合格

先日(18日)公立高校の合否発表があった。

おかげをもちまして、我が中学三年生も無事に合格した。

これで今期の仕事は終わった。

社会の変化に伴い受験の形態も変わっているものの、

有り難いことに、当校開塾以来、公立高校、

ひとりの不合格者も出していない。

何と・・・

合格率100%なのです。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


タネを明かせば、

ひとつには、受かる見込みのところしか

決して受けさせない、一か八かの冒険はしないのです。

ふたつには、進学校は除いて、少子化の影響で

大部分の高校が定員割れという、売りて市場の

ふたつの現実のおかげなのだ。

高校への進学率が99、999%の世の中。

誰一人0、001%にさせたくない大人たちの優しさの

政策のたまもの。

と言ってしまえば、それまで。

競争原理が働かないのだから技術や才能が伸びない社会。

感激も感動も起こらないつまんない世の中になったもんだ。

みんながウインウインなのだから良しとするしかないのだが。

何とも味気のない社会だな、やれやれ・・・


 

HAPPY BIRTHDAY

今日、誕生日の君へ・・・

TO YOU;

Once you told me that

Today is your 29th birthday,I know.

Remember me !! I wonder if you can


DEAR MY IDOL、

《Happy birthday  to  you.》

《Beautiful life to you .》

《Big  love for you.》


That ‘s All for today. This is Koji Kondo.

Bye for Now.

今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


Everything is “Simpie is the best.”

すべては、シンプル イズ ベスト。


Such a long time since Isaw you last.

That’s because・・・

I don’t have anything about you .you know,

So I  Almost forgot your face and figure.

But・・・I think that・・・

I will never forget you.I bet,

I hope so, you too.You wil?


 

ミステリー

♪突き♪止め~たい~♪

♪かなわない~♪

♪君の 正体は♪

♪迷宮入りの♪

♪難解な ミステリー♪

by キング・グウ


数秒たがわず、ストーリーの絶妙なタイミングで不意に

流れ出てくる。不思議となぜだか、何だか微妙な具合で、

フワッとした心のひだの隙間に染み入る程に郷愁を誘う

寂寥感(せきりょう)満載のメロディー、

と喜怒哀楽すべての心情をあらわに映し出す程に、

男性とも女性とも判別できない、寂しく儚くもかすれた声。

少しの間、時が止まり、我々を過去のある時に、ある場所へと

旅へいざない、ピクリとも動けなくさせる演出。

《恐れ入りやの鬼子母神。》


昭和生まれでテレビっ子の僕は、この春はほんと見過ごせない

テレビドラマが目白押し。そのお気に入りの中でも秀逸の作品。

興味に駆られて原作も《チラリ読み》させてもらった。

物語の大筋は意外と原作に忠実だった。

僕個人としたら、画像のない文章だけの方が想像を

掻き立てられ好きなのだ。が・・・。

でもまさに《百聞は一見に如かず》なのだろう。


菅田将暉演じる主人公が独自のユニークな目線にたった見解を、

立て板に水の如く妙に冷淡に、さりげなく主張し展開するのだ。

しかも針の穴ひとつも見逃さないコンピューターのような

観察眼と記憶力。

刃物のような切れ味鋭い洞察力。

口癖のように「僕は常々・・・」と、話し始めると・・・。

それらを理路整然と展開する博識なまでの話術。

それは偏見や色メガネで凝り固まった我々の常識を

凌駕(りょうが)してしまい、誰の追随をも許さない。

そして誰一人、異を唱えられない程のものなのだ。

すべてが人間離れしているのに、ただの大学生の凡人であるという。

特殊能力を持った変人のほうがしっくりくる。


事件解決後に、謎に謎を重ねて幾ばくかのミステリーを残して

続き・・・と終わらせるのは、最近のドラマの新手の傾向か?

でも意外と、次に続かないけれど・・・ どうしてくれる?

心が晴れない、すっきりしないこのモヤモヤ感。

あっ、えーと、

うーん、どうしよう?

