「縁」カテゴリーアーカイブ

原爆投下前夜

太陽院院長 近藤 千恵子です!(^^)!

明日6日…72年前世界で初めての原子力爆弾が広島に投下された日。

明日、命が無くなるとわかっていたら…

以前目にした1989年にアメリカ・ケンタッキー州出身の詩人ノーマ・コーネット・マレックが10歳で亡くなった息子サムエル君に捧げた詩

「最後だとわかっていたなら(Tomorrow Never Comes)」

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって 毎日繰り返し見ただろう 

あなたは言わなくても わかってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日 どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら 今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を 
どうして惜しんだのかと

忙しさを理由に その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日 あなたの大切な人たちを 
しっかりと抱きしめよう   そして 
その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だということを そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば 
もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

熱い熱い夏の日、思いもよらない出来事。

やるせなく悔しい思い…怒りさえも持っていたかも知れない残された人々。

そして、何度か広島を訪れたことがあるけれど、いつも「静かな町だな~」と感じてしまう。

明日は、呉で三重県津市の建設会社社長 赤塚さんの講演会。

広島に原爆投下された日の講演ということで 主人と一緒に行って来ようと思います。

後悔しないために…

 

 

 

 

 

 

ゲートキーパー

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)

7月5日に続き2回目のゲートキーパー養成講座。

ゲートキーパーは、生きづらさに寄り添う人。

「一人じゃないよ」を届ける人。

「この町で良かった!」を作る人。

来るだけで、ホッとできる場所に…。

この世で生きていくことに不安を感じ、希望を失い…自ら死を選択しようとするサインに氣づき、声をかけ、傾聴し、関係機関へと繋いでいくことで、自殺者を減らしていこうとする講座。

なるほど、悩んでいる人への接し方にも 傷つき弱った心には ひと言ひと言が大切で、励ましたつもりが余計に心を閉ざしてしまうことになってしまったり…。

ゲートキーパー養成講座は、普段 人との接し方にも役に立つほどの凄くいい講座だったんですが…

何だか、もっともっと もっともっと もっともっと…

根っこの部分が変わっていけば 自殺なんて無くなるのに…と、思わされたりしてしまいました。

小さな小さな国…日本。

この国が建国されて2677年…自然災害や幾多の困難をも乗り越えてきた日本人。

世界に誇る…武士道にみる〝やまとの心”

どこかから狂い始めた〝やまとの心”

誰もわかってくれなくても 強く生きて行く力。

何度か行かせて頂いた伊勢の修養団で教えて頂いた、2年前天に還って逝かれた中山 靖雄先生の詩

生まれただけで凄いんだ
生きているだけで素晴らしい

昔々のその昔 ずっと続いて今がある
ずっと続いた命があるよ

生まれただけで凄いんだ
生きていることが素晴らしい

今の今のただ今を 
みんな仲良く手をとって

生まれただけで凄いんだ
生きているだけで素晴らしい
喜び勇んで生きましょう

ひとりひとり大きな使命を持って生まれて来た今回の人生。

死ぬことよりも 生きることの方が難しい肉体を持って過ごすこの世。

そして、死んで終わりになるモノではなく 魂磨きのための輪廻転生。

何度も何度も生まれ変わり、今の混沌としたこの時代に、生を受け 日本人として生きていること。

見せかけの自殺防止ではなく 根っこからイキイキ生きていける力を持つ教育の改善こそ 今の時代に大切なことだと、今日たった2回の講座…数時間受けただけで ゲートキーパーになった私が  ふと思わされたことでした。

黒KIN

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^^)v

コズミックダイアリー 7月26日から始まった磁氣の月。

まさに磁力の力が半端ない!!

