虫のしらせ

昨日の早朝の事、なんだかすっきりしない

もやもや感で目が覚めました。

いつものようにお手洗いで済ませて

再び布団にくるまって目を閉じましたが、

僕の頭の中に、誰かが入り込んだようですぐには寝付けません。

僕の近しい人に何かが起こったのかも? との思いで、

なんだか気になる「虫の知らせ」といった言葉が頭をよぎります。


その時になぜだか、年老いた両親の姿が思い出されるのです。

今現在おかげさまで、両親ともに平均寿命を迎えてまだ健在です。

しかしいつ何が起こっても不思議ではない身体なのです。

とりわけ肺がんを患いながらも卒寿(そつじゅ)(90歳)になる父は

最近めっきり食欲も落ちてきて、

傍目(はため)から見ても疲労感いっぱいで一日のほとんどを

床で伏せって過ごす事が多くなっているのです。

一方母とはその日は昼間にリハビリ通所で会える日です。

何事も無ければ来ているはずです。


笑顔で知り合いと挨拶を交わしている

母の姿を見て、さしあたり僕はひと安心しました。


でも早朝のなんとも落ち着かない

「胸さわぎ」は何だったのだろう?

絶対誰かが僕のもとに訪ねて来たはずなのに。


夜を迎えてお互い仕事が終わりました。

今宵は二人だけの忘年会と銘打って外食に出かけました。

車に乗り込み一年ぶりの居酒屋に向かいます。

途中、道路沿いの葬祭場を左手に走行中、

不意に《案内看板》に目が移りました。

ほどなく信号で停車しました。

僕の脳裏に先ほどの《案内看板》の名簿の

人名が残像として読み取れました。「**+@」

何処かで見た覚えのある名前だ。そう思った僕は

居ても立っても居られないのでした。妻に


「Uターンして戻って!」、

「知り合いが亡くなったかも?」。

ブーン、キキー、ブブ―ーーン

「ゆっくり」

名前が明確に読み取れました。

「あっ」、「やっぱり」

「知っとる人や!」

「挨拶に行く」、「止めて」

ブーン、ブス。


年初から通い始めたリハビリ通所「きたえルーム」の

仲間の「死」でした。

しかも話を交わして分かった事なのですが、

僕の祖母方の遠い親戚筋にあたる

高齢者(享年82)なのでした。

しかし遺族の方たちとは誰とも言葉を交わせた事も無く、

亡くなってその場で眠っている本人とのみ

知り合いでしかない僕は

「家族葬」でしんみりと送り出してあげたい

遺族の気持ちを踏みにじってはいないのだろうかとの

罪の意識を持ちながら

穏やかな表情で眠っている友人との

在りし日の思い出が走馬灯の如く脳裏に浮かぶのでした。

3か月前に言葉を交わして以来再会出来ることを

楽しみにしていただけに遺憾(いかん)の意でいっぱいなのでした。


彼とは25歳の親子ほども離れていましたが

初対面から不思議と気の合う冗談を言い合う仲でした。

席の近くに座る時には

「ちょっとじゃまするよ」

「じゃまするなら帰って!」と小ばかを言える程に。

「もう何度も救急車に乗った」

「後は《立派な黒い大きな車》に乗るだけや」と茶化せるほどに。


早朝に感じた「虫の知らせ」はきっと

その友人が僕にお別れの挨拶に来たのでした。

お互い年老いてから知り合った友人なので

良かったり、悪かったりの過去の自分を知らない人なのです。

それだけにお互い真っ白の状態で、

3時間ほどの限られた時間だけでも

ともに過ごせる戦友、同志との思いで、仲良く

付き合ってこれたのでしょう。だからこそ

何があっても、繋(つな)がっている家族とは違って、

逝(い)ってしまっては、もうその友人関係が

切れてしまうのが、残念であったのでした。


僕の身勝手な希望的推測でしかありませんが

そうであるからこそ家族以上に気になっていたのでしょう。

彼は逝ってしまってから友人としての僕の所に

挨拶に来たがっていたのです。もはや話の出来ない彼は

僕の方から気が付いて肉体に会いに行く以外に手段がないと

再三再四、信号を送っていたのです。僕がそのことに

気が付くことが出来たのは「虫の知らせ」としか言えません。

おそらく普段忙しく時間に

追われて余裕なく過ごしていたならば

きっと僕は彼からの「声のしない呼びかけ」や

「音の無い、目には見えない、シグナル」などを見過ごしていたでしょう。


2か月程前の夕刻、ふとその友人の陣中見舞いに