・・・・。

今日は何だか上手く着地できそうにないなあ・・・


淡白なうえに、消化不良で不完全燃焼なのですが、

・・・。


今日はここまで。

近藤浩二でした。ではまた。


 

 

小さな幸せ

月日は音もなく過ぎ去り、

季節はあっと言う間に移ろいでいく。

ふと思えば、もう三月だ。

うららかな上に陽気だ。

窓越しに差し込むまぶしい朝日に起こされつつも、

寒さのせいで、

一時をうつらうつらと寝床で過ごしていた

日々がウソのようだ。

目覚めとともに身体が起きることができる。


数年前より関わっているファミリーサポートいう仕事。

子供相手に学校、ジュク、習い事、保育園へと母親に代わっての送迎。

いわゆるアッシー君や、

食事の世話から遊びの相手など日常にわたる諸事全般。

いろんな人に会って話をし、楽しむことができる。

仕事って感じがまったくしない。


本日の午後のこと・・・・。

穏やかな気持ち、空は真っ青。

気分はもう春だ。

私の所望で、昼食のため隣町のお気に入りのパン屋に出かける。

コンビニでコスパの良い、アイスコーヒーをドリンクホルダーに、

大好きなチキンガーリックパンを皮切りにバジル風味の

野菜たっぷりのピザパン、あんバターなど数種を食する。

「ハ~ッ、美味しかった」

楽しさもあり、話しながら食べているとあっと言う間に時間が

過ぎてしまう。

気が付けば、もうお迎いの時間だ。

「今日は一緒に行く」

三月に卒園を迎え、この春から小学生へと階段を昇る、可愛いらしい少年。

それから車を走らすこと10分。

国道から山に向かう住宅街を少し抜けると保育園はある。

ほのかに紅色のしだれ桜が入り口付近に垂れていた。

そこかしこに、数羽の見慣れない名もなき鳥たちが

飛び交いさえずっている。

少し早かったのか5分前に保育園に着いた。

人も車もあったが込み合ってるわけじゃない。

園内で出会う人たち誰もが明るい笑顔で出迎えてくれる。

僕たちは親でもないが、園庭の風景に溶け込んでいた。

降車したマスク姿の家内の背後から紺色の征服姿がちらほらと

見え隠れしている。近づくとチラリと視線をこちらに顔を向けた。

瞬間、目が合った。彼は恥ずかしそうに薄く微笑んだ。

うつむいてしまった。でもすぐに顔を戻した。

短い時間の中で、

僕たちは何でもない話しをし、笑ったり感心したり、

ボウっと景色をながめたりした。

やがて無言が横たわる。でも、

少なくても僕はその無言を苦には感じなかった。

不思議なことに、無言であっても退屈でも窮屈でもない。

10分ほどで彼の家に着いた。すでに母親が玄関口で待っていた。

それに気付いた少年の真っ赤なほっぺが柔らかくゆるんだ。

母親とふたり並んで見送ってくれる。帰り際、

私は自動窓を開け、顔を向け、手のひらを広げ、彼に差し出した。

苦笑しながら、ぎこちなくも小さな手を広げ、ゆっくりと近づけてきた。

彼の可愛い手のひらが、私の右手のひらに軽く触れた。

一瞬、心が跳ねた。

そうして、私は幸福だった。

陽射しの温かさ、爽やかな空気、

彼の鼓動さえ感じられるような・・・

誰の目にも見えない所、気付かないところで

何かが震えるのだ。

決して私たちはいつでも会える深い関係ではない。

奇妙な縁でつながっているだけなのだ。

それでも、何気ないありふれた日常に出会える人が

いることが、ありがたかった、嬉しかった。

幸せで楽しいと、ほんと、人生は早い。まるで矢の様だ。


今日はここまで。

近藤浩二でした。ではまた。


 

成功

受験シーズンのこの時期になると・・・

熟の講師としても、悲喜こもごもなれど、

出来の良い子も、そこそこの子も、悪い子もいるものの、

ほんと子供を持つ親の心境になる。そして考えることは、

受験生に限らず、世の中に生存している人間・・・

誰もが自己実現できたらいいのにな、

誰もが悩みがなくなればいいのにな、とつくづく思う。

そこで落ちこぼれができるから、争い、戦争がなくならないんだから・・・


人生とは幸福になる、成功するために努力することなんだから。


成功者はすべからく、赤ちゃん脳だという。

赤ちゃん脳とは、

1、素直

2、起きている時間、常に学んでいる。

3、先延ばししない。

の3つだけ。子供のように童心に返れば、

つまり邪気のない無邪気になれば、誰もが成功者になれる。


成功者が絶対言わない、「悪魔の言葉」が4つある。

4Dと言われ、(でも、だって、どうせ、できない)だそう。

成功者の口癖、次の4つ。

(きっと、君なら、絶対、できる)


成功するためには、夢を紙に書き出す。

これだけなのに、不思議と、みんなやらない。


潜在意識にネガティブ思考をクリアリングさせる、取っ払う。

クリアリングした潜在意識にポジティブ思考を植え付ける。


最終、

1、イメージする。

2、言語化、もしくは可視化(書き出す)