そして今日コズミックダイアリーのマヤ暦ではKIN72

私自身のマヤ暦KINナンバーも72…っていうことで、今日はマヤ暦で誕生日。

黒KINと呼ばれるKIN72…黄色い人、白い世界の橋渡し、音7

黒KINはマヤ暦260までの中 52個…つまり5人にひとりの割合の人。

宇宙から地球にエネルギーが日々流れており、エネルギーの量の多い日が黒KINと呼ばれるそう…。

そして宇宙のエネルギーのたくさん降り注ぐ中生まれた中には、ビートルズの4人が全て黒KINだそうで…

ジョンレノン        黒KIN114
ポールマッカートニー  黒KIN211
ジョージハリスン     黒KIN203
リンゴスター         黒KIN20

エネルギーの高い者どうしがまさにそれぞれの磁力によって 引き寄せられその音色が地球規模にまで影響を与え 世の中を明るく照らしたビートルズ。

グレゴリオ暦とは違う28日周期で巡る毎日…。

磁氣の月ということで、磁場を整えワクワクしてたくさんの人やモノ、引き寄せていきたいものです。

 

 

 

 

地位や名誉や学歴って…

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^^)v

今日何度かあってる20代後半の女性と話してる時、出身校の話になり、何気なく「高校どこ?」って聞くと

「私、高校出てないんです」と…。

「あっ!そうなんだ…」 「なにかあって?」と、聞くと

「高校1年生の時、学校に行けなくなって…」

今、イキイキ仕事している彼女の10代の頃…きっと大きな大きな見えない壁が彼女の前を覆い、そして乗り越えたからこそ笑って答えてくれた話。

結婚し、ふたりの子供に恵まれ…そして仕事をしながら今、通信制の高校に通っているという彼女。

私自身、高卒だけど 私が卒業した学校よりも偏差値のいい高校を中退した彼女にとって、卒業していないことが、凄く凄く…自身の中で壁になってしまっていたようで、今 子育てと仕事をしながら 週に2回通学しているのだとか…。

彼女に会った時から凄く輝いて見えたのは、まだまだ若い時に闇を感じ光に出逢ったから…でしょうか。

彼女自身が話する中、中退しおじさんの経営する会社で仕事をしている頃 マクドナルドで制服姿でおしゃべりする女生徒に 「いいな~」と、思ったこともあったとか…。

地位も名誉も学歴も…誰かが望むモノではなく その時に何かが働いて授かるものなのだと…。

今、大臣も変わり…本当に真実は闇の中。

闇の中 輝く一筋の光…。

その一本の光を歩んだものだけが得ることの出来る喜びの場。

地位も名誉も学歴も関係のない場。

まだ20代後半の彼女…きっとこれからの長い人生を振り返った時に、自分で歩んできた人生の中 ずっとそばで寄り添い歩んでいる存在を感じる日

また今よりももっともっと輝く女性になるようで、凄く楽しみです。

そして、久しぶりに思い出したフットプリント…足跡。

FOOTPRINTS IN THE SAND

砂の上の足跡

One night a man had a dream.
ある晩、男が夢をみていた。

He dreamed he was walking along the beach with the LORD.
夢の中で彼は、神と並んで浜辺を歩いているのだった。

Across the sky flashed scenes from his life.
そして空の向こうには、彼のこれまでの人生が映し出されては消えていった。

For each scene, he noticed two sets of footprints in the sand: one belonging to him, and the other to the LORD.
どの場面でも、砂の上にはふたりの足跡が残されていた。 ひとつは彼自身のもの、もうひとつは神のものだった。

When the last scene of his life flashed before him, he looked back at the footprints in the sand.
人生のつい先ほどの場面が目の前から消えていくと、彼はふりかえり、砂の上の足跡を眺めた。

He noticed that many times along the path of his life there was only one set of footprints.
すると彼の人生の道程には、ひとりの足跡しか残っていない場所が、いくつもあるのだった。

He also noticed that it happened at the very lowest and saddest times of his life.
しかもそれは、彼の人生の中でも、特につらく、悲しいときに起きているのだった。

This really bothered him and he questioned the LORD about it.
すっかり悩んでしまった彼は、神にそのことをたずねてみた。

“LORD, You said that once I decided to follow you, You would walk with me all the way.
「神よ、私があなたに従って生きると決めたとき、あなたはずっと私とともに歩いてくださるとおっしゃられた。

