人類の歴史には偉人と呼ばれる人々はたくさん居てますが、それらの人々にも負けず劣らず, 名もなきすごい人達も居ると思います。むしろこちらの人達の方が僕個人では偉いと思います。
例えば、初めて様々な食べ物を見つけだした人。
初めて火を自由にした人。
初めて海に潜った人。
初めて動物を殺して食べた人。
初めて言葉を考えた人。
初めて文字を作った人。
初めて単語を作った人。
等々、初めてシリーズです。
その中でも、僕個人としたら火を自由にした人が一番すごいと思っています。
ここから以下はあくまで僕個人の想像です。
初めて火を見た人は驚愕したであろう。何だろう?っと。
最初は当然人為的以外でしょう。
目にする機会は、自然界での落雷による木々や動植物の燃焼時。
または、火山噴火による噴火物やそれらによる二次火災時ぐらいかな。
ほとんどの物の形を無くして黒こげにしてしまう。これは一体何物なのだろうかと考えたでしょう。
初めは敵と判断して立ち向かっていったでしょう。
そして火傷を負ったりしたでしょう。最悪焼け死ぬ人達も数多くいたでしょう。
結果的に、逃げ迷うだけだったのです。
その中で観察力のある人が気が付くのです。そう火の弱点に。
火は海や川では広がらずなくなってしまうものである事に。
その結果、少しではありましたが、火を抑制することが出来るようになったのです。
その次は火を作りだそうと考えたのです。
体験的に何かが身体にこすれると熱くなり、火傷を負った時と同じ状態になることなどから判断して、ある物と違うある物をこすること数万回、やっと煙が発生するとこまでたどり着きます。
そこからはたまた数万回の試行錯誤でようやく種火になりました。それを樹に広がらせ、消えないように数万本の木に移し替えていったでしょう。しかし不運な事に、雨が降ったり水がかかってしまい火は消えて無くなってしまいます。
そしてまた最初から試行錯誤で数日かけて火を起こします。そしてまた消してしまいます。大変な労力です。嫌になるでしょう。
ここで革新的で器用な人が出てきます。試行錯誤を幾度も繰り返します。火を起こすためだけの道具を発明します。
やっとのことで、火を起こす時間が大幅に短縮されました。
その結果、人々は火を自由に出し入れ出来るようになったのです。しかも火の使用用途の多さに喜んだのでした。
おそらく、火を自由に扱える人達は他の人達を従えるようになったのでしょう。
このように、現代のように情報や知識がほとんどまったく無かった時代に、
経験と思考力と情熱のみで、生きていくためだけの動機付けで、
長い月日をかけて火を自由にした人の偉さと苦労は並大抵ではなかったであろう。
粉骨砕身、悪戦苦闘だったのだろう。火が起こるまでのその人の心の内側は如何ばかりであったろうか?
火が必ず起こる保証はどこにもないのである。
これで最後にしようと何度考えたであろうか。
いつかは必ず火が起こると信じていたのでしょうか?
生きるためとはいえその精神力の強さには脱帽です。
いつの時代であっても、何か新しい物を生み出す人達はひとつの例外もなくそうなのでしょう。
当時の人達は現代の人達よりも精神が強かったのでしょうか?
割合で言えば高いと言えるでしょう。
確かにある程度文明が構築された時代においては、たとえ自分の経験や知識が浅くても先人たちが築いてくれた知識や知恵によって、何かを生み出すことは少しは容易かもしれません。
しかしながらガリレオが地動説を言い続けることや、コロンブスが新大陸を発見したことは、当時としは驚天動地のような驚きだったはずです。
いつの時代においても初めて○○○する人は必ず存在するのです。そしてそのような人達は自分自身のためだけにとどまらず、自分自身でも分からない何か強いものに揺れ動かされているのでしょう。
その上に自分をどこまでも信じ、少しの知恵と強い勇気、大いなる大胆さを持ち合わせた類まれなる人達だったのです。
寒くて起き上がってストーブを点けて、寒さをしのぎながら燃える炎を見て便利な時代の中で生きていけることの幸せを感じながら、今朝考えた事柄でした。
今朝からもテレビは見てません。その調子で頑張ろう。
ではまた明日、近藤浩二でした。