3、習慣化(無意識で行動できるまで)


最近、「量子力学」にハマっている、凝っている。

大まかに言うと、「量子力学」とは目に見えないミクロの世界を

科学的に研究し、その世界の法則を自然の振る舞いを

科学していくこと。何かハードル高そうなんて思わないで。


学生の頃誰もが、教わったことがあるでしょう。

「物質をこれ以上砕けない限界のところまで細かくすると

原子と呼ばれる粒になる、物質を構成する最小単位は原子」と学んだはず。

しかしながら、最近の研究で物質を構成している最小の単位は

「素粒子」と呼ばれる粒だそうだ。


ここで素粒子は、

1、素粒子はこの世のすべてものを構成する最小単位

2、素粒子は常に振動している。

私たちの細胞も、机も水もPCもスマートフォンも全部素粒子からできている。


詳細は次の機会に。


近藤浩二でした。

今日はここまで。ではまた。


学んだ事は、即実行、アウトプットしないとね。

ということで、ブログに整理、書いた。


世界が平和になるには、キーワードは「感謝」だそう。

1、何かをされたら、ありがとう。

2、何がなくても、今の現状に、ありがとう。

3、何があっても、ありがとう。

誰もが幸福を望んでいる。互いに尊敬、尊重、手を取り、

助け合い、愛し合えば、世の中は絶対平和になる。


 

おかげさま

「おかげさま」

故野村克也氏の著書「野村ノート」の書き出しである。

冬が来ると夏が良いと言い、夏が来ると冬が良いと言う。

太るとやせたいといい、痩せると太りたいと言う。

忙しいとひまになりたい、ひまになると忙しいほうがイイと言う。

自分に都合の良い人は、良い人だと言って褒めて、

自分に都合の悪い人は、悪い人だと言ってけなす。

上を見て不平不満に明け暮れ、隣を見てもグチばかり、

どうして自分を見つめないのか、静かに考えてみるがいい。

つまらぬ自我を捨て、得手勝手をつつしめば、世の中はもっと

明るくなるだろう。

おれがおれがを捨てて、おかげさまでおかげさまでと

暮したい。


こんなことを書かれていた。改めて読んだ。

そんなことから、こんなことも思い出す。


寒く厳しい受験の冬が過ぎ、桜咲くの三月末、

大学受験の合格の報告に、初めて学校の職員室へうかがった時のこと。

先生たちの「おめでとう」の言葉に、出来の悪かった僕は、

緊張の余り、ただただ、

「どうも、ありがとうございます」と

ペコリと頭を下げるばかりだった。

ところが、一方で、

向かいの席に腰かけて居た40人強の特進クラスの先生を

訪ねにみえた出来の良かった上に、

可愛かった帰国子女の生徒は、脱いだばかりの、

高品質のグレーのコートを両手で何気にたたみつつ、

素っ気なくも上品に着こなしたツヤツヤのセーラー服姿で

一礼しながら、透き通った声で、こうつぶやいたのだ。

「おかげさまで・・・」

「おかげをもちまして・・・」と。

一瞬、僕の耳はぴくッと動いた。

そして、ハッとした僕は、顔を向けて彼女を見つめてしまった。

なぜに?

それは、とっても美しかったから。

もちろん彼女は、小柄で、丸い顔が、いまだにどこか、

少女のようにあどけなく、飛びっきり可愛かったのだが、

美しかったのは、見た目の彼女の姿ではないのだ。

心の奥底にドンと来たのだ。聞いた事ないような美しい日本語に。

その時には、まだ人の口から生まれて初めて聞いた言葉だった。

聞きなれないのにどうして美しいと感じたのか?

テレビかラジオか本か、どこかで、目にしたのか? 耳にしたのだろうか?