But I have noticed that during the most troublesome times of my life, there is only one set of footprints.
しかし、私の人生のもっとも困難なときには、いつもひとりの足跡しか残っていないではありませんか。

I don’t understand why when I needed You most You would leave me.”
私が一番にあなたを必要としたときに、なぜあなたは私を見捨てられたのですか」

The LORD replied, “My son, My precious child, I love you and I would never leave you.
神は答えられた。 「わが子よ。 私の大切な子供よ。 私はあなたを愛している。 私はあなたを見捨てはしない。

During your times of trial and suffering, when you see only one set of footprints, it was then that I carried you.
あなたの試練と苦しみのときに、ひとりの足跡しか残されていないのは、その時はわたしがあなたを背負って歩いていたのだ」

Author Unknown
作者不詳

 

楢本神社境内の二人の偉人

太陽院院長 近藤 千恵子です!(^^)!

愛媛県西条市大町の氏神様…楢本(ならもと)神社

境内には神風特攻敷島隊 関 行男氏ら五軍神の追悼碑

追悼碑の裏にはこんな言葉が…

「大東亜戦争末期米軍の大機動部隊のレイテ侵攻を阻止し、大和民族の純血を守らんとして神風特攻第一号敷島隊は一機一艦轟沈を目指して、世界最初の公式の人間爆弾となり国家悠久の大義に殉ず。
嗚呼若き血潮の滾る五軍神命達よ、世界恒久平和の魁としてこれの聖所に安らかに齋かれまさんことを祈る。」

そして、毎年10月25日敷島隊五軍神の命日には、大町の有志で追悼式典を開催しており…

今年度から大きく役員も変わり、先日役員会で毎月末日に 境内の掃除をしていこうということが決まり、今朝9時 蝉の声を聞きながら清掃。

そんな境内にもうひとつ ある建物が、医聖と呼ばれた眞鍋嘉一郎氏の生誕の家。

眞鍋氏は、1878年(明治11)に現在の西条市大町に生まれ5歳で父を失い、貧しい 暮らしの中で育ったそう…。

西条から松山中学校、第一高等学校、東京帝国大学医科大学(現在の
東大)へと進み、どの学校でもトップの成績で卒業され、松山中学校時代は夏目漱石の生徒でもあったそう…。

卒業後は、東大に勤め、1911(明治44)年から3年間ドイツに留学し、野口英世氏にも出合い彼が亡 くなるまで交流は続き…

帰国後、内科の治療にレントゲン線、ラジウム鉱泉などを利用する物理療法を取り入れ…1926(大正15)年には東大の教授となり、内科物理療法学の講座を開いたそう…。

眞鍋氏は、夏目漱石や野口英世…そしてあの226事件の浜口雄幸首相等 有名人との交流があり、特に、浜口首相最後の脈を 取ったことなどで知られているのだとか…。

その眞鍋嘉一郎先生の生誕の家が楢本神社境内にあり 今朝掃除が終わった後 眞鍋先生のお話を聴かせて頂きました。

軍神関行男さんや医聖眞鍋嘉一郎先生と同じ西条市大町に生を受けた者のひとりとして、お二人の偉業が後世に伝えられていく様…先ずは毎月のお掃除からお手伝いさせて頂きます。

 

未来へつむぐ!!

