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本性

エジソンによると発明の行動原理は、本当かどうかはともかく

「1%のひらめきと99%の汗(努力)」らしい。一方

僕が考えるに、人間の行動原理は

「1%の本音(真実)と99%の建前(虚偽)」だと思う。


8月に入っても、なおも暑さが続いて「あついね、あついね。」

って言ってた時には、このままこの暑さが続けば、

12月になったら、どれほど熱くなるかと、気をもんでいたけど

立秋を過ぎた頃から《四季のある国日本》のありがたさを

しみじみ、かみしめることが出来ました。朝夕冷房を付けた

ままだと、肌寒く感じるようになってきた、

今日この頃です。


昨年春、妻以外の他人と生活するという《人生最大の譲歩》を

自分自身に受け入れて過ごしてきましたが、

正直もう限界でした。受け入れる時は、身寄りもなく

妻の母の姉なので、温厚で優しい義母の思い出しかなかった

こともあって、グループホームに入れるのは忍びなく

姉妹なら認知症であっても、間違いなく良い人だろう、

うまくやっていけるだろうとの、安直な考えでは済まなかった。


まだ数年前には《ボケ》始めていたとはいえ、妻や僕の名前も

記憶にあって、会話も正常と思えてたのに、しばらく

会わなくなって、どうしているのかと不安になっていたものの、

  • 夜中に徘徊(はいかい)する、
  • 自分の物と他人の物の区別がつかない、
  • 排泄物を汚物と認識できない、
  • 身体の自然現象に対応できない

等の病状を耳にするようになって、どこかに入居し直す

必要に迫られ、身内が看(み)てあげるのが一番、

との判断だったのでした。色々ありました。結果


おかげさまで、この8月から妻ふたりとの生活に戻りました。

一番の決め手は、排泄物の処理のわずらわしさなのでした。

毎日どこかに、垂れ流され、廃棄物の後処理と

不快臭には閉口でした。


約一年間、認知症と生活して気付いた事のひとつ。

人の口にする言葉は、ほとんど

信用できない、なんとでもなる。

そこに真実があるかどうかは究極のところ、本人以外

誰にも、分からない、判断出来ない、っという事。

認知症のおばさんには本人にさえも、真実かどうか

判断できませんでしたが。とどのつまり、誰にでも、

何事においても、口先で取り繕うことは

簡単に出来るのです。


「おばさん、お腹すいた?」

「ないね。」でも食べ物を、口に近づけるといくらでも

食べるわ、食べるわ。際限ない。

「おばさん、おしっこある?

「ない、ない。」直後に寝床で放尿。

人間の本能の感覚においてさえ、この有り様。

おそらく思考に関わる本心の判断はさらに不確かでしょう。

認知症本人は自分の本心を隠すことの利得を考慮して

嘘をついているのではないはずです。

正常な思考の人間が自分の利得を考慮して

本心を隠して、嘘をつくことぐらい少しの

罪悪感もなく簡単に出来るはずでしょう。

妻が正常だった頃から、嫌いだったと言っていた

頑固で身勝手だったおばさん。認知症のせいなのか、

徐々に暴かれていく人間の本性の行動。

(刻々変わっていく生理的に受け付けない表情)

自覚がないだけに、正直始末が悪い。


「お金儲けの良い話があるけれど、聞きたい?」

「わたし、お金には興味ないんよ」っていう人。

こんな人こそ、《世の中お金がすべて》、って思っている人。

100%嘘でしょう。なぜって、お金のために、

自分の人生の99%を費やして、お金儲けして

お金のために仕事をして、自分の時間や楽しみを犠牲にして

自分以外の誰かのために費やして、他人の人生を生きている

人のなんと多いことか。なんと言葉と行動との間の距離が

遠い人の多いことか。


ほとんどの人は1%の本性を、自分にも他人にも隠して、

99%(本人には100%でしょうか)虚偽の人生を

生きているのです。そして周りの人も他人の1%の本性を

見抜くことが出来ずに、99%の虚偽の人間像の印象で

だまされ続けるのでしょう。それは99%のうわさ話で

翻弄されて、1%の真実を見抜けず、理解出来ない

状況を作っている昨今のネット社会や、個人情報保護法の

はびこる社会と同じ様な気がします。


人間の本音はその人の虚偽の言葉と行動の中に隠されて

見え難いのです。物事や人間の快い表面だけに惑わされず、

虚偽の中に隠された、本当の真実を見たいものです。

真実を見抜くことがどれほど困難な事か、そして

真実を見れずに、だまされている人(当然僕も含めて)の

いかに多いことかを痛感した最近です。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


判官びいきの国日本。国民の8割が応援していたで

あろう高校野球、秋田の金足農高。

でも実力通り、現実には奇跡は起こらず大阪桐蔭優勝。


 

