初日(始まり)

ここってどこなんだろう?

見るものは、見るとはなしに、思い浮かぶ。

聞くことは、聞くとはなしに、思い当たる。

触るものは、触らなくても、感じることができる。

どこかに行くには、行かなくても、思うだけで移動できちゃう。

宙に浮いている感覚は、ずっと変わっていない。

僕の周りには老若男女、様々な人が

みんなが居てくれたから

ちっとも寂しくなかったんだ。でもある時に

僕、ひとりぼっちになっちゃったんだ。

ーーーー宇宙の摂理に従い、選ばれし《もの》ーーーー

ーーーーそれが僕の運命の始まりーーーー

ある者が僕を呼ぶんだよ。「こちらに来なさい」

「こっち、こっち、急ぎなさい」

「あなたの順番(your Turn)なのだから」

それからずっーーと、ひとりなんだ。周りには誰も居ないんだ。

ひとりになってどれくらい経(た)つかな?

ここってどこなんだろう?

落とし込まれてしまったよ。

閉じ込められたんだよ。

中に入り込んでから、見ることはできない。

聞くことは、何気に聞こえる。

でもなぜか息苦しいんだな。窮屈(きゅうくつ)なのさ。

宙に浮いている感覚は、ずっと変わっていないのに。

ーーーーやがてそのうちーーーー

ーーーー月が満ちてきました。----

「もうこの場所にも、居られないのか」

「この場所から出なければ」

「もう一刻も早く出なければ」

「まだ浮いている」

「これを突き破らないと、出られない」

「初めて誰かが僕の身体を触って手助けしてくれた」

「えーい、やっ」、「えーい、やっ」、「えーい、やっ」。

ーーーー玉のような子が落ちましたーーーー

ーーーー命の誕生ですーーーー


今から57年前の今日《1961年4月1日》早朝

僕、はこの世に生をうけました。

何回目かの生まれ変わりの、人生の始まりでもありました。

4月1日、土曜日、晴天、大安、早朝、母は産気(さんけ)づいたそうな。

3人目なので不安もなく、産婆さんを呼んで父は出勤しました。

父の遺品の日記帳に、長男の兄の時は立ち会って

事細かく時系列的に、詳しく記載されていたのに

僕の時には、それはなんともあっさりと淡白な内容。


《仕事から帰ったら、男の赤ん坊が眠っていた》。とひと言。

嫡男とそれ以外とではこうも違うものかと改めて痛感する。

今でも忘れない小学校5年生の時、父が関西へ社員旅行。

ひとつ上の兄には、お土産にプラモデルが手渡される。

嬉しそうに両手で持ち上げて、はしゃぐ兄。

みんなと同じまんじゅう一個を、ちびちび時間をかけて

味わっていた弟。次の日、母が僕に言い放った言葉。

「しんちゃん(兄のこと)は、跡取りやから」って。


でも僕そんな小さなことに、腐ったりしなかった。

家に縛られることなく、好きなことを

好きにさせてもらえた。感謝している。

おそらく何回目か前の人生で、一度長男に生まれて

上手く人生を過ごすことができずに、苦労したのだろう。

今度生まれ変われるとしたら、長男を避けたいと願って

神様がそれをかなえてくれた、今回の人生で次男に生まれた僕。


今日は僕の残りの人生において、初日なのです。

何回目かの、生まれ変わりの人生の始まりでした。

 

生きるために一番大切なもの、赤ん坊を観ていて、

 

それは《安心感》だと思う

 

自分は守られているのだという安心感、

ダメな時は元気が出るまで、ゆっくりしていればいいのだという

《安心感》があれば、多分、

人間は何度でも、いつからでもやり直せる。

 

《人生、は死ぬまでのまわり道、=道草》でしかないのです

 

できる限り様々な道を、ゆったりと味わって楽しみましょう。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


音声付きの洋楽紹介は、やらないことにしました。

第三者の厳しい目から、ストップがかかったのです。

出来なくなったのです。申し訳ございません。


 

赤ん坊(旅立ち)

