覇者と王者とではどちらが上なのでしょうか?どちらが偉いのでしょうか?
「覇者」とは何でしょうか?
その語源は中国の春秋時代(紀元前1世紀頃)までさかのぼります。「覇」を得たものの総称、武力でもって信を得た者を「覇者」と呼びます。「覇」とは武力、力、権力によって治める事です。
今の言葉で言うとチャンピオンとでも言えるでしょう。
武力でもって一番(上に付いた者)になった者を「覇者」と呼ぶのに対して、徳で持って一番(上に付いた者)になった者を「王者」と呼びます。
もう一度「覇者」と「王者」とではどちらが偉いのでしょう?
「覇者」と「王者」が一致する時もあるでしょう。
意味に従うならならば「覇者」と「王者」の問題は「武力」と「徳」の問題に置き換えることが出来るでしょう。では「武力」と「徳」とではどちらが上でしょうか?それは一概では判断出来ないのです。
と言うのは、人や社会や時代によって評価が分かれるところでしょう。
有無を言わせず一番を決めるには動物の場合、力比べをすれば白黒はっきりついて誰の目にも明らかでしょう。
一方「徳」の場合、その定義は多様なため、比較の判断基準が困難です。そのためどちらが優れているのかそんなに簡単に判断できないでしょう。
当人同士の問題ではなく、第3者の判断に任せないと結論が出ないことになります。時間がかかってしまいます。
言い換えれば力比べをして優劣を決めるのか、力比べをしないで優劣を決めてしまうのかと言う問題になります。単純に言えば戦って生き残った者が「覇者」になるのです。「王者」になるのは戦わなくともなれるのです。しかし特別な何かを持っていなくてはならないのです。それが「徳」と言われるものなのです。
歴史を見ると古代から近代までは戦いで正義を決定させていました。意見が衝突すれば力でもって相手を制圧すれば簡単ですから。
そうすると現在の世界の趨勢は「力」による「覇者」を「王者」よりも上、偉いと捉えることになります。
しかしながら、ここ日本では「王者」が「覇者」よりも偉いとされるでしょう。でも日本以外の殆どの国では「王者」よりも「覇者」のほうが偉いとされるのです。
昔から現在に至るまでここ日本に関しては「力」を持っている者よりも「徳」を持っている者が上で偉いと捉えるでしょう。
ご存知のように、武士の台頭で、徳川家は家康により関ケ原の戦い等の武力によって天下を統一し日本史史上最後の「覇者」となりました。
しかし家康自身が、中国の歴史に精通してましたから、「覇者」より「王者」のほうが偉いと認識していたため、自分の名前を松平から徳川に変えました。
しかしその事を理解していた、薩長土肥の新政府軍に倒幕され明治維新を迎えたのでした。その時に「王者」と尊王されたのは、神代の昔から脈々と生き続いている「天皇」家だったのでした。薩長が錦の御旗を掲げた時点で趨勢は決していたのです。
人類が誕生してから今日まで「力」のある者が時代を作ってきました。そしてあらゆる分野においても「力」の強い者を称賛してきました。
しかし今現在、人類は文明や自然、人間同士の無駄な破壊行為である、世界を二分するまでの戦争の無益さを悟り「力」と「力」の争いを回避する方法を常に今もって模索し続けています。
僕としても、人間はスポーツの分野以外では、「力」と「力」による争いを無くしてほしいものです。
それを「力」ではなくこの日本で言う「徳」と呼ばれるような何かで解決してほしいものです。
と考えると、この世界において、日本における「天皇」のような「徳」をもつ者が存在すれば良いということです。
今現在世界いおいて、日本における「天皇」のような存在、この何か特別な何かで、何者もひれ伏す「権威」を持つ何かの出現を一日も早く待ち望みたいと思います。
今日は12月31日、大晦日です。
今年のブログも最後になりました。来年も出来得る限り更新させていただきます。よろしくお願いいたします。みなさん良いお年を