おじさん

陽が傾き始めても、日差しが和らぐこともなく、

中華鍋の如く、これでもかと熱く照り付ける

尋常じゃない異常な、夏日の連続。

火照(ほて)った身体を冷(さ)まそうと

かき氷を求め学生の放課後みたいに、夫婦二人

ファミレスで《だべった》週末の土曜日(7月21日)。


同時に夕食も摂り、妻がなぜか疲れたというので

何かに急(せ)かされるように、急きょ帰宅。僕が入浴中に

実家の兄から電話で、闘病中の叔父の死(享年74)を

突然知らされる。長い間、病床に伏(ふ)せっていたとは、

風の便りで、知ってはいたものの、なかなか見舞う

時間が取れ無いまま、ここ数年気になっていたのに、

会えないまま、、、、。

これでこの世での再会は不可能になってしまいました。

ここ最近、一番「後悔先に立たず」を痛感した出来事。


僕の人生で重要な位置に立っていた叔父さん。

父の兄弟、姉妹(女4人、男3人)で末弟。

一番陽気で口数が多く、愉快で明るく朗らかだった叔父さん。

僕の少年期に、刺激と彩りを与えてくれた、大好きだった

叔父さん。野球のグラブを買ってくれた、心優しい叔父さん。

小学生の頃初めて、兄弟3人をボウリングに連れていって

くれた、流行に敏感だった叔父さん。

青菜にマヨネーズをかけると、美味しい料理に変身することを

教えてくれた、新進気鋭な叔父さん。毎晩お酒を美味しそうに

楽しげに飲んでいた、人生を心底楽しんでいた叔父さん。

僕の前で《ものまね》していた、「木枯らし紋次郎」を

毎回楽しみに観ていた、ひょうきんな叔父さん。

集団就職大阪から、地元に帰ってきた時

百貨店大丸に、初めて連れていってくれて、おもちゃを

買ってくれた、心優しい叔父さん。大学生当時帰省時に

パチンコに連れていって、僕の負けを、補てんしてくれた

寛大な叔父さん。いつも冗談を言って、僕の脳みそを

ハチャメチャに刺激した、魔訶不思議な叔父さん。

不思議と、父よりも多くの思い出が

残っている叔父さん。肉体は無くなっても、記憶は残る。


この冬の2月、父を見送り、続いて病魔に侵されているとは

いえ、まだまだ若い叔父さんが逝ってしまうなんて微塵も

考えられなかったが、正直な心情。望んでないことは、なぜに

奇跡的に連続して起きてしまうのか? 良いことはそんなに

起きないのに、、、、。


神様か《なにか》によって翻弄(ほんろう)されている人間の

《運命》や《生涯》。

人の《生死の時期》は、人には選択の余地はありません。

ある時、気付いた時にはこの世に生かされているのです。

そして人は生かされている限り、生きなければならないのです。

たとえこの世が、死ぬよりも、辛く苦しくとしてもです。

自殺する人は、死を経験したこともないにも関わらず

死に行く人はそう言うそうです。でも本心は生きたいはず。

生まれ出た人間は本当は、誰一人、死にたい人はいないはず。

みんな生き続けたいはずなのです。しかし自分の意志とは

反して誰もが、いつかは死を迎えるのです。

《なにか》の意志なのでしょう? 誰も知らない《なにか》


しかし不思議と人は、自分のだいたいの死期を悟るようです。

今回の叔父さんも、一週間前に、親族を呼んでほしいと

会っていたそうな。加えて遺言のように、

自分に何かあった時には、と

自分の菩提寺を息子に指示していたのです。

その時の叔父さんの心境を考えると、なにか切ない、

心苦しい、胸がかきむしられる思いです。


誰よりも、人間大好きな叔父さんだからこそ

自分の代から新たな《近藤家》の歴史が始めるほど

孫、ひ孫を輩出し、自分の血筋をこの世に数多く

残すといった、人間の一番の役割を果たしたから、

自分の人生を満足して、逝(い)ったであろう。

まさに天晴(あっぱれ)の人生でした。

きっと天からみんなの人生を陰ながら応援して、

笑顔でエールを送って、見守ってくれるはずです。

きっと向こうで、父と大好きなお酒を

酌み交わして、冗談を言って笑っていることでしょう。

今日(23日)は葬式でした。

今妻と献杯(けんぱい)しながら書いています。拝。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

グラス一杯の幸せ

梅雨明けの晴天、じめじめ暑い日中。早起きした日曜日の夕刻。

日照時間が長くなり、一日が冬よりも、ずっと長く感じられる

今日この頃。部屋に涼を迎え入れようと「ひとりティータイム」


夕闇が、ひたひたと這(は)い下りる頃

少し暑さが和らいだ部屋。よどんでる部屋には風がない。

風が吹かなければ、吹かせればよい。ってことで、

f分の1揺らぎの扇風機からのそよ風、人工的な音を

消して風鈴の音が心地よい。「チャリーン、リーン」

はちみつたっぷりのレモネード。透明グラスにかち氷を

すきまなく入れ、炭酸水でレモンソーダ。「シュッワ、シュワ」

甘さ控えめのクラッカー。季節、時刻に応じて

テーブルセッティングを変えて、ひとり

お菓子と飲み物を楽しむひととき。フィーカの時間です。

そして読書の再開です。闇があたりを覆い尽くした頃

フィーカの終了、引き続きひとり夕食の始まりです。


フィーカとは北欧スウェーデンのブレイクタイムの事。

家にありて風鈴飯食べひたすらに


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

喜怒哀楽(感情)

