瞑想

朝夕徐々に涼しくなり、

夏の終わりが近づくにつれて

耳を澄ませば、目を凝らせば

秋の気配を感じると共に

西条の上空に広がる、

どことなく寂しい秋空。


大切な思いを伝えるのに

必要なタイミングがある?

何でも早くできる時代

全てが早くなければ、

いけないわけではない。

あえて遅く、

あえて遠回り、

あえて時間をかけること。

人に憂(うれ)いと書いて

優しいと読む。

憂いを大切にするということ。

憂いに時間を費やせること。

それでもさらに、

本来の自分らしく、

自由に、素直に、

まずは自分を大切に、

生きていくこと。

自分だからこそ寄り添え、

共に分かち合える優しさ、

大きな愛と光の存在、

その自分自身の本質にチューニングする。

ちょこっと瞑想で締めくくります。


それではゆっくりとした呼吸を続けていきます。

吐く息と共に要らないモノが

全部溶けだして、流れ出していきます。

ゆったりとした呼吸を続けていきます。

すべてが解放されていきます。


息を吸う時には

新鮮な空気と、美しい光を

たっぷり取り込んで

身体中の隅々まで、満たしていきます。

細胞ひとつひとつに

その光と新鮮な空気が

行き届いて、

どんどん癒され、

活性化され、若返っていきます。

呼吸をするたびに

身体も心も、

どんどんリラックスして

緩んで、ほどかれていきます。


ゆったりとした呼吸を続けながら

もし貴方の中で、

貴方に気付いて欲しい思い、

本当はもう少し時間を掛けて

感じて欲しい気持ち、

もしそれが存在したいモノであれば、

今共に感じてみて下さい。

ああ、そうだったよね。そうだったわね。

貴方だからこそ、自分だからこそ、自分だけが分かる

その経験してきた思い。


そしてまた今日

その想いに、その感情に、

その時の私に、

貴方に寄り添える、

今日の貴方を

共に感じてみて下さい。

着実に、確実に、

さらに優しくなった

今日の貴方。

その優しさと

大きな大きな愛と、美しい光で

今すべてが満たされて

行ーーーー

きーーーー

まーーーー

ーーーーす。

はい、

満たされました。

いつもありがとうございます。

夜空の星の如くキラキラ輝く貴方に

心より愛と希望と感謝の気持ちを込めて


以上「人が優しくなれる理由」東京スターライト

ホンマルラジオより要約。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。P.S.I  LOVE YOU.


 

