枕草子に教えられたこと

いきなりですが、清少納言に物申す。

昨日、古典の傑作清少納言の「枕草子」を久々に読みました。もし、当時ネットがあれば彼女は間違いなく人気ブロガーだったでしょう。

「春はあけぼの」、「夏は夜」、「秋は夕暮れ」、「冬はつとめて」ですよね。今は立春を過ぎた頃なので、春ですが、現代人で今を春と考えてる人は少ないでしょう。どちらかと言えば冬ですね。


「冬はつとめて」

冬は日が明けた直後が趣があるって言うてますが、寒くてもう少し布団にくるまって暖を取ってから起き出したいものです。

平安時代と現代の時代背景が大きく異なるので比較はできませんし、物の視方も違いますよね。しかし「春はあけぼの」にもあるように、昔の人は早起きで働き者だったのですね。感心です。とっても寒いのに、眠たいのに。


僕が考える冬は、晴れ渡る空に、日の高く上りたる南中時刻頃が暖かくなり最も良い。しかも空を見上げた時に、澄んでいてさわやかな空気中に、雲の隙間から日の光が射して、その周りが色づく風景は格別に美しい。と考えていました。

一方、その時間帯は清少納言が冬の昼間は暖かくなってしまって趣が無く良くないと、指摘している箇所なのです。


この時点で僕は「はた」と気付かされました。彼女と僕の意見が全く正反対だということに。これはどういうことかと?

僕が間違っていたと思わされました。汗顔の至りです。


彼女は四季折々の季節を楽しんでいるのです。

僕は季節を楽しむ余裕が持て無くてそこから逃げているのです。

僕は自分中心で物事を捉えているから、自分が快適である状態のみが最も良いと論じているのです。

対して彼女は自然を粛々と全て受け入れて、淡々と生活しているのです。

その自然の良い部分を探し出して季節ごとに自分も楽しもうと考えているのです。

そして物事を的確に分析し文章にしたため、前向きに生きている彼女はやはり偉い。


昔の人は生きていくために自然と共存して暦などを作る必然性があったにしてもです。

ただ「あるがままに」自然を受け入れていたのです。日本は世界でも有数の自然災害国です。発生した台風のほとんどが日本を通過しその爪痕を残します。川は氾濫し土砂は崩れます。

人々はそれが過ぎて行くのをただただ淡々と待つだけだったのです。しかも地震もたびたび起こります。

その後で人々は再び橋を掛け直し、家を建て直します。それの繰り返しで時間が流れました。

昔から現在に至るまでそれらはほとんど変わっていません。復興に要する時間は短縮されましたが。


昔の人はいつも自然と共存していたのですね。現代は短期の内に極度に文明が発達し過ぎたため、自分達の快適さを追求して、暑ければ冷房、寒ければ暖房と家に閉じこもるのです。

その結果、どうすることも、ほとんど何もすることが出来ないにも関わらず、

自然を「あるがままに」受け入られなくなってしまいました。見えない何かに時間を追われているのです。忙し過ぎるのです。「忙しい」とは心を亡くすと書きますが、まさにその通りです。


そのため対象物をじっくり眺めて観察しません。そのため対象物の本質を見抜けないのです。結果、対象物を理解する事が出来ないのです。共存することなく回避しようと考えるのです。

しかも自分を中心に物事を捉えているため、自分は変わらないで、周りを自分に合わせようと無理に変えようとしているのです。

そして、両者の間に摩擦が生まれるのです。その結果、時に対立し合い、溝が出来るのです。

これって、自然に限らず、人間関係等全てに当てはまりますね。気をつけたいものです。


《追記》

しかし「枕草子」の中で、彼女も頻繁に他人の悪口を言ったり、不平不満や愚痴を言ったりしているのです。人間関係においてはやはり昔も今もたいして変わってないのですね。

人間に欲が有る以上、人間の心の在り様に進歩も退廃もないでしょうから。

では今日はここまで、近藤浩二でした。


 