細胞レベル、ひとつひとつに鳴り響くように、まさにDNAに

訴えかけるほどに、じわっと泣けるまでに、心を打たれた。

僕の視線を感じてか、不意に彼女は振り向いた。

瞬間、彼女と目が合ってしまった。

すると、なんと、彼女はニコッと微笑んだ。

僕は、ドキッとして、目を逸らしてしまった。再度、振り返ると

ほんのりふくらんだ胸元に、ぷっくりと張り出たヒップを

覆い隠したスカートの裾からセクシーな、なま足がちらほらと

のぞいて見えた。若さのエネルギーがみなぎった僕は、

理性がぶっ飛びそうで、たまらなくなって、

発狂しかけた途端に、またも目が合ってしまった。

驚くことに、彼女はまたもや微笑んだ。

腰抜けで、根性なしの僕は、どうすることもできずに、

顔を赤らめたままで、茫然と立ち尽くしていたものだ。


彼女の見た目の美しさだけに、心奪われたのではない。

そのような場面で、期待を裏切らない、いや、期待以上の、

初めて聞くような、予想だにしない、想定外の、よどみなく

滑らかに流れる美しい響きの日本語。

そんな聞きなれない品格のある言葉を、

絶妙な場面で、当たり前のように自然と口にした彼女の

知性の高さと経験の豊富さとに心震わされた。圧倒された。

恋愛感情を持つ以前に、「偉いな」「大人だな」

この子には勝てないな・・・と、感心させられた。

「天は二物を与えもうた」と、

ただただ、神なのかもと、うなったのだった。


同級生なので、知ってはいたものの、それ以来、衝撃を受けた

僕は彼女の名前とともにその日本語とその時の光景を決して忘れなかった。

彼女は、高校一年生の時に、一年間、アメリカへ留学したにも

関わらず、京都大学の法文科に現役で合格して、風の便りで

若くして弁護士になって、個人事務所を構えたとのことだ。


悲しいかな、あいにく、バカにつける薬はない、

との言葉通り、それ以来、その日本語を使う機会がたびたび訪れ

ながら、僕はなかなか口をついて出ることが皆無であり、

今もって口ごもる言葉のひとつだ。


自分の殻を破るための、積極的な行動は、

言葉でいうほど、簡単なものではない。

しかし、果敢な行動は、幸運をつかむための欠くことの

できないメソッドのひとつであることは確かだ。

私たちは前例がないと、すべてにおいて不安なものだ。

自分の前に道はなく、自分の後に道ができるのだから。

だからといって、しり込みしていては、何も変わらない。

幸運をつかむためには、行動が必要だが、想いと勇気、

そして、楽天性を備えていれば、鬼に金棒だ。


ここまで、近藤浩二でした。ではまた。


余談ですが、その日に夜。

僕はこんなことがあったと、母に語って聞かせると、

母は、眉間を寄せて、ただひと言こう言い放った。

「あそこは、いかんよ!」

「***の家系だから・・・」と

***は差別用語です。

母は勝手に、何かを想像して心配していたようだ。

聞くところによると、母の実家が、彼女の一族と近隣にあって、

いろいろ良からぬうわさがあったようだ。

現代風に言えば、サバン症候群のことです。

発達障害がありながら、突出した能力を持つ人間のこと。


余談の上の余談ですが、二十年程前、風のうわさで、苗字が

変わっていなかったから、まだ独り身だったと思われる。

余りにも出来過ぎるため、男が近づき難かったのか、彼女の

理想が高すぎたのか、本人にしかわからぬことだが・・・

人は誰でも、人知れず、何かしら問題を抱えているものだ。


 