行ってみようかなと

思ったのですが色々と余裕が無くて

躊躇(ちゅうちょ)したことが悔やまれました。

ふと気が付いたその時が最後の機会だったのでした。


現実の誰からの言葉でも無くて

自分だけが理解出来る

自分の中で語り掛けてくる「無言の言葉」。

「気づき」、「知らせ」など

昔から言われている「虫の知らせ」の重要性を

再認識した、年末最後の

死者(使者かな)との語らいでした。

また死者の霊はきっと

早朝にやって来るのですね。


今日はここまで。近藤浩二でした。

今日も洋楽紹介します。ではまた。


アランパーソンズプロジェクトでアイインザスカイです。

1982年リリース。全米No.2位の大ヒット。アルバム「アイインザスカイ」より先行シングルカット。英国のロックグループ。

グループ最大のヒットであり代表曲。

メンバーのエリックウルフソンの作品。

古代エジプトの「ホルスの目」と言われる天空にある真実を見る目の事を歌った歌。

幻想的な楽曲。


 

ロバートジョンでサッドアイズです。

1979年リリース。全米No.1位。アルバム「ロバートジョン」より先行シングルカット。米国の歌手。下積みが長く歌手よりもこの歌曲だけが有名。でもって良い曲です。


 

ランディーバンウァーマーでアメリカンモーニングです。

1979年リリース。全米No.4位。アルバム「ウォーマー」からシングルカット。当時日本でもヒット。

米国のシンガーソングライター。2004年48歳で他界。

原題は「君をまさに一番必要としている時に」です。

ふと流れ込んで来たらドキッとするほど聞きこんでしまう美しい楽曲。


 

おまけでフォリナーでガールライクユーです。

1981年リリース。10週連続全米No.2位の息の長い大ヒット。アルバム「4」からシングルカット。

シンセサイザーが幻想的な雰囲気を醸し出している。

僕の人生で10本の指に入るお気に入りの楽曲。

当時毎日聴いていました。


 

 

徒花(あだばな)

師走に突入して、はや半ば過ぎ、正月までもういくつですかね。

毎年この時期になると恒例のように放送されるのが「忠臣蔵」

元禄時代の実話であり、武士の「忠義」を取り扱い

歌舞伎の演目にもなった有名な史実。それと酷似したもので、

先日二日続けて幕末ドラマ「白虎隊」を視聴しました。


「白虎隊」と言えば幕末の会津若松での戊辰戦争のひとつの

実話として有名です。そしてそれは悲劇にも関わらず

美談として感動的に描かれています。

「忠臣蔵」、「白虎隊」二つの話には

共通点が数多く存在します。

  • 江戸時代
  • 主君のために戦う
  • 武士道精神
  • 忠義に殉ずる
  • 自決する
  • 悲劇である
  • 美談に語り継がれる
  • テレビドラマ、映画化される

なぜに日本人は「大儀(たいぎ)」の名の下に

自刃して果てた人達をこんなにも異常に

美化するのが好きなのでしょうか?

「判官贔屓(ほうがんびいき)」の精神が

こうも日本人のDNAに流れるのでしょうか?

強い者に立ち向かい死んでいった弱き者を

英雄視するのでしょうか?

実際、僕自身もテレビや映画などを視聴して

登場人物に自分を同一視したり投影して、

悲しい場面では涙ぐんだりするものです。

でも少し冷静になると僕は別の異なる考えを持つのです。

それはなぜ彼らは自ら進んで

死ななければならないのだろうか? と。

生き延びてさらなる花を

咲かせようとしないのか? と。

当時(江戸時代)の価値観を

現在の価値観で推し量ることができないことは当然です。

「武士道とは死ぬ事である」の精神を

僕には到底理解できません。

「生き続けてまで、生き恥をさらしたくありません」

「立派に死のう!」ドラマの中のせりふです。

しかも「白虎隊」では会津藩主は既に

「負け戦」であろうと理解していたにも関わらず、

家臣の進言には耳を貸すこともなく

鉄砲、大砲に対して年寄、女、子供にまで、

やりと刀を持たせて、戦わせるといった

愚鈍(ぐどん)に陥っていたのです。

そしてあろう事か、藩主殿様は戦後家臣に腹を切らせて

自分の戦犯は逃れて、神社の宮司になって

明治の時代まで、天寿をまっとうするのです。

何かが間違っていると思う僕は

ダメな人間なのでしょうか?