ユーモア

車中から見渡す空で、雷様がウインクしたようで

ピカッ、ピカッ、ピカッ、三歳児が「光った!」

「光ったね」、「また光ったよ!」稀にしか見ない現象に喜び

心躍ったのか、弾んで何度も呟きました。「うん、光ったね」

と返すと、「雷様が来るね?」と子供らしい発言に、思わず

表情が緩んでしまいます。「へそ隠さないと」そわそわと何やら


忙しそうに足下で動いていました。直後フロントガラスが

ポツリ、ポツリ、ポツリ、と打たれ、雨が流れ始め、前方が

見渡し難くなると、幼児が両手の人差し指を左右にそろえて

扇型に左右に揺らしながら「こんなん、したら?」あまりにも

可愛い仕草に、ドキッ、とさせられてしまいました。彼の意図

する事を理解すると同時に、「シャー、シャー、シャー」と動き

始めました。「この動いてるもの、何て言うか、知ってる?」

って、問うてみると「えーと・・・」、何か考えてそうでした。

少し時間を置いて、口をついて出た言葉は「・スーパー・・?」


空気を察した僕らは「それは買い物行くところ・・・」すると

今度もまた、少しの間の後「えっ、・・クーパー・・?」

「それはブーブー、車の名前」、「ほんとは、知ってるよね?」

「うん、・・・ワイパー」僕らは「正解、ワイパー。」


まだ三歳にして、この《ボケ》、僕らの《ツッコミ》にも

再度《ボケる》。(末恐ろしや)僕が喜んで笑っていると

その様子を見て、彼も満足気に微笑み返してくれます。人間


誰しも「不快を避け、快を求める」行動原理を持っています。

人を苦しめるのを快とするか、人を喜ばせるのを快とするかの

違いはあるでしょうが、人を喜ばせるような利他的行動によって

ほめられる、他者からよい評価をされることによって、大きな

快感がもたらされるのです。人は本来、他人の喜びを自分の喜び

と感じ、利他的行動に自発的《快》を感じる仕組みを生まれ

つき持っているのです。人を喜ばせて楽しませることは、本人に

も人間として本能的な快楽を感じるそうです。私たちは利他的

行動を《快》と感じる遺伝子を受け継いでるということです。

結局、薬局、郵便局、子供の何気ない仕草やユーモアは周りに

喜びの輪を広げながらも、自分自身もますます幸せになってい

く、そんな人間本来の姿が見えてきます。何より大切な事は

人生を楽しむ事、幸せを感じる事、それだけです。


子供と心を合わせることは、ほんと童心に戻れる楽しさや

時折り涙が出そうになる瞬間があります。人生における物事の

大半は、時間が経てばすべて笑い話になるそうです。時間が

経たなくても、その瞬間、瞬間、自分を楽しませることが出来

れば、充実した素敵な人生を送ることが出来ますよね。


余談ですが、彼は車にすごく興味を持っておりミニカー収集が

好きで、毎日眺めては楽しい時間を過ごして居るのです。それで

車に精通しているのです。車の名前も数多く記憶しています。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。 P.S.I LOVE YOU.


本田宗一郎は、こんな言葉を残しています。

「人間は楽しんでいるときに最高の力を発揮する。

すぐれたジョークは、すぐれたアイデアに通じるのだ」

ブログ復活

もう良いか、って諦めていました。そうなのです。悪夢は何の予告もなく、音も無くひたひたと忍びよって来て、 ひょいって、襲い掛かって来ました。そして息が詰まって、もだえ喘(あえ)ぐのでした。ある時、何気にボタンをひとつクリックしただけなのです。ただその何気にが、良くなかったのです。


誰にでもよくある事だとは思います。何事もよく理解できていないにも関わらず、何かの勢いで、「はい!」って簡単に返事してしまうことってよくあることだとは思います。しかし「はい!」はやすやすと返事してはいけないのです。その後、分かった素振りの《つけ》が、想像以上に大きくなって自分に跳ね返って自分を苦しめることになるのです。後悔先に立たず。強く実感させられました。


つたない記憶をさかのぼって、問題解決のために、約2か月費やしてしまいました。しかも泣きっ面にハチなのでした。セキュリティーの都合でサーバーの移行作業も急務に要求されたのでした資料を熟読しながら、ひとつひとつ作業を進めるといった気の長い流れ作業を繰り返すのでした。ここでこれには確実性はありません。作業途中で当然問題が発生します。その都度、立ち戻って問題解決を計っていくのです。本当に気の遠くなるような作業でした。


これに加えて通常の日常の仕事もしなければなりません。さすがに疲れてしまって、ホームページの新サーバーへの移行作業を優先させて、ブログは当分の間、凍結させることにしました。


日常の現実に疲れて、逃げ出したい、気分転換計りたいと思った時、女性なら、女性の命の代名詞と言われる、長い髪の毛を切ってイメージチェンジをすることも出来るでしょう。でも男性には切り取ってしまえるような、身代わりが存在しないのです。そこで気分が落ち着くまで、ブログを凍結することにしたのです。


八月を前に梅雨も明けて、プライベートも仕事も落ち着いてきて重かった気分も軽くなって、集中力も忍耐力も戻ってきていました。そろそろブログでも再開しようと頑張って復活させようと考えました。出来るまで寝ないで、夜を徹(てっ)して週末を過ごしました。

そして長い夜の闇が明けるように、朝日が差し込んだのです。ボタンひとつのクリックで不能になったものは、同じようにボタンひとつのクリックで回復したのです。時計を見ると朝の5時過ぎでした。心地よい疲労と安心感と共に深い眠りに就くことが出来ました。


ブログの閲覧不能と管理画面に入れない原因は

ブログソフトのワードプレスの事をよく理解せずに使用していた事。プラグインの性質や競合問題を理解せずに、バージョンアップボタンを押したがためなのです。


僕が幸運だったのは、普段の行動習慣が緊急事態を救ってくれたのです。若い時に初めて、コンピューターを学んだ時に強く教えられた事。何かの更新前には、必ずバックアップを取って置くことを習慣づけていたことでしょうか。面倒であっても、時間が掛かっても、習慣として、基本行動を守っていたのです。それが無事に残っていたのです。地味で目立たないけれど、大切な何かを身をもって学んだと思いました。今回多くの教訓を学びました。