《簡潔さこそが知恵の神髄》なのです。

32型のテレビだけが、際立って個性を主張している

特にこれといって、何もない8畳ほどの広さの簡素な部屋。

部屋の真ん中あたりで、一夜をともにした男女。


「春はあけぼの、ようよう白くなりゆく山ぎわ、少し明かりて」

東に面した広い窓から、差し込む朝日の熱を身体全体で

実感した彼は、明け方に目覚めた。部屋は明るいが

今だ静かだ。初めて目にする部屋の景色に、

きょろきょろあたりをうかがってみるが、

何かの違和感を感じて、

起き上がるべきか、どうか悩んでいた。

ーーー「あー、よく眠れたよー」---

ーーー「ここって、どこなんだろう?」ーーー

ーーー「あっ、お母さんかな?ーーー

ーーーでも何か違うような、、、」ーーー

「***くん、起きた、おはよう」ーーー

彼の起床に気づいた妻が起き上がり、声をかける。

男は天井につるされた、カモメの装飾物を

興味深く見入っていた。突然の声に眉根を寄せた。

それは母親でないことは明白だった。自分自身が母親の手に

戻るまでは、決して機嫌を損ねないように

《いい子でいよう》と、そしてこの場をなんとか

やり過ごそうと、小さな心に強く決め

あたりさわりのない表情を保つようにした。


その後8時過ぎに部屋を開ける音で、目覚めた僕は

ふたりの姿を見て起き上がろうかと考えた。

彼は控えめに僕の隣にすっと入り込む。

なぜか、そのよそよそしさに気が引けた。

右隣に振り返るたびに、幼児の小さな横顔を

とらえる。彼は眠ることもなく、まばたきをしながら

とらえどころのない、まったく変わらぬ表情で

静かに、ひたむきに何かを待っているようだ。

しかし彼の目に、ちらりとのぞく弱さが、僕の心を揺さぶった。

「***、今日はお母さん、迎えに来るよ、安心やで」

「もう少しの辛抱だから、」、「***はえらい、ええこや、」

「よしよし、よしよし」。励まし、頭をなでてやる。


彼は朝食は気兼ねなく、遠慮なくときおり笑顔を

みせながら味わっていた。食事が終わると、

昨夜の不安と緊張が、遠い昔のような気がした。

ふいに玄関の引き戸の滑る音が届く。

「ガラガラガラ、おはようございます」

疑うべきもない、まごうことなき母親の声に

表情が一変する。ーーー「もう、長居は無用だ」ーーー

突然、待ちわびていた訪れた朗報に彼の反応は

冷静ではいられなかった。

自分でも想像できない、

声がでる。「あ゛ー、あ゛ー」

心の奥底で望んでいた、深い安堵感と喜びから

不思議と泣けてきそうだ。「わーん」。

椅子を引いて降ろしてあげる。瞬時に

誰よりも一番早く、まっすぐに玄関に向かい

この二日間で最高の笑顔を投げかけ

母親の懐(ふところ)に抱かれる。親子はほっとする。

一見激しく情熱的そうであったが、その再会は

奇妙なことに静かで穏やかであった。

彼は少し紅潮して、口ごもりながら、

泣きじゃくってそうであったが、すぐに正気に戻った。

母親は妙に冷静で、申し訳なさそうに、こちらに視線を

向けながら、笑みを浮かべてわが子を抱きしめていた。


この二日間で、様々な事柄が彼の身に起こり

彼自身が多くを学び、大きく変わったことも事実だ。

おそらく彼の中で学んだ真実のひとつは、

《母親だけが自分自身の本当の安堵と信頼を成しえる、

唯一無二の存在である》といった真実を

揺るぎないものにしてしまい、決して他の人では

だめだとの思いに至ったはずだ。


その後玄関内を元気に、無目的にうろつき

不思議と我々の顔を、ご機嫌をうかがうように、仰ぎ見ながら

母親の腕に抱かれると再び、未練がましく何度も

振り返り、笑みを振りまきながら去っていった。


《赤ん坊って罪な奴だ》

でも許せて、また絶対会いたいと思わせる。


今日はここまで。近藤浩二でした。

洋楽紹介します、ではまた。


ビートルズで「愛こそはすべて」です。

1967年リリース。全英全米ともにNo1位獲得。

1967年6月世界初の衛星中継テレビ番組

「アワー・ワールド」にイギリス代表としてビートルズは

出演し、新曲「All You Need Is Love(愛こそはすべて)」を披露しました。

フランス国家「La Marseillaise(ラ・マルセイエーズ)」から曲が始まる。

曲のエンディングでイギリス民謡の「グリーンスリーブス」や

アメリカン・ジャズの「イン・ザ・ムード」が挿入されています。

最後の「シー・ラブズ・ユー、イェーイェーイェー」はジョンの

アドリブです。


ジャーニーでオープン アームズです。

1982年リリース。5週連続全米No.2位の自身最大の大ヒット。

アルバム「エスケイプ」からシングルカット。


イーグルスでホテルカリフォルニアです。

1976年リリース。全米No1位獲得。同名タイトルアルバムからシングルカット。言わずと知れたロックの名曲。

ギターのドンフェルダーのギターのみの曲「メキシカンレゲー」

が元曲。ドンヘンリーが歌詞をつけた。

12弦ギターのイントロのメロディーが有名。

チューニングが合いすぎて6弦ギターに聞こえてしまう。

終盤のギターソロは聞きごたえ十分。


 

赤ん坊(初めての旅行)

ーーー「ファン、ファン、ファン、パ、っパ、っパ」ーー

ーーー「ファン、ファン、ファン、パ、っパ、っパ」ーー

鍵盤(けんばん)から自動演奏の軽快な音楽が流れてくる。

何か自分でもわからないモノが身体の中で、

もやもやしてくる。うずくような興奮と、

ともに全身に緊張が走る。得体の知れない、

衝動の対処に戸惑う。周りの大人の

反応を、ちらっと見る。模倣しようと、手をばたつかせ

上半身をねじったり、ゆすったりしてみる。

彼のような人間は、アドレナリンの出る活動を絶対好むはずだ。

緊張して燃え上がり、絶頂になった衝動が、川の堰(せき)が

切れて、濁流が流れていくように、あふれだしていった。

嬉しそうで、今にも吹き出しそうな表情をしている。

こわばっていた四肢が、ふわっと柔らくなっていった。

心地よい疲労とともに、徐々にまぶたが重くなってくる。


すやすやと、聞こえないほどの、小さな寝息を

密かに誰にも、悟られることもなく、思いのほか

すんなりと、眠りに就くことができた。

ときおり何かに、衝(つ)き動かされるように

こわばって、寝返りをうつ。


艶やかで張りのある柔肌、変わることのない、

純粋で無垢な心を映した、まっすぐな瞳。

多年間まぎれもなく誰もが求め続ける、愛されるべき人間。

抱き寄せて、抱きつかれ、身体を預けられた瞬間が

生涯忘れられない。

言葉で表現できない、静かな要求と拒絶を身体全部で

訴えかけてくる。


みんなの中での、自分の存在を確認しながら

信頼と安堵を心の底から追い求めている。

深い眠りに落ち込み、足を踏み入れたのか

目覚めの入り口の手前で締め出され、

広い大きな部屋に移される。


翌朝、目覚めた瞬間に目にした景色は

彼の目にどのように映るのでしょうか?

妻を母親と思い込むことがあるのであろうか?

母親のいない夜を過ごすことになった

一歳少しの幼児の、初めての旅行でした。


今日はここまで。近藤浩二でした。

洋楽紹介します。ではまた。


ダイアナロスで「マホガニーのテーマ」です。

1976年リリース。全米No1位獲得。アルバム「映画マホガニーサウンドトラック」からシングルカット。

マイケルマッサーの作品。米国の大スター女性シンガー。


 

エルトンジョンでフィラデルフィアフリーダムです。

1975年リリース。全米No1位獲得。シングルオンリー。

フィラデルフィアフリーダムとはテニスプレーヤーの

キング夫人のチームの名前。


 

シンディーローパーでテュルーカラーです。

1986年リリース。全米No1位獲得。アルバム「ツルーカラーズ」からシングルカット。

トムケリーとビリーステインバーグとの共作。


 

10CCでフィルム オブ マイ ラブです。

1975年リリース。シングルカットせず。ヒットアルバム「オリジナルサウンドトラック」に収録。邦題「我愛のフィルム」

大ヒット「アイム ナット イン ラブ」も収録。

架空の映画音楽として秀逸な作品を網羅した傑作アルバム。

英国4人のロックグループ。個性的な曲が多い。


 

 

抱腹絶倒(ほうふくぜっとう)

昨日の朝は妻が7時くらいから、仕事で市役所へ、同乗しました。

何にも、せかされていないにも関わらず、

不思議なことに、早朝起床が心地よい。

市役所を後にして、スーパーで惣菜パンとコーヒーを購買して

車を西に走らせて食事を味わいながら、人気の農協で新鮮野菜を

求めに行く道中、父のためにと、残った落語のCDを拝聴する。

桜かと間違えそうな、ピンクの杏(あんず)の花が

控えめに咲いている。日差しが穏やかで、

《しじゅうから》が機嫌よく

時折甲高く、鳴いている。「ピー、ピッ、ピー」


少し紹介します。  すこしだけです。

本題の落語に入る前のまくら(つかみのこと)での話し。

 

ーーー「  しばらくのあいだ、おつあいのほどを  」ーーー

 