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^ゞ

靖国神社で会おう!!を合言葉に、72年前散っていった多くの尊い命。

今日、香川県坂出市民ホールで開催された舞台「未来へつむぐ」を 6月から一緒に住んでいる認知症の叔母とふたりで観て参りました。

舞台は、72年前の鹿児島県知覧特攻基地にタイムトリップしてしまった高校生の話。

そして、特攻を志願しその日を迎える特攻兵達と過ごす なでしこ隊の一員となりその場に身を置き感じる様々な思い。

実際に知覧から飛び立ち、奇しくもエンジントラブルによって徳之島に不時着し、その後2回出陣命令が出るけれども 雨で飛べず…

そして終戦を迎えてしまった愛知県に住む板津 忠正さんの体験を基に演じられる特攻兵の思いやわずか15~16歳のなでしこ隊の思い…。

板津さんは、陸軍特攻第二一三振武隊 特別攻撃隊員。

そして、終戦後 特攻で亡くなった多くの仲間の遺族へ特攻慰霊と共に当時の状況を説明され…

昭和54年には勤めておられた名古屋市役所を退職 本格的に特攻慰霊・資料収集に専念…全国行脚されておられたと…

昭和59年からは 知覧特攻平和会館の事務局長にもなり、平成7年には、陸軍全戦没者1,036名分の遺影が集まったと…。

そして、一昨年平成27年 4月6日 逝去され戦友の元へと旅立って逝かれたそうです。

「靖国で会おう!」を合言葉に、知覧陸軍での特攻作戦は昭和20年4月1日~3ヶ月…多くの隊員が突撃し散華していかれたそうで…。

舞台が始まる前、知覧観光大使と言われ延べ5000人の方々を知覧へ連れて行かれている山近 義幸氏も また舞台の中最後の映像の中でも伝えられたこの言葉…

「特攻は美化してはならない、しかし風化させてはならない」

今日の舞台の中、なでしこ隊が作ってくれたお人形を胸に飛び立つ特攻兵の遺書にも涙…。

過去と現在そして未来の日本を見つめ、日本人が忘れかけてしまっている大切なことに氣付くきっかけとなれば…と今回の舞台の

「TSUMUGI JAPAN」代表の野田さんの言葉。

靖国神社…知覧…そして沖縄…もっともっと各地に残ってはいるけれど、顔をそむけてしまっている現在の風潮。

いまも知覧特攻平和会館近くの富や旅館では、当時特攻で飛び立つ前に食べたメニューの卵かけごはんやすいとん汁などを出してくれ…

またトミさんは亡くなられましたが、後世に伝えていくために、ずっとずっとお話も伝えて下さっているそうで…

私自身はまだ残念ながら 知覧特攻平和会館は訪れたことがなく…

今日、第二一三振武隊…皆さんの遺書や思いを伝えて頂き 第二一三振武隊員6名にも逢いに行かせて頂きたいと思いました。

「特攻は美化してはならない しかし風化させてはならない」

まさに国家や愛する家族の為に、命をかけて突撃していった英霊の方々の思いに寄り添い 実現したかった平和な国日本を作っていきたいものです。

 

 

神さまの愛?

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^♪

昨日の夜中、テレビをつけると認知症のお母さんの介護をしている娘さん。

若年性アルツハイマーを患ったお母さんを 家で介護している姿に 6月から認知症の叔母を引き取り日々奮闘中の私も 共感することも多く…

そして、テレビの中 娘さん自身の誕生日を忘れてしまったお母さんに、「お母さん!今日何の日かわかる?」と問う娘さんに…

「えっ?何の日」とわからぬお母さん。

「今日は9月27日…私の誕生日」と言う娘さんに、「そう…」とそっけないお母さん。

忘れていることは わかっていながらも 問う娘さんの思いと、なんと私と同じ誕生日の娘さんに、同じように認知症の介護をしていることで、我が事のように放送を見入ってしまいました。

認知症に回復の見込みもなく、骨折してしまったことで 車いす生活になってしまっているお母さん。

そして、結婚適齢期をお母さんの介護をしながら迎えている心優しい女性に、どうか心の支えとなってくれる伴侶が現れてくれることを 願ってしまうほど…。

私自身、主人が居てくれるだけで 一服の清涼剤と、なってくれてるのは確かなので…。

そして、そんなテレビ番組を何だか涙流しながら見た後、ふと携帯電話のfacebookを開いてみると、知り合いの息子さんの野球部のマネージャーの女の子が、駐輪場で倒れ…救急車で運ばれ「脳出血」…後遺症も残るかも知れない…と。

そんな投稿に思わず溢れる涙…。

まだ17か18歳の女の子。

これが神さまの愛なんでしょうか?