ここから先は歴史の結果を知り得た者

だからこそ言える勝手です。

もし仮に、上に立つリーダーとその関係者たちが時代の潮流を

読む目を持っており殿様が馬鹿じゃなければ、

逆に時代を読む目を持っていなくとも、

ある意味においてもっと馬鹿であって、

早い段階で戦争を放棄すれば

多くの若者を死なせずに済んだであったであろうと考えるのです。

「立派に死ぬ」などと言った「徒花(あだばな)」を

散らせる必要などなかったはずなのです。


僕だったら命を助けてくれるなら

何だってしてあげられるよ!

土下座だって一万回だってするよ!

うそ泣きなんて何度でもできるよ!

裸になって陰部だって見せるよ!

「何か?」のために死ぬくらいなら

笑われたって生き続けるよ!


死んでしまえばもはや「花実」は咲かないのです。

我々人間の根底にある感情は、絶対ハッピーエンド

のストーリーで満足する生き物のはずです。

死んでしまうば、そこで物語は終わりなのです。

未来は無いのです。不思議な事に

大多数の人達は悲劇の物語を観て、

悲しい結末に感情移入して

自分も悲しみ涙することが、大好きな生き物なのです。

そしてそれを誇大に美化するのです。

しかしそれは、この上なく美しく咲き誇っても

決して「実」を結ばない

「徒花(あだばな)」でしかないのです。

その一方で、上に立つ人間の技量と能力が

下で支える人間の運命をも握っている事を

痛感する物語なのでした。


「誰かのために、誰かを殺す」

この図式は戦争であっても、単純な殺人であっても

自殺であっても、正当防衛であっても、

当てはまる図式です。

このような図式の成立は、創造主も絶対

望むものでは無いはずです。

どれほど美しく散ろうとも

この世に徒花(あだばな)は

決して存在させてはならないのです。


今日はここまで。近藤浩二でした。

今日も洋楽3曲紹介します。ではまた。


イーグルスでロングランです。

1979年リリース。アルバム「ロングラン」からシングルカット。全米No.8位。小気味の良いソウルロック。

ジョフォルシュのスライドギターが冴え渡る。

愛し合う二人ならば、どれほど時間が掛かろうが

乗り超えられるはずと言った内容の歌曲。


 

カーペンターズでバカラックメドレーです。

1971年リリース。アルバム「カーペンターズ」より

・ Knowing When To Leave 『 去りし時を知って 』
・ Make It Easy On Yourself 『 涙でさようなら 』
・ (There’s) Always Something There To Remind Me 『 愛の想い出 』
・ I’ll Never Fall In Love Again 『 恋よさようなら 』
・ Walk On By 『 ウォーク・オン・バイ 』
・ Do You Know The Way To San Jose 『 サン・ホセへの道 』  ) 】です。

テレビの公開ライブ演奏です。カレン自らドラムを叩いています。

リチャードがアレンジしています。

単曲よりも得した気分になる楽曲です。


 

スティーブンビショップでイットマイトビーユーです。

1983年リリース。全米No.25位。映画「トッツイー」の主題歌。サンドトラックからシングルカット。

邦題「君に想いを」。「人は誰でも運命づけられた人が居るんだ。」、「それは君かもしれないよ」って歌。

曲中に「All of my life」のフレーズが何度も出てくる。「自分の人生において」の意味。

なんだか気分の晴れないメロディーが妙に心に残る。

米国のシンガーソングライター。


おまけでエルビスコステロでシーです。

1999年リリース。全英NO.19位。映画「ノッティングヒルの恋人」の主題歌。サンドトラックに収録。彼のベストアルバムにも収録。カバー曲。

原曲は1974年フランスのシンガーソングライターのシャルルアズナブールの作品。当時全英No.1獲得。様々な言語で歌われている永遠の名曲です。

とてもドラマティックな美しいバラード曲。

エルビスコステロは英国の人気シンガーソングライターです。


 

地球事変(進化)

ここ数日急激に冷え込んだせいで

就寝時に暖房入れたら、案の定乾燥してしまい、

てき面に喉をやられてしまい、何もやる気が起こらず

仕方なくおとなしくしていました。栄養摂って

加湿を心掛け、水素風呂入ること数日

やっと人並みに体調戻し、通常の生活が復活です。

現在思考力が低下してそうなので

練習しないといけないな!!