迷った時

自分が行動したことすべては取るに足らないことかもしれない。

しかし、行動したというそのことが重要なのである。

マハトマ・ガンジー。

夢を持つことの素晴らしさ、それを信じている人には

未来があるのです。

エレン・ルーズベルト。

失敗を恐れる必要はない。恐れる必要があるのは、

やりもしないで、逃してしまうチャンスのほうである。

グレイ・マター。

幸せになる方法は、周りを幸せにしたら見つかる。


他人を幸福にするのは香水をふりかけるようなものだ。

ふりかける時、自分にも数滴はかかる。

ユダヤの格言。

たまごを割らなければ、オムレツは作れない。

オールザ・キングスメン。

どんな馬鹿げた考えでも、行動を起こさないと

世界は変わらない。

マイケル・ムーア。

孤独は優れた精神の持ち主の運命である。

ショーペン・ハウル。

もしあなたが人に愛されようと思うなら、

まずあなたが人を愛さなければならない。

セネカ。

あまりしつこく付きまつわれる愛は、ときに面倒、

それでもありがたいとは思うものだ。

シェークスピア。

わたしが後悔するのは、しなかったことであり、

できなかったことではない。

イングリッド・バーグマン。

何事かを試みて失敗する者と、何事も試みないで成功する者との

間には、計り知れない相違がある。

ロイド。ジョーンズ。

誰からも愛されないのは大きな苦痛だ、

誰をも愛さないのは生の中の死だ。

グリューン・ベルグ。

現状維持では後退するばかりだ。

ウォルト・ディズニー。

どんなに苦しい時でも抜け道がある。

でも、歩くのをやめたやつは最高の抜け道があっても

見つけられない。


人が人を嫌いになることには理由があるが、

人が人を好きになるのには理由はいらない。

芸術とは、最も美しいウソのことである。

ドビュッシー。

生きる意味を問われて、私の心に起きる動揺こそ

わたしの生きる意味だ。


人生に幸も不幸もない、ただ考え方しだいで、

どうにでもなるのだ。

シェークスピア。

人生はただ一回きりである、

あの世などどうでもよい。

単なる安穏無事な生活を送るより、

この世で何事かをやり遂げんと、

冒険を試みるほうが人生にふさわしい。

セオドア・ルーズベルト。

愛はただ与え続けるもの、与え癒しむもの。

愛というものは、愛されるということよりも

むしろ愛することに存する。

アリストテレス。

愛を求める者は、嫉妬と憎しみと裏切りにつながる。


人生は勝ち負けじゃない、負けたって言わない人が勝ちなのよ。

坂本 金八。

王様であろうと、百姓であろうと、自分の家庭の平和を見出す

者が、一番の幸福である。

ゲーテ。

男と女とこうも違った、また複雑な人間の間で、

互いに良く理解し合い、ふさわしく愛するために、

一生を費やして長すぎるということない。


結婚したやつはバカだ、しないやつは・・・・

もっとバカだ。

バーナード・ショウ。

子供は未来であり、回帰なのです。

子は胎であり、海なのです。

リルケ。

人間は、1人では人間でない。

テニソン。

愛というのは、どれだけ多くのものを与えたかではなく、

そこにどれだけの思いやりが注がれたか、ということなのです。

マザー・テレサ。

求める行為は不安を呼び、与える行為は安心を呼ぶ。


自分にできる限度をほんの少し越えたことを、

毎日ひとつ実行せよ。

ローウエル・トマス。

愛する、それはお互いを見つめ合うことではなく、

一緒に同じ方向を見つめることである。

A・デ・サン・テグジュベリ。

快適な空間にしがみつく自分をそこから押し出すのだ。

そして新しいことを始めてみることだ。

ジョン・P・コッター。

今、正しいことも、数年後、間違っていることもある。

逆に、今、間違っていることも、数年後、正しいこともある。

ライト兄弟。

人間は敵意を持つ人生へとおもむかなくてはならない。

・・・グッド・ラック・・・

人生で迷ったら思い出して欲しい言葉。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。座って半畳、寝て一畳。


上善水の如し。


 

名前

自分のものなのに、自分よりも

他人によく使われるもの、ってなあんだ?