高校3年間、一生懸命野球部の部員の為に動いてきた彼女…。

会ったことも、顔も分からないけれど、あまりにも悔しすぎる現状。

アルツハイマーの母親を介護する30歳前後の女性と、まだまだ今から自分自身が人生を選択できる青春真っ只中の女性。

「神は愛なり」と言うけれど、そして彼女達だからこそきっと選ばれ与えられた試練なのでしょうか。

ふたりの女性を思い、そして私も日々の生活の中 同じ誕生日の介護中の彼女のように、どんな状況をも にっこり笑って乗り越えて行きたいと感じさせて頂きました。

そして、ふたりの女性だけでなく 日本中で色々頑張ってる人々にも 神さまの愛の光が降り注ぎますようにと…祈ります。

「神は愛なり」…ですね♡

 

銭形~♡

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)/

今日、香川県観音寺市に行って参りました。

約束の時間よりも 随分早く到着したので 「琴引公園」にある銭形を見ることの出来る展望台にも寄って参りました。

「銭形砂絵」は1633年(寛永10年) 高松藩主の生駒高俊公を歓迎するために急遽一夜で作り上げられたと伝えられており

「銭形を見たものは 健康で長生き、おまけにお金に不自由しない」と言われるほどの パワースポットなんだとか…(*^^)v

高校3年生の卒業遠足が、ここ琴引公園でみんなでバスに乗り来た時が初めての銭形!

そして、1年前…主人とドライブの途中、看板を見かけ 行ってみようか…と、行ったのが2回目!!

そして、そして今日3回目の銭形!!!

3回訪れたとなると、きっと神さまはじっとしてないかも…知れません(*^^)v

そして、お会いした女性は、イキイキ動かれ…月収も7ケタは行ってる 素敵な人生を満喫されてる女性。

銭形パワーとイケてる女性パワーたっぷり頂いた観音寺。

しつこい様だけれど…コズミックダイアリーでの「磁氣の月」

お金も人も…私自身が強力な磁石となり、ぐわ~っと引き寄せているような今。

「億」も夢じゃない?…と思い意識をそこに持って行ってみる。

自身の磁力引き寄せられてくる多くのモノや情報。

「取捨選択」していくのも私。

そしてこの大宇宙の中、生きているこの3次元の世界。

よく三重県津市の赤塚建設社長…赤塚高仁さんが言われる言葉
「この世の学びは、人間関係と経済活動」…だと。

そして、今日観音寺でお話しさせてもらった「観音寺グランドホテル」は、私が高校卒業後8年間務めた会社で 最後の慰安旅行の時に泊まったホテル。

会社の都合で、退職することが決まっていた私を、西日本の営業所の方々が人生で初めて「胴上げ」をしてくださった思い出の場所でした。

天井に当たりそうな恐怖と共に、心地よい空間に舞う感覚。

この世は、先の見えない楽しみな冒険の場。

こんな讃美歌のように、歌いながら歩んで行けます様に…

主にすがる我に 悩みはなし
十字架のみもとに 荷をおろせば
歌いつつ 歩まん 
ハレルヤ ハレルヤ
歌いつつ 歩まん
この世の旅路を

恐れは変わりて 祈りとなり
嘆きは 変わりて 歌となりぬ
歌いつつ 歩まん 
ハレルヤ ハレルヤ
歌いつつ 歩まん
この世の旅路を

主はいと優しく 我と語り
とぼしき時には 充たし給う
歌いつつ 歩まん 
ハレルヤ ハレルヤ
歌いつつ 歩まん
この世の旅路を

主の御約束に 変わりはなし
御許に行くまで ささえ給わん
歌いつつ 歩まん 
ハレルヤ ハレルヤ
歌いつつ 歩まん
この世の旅路を

時間をはずした日

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^ゞ

7月25日…何も無いような日だけれど、1ヶ月を28日そして13か月で計算するコズミックダイアリーによると この日だけは どの月にも当てはまらない 不思議な不思議な1日なんだとか…。