そこで、なぜ世の中には冬とか夏とか極端な

季節が存在しないといけないのでしょうか?

春と秋の二季で良くない? 宇宙の摂理で仕方ない。

それじゃ納得できない。事象には必ず利点と欠点が存在します。

暑い夏があるから美味しいビールを味わうことが

寒い冬があればこそ美味しいカニを食することが出来ています。

そんなことはともかく、僕は暑い夏と寒い冬を経験するたびに、

要らないモノとして、いつも感じていました。

でもその答えの一端が垣間見ました。詳細及び正解は不明です。


昨日BSテレビ「地球事変」で見ましたが、

この極暑と極寒のおかげで

生物は長い歴史の中で、

どのような環境でも生きていけるように

「進化」を遂げて来られたそうです。


それによると

地球は誕生から長い年月をかけて、

人間や植物など様々な生物が生き続けて来られるように

地殻変動などを繰り返して現在の姿になったそうです。

人類の故郷である地球は《酸素》が存在する数少ない惑星です。

酸素がなければ地球上には微生物しか存在しなかったそうです。

そう考えると、ある意味で地球は我々生物と共に

「生きている惑星」と言えるでしょう。


どのような事柄にも

両極端が存在すればこそ

その間の偏りのない中途半端な部分が

《中庸(ちゅうよう)》として重要視される

考えが見出されたのです。


また片側に振れきった事柄は

もう一方側に振りきらない限りは

事柄は止まってしまって進行しません。


となると、

私の仮定が正しいならば、

極貧を経験している僕はきっと

とんでもない贅沢も

経験出来る時代がやって来るはずです。

そのためには長生きはしたいものです。

人類はそのうち数百年以上

生きられるように「進化」するかもしれませんね。


今日はここまで。近藤浩二でした。

洋楽3曲紹介します。ではまた。


ギルバートオサリバンでクレアです。

1972年リリース。全米No.2位。アルバム「バックツーフロント」からシングルカット。「クレア」とはプロヂューサーのゴードンミルズの末娘さんの事。相手がただの子供なのに

なんだか恋人以上に気になる存在に感じると異様な愛の形を歌った歌。

彼の作品では世界的に大ヒットした「アローンアゲイン」が有名


ニコレッタラーソンでロッタラブです。

1978年リリース。全米No.8位。デビューアルバム「ニコレッタ」からデビューシングルです。数枚のアルバムを残し1997年他界。そばかすとおさげ髪の田舎娘のイメージ。

「lotta」=「a lot of」

邦題=「あふれる愛」。


ジェームスイングラムでジャストワンスです。

1981年リリース。全米No.17位。アルバム「ヂュード」からシングルカット。ピアノで奏でる美しいメロディーを歌唱力のある少し太い声でしんみりと歌われた名バラード曲。

彼の代表曲は女性歌手パティーオースティンとのデュエットの「Baby come to me」(全米no.1)が有名


おまけでスタイルカウンシルでパリスマッチです。

1990年リリース。シングルカットせず。

デビューアルバム「カフェ・ブリュ」A面5曲目。

英国男性二人のロックソウルデュオ。ここでは女性のボーカルバージョン。フランスの情緒を感じさせる名バラード曲。

当時何気に聞いた時、パリスマッチの題名から

歌詞がフランス語ではと勘違いしてしまい

聞き流していました。未熟な僕でした。

子供の頃から、音楽は歌詞の意味など一切考えること無く

「音楽」という言葉の如く音全体を聴き楽しんでいました。

歌詞が英語であることを感じさせないほど

フランスを思わせる曲調。ドラムをブラシだけで

叩いて演奏しているのでとっても優しい音作り。


 

理想の人生(欲)

つい先日テレビドラマの中で《綾瀬はるか》が自問自答していました。

「理想の夫婦って何?」

残念なことにその答え、忘れてしまったのです。

くだらないありふれた陳腐な内容だったような気がします。

僕ならサラダのドレッシングは、ごまだれの1種類で十分です。

あと入浴後にお酒の一杯でも、あればそれ以上は相手に求めません。


でも、ひねくれ者と言われる僕はその答えを

考える前に別な疑問が頭をよぎったのです。

「理想」の言葉に詳しい説明、絶対要るやろ!