ーーー「  ひさかたぶりに百貨店に、  」ーーー

---「  老いた母親を連れて、行った時のことです」ーーー

ーーー「  入り口付近に、あるでしょう 」ーーー

ーーー「  箱が置いてありますよね、  」ーーー

ーーー「  そこに書いてあること、   」ーーー

 

ーーー「    あなたの、       」---

ーーー「  お声をお聞かせください   」ーーー

 

 

ーーー「そしたら、、うちの、おかあが、、あの、、、ーーー

ーーー「  、、、箱の前に立って、、、   」ーーー

ーーー「   、、背筋伸ばして、、、    」ーーー

 

ーーー「 え、えーっ、えーっ、 ゴホン、ゴホン」ーーー

 

ーーー「  なに、しゃべろか?、、 えーっ、 」ーーー

 

ーーー「はずかしーーい、さかい、、はよ、、おいで」ーー

ーーー「ほんま、、、びっくり、、しますよ」ーーー

 

ーーー「これ、人から聞いた、はなしですけど、、」ーーー

ーーー「ちょっと、、《ぼけ》はじめたご老人に、

ーーーですね」ーーー

ーーー「生年月日、たずねたん、ですって」ーーー

ーーー「あの、ちょっと、生年月日、ーーー

ーーー教えてもらえますか」ーーー

ーーー「生年月日、言って、もらえますか」ーーー

ーーー「  そうです、、生年月日  」ーーー

 

ーーー「  言ってもらえますか   」ーーー

ーーー「  言ってもらえますか   」ーーー

ーーー「そしたら、その、、ご老人が、、」ーーー

ーーー「え、せいねんがっぴ、をですか、」ーーー

 

ーーー「喉の気道を、伸ばすようにして、」ーーー

ーーー「ひとこと、ひとこと、はっきりと、、」ーーー

ーーー「言うた、そうなんです、、、」ーーー

ーーー「   え、、

 

ーーー「  《せい》、ーー《ねん》、  」ーー

ーーー「  《が、っ》、ーー《ぴ》、ーーって 」ーーー

===大笑い===

ーーー「    そうじゃ、、、なくて     」ーーー

ーーー「 あなたが、生まれた、、ときのこと  」ーーー

ーーー「   はい、、生まれた時のこと、、あの、、」ーーー

ーーー「   ぜんぜん、、覚えて、、、ません   」ーーー

===ふたりして大笑い===

 

ーーー「昨今はアメリカ、ヨーロッパなど、

ーーーー北半球の海外旅行はーーー

ーーーー当たり前の時代。ーーーー

ーーー「つい最近のこと、自分がオーストラリア(南半球)

に行きまして、赤道を超える、といった初体験をしたのです。

 

こっち(北半球)が太陽が当たっている時には、

あっち(南半球)は当たっていない、すなわち

ーーー「こちらが夏なら」ーーー

ーーー「あちらは冬なのです」ーーー

ーーー「こちらが冬なら」ーーー

ーーー「あちらは夏なのです」ーーー

 

ーーー「そうなのです」ーーー

 

ーーー「すべては、こちらとは、正反対なのです」ーーー

 

ですから、

ーーー「こっちは   前に歩くのですが」ーーー

 

 

ーーー「あちらは  後ろに、、、歩くのです」ーーー

=ふたりで中笑い。=

 

ーーー「  次こそは、  本当のはなしをします。」---

ーーー「日本(北半球)からオーストラリア(南半球)に」--

ーーー「飛行機で移動中のこと。」---

 

ーーー「館内放送が入ります。」---

ーーー「  ただいま本機は   」ーーー

 

ーーー「  赤道(せきどう)の、、、真上を」ーーー

 

ーーー「  通過中、、、です」ーーー

 

ーーー「  それを聞いて    」---

ーーー「  、窓から    」---

 

ーーー「  そとを見下ろします。」---

 

ーーー「  それは、  びっくりしました」ーーー

 

ーーー「  わたしもはじめて目にしました」ーーー

 

ーーー「  すごい、 もんですね    」ーーー

 

ーーー「  海のそこに 」ーーー

 

ーーー「 なんと  、、」ーーー

 

ーーー「  あかーーーい、せんが、、、、」ーーー

 

ーーー「  ひいて、あるんですね      」ーーー

= ふたりして大笑い。=

= おあとがよろしいようで、、、、=


《笑い》は、人の気持ちを、あまねく浮き立たせる

長生きの秘伝、妙薬であります。

そして人間だけに許された特権です。

今現在、経済状況は楽観視できないものの、陽気のせいなのか

思うがままに生きることを、何もかもが許されているかの

如く、楽しく嬉しい、ゆかいな日々なのです。

せめて、日がな1日、笑って愉快に過ごそう。


今日はここまで。近藤浩二でした。

洋楽紹介します。ではまた。


キャリーンホワイトでスーパーウーマンです。

1988年リリース。全米No.8位。デビューアルバム

「キャリーン ホワイト」に収録。ダブルプラチナ

200万枚記録。ライブで人気の高い曲。

女性が男性にもっと自分を大切にしてほしいと切実に願う歌曲。


 

リッキーリージョーズで恋するチャックです。

1979年リリース。全米No.4位。デビューアルバム

「リッキーリージョーズ」に収録。彼女のデビューシングル。

最近気になる男の子(チャックE)の様子がおかしい。

なぜだろう? 誰かに恋でもしているのかな?って

やきもきしていたら、私に恋してたって、ハッピーな内容。

米国の女性シンガーソングライター。


 

ポールヤングでエブリータイムユーゴーアウエイです。

1985年リリース。全米No.1位。アルバム「シークレットオブ アソシエーション」からシングルカット。カバー曲。

ダリルホールの作品。


 

 

#美しく完璧

体感温度が上昇してやっと、ストーブとはしばらくお別れだ

《春が来た》なんて、嬉しい声が届いたはずなのに、

完璧に《春到来》を実感して、ブログ更新した途端に、

ストーブへの灯油を購入しなければ得ない、安易な結論を

考え直さなければ、ならない不思議な時節。

わずかな間ではあるが、寒さが和らいで、

温かくなり始め、過ごしやすいーと、

ーーーーー思ったと途端にーーーーー

突然舞い戻ってくる寒さ、

小さな喜びの衝撃波が一瞬で

《期待》から息詰まる《落胆》に変わった。

この《不安定極まりない気候》。


かのアインシュタインは、《自然界はすべて完璧で極めて

美しいはずである》といった、ようなことを述べている。

その天才が、のたまう、美しく完璧であるはずの自然の摂理に

おいて、この時節は人間には戸惑い、一筋縄(ひとすじなわ)

ではいかない、すぐに馴染むことの、理解できないそれは、

とらえどころがなく、シンプルには程遠く、複雑怪奇であろう。

《例外のないルールはない》とは言われるが今の季節は

例外なのかな?

