批判するほど善い?、豊かだ、平和なのだ

ちょっと前まで、僕の周りや、

僕自身、頭の中でも、

「批判は良くない!!」といった考えがありました。

「悪口」を言うてる、と同じだと。

行き過ぎると、

批判ではなく、

「否定的」になるから。

つい批判をしてしまうと、

だからってことで、逆に、

こちらが「批判」を受けるという、

矛盾を感じる事もよくありました。


しかしよくよく、考えてみると、

「批判するほど善(よ)い」と考えるようになりました。

実際当人に、

意見を述べるということでは無くて、

自分の考えを

熟考(じゅっこう)、再考してみる

ということです。

認知症**おばさんですが、

  • 何を食べても一言「美味しいーー」。
  • 誰を見ても不思議と「可愛いーねえ」。
  • どのような景色を見ても判で押したように、

「わあ、きれいーー」なのです。

《悪口じゃ無いです。参考です》

なので、我が家は、いたって平和です。


確かに、「美味しい」、「可愛い」、「きれい」、などは

誰に言われても快(こころよ)い、不快にさせない、

心地良い言葉です。

でも、何かの感想を求められた時に、以上のような

心地良い言葉を発している

時ってきっと、

人は何も考えていない状態ではないでしょうか?

おそらく頭の蓋(ふた)を取りはらって、

ひっくり返して、グラスに注ごうとしても

その言葉以外に、

何も出てこないのではないでしょうか?

その時「私、何も考えていません」状態です。

と答えているのと同じでしょう。

《それらの言葉は特に考えなくても、自然と口から出ます。》

《とても楽でストレスフリーですから》

ほとんどの人は、

それ以上考えを、

掘り下げて聞いてこないですから。

《実際本当に

それしか考えていない人も居ますか?》。

でも、「ちょっと待てよ!」や

「確かにそうだ、その理由は?、それ以外に?」、

「いやいや、それはおかしい!」等と

思った時には、頭の中は間違いなく、

忙しくグルグル回っているのではないでしょうか?


以前ある人と一緒に、

食べたり、見たり、聞いたり、したのです。

その後で、

感想を求めらる時がよくあったのです。

《おそらくみなさんの知らない人です》

その時僕はほとんど、偶然にも、

その人とは異なる意見を述べていたのです。

しかしです。なんとその人、

「素直じゃない!!」、「心が腐っている!!」など

の罵詈雑言(ばりぞうごん)とともに、

説教し始めるのです。

《こういう人って割と多くないですか?》

《ほんとに素直に言っただけなのに!!》

《とっても不思議》、

《だったら聞いてくるな!!》、

《人に意見求めるな!》って僕いつも思っていました。

そう言うと、いつも喧嘩(けんか)になるのでした。


以前の職場の上司で似たような人がいました。

自分が荒唐無稽(こうとうむけい)なアイデアを

延々としゃべって、討論が許されない。

その商品化を部下に強要して、

出来なければ人をののしる。

しかもまず絶対他人の意見に耳を貸さない。

《おそらく他人の話が理解できなかったのでしょう》

もう開(あ)いた口が塞(ふさ)がらないのです。


世の中は千差万別です。十人十色なのです。

人の数だけ考えが違うはずなのです。それが当然なのです。

70億の人がいれば、

70億通り近くの考えがあって当然でしょう。

だけれども、

そこに自分に都合の良い

考えだけを受け入れて、

それ以外は「悪」と決めつけるのは

どうかと思うのです。

自分と異なる意見があるということは、

自分の意見がまだ不完全かもしれないのです。

改善の余地が残されている証拠。

進歩が出来る証(あかし)な訳でしょう。

考え直したりしないのでしょうか?

《自分を「絶対神」とでも、

思っているのでしょうか?》


アメリカが世界一の大国になった理由は、

個人を尊重したからですよね。

人の地位や名誉、財産、

有名、無名にとらわれないで

「相違」、「違い」を認めて

「自由な発想」を尊重して、

周りが応援したからこそ

多様な民族、文化が混在出来てるのです。

しかもどの分野も世界でトップレベルなのです。


民主主義の「良さ」は絶対そこにあるわけで。

全体主義は良くないわけで。おっと、

《政治的な話は分からないのでやめよう!》


「馬鹿」の定義は、

正しい行動をしない。

または愚かしい行動をする、

などではきっと違ってて、

「何も考えない」

事を言うのではないでしょうか?