「私だけの」とか、「一般の大多数の人達の」とか

「現在の自分にとって」とか

「未来永劫思い描き続ける」とか、

《誰が》と《いつ》と《どこで》を

思い描くかによって

捉え方が異なってきて、収拾がつかないでしょう。


と言うのも

「理想」というものは、あくまでも「理想」であって

それが「現実」になった途端に、それはもう、

もはや「理想」では無くなり「現実」なのです。

それがために、ひとたび「理想」が「現実」になると

新しい「理想」が思い描かき直されるものなのです。


こんな屁理屈(へりくつ)言う僕はやはり変わり者なのかな?

でも「屁理屈も理屈の親戚ですよ」と

かの杉下右京も、屁理屈言ってましたから。許してくだされ!


ですから「理想」はあくまで「理想」のままで

決してその「理想」が「現実」になってしまっては

だめだと思うのです。そうなった途端に、人は不思議と

さらに「不幸」を感じてしまう贅沢な生き物だから。

だから「理想」とは、

極めて実現可能ではあるけれども、

その時考えられる中で、最高の

「現実化」に最も近い「願望」

《あれはこうあって欲しい》

《自分はこんな風になりたい》

《自分はこういうモノが欲しい》

って考えにしてみましょう。


遅ればせながら、ここからが本題です。

今現在世界の70億人いや人類誕生から

全ての人間の中で自分の理想とする人生を

体現出来た人間は存在した、するのでしょうか?


一部の成功者と言われる人達や歴史に名を残した

者たちならその可能性はあるでしょう。

彼らは少なくとも、自分の願望のいくつかを

現実化した者たちであったはずなのだから。

現在仮に自分の人生において、あの時に戻って

もしやり直せるとしたなら、って

誰でも考える時ってあるでしょう。

少なくとも僕には、たまにあります。

そんな思考を持った時点で今のあなたの

人生は、理想の、自分の思い描く人生とは程遠い証拠でしょう。

でもってそんな時って、一体全体どのような

理想の人生を思い描いているのでしょうか?


