太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)
11月24、25日と 大好きな長野へ仕事も兼ねて 行って参りました。
そして、25日 北陸新幹線で東京まで帰る前に ゆっくり「善光寺さん」お参りさせて頂きました。
スキーインストラクターとして、志賀高原へ冬になると行かせて頂いてた頃は、1年に一度はお参りさせてもらってた「善光寺さん」
20年ほど前、主人と一緒にお参りさせてもらった時には、なんと本堂の中にある「戒壇めぐり」でお財布をスリに持って行かれた ツラい思い出もあったりしましたが…
今回も ご本尊様にご挨拶させて頂いたあと、戒壇めぐりもさせて頂き、極楽浄土の鍵触って参りました(^_^)v
御朱印帳を持って来てなかったですが、戻って貼れる御朱印頂いて参りました。
善光寺の御本尊は「一光三尊阿弥陀如来」さま。
百済から日本へ渡った最古の仏像だそうで、本田 善光卿によって 長野の今の地に祀られ日本仏教の草分け的な存在っていうことで
宗派を越えて全ての人々受け入れてくれる有難いお寺。
ちなみに本田 善光卿の名前 善光の寺と言うことで、善光寺となったのだと今回初めて知りました。
御朱印は、折角なので 特別御朱印を頂戴して来ました。
ひとつは、「牛に引かれて善光寺参り御朱印」
今年、丑年にお参り出来たのも 良いタイミング。
「牛に引かれて善光寺参り」…とは、
強欲で不信心なお婆さんが、観音様が化身した牛に 布を奪われ、取り戻そうと牛を追いかけて来たところ 善光寺さんにたどり着いた!とのことらしい。
御朱印のまん中には、梵字で
「阿弥陀如来」キリーク
「勢至菩薩」 サク 「観音菩薩」サ
と、善光寺の御本尊
“一光三尊阿弥陀如来” を 表しているのだそう。
この”一光三尊阿弥陀如来”こそ 、もうひとつ頂いた御朱印
「悪疫退散特別御朱印」
お釈迦様がまだこの世にあり、人々に仏の道を教え導こうと心を砕かれていたころ
インドの毘舎離国に月蓋という一人の長者がいて、月蓋は 大変な財を持ちながらも欲深く、他人のことを全く顧みないような人。
なので、当然 仏様を敬う心もなく、自分中心に振る舞っては、まわりもそれを諭すことのない日々を過ごしていたころ…
ひどい悪疫が国中を襲い、多くの人々が苦しんで、果ては死に至るという有り様の中、
月蓋が掌中の珠よと慈しみ、愛情を注いでいた一人娘の如是姫も病気に罹ってしまったそう…
月蓋は、高価な薬を求め、国一番の名医を招き、あらゆる手を尽くしたけれど、いっこうに効果はなく、如是姫の命は風前の灯。
「どんなにお金があっても、どれほど考えても、どうすることも出来ない」
月蓋は、失意のなかで やっとお釈迦様にすがることを受け入れ、
「お釈迦様、これまでの罪業をお赦しください。教えを守り、日々精進いたしますので、どうか娘 如是姫の命をお救いください」
お釈迦様は、月蓋の懺悔を真と認められ、
「救済は我が力の及ぶところではないが、西方極楽世界を創世された阿弥陀如来様におすがりしなさい 『南無阿弥陀仏』と一心に唱えれば、必ず如是姫の命も、国中の苦しみも救ってくださるだろう」
月蓋は急ぎ家に戻ると、お釈迦様の教えどおり西方に香華灯明をお供えし、ひたむきに念仏を続けました。
すると、南無阿弥陀仏の声を包むように、一光が差し、その中に阿弥陀如来様が観世音菩薩様と大勢至菩薩様を伴って姿を現され
そして、三尊仏の全身から大光明が放たれると、一瞬にして悪疫は国中から消え去り、如是姫の病気もすっかり治ってしまったそう…。
月蓋と一族の者たちは喜びと驚きを持って この功徳に感謝し、この時に顕現した三尊仏像を尊し生涯側にあってお仕えしました。
という、一光三尊阿弥陀如来の有難い御朱印。
一昨年発生し、 昨年今年と 世界中を苦しめたコロナ。
「南無阿弥陀仏」
「南無妙法蓮華経」
「南無大師遍照金剛」…
先に書いていたように、宗派を越えて全ての人々を受け入れてくれるという 大いなる光に どうか混沌としたこの世の中 照らして頂けますように…(祈)(祈)(祈)
そして参拝後、善光寺仲見世で出会った 「あんじょさん」のキューピー人形
東山天皇と清和天皇の家系図の中、鷹司家のお姫様となる栄子さまが出家され 善光寺121世となった「鷹司誓玉上人」
なんと、1929年(昭和4年)生まれで92歳の上人様
善光寺仲見世の中では、このお店でしか売ってないと奨められ、我が家に招かせて頂きました。
ケンタッキーのカーネルサンダースさんと 何だかお似合い…。
隣には 大阪のビリケンさん。
善光寺さん、来年は 7年に一度の御開帳の年。
どうか、コロナも治まり 本物の鷹司誓玉上人にも御目にかかりに、また善光寺さんお参りしたいと思います。