《子供》って、まったくもって、不思議だ、

面白い、興味の尽きない、ワンダーな生き物だ。

その存在は、長い間忘れられていた、遠い記憶のかけら。

その熱意は、朽ちることない青白い、炎のきらめき。

その好奇心は、ゆっくりと勢いを増す、緑の風の触感。

そのひらめきは、万華鏡のような、新たな驚きの発見。

その表情は、絶え間なく移り変わる、季節の風情。


つい先日のこと。彼は我が家に来ると、思い出したように

電動鍵盤を触り始めました。あらゆるスイッチやボタンを触って

音が鳴り始めると、僕をちらっと見て、微笑みます。

偶然自動演奏ボタンを、押したようで

「ファン、ファン、ファン、タタッ、タタッ、」

軽快なリズムが流れて来ました。彼が嬉しそうに笑顔を

投げかけてきました。僕が口ずさみながら身体を

揺すっていると、なぜか幼児も真似しようと必死です。

でも言葉がはっきりしません。「アー、ブー、*+」

しかし表情が緩んで、明らかに楽しそうで満足気です。

その後飽きたのか、その場を離れて透明の容器を手に取り

中からミニカーを取り出し、ひとり遊びを始めました。

「ブー、ブブー、ブー」僕がパソコンを触り始めると

近づいて興味深く、画面を見つめていました。

ユーチューブで童謡を見つけて再生しました。

知っている曲なのでしょう、楽しげにそれらしく

歌っていました。「♪ か*+@、か@*+ ♪」

思い出してもらおうと、僕は歌いました。

「♪ カエルの歌が、聞こえてくるよ ♪」

幼児は模倣しようと「♪ か*+@、か@*+♪」口にしますが

上手く歌えません。2度、3度、同じフレーズを歌わせましたが

なかなか難しいようです。しかし嬉しく、楽しそうです。

それは、一度は経験した覚えのある《感情》なのでしょう。

懐かしい調べが、優しく彼の心に響いているのです。

微笑んでいます、時の流れを忘れさせてくれるのです。

明らかに目が笑っており、なんのためらいもなく、素直に

僕の顔を何度ものぞき込みました。ーーーー楽しい、

面白い、嬉しいーーーー(そんな声が聞こえてきます。)


一方夕食後「バシャッ、バシャッ、バシャッ。」

浴槽に湯をためる音が聞こえてきました。

その後僕は服を脱ぎ、浴槽に向かいました。やがて浴槽に

浸かって良い気分で、くつろいでいました。不意に居間から

妻の声に、交じって聞こえてくる声。「ワーン、ワーン、

エーン、エーン。」ほどなくして泣きはらした顔の、

全裸の幼児が連れて来られました。幼児にとっては

気の乗らない入浴時間です。彼は今もって、すぐにも

泣きだしそうな、不安いっぱいの、浮かない顔です。

目には恐怖におののいているため、力強さと覇気がありません。

まったく彼自身、気が進まないのに、風呂内に置かれた椅子に

座らされ、僕と向かい合っています。なおも不安と恐怖の

入り混じった複雑な表情です。安心させてあげようと

声を掛けると、素直にうなずきます。

「***も後でおばちゃんに頭と身体洗ってもらって」

「そしてこの中に入って、湯に浸かって、温まって」

手ですくって2、3度、足先に湯を掛けました。

「エーン」泣き出してしまいました。湯を掛けるのを止めると

泣き止みます。今度は身体に湯を掛けてみました。

「エーン」再び泣き出しました。僕たちには決して解せない

目に見えない、何かがあるのでしょう。可哀想になり、

妻に連れ出してもらい、僕は先に上がりました。

その後妻に連れられて、入浴した彼の泣き声が、

上がり出るまで、泣き止まなかったことは

想像に難くないでしょう。


加えて入浴後、酸素カプセル内でひとり遊びに興じていました。

カプセルの最後尾に、ほふく前進して入り込んで、こちらからは

お尻しか見えません。僕が面白がって、カプセルの蓋(ふた)を

スライドさせて、閉じようとしていると、幼児は不穏な空気を

感じて、慌てて、前後を入れ替えて、驚いた表情で、

這(は)って来ました。ーーーーちょっと待って、何してるの、

閉じないでよ、怖いよ。----目を大きく見開いていました。

彼の目が強く訴えかけていました。何だかわからない

目に見えない、恐怖を感じていたのです。


その数日後のこと。一瞬、凍り付いたように、

まばたきひとつすることなく、微動だにしません。

その表情は、ハトが豆鉄砲食らったようです。

しかし僕を仰ぎ見る視線は、きりっと刺すように鋭く強烈です。

彼に一体何が起こったのか?


