オリンピックの問題(不思議)

オリンピックが始まると、地上波テレビではどこの局も

オリンピックを放映します。日本人気質なのでしょうか?

嫌いじゃないですが、少々うんざりなのです。

それぞれのテレビ局が資金を出し合ってスポーツ専門の

チャンネルを2つ、3つ作って、時間帯とか競技ごとに

それぞれの局のキャスターや解説者に特色を出せば

通常のテレビ番組を変更なく放送出来るのではと

考えるのですが、これって素人の域を出ないのでしょうね?


改めまして、

羽生選手、小平選手の金メダル獲得本当に

おめでとうございます。個人的には

高梨沙羅選手の銅メダルほんとに良かった。

どの選手も、前回のソチからの裏話を聞くにつけ

怠け者の僕とは、やはり人間の《デキ》がこうも違う

ものかと感心、感嘆しています。

数年間湧き立つ「欲」のほとんどを

脇に置き去りにして、自分自身を自制する人間。

過酷な訓練を詰め込んだ毎日。


日向水(ひなたみず)の日など、1日たりとも送っていない

メダリストたち。少し鋭く、ひたむきさを感じさせる

目の輝き、太い太もも、引き締まったふくらはぎと胴体が

禁欲生活とすさまじい訓練の中で過ごしたであろう

青春時代を偲(しの)ばせる。僕自身、自分の

怠け心に《かつ》をいれて、同じ人間、僕にも

努力できるはず、しなければいけないと

気合いが入ります。


今回のオリンピック観てて痛切に感じたことがありました。

オリンピックってスポーツの祭典ですよね。いってみれば

運動会と同じようなもののはず。規模が学校、自治から

世界に広がっただけです。でも不思議なことに楽しくない。

わくわくしない。スタート前の緊張感が感じられない。

もちろん自分自身が参加していないといった大きな

前提の違いがあります。


メダル獲得に沸いている国内に、水を差す気は毛頭ありませんが

例えば、スピードスケート、

各々の選手が二人ずつ

別の時間帯にスタートして、

タイムの順番で順位を

競い合います。これが何かしっくりしません。

100メートル走のようにファイナリスト5、6人を

横1列に並べて、いっせいに走らせたら

分かりやすくて、面白い、より刺激的で興奮すると思うのですが

競技場の都合もあるのでしょうが、

出来ないはずはないでしょう。


文明の進歩と科学の発展で、あまりにも抜け目なく、

必要以上に効率化に取り組み過ぎている。

様々な事柄を削(そ)ぎ落として、簡素化してしまうのは

時間や作業の短縮化のため、やむえないとは思います。

しかしスポーツ本来の《魅力》を失わさせて、

ほしくはありません。

《強く》《速く》《遠くへ》《長く》《多く》《確実に》を

もっと単純に、簡単に、誰にでも、もっと分かりやすく、

あってほしのです。


本日のテレビで申されていましたが、金メダルを取った

小平奈緒選手のスピードスケートの走りを再現映像で見ると

スタートの時、細かく調べれば「フライング」の

可能性が大だとか。本当に最大限、文明の利器を活用するならば

すぐにやり直しにすべきところでしょう?

しかし誰も異議申し立てを訴えない。

《スポーツマンシップ》らしく潔(いさぎよ)い

と申しましょうか。でもこんな所だけは人間の不確かな感覚、

視覚判断に委(ゆだ)ねられている。

不思議です。誰が決定しているのでしょう?

《不確実》で《不正確》な判断基準の概念を

僕の頑固な脳が無視できないのだ。


10分の1秒程度なら大多数の人間の視覚でも正確に

判断できるでしょう。でも

100分の1秒だったら、大多数の人間の視覚だけでは

正確な判断を自信を持って言い切れないでしょう。

そこで機械に頼らざる得なくなるのです。

《有無を言わせない確実な証拠》なのです。

ある部分では文明の利器に、任せっきり、

ある部分では「《ある》個人の人間だけの視覚判断」に任せる。

微妙なところで、何かが大きく間違っている、

欠け落ちていると感じてしまうのは

良くない事なのでしょうか?


こんな最新技術が蔓延(まんえん)する、現代社会においてでも

最後の最後の判断は機械やロボットではなく人間、

スポーツにおいては審判なのです。審判はスポーツにおいては

絶対な存在、すなわち、その言葉は神の言葉と同等なのです。

そこには《心証》といった「私情」が許されないはずなのです。


そんな問題が発生し易い競技と言えば、もうひとつ

フィギュアスケートや体操競技です。これは

《美しさ》《華麗さ》《力強さ》《難易度》《確実さ》

といった機械だけでは、到底その判断を委ねられないものを

競い合っているのです。第三者の専門家の人達だけで

判断決定するのです。間違いなくそこには、100パーセント

個人の「好み」、「気分」、「偏見」、「思い込み」など

《心証》が大きく影響して、結果に反映されてしまうはずです。

確かに審判(神)の判断と、納得せざる得ないといけない

選手の潔(いさぎよ)さはスポーツマンらしく頭が下がります。

4年間365日の努力をたった、一回の一発勝負の

結果に委(ゆだ)ねる、ここで審判である専門家たちも、

おそらく選手と同様に4年間365日毎日

寝る間も惜しんで命を削って、判断する《審美眼》

を磨こうと、努力をしているとは到底思えません。

そのような、いっときの人間の判断で

選手たちの努力が犠牲になっているようで遺憾なのです。


出来ればもっと公明正大に

誰にも分かりやすく

判断できるような

誰でも納得できるように

審判基準を改良すべきだと、つくづく思います。

例えば、全く同じプログラムを決められた時間に

ピッタリと演じさせてみる、とか。

ジャンプの回転の《多さ》や《高さ》、《長さ》

を競い合う、とか。


ルールなので仕方がないのでしょうが、

後よく納得できないのが、ドーピング疑惑問題。

薬物使用の制限なのです。賛否はともかく、

せめてオリンピックの競技の中に薬物使用を

認めた競技が存在しても良いのではないのか?