輪廻転生(りんねてんせい)という事柄が

自由自在に実現できるなら、

誰だって絶対金持ちの家の子供に生まれたい、はずでしょう

だって人生の問題のほとんどは残念な事に

「お金」で解決出来てしまいますから。

どうしたって人間の問題の

根源は「欲」が原因でしょうから。

そしてその「欲」のほとんどは

「お金」で解決できてしまいます。

しかし本当に大切な事柄は、不思議なことに

「お金」だけでは解決出来ません。

と言っても、お金持ちに生まれたなら

「理想の人生」を送れる可能性は極めて高くなります。


人間生まれて最初に思い抱き

生涯持ち続ける欲望は《食欲》でしょう。

しかしこれは一時的なもので

一度満足すれば次の欲望まで必ず

タイムラグが必要になります。

その次は《性欲》です。でもこれは

生活環境や年齢、体調によって

その強弱は影響を受けます。

これも次の「欲」まで少しのタイムラグが必要になります。


人間の3大欲の最後は

《名誉欲》あるいは《支配欲》です。

この「欲」は先の二つの「欲」とは少し異なります。

先の二つの「欲」は一度欲しても

その大きさには限界が存在します。

しかるにその「欲」に自制心を

働かせることが可能なことになります。

言い換えれば「欲」が無くなる時間があるのです。

「もう十二分に満足したから」、

「もう要らない」、「もう必要ない」

って思えるのです。

しかし《名誉欲》や《支配欲》には

際限(最後のキリ)が存在しません。

したがって、死してなおも

自分の支配下に置きたいといった

おぞましいまでの束縛を要求してしまうのです。

自分の陵墓(りょうぼ)に

中国の皇帝やエジプトの王様のように

兵馬や装飾品を配したり、

強大にしたりしてしまう人達がそれです。


そうすると《食欲》と《性欲》は

ある程度自分自身で

制御(コントロール)が可能です。

別の形で代用も出来てしまうものです。

そう考えてみると結局

《支配欲》や《名誉欲》を

ある程度制御(コントロール)出来れば

我々のような普通の人間であっても

理想の人生を送ることは可能と

結論づけることが出来そうです。

でもやはりお金持ちであることに

越したことはないのです。


身も蓋(ふた)もない話になりますが、理想の人生が

どのようなモノであれ

お金があれば手に入れられる可能性が高いのです。

そうなのです。この世は「お金」がもの言う世界なのです。

「え、お金がモノ言う。お金はモノを言ったりしません。」

「お金がモノ言ったら、銀行がうるさくて、かないませんで。」

「そんなこと言ったら、おうじょうしまっせ!」

おっと、おあとがよろしいようで。


僕の同級生で、がんばり屋の彼女は

小学生の時から成績が一番

でも平均寿命のはるか手前の

40代に病気で、愛する我が子の

成長も見届けられず

帰らぬ旅に飛び出しました。彼女は

死期に宝くじに当たったようなもの。

こればっかりは、お金だけでは

いかんとも、し難い、

人生には「強運」も必要。

でも彼女、来世にはきっと、とんでもない

お金持ちに生まれて

何不自由ない人生が待ってるはず。

僕はそう信じたい。


3次元の、この現実の世界では

「魂」は様々な人生を通して

まるで、でこぼこの道をならすみたいに

壮大な計画の下

辻褄(つじつま)を合わせるように

画策しているはずです。


しかしもっと高次な次元になると

あなたも、きっと入ったことのある

魔法の世界もあるみたい。

《サリーや奥様も、ハリーも》

「あなたによろしく」って言ってたわよ!


あと様々な次元が入り混じってる

《パラレルワールド》とか

《トリプルワールド》や

《マルチワールド》など

もちろん誰もが体験した事あるはず。

そこでは「思考」だけが唯一の

移動の手段なのです。

理解できないと

置いてきぼりをくらうのです!


「開けてはだめ」って言われたのに

開けたばかりに玉手箱に閉じ込められた

浦島太郎。未だに閉じ込められてるみたいです。

それから時計が読めなくて馬車に乗り遅れた

シンデレラ。

あと、小人(こびと)の人権を認めなかっただけに今もって

眠っている白雪姫。二人とも、今も

おとぎの世界に閉じ込められてるって、うわさです!


今日はここまで。近藤浩二でした。

洋楽3曲紹介します。ではまた。


Mでポップミュージュックです。

1979年リリース。全英、全米ともにno.1位獲得。

英国のロビン・スコット&サポートバンドで『M』は形成されています。グループではなく単なる音楽ユニットでした。

テクノミュージックの分野のポップの基本となる楽曲。


オリビアニュートンジョンでマジックです。

1980年リリース。4週連続全米no.1位。映画「ザナドゥ」の挿入歌。サウンドトラック「ザナドゥ」より先行シングルカット。まさに魔法の世界を感じさせる曲調。しかもオリビアの「妖艶」を醸し出した楽曲。ミュージックビデオを鑑賞すれば彼女の魅力を堪能出来ます。盟友のジョンファラーの作品。

恋に落ち入っている二人はまるで魔法にかかっているような状態。女性が男性を誘惑している大人のエッチな歌曲。

当時彼女は、《見た目》(外観、容姿)が僕にとってまさに理想の女性でした。その後「フィジカル」で《いやらしさ》パワー

全開でまだ大学生で若かった僕は完全にノックアウトされました。


ボストンでピースオブマインドです。

1978年リリース。全米no.38位。アルバム「幻想飛行」からシングルカット。一曲目「宇宙の彼方へ(More than a feeling)」フェードアウト終了後、乾いたギターのストロークから始まりエレキギターで刻む、軽快なリズムのハードロック。

作者のトムショルツの人生観が現れた楽曲。当時彼はエリートコースから一流カメラ会社のポラロイド社に在職中。


今日もおまけでエルトンジョンでホンキーキャットです。

1972年リリース。全米no.8位。アルバム「ホンキーシャトー」からシングルカット。

黄金コンビのバニートーピン(歌詞lyrics)とエルトン(曲music)との共作。

軽快なテンポのピアノから始まり終始同じリズムで歌われ続ける。とっても明るく楽しく、気分が爽快になる楽曲。