本当の初心者でもホームページの作成にあたって知っておくべき知識

私昨年ホームページ作りに初めて挑戦したのですが、本も買わず、ソフトも買わず、ネットに繋がったパソコン一台で10ページ程のホームページを一か月程で作成し、公開しました。

ホームページの作り方の知識が全く無かった(ほぼ0です)自分でも割と簡単に出来るものだと正直思いました。出来上がったものは正直ダサくて、いけていない、洗練されていないものかもしれません。しかし最低限の目的を果たすことのできる機能は織り込まれています。

取っ掛かりはインターネットの情報だけです。企業ならともかくいち個人がホームページ作るのなら高いお金を払ってまでどこかの企業に発注する必要はまったく無いと強く思われました。これから先もホームページ作成の需要は間違いなく無くなっていくと痛感させられました。それで飯を食っていこうとされている人が居ましたら申訳ありません。正直、時間とホームページを作る熱意があれば、どなたでも作成可能だと思っています。


そこで、ホームページを作る時に最低限知っておくべき知識を述べたいと思います。

仮にサラリーマンやめて、時間は割とありますがお金が無いという方。しかも誰かに使われるのが嫌で自分で商売を営む志があって時代の流れからホームページでも載せてみたい、でもお金はかけたくないって方等が対象です。

まずは、基本的な環境2点です。

1、ネットに繋がっているパソコン一台。

スマホやタブレットでも可能でしょうが、入力やコピ&ペーストやダウンロード、アップロードが厄介です。

2、どこかにサーバーを確保。

これは無料でも構わないですが、出来ればレンタルを借りる方がより良いでしょう。(一月に数百円程度です。)無料だと制限される機能もけっこうありほんとに不便です。(実は僕も最初は無料のサーバーで賄うように考えてましたが、ホームページの問い合わせ項目に入力すれば直接指定のメールアドレスに届くシステム(専門用語でCGIと言うらしいです。)が使えなかったので有料に変更しました。)

2のサーバー確保はホームページの原稿が出来てからで、遅くありません。慌てなくても2のサーバー確保は時間をかけてじっくり選びましょう。ということでホームページ作成へ急ぎましょう。


基本(とりあえず1のネットにつながったパソコン)がそろえば次から作業に入ります。

サーバーにファイルを格納する(アップロード)の方法は後で述べますのでひとまず置いとくとします。

原稿が無ければ話になりませんから、今回は原稿すなわちホームページ作成の方法から話していきます。


まずはホームページ作成の手順


1.ホームページ作成ツールをネットからダウンロード。

Windows付属のメモ帳は絶対に使用しないで下さい。(僕は最初これを使って文字化けを起こしてしまいその対応に10日程取られてしまいました。)たくさんありますが、僕のお勧めはMicrosoft Expression Web 4 です。項目によって文字色が異なり、文法チェックもできます。ここでのツール選びが一番重要です。作成ツールの良し悪しで作業効率に大きな違いが出てきます。参考までにリンクを貼っておきます。http://algorhythnn.jp/blg/2014/04/11/expression_web_4-install/

ページの真ん中あたりにMicrosoft Expression Web 4のダウンロードの項目からダウンロードして、インストールして準備完了です。以下のリンクから取り寄せて下さい。

Microsoft Expression Web 4のダウンロード

Microsoft Expression Web 4のダウンロードはMicrosoftのサイトからダウンロードできます。
マイクロソフト公式ダウンロード センターから Microsoft Expression Web 4 試用版 をダウンロード

01_expression_web_4サイト

expression_web_4サイト

ダウンロードが完了すると、[WebStudio_Trial_ja.exe]ファイルがダウンロードされます。
WebStudio_Trial_ja.exeを実行しインストールを開始します。


これでホームページが割と簡単に作成できます。

作成する前に、ここで注意点を挙げておきます。

  1. ページが5ページ以上ならスタイルシートを使用しよう。
  2. ファイルの種類ごとにフォルダを作成しよう。
  3. 書き始める前に少しの基本の知識は勉強しておこう。
  4. あらかじめデザインを決めておこう。
  5. 大まかな配置も決めておこう。
  6. 背景画像やボタン類などはフリー素材などネットから前持って手に入れておこう。
  7. ノートを一冊用意しておき2~5までは前もってノートで下書きしておこう。 ちょっとした知識やルールも専用ノートに書き留めておこう。

ここで上の項目を少し説明していきます。まずは1番スタイルシートから、


スタイルシートとは? レイアウトとは?