解った気になって、物事を安直に対応しては決していけない事。そして問題が起こった時は、問題が小さい内に、逃げ出さず直ぐに向き合って問題に対処すべきだということ。先送りすると小さい問題はより大きくなって、より解決が難しくなるという事。


データベースとファイルのアップロード、ダウンロード100回。ソフトの再インストールは1000回。試行錯誤の連続。1回の成功のために失敗回数100回以上。打率はいかほど?

これが人生でしょうか? えっ、まだマシな方ですね。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


ブログ書いても一銭にもならないし、誰かが読んでいるかどうかも分からないし、コメントや反応もないし、誰か、書き続けるモチベーション下さい。ただなんとなく書きたいから書くのです。そんな天才のような動機付け、僕にはありませんから。


 

人生の分岐点

人はひとつの出来事で、人生を悲観したり、バラ色になったりと

目まぐるしく移り変わります。社会人になって数年目、今時節、

僕の前に初めて、名前と顔の一致した女神が現れました。

切れ長の二重の目に、薄く引かれたアイライン。調和され配置さ

れた各部位。歩くとわずかに揺れ動く胸部と臀部。ウエーブした

長い髪からの残り香。歩くたびに、こぼれ落ちる若さと可愛さ。

そのすべてを拾い集めたいと、思い患(わずら)う毎日。でも

その日から人生がバラ色でした。ほんの少し目にするだけで

最高に幸福でした。それだけで良かったのに、しかし、バカな

僕は焦って、一歩踏み込んでしまったのです。そしてある日、

決心したのです。《告白》しようと。いつでも逢えるように。


前夜眠れず、手紙を書いて、様々な場面を想定して、シュミ

レーションしました。夜に書く手紙は危険だと聞いていたのに。

「忘れられないの、♪♪♪」「忘れられないの、♪♪♪」

小学生の頃の歌が脳裏に流れて来ました。『恋の季節』。


午前、事務所で見かけ、屋上へと連れ出しました。「***

さん、ちょっと来てくれる。」「はい・・」素直に付いてき

ました。外は建設工事で騒然としていました。「聞こえ難いか

ら、耳貸してくれる。」差し出された耳元に顔を近づけました。

シャンプーの香り、可愛い口と筋の通った鼻筋に、目が釘付けで

話せません。勇気を振り絞って「***さん、これ読んどいて」

封書を手渡しました。彼女は不審げに、封書と僕を何度も

見つめ返していました。この時が僕と彼女との初めての会話で

した。今から考えると、なんと大胆な行動をとったのだろう。

愛は時に人を落胆させますが、時に人を勇気付けてくれます。


それには、次の日、ある場所に来て欲しいとの簡単な内容です。

ただ、返事を同封の便せんに書いて、その日の就業時間内に

僕の机の引き出しの一番底に入れて欲しいと書き添えました。

出張から帰った僕は《気もそぞろ》で、返事の内容以外、何も

考えられません。それも悲しい結末が頭をよぎりました。

封書をポケットに差し込み、そそくさと、同僚の視線をよそに

「お先に、失礼します。」と独り、にやけて、走って会社を後に

しました。家に着き、封書をテーブルの上に置き、服を着替えて

お気に入りの音楽テープをセットして、スイッチを押しました。


「♪♪♪」 封書を手に取りました。鼓動がどんどん速くなる

のを感じました。封書を開けました。便せんを取り出しました。

悪い予感が頭を突き抜けました。

そこには一言だけでした。

「すいません、ごめんなさい。 近藤さん」

ほんと、嫌な予感は当たるものです。「♪♪♪ マイ

エンドレスラブ ♪♪♪」 音楽のおまじない効果なし。僕は、

ただただ悲しくて、悔しくて、便せんを胸に握り締めて

泣くことも出来ずに、自分の運命を呪(のろ)っていました。

人は本当に悲しい時には、泣くことさえ出来ないものだと

学びました。

つかの間の悲しみの後、天より声が聞こえた気がしました。

「お前はまだまだ***にはふさわしくないのだ。」

我に返りました。しかし、

僕には、まだチャンスが残されていたのでした。その後、


紆余曲折がありましたが、これ以上は控えさせていただきます。

昨夜、恋愛小説で感動、泣かされて自分の体験を思い出

したのでした。30年以上も前の、僕の数少ない恋物語でした。

それから後、僕は自分を深く見つめ直しました。当分、結婚を

あきらめ、学生の頃からの《夢》を思い起こし、アメリカに行く

ことを決意して、経済の安定を捨てて、会社を退職しました。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。P.S. I LOVE YOU.