しかるに 《不完全で不安定であろうと結論づけられる

この時節の自然界》。この自然の不安定に気持ちが揺れ踊る。

しかしながら一方で、近郊など近くの野原を眺めると

細流のほとり、いたるところで春色に色めいて、

人の心を、ときめかせ、癒し落ち着かせる、命の躍動を感じ

生きとして、生きるものを尊ぶ、自然の恩寵(おんちょう)。


人智を超えた自然界においてさえも、天才とは別に、

一般人には、美しく完璧とは思えないのです。

まして人為的に、簡単に影響される《経済現象》

においては《何をかいわんや》でしょう。

通常なら入学試験が終了して、新入生がにぎわうこの季節

入塾の問い合わせが多少でも、あってしかるべきなのだが。

少子化の影響と  《寄らば大樹の陰》といった《安心感》

を重んじる社会の風潮の関係からでしょう。


科学界で様々な完璧な理論を数多く構築した

アインシュタインでした。ここでそんな

彼の人生そのものは、美しく完璧であったのでしょうか。

晩年には世間に高く評価されましたが、厳しく逆風の

時代もあったようです。紆余曲折で山あり谷ありの

ドラマになりやすい、人間らしい魅力的な人生です。

人間の人生において、何をして《完璧》と判断するのか

意見の分かれるところでしょう。しかし順風満帆で

ない、無駄と思える経験も過ごしたことで、

様々の現象を第三者的に一歩引いて、

冷静に、大局的に、俯瞰(ふかん)して見たことで

名言も残し、人類への功績の大きさは計り知れない。

人間の人生は、完璧な数式などでは絶対表現できないのです。

不安定な天候の続く、この時節の自然界を、彼の観点から

完璧な科学で説明してほしいものです。

でないと留飲(りゅういん)が下がらない。

美しく、完璧と考えられている自然界においても

100パーセント説明のつかない現象もあるのでしょう。


自然界は完璧だから、こそ美しいのでしょう。

しかし自然界のように、

完璧で完全でしかも、美しい人生を送る人はいないのです。

であっても、誰の人生も《完璧》でなくても、きっと《美しい》

《意義深い》人生のはずです。


今日はここまで。近藤浩二でした。

洋楽紹介します。ではまた。


ジョージハリソンでマイスイートロードです。

1970年リリース。英米ともにNo1位の大ヒット。

大ヒットアルバム「オール シングス マスト パス」に収録。

単調な曲のため、何か物足りなさを感じる。味付けの妙の勝利。

ジョージハリソン最大のヒット曲。彼はすでに他界。

一粒種のダニエルはジョージに瓜二つ。

完成された作品のみが、売れるわけではない、

っといった一つの例。


 

カーペンターズで「遠い思い出」です。

1981年リリース。シングルカットせず。

アルバム「メイド イン アメリカ」に収録。

古き良き懐かしい、趣のある楽曲。

春にぴったりの飛び跳ねるような歌曲。


 

 

スプリング ハズ カム(春がきた)

チア アップ! (Cheer up!)

チア アップ! (Cheer up!)

ヒア カムズ ア ロビン

(Here comes a robin.)

ヒア カムズ ア ロビン

(Here comes a robin.)


昨日にも増して陽光が、さんさんと降り注ぐ

お出かけ日和の、週末の日曜日。

ふと思い出す40年ほど前の今日このごろ。


高校生から、心機一転、勉学にまじめに取り組もうと

意気込んで入学前にもらった、英語のリーディングの

教科書の始まり。

今となっては本文は、記憶は不明瞭ですが、ともかく

挿絵(さしえ)に描かれていた、木々の間から今まさに

飛び立とうと待機している《こまどり》の心の

《弾み》、《躍動感》、《生命力》、《軽快》を

自分自身の心のはればれしさと、重ね合わせて

何かになぜか、ドキドキときめいた、鮮明によみがえる思春期。


ーー少女から女性に変貌する同級生の

ーーー程よい**のふく*みーーー

後戻りができないような、突然目がまわるような

衝動を自制できない、危険性が高くなった年代。

あらぬ妄想を抱かせる、友人からの興味深い情報等。

反面、高校の校訓《質実剛健(しつじつごうけん)》の

ごとく、いっそう厳しくなった先生たちの教授、鞭撻、指導。

とにかく文字を追いかけて、多読することを楽しみにしていた。

ありあまる活力の、静かな反応を、胸躍る心の片隅に

小説本の文章と、ともに無理矢理押し込め

本の中に納めていた。


昼から仕事の妻の用事で隣町まで買い物。

「ざぶとん買おうかと、スーパーで」

「値段の割に、種類も少ないよ」

「ニトリなら種類も豊富やで」、「やっぱり、お値段以上やろ」

「じゃ、ニトリに行こうか」車に飛び乗り、急ぐこと20分。

車窓からの日差しが、まぶしいにも関わらず心地よい。

「今日あついね、暖房切ろ」


週末の日曜日、春の陽気に誘われて社用車より

自家用車が目立つ、途切れることも、ないほど通過する。

赤、青、黄色など、やや派手な服装を

身にまとった、学生らしき若者が、飛び跳ねるように

自転車に乗って、笑顔で楽しそうに話している。

待ちわびていた日差しを、身体いっぱいに浴びようと

背伸びしているような木々の声。「ミシ、ミッシ、ウーン」

開店直後はまだ、すいていたニトリの駐車場も

昼間際にはほぼ満車状態。

山も田舎も街も人々も活気づいて、色めき始めた。

心がほんとに躍る、騒ぐ、気勢が上がる。

《春がきたーーーーー》

今日から何事も始まる。弥生三月の吉日。


当時高校の英語の先生から「春が英語でスプリングなのは」、

「春はスプリング(ばね)のように、飛び跳ねるようで、はじけるからだ」って聞かされた、本当だろうと、今さらながら納得。

《冬来りなば、春遠からじ》です。

少し汗ばむ春の陽気に、あれほど寒かった冬が

懐かしく感じます。


今日はここまで。近藤浩二でした。

洋楽紹介します。ではまた。


カーペンターズでマスカレードです。

1973年リリース。シングルカットせず。大ヒットアルバム「ナウ アンド ゼン」に収録。レオンラッセルの作品。

マスカレードとは仮面舞踏会のこと。後にジョージベンソン

で大ヒット。心が離れているのに、そうでないふりをして

関係を続けようとする二人の話。

間奏のフルートのソロが印象的。ピアノのソロも秀逸。

ジャズのスタンダードとして定着している。名曲です。


クイーンで「愛という名の欲望」です。

1980年リリース。4週連続全米No1位の大ヒット。

アルバム「ザ ゲーム」からシングルカット。

ボーカルのフレディーマーキュレーの作品。原題

「Crazy little thing called

love」。邦題がちとくさい。

オールディーズを感じさせる懐かしいロック。


キャロルキングで君の友達です。

1971年リリース。シングルカットせず。アルバム

「つづれ織り」に収録。同年ジェームステイラーがシングルで発表。全米No1位の大ヒット。翌年グラミー賞獲得。

「友情」、「友達」、「人の絆」を歌った歌曲。

原題「You got a friend」。

彼女がピアノとともに歌えば

力強いメーッセッジに聞こえる。


 