スタイルシートとはファイル名の最後に付く(ドットの後ろに付く拡張子の事ですが)拡張子がcssで終わっているファイルの事です。sample.css 等

そのファイルの役割はウエブページのデザイン(レイアウト)を決める事です。それにはウエブページは大きく分けて、

1、ヘッダー、

2、メニュー、

3、左メニュー、

4、右メニュー、

5、コンテンツ、

6、フッター、

の6個の項目に大きく分類する事が出来ます。ここでそれらひとつひとつの項目の幅、高さ、背景色、文字色、フォント形式などを決める必要があります。スタイルシートを使えば割と簡単に設定する事ができます。そしてページをたくさん作る時、各ページが同じデザイン、同じレイアウトの方がすっきりして見やすいのです。しかも使い勝手が良いのです。加えて作りやすくて編集もしやすいのです。スタイルシートファイルひとつを変更するだけで各ページをひとつひとつ変更する必要が無く変更できるのです。

項目のレイアウトは概ね上図のようになります。

メニューは左右どちらでも可能ですし、左右両方置くことも可能です。その場合当然コンテンツの幅が制約を受けて狭くなります。ここで各項目の記述内容を記載しておきます。

  • ヘッダー:当サイトのタイトルロゴとその簡単な案内です。
  • メニュー:各ページコンテンツの内部リンク、最も注目してほしい内容へのリンク
  • コンテンツ:本文
  • フッター:サイトの紹介文、各ページへの相互リンク(よくある質問、お問合せ等)

様々なホームページに訪問してみて確認するのも勉強になって楽しいものです。

これは概ねの傾向ですので、どのように何を書いても自由なのです。


次は2番です。まずは○○のホームページとでも名前を付けてフォルダーをひとつ作りましょう。そのフォルダーに作成したファイルを格納していくのです。さらにそのフォルダーの下層にスタイルシートのファイル(拡張子css)だけを格納するフォルダーを作成します。名前はcssで良いでしょう。さらに画像ファイルだけを格納するフォルダーも作成します。名前はimagesでも何でも良いでしょう。画像ファイルは基本的には拡張子がjpg、gif、png、bmpの4種類のファイルです。これらのファイルはひとつのフォルダにまとめて格納しておきましょう。

またファイル名は出来るだけ簡潔に短くリネームしておきましょう。通し番号をファイル名の最初か最後に付けておくと管理が楽です。例えば、001_button.gif や button001.jpg 等としましょう。

  • ホームページ
    • css
    • images
    • content001
    • content002
    • 等など
    • index.html

上のような形でフォルダを作りファイルの種類ごとやコンテンツの種類ごとにまとめていきましょう。ホームページフォルダの下層にはフォルダの他にホームページのトップページである、index.htmlファイルも格納するようにしましょう。


次3番です。ホームページ作成のため少しの知識を覚えておきましょう。

  • ウエブページの作成にはhtml(hyper text markup languageの略称)が使用言語です。と言っても特別な文字を使う訳ではありません。キーボード上にある文字ならどれでも使用できます。ただし、意図する内容をネット上に表示するためにはルールに従わないといけません。ここで簡単に知っておくべきルールを記しておきます。
  • HTMLファイルの作り方ですが、「.html」という拡張子をつけることで、HTMLファイルであることをコンピュータが認識してくれます。(例 index.html)