誰と出会って、誰と過ごすかで、あっという間に、

人生は変わります。

もうひとつ。

理由が無くても、逢えるのが、友達です。

理由が無ければ、逢わないのが、知り合いです。

理由を作ってでも、逢いたいのが、好きな人です。


塾考

いつの時代でも、どこの学校でも、5月の連休が終了すると、

定期試験が始まりました。試験の対処こそ、我々学習塾では、

その存在意義を誇示し、見せびらかす、腕の見せ所なのです。

でももう、それも限界に来ていることを思い知らされました。


今週から連日、夕刻から連夜、脳みそフル稼働です。

今年から塾生の確保のため、小学生から高校生まで枠を

広げました。そのため、前年の試験対策が通用しなくなり、

新たな勉強の必要に迫られるのです。入学した高校が進学校では

ないため、予想は出来ましたが、意外にも、本人のメモによると

国語の試験に「干支(えと)」すなわち十二支の《読み》、

《漢字》と対応する《動物》が問われる問題があるというので

す。もう一般常識です。僕自身、順番に漢字でホワイトボードに

書き出そうとしましたが、いきなり、自分の干支である、二つ目

の丑(うし)で、つまづいたのです。「多分、東大生でも書けな

いんじゃないか。」ってお茶を濁してごまかして、スマホで調べ

てしまいました。すると学生は「先生、スマホ使っても良いです

か?」「自分で調べた方が早いか」彼は自分のスマホを取り出し

て、それを見ながら練習を始めたのです。すると彼は、ものの

数分で、十二支を一度は覚えました。塾講師なんて《かたなし》

です。これの意味するところは? 私の存在意義は一体どこに?

とうとうやって来たのです。塾講師の仕事が無くなる!! もう


《師》や《士》の付く職業の人間はAIに取って変わられると

いった時代の変遷を痛感させられました。少しの知識を持った

我々のような人間は、小学生でさえ持っている携帯電話の、足元

にも及ばない、容易に負けてしまう、想像を大きく超えて凌駕

(りょうが)されるのです。情報処理の速さや能力だけを取り上

げれば、人間はとてもコンピューターには及びません。2045

年には、人工知能は全人類の脳を超えるのです。そして数分後

彼は覚えたであろうと、十二支のテストを自らしてみましたが、

うろ覚えだったようで、いくつか間違えていました。彼が一言。

「先生、覚えるのって大変ですね。」って顔を引いて照れくさそ

うに笑いました。そこで僕は、読んだ本の受け売りで得意げに

話しました。「覚えるのはそれほど難しくはないのよ。」

「本当に難しいのは、忘れる事。覚えるよりも、忘れる事の方が

はるかに、難しいのよ。」「人は一度覚えてしまった事は、忘れ

たくても忘れることが出来ない生き物なのです。」「覚えるため

の方法は色々、考えられているのに」「確実に忘れられる方法は

ひとつも無いのですから。」「そういやー、そうですね。」

彼は座り直して、僕を二度見返し、相槌を打ちました。また

コンピューターが不得意で、人間の存在意義のひとつに

《雑談力》もあるのです。《無駄話》は出来ても《雑談》は

存外、コンピューターには難しいのです。人間でも難しい

ですが。人間は覚えておきたいことは、忘れたくないのに、

忘れたい事は、忘れられないなんて、不便極まりないですよね。

楽しく《雑談》するには、そんな人間の本質も十分に理解しない

と上手に付き合うこと出来ないですから。「あの話、持ち出して

も、もう忘れてるだろうから、大丈夫かな・・」《失恋話し》や

《失敗話し》など、忘れたい嫌な思い出は、なぜに忘れない?