20年前作られたコズミックダイアリー。

7月26日からが「磁氣の月」と呼ばれる28日間。

そして、どの月にも属さない今日25日は 世界中で「時間をはずした日」のお祭りが開催されてるのだとか…。

西日本最高峰「石鎚山」を御神体とする石鎚神社でも 16時30分~1時間…能の舞に茶道、そしてダンスにジャンベと津軽三味線そして書道と華道へと繋がる何とも素晴らしい奉納でした。

書は、「神合」…かみあわせ

世界中できっと人類は目には見えないけれど、自分自身の故郷神の国と交わり暮らしてきたはず…

「祈り」と「祀り」

今日、「罪…穢れ…この意味を知ってますか?」と問われ…「ん?はてさてなんだったかな?」…と。

罪とは包んで隠してしまった身の不始末。

そして、穢れは…氣枯れ。

神聖な神社で手や口を洗い…神さまの前 そのままの自分を置きリセットされる感覚。

26日からの新しい365日に向けて設けられた空白の1日。

時間をはずした日の祭りから、今日は本当に時間から解放され ずっとゆっくりお話ししたかった方と5時間近くおしゃべりをして参りました。

26日からの「磁氣の月」 は、こんな風にダイアリーには書かれてました。

今年の目的? 今日の目的は? 人生の目的は? 宇宙の目的は?

今年とは? 一年とは?
地球が、太陽の周りを365日かけて、一周する。
地球の大航海。それが一年。

今年一年の目的とは、その大航海の目的なのでは?

地球の地軸が少し傾いているために、地球が旅をしていると
太陽の光と熱をたくさん浴びる時期と、
あまり太陽の方に向かずに、旅する時期が生まれる。
春夏秋冬が、生まれる。それは、宇宙の周期。

その大航海の間に、地球は365回自転する。
太陽の方を向いたり、背を向けたり。
朝日があり、夕日がある。それも、宇宙の周期。
地球上で365回の昼と夜が生まれる。
それがコズミックダイアリーを通じて、感じる一年。

74億人の地球人を乗せて、大航海する地球。
その地球の上に生まれた生命。
地球をはずして、私の目的はない。
my  purpose 「私の目的」からkosmic   purpose「宇宙の目的」へ。

磁氣の月の28日間は、宇宙の目的を感じてみよう。
それが、生命としての、目的そのもの。

What  is  my    purpose?

 

信仰によって…

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^♪

今晩から、うちのトミ子さん…従妹に連れられて奈良県の天理教の教会に参りました。

うちの叔母は、浄土宗…南無阿弥陀仏の世界。

ただ、四国という土地柄のため、弘法大師が開いた真言密教を唱え、たしか もう一人の叔母が荼毘(だび)に付す時は、四国88か所参りで頂いた納経帳を懐に隠して持って行った様な…。

認知症になり、何も覚えてない叔母を グループホームに居るときも、我が家に来てからも 毎月8日にお参りに誘ってくれ そして今晩からフェリーに乗り大阪まで渡り…奈良県の天理市まで連れて行ってくれるという。

もともと、信仰心はある叔母だったけれど、毎月のお参りも…今回のお参りもどこかで神さまが叔母をその場に導いてくれているのか…

片時も目を離すことの出来ない叔母を連れてのお参りは、本当に大変なことなのに それを使命としてしてくれる従妹。

従妹と言っても、父方の従妹。

叔母とは全く血は繋がっているわけでもなく…本当にこの信仰心には頭が下がります。


ずっとずっと昔…。

やはり、大阪に向かうフェリーの中で、まだ私が20代の頃…熱心な天理教の信者さんと隣り合わせになったことがありました。

その女性は、ずっとずっと昔、自分自身のおじいちゃんが目が見えなくなったところ天理教の教祖様に見えるようにしてもらい…それから代々教会を継続させているのだと…。

まだ若く、全く見えない世界のことを知らなかった時…その話は、私自身にはかなり興味深いものでもありました。


と、言うことで今晩フェリー乗り場まで送っていき…月曜日まで少し解放される週末。

そして、明日は広島へうちの主人と大好きな赤塚さんのお話を聴きに参ります。

そして、今回は2年前名古屋で、昨年は神戸で一緒に赤塚さんの聖書講座を受けていた 名鉄構内にある「小さな時計屋さん」の照ちゃんとも講演会場近くの駅で合流。

楽しみに行って参ります。


そして、赤塚さんの聖書講座の中、伝えてもらった信仰によって変えられた聖書の中の人々のこと

「へブル人への手紙11章」

さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。

昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。

信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。

信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。神が、彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。

