日本で最も高額な紙幣、一万円札の福沢諭吉が
「天は人の上に人を造らず。人の下に人を造らず」
まったくの偽りです。うそです。
人は「おぎゃ」とこの世に生まれ出た時から
この世は差別社会なのです。
ある人は裕福でお金持ちで苦労知らず。
ある人は貧困で貧乏で苦労の山。
等々。今もって平等社会なんて夢の夢。
確かに人が作った身分の不平等はほとんど無いでしょう。
しかし神様が配置される人間の立ち位置には
もうすでに人間が作った
既存の不平等社会に、子供を
落とし込める限り
なんの罪の無い、
赤ん坊であっても、
永遠に平等では無いでしょう。
人間にとって本当の意味で
生まれついての平等って何があるかな?
考えてみよう!えーと、まず
命は一つ。寿命もほぼ同じ。
医学的に人間としての形態も同じ。
美しい、醜いなどの美醜(びしゅう)も、
個人の好みの多様性でほぼ同じ。
超人のような特殊能力も特にありません。
天才以外はほぼ同じ。
努力の必要のない持って生まれた才能など、
一部の例外を除けばほぼ同じ。
そう考えてみると、
本当の意味で万人に平等なのは
「命の数」と「時間」だけではないでしょうか。
今日は昼間にリハビリに出かけました。
僕の隣に一人の御婦人が座られました。
還暦どころか古希を超えられたであろう品のよさそうな方でした。
彼女の出立(いでたち)は質素でありながらも、
バランスのとれた装いで素敵な方なのでした。
首元には磁気ネックレス、右手にはパワーストーンの
ヒスイと思しき深緑の半透明のビーズを巻かれています。
そして左手には婦人専用の小さい可愛い腕時計をしていらっしゃいました。
僕は腕時計をされた方を見かけるのは約ひと月ぶりでした。
「素敵な時計ですね!」と声を掛けました。
「時間が分からないと不安なもので、、」
「そうですよね」
《正直、そうは思っていませんでしたが、》
僕自身時計が無くて不便と思ったこと、
最近一度もありませんので、
《時計屋さん、ごめんなさいね!》
本当に最近腕時計されてる人、
見かけませんよね。
スタッフも含めて25人程の中で、
腕時計されている人は、
その御婦人一人だけでした。
部屋には大きな丸い時計が、
90度の位置に2つ壁に掛けられています。
しかもテレビが常時点けられており、
「今何時?」といった時間の認識が無くなることは、
まずあり得ません。
その後、送迎の車に乗ると車内にもデジタル時計が、
2か所表示されています。
くだんの夫人の「時間が分からないと不安」との
言葉の真偽が怪しくなってきました。
確かにいつでも、どこでも知りたい時に
時間を確かめられるという安心感は理解出来ます。
おそらくアクセサリーの要素と
長年の習慣でもあるのでしょう。
昭和の時代には腕時計を身に付けているのは当たり前でした。
僕が高校入学のお祝いにシティズンの
クオーツ腕時計を買ってもらい、
大人の仲間入りになったようで、社会人の5年目までの、
ほぼ10年間の長きに渡って、
とても大切に使った覚えがあります。
正確な値段は覚えていませんが、腕時計は高価なものでした。
風呂から出た時、朝起きた時など、時計を身に着けるといった、
また、何気に左手の時計にちらっと眼(め)をやる動作など
長年身に着いていた習慣が無くなっていますね。
普段何気に生活していると、
知る必要性は特別に無くても、
何気に気になって、
取得してしまっている情報ってありますよね。《直ぐ忘れるのだけれども、》
時間(時刻って言った方が適切かな?)は僕にとって、
その最たるもののひとつ。
他に毎日開く新聞や、
本屋の前で手にする雑誌の数々。
特に見たいとは思わないが、
テレビに流れる映像、ニュース等。
時間(時刻)を気にする人間の性(欲?かな)って
何から来ているのだろう?
生まれてから、時計の存在に気が付くまで、
当然時間の概念なんて無いわけで、
幼い頃に何かの行動をしている時に、
「***の時間」なんてのがあって他人に
「遅い!」、「早くしなさい!」なんて、
指摘されて、初めて時間の《長さ》や、《短さ》を
知り、その大切さを
認識するようになるのでしょう。それ以来、
やっと自分の中で、
時の流れの《速さ》や時間の《長さ》を
「主観的」な感覚でしか捉えていなかった状態を
「客観的」に視(み)るように、
意識させられるようになるのではないでしょうか。
その後、時間(時刻)の存在を知らされ、
その読み方や数え方を教えてもらい、
ある行動を時間内に終わらせることを要求されます。
それで行為、行動、思考に《区切り》を付けるという
「感覚」を学び、いや覚えさせられました。
そうなのです。
楽しく、面白い状態は「短く」、「速く」感じられ、
「嫌いな」や「苦しい」状態は「長く」、「遅く」感じられますよね。
それら行為、行動、思考が
楽しい、面白い、苦しいといった「感情」
が芽生えて来るのであろうか? よく分からないので、
「時間」が先か「感情」が先かは、
ともかく一旦置くとします。
とどのつまり、自分一人だけの世界の、
生活なら、時間(時刻)の必要性はほぼ無かった訳でしょう。
数をかぞえて時間の長さを
感覚的に捉えることもできるでしょうから。
しかし社会の中に身を置き、集団で生活するようになって、
ある事柄の「統一」や「区切り」を決定する必要から、
時間(時刻)に対して共通認識を持つ必要が生まれて来たのでしょう。
その結果「時間」というものの存在を徐々に理解し、
把握するようになったのです。
そして良くも悪くも本来人間に備わっている機能、
いや本能であった体内時計を無視して
人間の作った時計に、人間の、
いや他の動物たちまでも全ての
「行動」の「始まり」と「終わり」を決定されて、
無理やり、その枠内に押し込まされて、
時間の「強制管理」をされ、始められました。
人間「正確な時間を知りたい」と痛切に思う事って、
一日に何度あるのだろうか?