人間の持つ潜在能力も含めて

100パーセント、200パーセント、300パーセント

出せれば、どれほどの可能性があるのか、

人間の持つ極限の能力を一度体感させてみたい

見てみたいのです。死なない程度で薬物使用を容認してほしい。

麻薬のような常習性や危険性の問題なのでしょうか。


麻薬まではいかなくても、創造性を増殖させたくて

何かの薬物を使用して、斬新(ざんしん)で革新的な

何かの理論を着想した人間が居たとしても

誰も薬物使用を疑って、ドーピング検査をするなんて

ことはないはずです。

そこの境目があいまいで、ほんと疑問符いっぱいです。

神による《絶対性》と機械による《非情性》の

あいまいな境目に存在するのが、人間の《温もり》なのです。

おそらく自己満足と社会貢献の違いなのかな。

でもそれだとしたら、スポーツ選手に失礼でしょう。


今日はここまで。近藤浩二でした。

洋楽紹介します。ではまた。


ホールアンドオーツでキス オン マイ リストです。

1981年リリース。三週連続全米No.1位。アルバム「ボイシズ」からシングルカット。テンポの良い軽快なポップソング。

アイ ラブ ユーと言う代わりに

「君のキスは僕の人生の最高のリストに入っているんだ」

って婉曲的に愛の告白をした楽曲。米国の男性コーラスヂュオ。

大ヒット曲多数あり。


 

ボニーレイットでナット ジ オンリー ウァンです。

1992年リリース。全米No.34位の中ヒット。

アルバム「ラックオブザドロー」からシングルカット。

米国の人気女性ギタリスト、シンガー。リズムアンドブルース

とカントリー色のある味わい深い楽曲。お気に入りです。

アルバムはグラミー受賞。必聴の価値ある歌手です。


 

エルトンジョンでネバーゴナフォールインラブアゲインです。

1980年リリース。シングルカットせず。アルバム「21 アット 33」に収録。秀逸のバラードです。


 

ロバートフラックで「やさしく歌って」です。

1973年リリース。5週連続全米No.1位の大ヒット。

アルバム「キリングミーソフトリー」からシングルカット。

原題「Killing me softly with

his song 」=「彼の歌で優しく殺して」の意味。

当時学生の頃、テレビでコーヒーのコマーシャルで

頻繁に流されていた。米国の女性ソウルボーカリスト。

間違いなく名曲です。聴きごたえのあるバラード曲。


 

 

嬉しくない好意

先日遠方の友人から小荷物が届きました。

僕の独身時代の同僚の独身男性からでした。

DVD一枚だけが入った小包でした。何のDVDなのか

分からないままテーブルに置き去りにしていました。


少し遅れて彼からメールも届きました。BSテレビで

放送された歌番組を録画したので送付します。との内容でした。

我が町、伊予西条市で公開録画された一時間の特別歌謡祭です。

僕の母校の西条高校のコーラス部も特別出演しています。

との説明がなされていました。

彼とはもう10年近く会うことも

電話で話すこともしていません。年賀状だけでの

やり取りの間柄でした。

僕としてはここのところ慌ただしくて、特別に話をする

内容も無いので、連絡を取ることも無く忘れていました。

今日再度メールが届きました。DVD割れていませんか?

観ましたか? どうでしたか? との問合せでした。


もし僕が故郷を離れて、独りで暮らしていたのでもあれば

故郷の話題は郷愁を誘われ、懐かしさのあまり

感極まることでしょう。

そしてそんな彼の好意に、心の底から感謝感激するでしょう。

「ふるさとは遠きにありて思うもの」

「そして悲しくうたうもの」

で始まる室生犀星(むろうさいせい)の詩は有名です。

僕の友人はこの詩の心情を、遠方の友人の僕にへと

想いを馳(は)せて、僕に保存版にして何度も

観てほしいとの優しさから、あふれ出た行動だったはずです。


しかし今の僕は30年近く離れていた故郷に20年前に

結婚を機に、住み着いているのです。もうすでに、

故郷に帰ってきて、現実の日常生活の中で、

子供の頃の思い出に、自然と日々懐かしく、

物悲しくなっているのです。

間違っても、作為的なテレビ映像を観て、改めて

故郷に想いを馳せることも

感傷に浸ることも、もはやあり得ません。


彼の「好意」は、少しは理解出来ます。

「ありがたい」とは思います。

「優しい友人」とも思います。

しかしながら、忙しい今に、感謝の気持ちを今すぐにでも

伝えてあげたいとはどうしても思えません。

彼の考える「故郷への熱い思い」と僕の考えるそれとでは

微妙なところで、何かが大きく異なるのです。


非好意的に考えてみると、ぼくより少し年上で、

一人っ子で独身の彼は独り身の《寂しさ》を紛らわしたくて、

近くの友人より、遠方の僕に懐かしさ、親近感を覚え、

誰かにかまってもらいたくて、

優しくしてもらいたくて

他人に優しくしたくなったのではないのだろうか?