 

 

春の気配 OF 85

雲が遠くまで、はき出された、青空の澄みわたる週末の土曜日。


母を連れ出し近くの茶店でモーニングを楽しみ

その後北西に車を走らせること30分、小高い丘の中腹あたりの

世界一長い吊り橋の起点に位置する、

休憩所「サンライズ糸山」に到着。


車を降りると潮の香りが優しくほのかに漂う。

緩やかな坂が自然と足を進ませてくれる。 =軽やかだ。=

青天のおかげで、レンタルサイクル場がにぎわっている。

建物の自動扉を抜けると、正面には強化一枚ガラスからの

海のパノラマが広がる。空は一面、青空。海が陽の光に

反射して目にまぶしく、きらきらと輝いている。

=これぞまさに絶景。=

最前列の一等席に、三人で横一列に腰かける。

水平線が隠れてしまうように、瀬戸内の島々が

握りこぶしほどの大きさで、交錯して点在している。

海面はそよ風による、さざ波だけのおだやかな海上。

時おりエンジン駆動で個人の、小指ほどの釣り用船舶が

海上を滑走している。  心が休まる、落ち着く、癒される。

時間が《ゆったりとゆっくり》と流れる。

=「せとうちや、ああせとうちや、せとうちや」です。=


「お義母さん、いくつになった?」  何気に尋ねる。

すぐにはかえってこない。

「なんぼなんかいね、、、、忘れた、、」

視線をそらせてつぶやく。

 

「うちの母と同級生やから、今年85やわ」

あっと、思い知らされ、ふと我に返る。

「そうなん」。  驚いたように振り返り、うなずく。

「そうだねー」って突っ込む。

=間がもたず、手持ち無沙汰なのか=

「何か食べようか?」ジャンボもなかを等分する。

「もぐもぐ」、「もぐもぐ」、「コーヒー買ってこよう」

ホットのつもりがアイスのボタンを、押してしまったようだ。

仕方なくアイスにアイスを混ぜ込む。でも美味い。

 

「お義母さん、どこか行きたいとこある?」、

「うーん、特になーい」。そっけなく答える。

 

「何か食べたいものは?」、

「うーん、ないね」。即答する。


人は自分で経験したことの無い事は思い描けないのだ。

見たことのない景色は空想することも、

心に思うことも、考えられないのだ。

想像できないのだ。というよりその前に、

考えよう、想像しようとしないのだ。


昭和ひとけた世代は、生きるだけで精一杯だったのだ。

 

特に母は貧乏性で贅沢とはまったく無縁な人なのです。

 

《家族を思いやり、つましく生きるだけ》 の少し哀れな母に

シンパシーを感じた。

=子供のころの 母の苦労を思い出し、うなだれる。=

しかしここでふと考えさせられた。

経済成長の渦中(かちゅう)で 豊かさを経験した者こそが

幸福であるといった、価値観の押し付けは

傲慢(ごうまん)以外の何ものでもないのであろう。

母が僕たちの考えを受け入れることはないであろう。


どのような人にとっても無条件に良いと思う価値観なんて

絶対存在しないのだ。

 

何かをしてあげようといった《急場しのぎ》は今は不必要かな?

 

頼まれもしないことに、首を突っ込む

おせっかいは、よそうと思いとどまった。


今日はここまで。近藤浩二でした。

洋楽紹介します。ではまた。


リトルリバーバンドでリミニッシングです。

1978年リリース。全米No.3位の大ヒット。アルバム「夢追い人」からシングルカット。自身初のヒット曲。

ムード音楽のフレーバー漂う甘い楽曲。ジャズの要素もあり、サビのハーモニー、エンディングのサックス、短いギターソロなど聞き応えたっぷりの出色のナンバーです。

邦題「追憶の甘い日々」=「reminiscing」

=「思い出にふけること」

オーストラリア出身のロックグループ。


 

キャロルキングでフィールジアースです。

1971年リリース。5週連続全米No.1位。アルバム「つづれ織り」からシングルカット。アルバム「タペストリー」は超大ヒット。「イッツ テュー レイト」との両A面。

邦題「空が落ちて来る」。ライブ音源。

ピアノの連弾の始まりが印象的。かっこいい楽曲です。

ブルース要素いっぱいのロックナンバー。


 

ホイットニーヒューストンで「すべてをあなたに」です。

1985年リリース。全米No.1位。アルバム「ホイットニーヒューストン」からシングルカット。

同アルバムから全米No.1位獲得3曲収録。彼女の出世作。

邦題「すべてをあなたに」。いけない恋だと分かっていても

自分の心に素直に正直でいたいのよっていった

禁断の恋を歌った歌曲。バラード曲。

マイケルマッサーとジェリーゴーフィンとの黄金コンビの作品。


 

マイケルジャクソンでビリージーンです。

1983年リリース。7週連続全米No.1位。アルバム「スリラー」からシングルカット。言わずと知れたキングオブポップ。

アルバム「スリラー」はギネス認定の音楽史上最大のヒットアルバム。とっても乗りの良いダンスミュージックかな。

オリンピックの問題(不思議)

オリンピックが始まると、地上波テレビではどこの局も

オリンピックを放映します。日本人気質なのでしょうか?

嫌いじゃないですが、少々うんざりなのです。

それぞれのテレビ局が資金を出し合ってスポーツ専門の

チャンネルを2つ、3つ作って、時間帯とか競技ごとに

それぞれの局のキャスターや解説者に特色を出せば

通常のテレビ番組を変更なく放送出来るのではと

考えるのですが、これって素人の域を出ないのでしょうね?