学校には、勉強以外に存在意義があるから、そこでの先生が

居なくなることは決してありませんが、勉強だけを教える

塾講師はもう不必要な時代なのです。本や新聞、雑誌もコン

ピューターに駆逐(くちく)されると言われてましたが、

利便性よりも紙媒体の温かさを渇望する人達が存在する限り、

その需要は無くなりません。うーん、人間が血を流す寿命ある、

不完全な動物でほんとに良かった。体温を持った、決して

リセット出来ない、一か所に落ち着つことの無い存在で、好奇心

から変化を求める呼吸をする生物である、所以(ゆえん)なので

す。全ては理(ことわり)ってことなのです。

以下、某成功者の言葉です。

今あなたがしている事は、

誰かが見ています。いや、誰もが見ています。

手抜きは、必ず、ばれてしまいます。しかし、安心して下さい。

丁寧は、きっと、伝わります。加えて、

成功を目指す人は、3つのものを配ります。

目配り・気配り・心配り。

自分一人では、決して、成功出来ません。

周りの人たちに、3つを配りましょう。さらに、

目配りには、鳥の目、魚の目、虫の目、3つが大切です。

全体を観る目、流れを観る目、詳細を観る目、です。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。P.S. I LOVE YOU.


 

 


 

人間性

言葉もはっきりと話し、もうすっかり成長したと感じさせる、

今年3歳になろうとする男の子が口にした言葉。朝に出会うと

「おいちゃん、おはようございます」その丁寧語の流暢さに

きょとん、とさせられ、返す言葉に固まってしまいました。

その後、大人との会話が成り立つほどに発達・・ほんと人の

成長ってすごいと感じました。想像以上に早い変化、実際に

人が変わって、違った人間になった様に感じられました。

数分後、話に飽きた僕は、テレビを点けて、目線も合わせず

顔を背(そむ)けると、「おいちゃん、***のこと、

好きーー?」って、不安げな口調で眉根を寄せて聞かれて

しまいました。何て返してやろうかと意地悪な僕は「えーと、

どうかな?」視線をそらせない様に見つめられて、僕は故意に

背中を向けて、答えずにいると今度は「おいちゃん***こと、

好きよね」と、彼自身の欲する答えを言われました。こんな

処世術どこで習って覚えたんだろう。昔の彼(人間)が出来る

ことだけで彼(人間)の価値を判断してはいけないのだ。将来

の彼(人間)は今の自分が想像できないほど大きな事をやって、

多くの人々の幸せを左右する存在になっているのだな、きっと。

人間はたったひとつの些細な事で、信じられない変化を遂げる

生き物なのです、本当に驚きです。きっと、今まで彼を取り巻く

環境が、彼を励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげ

たことを評価してほめた結果なのだろう。考えるに、そのきっか

けになるのは彼の《好奇心》《関心》があったからなのです。


「僕のさっきの行為は大人としてのマナー違反だ」と思い直し、

彼を呼び寄せ、ほっぺたをすり合わせて言わせてもらいました。

「うーん、***大ー好きーー。」彼はぱっと明るくなり、

満面の笑顔を返してくれました。直後、気がすんだのか、

席を離れ一人で遊び始めました。人は経験とともに、知識知恵の