土曜日の早朝のこと。早起きの彼は場所を変えて遊びたくて

我が家にやって来て、大好きなおもちゃの車を両手に捕まえて

ひとり楽しげに、酸素カプセル内で無邪気に戯れていました。

ある時突然、手にしていたおもちゃの車が、手をすり抜けて

酸素カプセルの筐体(きょうたい)をつたわって、

床板に落っこちてしまいました。「カチャ、カチャッ。」

賢明な幼児は慌てることなく、先日覚えたばかりの

カプセル内のチャイムである、僕への呼び音を鳴らします。

「ピンポーン」僕は、ついさっき気付いたかのように装い、

彼と視線を合わせました。彼は微笑み、

視線をおもちゃに向けて、声を発しました。

「あ、おった」(あった、それとも、落ちたの意味。)

僕は何も聞こえなかったように、素知らぬ顔をしていました。

「ピンポーン。」再び催促されました。

今度ばかりは気弱な僕も、席を立ちおもちゃの車を

手に取りました。心ならずも、ほんの少し意地の悪い僕は

軽い悪ふざけのつもりで、すぐには彼には戻さないで、

その場に座り込み、ひとり悦に入って楽しそうに

遊び始めました。「ブーン、ブーン、キキー、ブーン。」

その僕の姿を目にした彼から、よく聞き取れなかったものの

僕はその幼児から発する、初めての要求の言葉「ちょーだい。」

を耳にしました。僕はもう一度、はっきりした言葉を聞きたくて

彼を無視して、目の前で、再びひとりで遊び

始めました。「ブーン、ブーン、キキー」

明確に気分を害された彼は、物問いたげに、鋭利な刃物のように

きりっと刺すように、僕の身体全体を見つめて、少し強い口調で

「ちょーだい」と言いました。なおも視線を逸(そ)らせると

体勢を変えて、眉根を寄せて、身体全体をこちらに向き直り、

両手を差し出して「ちょーだい、ちょーだい。」と

はっきりとした言葉で、丁寧に二回、しかしその表情は

今までとは明らかに、何かが違っていました。

妙に落ち着きがなく、何かに、苛立っている様子でした。

不機嫌をあらわにした、そんな彼の姿を僕は初めて

目にしました。その瞳の奥から、伺い知るに、

言うに言われぬ感情が渦巻いてそうです。


それは1歳余りの幼児には、言葉では到底表現出来ない

感情なのでした。それは生まれて初めて抱く感情なのでしょう。

おそらくそれは《怒り》という一言では、片づけられない

《驚き》に加え《憤怒(ふんぬ)》といった、底知れぬ

とっても大きく、深い、ものなのかもしれません。彼は

予想だにしない衝撃で、言葉も正気も失ってしまいました。


目の前の人は、いついかなる時でも、何でも、

自分の要望を聞き入れてくれる、優しいと信じて

疑わなかった「おいちゃん」じゃないのかな?

どうしたのかな? 何かおかしいぞ!