改めまして、

羽生選手、小平選手の金メダル獲得本当に

おめでとうございます。個人的には

高梨沙羅選手の銅メダルほんとに良かった。

どの選手も、前回のソチからの裏話を聞くにつけ

怠け者の僕とは、やはり人間の《デキ》がこうも違う

ものかと感心、感嘆しています。

数年間湧き立つ「欲」のほとんどを

脇に置き去りにして、自分自身を自制する人間。

過酷な訓練を詰め込んだ毎日。


日向水(ひなたみず)の日など、1日たりとも送っていない

メダリストたち。少し鋭く、ひたむきさを感じさせる

目の輝き、太い太もも、引き締まったふくらはぎと胴体が

禁欲生活とすさまじい訓練の中で過ごしたであろう

青春時代を偲(しの)ばせる。僕自身、自分の

怠け心に《かつ》をいれて、同じ人間、僕にも

努力できるはず、しなければいけないと

気合いが入ります。


今回のオリンピック観てて痛切に感じたことがありました。

オリンピックってスポーツの祭典ですよね。いってみれば

運動会と同じようなもののはず。規模が学校、自治から

世界に広がっただけです。でも不思議なことに楽しくない。

わくわくしない。スタート前の緊張感が感じられない。

もちろん自分自身が参加していないといった大きな

前提の違いがあります。


メダル獲得に沸いている国内に、水を差す気は毛頭ありませんが

例えば、スピードスケート、

各々の選手が二人ずつ

別の時間帯にスタートして、

タイムの順番で順位を

競い合います。これが何かしっくりしません。

100メートル走のようにファイナリスト5、6人を

横1列に並べて、いっせいに走らせたら

分かりやすくて、面白い、より刺激的で興奮すると思うのですが

競技場の都合もあるのでしょうが、

出来ないはずはないでしょう。


文明の進歩と科学の発展で、あまりにも抜け目なく、

必要以上に効率化に取り組み過ぎている。

様々な事柄を削(そ)ぎ落として、簡素化してしまうのは

時間や作業の短縮化のため、やむえないとは思います。

しかしスポーツ本来の《魅力》を失わさせて、

ほしくはありません。

《強く》《速く》《遠くへ》《長く》《多く》《確実に》を

もっと単純に、簡単に、誰にでも、もっと分かりやすく、

あってほしのです。


本日のテレビで申されていましたが、金メダルを取った

小平奈緒選手のスピードスケートの走りを再現映像で見ると

スタートの時、細かく調べれば「フライング」の

可能性が大だとか。本当に最大限、文明の利器を活用するならば

すぐにやり直しにすべきところでしょう?

しかし誰も異議申し立てを訴えない。

《スポーツマンシップ》らしく潔(いさぎよ)い

と申しましょうか。でもこんな所だけは人間の不確かな感覚、

視覚判断に委(ゆだ)ねられている。

不思議です。誰が決定しているのでしょう?

《不確実》で《不正確》な判断基準の概念を

僕の頑固な脳が無視できないのだ。


10分の1秒程度なら大多数の人間の視覚でも正確に

判断できるでしょう。でも

100分の1秒だったら、大多数の人間の視覚だけでは

正確な判断を自信を持って言い切れないでしょう。

そこで機械に頼らざる得なくなるのです。

《有無を言わせない確実な証拠》なのです。

ある部分では文明の利器に、任せっきり、

ある部分では「《ある》個人の人間だけの視覚判断」に任せる。

微妙なところで、何かが大きく間違っている、

欠け落ちていると感じてしまうのは

良くない事なのでしょうか?


こんな最新技術が蔓延(まんえん)する、現代社会においてでも

最後の最後の判断は機械やロボットではなく人間、

スポーツにおいては審判なのです。審判はスポーツにおいては

絶対な存在、すなわち、その言葉は神の言葉と同等なのです。

そこには《心証》といった「私情」が許されないはずなのです。


そんな問題が発生し易い競技と言えば、もうひとつ

フィギュアスケートや体操競技です。これは

《美しさ》《華麗さ》《力強さ》《難易度》《確実さ》

といった機械だけでは、到底その判断を委ねられないものを

競い合っているのです。第三者の専門家の人達だけで

判断決定するのです。間違いなくそこには、100パーセント

個人の「好み」、「気分」、「偏見」、「思い込み」など

《心証》が大きく影響して、結果に反映されてしまうはずです。

確かに審判(神)の判断と、納得せざる得ないといけない

選手の潔(いさぎよ)さはスポーツマンらしく頭が下がります。

4年間365日の努力をたった、一回の一発勝負の

結果に委(ゆだ)ねる、ここで審判である専門家たちも、

おそらく選手と同様に4年間365日毎日

寝る間も惜しんで命を削って、判断する《審美眼》

を磨こうと、努力をしているとは到底思えません。

そのような、いっときの人間の判断で

選手たちの努力が犠牲になっているようで遺憾なのです。


出来ればもっと公明正大に

誰にも分かりやすく

判断できるような

誰でも納得できるように

審判基準を改良すべきだと、つくづく思います。

例えば、全く同じプログラムを決められた時間に

ピッタリと演じさせてみる、とか。

ジャンプの回転の《多さ》や《高さ》、《長さ》

を競い合う、とか。


ルールなので仕方がないのでしょうが、

後よく納得できないのが、ドーピング疑惑問題。

薬物使用の制限なのです。賛否はともかく、

せめてオリンピックの競技の中に薬物使用を

認めた競技が存在しても良いのではないのか?

人間の持つ潜在能力も含めて

100パーセント、200パーセント、300パーセント

出せれば、どれほどの可能性があるのか、

人間の持つ極限の能力を一度体感させてみたい

見てみたいのです。死なない程度で薬物使用を容認してほしい。

麻薬のような常習性や危険性の問題なのでしょうか。


麻薬まではいかなくても、創造性を増殖させたくて

何かの薬物を使用して、斬新(ざんしん)で革新的な

何かの理論を着想した人間が居たとしても

誰も薬物使用を疑って、ドーピング検査をするなんて

ことはないはずです。

そこの境目があいまいで、ほんと疑問符いっぱいです。

神による《絶対性》と機械による《非情性》の

あいまいな境目に存在するのが、人間の《温もり》なのです。

おそらく自己満足と社会貢献の違いなのかな。

でもそれだとしたら、スポーツ選手に失礼でしょう。


今日はここまで。近藤浩二でした。

洋楽紹介します。ではまた。


ホールアンドオーツでキス オン マイ リストです。

1981年リリース。三週連続全米No.1位。アルバム「ボイシズ」からシングルカット。テンポの良い軽快なポップソング。

アイ ラブ ユーと言う代わりに

「君のキスは僕の人生の最高のリストに入っているんだ」

って婉曲的に愛の告白をした楽曲。米国の男性コーラスヂュオ。

大ヒット曲多数あり。


 

ボニーレイットでナット ジ オンリー ウァンです。

1992年リリース。全米No.34位の中ヒット。

アルバム「ラックオブザドロー」からシングルカット。

米国の人気女性ギタリスト、シンガー。リズムアンドブルース

とカントリー色のある味わい深い楽曲。お気に入りです。

アルバムはグラミー受賞。必聴の価値ある歌手です。


 

エルトンジョンでネバーゴナフォールインラブアゲインです。

1980年リリース。シングルカットせず。アルバム「21 アット 33」に収録。秀逸のバラードです。


 

