バーチャルリアリティーの考え方ってとっても大切だと思っています。
日本語に訳すと仮想現実。
現実では無いものの、極めて現実に近い状態。この様な状態をバーチャルリアリティーと呼ばれています。
数年前にはよく聞いた言葉ですが、ここ最近はほとんど見かけなくなった言葉ですね。
ネット上で様々な場所が作られ始めた頃には、実際の場所と区別するためにバーチャルと呼んでいました。
現在ではネット上でのコミュニティーが当たり前になっていますから、現実の場所や社会とネット上とを区別する必要がなくなり、バーチャルとはもはや呼ばれなくなりました。
しかしインターネット上だけが、バーチャルではないのは当たり前ですよね。
今現在では、現実には実現不可能な事柄を、現実社会上で具現化して、極めて現実化したものをバーチャルリアリティーと呼ぶようにもなっています。
例えば、戦争などによって敵をミサイルなどで攻撃する体験などは誰彼でも、現実には体験不可能でしょう。
また野生の猛獣を攻撃する体験もバーチャルリアリティーなら可能です。
現実には極めて困難な事柄であっても、バーチャルであれば体験可能であることも多いのです。
グーグルアースと体感装置があれば、世界中をバーチャルで旅行することや空を飛ぶことも海中を潜ることも出来るでしょう。
宇宙旅行だって簡単にできるかもしれません。
実体験しているかどうかなんて他人が認可するものでもないのです。
自分自身の脳内が認識するかどうかなのです。
そう考えるならば、脳内に特殊な信号を強制的に送って特別な映像や体感を与えてやればいいのではないだろうか。
近い将来現実では無いにしても、仮想上で様々な事柄が体感できるような社会がやってくると考えても不思議ではないでしょう。
現実社会では到底実現不可能な事柄を、せめて空想上の世界だけ(フィクション)でも実現したいと考える「欲望」を空想力が実現させることで、ある意味ではその空想力が社会を「平和」足らしめている力でもあるのです。
本当にこの世の現実においては、肉や物質しか受け入れない人間が意外と数多く存在します。
バーチャルリアリティーをある程度理解しているにも関わらず、金品と交換してまでは、体験しようとしない人達も存在します。
しかもそのような人達に限って以外に、目に見えない、科学的根拠の全くない非科学的なものである「魂」とか「超非現実現象」を取り上げて、現実の事のように話題にするものなのです。
人間はある一面においては極めて現実的であるにもかかわらず、一方では科学的根拠の全くない、自分に都合の良い、漠然とした占いや未来予想を盲信的に信じこむものなのです。
ほんとに人間とは両面性を併せ持つ不思議な生き物です。
「現実的」とか「非現実的」もそうですが、「善人」であるとか「悪人」においても不思議です。
人間とは、他人のためになる良い事もたくさんしておきながら、一方ではある人にとっては悪い事も平気でたくさんする生き物なのです。
バーチャルリアリティーの話から人間とは本当に、多面性を併せ持つ興味の尽きない生き物であるとつくづく思うこの頃です。
今日はここまで。ではまた、近藤浩二でした。