やがて彼は、幽霊でも見るような表情で、僕を仰ぎ見て

何かを訴えようと、顔をゆがめたまま、こわばらせた表情で、

視線を逸(そ)らせないで、僕を見つめ続けていました。


ひきつってしまって、豊かさと柔らかさのまったく欠けた表情。

まるで魂の抜けたような表情、うつろな目つき。

僕はその表情とその目を、生涯忘れることは出来ないでしょう。

その直後、僕に襲う、後ろめたさという、背徳感と罪悪感。

強い後悔と哀憐(あいれん)の念や

憐(あわ)れと不憫(ふびん)の感情。


それは間違いなく幼児の中で生まれて初めて

目覚めた感情なのでしょう。間違いなく、それは

驚きと同時に《怒り》だったのでした。それは一瞬

自分自信の身体の、どこを探ってみても、決して見つけ出す

ことの出来ない感情だったはず。


たとえ負の感情であっても、あらゆる人間の持つ様々な

思いを体感することは、今後の人生にとって、他人の

気持ちを理解する上では、とっても大切な事なのです。

特に《怒り》の感情を表現することは、あらゆる《感情》の中で

最も活力(エネルギー)を必要とされる《感情》のはずです。

したがって、その怒りの感情は短時間で(ほぼ瞬間)で

感じ取ることが出来ますが、その怒りの感情を長時間感じ、

持続することは、生理的に困難なものでしょう。

だからこそ怒りの感情は短時間で、鎮(しず)めることが

出来やすく、忘れやすいもののはずです。

幼児の怒りの感情が《トラウマ》にならずに、

跡形もなく、消え去ってくれることを望むだけです。


この数日間で、彼は一気に年を取った、気分がしたでしょう。

喜怒哀楽の様々な感情を、体感した我が家での生活。

毎日のうたかたの生活の中、幼児には状況の変化に応じて

様々な感情が、生まれ出て来ます。

それをどのように感じ取り、記憶の中に、どのように

残っていくのでしょうか? 神のみぞ知る。

数年の後、その心情を教えてもらいたいものです。

彼とともに、幼児を取り巻く我々の人生も続く、、、、。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

母性

先日BSテレビで視聴した「ワイルドライフ」。

雪も積もらない高山地帯に生息するヤギの親子。

切り立った稜線(りょうせん)や岩肌に、まれにしか

自生していない植物。

少し距離を置いて、食事を楽しむヤギの親子。

一方、そこを密かに、上空を旋回しながら、凝視している、

獲物を狙っている鷹(たか)の、《鋭いまなざし》たるや

半端じゃないよ。ヤギさん、危機一髪です。死と隣合わせの

食事は、消化に悪いよ。でも生きていくためには、

そんな上品な事は、言ってられない。よね。


ニュヨークの犯罪多発地区に居るような、恐怖で、ただならぬ

気配を感じた母親が、わが子のもとに歩み寄り、

わが身を盾(たて)に、自分のお腹の下へと追い込み、

守ろうと必死です。

その姿は、母親であればこその防衛本能からの行為です。

一歩間違えば自分自身が標的になり、

死ぬかもしれない行動です。まさに《自己犠牲》の極みです。


異なる過日のこと。一歳余りの幼児を、眼科に連れていくため

夕食まで我が家で預かりました。その時偶然見つけてしまった

《母子手帳》。妊娠中から、自分の素直な気持ちを

綴(つづ)った、きっと誰にも見られたくない、

お母さんの秘密の気持ち。

しかしです。我々夫婦は二人で覗(のぞ)き見して

しまったのでした。(お母さん、ほんとにごめんなさい。)


「半年過ぎた頃からお腹をけり続ける元気な子」

(男の子であることを確信した瞬間。

(実際その子は男の子でした。))鋭い母親の五感。


生まれた直後に書かれた、母親の真実の胸中と決意。

「***お母さんのところに、生まれてくれて

本当にありがとう。」

「誰よりもお母さんは***あなたが一番大好きです。」

「***あなたはお母さんの、かけがえのない宝です。」

「何があっても、***あなたを全力で守ります。」

(原文そのままではありません。要約しています。)

(目を通した瞬間、心の中、いやいや、目から涙が出ました。)

《真実は想像を超えて人の心に響きます。》


若くして恋愛して、できてしまった子供。

おろすことなど、露(つゆ)ほども考えられなかった大切な命。

未婚の母として、母子ふたりで強く生きていくことを

選択した運命。(しかし渡る世間に鬼はいない。

を痛感する毎日。)行政と親切な市民のおかげで

順調に成長しているわが子。


保護者の養育なしに、生存できない生物の、

メス親(母親)に見られる養育行動の反応及び行動原理、

として存在するとみなされる本能のこと。とはグーグルで調べた

《母性本能》の説明。前述のヤギの親子の運命は


母ヤギの強引な抑え込みに、子ヤギが感じた

窮屈(きゅうくつ)さのため、ふいに母ヤギのお腹の脇へ

それて、子ヤギが肩で息をしています。その一瞬を、

たかは逃さず、急降下してヤギの急所を一撃必殺。その後、

自分より倍も重いヤギの子供を、口にくわえて、たかは

飛び立って行ったのです。続いて

カメラアングルは母親ヤギの表情を捉えていました。

言うに言われぬ悲しみ、悔しさ、なぜにわが子が

捕らえられてしまったのか、と言った目が点になって

しまうほどの驚きと脱力感、虚しさ、寂しさ、

無力感、やるせなさ、を捉えて自然界の弱肉強食の非情、冷酷

厳しさを哀れに伝えていました。


《母性》と言う《強い愛情》は

人間界では《女は弱し、されど母は強し》と言って

女性は母親になると、子供を守るために強い力を

発揮するものです。

しかしながら、自然界の野性原理(食物連鎖)の前では、

悲しいかな、ひとたまりもなく、駆逐(くちく)されて

しまうものなのでした。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

時計

本日昼食を済ませた後のこと、一息ついていた時、

静々と清流のような緩やかの時間の流れを感じる真昼に、

それは届けられました。若い郵便局員が、

さわやかな笑顔と共に運んでくれました。


名古屋《小さな時計屋さん》からの小包です。開けると名古屋の

風が吹いてきました。(ほんまじゃけんのー)ほほをなでます。

雑多な荷物の中にそれは丁重に収められていました。

少し前に頼んでいた精密機械です。

父の臨終の際に、僕に見つけて欲しいとばかりに、

ベッドの枕元の棚にそれは大切に置かれていました。

いまわの際(きわ)に、取り立てて何かを言うこともなく

信頼している母に、見送られて旅立った父。でもきっと

それは誰かに使い続けて欲しいと望んでいたのだ。

(だから生涯大切に使っていたのだろう。)