子供の頃、《なぞなぞ》でひんぱんに訊かれた。


一昨日の午前中、子供たちへのおみやげにと

何年ぶりかで久しくご無沙汰していた有名ドーナツ屋さんへ

隣町へと足を延ばして半時間(ハーフアンナワー)かけて

おもむいた。家内は仕事でよくご厄介になってるようだが。

並木通り沿いを一本東に位置する目抜き通りに構える地方

有名スーパーへひっきりなしにゾロゾロとにぎやかな人の

群れが慌ただしく、まなこ全体に飛び込んでくる。


そんな人たちを尻目に一歩手前の角を右に大きく曲がってひとり

テクテクと吸い込まれるように入店する。時節柄、消毒液が設置

されているが、べちょべちょになって鬱陶(うっとう)しいので

自己判断で無視して陳列だなを隅々観察しながら、はう様に動く。

そうこうしていると、ある時、親切心からなのかマニュアルから

なのか、身障者への対応へとトレイとトングを手に持って、

ひとりの若い女性従業員が笑みをたたえて近寄って来られ

背後から顔をのぞき込んでこうおっしゃった。

「どうぞ、お使いください」「ありがとうございます、でも、

じきに、連れが来ますから、結構です、すいません」と

微笑み返し断った。彼女はトレイとトングを元の位置に戻すと

「では、お好きな所に、お座り下さい」と声をかけ、丁寧に

応対してくれた。朝から気分を良くした私は「すいません」と

軽くおじきをして背筋を伸ばし店内を見渡した。

ひとりずつの女性客が西と東の隅にそれぞれ腰かけてスマホを

つつきながらコーヒーをすすっている。北側の陽の差し込む

テラス席には年配の男性客大勢が食事が済んだ様子でザワザワと

後片付けを済ませてコートやバックやらをしきりにチェックして

立ち去ろうと腰を浮かせていた。いっきに人気の席がガランと

なって、子供のように喜び勇んで陽当たり一番でベストビュー

ポイントへ腰かけた。やがてやってきた家内に望みの商品を

伝え、席でワクワクしながら待っていると、先般の女性店員が

トレイをさげて近づいた。「お待たせしました、コーヒーの方?」

との声に軽く手を上げて、「はい」と応えた。彼女は

パチクリとした可愛い目元が魅力的な女性で、一瞬目が合って

しまい恥ずかしくなった私は視線を落とすと名札に注意が向いた。

「ごゆっくり」との声に、すかさず「高橋さん、ありがとう」と

名前で呼んでお礼を言うと、彼女は一瞬、ハッとしたようで

ピくッと肩が震え、小さく振り返り目を見て会釈をして立ち去った。

しばらくして、女性店員に目配せして手を上げ「コーヒーおかわり」

と告げると、彼女は笑みを浮かべて近づいて嬉しそうに注いでくれた。

「サンキュー、ミズ、タカハシ」と重ねて言うと、ニコッと

目尻にしわを寄せていっそう嬉しそうに、はねるように戻った。

私が何度も顔を上げてレジ付近に目を向けると、彼女は

コーヒーポットを抱えて給仕の準備体勢を取っていた。

私が手を上げると時を置かずに近寄って応対してくれる。

「飲み過ぎと違う」との家内の忠告に「元とらないとね」

「たかはしさんがいれてくれるから、」「ほんと美味しい」

と答えると「ありがとう」「何回されても、けっこうですよ」

と笑いながら「元以上とってくださいね」「サービスですから」

と声高に優しくおっしゃってくださった。


異なる過日の事。昼食で回るすし屋で食後、立ち去ろうと身体を

すべらせて寄せて杖を手にしてベンチシートから立ち上がろうと

テーブルに手を掛けると、とつじょ・・・ 目の隅にひとりの

男性が・・・ 「どうぞ」と言って手を差し伸べてくれた。

「大丈夫です、ありがとうございます」と丁重に断った。

一瞬、名札に注意が向いて「ファイさん ?」と語尾を上げて

彼を見やると、「はい、外人です」と寂しそうな表情をされた。

自分を卑下してさげすむようで良くない事だと悲しくなった私は

顔から受けた印象から当てずっぽで「ベトナムですか?」と

問うと「そう、ベトナムです」とビンゴだったのか、にこやかに

微笑んで応えてくれた。「仕事で日本に ?」「そうです、」

「ベトナムの印象は ? 」と、彼の問いかけに、こう答えた。

「戦場にされた、悲しい歴史を背負った国、」

「プア・シング(可哀そうに)」

と聞くと、彼は辛そうな悲しい目をして「以前わね」とつぶやく

と「でも、今は変わって良い国ですよ、」「一度来てください」

と笑顔で話してくれた。最後に「ですね、機会を作って、ぜひ

とも」「世界で一番、女性が美しい国とも聞いています」と、

付け加えた。その後、彼は活き活きと、テーブルを片付けている

ように小生には感じられて嬉しくなった。


直接、名前を呼ばれると誰でも自分自身を意識して、アイデン

ティティーを呼び起こされるのだろう、良いことであろうが、

そうでなかろうが。ちなみに、小生の名前の名づけは托鉢で

通りかかったお坊さんに、つけられたと学生の頃に聞かされた。

「ガラガラ、ごめん下さい」「はい」「この家で」

「こんど男のお子さんが生まれますね?」「子供は生まれますが」

「生まれたら、こうじ、とつけたら良いですよ」

「はあ、どうして?」

「こうじ、と名前の人に悪人は居ませんから」と

「考えてみます」で結果、その通りに、

確かに、悪人でないのは間違いないが・・・

安易過ぎないか、もう少し熟考してもよかったのではと。

上善水の如し。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。座って半畳、寝て一畳。


見慣れた通りを転がしていると、母校の小学校が目に入った。

懐かしくなって、記憶の断片をつないで、校歌を口ずさんで

いると「それ、中学校の校歌よ」とツッコまれてしまった。

大人になって、校歌を思い出そうとすると、小学校と中学校が

ないまぜになって、区別がつかないことがよくある。

家内とは小学校は違えど、中学校は同じだ、ごまかせない。

やっかいだ。


 