その誰かが僕であったのだ。少々子供じみて思えるのだが、

彼の心情は僕にも痛いほどよく理解できます。

そんなに時間を置かずして、その気持ちに答えて

あげたいとは思っています。

しかし、そこで僕は思ったのです。


誰かに何かをしてあげようという《親切》、

してあげたい想う気持ち《厚意》は

どのような人にも、誰にでも、自然とわきあがる感情でしょう。

しかしその動機付けは様々です。


その人への純粋な親愛の気持ちから行われた

《好意》であるならば、その想いは相手に確実に

素直に届くはずです。でもその《好意》が自分自身にも

《見返りの厚意》も考えての、ものであったとしたなら

もはやそれは《好意》ではなく《おっせっかい》です。

そうなのです。受け取る人によっては

嬉しい《親切》では無く、ただの《迷惑》になって

しまうものなのです。

すでに故郷で生活している、僕の現在置かれている

日常生活をわずかでも考慮すれば、僕の故郷の情報など

不必要なのだ。どちらかと言えば、友人の彼自身の

今の生活状況を詳しく知らせて欲しかった。

友人の事を悪く言いたくはないのですが、


ご時勢なのです。50歳を過ぎても独身を貫き、

《結婚など論外》などと強く吠えていた若かりし当時。

妥協を許さず、普通の身の上にあらぬ人は、残念な事に

普通の人の気持ちを、推し量(はか)ることは

容易ではないのだ。気持ちが行き届かないだ。

彼の名誉のために、彼は決して人の気持ちが

分からない、野暮でも馬鹿な人間でもありません。

才能や能力は希薄で、名声も財産も乏しいですが、

仕事熱心で実直で真面目なのです。

友人は数多くはありませんが、お人好しで人間味あふれた

魅力的で楽しい人間なのです。でもいかんせん、

寂しがり屋で酒とたばことスポーツを愛する自由人なのです。

今の年齢になって、おそらく大きな過ちを犯してしまっ

たことに、ぼんやりと気づかされたことだろう。

身を固めそびれてしまった。独り身の《寂しさ》は

もはや退けられず、刻々と確固たる現実のものになっていく。


最後に室生犀星の有名な詩の5行を紹介して終わりにします。

ーーーー題名「小景異情(その二)」----

ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの

よしや

うらぶれて異土(いど)の乞食(かたい)となるとても

帰るところにあるまじや

異土とは故郷以外の土地、異郷のこと。

乞食(かたい)と読む。乞食(こじき)のこと。

うらぶれて=落ちぶれての意味。哀しい詩です。


今日はここまで。近藤浩二でした。

洋楽紹介します。ではまた。


フォリナーでコールド アズ アイスです。

1977年リリース。全米No.6位。デビューアルバム「フォリナー」からシングルカット。ボーカルのルーグラムと

ギターのミックジョーズとの共作。英国と米国の混成の栄光のロックグループ。

ピアノの4っつ打ちから始まる、力強いシンプルなロックナンバー。


 

ベットミドラーでローズです。

1980年リリース。全米No.3位。アルバム「ローズサウンドトラック」からシングルカット。ベットミドラー自身が主演している映画「ローズ」の主題曲です。数多くのミュージシャンにカバーされてる名曲中の名曲です。

愛についていろんな人が語っているが、

私にとっての愛とはこういうものよ。

愛の本質を歌った歌曲。


 

ベイシティーローラーズでアイオンリーウォノビーウイズユーです。

1976年リリース。全米No.12位。アルバム「デヂュケーション」からシングルカット。

邦題「2人だけのデート」パワーロックの王道。

日本でも大ヒット。高校生当時気に入った曲でした。

若い女の子にすごく人気のあった英国の5人の男性グループ。


 

イエスでロンリーハートです。

1984年リリース。2週連続全米No.1位。アルバム「90125」からシングルカット。

英国の老舗のプログレッシブロックグループ。こちらはメンバーを入れ替えた新生イエスの第一弾アルバム、大ヒット曲。

孤独の在り方を実感する楽曲。

様々な効果音をキーボードで演出したポップなロック。


 

 

