く強烈です。

彼に一体何が起こったのか?


土曜日の早朝のこと。早起きの彼は場所を変えて遊びたくて

我が家にやって来て、大好きなおもちゃの車を両手に捕まえて

ひとり楽しげに、酸素カプセル内で無邪気に戯れていました。

ある時突然、手にしていたおもちゃの車が、手をすり抜けて

酸素カプセルの筐体(きょうたい)をつたわって、

床板に落っこちてしまいました。「カチャ、カチャッ。」

賢明な幼児は慌てることなく、先日覚えたばかりの

カプセル内のチャイムである、僕への呼び音を鳴らします。

「ピンポーン」僕は、ついさっき気付いたかのように装い、

彼と視線を合わせました。彼は微笑み、

視線をおもちゃに向けて、声を発しました。

「あ、おった」(あった、それとも、落ちたの意味。)

僕は何も聞こえなかったように、素知らぬ顔をしていました。

「ピンポーン。」再び催促されました。

今度ばかりは気弱な僕も、席を立ちおもちゃの車を

手に取りました。心ならずも、ほんの少し意地の悪い僕は

軽い悪ふざけのつもりで、すぐには彼には戻さないで、

その場に座り込み、ひとり悦に入って楽しそうに

遊び始めました。「ブーン、ブーン、キキー、ブーン。」

その僕の姿を目にした彼から、よく聞き取れなかったものの

僕はその幼児から発する、初めての要求の言葉「ちょーだい。」

を耳にしました。僕はもう一度、はっきりした言葉を聞きたくて

彼を無視して、目の前で、再びひとりで遊び

始めました。「ブーン、ブーン、キキー」

明確に気分を害された彼は、物問いたげに、鋭利な刃物のように

きりっと刺すように、僕の身体全体を見つめて、少し強い口調で

「ちょーだい」と言いました。なおも視線を逸(そ)らせると

体勢を変えて、眉根を寄せて、身体全体をこちらに向き直り、

両手を差し出して「ちょーだい、ちょーだい。」と

はっきりとした言葉で、丁寧に二回、しかしその表情は

今までとは明らかに、何かが違っていました。

妙に落ち着きがなく、何かに、苛立っている様子でした。

不機嫌をあらわにした、そんな彼の姿を僕は初めて

目にしました。その瞳の奥から、伺い知るに、

言うに言われぬ感情が渦巻いてそうです。


それは1歳余りの幼児には、言葉では到底表現出来ない

感情なのでした。それは生まれて初めて抱く感情なのでしょう。

おそらくそれは《怒り》という一言では、片づけられない

《驚き》に加え《憤怒(ふんぬ)》といった、底知れぬ

とっても大きく、深い、ものなのかもしれません。彼は

予想だにしない衝撃で、言葉も正気も失ってしまいました。


目の前の人は、いついかなる時でも、何でも、

自分の要望を聞き入れてくれる、優しいと信じて

疑わなかった「おいちゃん」じゃないのかな?

どうしたのかな? 何かおかしいぞ!

やがて彼は、幽霊でも見るような表情で、僕を仰ぎ見て

何かを訴えようと、顔をゆがめたまま、こわばらせた表情で、

視線を逸(そ)らせないで、僕を見つめ続けていました。


ひきつってしまって、豊かさと柔らかさのまったく欠けた表情。

まるで魂の抜けたような表情、うつろな目つき。

僕はその表情とその目を、生涯忘れることは出来ないでしょう。

その直後、僕に襲う、後ろめたさという、背徳感と罪悪感。

強い後悔と哀憐(あいれん)の念や

憐(あわ)れと不憫(ふびん)の感情。


それは間違いなく幼児の中で生まれて初めて

目覚めた感情なのでしょう。間違いなく、それは

驚きと同時に《怒り》だったのでした。それは一瞬

自分自信の身体の、どこを探ってみても、決して見つけ出す

ことの出来ない感情だったはず。


たとえ負の感情であっても、あらゆる人間の持つ様々な

思いを体感することは、今後の人生にとって、他人の

気持ちを理解する上では、とっても大切な事なのです。

特に《怒り》の感情を表現することは、あらゆる《感情》の中で

最も活力(エネルギー)を必要とされる《感情》のはずです。

したがって、その怒りの感情は短時間で(ほぼ瞬間)で

感じ取ることが出来ますが、その怒りの感情を長時間感じ、

持続することは、生理的に困難なものでしょう。

だからこそ怒りの感情は短時間で、鎮(しず)めることが

出来やすく、忘れやすいもののはずです。

幼児の怒りの感情が《トラウマ》にならずに、

跡形もなく、消え去ってくれることを望むだけです。


この数日間で、彼は一気に年を取った、気分がしたでしょう。

喜怒哀楽の様々な感情を、体感した我が家での生活。

毎日のうたかたの生活の中、幼児には状況の変化に応じて

様々な感情が、生まれ出て来ます。

それをどのように感じ取り、記憶の中に、どのように

残っていくのでしょうか? 神のみぞ知る。

数年の後、その心情を教えてもらいたいものです。

彼とともに、幼児を取り巻く我々の人生も続く、、、、。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。