子供たち

わが塾の中学2年生は礼儀正しく「よろしくお願いします」

とぺこりと頭を下げ、帰り際には「どうもありがとうございまし

た」と顔を上げてしっかり目を見て照れながらも明るい表情で、

少し声高にはっきりした口調で言う。「今日私の誕生日」と

伝え、視線を向けると、恥ずかしそうに顔を赤めながらも、

うつむき加減で「おめでとうございます」と快く微笑みながら

顔をこちらに向けて優しく応えてくれた。

説明をして納得すると小生の顔をのぞき見て「ふふふ、へへへ」

と、手を口元に軽く当て、笑いながらうなずく。

それはそれは可愛らしいものだ。彼女はミデェアムヘヤーの

黒髪を頭の後方で小さくまとめ、小柄ながらもゴムまりのように

若さをはじけさせてトントントンと階上の勉強部屋へと笑顔を見せる。

バレーボールの部活帰りで、お腹を空かせているようなので、

好物のメロンパンを用意してあげると、いつも機嫌良く

美味しそうに上品な口を小さく開けてペロッとほおばる。

「どれだけ食べても太らないんです」と言うので余分に

2、3個準備してあげると、目を輝かせ物色して手に取って

冷たい飲み物とともに、喜んでほとんどたいらげる。好意を

素直に受け入れてもらえると、こちらもとっても嬉しくなる。

こんな素敵な子が自分の子供であったならいいのになあ、

と少しニキビが見えるものの見た目も可愛らしく、

小顔の上で微笑む可愛らしさが印象的な女性で、

素直で几帳面で礼儀正しく聡明な彼女は、子供らしい

誰からも好かれるとっても良い子で評判の生徒であろう。

それでも、「部活どんな ? 」と訊くと、言いにくそうに

眉間にしわを寄せてはにかみながらひと言こう答える。

「しんどい」と、正直に弱みもみせられて、父性を刺激され

誠にいとおしくなる。


季節が巡り桜が咲き誇って春が訪れ毎日がおだやかで平和だ。

英語の塾の送迎の折り、「行きたくなあーーい」「行きたく

なーーい」と駄々をこねるものの有無を言わせず到着すると

無言で不思議と一目散に教室へと走っていく。

授業を終え、車に乗り込むと後部から何やら声がする。

「あ、あ、あ、アップル」なおも「あ、あ、あ、アリゲーター」

少し間をおいて「ウームン」「ウーム」「ウーム」「あれ」

まわりの者も本人すらも、頭の中が ? におおわれていると、

「ウン ?」と首をかしげて何やら考え込んでいた彼女は、

背筋を伸ばし、あごを引いて姿勢を正して鼻をふくらませ大きく

息を吸い込むと気を取り直して再び「ウーム」「ウン ? 」

「ゴホン」「ゲッ」「ゴホン」「ゲッ」セキをふたつ吐き出すと

「ルーム」「ルーム」「できた」「できたよ」と整った顔を

クシャとさせ、大きく崩して微笑み、全身を弾けさせて

ひとり激しくはしゃぐ。天真爛漫で育ちの良さも感じさせられ

感情豊かで頭の回転が速く行動派の陽気な彼女はどんな時も

人を元気にさせてくれる、とっても楽しい女の子だ。

(悪く言えば、少し気性のはげしい、じゃじゃ馬かな?)