他人と何か約束している時は当然必要です。
それは他人と「同じ時刻」を認識する必要があるからです。
世の中の人口が増加して、
「時間」の流れで動く社会になったからでしょう。
人が1時間単位、いや分単位、いやいや秒単位、
で行動するようになってからでしょうか?
忙しく行動するようになってからですよね? きっと。
上役の誰かにある時間内に、
仕事を済ませるように
強要されるようになってからでしょうか?
その後、時間に対して世界中の誰もが、
「ある共通認識」、
「皆が共有できる時刻」
を持つ必要性ができてからですよね。
ということは、「時間の長さ」を決定した
「時間の単位」が発明された、ためですよね。
それは、一日=24時間、一時間=60分、1分=60秒、や
一年=365日、一年=12か月、1月=約30日、てもの。
それまでは、日の出、日没、夜、
新月、三日月、満月、
暑い、寒い等くらいしか区別が無かったのでは?
ないでしょうか?
しかし生きていくために、
作物の栽培の必要性、
定期的な天災や水害など
災害を防止するための予測の
必要性から「カレンダー」が作成されました。
その後「時計」が発明されました。
人間がより便利に豊かに生活できるようにと
英知を結集して作り上げた「発明品」の数々。
「時間」「時刻」を誰にでも
認知出来るように考え出された「時計」。
しかしその後、その発明品の「時計」に
人間は支配され、追われて、翻弄(ほんろう)され、
ドタバタと動かされ、強く影響を受けてしまっている。
そしてその今日を生きる現代人。
人間が発明したものって、
反対に自分たちを苦しめてしまう物の多さに
本当に驚かれされてしまいます。
そのようなものって、
時間の他に、お金、武器、薬、などがあるかな?
そして不思議なことに、
時間も物として捉(とら)えられるようになって、
自分の時間とか他人の時間と区別されるようになって、
「時間」を切り売りして「お金」に
変える「生き方」が考案されて、
現在その生き方が
社会の大多数を形成している。
時間をお金に換算する「時給**円」なんて言葉が出来た。
最も昔から時間は命の次に大切な物と考えられていました。
ゆえに、「時は金なり」、「タイム イズ マネー」のことわざが存在しています。
しかし一方で、それほど大切な時間が
軽んじられている傾向もあります。
「暇つぶし」って状態です。
なんなのでしょうか?
「時は金なり」の反面「暇つぶし」である「時間」の存在。
生まれて、誰にも平等に
与えられた生涯約90万時間。
改めて考えよう!
「何を考えよう」、
「何をしよう」、
「何を食らおう」、
「どこに行こう」、
人生は何事も有限なのです。
今日も洋楽3曲紹介します。
ではここまで。近藤浩二でした。
ビートルズでペニーレインです。
すいません。よく紹介してます。だって好きなんだもん。
1967年リリース。ポールの作品。全米NO.1獲得。全英2位。
アルバム「マジカルミステリーツアー」より先行シングルカット。
ジョンの作品「ストロベリーフィールドフォエバー」との両A面。本国英国では2作目のシングルより13作目まで連続no.1の記録が途切れた不名誉な14作目のシングルとなった。
ピッコロトランペットが印象的。
ペニーレインとはリバプールの遊覧バスの事らしい。
ポールのこういった曲を聴くと、本当にポップソングを作らせたら天才だなとつくづく思う。
覚えやすくてキャッチーで親しみやすくて、優しいメロディー。
ジョンの作品は、少し重たいヘビーな側面があるため、
ポールの軽妙で明るいポップな曲を聴くと
ウキウキするし、本当にほっとして落ち着く。でも飽きやすい。
ティモシーBシュミットでソーマッチインラブです。
1983年リリース。際立ってヒットしなかった。
カバー曲。透き通った美しい声の持ち主。
ポコやイーグルスのメンバー。
青春映画「リッジモンドハイ」の挿入歌。
オリジナルは1963年タイムスによって全米NO.1。
結婚式などで歌われるスタンダードナンバー。多くの歌手にカバーされている。
20代後半大阪の地下街を20前の新入社員と
二人で歩いていた時に、流れてきました。
彼女が「私こんな歌大好き」との発言に
CDショップに立ち寄り、後日プレゼントしたことを思い出す。
でも青春の苦い思い出でした。
ホイットニーヒューストンでグレーティスラブオブオールです。1985年リリース。全米NO.1.
デビューアルバム「そよ風の贈り物」からシングルカット。同アルバムから3作目の全米NO.1.カバー曲。
原曲は1977年プロボクサーである
モハメッドアリの自伝的映画「ザグレーティスト」の主題曲。
ヒット曲多発のヒットメーカー、マイケルマッサーの作品。
彼の知人のジョージベンソンがパフォーマー。
1986年独身時代、会社の寮で朝、大音量で聞き入っていると、台湾人にドアをノックされて「近藤さん、ちょっとうるさいよ!」ドアを開けると「でも、すごく良い歌だね!」懐かしく思い出す。
当時MTVのライブでモハメッドアリが同席して、曲紹介で、
「私が生まれた時には、もうすでにモハメッドアリはヘビー級ボクサーのチャンピオンだった」と述べて笑いを誘っていました。