獲得と比例して、自我を強く意識し、自分と自分以外の人間の

感情の境目(相違)を明確に感じ始めた証拠なのでしょう。今ま

では、言葉が話せないがゆえに、口で言わなくても、周りの大人

は自分の要求を叶えてくれたのに、言葉を覚えれば覚えるほど、

自分自身の思いが伝わり難くなるし、さらには、思いが伝わら

ない《もどかしさ》が胸の痛みとなって跳ね返ってくる。

《僕大きくなんて、なりたくないよ》子供の本音がなんだか

伝わってきそうです。


自分自身の思いを言葉で正確に伝えようと、彼は知り得る言葉を

脳みそをフル稼働させ選択して口にするのだが、不思議なことに

言葉を満足に話せない時よりも、相手は自分を理解してくれない

現実に苛立(いらだ)ってしまうのです。自分を自覚すれば

《怒り》、《せっかち》、《焦り》等、言葉で言い表せない感情

を抱えこんで思い悩み続けるのでしょう。そしてそれを埋め合わ

せるように、さらに知識や知恵を学び、多くの言葉を覚えて、

意思の疎通を図ろうと努力するのです。しかし多様な言葉で

物事の解決を図ろうとした人類の歴史と同様におそらく最終

手段は《力で持って相手を支配しようとなるのでしょう》っか。

人は年齢の増加で知性が高くなればなるほど、無力感とともに

その限界を痛切することになって、悩み多い辛く苦しい現実を

過ごすようになるのです。多分、それから先の彼の人生は

《人間性》に依(よ)るでしょう。そして《人間性》は

言った言葉、言われた言葉で、作られると言われます。しかし

ここで話す言葉、言われる言葉は《好奇心》や《関心事》に

影響されるのです。好奇心は、間違いなく、日々の生活を

豊かにしてくれます。そして好奇心は、学びたい心の

原動力になります。好奇心の無い生活はきっと

単調でつまらないものです。一方、


周りを見てあらゆるモノに《関心》を持つように意識すれば、

次に何がどうなるのかを先回りして、想定しておくことが出来

、物事がスムーズに、はかどれるのです。なぜなら、人の感情は

絶え間なく揺れ動くからです。そして、愛される、選ばれる、

守ってもらえる価値には相手を絶対に、おびやかさないという

保証が含まれています。

人は、年齢を重ねるだけでは、大人になるとは限りません。

自分の事ばかり考えず、他人との違いを受け入れて

相手を思いやり、子供のような心を忘れないこと。

正直であること、素直であること、夢中になること。

何も考えずにできるのが子供で、何事も自然に振舞う

ことが出来れば、

きっと素敵な大人になれるのでしょう。っね。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。P.S. I LOVE YOU.


 

読書

こんな経験無いでしょうか?

いつもそばにあるのに気付かず、見えなかった世界。

しかしある日突然、その世界が見えて来るのです。そうなると

その世界が急に気になりだして、その世界が毎日見えるように

なるのです。そしてそれを見るのがむしろ楽しみに

なって、毎日がわくわくするのです。言い換えれば、

毎日、目にする庭先で、季節の途の、ある日に、可憐(かれん)

に咲いた、美しい花に魅せられるようなものです。学生時代なら

学生時代じゃなくても、一番多いパターンは、

それは

きっと、

《異性》     ではないでしょうか?