遺産のすべてを放棄していた僕は唯一の遺品として

その時まで、大事に使わせて頂こうと心に決めました。

すこぶる使い込んでいたのか、かなりキズが目だっており

汚れていたので、信頼できる時計屋さんにオーバーホール

(全分解清掃修理)に出していたのです。

早速左うでに装着しました。と同時に

「カチッ、チッ、チッ、」その腕時計は職人の純粋な願いが

僕の心臓音に協調するかの如く、時を刻み続けています。

(はめる前から当然動いていました。)今の時代

腕時計を身に着ける必要性は少なくなりました。しかし、

きっとこの時計の役割は、《時間》だけを

計(はか)るのではなくて、僕の今後の人生の

何か大切な《機会》もはかってくれる予感がします。

人生においてそんな重要な機会が訪れるのを

忍耐強く待ちます。

この時計は、その機会を逃さないように間違いなく

僕に図(はか)って、教えてくれるでしょう。

僕のこれからの残りの人生、父と《同行二人》で歩みます。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

忍耐

「はぁ、はぁ、ふっ、ふっ、ふっ、」

肩で息を切らせています。(16、17、18、あと少しで

ノルマ達成です。19、20、終わったー)

「あー、どちゃくそ、しんどい、」

「もう、半分、青い・・・・・違う、死ぬーーー」


「少し休みますか?」スタッフが寄り添って

優しく声をかけてくれました。

「はい、では水を一杯お願いします」

「ありがとうございます」

「いただきます」

「グッ、グッ、ゴックン」

「ふー、生き返った、落ち着いた」

「もう少し休んでようかな」

「いや、だめだ、何のためにお前はここに来たのだ」

「さて、次はと・・・・・」(意気込んでみたものの

現実は、やはり辛い、・・・・)

「あれでもやろうかな、でもあれきついよな、」

「あと、あれとあれが残っているか?」

昨日(金曜日)は午後から半日、リハビリで汗を

目いっぱい流しました。


しんどい、疲れた、といって気の済むまで休んでいれば

楽です。それでも身体にむちを打ってやらなければ

ならないこともあるのです。それがリハビリなのです。

痛みに負けて、運動をやめれば身体の勝ちです。

心が勝つためには、やり続けて身体を心に

従わせる以外にないのです。

僕は今忍耐を学ぶべき時なのでしょう。

その先にはきっと良いことが

待ち受けてるはずでしょう。


最近読んでいる本に書かれていたのでした。

《ここを乗り越えれば、身体はお前に従い始める、

痛みはいっときのことだ、ひるまず続けろ》

作家山本一力氏の言葉です。

江戸の剣術道場は、忍耐と努力を学ぶ

人間修練の場でありました。

今の僕にとってはその場は、リハビリステーションなのです。

最後にこんな言葉もありますね。

《君の心の庭に忍耐を植えよ。その根は苦くても

その実は甘い。》(オースティン)


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

赤ん坊(再会)

先日のこと、久方ぶりに、ごひいきの赤ん坊がやってきました。

熱が出てしまい、幼稚園に拒否されて、仕方なく

我が家を頼って、昼過ぎに連れてこられました。


もう我が家に連れてこられることに、まったく嫌がることもなく

いつも同じ席に座っている僕の姿を見ると、むしろ喜んで、

笑顔で近づいて来ます。警戒心や心の壁の一部が取り除かれた

ようで、泣きわめくこともなく、好意的に接してくれて、心底

我が家での時間を楽しんでいるようでした。


妻が呼びます、「こっち、こっち」。あふれ出るほどの笑顔で、もって走って来て、かけ寄ります。身体を預け、顔をすりよせ

力の限り抱き着きます。「***ちゃん大好き」。「ウウン」。

 

僕も負けずに呼びます、「***、こっち、こっち」。同じ様に

こぼれ出るほどの笑顔、でもってかけ寄って、抱き着きます。

身体を預けられて抱き寄せます。「***大好き」。「はぁ、はぁ、はぁ」。息があがってしまって、時に切らせていました。

 

一度離れて、二人のほぼ中間あたりに、立ち直りました。

 