ロバートフラックで「やさしく歌って」です。

1973年リリース。5週連続全米No.1位の大ヒット。

アルバム「キリングミーソフトリー」からシングルカット。

原題「Killing me softly with

his song 」=「彼の歌で優しく殺して」の意味。

当時学生の頃、テレビでコーヒーのコマーシャルで

頻繁に流されていた。米国の女性ソウルボーカリスト。

間違いなく名曲です。聴きごたえのあるバラード曲。


 

 

嬉しくない好意

先日遠方の友人から小荷物が届きました。

僕の独身時代の同僚の独身男性からでした。

DVD一枚だけが入った小包でした。何のDVDなのか

分からないままテーブルに置き去りにしていました。


少し遅れて彼からメールも届きました。BSテレビで

放送された歌番組を録画したので送付します。との内容でした。

我が町、伊予西条市で公開録画された一時間の特別歌謡祭です。

僕の母校の西条高校のコーラス部も特別出演しています。

との説明がなされていました。

彼とはもう10年近く会うことも

電話で話すこともしていません。年賀状だけでの

やり取りの間柄でした。

僕としてはここのところ慌ただしくて、特別に話をする

内容も無いので、連絡を取ることも無く忘れていました。

今日再度メールが届きました。DVD割れていませんか?

観ましたか? どうでしたか? との問合せでした。


もし僕が故郷を離れて、独りで暮らしていたのでもあれば

故郷の話題は郷愁を誘われ、懐かしさのあまり

感極まることでしょう。

そしてそんな彼の好意に、心の底から感謝感激するでしょう。

「ふるさとは遠きにありて思うもの」

「そして悲しくうたうもの」

で始まる室生犀星(むろうさいせい)の詩は有名です。

僕の友人はこの詩の心情を、遠方の友人の僕にへと

想いを馳(は)せて、僕に保存版にして何度も

観てほしいとの優しさから、あふれ出た行動だったはずです。


しかし今の僕は30年近く離れていた故郷に20年前に

結婚を機に、住み着いているのです。もうすでに、

故郷に帰ってきて、現実の日常生活の中で、

子供の頃の思い出に、自然と日々懐かしく、

物悲しくなっているのです。

間違っても、作為的なテレビ映像を観て、改めて

故郷に想いを馳せることも

感傷に浸ることも、もはやあり得ません。


彼の「好意」は、少しは理解出来ます。

「ありがたい」とは思います。

「優しい友人」とも思います。

しかしながら、忙しい今に、感謝の気持ちを今すぐにでも

伝えてあげたいとはどうしても思えません。

彼の考える「故郷への熱い思い」と僕の考えるそれとでは

微妙なところで、何かが大きく異なるのです。


非好意的に考えてみると、ぼくより少し年上で、

一人っ子で独身の彼は独り身の《寂しさ》を紛らわしたくて、

近くの友人より、遠方の僕に懐かしさ、親近感を覚え、

誰かにかまってもらいたくて、

優しくしてもらいたくて

他人に優しくしたくなったのではないのだろうか?

その誰かが僕であったのだ。少々子供じみて思えるのだが、

彼の心情は僕にも痛いほどよく理解できます。

そんなに時間を置かずして、その気持ちに答えて

あげたいとは思っています。

しかし、そこで僕は思ったのです。


誰かに何かをしてあげようという《親切》、

してあげたい想う気持ち《厚意》は

どのような人にも、誰にでも、自然とわきあがる感情でしょう。

しかしその動機付けは様々です。


その人への純粋な親愛の気持ちから行われた

《好意》であるならば、その想いは相手に確実に

素直に届くはずです。でもその《好意》が自分自身にも

《見返りの厚意》も考えての、ものであったとしたなら

もはやそれは《好意》ではなく《おっせっかい》です。

そうなのです。受け取る人によっては

嬉しい《親切》では無く、ただの《迷惑》になって

しまうものなのです。

すでに故郷で生活している、僕の現在置かれている

日常生活をわずかでも考慮すれば、僕の故郷の情報など

不必要なのだ。どちらかと言えば、友人の彼自身の

今の生活状況を詳しく知らせて欲しかった。

友人の事を悪く言いたくはないのですが、


ご時勢なのです。50歳を過ぎても独身を貫き、

《結婚など論外》などと強く吠えていた若かりし当時。

妥協を許さず、普通の身の上にあらぬ人は、残念な事に

普通の人の気持ちを、推し量(はか)ることは

容易ではないのだ。気持ちが行き届かないだ。

彼の名誉のために、彼は決して人の気持ちが

分からない、野暮でも馬鹿な人間でもありません。

才能や能力は希薄で、名声も財産も乏しいですが、

仕事熱心で実直で真面目なのです。

友人は数多くはありませんが、お人好しで人間味あふれた

魅力的で楽しい人間なのです。でもいかんせん、

寂しがり屋で酒とたばことスポーツを愛する自由人なのです。

今の年齢になって、おそらく大きな過ちを犯してしまっ

たことに、ぼんやりと気づかされたことだろう。

身を固めそびれてしまった。独り身の《寂しさ》は

もはや退けられず、刻々と確固たる現実のものになっていく。


最後に室生犀星の有名な詩の5行を紹介して終わりにします。

ーーーー題名「小景異情(その二)」----

ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの

よしや

うらぶれて異土(いど)の乞食(かたい)となるとても

帰るところにあるまじや

異土とは故郷以外の土地、異郷のこと。

乞食(かたい)と読む。乞食(こじき)のこと。

うらぶれて=落ちぶれての意味。哀しい詩です。


今日はここまで。近藤浩二でした。

洋楽紹介します。ではまた。


フォリナーでコールド アズ アイスです。

1977年リリース。全米No.6位。デビューアルバム「フォリナー」からシングルカット。ボーカルのルーグラムと

ギターのミックジョーズとの共作。英国と米国の混成の栄光のロックグループ。

ピアノの4っつ打ちから始まる、力強いシンプルなロックナンバー。


 

ベットミドラーでローズです。

1980年リリース。全米No.3位。アルバム「ローズサウンドトラック」からシングルカット。ベットミドラー自身が主演している映画「ローズ」の主題曲です。数多くのミュージシャンにカバーされてる名曲中の名曲です。

愛についていろんな人が語っているが、

私にとっての愛とはこういうものよ。

愛の本質を歌った歌曲。


 

ベイシティーローラーズでアイオンリーウォノビーウイズユーです。

1976年リリース。全米No.12位。アルバム「デヂュケーション」からシングルカット。

邦題「2人だけのデート」パワーロックの王道。

日本でも大ヒット。高校生当時気に入った曲でした。

若い女の子にすごく人気のあった英国の5人の男性グループ。


 

イエスでロンリーハートです。

1984年リリース。2週連続全米No.1位。アルバム「90125」からシングルカット。

英国の老舗のプログレッシブロックグループ。こちらはメンバーを入れ替えた新生イエスの第一弾アルバム、大ヒット曲。

孤独の在り方を実感する楽曲。

様々な効果音をキーボードで演出したポップなロック。


 