とうちゃん

陽が沈み、辺りが闇に包まれ始めた夕刻。普段なら

訪れることのない時刻に僕の実家を訪ねる。車のライトを消す。

暗闇で見えにくい足元を、覚束(おぼつか)ない足取りで

入り口へ向かった。数十分前に手にした玄関の引き戸を

再度滑らせる。

ーーー「ガラガラガラ、ガラガラ」ーーー

異様な静寂(せいじゃく)が家全体を覆(おお)っていた。

何かの終焉(しゅうえん)を示唆(しさ)しているようだ。


どうにか廊下を渡り、応接間の隣の部屋にたどり着く。

ふすまで仕切っている20畳間ほどの部屋の障子を

滑らせる。ーーースー、スー、スーーーー

妙な結末が一瞬よぎった。

静けさを得た部屋の中で思った。

ーーーー《いきなりかい》----

すでに部屋の中には、呆然(ぼうぜん)と力なく

隣のベッドに座っていた兄。

ベッドの側(そば)で唖然(あぜん)となり、

うつむいていた母。

僕の姿を見て兄が席を外した。

ーーー「ここに座れや」ーーー「うん」ーーー


顔をのぞき込む。いつの間にか酸素吸入器が、寂し気に

意味も無く、口元にぶら下がっていた。

瞳孔(どうこう)が見当たらず、すでに目は閉じられていた。

余韻の静けさを破って、

疲弊(ひへい)しきっている母が、力なく口を開いた。

ーーー「急に、息しなくなって、、、」、ーーー

ーーー「自分で、、、、、、、、、、」、ーーー

--ー「目つむったんよ、、、、、、」ーーーーー

その後、ことさら熱心に両手で身体をゆすって、ーーー

ーーー「おきんかね!」ーー「とうちゃん」ーー

ーー「何しよんで?」ーー「はよ、おきんかい」ーー

ーー「はがゆい」ーー

僕も一緒に身体を触って口をはさんだ。

ーー「とうちゃん」ーー「もうそろそろ」ーー

ーー「起きてもええよ」ーーー「もどってきて」ーー

しかし言葉は虚しく部屋に響き渡るだけだった。


当然の事ながら、父が目を見開いて、

再び呼吸を始めることは無かった。

その後、駆け付けた女性看護師が

瞳孔(どうこう)反射や脈拍、心拍音を看(み)て、

生死確認を済ませた様でしたが、ーーー

「先生が来てから」、「話して頂きますので」ーーー

ーーーー「今朝、介護用ベットに替わって」ー「楽になって」

ーーー「好きな甘酒も」ーー「たくさん飲めるようになって」

ーーー「元気になって」ーー「散歩もしたいね」

「って、言って別れたとこだったのに」ーー

ーー「でも、よく頑張ったと思います」ーー

何の慰めにもならない言葉が耳元を通り抜ける。

その後10分程で、かかりつけの若い医師が

到着して、形式だけの、ひととおりの診察を行い--

ーー「2月8日、午後7時4*分」ーー「ご臨終です」ーー

ーーー《死の宣告》----を告げられました。

ーーあっけなく《急逝(きゅうせい)してしまった父

ーー(享年91)》ーー天寿をまっとうしたのだ。

温かいお茶を、ひと口ふた口飲んだ直後、苦しむこともなく、

ーーーー《まさに今がその時だ》ーーーー

まるで自分で望んだかの如く、

本当に穏やかな表情で去って逝(い)った。

ーーー《しかし身体はまだまだ温かい》ーーー

ーーー《死人の身体とは到底思えない》ーーー

ーーー《今もって現実として受け入れられない》---

ーーー「当たり前と分かっていても、やはり寂しい、

ーーー悲しいーーー

ーーー辛いものだ」ーーー


最近連日、不思議と早朝に、子供の頃の父との思い出が鮮明に

頭の中を巡る。正月の二日に実家に立ち寄った時、

衰弱しきって酸素吸入が欠かせない、ほぼ寝たきり状態。

腕は、ユニセフのCMで、よくみかける

アフリカの栄養失調の子供ほどの

片手の親指と中指で、くくれるほどの細さまで

落ちてしまっていた。


その日、退屈しのぎと思って、ラジオと父の好きな

落語のCDを持参した昼過ぎの、直後の出来事であった。

書道が有段(3段か4段)の腕前で、日本画を好んで、数多く

描写していた芸術家肌だった。

また剣道も3段の腕前で礼儀正しく、

まさに清廉潔白(せいれんけっぱく)な人であった。

一方で、僕の受験合格を、飛び上がって喜んだ

子供のような父でもあった。


想像するに、肺がんを患(わずら)ってから、

食欲も格段に落ちて、歩くことも

ままならない自分の身体。

曾孫(ひいまご)の顔も見たし、

誰かの手を借りてまで、迷惑を掛けたくないし、

特にもうこれと言った《欲》もないし、

親族、親類、縁者も会いに来てくれたし、

もうすでに自分自身の死期を悟っていたのだろう。

ーー「もう、これくらいで、いいだろう」ーーー

ーー「それじゃ、みんな、さようなら」ーーー

ーーって、ーーー自ずからーーー進んでーーー

永遠の眠りに就いたのであろう。

そんな父を、いつも寄り添って、面倒を看(み)ていた、

介護老人の心優しい母(85)が、最後に看取(みと)った。


ーーー生まれて初めて体感した親の死ーーー

まさに「親孝行したい時に、親はなし」を

痛感した、ここ数日間でした。

天に還ってしまった後では、

どのような、どれほど深く、考えても

《虚しい》、《切ない》、《せんない》想いです。


(静敏)(しずとし)いう名前の通り、静かで多くを語らなかった

どちらかと言えば

ーー《寡黙》ーーだった

ーとうちゃんー

 


何事に対しても、

《丁寧》で

《器用》で

《几帳面》だった

ーとうちゃんー

 


そして何よりも一番、最後の最後まで、

ーー《潔(いさぎよ)かった》

ーとうちゃんー

 


加えて誰に対しても、

ー《優しく》-

《寛大》で

《寛容》ーだった

ーとうちゃんー

 


とうちゃん、本当に本当に、長い間

《お疲れさん》

ー《ご苦労さん》でした。

 


そして本当に、本当にーーー《ありがとう》----

ーーーー《ありがとう》ーーー

ーーーーー《ありがとう》ーーー

 


とうちゃんの子供に生まれて本当に良かった

ーー《ありがとう》ーーー

ーーー《ありがとう》ーーー

 