1、必ず次のようなタグではさんでいきます。

<○○>ここに表示させたい文字や画像を入れます。</○○>

<○○>を開始タグと言い</○○>を終了タグと言います。

通常は<○○></○○>のセットで使用します。○○には共通するコマンドが入るます。例えば、

見出しの文字を書くときは、<h3>ホームページ</h3>を使います。hの後の数字で文字の大きさが決まります。

ここで忘れてはならない事は、タグは半角で書くことです。

半角です。全角で書かないように。

大きい順にh1、h2、h3、h4、h5、h6、となります。

<h1>ホームページ</h1>

<h2>ホームページ</h2>

<h3>ホームページ</h3>

<h4>ホームページ</h4>

ウエブ上では次のように表示されます。

ホームページ

ホームページ

ホームページ

ホームページ

となります。

もし全角で書くとタグのコマンドは無視されて以下のようにウエブでは表示されてしまいます。
<h5>ホームページ</h5>


ここで代表的なタグを表しておきます。

  • <p>一つの段落です</p>
  • <br>これは改行を表します。

このコマンド改行は終了タグの</br>は必要ありません。したがって改行したい文章の最後に入れます。すると次の段が改行されて新しい段の最初から表示されます。例えば、

ホームページでした。<br>次はメニューです。

の場合以下のようになります。

ホームページでした。
次はメニューです。

またこれは、<p></p>で代替可能です。

<p>ホームページでした。</p>次はメニューです。

ホームページでした。

次はメニューです。

のようになります。

<br>との少しの違いが判るでしょう。<br>の場合は詰んだ改行ですが、<p></p>の場合は少し間隔の空いた改行になり長文の場合、少し読みやすくなります。使い分けて下さい。


htmlは大きく分けて二つに分けれます。

  1. ヘッド:head
  2. ボディー:body

ヘッドの中にはタイトルのタグを入れます。そのファイルのタイトルを表します。ウエブ上のタブの部分に表示されます。

<head>では、<title>がタブに表示されます。

<body>の中身はそのままタグに従ってブラウザに表示されます。

上図は少し見えにくいでしょうが、赤囲みの部分は<head>の記述で上の部分がタブの部分です。また青囲みの部分は<body>内の記述で右の部分の青の囲みのような表示です。

<html>

<head>

<title>○○のホームページ</title>

</head>

<body>

<h2>htmlの書き方</h2>

<p>はじめてのhtml</p>

</body>

</html>

のような記述になります。


一日では書ききれないので今日はこれくらいしておきます。

続きはまた明日、ではまた、近藤浩二でした。


 

対人関係に疲れた時の対処法

今日はまず初めに報告があります。

僕はなんて意志薄弱な人間なんだ。簡単な誘惑に負けてしまいまました。自己嫌悪に陥りそうです。

三日前から続いていたテレビを点けないという状態が本日で止まっちゃいました。最低でも一週間は続くと思っていましたが。

しかも二日間点けなかったので、今日三日目になんと三日分まとめて、視てしまいました。

人間は本当に誘惑に弱いですね。あの有名な偉人でさえも、

一人の女性によって人生が終わってしまいましたから。気をつけたいものです。


テレビをよく観てた時期アナザースカイて番組好きでした。

アナザーていう事ですからもうひとりの自分です。普段周りの人に見せてる自分とまったく違ってるもう一人の自分。

たぶんそっちが本当(素)の自分なのでしょう。普段周りに見せている姿は本当の自分じゃない場合って多くないですか。

でも、どんな人であって人に合わせて意識的、無意識的はともかくとして、少なからず自分を作ることってあると思います。また、そうして自分を作ることが本当の自分で、作らない自分は偽の自分って人も居てるでしょう。

周りの人に合わせて作りだしてる偽の自分。しかもかなり無理して作り上げてる人も居るでしょう。しかもそのような人が仕事人間だったら大変でしょう。へたをすれば人生の半分が偽の自分で生きている事になりますよね。

これじゃ気の休まる時間はほとんど無いでしょう。

もしそんな自分を作り続けていたら必ず何処かに支障をきたすのは時間の問題でしょう。僕はそのような人を何人か見てきました。本人には自覚がなく条件反射的に脳が指令を出しているみたいです。このような人達に共通する傾向があるようです。