エドガーケイシー曰く、

「何もしないより、

何かをして失敗する方が、

はるかにましだ!」

意味合いは少し違いますが。

しかし何かの「考え」を持たないと

「行動」も出来ませんよね。

何事も、《アイデアありきです》

僕は「考えよう、自分なりの何かの考えを持とう」

とも解釈しています。

《当然行動することが、

一番大切な事なのは言うまでもありません。》


実際僕が今書きつづっているこのブログにも、

偏見に満ちた、

独善的で独(ひと)り善(よ)がりだと

批判を浴びそうです。


でも「悪口」って、

不思議なことに

楽しくて、話が弾む、

酒のあてに格好(かっこう)

だったりすることもありませんか?

こんなこと本気で感じてる、

僕って最低?

《自覚あるので、極力避けています。》


様々な情報書き過ぎたために、

焦点がぼやけたので、

再度要約します。

意見が異なるという事は、

議論の余地が残されているという事です。

そして自分の意見に対して、

批判が生まれる時があるかもしれません。

それは自分にとって好ましくない事かもしれません。

しかしそこで相手の意見を

尊重して聞くことで、

自分の考えを見直すことが出来る訳です。

すると、おそらくお互いが向上し合う

ことが出来ると思うのです。

僕はその過程である

「批判となる考え」を持つ意識が

大切なのではないかと考えているのです。

「批判的」であれ!

と言いたいわけでもありません。

考え抜いた事が、

たまたま批判的になることがあるかもと。

そしてお互い刺激し合うことが、

切磋琢磨になるのでは? ないのかと。

根本的に、討論が嫌いな人も居てます。

その時はあきらめるしかないのかな。


今日も洋楽3曲紹介します。

ではまた。近藤浩二でした。


リンダロンシュタットでイッソーイージーです。

1977年リリース。全米NO.5位の大ヒット。アルバム「シンプルドリーム」よりシングルカット。原曲はバディーホリーの作品。カバー曲、原曲より仕上がりが良い。元気の良いポップロック。

プロヂューサーのピーターアッシャーの功績大。アルバムは全米NO.1。単純明快な簡単な歌詞と乗りの良さから誰でも歌える楽曲。

この頃から米国では音楽業界、空前の好景気でシングルよりLPレコードが爆発的に売れ始めていました。

そのため多くのミュージシャンがシングルよりLPレコードの製作に力を入れ始めました。この後名盤多数世に出る。

彼女歌姫の登場により、僕の女性の好みがぽっちゃり型に変化してしまった。


ビージーズでハウディープイズユアラブです。

邦題「愛はきらめきの中に」。英国の3人兄弟グループ。

1977年リリース。3週連続全米NO.1。全英でも一位。

アルバム「サタディーナイトフィーバー」映画のサウンドトラックに収録。僕が生まれて初めて自分で買ったLPレコード。

その後彼らの新作LPレコードは無条件で購入していました。

このアルバムから初めての全米NO.1.大ヒット曲満載のアルバム。3人のハーモニーの美しいとっても美しい楽曲。

高校1年生当時徹夜で勉強中、朝のラジオ番組で全米チャートで一位になった曲と紹介されました。その後流れて来ました。

余りにも素敵な歌で直ぐに、好きになった事が思い出される。

日本では「メロディーウエア」が大ヒット。名曲多数送り出す。


ジョンクーガーメレンキャンプでジャックアンドダイアンです。

1982年リリース。4週連続全米NO.1。アルバム「アメリカンフール」から2枚目のシングルカット。自身の作品。

大学4年生の時、初めて買ったソニーのウオークマンでずっと聞き込んだアルバム。曲中のアコースティックギターが適度のアクセントと、軽快さと明るさを醸し出していて、効果的で耳に残る。その後30年以上ウオークマン使用中。メイドインジャパンは優秀。