この4月から早起きが習慣になってきています。
8時前には目覚め、9時頃までNHKを視聴します。
日曜日を除く、毎日15分で物語が進行していくドラマ。
集中力が途切れない長さ、コマーシャルの無い心地よさ。
飽きの来ないように、1週間単位であらすじを移行させる
創意工夫。 自然と毎日チャンネルを合わせてしまう、
巧妙なわな。「ふ、ぎょ、ぎょ」。「やって、まった」。
「半分、青い」なんか不可解で、落ち着かないタイトルです。
でも毎日見いてると、これが面白いのです。
昭和の経済成長期に、岐阜県の田舎街で生まれた、
ひとりの女の子の、ひとつを除けば、平凡な日常を描いた物語。
家族、同級生、近隣住民等、彼女を取り巻く人々との交流と
古き良き昭和の時代背景とともに、展開される日常生活。
不運なことに、なんの落ち度もない彼女が、9歳の幼少時の
ある日突然、左耳の聴力を完全に失ってしまいます。
安直に、感傷に浸っている暇などありません。ここは地に
足をつけ、家族の気持ちを最優先に考えて、歯を食いしばって
踏ん張り抜くのでした。少女が、わずか9歳にもかかわらず、
妙に落ち着きはらって、無表情を装って、決して活力を
失うことなく、明るくユーモアたっぷりに、
常に前を向いて、希望に満ちた毎日を、ひるむことなく
たくましく、生きていく姿を描いた成長物語。
試練の時の始まりなのです。
半分の聴力を失い、今まで生きて来た世界が、半分になって
しまったように感じられる毎日。
それを空で例えるならば、頭上の空の、半分は「青空」、
でも残り半分は「曇り空」。と、
いった意味で「半分、青い」。
タイトルの持つ意味をなんとなく
分かったところで一気に時間が進む。
少女から女性に変貌するのです。
時に、少し《大人のような》、《ませた》
子供の発言に、口元が緩みます。
子役の子供の演技が卓越です。
実話なのか、作り話なのか、わかりません。
そんなことを、考えさせない間に、
心がうたれて、胸がいっぱいになるのです。
少女は、気落ちすることなく、今自分が、置かれている
自分の運命を、素直に受け入れ、その上で毎日を楽しんで
生きているのです。僕は思いました。
少女の言動を考えてみると、
人間は本当に弱い生き物であるんだ。っと同時に、
反面、人間はなんて強い生き物なんだ、であることに
驚かされます。そして生きていくために、人間に
本来、備わっている《たおやかさ》と《しなやかさ》を
痛感せずにはいられません。
人は今の自分を、素直に受け入れていれば、それだけで
十分幸せなのです。しかし不思議なことに
自分を楽しませることができていない時に、
人間は苛立ち、他人と比較してしまい、未来に不安を
覚えたりしてしまいます。そして
隣の芝生が青く見えた瞬間に不幸を感じます。
私たちの行動量が増えるのは、自分の心に
正直になったときだけです。思い出しましょう。
夜明け前の直前に、最も暗い時間がくる、ということを。
砂漠のことばで、人は地平線にやしの木が見えた時、
渇して死ぬ、ということを。
人間生きていくためには《友人、家族の手助け》が
必要不可欠です。
友人、家族のあり方を考えさせられる物語です。
《カミュ》の言葉がぴったりでしょう。
僕の後ろを歩かないでくれ。僕は導かないかもしれない。
僕の前を歩かないでくれ。僕はついていかないかもしれない。
ただ僕と一緒に歩いて、友達でいてほしい。ー カミュ
今日はここまで。近藤浩二でした。
ではまた。