「こっち、こっち、こっち」。「こっち、こっち、こっち」。

ふたりして、呼び込もうと試みました。彼は、妻と僕とを

交互に、目を細めて、視線を流していました。続いて目を閉じて

にんまりと微笑みました。誰からも愛されている自分、

そう思うと、彼は部屋の中を踊り回りたい気分でした。

----どっちに行けばーー

ーー良いのだろう?ーーーーその後、

ーーーーおばちゃんかな?ーーーーちらりと妻を見ました。

ーーーーいやーーーーおいちゃんかな?----こちらを

のぞき見ました。----どっちかな?----

考えてそうでした。--ーー一体どうしたものか?--

ーー僕ーーーーわからないよーー

ーー結論が出せそうにありません。

この上ない喜びを、顔に出さないようにするため、

どういった行動で、幕引きをしようかと

彼は、新たな計画に取り組み始めました。

彼だけが、妙に落ち着いていました。しかし少し、

時間がかかりすぎたという、苛立(いらだ)ちと、

疲弊(ひへい)しかかっている足腰は、

すでに限界にきていました。

ーーーー少し疲れたよーーーー思わず力が抜けてしまいました。

その場にへたり込みました。ばつが悪そうに、うつむいて

にやにやと、照れ臭そうに、交互に我々を見合いました。

彼の記憶の中では、どれほど先の見えない状況でも

自分の存在が、否定されたことは、決してないのでした。

熱烈で、本能的な独占欲を抱いているであろう、

大人に対して、誰も傷つかないように、

大げさな表現を避けたようでした。

我々夫婦の力関係を、よくわからない分別のない幼子に、

苦渋の選択を強(し)いた、大人のわがままを許してね。

っと、心の中で詫(わ)びました。


我々3人は、血のつながりを超えたところで、

いつの間にか、親密な関係を結ぶほどの信頼レベルとなった

強い結束力で結ばれていたのでした。

ほんとに本当に可愛い。強く抱きしめて、もう離したくない。

今日から君はもう、うちの子だ、誰にもわたさない。

そんな思いに駆(か)られてしまいました。だめだ犯罪だ。

誰かを好きになる事、愛(いと)おしいと思う事は

ある意味《罪》なのだと、認識した所存でした。

だからこそ、日々の生活の中で、

ちょっとでも自分の成長につながったり、

発見があったり、今後の些細なことであれ、

小さくても確かな幸せを、

大切にしていこうと同時に、見つける努力を怠らないように

していこうと、見つめ直させられました。

その方が、世界が広がりますから。

《辛く、苦しく》はもうやめましょう。

《楽しく、幸せに》で生きていきましょう。


感情や衝動を自制するのは、大人でも簡単ではありません。

わずか一歳余りにも関わらず、答えが出せない子供の心の中、

《大人をも超えた気遣い》の、底知れない大きさ、広さ、深さに

驚愕(きょうがく)とともに、感嘆させられました。

《社会性》を必要とされる人間に生まれて来た以上、

たとえ幼子であれ、日常生活そのものや、モノの見方や、

価値観までも、が《社会の中での自分の存在意義》に

なってしまいます。そういう意識がきっと、

《人間の性格、人間性》を育(はぐく)み形成していきます。

ひいてはそれが、世界を形作ります。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

高校野球

 

ーーーーザッ、ザザッ、----

「シュ、ビューン」。「ザッ、カキーーン」。

----ワオー、ワオー、--ーー歓声が上がります。

小さな白球が、力強く弾かれ、直線を引いて、

誰も居ない空間を飛んでいきました。。

広い球場は、密度の濃い人々で、大きな歓声に

沸きかえっています。

マウンド上では、ピッチャーが、うなだれてその場に

倒れ込んでいます。

今、ホームベースを踏みました。

審判がそれを見届けました。

ホームベース付近では選手たちが喜びあって

雄叫(おたけ)びをあげています。

ーーーーやりました!ーー 近藤くんーーーー

ーーーーさよならヒットです。----

「今のどうでしたか、野村さん」

「いやー、信じられません」、

「ほんとに、よく打ちましたね」

「見事でした」

「西条高校優勝しました」


今年の春の選抜野球は大阪桐蔭の優勝で幕を閉じました。

僕は高校野球が大好きで、無条件で視聴します。

僕は子供の頃、将来なりたかった、

《なりたかった》、っていうのは適切じゃないです、

やりたいと思っていたことのひとつに

野球、高校野球があったのでした。

いまだに興味は失うことなく、野球が一番恋しくなって

我を忘れて見入ってしまいます。

 

昔、ひとりでよく、バットやグラブとボールを持って、

ある場面を空想しながら、独り言を言って、

ヒーローになった、自分の姿を想像して、悦に入って

幸福感を味わっていたのでした。

地元の高校は、夏の選手権で全国制覇も成しえた

古豪なのです。地元は野球熱が半端じゃない。


子供の頃から身軽で俊敏で、水泳以外のスポーツは得意で

大好きだった僕。しかしです。人生はやはり単純じゃない。

 