1、何事に対しても真面目であるのです。

2、どちらかといえば、口数が少ない。

3、特にこれと言って人に自慢できる余暇の過ごし方が無い。趣味が特に無い。

4、気のおけない仲間が少ない。

5、どちらかと言えば仕事人間であるのです。

6、笑顔が少なく、笑うことがあまり無く、表情が豊かでない。

あれ、これって自分自身にも当てはまるかもしれないって思っているあなた(実は僕自身もこれに該当しているかもって自分で特徴上げているのにもかかわらずドキッとしたのでした。)


すいません。

本当にごめんなさい。

申訳ありません。

アナザースカイってもう一人の自分じゃないですね。自分自身にとって今居る場所以外の、もうひとつの居場所のことですね。間違えてしまいました。ここまで読んでくれた人はその番組の事を知らないのか、それとも本当に優しい人なんですね。

もうひとつの自分の居場所で自分を取り戻そう。って事なのかな

これも間違いのような気がしてきました。

教訓です。自分のよく知らない事は語らない方が良いですね。


もし仮に今の自分が疲弊してしまったとしたら、精神も身体の両方を癒してくれるそんな場所を見つけてみましょう。

あなたにもきっとありますよ。探してみましょう。って提案しているのでしょうね。

これも違っているのかも。


今日のテーマがよく見えてこないぞ。でも今思った事を書きますね。


確かにどんなに社交的で魅力的な人であっても、苦手な人やあまり好きでない人は必ず一人は存在するでしょう。そのような時には人間は必ず自分を守ろうとして軽い拒否反応を起こすはずです。

しかしながら、そのような人とも付き合わなければならないとしたら、

好むと好まざるとに関わらず違う自分を作ってその場を乗り切ろうとするはずです。


なにも本来でないもうひとつの別の人格を作ることが悪いことで本当(素)の自分のままで居続ける事が善(正義)と言っているわけではありません。また、そのふたつが全く両極端に位置する存在であるとも思っていません。

どちらであってもそれは自分自身であるのだと僕は思います。

それは、どちらの自分も自分の心が作りだしたものだからです。


人間のの性格なんて生まれついて8割は出来上げっているでしょう。その後の人生で作り変えられる要素なんてほんのわずかでしょう。

ただし、社会的に人と付き合う要素は、言い換えれば人間関係の形成には、性格はあまり関連性が無くて、むしろその人の今まで生きて来た経験や価値観、常識から来る、思考パターンや行動パターンに影響されると考えています。


僕の場合、人間関係は第一印象でほとんど決定します。この人はどちらかと言えば好きで友達になれそう、でもこの人は苦手で好きじゃないって、初対面でほんの一分で決まります。

そして前者の人は不思議と無理をしなくても人間関係が築けます。一緒に居ても楽なんです。

しかし後者の人は無理をするんですね。そしてだめなんです。どんなにしても居心地悪いんです。とってもしんどいし疲れるのです。


そのように疲労困憊した時は(ストレスと感じた時)

1、不思議と食欲が出てよく食べます。

2、よく寝ます。

3、本当に親しい人とよく話します。

4、お気に入りの音楽を聞きます。

5、ドライブに行きます。

6、とにかく、外出します。

7、とっても良くないことで、自己嫌悪になる時がありますが誰かを攻撃するのです。

これらは全て脳内物質の快楽ホルモン(ドーパミン)を分泌させるのです。


ポイントはこのドーパミンを分泌させる行動をすることです。自分の経験でどんな時に快楽を味わえたか考えてみると、誰にも二つや三つはあるはずです。

3、4、6は僕のお勧めです。おそらく、7番が一番効果が高いでしょうが、一緒に話す相手が必要です。そして共通の敵が必要です。しかも話してるうちに自分達が嫌な奴に思えて虚しくなってきます。覚悟のある方どうぞ。


何を言いたかったのか今思えばよく分からなくなりましたが、今日はここまで、ではまた、今度、近藤浩二でした。


 

初めて○○した人ってすごい!

