何年ほど前だったでしょうか?
コンビニで「恵方巻き」という風習が大きく書かれ、「予約受付中」と…。
その年の吉方を向き、お巻寿司を無言で食べきるというもの。
何か難しいことをするわけでも無く、お巻寿司を食べるだけで 幸せを引き寄せるのなら こんなに有り難いものはない。
立春を迎えると、玄関で豆をまき…、自分の年の分だけ豆を食べる。そして恵方巻き◎
10代の頃は、もっといっぱい食べたいな~と思いながらも、年の数以上食べると 何か悪いことが起きると嫌だな~と思い 年の数だけ豆を食べたものです。
あの頃、いっぱい豆が食べられる大人が羨ましかった…かも(笑)
昔から、受け継がれてきた風習。
お正月のしめ縄やお供え餅…豆まきやお雛様。
お花見やこいのぼり、菖蒲湯に七夕様。
夏越せ祭りに秋祭り…お月見や大祓いなどなど。
そこに、バレンタインやホワイトデー、ハロウィンやクリスマス。
大きな和の心で受け入れ育んできた日本人。
しかし、度が過ぎてしまうと 全てがどこかの企業が仕組んできたもののようにも見えてくる。
葬儀の形式もそうかもしれない。
豊かな国だな~とつくづく思います。
「地獄の沙汰も金次第?」
私には子供もいなく、主人が二男のため、亡くなってから入るお墓はまだありません。
主人の実家のお墓に入る方法もあるのかも知れないですが、常日頃思うのは、「生きてるうち…」という考え。
生きているうちに何が出来るか?
いくら高いお金を払って最高のお経をあげてもらっても、高い戒名を付けてもらい、立派なお墓に入ったとしても…。
天の神様は、そんなもので人を判断することはきっとないと思うし。
昨日書いた「犬の十戒」ではないけれど、人は神様との約束を持って この混沌としたこの世で暮らし、そして神のもとへと還っていく。
そしてそんな中、立春の日には「鬼は~外、福は~内」と豆をまき、恵方に向かってお巻寿司を無言で食べ…。
1999年の新婚当時から、欠かしたことのない風習。
そんな中、脳出血で倒れた主人…。
入院中、看護師さんが
「近藤さんのお宅は「豆まき」とかされますか?」と、聞かれ…、
はい!我が家は恵方巻きも、豆まきも欠かさずやってますよ。でも病気にはなるんですよね…と(苦笑)。
この病に倒れることも恵方巻きによる、ご利益なのかも知れない。
坂村 臣民が書いた詩の中に
「病がまたひとつ 新しい世界をひらいてくれた…桃咲く」
成ってみなければわからない世界。
死んで戻ってくることはないけれど、ただ一人復活したひとりのユダヤ人が示した、死んでも死なない世界。
永遠の命に繋がるモノのために、頭ではなく先人が残してくれた風習を感じることも大切なことなのかも知れない。
今日、小学校1年のS子ちゃんが、「明日、鬼来るの怖い!!」…と。
初め鬼が「うに」と聞こえ、えっ?明日給食でウニ?って返答してしまった私は反省。
鬼やサンタさんをリアルに感じられる「おさなごころ」持ち続けていたいですね。
今日の歌は、「鬼は外、福は内」