口にしたことは無かったけれど、

本当は、ほんとに

ーー《大好きだったよ》ーー

ーーとうちゃんーーー


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

赤ん坊

足元のおぼつかない1歳あまりの幼児が、部屋に向かって独りで

恐る恐る歩み出した。少しの《不安》と《寂しさ》の

感情がいまだに表情に表われている。彼は1メートルにも

満たない姿で、わずかに開いた引き戸から、

人の気配を感じる部屋に、不安ながらも静かに足を踏み入れる。

既に居座る人を見て立ち止まる。振り返った人と目が合った。

ーーー時が止まった。----

「**」、「いらっしゃい」、「おいで」。

僕話せなくても、少しは聴き取ることは出来るよ。

ーーーあっ、見たことのある人や。---

ーーー僕の事、呼んでくれたーーー

ーーー良かった。近づこうーーー

不安定な足取りで接近した。

ーーー抱っこしてもらおうーー

向き直った、開いた両足の間に入り込む。

両手を広げて差し上げた。--おじさんお願いーー

右手だけでお尻ごと抱えて、持ちあげて抱き抱える。

磁石で吸いつくように、ピタッと止まる。

ーーー良かった。すごく安心ーーー

身体中がほどけるような安堵感(あんどかん)。

安堵で緊張が和らいだ。不安や寂しさが

さしあたり、一掃(いっそう)された。

肩の荷が下りたように、吐息をもらす。

溶けるような安堵感の中に落ちていく。

人心地ついたので、好奇心があふれ出る。

ーーーあれ、何かな?---あそこにも何かーーー

狭(せば)まっていた気道が開き、

身体に新しい空気が取り込まれた。


「あーっ、あーー」、「いっ」、

「うっーー、あっーー」時折指を指し、辺り四方を見ている。

ぼんやり見ているようで、目の輝きと引き結んだ口元が

意志の強さを物語っている。見るものすべてが新鮮で

あるがため、際限のない好奇心の大きさで、そのすべてを

のみ込んで、咀嚼(そしゃく)しようと試みても、

赤子の知恵では、咀嚼しきれず、

困惑した表情は隠せない。その後


すぐに、見慣れない表情の認知症の老婆の姿と

意味のなさない言葉の羅列(られつ)に

子供の表情が何やら、少し険しくなっていく。

ーーー僕分からないよ。---

ーーー知らないよ!ーーーこの人誰?--

幼子の、まったく確立されてない処世術

(しょせいじゅつ)が、急な付け焼刃では当然上手く

機能しない。

ーー「あっ、可愛いね」、「可愛いね」ーー

ーーー「あれ、こっち、こっち」ーー

ーーー「ほれ、見とーみ」、「こっち、こっち」ーー

ーー「ほれ」ーーー「きれいなかろ」ーー

ーーー僕自分が見たいものを見るからーーー

ーーーうるさいからだまっててーーー

理解出来ない上に、矢継ぎ早に、飛び込む言葉。

ーーー速すぎて、はんのう出来ないよーーー

ーーー「あれ、どうしたん」、「こっち、こっち」ーー

ーーーしつこいーーほっといてーーうるさいーーー

自分を無視する反応にいら立つ、イラつく認知症老婆は、なおも花に群がるハチのようにしつこく刺してくる。

ーーー「可愛いね」--「こっち、じゃがね」ーー

身体を乗り出し、幼児になおも触れる。

子供は危険な香りには、むやみに近づこうとはしない。

赤ん坊はもっと、慎重な近づき方を好むはずだ。

ーーー大きなお世話ーーー

堅固に形成されたはずもない、幼児の警戒心が無理矢理

瓦解(がかい)されていく。やがて

こじ開けられた、開けっひろげの心の隙間に、不意に

「不安」の感情が忍び込んでくる。

その「不安」が「心もとなさ」と「寂しさ」を呼び込む。

その心の感情が鼻腔の奥の涙腺(るいせん)を刺激する。

その感情の起伏が大きく震える。母親の顔を臭いを

思い出す。ーーおかあさんーー《さみしいよ》

それが限界を飛び越える。爆発する。こらえ切れず、

「わーん、わーん」、「うんぐ、うん、うん」えずく。

「わーん、わーん」自分の感情を刺激した声がさらに

攻撃してくる。「あれ、泣いたらいかんがね」

「泣いたら」、「泣いたらいかんよ」。

「どうしたんかいね?」

ーーー僕もう、いやーーーおじさん助けてーーー

《お前が泣かしたんだ》。僕はむっとした。

病氣と分かっていても、あまりの身勝手な発言に憤りがわきあがった。

「泣かしたらいかんがね!」、「こまったおばさん」。

また時たま、話せない幼児に対して、物を与えると、

「ありがとう、言わんかね」、「言わな、いかんよ!」


ここ数日、連日連夜、赤ん坊が我が家にやって来た。

初めてのお披露目時には

ーーー案の定----期待にたがわずーー

ーーー泣いていたーーー

何事においても数を重ねる度に、やっと事態が

前向きに安定に動きだすのだ。最近やっと、

まるでペットが飼い主に慣れるごとく

安心感が、見慣れた人と慣れた家の雰囲気とで

心の中に築き上げることが出来たのか、

こちらの意志が問題なく通じ合うのか、

何事も素直に応じる。


しかるに見慣れない人に話掛けられると

《不安》と《恐怖心》と傍(かたわ)らに

100パーセント絶対的信頼を寄せる

母親が居ない《寂しさ》が《不安》にさらに拍車をかける。


病気のおばさんには何ひとつ罪も咎(とが)