男性なら《女の子》、女性なら《男の子》。それ以来単調な日常

がバラ色の世界に見えてきます。僕にも、もちろん


そんな学生時代がありました。でもおとなしく、気弱な僕は・・

ある日、そんな女性の友人との会話で不意に小耳にはさんだ

のです。

「本をよく読んでる、知的そうな人に心惹かれる・・・」

僕ってとっても単純なのです。それまで屋外で馬鹿みたいに

はしゃいでいたのに、その日を境に放課後図書館に立ち寄って

ハードカバーの小さな文字で書かれた本を2、3冊借りて

閲覧室で、それらしく振る舞っていました。彼女に見られて

いた訳でもないのにです。きっと不器用でバカなのでしょうね。

その彼女のちょっとした言葉で、ぼくの人生は大きく変えられ

たのです。不思議なもので、最初は苦痛でしかなかった読書が

ある時から結果、一番の楽しみになったのです。週末が楽しみ

で時間の経つのも忘れるほどに、文字を追いかけていました。

そしてその好みがこの歳まで続いているのです。

昔は推薦図書だけでしたが、今では様々の分野に

拡散しています。会社の先輩から「社会人になってからが

本当の意味での勉強だ。」と工業高校卒業の人から大学卒が

言われましたから若干頭にきたものでした。でもその人の

読書量は半端じゃなかったので、素直に納得しました。

本日一冊の本を読みました。仕事場に何気に置かれた本。

僕なら絶対に手に取ることのない分野。妻が数か月前より

積み上げていた一番上の本。『心晴日和』タイトルになんとなく

惹かれてページをめくりました。学生を待っているまでの時間

つぶしのつもりが結局、最後のページまでめくることに。(学生

は体調不良で土曜日に変更。)人は個々人によって、

誰もが、異なる固有の周波数を持っています。そして

その周波数に合った情報しか知り得ることができません。

だから、自分では決して見つけられない、盲点をカバーする

ために、時には違った周波数の人のアンテナを借りて、自分に

とって空前絶後の周波数で、思いもよらない情報をキャッチ

しなければ、人は思考回路が固まって、考え方が画一化して

しまう危険性があるのです。というのも、人の思考や行動は、

自分が普段いる環境や習慣に、無意識のうちに合わせてしまう

ものだからです。昔、本で読んだ事ですが、読書をする目的は、


《未来に恋するため》と書いてありました。なんだか素敵な理由

だったことだけ覚えています。記憶が不確かですが、真意は、

暗く不安になってしまう毎日の現実生活。でも本の中で、

もし光輝く言葉が見つかれば、きっと未来が輝き、毎日が

ワクワク出来るようになるのではないでしょうか。

だったような・・・なにせ、《知性は言葉に宿ります》から。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。P.S. I LOVE YOU.


連休が終わって、初夏の少し汗ばむ陽気が続いています。やっと

何かを始めてみようと、徐々に気持ちが盛り上がってきました。

本より、もともと人間には
「自分のため」という目的では
発揮できない力が眠っています。

自分以外の誰かのために
自分が存在していると
感じる機会が増えれば

努力を継続したり
一見不可能と思われるような
壁を超えたりすることができる。

センス

週末の仕事を終えた、寛(くつろ)ぎのひと時。妻の声が

届いてきました。「こっちに来てみて。」何事かと

声の出どころに着いて、はっとさせられました。見慣れた部屋の

景色が一変していたのでした。数日前より宣言していたシアター


ルームの様子です。《やると言ったらやってしまう》のが我が妻

千恵子のすごい所です。プロジェクターの置く台がまだ箱なので

付け焼刃の感は否めませんが、分相応の金額で至らない所は

知恵と工夫と行動力でなんとか、それらしくこなして、しまう

ところは、父親譲りの《器用》を受け継いだようです。その後


「この大画面でビールでも飲みながら、映画観てみたいよね」

「うん、食料買い込んで、ビデオ借りに行こう!!」ってことで

昨日、決行。『ボヘミアン・ラプソディー』を鑑賞。再びあの

感動を体感しました。案の定、ウェンベリーのライブ場面から

二人とも、ほぼ半泣き状態、32型程度の画面と音響だけでは

決して味わえなかった感動です。アルコールの効果も手伝って、

僕の身体は「熱い興奮」と同時に心は「穏やかな平安・心地

よさ」で満たされたのでした。そのゆるやかな時間の流れに身体

を委ねていると、まるで、楽園の中で覚めない夢を見ている様子

で、すごく心が落ち着いた、つかの間の、心安らぐ《旅》でし


た。どんな生活レベルであっても、くよくよしないで、生活を

明るく楽しむ《極意》(センス)に、心癒されたひと時でした。

毎日の暮らしを、豊かにすることなんて、ささやかなことで可能

なのです。センスは、人それぞれですが、仕事も遊びも人付き

合いも、きっと《センス》が大切なのでしょう。それは

どれが良くて、どれが悪いとかではありません。ただ、

人生を磨くには、おそらく、センスを磨くと、より素敵になるの

ではないでしょうか!


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。P.S. I LOVE YOU.


 