簡単で単純じゃないから、100年近くの長さで、面白い。

 

同級生の中でも、なかなか大きくなれずに

背が低くて小さく、力の弱かった自分。

力強さの感じられない線の細かった自分。

力の限り投げつけても、遠くまで飛ばないボール。

幾度もバットを振っても、外野の上を超えないボール。

小学生の頃、幾度かの試合でチームに迷惑をかけて嫌気がさして

最後には練習を放り投げて、なんと逃げ出す始末。

失敗を繰り返すたびに、僕の自信もプライドも縮こまって、

ズタズタで、萎縮(いしゅく)してしまいました。

 

過去に手痛い、心に負った傷のせいで、

それ以来心を武装して、

確信の持てないものには、二の足を踏んでしまいます。

 

結果気持ちが廃(すた)れて、部活動は敬遠して、

学生時代は帰宅部。体格面において、大きな不利は否めず、

本能的に、運動においての、大成の見込みは、

悲観的にならざるを得ず、信じたくない、

受け入れたくない現実を、受け入れ、

大好きな運動は、趣味、楽しみの程度に、

とどめようとの考えに至りました。

 

人間、

容赦のない運命に抗(あらが)うことは得策ではありません。

 

どのような道を選んでも、運命は必ず、道のどこかで正面向いて

待ち受けているのです。

 

小さい子供の頃、大好きなおやつが、「かたくりこ」を

お湯で溶かして砂糖を加えたゼリーでした。

それを食べさせてもらうためには、どんな辛いことでも、

我慢した記憶があります。いつかから「しつけ」でやられた、

今もって背中に跡が残っている《やいと》

でもそれが食べたくて、あの熱さにいつまでも耐えていました。

現在なら、何の不自由もなく栄養満点になれるのに。

食生活の影響が大きかったでしょうが、

誰のせいでもありません。それが僕の運命なのでしょう。


人には「得手」、「不得手」があるのです。

 

絶対、どうすることもできない「向き」、「不向き」、

があるのです。おそらくそれは、

満天の星空からたった一粒を見つけ出す奇跡かも。

でもわかっていても、人は無謀にも、追いかける時もあります。

ただ好きで、手っ取り早いというだけで、

標的になりやすいのです。好きなことを追い求めることは

自分自身を取り戻すための、試練だと正当化して

さらに事態を悪化させてしまう場合が多い気がします。

僕は、今となっては、入り口を間違えずに良かったかな。

 

でも今もって「得手」「向き」の手がかりが、、、

一体、どこに?

 

その手がかりが案外、神様仏様とか、そういうのよりも、

毎日の行動の指針を、示してくれるものかもしれません。

 

人生の仕掛けは、かなり手が込んで、極めて巧妙なのです。


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。


 

桜満開

「なんと、まあ、気持ちの良い、ながめだ」

見渡す限り果てしなく、遮(さえぎ)るものなど何ひとつない、

どこまでも大きく、広がっている青空。

春の日差しが、如来(にょらい)の慈悲のごとく、

広大無辺(こうだいむへん)に、万物の上に

優しく柔らかく降り注いでいる。


ふいに風を感じたくて、窓を開ける。

「ヒューン、ヒューン、ブーン、ブーン」気持ち良い。

視線を外に向けると、車窓から、ときおり目にする

極めて白色に近い、うすーいピンク色の花びらが

寂しくない程度に、身を寄せ合っている集団。

 

また、忘れた頃に視界に入る、垂れ下がった

しだれた枝に、しがみつくように点在している

濃い紅色の花弁(かべん)のかたまり。

 

小道の脇に位置する、さらさらと流れる小川

近くの原っぱ一面に、群集している菜の花たち。

 

小高い山沿いの緑の中に、まばらに程よく適在する

花々たちの色彩ぐあい。水に溶かした絵具を

キャンパスにひっくり返してしまったような色合い。

緑、うすいピンク、紅色、黄色、等々。

 

人為(じんい)では、到底及びもできない、

これぞまさに絶妙な《自然美》。


春の陽気に誘われて、車に乗り込み

自然の展覧絵巻に酔いしれる。

「今日は、もう、何もしたくない」、

「車の中で、横になって、寝るーーう」。

名もなき広場に停車した。

少し眩しいきらきらと、七色に輝く日差し。

そよ風にひらひら、舞い落ちる花びら。

笑顔でわいわい、はしゃぐ人々。

誰もが、平安を享受して心底、実感している解放感。

厳しい冬の寒さを、乗り越えた、からこその

柔和(にゅうわ)で優しい春の《温(ぬく)もり》。


 小倉百人一首 「ひさかたの ひかりのどけき 春の日に 

     しづ心なく 花の散るらむ」紀友則(きのとものり)

古今和歌集


今日はここまで。近藤浩二でした。

ではまた。