も無い。もちろん、そんなことは百も承知だ。

しかし僕の大好きな赤ん坊を、無理やり

振り向かそうと、いわれのない

いじめにあっているようで

どうにも我慢ならないのだ。

自分の怒りを鎮めようとしたが、

ひどく、しゃくに触った。


ーーーー古今東西----

==赤ん坊は泣くもの==

==若者は悩むもの ==

==少女は夢見るもの==

==壮年は働くもの ==

==老年は邪魔もの (1部例外あり)==

と、世間では相場は決まっている。


誰にとっても、恐れるべき最大の敵は

自分自身をよく知らない人間との遭遇なのだ。


今日はここまで。近藤浩二でした。

洋楽紹介します。ではまた。


クリストファークロスでセイリングです。

1980年リリース。全米No.1位。アルバム「南から来た男」からセカンドシングルカット。

グラミー5部門受賞の鮮烈デビュー。

渋い航海(セイリング)を感じさせる名曲です。

ロッドステュワートに同名異曲あり。


 

スティックスでテューマッチタイムオンマイハンズです。

邦題「時は流れて」。1981年リリース。全米No.9位。

アルバム「パラダイスシアター」からシングルカット。

若い女性に人気のギター担当のトミーショウの作品。

「too much time on my hands」

=「俺は時間がたっぷりとある」=「時間を持て余している」

が原題の意味。若者の心情を歌った楽曲。


 

ピンクフロイドでアナザーブリックインザウォール(パート2)です。

1980年リリース。全英全米ともにNo.1位。アルバム「ウォール」からシングルカット。アルバムは2枚組の名作。

メンバーの中心人物、ロジャーウォーターズの作品。

「We dont need no education」

notとnoで二重否定の様ですが、ここは

強い否定を表します。「教育なんて必要ないのさ!」って意味。

「所詮、壁の中のレンガの一片にすぎないのさ」が主題。


 

シャリーンで「愛はかげろうのように」です。

1982年リリース。全米No.3位。アルバム「ソングオブラブ&シャリーン」からシングルカット。世界的に大ヒット。

様々な経験をした年配の女性が、自分の人生に嘆く若い女性に対して、自分の経験を語る曲。


 

 

六角堂

何日ぶりだろう?

いつからだろう?

どれだけ待ちこがれただろう?

待ちわびていた人にやっと出会えたようだ。


寒さで凍えてそうな、しぼんだ心を奮い立たせてくれるように

やっとの思いで朝日の光が、僕の顔にお披露目だ。

フロントガラスから射し込む陽が暖かくて不思議と

眩しさを感じない。不快な寒さを忘れさせる。

マイナス感情を埋め合わせるには、十二分な陽射しなのだ。

しかし昼過ぎには、もうすでに雲が遮(さえぎ)る。


母校の小学校を通過後、すぐに88か所巡礼の寺社の手前に

正多角形の美しい、古い木造建築物が目に入った。

数年前から国道を走行のたびに、

心の片隅にとどめ置いていた、いつも気にかかる建物であった。

好奇心が刺激されて、口が開く。

ーーーー「あっ、はっかく、==いや==」----

ーーーー「うーーん、ろっーーーかくーー堂」-----

ーー「ほら、あそこーー」ーーーその後、予想だにしていない

言葉が耳に届く。----ーー

ーーーー「行ってみよ」--ハンドルを切る

--「チカ、チカ、チカ」ーー右折する。

ーーー「え?」ーー怪訝(けげん)そうに聞き返す。

ーー「観てみたいんやろ」ーー「うん」ーーー

目的地、付近だと思(おぼ)しき場所を走行中に

目を凝らして山側を向く。ーー「この辺やろ。うーん」ーー

見つからない。--「あれ?」ー「どこやろ?」ーーー

札所の寺社を超えても見つからない。


Uターンして、改めて山側を探す。

来た道を戻る。直後であった。

真っ正面の視界に多角形のすっきりした整ったお堂が映った。

山側を道なりに進むと、すんなりと到着した。

来た道からだと、鋭角に入り込まないと、たどり着かない。

入り口に素人の手作り看板があった。「八角堂」と読める。

しかし建物は「六角形」だ。

---《???》ーーー「どういうこと??」ーーー

建物を何度も確認してみる。ーー「おかしい」ーー

ーー《6》しかないーーー《???》

ーーー何度見ても、八角じゃなくて「六角堂」ーーだった。

帰りに再度看板を見る。ーー《解決した》ーーー

「六」の看板の上部(ー|-)が雪で隠れて

「八」に見えていたのだった。看板の支え柱が朽ちかけて

看板が斜めに傾き、わずかに雪が積もってしまい

程よい具合に、紛らわしく見えていたのだ。

ーー《天使のいたずら?》ーー


ーー「来る時には見つからず」-

ー「反対側からは、やすやす、すんなりと」ー

ー「ほんと、死角になってた場所」ー

ーー「四角じゃない、八角」ーー

ー「いや、六角堂」ーー「、、、、、でした」ーー


人は自分の見たいようにしか、

都合の良いようにしか、

見えないのです。===見たくないのです。


そうそう、ところでその六角堂、時間の都合で

何のための、何があるのか、分からずじまい

解明しだい報告しますね。

今日はなんだか、何か(少し内容希薄ですが)