人類の歴史には偉人と呼ばれる人々はたくさん居てますが、それらの人々にも負けず劣らず, 名もなきすごい人達も居ると思います。むしろこちらの人達の方が僕個人では偉いと思います。


例えば、初めて様々な食べ物を見つけだした人。

初めて火を自由にした人。

初めて海に潜った人。

初めて動物を殺して食べた人。

初めて言葉を考えた人。

初めて文字を作った人。

初めて単語を作った人。

等々、初めてシリーズです。


その中でも、僕個人としたら火を自由にした人が一番すごいと思っています。

ここから以下はあくまで僕個人の想像です。

初めて火を見た人は驚愕したであろう。何だろう?っと。

最初は当然人為的以外でしょう。

目にする機会は、自然界での落雷による木々や動植物の燃焼時。

または、火山噴火による噴火物やそれらによる二次火災時ぐらいかな。

ほとんどの物の形を無くして黒こげにしてしまう。これは一体何物なのだろうかと考えたでしょう。

初めは敵と判断して立ち向かっていったでしょう。

そして火傷を負ったりしたでしょう。最悪焼け死ぬ人達も数多くいたでしょう。

結果的に、逃げ迷うだけだったのです。

その中で観察力のある人が気が付くのです。そう火の弱点に。

火は海や川では広がらずなくなってしまうものである事に。

その結果、少しではありましたが、火を抑制することが出来るようになったのです。

その次は火を作りだそうと考えたのです。

体験的に何かが身体にこすれると熱くなり、火傷を負った時と同じ状態になることなどから判断して、ある物と違うある物をこすること数万回、やっと煙が発生するとこまでたどり着きます。

そこからはたまた数万回の試行錯誤でようやく種火になりました。それを樹に広がらせ、消えないように数万本の木に移し替えていったでしょう。しかし不運な事に、雨が降ったり水がかかってしまい火は消えて無くなってしまいます。

そしてまた最初から試行錯誤で数日かけて火を起こします。そしてまた消してしまいます。大変な労力です。嫌になるでしょう。

ここで革新的で器用な人が出てきます。試行錯誤を幾度も繰り返します。火を起こすためだけの道具を発明します。

やっとのことで、火を起こす時間が大幅に短縮されました。

その結果、人々は火を自由に出し入れ出来るようになったのです。しかも火の使用用途の多さに喜んだのでした。

おそらく、火を自由に扱える人達は他の人達を従えるようになったのでしょう。

このように、現代のように情報や知識がほとんどまったく無かった時代に、

経験と思考力と情熱のみで、生きていくためだけの動機付けで、

長い月日をかけて火を自由にした人の偉さと苦労は並大抵ではなかったであろう。

粉骨砕身、悪戦苦闘だったのだろう。火が起こるまでのその人の心の内側は如何ばかりであったろうか?

火が必ず起こる保証はどこにもないのである。

これで最後にしようと何度考えたであろうか。

いつかは必ず火が起こると信じていたのでしょうか?

生きるためとはいえその精神力の強さには脱帽です。

いつの時代であっても、何か新しい物を生み出す人達はひとつの例外もなくそうなのでしょう。


当時の人達は現代の人達よりも精神が強かったのでしょうか?

割合で言えば高いと言えるでしょう。

確かにある程度文明が構築された時代においては、たとえ自分の経験や知識が浅くても先人たちが築いてくれた知識や知恵によって、何かを生み出すことは少しは容易かもしれません。

しかしながらガリレオが地動説を言い続けることや、コロンブスが新大陸を発見したことは、当時としは驚天動地のような驚きだったはずです。


いつの時代においても初めて○○○する人は必ず存在するのです。そしてそのような人達は自分自身のためだけにとどまらず、自分自身でも分からない何か強いものに揺れ動かされているのでしょう。

その上に自分をどこまでも信じ、少しの知恵と強い勇気、大いなる大胆さを持ち合わせた類まれなる人達だったのです。


寒くて起き上がってストーブを点けて、寒さをしのぎながら燃える炎を見て便利な時代の中で生きていけることの幸せを感じながら、今朝考えた事柄でした。


今朝からもテレビは見てません。その調子で頑張ろう。

ではまた明日、近藤浩二でした。


 

 