 

とうちゃん

陽が沈み、辺りが闇に包まれ始めた夕刻。普段なら

訪れることのない時刻に僕の実家を訪ねる。車のライトを消す。

暗闇で見えにくい足元を、覚束(おぼつか)ない足取りで

入り口へ向かった。数十分前に手にした玄関の引き戸を

再度滑らせる。

ーーー「ガラガラガラ、ガラガラ」ーーー

異様な静寂(せいじゃく)が家全体を覆(おお)っていた。

何かの終焉(しゅうえん)を示唆(しさ)しているようだ。


どうにか廊下を渡り、応接間の隣の部屋にたどり着く。

ふすまで仕切っている20畳間ほどの部屋の障子を

滑らせる。ーーースー、スー、スーーーー

妙な結末が一瞬よぎった。

静けさを得た部屋の中で思った。

ーーーー《いきなりかい》----

すでに部屋の中には、呆然(ぼうぜん)と力なく

隣のベッドに座っていた兄。

ベッドの側(そば)で唖然(あぜん)となり、

うつむいていた母。

僕の姿を見て兄が席を外した。

ーーー「ここに座れや」ーーー「うん」ーーー


顔をのぞき込む。いつの間にか酸素吸入器が、寂し気に

意味も無く、口元にぶら下がっていた。

瞳孔(どうこう)が見当たらず、すでに目は閉じられていた。

余韻の静けさを破って、

疲弊(ひへい)しきっている母が、力なく口を開いた。

ーーー「急に、息しなくなって、、、」、ーーー

ーーー「自分で、、、、、、、、、、」、ーーー

--ー「目つむったんよ、、、、、、」ーーーーー

その後、ことさら熱心に両手で身体をゆすって、ーーー

ーーー「おきんかね!」ーー「とうちゃん」ーー

ーー「何しよんで?」ーー「はよ、おきんかい」ーー

ーー「はがゆい」ーー

僕も一緒に身体を触って口をはさんだ。

ーー「とうちゃん」ーー「もうそろそろ」ーー

ーー「起きてもええよ」ーーー「もどってきて」ーー

しかし言葉は虚しく部屋に響き渡るだけだった。


当然の事ながら、父が目を見開いて、

再び呼吸を始めることは無かった。

その後、駆け付けた女性看護師が

瞳孔(どうこう)反射や脈拍、心拍音を看(み)て、

生死確認を済ませた様でしたが、ーーー

「先生が来てから」、「話して頂きますので」ーーー

ーーーー「今朝、介護用ベットに替わって」ー「楽になって」

ーーー「好きな甘酒も」ーー「たくさん飲めるようになって」

ーーー「元気になって」ーー「散歩もしたいね」

「って、言って別れたとこだったのに」ーー

ーー「でも、よく頑張ったと思います」ーー

何の慰めにもならない言葉が耳元を通り抜ける。

その後10分程で、かかりつけの若い医師が

到着して、形式だけの、ひととおりの診察を行い--

ーー「2月8日、午後7時4*分」ーー「ご臨終です」ーー

ーーー《死の宣告》----を告げられました。

ーーあっけなく《急逝(きゅうせい)してしまった父

ーー(享年91)》ーー天寿をまっとうしたのだ。

温かいお茶を、ひと口ふた口飲んだ直後、苦しむこともなく、

ーーーー《まさに今がその時だ》ーーーー

まるで自分で望んだかの如く、

本当に穏やかな表情で去って逝(い)った。

ーーー《しかし身体はまだまだ温かい》ーーー

ーーー《死人の身体とは到底思えない》ーーー

ーーー《今もって現実として受け入れられない》---

ーーー「当たり前と分かっていても、やはり寂しい、

ーーー悲しいーーー

ーーー辛いものだ」ーーー


最近連日、不思議と早朝に、子供の頃の父との思い出が鮮明に

頭の中を巡る。正月の二日に実家に立ち寄った時、

衰弱しきって酸素吸入が欠かせない、ほぼ寝たきり状態。

腕は、ユニセフのCMで、よくみかける

アフリカの栄養失調の子供ほどの

片手の親指と中指で、くくれるほどの細さまで

落ちてしまっていた。


その日、退屈しのぎと思って、ラジオと父の好きな

落語のCDを持参した昼過ぎの、直後の出来事であった。

書道が有段(3段か4段)の腕前で、日本画を好んで、数多く

描写していた芸術家肌だった。

また剣道も3段の腕前で礼儀正しく、

まさに清廉潔白(せいれんけっぱく)な人であった。

一方で、僕の受験合格を、飛び上がって喜んだ

子供のような父でもあった。


想像するに、肺がんを患(わずら)ってから、

食欲も格段に落ちて、歩くことも

ままならない自分の身体。

曾孫(ひいまご)の顔も見たし、

誰かの手を借りてまで、迷惑を掛けたくないし、

特にもうこれと言った《欲》もないし、

親族、親類、縁者も会いに来てくれたし、

もうすでに自分自身の死期を悟っていたのだろう。

ーー「もう、これくらいで、いいだろう」ーーー

ーー「それじゃ、みんな、さようなら」ーーー

ーーって、ーーー自ずからーーー進んでーーー

永遠の眠りに就いたのであろう。

そんな父を、いつも寄り添って、面倒を看(み)ていた、

介護老人の心優しい母(85)が、最後に看取(みと)った。


ーーー生まれて初めて体感した親の死ーーー

まさに「親孝行したい時に、親はなし」を

痛感した、ここ数日間でした。

天に還ってしまった後では、

どのような、どれほど深く、考えても

《虚しい》、《切ない》、《せんない》想いです。


(静敏)(しずとし)いう名前の通り、静かで多くを語らなかった

どちらかと言えば

ーー《寡黙》ーーだった

ーとうちゃんー

 


何事に対しても、

《丁寧》で

《器用》で

《几帳面》だった

ーとうちゃんー

 


そして何よりも一番、最後の最後まで、

ーー《潔(いさぎよ)かった》

ーとうちゃんー

 


加えて誰に対しても、

ー《優しく》-

《寛大》で

《寛容》ーだった

ーとうちゃんー

 


とうちゃん、本当に本当に、長い間

《お疲れさん》

ー《ご苦労さん》でした。

 


そして本当に、本当にーーー《ありがとう》----

ーーーー《ありがとう》ーーー

ーーーーー《ありがとう》ーーー

 


とうちゃんの子供に生まれて本当に良かった

ーー《ありがとう》ーーー

ーーー《ありがとう》ーーー

 


口にしたことは無かったけれど、

本当は、ほんとに

ーー《大好きだったよ》ーー

ーーとうちゃんーーー


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

(Blog to Soul)水素風呂と時代劇と音楽を愛する左半身麻痺の塾講師