週末県をまたいでお迎え、車内の後部座席の彼にひとくち大の

菓子を与えると「ゲッ、ゴホン、ゴホン」「いつも、セキが

よく出るんですけれど・・・」とふとつぶやくと、

「コロナ? 」と一同驚きとともに発するやいなや

「うんうん、違うよ」と否定する。「お茶いる ?」「はい」

と元気な返事。「これおしっこみたい」

と言いながらいっきに飲み干す。「おかわりは ?」「はい」

「これ、おいちゃんのおしっこ ?」と言いながらまたも飲む。

「おばちゃんのおしっこも飲んでみる」とシモ発言が止まらない。

近づき耳元でこうささやく。「なんで、こんなこと言うか分かる?」

「コロナだから・・・」と言い訳がましく微笑む。

帰りの車内では離れがたいのか、何かしら我々に近づき

「何しちょる ?」「***のこと教えちゃろか ?」

しきりに話題を探ろうとやっきになって色々と振ってくる。

「なぞなぞ」「ぶ、で始まる***の好きなもの、何だ ?」

「ぶた」「ぶた?」「ブロッコリー?」「ブス?」と矢継ぎ早に

聞き取れないほどにまくしたてると、困惑した表情になって

「うっせー、うっせー」「うっせーぞー」と大声で叫びあげる。

「ぶーぶ」。ややして、「こんど晴れたら」と言葉を切ると考え

込んでいるようで「ピクニックで、焼き肉がしたいな」と甘える

ように小さく言った。「それ、バーベキュー、て言うのやで」と

言うと「そうなん、ばーばーきゅうー ?」

「ばーばが、きゅう ?」「ほんと ? 何それ、」と

語尾を上げて視線をこちらに向ける。「ううん、バーベキュー」

と聞くと、いっそう眉を吊り上げ困った表情で顔をそむけうつむく。

風がやみ雨も止んで、霧が晴れると、お別れの時が・・・

車に乗り換えるため外に出て、大人が話し込んで

いる中、わずかにはみ出た丸れんが(幅10センチ、長さ20

メートル)の上を器用に歩く。車が通過しようとすると道脇へ

大きくそれ素知らぬ顔で通過する車を見過ごす。一歳の時から

足しげく我が家に通った付き合いで親族並みの近しい間柄で

お互いがお互いに特に気づかうこともなく、ありのままに

振る舞え合える関係へと深められた。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。すわって半畳、寝て一畳。


誕生日には大好物の焼き肉をたらふく食べた。

焼き肉食べるためだけに、間食を控えたり、運動したり、

ダイエットしたりと、健康に気づかって生活している。


 

母のゆううつ

本日は60回目の誕生日。いろいろなことがあったもんだと

感慨にひたりながら気持ちの良い朝の目覚めをいただいた。

目覚めがいいと、ほんと何でもできるような気になるもんで、

老い先の短い年になっても空でも飛べそうな気になるから

不思議だ。朝日を浴びると私の中でおぼろげな記憶がよみがえった。


身を固めようと大阪から地元に帰って来た時、母がみんなの前で

顔をくもらせて語気鋭く打ち明けた逸話が耳にこびりついて離れない。

小生を身ごもって、また授かったとお腹をさすって喜んで話すと

気性が合わず仲の良くなかった祖母に眉間を寄せてこう言われたそうだ。

「あんた、三人も、産むんかね ? 」(私は三人兄弟の末っ子)

母はこの時こう思ったそうだ。(自分は8人も産んどいて)

(このババアが ・・・)と。(8人目は幼少時亡くなった)

祖母が逝ってから10年ほど経っていたが、怒りが収まらない

様子で顔をしかめて懐かしく思い出し、しっかりと語ってくれた。


祖母がそんなことを言ったとは露ほども知らない私は

《おばあちゃん子》で、兄弟で一番よくなついた小生を

あれほどよく可愛がってくれたのに・・・学校から帰ると

よく祖母に声をかけられた。「こうちゃん」「何 ? 」

「ちょっと、こっちに来て? 面白いテレビしよるよ」

「うん」と祖母の近くの横に寄り添って寝っ転がった。

そこで放送されていたのは歌舞伎? 小学生には理解できない

日本古来の観劇であった。「面白かろ ?」と訊かれて

「うーん」と口ごもっていると、「イエ~、フォー、ポン、ポポン」

と、とつじょテレビに合わせて何やら、うなるように

奇声を発して楽しそうにひとり興じていた。小生がきょとん

としてあっけにとられていると、こちらに顔を向けてかすかに

微笑んだ。しばらくして、その場を離れ戻ると顔を寄せて

「これあげよ、黙っとかんかんよ」とささやいてこっそりと

お小遣いをくれた。祖母はどんな気持ちであったのだろう?

(母にはいつも冷たく当たっておきながら)

まごには優しく接してくれた。心優しいおばあちゃんだった。


不確かな記憶だが、1、2歳の時だろう。

母に向かって「おっぱい飲みたい」と言うと

ためらいがちに伸びきってたれた《いち物》をこう言って差し

向けられた。「あんた、かまれんよ、すぐかむんやけん」と。

母にたびたび、とがめられたようで妙に頭の片すみに残っている。

母によると、小生はコロッとたやすく、陣痛もほとんどなく

生まれ出たそうで、母は楽だったと目じりにしわを寄せて

嬉しそうに教えてくれた。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。すわって半畳、寝て一畳。


高校一年生の時、学校帰りに立ち寄った本屋の出入り口

付近で雑誌をひんぱんに立ち読みした。当時の僕らには

すごく刺激的だった「週間プレイボーイ」に連載の

マンガ「俺の空」ドキドキしながらなめるように読んだ。

その後、同級生を見る目が変わってしまった。はや生まれの

同級生の中で一番年が若く、このごろ成長期を迎えたようで

ホルモンが、出まくっていたのだろう。


ささっと書いた落書きみたいなものが、一億円で売れないかなあ

宗教上の理由で、美味しいものしか食べられない厄介なやつです。


 

(Blog to Soul)水素風呂と時代劇と音楽を愛する左半身麻痺の塾講師