テレビを視ない恩恵を得ましょう

これは物心ついて初めての体験でしょう。

今日は朝起きてから一度もテレビを点けていません。

僕に限らず同居人もテレビを点けません。

間違いなくこれは生まれて初めての体験です。

悪い習慣から少し脱出しそうです。


居間の部屋でパソコンを前にしています。本当に静かです。

聞こえてくるのは、時たま家の前の交通量の多い道路から聞こえてくる、車の走るサーと言う雑音だけです。

時間の流れが普段よりかなり遅く感じます。

しかも自由な時間が一杯あるようです。

わずかですが幸福感を感じます。なんだか少し得した気分です。

そして何かしていないと落ち着かないのです。

学習塾のために英語のライティングの勉強始めました。

他人のブログを100以上速読しました。

またブログを久々に続けてみようと思いました。

文章を書くという作業が自分にとってどのような意味を持っているのか改めて考えなおすためです。

1、文章を書くことが楽しんでできているのか、それとも嫌々でしているのか。

2、文章を書くことが自分は、どちらかと言えば、好きな事なのか、それとも嫌いな事なのか?

もしふたつの質問において、どちらも後者ならばブログは続けても仕方ないでしょう。仮に前者に近いならばこれから先もずっと続けていこう。これを自分に問いかけてみようと思ったのです。


結論を書きます。テレビを視なくてよかった事。

1、時間が長く感じる。

2、自由な時間がかなり増える。

3、少し幸福感を味わえる。

4、読書の時間が増える。

5、静かな空間で物事を考える事が出来る。

6、電気料金が安くなる。

7、時間に縛られない。

8、相手をさえぎって話をしなくてすむ。

9、仕事に集中できる。

10、就寝時間が早くなる。

11、朝が早くなる。

12、寝床に入ってあれこれと考える事が少なくなる。

13、寝付きが良くなる。

14、食事に集中できる。

15、消化に良い。

16、目が光の刺激を受けなくてすむ。

17、不必要な情報が入って来ないので欲しいものが抑えられます。

18、そのため出費が減ります。


等々です。

今までの人生、なんともったいない事をしていたのか、考えさせられました。ちなみにテレビを視ないと家族との会話が増えると思ってる人がいるでしょうが、それは幻想です。まったく増えません。我が家では以前と同じでまったく変わりません。

いつまで続くか分かりませんが、ぜひ視たい番組まで続けてみます。

このようにして少しづつでも、悪い習慣を絶ってみたいと思います。ではまた、近藤浩二でした。


 

 

 

今の教育ってホントに正解?

先日塾で入試を控えた中学3年生に対して、英語の単語復習の勉強をしていました。

「バラは英語で?」「?????」「ユリは?」「????」「いとこは?」「????全部習ってません。」

実際には地域によって教科書が違っているために習う単語が異なっているだけの事らしいのですが。


僕は何気に「ゆとり世代か、、、、」とつぶやいてしまいました。悪気などまったく無かったのですが、その場に居た生徒全員の反感をかったようでした。

「先生、それって差別。学校の先生も何かって言うとすぐに、ゆとり世代だからって、それって卑怯です。」「私達がゆとり教育望んだわけじゃありません。今の大人が勝手に決めたことでしょう。それを無理やり押し付けといて、都合の悪い時には、ゆとり世代がってすぐ言うのよね。これっておかしくないですか?」

その時僕も彼らの言い分も理があると思ったから無理に言い返そうとはしませんでした。そして少し勉強を置いて一緒にそれについて考えてみることにしました。

まず、我々が学生の頃は一日6、7時間授業は当たり前、しかも土曜日も午前中は授業がありました。学習塾自体がほとんどなく通ってる生徒もほとんど居なかったと思います。それでもほとんどの生徒が希望する高校へ進学できていました。

当時は中学校の時に、すでに自分の事に関して、勉強に向いている向いていないを本人だけでなくや家族、先生達も判断されていたのかもと思います。しかもそれについて何の疑問も抱かず人生を送っています。


「私、数学、科学は大嫌い。高校入ったら数学と科学は勉強なんか絶対しないの、計算式出てくるから。でも進学高校は行くの。私の知り合いがみんなそこの高校の卒業生だから。入るのだけが目的。そこの高校の制服着てないと周りの人にバカに思われるから。」と、ある女子生徒が言っていました。私は少し悲しくなりました。