書き残したくて更新しました。


今日はここまで。近藤浩二でした。

洋楽紹介します。ではまた。


イーグルスで「恋人みたいに泣かないで」です。

1974年リリース。シングルカットせず。アルバム「オンザボーダー」に収録。

題名に反して歌の内容は「恋人みたいに泣いてみて」って内容

リズム&ブルースの香り漂う楽曲です。


 

ドリーパートンでナインテューファイブです。

1980年リリース。全米No.1位。

米国のカントリー女性歌手。シーナイーストンに

同名異曲がある。聴き比べてみると泥臭さが感じられる。

サラリーマンの悲哀を歌った楽曲。


 

カーペンターズでクロステューユーです。

1970年リリース。三週連続全米No.1位。アルバム「クロステューユー」よりシングルカット。自身初めての大ヒット曲。

バートバカラックお得意の名バラード曲。


 

エクストリームでモアザンワーズです。

1991年リリース。全米No.1位。アルバム「ポルノグラフティ」からシングルカット。アコースティックギターの響きが魅力的な楽曲。メンバーのヌーノベッティンコートの作品。

米国のロックバンド。自身最大のヒット曲。


 

 

節分

 

ーーーーー「今日節分!」ーーーーー 長い静けさを破って、か細い声で口をきる。

車窓から見える、代わり映えのしない単調な

道路脇の家並みをぼんやりと眺める。

週末土曜の夕刻だというのに閑散とした市内の主要道路。


ーーーーー「豆ある?」 暇つぶしに質問する。

 

疲れているのか、力ない返事が返った。

ーーーー「きのう、神社で頂いた」。  「ふん」。

不愛想に相槌(あいづち)を打つ。

 

疲れているだろうに、今から仕事で出張の

妻は、さぞやーしんどいーであろうと

ドライブを求めた自分が罪の意識でさいなまれる。

 

==1昨日の朔日市(ついたち)祭が、ひどく遠い過去に

思えるほど慌ただしい二月の始まりだった。

 

《あっ、そう言えば》《そのような事、最近、聞いたような》

《妻と、ちゃんと、向き合って会話していない事を、ーーー

ーーーさすがに痛感させられる》===

帰路途中、スーパーで恵方巻を二本購入。


テレビに翻弄(ほんろう)される、不確かな情報の世界から

引きずり出された9時過ぎに夕食の時間。その前に豆まきの計画を実行に移す。

寒空の中、家の前を通る市道に向けて57の大人が

声を張り上げる。

ーーー「鬼は外」、ーーー「福は内」。

56の女も同様に吠える。

---「鬼は外」、ーーー「福は内」。

ーー澄み切った寒空の静寂を突き破って響き渡る。ー--

ーーーー-「うるさーい」ーーーーー

の苦情が近所の番犬から持ち込まれる。===そうだ。

ふと忘れていた食欲がよみがえる。

「はらへっーーたーーー」

ダイニングのテーブルの席に着く。

お互いの視線が巻き寿司に集中する。

身体もあったまる澄まし汁。

「いただきまーす」。

巻き寿司をワクワクの気持ちで右手に握る。

今年の恵方の「南南東」を確認してほおばる。

「うまーーーい」種類はシンプルで妥当な

田舎(いなか)巻き寿司。

「美味しい」。具材のかんぴょうとほうれん草が上手く

噛み切れず唇(くちびる)からはみ出す。

人差し指で押し入れる。

美味しい巻も、残りあと数センチ。

親指、人差し指で一気にすべて口中に押し入れる。

澄まし汁で臓器へ流し込む。

ーー「うんぐっ」ーー「ズルズル」ーー「ゴックン」ーー

「調子良かったら、ーーー1メートルくらい食べられる」

「25センチくらいやから、4本いける?ーー無理やろーー」

軽い冗談で発言しただけなのに。

ーーー真(ま)に受けて返事するな。

疑心暗鬼(ぎしんあんき)の生じた発言にむっとした。


子供の頃に垂涎(すいぜん)の的として、

憧(あこが)れた贅沢な食事、

===スイカ1個をひとりで食べつくし===

===巻き寿司数本の丸かじり    ===


潜在意識の記憶の奥底からわきあがる食欲を

一度満足させてみたい。挑戦してみたい。

大人になった今だからこそ現実化できる贅沢。

大人になったからこそためらってしまう愚行。

時節の行事はひとどおり実践する我が家の

ありきたりの平凡な節分でした。

なぜか、しないと落ち着かない

==平凡==

そんな日常で今年も過ぎるのだろうか?

ーーーいや、絶対違うーーー

特別な記憶にも記録にも残る意義深い年にしよう。

と改めて心に刻む。

そして一日が終わる。しかるに、人生は続く。


そうなのだ、その《平凡》と真摯(しんし)に向き合って

粛々(しゅくしゅく)と繰り返し続けることで

偉業を成しえた偉人は数多く居る。捨てたもんじゃない。

まさに===「偉大なる平凡」===


今日はここまで。近藤浩二でした。

洋楽紹介します。ではまた。


ヂュービーブラザーズでロングトレインラニングです。

1973年リリース。全米No.8位。アルバム「キャプテンアンドミー」からシングルカット。ギターとリードボーカルの

トムジョンストンの作品。初期のデュービーの代表曲。

ギターのカッティングが超かっこいい。練習したもんです。

ツインドラム、トリプルギターで人気を博する。

西海岸結成の米国の老舗(しにせ)のロックバンド。


 

