偉い人って数多く居てますが、どんな人を言うのだろうか?
早速ウイキペディアで調べてみると、「歴史に遺るような、並外れて優れた人間のこと」と記述されてました。
僕が子供の頃、伝記と言われるような本にその生涯が物語になっている人を偉人と言うのでしょうか。誰が判断しているのでしょう?
偉人は時代によって、つまり世代によって異なるでしょう。
また国によっても変わるでしょう。
そして価値観が変化すれば、それに従って個々の人達の考える偉人達も異なるはずでしょう。
また、誰もが知っている人以外にも、自分の周りの自分だけが知っている偉人も存在するはずです。
少し列挙してみます。
- 徳川家康
- 織田信長
- 豊臣秀吉
- ナポレオン
- ジョージ、ワシントン
- 伊藤博文
- エジソン
- ベンジャミン、フランクリン
- ガリレオ
- ヘレンケラー
- マザー、テレサ
- アインシュタイン
- 湯川秀樹
- 坂本龍馬
- ゴッホ
- モーツァルト
- イエス、キリスト
僕が学生の頃、伝記で読んだ人達の一部です。
今の年齢になって感じますが、たしかに名を残すような、並外れた優れた人であるには違いないと思いますが、腑に落ちない人も含まれているように思えてなりません。
今もってそうですが、本屋に行っても、図書館に行っても、児童館に行ってもです。伝記コーナーみたいに区切られて、初めから「この人達は偉い人です」のように押し付けられ、教え込まれて、詰め込まれている気がするのは僕だけでしょうか?
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、ナポレオンなどは戦争で多くの人を殺戮して手に入れた名声です。確かに素晴らしい志や信念に根差した行動であったでしょう。身習う生き方もあるでしょう。僕も信長の考え方やその行動力は驚愕しましたし好きな武将です。
ある国、ある時代ではレーニンやマルクスが尊敬されましたが、
平等を謳って成功した国はありません。
「自由な社会よりも平等な社会が人を幸福にする」とする考えは間違いであることは歴史がそれを証明しています。しかしながらレーニンやマルクスを偉人と捉える人達も数多く存在しました。
現在は自由な社会で資本主義な社会です。ですから「お金持ち」が偉くて偉人であると考えられています。となると後の時代ではビルゲイツや孫正義など金持ちが偉人として伝記に描かれるのでしょう。
たしかに今のような現実的な物質社会において、そこを生きる我々は「有名」、「地位」、「名声」、「権力」、「お金」などを判断材料に人の偉さを測りがちです。もちろんある分野に特別に、際立って優秀で努力したからこそ、成功をおさめ「地位」や「お金」を手に入れる事が出来たのでしょう。それを疑う余地はありません。
でも僕は思うんです。そこに偏りはないでしょうか。ただ自分がそうなりたいと望み、拝められるような人だけが本当に偉い人なのでしょうか?
それは自分には無いもので、もし仮に自分がそれを手に入れる事が出来れば、自分の心の中の穴を埋める事が出来るだけなのではないでしょうか?
世界一の大富豪のビルゲイツはお金持ちになっても幸せにはなれなくて、虚しい心の穴を慈善団体を作って寄付をすることで埋めていったのです。
またフェイスブックの創始者のマーク・ザッカ―バーグも資産の99%を寄付しています。
人はいつも自分に無い物を強く願い欲しがり、すでにもうそれを持っている人を尊敬し憧れるのです。そして偉いと考えるのです。
僕の考える偉人のひとつには、
どれだけ自分の理念にそって生きたかであり、
それは自分に利がなくても、怒りを買ったとしても、
批判されたとしても、理念に沿って生きるのです。
そのうえでどれだけ他人に貢献できたか、なのです。
そしてそれは時代が変わろうが、国が変われろうが、誰からも尊敬される思想であり、功績であって、特定の人達からのみ拝められる偶像ではなく、それは普遍的でなければならないのです。
今日はここまで、ではまた、近藤浩二でした
《追記》先日の日曜日、地元で市議会議員選挙がありました。候補者の中には僕が割と知っている方が出ていました。内心あんな人が議員に成ったらこの街も終わりだと思っていた人達が当選してました。別のある人がその人は偉い人だと言ってたのです。そこで人によって、偉い人の定義は大きく異なるものだと痛感したのでした。