物事に対する疑問符を持たず、学問に対しての好奇心もない彼女に、進学校に進む正当な理由など見当たりません。世間に対する見栄と体裁だけが彼女が勉強をする動機なのです。


また別の女子生徒は「先生私は***大学に絶対入るの。そして大学生で歌手になって有名になるのが夢」「先生なれますよね?」「私頑張るから」

僕は無責任にも「うん、+++ちゃんなら、大丈夫と思うよ。」

これって嘘ですよね。いくら頑張ったからといって夢が絶対に叶う確証はありません。努力は頻繁に嘘をつくのです。

まず目指す大学に入れるかどうかですが。頑張っても入れるとは限りません。その理由は大学には定員があるためです。成績上位数パーセントの人間しか入れません。

次に歌手になりたい夢ですが、これは努力の要素はほんのわずかです。

生まれついての才能のある者には残念ながら勝てません。

また別の理由として、歌手になれるかどうかは宝くじに当たるかどうかと同じような問題で運だけの要素が運命を左右させ、努力にはほとんど関連性はないからです。お金や権力があればそこそこ実現は可能でしょうが。しかしそれは本人の望む物とは違うでしょうけど。

悲しい現実として、現実社会の、物事のほとんどの実現性は努力で可能性を高めることは簡単には出来ないのです。

とどのつまり努力だけでは才能や強運には到底かなわないのです。


話を戻します。ゆとり教育の前は詰め込み教育と言われています。

今までの歴史で人々が積み重ねて来た知識だけが、さも絶対の常識であるかのように一方的に半ば強制的に記憶させられました。その結果ここ日本において我々はその知識を疑うということを知らず、新しい発見や発明への扉を閉ざすという弊害を生んだのです。有識者と言われる人達の一部の見解です。

そこでこの閉塞感のある教育を打破しようとしてゆとり教育、おそらく時間にゆとりを持たせて自分で考える力をつけさせようとしたのでしょうが、机上の空論です。

一方で社会は相変わらず学歴重視です。

しかも教壇に立つ先生が詰め込み教育の申し子です。

教科書の内容と授業時間を少し削り、教育の理念を打ち出さないままでは変わりようがありません。

そしてゆとり教育にも限界を感じ、最近また詰め込み教育のような時間割に変えようとしています。


日本で最も賢いと考えられる人達のある集団が、高いお金と時間をかけて熟慮しているから、

完璧でなくてもそれなりの良くできた教育プログラムを考えてくれることを期待して待つことにしよう。

我々にできることは知識を絶対の常識として押し付けるのではなく、

子供たちの疑問や好奇心にひとつの考え方を提案してやるだけで良いのでしょう。そこから先は自分で悩み考え、自由に自分の進む道を選択していくでしょう。我々はそれを応援してやるだけで良いのでしょう。そう学問とは読んで字のごとく、問うて、学ぶ物だからです。

それの繰り返しがその子の、将来進みたい道を決定していくのでしょう。

ひとつの教科、しかもわずかの内容だけでその教科の向き不向きは決めれません。しかし学校ではテストが良くなければ、その子はこの教科に向いてないと判断を下し、しかも本人もそれを納得してしまいます。嫌いな教科を作ってしまいます。

これでは可能性の芽を摘んでしまいます。まだ時間がかかるかもしれないけれど、栄養が十分行き渡っていない上につぼみにもなっていない小枝を折ってしまうようなものです。もしかすればどの木々よりも一番大きく綺麗な花を咲かせるかもしれないのに。

弊塾に来てくれた子供たちには時間の許される範囲で学問に興味を持ってもらえるように、好奇心を育んでいこうと考えています。


しかし今の社会の常識が破壊され、まったく新しい社会の常識が出現し国民の大多数の考えや常識が変化しない限り、ほとんど記憶力だけが優れた生徒を優秀な生徒とする現行の教育では生徒(人間)の評価の視点は大きく変わらないのでしょう。残念です。