シーナイーストンでモーニングトレインです。

1981年リリース。全英、全米ともにNo.1位。アルバム「テイクマイタイム」からシングルカット。英国の女性ボーカル歌手。副題「ナインテュファイブ」9時から5時まで仕事って歌

女性目線の歌曲。

日本でも人気のあったモデルのようなグラミー受賞の美人歌手。


オリビアニュートンジョンでザナドゥです。

1981年リリース。全米No.8位。サウンドトラックからシングルカット。ELOと共演。ELOのジェフリンの作品。

ミュージカルファンタジーの映画にピッタリの幻想妖艶で楽しい楽曲。「ザナドゥ」とは歓楽の都や桃源郷の意味。


 

アーハーでテイクオンミーです。

1985年リリース。全米No.1位。アルバム「ハンチングハイアンドロー」からシングルカット。MTVのビデオが画期的で秀逸。二次元と三次元を行ったり来たりの優れたアイデア。

「テイクオンミー」=「take on me」とは「僕を受け入れて」の意味。


 

 

雪の日

最近寒さのおかげで、目覚めが早くなった。まだ8時過ぎ。

底冷えする冷気で、精気がどんどん奪われそうなので

かじかんだ指を、自由な右手で、左手左足を数十、数百回こする。

数か月ぶりに暖房を点ける。数分後

布団の中が南国の楽園に思えた頃には、

まさに起き出す時間だと覚悟を決めた。

携帯電話で目覚めの音楽を流す。「♪~」、「~♪」。


やがて妻が氏神神社の伊曾乃神社の朔日市(ついたち)祭から

帰って来た。この寒い中を早朝から参拝とは信心深く感心感心。

表に出ると、昨日の天気予報の通り、雪が舞い落ちていた。

小さい可愛い雪の塊が「しんしん」と降っていた。

地表付近には思ったほど風が吹いていないので、

積もる雪だと予測が確信に変わった。数年ぶりの

積雪現象に、くすぶっていた好奇心に火が付いた。

変わり者の夫婦は積雪状況と舞い散る雪を鑑賞したくて、

県境に位置する四国連峰の中腹あたりまで

ファーストフードとホットコーヒーをお供に

道路をドライブ。


まさに県境に位置する、寒風山トンネル手前の道路脇の

小さな停留場に真っ白い雪が一面に広がる。素晴らしい壮観だ。

その雪面はまだ誰にもけがされてない、まさに

「バージンスノウ」しかし、すこし横に目を向けると、

すでにその雪面に先客の車が停車。

母子2人が雪面で戯(たわむ)れていた。

まだほんの3、4歳の小さな子供が小さい赤い両手で雪を

すくって、口元に持って行く。母親がそれを制して、

雪玉を作って子供に渡す。子供がそれを手にして、

雪景色を背景の渓谷(けいこく)に向けて思いっ切り投げる。

放物線を描いて雪玉が飛び去る。母親も負けじと投げる。

子供のそれより、さらに大きな放物線になって飛び交る。


今居る、この場所が雪国かと勘違いしそうなほど、

非日常を感じさせない光景に、我を忘れて見入る。


生まれて初めて目にする雪化粧の風景と、

「雪」といった白くて、けがれの無い冷たい

《自然物》を身を持って体感した幼子なのだ。

積雪することのほとんど無い南国愛媛で、

ぜひとも子供に「雪」を触らせてあげたいと

願う母は極寒の中、我々夫婦と同様に、

急いで車を走らせ、何者にも踏み入れていない、雪面を求めて

辿(たど)り着いた終着点。


その後、幼子は誰はばかることなく、まるで無条件に命を

爆発させるかの如く、雪面に寝転び、無駄に飛んだり跳ねたり、

声をあげていた。「キャー」、「つめたい」。

天真爛漫に雪世界を駆け回っていた。それは

無目的、無条件、ただそうしたいから、

そうしている、そうしないではいられない、その光景は

今、我々が忘れてしまっているエネルギーの純粋な爆発。


これこそ、動物である人間の根源であることを実感した。

「生きること」とはエネルギーの《爆発》なのだ。


今日はここまで。近藤浩二でした。

洋楽紹介します。ではまた。


ベラミーブラザーズで「愛はそよ風」です。

1976年リリース。全米No.1位。アルバム「愛はそよ風」より先行シングルカット。米国のカントリー畑の兄弟デュオ。

冬よりも春の季節にピッタリの歌曲です。

高校生当時NHKラジオで録音して、よく聞いたお気に入りの曲


 

バーバラストライサンドでウーマンインラブです。

1980年リリース。3週連続全米No.1位。アルバム「ギルティー」からシングルカット。ビージーズの3兄弟の作品。

米国を代表する世界的女性スター。

歌手、女優、監督、作曲家。御年74。愛の歌。


 

ジョン・オノ・レノンでインスタントカーマです。

1970年リリース。全米No.3位。当時シングルのみで発売。後にアルバム「ベスト盤」などに収録。ソロ直後のヒット曲

プロデューサーにビートルズ時代の大御所フィルスペクターが担う。ジョンの歌曲の中で「音」的に好きな楽曲。

「インスタント(すぐに)降りかかるカルマ(因果)」の意味。


 

ドナルドフェイゲンでニューフロンティアです。

1982年リリース。シングルカットせず。アルバム「ナイトフライ」のB面1曲目に収録。ボイスオブスティーリーダンの

メンバーの初ソロアルバム。ジャズ色の香り漂うポップロック。