サービス業のジレンマ

塾という、もう斜陽産業に携わって10年以上、つくづく感じる

《サービス》を提供して利潤を追求する業種のあつれき。

豊かで人間らしい生活のためには、売り上げアップが必要です。

売り上げアップのためには、客であるカスタマーの増加が急務。

カスタマーの増加は、同時に仕事量の増加も意味します。毎日遅

くまで生徒に関わって、自分の時間を割いて準備を行い、簡単な

食事を摂って寝る、といった日常です。常識では、収入は増えて

も豊かな生活とは、縁遠い人生と言わざる得ません。貯金をして


老後のためにと、考えても、老後が来るかどうかも分かりま

せん。元気な人でも、余命がわかっている人も、年老いた人も

若い人でも、明日生きられるかどうかなんて分かりません。

今日を大切に、精力的に生き切る以外にありません。その上で

豊かに楽しく暮らすためには、《飯の種》の仕事だけに埋没

しないように、注意すべきなのでしょうか? 考えるに


そのジレンマの解決には、客あたりの単価を上げる必要が

ひとつ。 カスタマーが増えても、仕事量が増加しないような

システム作りがふたつ。最も重要な事柄は、仕事そのものに

《生きがい》や《自己実現》の達成感を実感できれば問題は

より軽くなるのでしょう。一般に、サービス業の頂点は


《医師業》でしょう。命を救う、と言った行為は、人間にとって

達成感の高い聖なる行動です。その行為は最高の称賛や高い報酬

を受け、しかも社会的地位も約束され、世間の景気の浮き沈み

にも影響を受けにくいとくれば、人生の絶頂感を味わうこと

が出来るでしょう。しかし、普通の仕事に従事しているならば


誰にもそのような《充足感》を味わうことは困難です。そこで

毎日少しでも、読書をするように気を配っています。

新しいことを勉強すれば、少しは将来を恐れることは少なく

なるかもと考えて、その時間を作ろうと留意しています。

何もしないで、じっとしていると、不安が不安を呼び込んで

怖くなってくるのです。だけど、このジレンマからはなかなか

逃れられない毎日なのです。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。P.S. I LOVE YOU.


10分程のうたた寝の時に、何気に考えた事項でした。


 

老いた母

父を見送り一年以上過ぎたというのに、リハビリ通所での

こと。少し前から心配はしていたものの、思いもよらない突然

の問いかけに、僕はひどく動揺させられました。真剣なのか、

からかっているのか、でも思いのほか、しっかりと前を見据えた

目をして、母はひとりごとのように、か細い声でつぶやき

ました。そのもうろくぶりに、母が、もうすでに僕が知っている

彼女ではないことを、しみじみ痛感させられました。

「もう、還って来んのかね?」「え?」「戻って来んのかね?」

僕は真意を計りかねました。何を指して言っているのかは、

改めて聞き返すのが憚(はばか)れるのでした。相手にする気に

はなれず故意に、視線を落とし逸らせて、取り合わず、聞き流し

話題を変えました。歳のせいなのか、50年以上共に過ごした連

れ合いを失くしたがために、こうも変わってしまったのか、と

寂しくもあり、辛く悲しくもあり、懐かしい昔の思い出と共に、

何かこみ上げる感情が、僕の胸をえぐるのでした。《どうした?

かあちゃん しっかりしろ!》今年86になり、ひい孫も持つ

老婆です。残された人生も、令和の時代に終えるであろうに。


言葉には言い表せない程の苦労《子供の頃、僕に実家に帰りた

いと本音を告げ、父か自分かのどっちを選ぶかを真剣に聞かれた

のです。》を体験してきた母を想うと、せめて散り際くらい

本来の自分を取り戻し、昇って逝ってほしいと思うのでした。

その後最低限、妻と出来ることを最終段階になるだろう親

孝行をと考えるようになりました。僕にとって、強く勉強熱心


だった父は、尊敬と畏怖の対象でありましたが、学問とは程遠い

少しばかり《小ばか》であろう母には、はてしなく深い愛情を

感じさせてくれる存在で、この世で、この上なく愛して

やまない女性のひとりです。誰とも、いさかいを起こさず、

平和的付き合いを重んじる彼女は、尊敬される女性ではなく、

ただただ愛される女性なのです。僕にはそれで充分なのです。

両親、特に母には感謝の念は永遠に尽きません。兄を大切に

し過ぎて、逆に甘やかせて育てたことを後悔していた父。

兄姉には内緒で僕に、こっそり小遣いをくれた母。客観的にも

ひいき目に見ても、美人とは言い難い母が、小中高学校の懇談会

時に、慣れない化粧を施し、変に凛(りん)と振る舞って、女性

をひけらかそうとする姿は見るに堪えませんでしたが、今では、

当時の自分の心意気を、強く思い起こして欲しいと思うので

した。


誰にも存在する母親。彼女は、子供がどんな時でも、どんな状況

でも、常に真実の母です。今でも子供の僕に掛けてくれる愛情

を、老いて自分を失いかけている母に、今度は僕が優しく見守

ってあげようと、思わされました。「かあちゃん、

見守ってあげるからね。心配しないで。わがまま言ってね」

ひとり眠りに就く時、涙が止まらない夜でした。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。P.S. I LOVE YOU.


今日は、ほんの少し感傷的な気分になってしまいました。

(Blog to Soul)水素風呂と時代劇と音楽を愛する左半身麻痺の塾講師