信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである。

信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。

信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。

信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。

信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ。

彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である。

信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。

このようにして、ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。

これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。

そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。

もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。

しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。

信仰によって、アブラハムは、試錬を受けたとき、イサクをささげた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのである。

この子については、「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう」と言われていたのであった。

彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。だから彼は、いわば、イサクを生きかえして渡されたわけである。

信仰によって、イサクは、きたるべきことについて、ヤコブとエサウとを祝福した。

信仰によって、ヤコブは死のまぎわに、ヨセフの子らをひとりびとり祝福し、そしてそのつえのかしらによりかかって礼拝した。

信仰によって、ヨセフはその臨終に、イスラエルの子らの出て行くことを思い、自分の骨のことについてさしずした。

信仰によって、モーセの生れたとき、両親は、三か月のあいだ彼を隠した。それは、彼らが子供のうるわしいのを見たからである。彼らはまた、王の命令をも恐れなかった。

信仰によって、モーセは、成人したとき、パロの娘の子と言われることを拒み、

罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、

キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた。それは、彼が報いを望み見ていたからである。

信仰によって、彼は王の憤りをも恐れず、エジプトを立ち去った。彼は、見えないかたを見ているようにして、忍びとおした。

信仰によって、滅ぼす者が、長子らに手を下すことのないように、彼は過越を行い血を塗った。

信仰によって、人々は紅海をかわいた土地をとおるように渡ったが、同じことを企てたエジプト人はおぼれ死んだ。

信仰によって、エリコの城壁は、七日にわたってまわったために、くずれおちた。

信仰によって、遊女ラハブは、探りにきた者たちをおだやかに迎えたので、不従順な者どもと一緒に滅びることはなかった。

このほか、何を言おうか。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル及び預言者たちについて語り出すなら、時間が足りないであろう。

彼らは信仰によって、国々を征服し、義を行い、約束のものを受け、ししの口をふさぎ、

火の勢いを消し、つるぎの刃をのがれ、弱いものは強くされ、戦いの勇者となり、他国の軍を退かせた。

女たちは、その死者たちをよみがえらさせてもらった。ほかの者は、更にまさったいのちによみがえるために、拷問の苦しみに甘んじ、放免されることを願わなかった。

なおほかの者たちは、あざけられ、むち打たれ、しばり上げられ、投獄されるほどのめに会った。

あるいは、石で打たれ、さいなまれ、のこぎりで引かれ、つるぎで切り殺され、羊の皮や、やぎの皮を着て歩きまわり、無一物になり、悩まされ、苦しめられ、

(この世は彼らの住む所ではなかった)、荒野と山の中と岩の穴と土の穴とを、さまよい続けた。

さて、これらの人々はみな、信仰によってあかしされたが、約束のものは受けなかった。

神はわたしたちのために、さらに良いものをあらかじめ備えて下さっているので、わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはない。


「へブル人への手紙」11章1節から40節までの間に何度も何度も出てくる「信仰」という言葉。

単純に…信仰とは、信じて仰ぎ見るモノ…。そして、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認すること…とある。

アブラハムもヤコブもモーゼもノアも…そしてキリストイエスも…このへブル人への手紙を書いた使徒パウロも…目には見えないけれど確実に存在する大いなるモノに動かされる世界。

明日、久しぶりに話を聴かせて頂く赤塚さんも 何か大いなるものによって導かれ、話させられてる世界。

今日、叔母を天理にまで導いてくれた従妹もそう…。

求めよ…さらば与えられん
探せよ…さらば見つからん
叩けよ…さらば開かれん

信仰によって与えられ、見つかり…そして開かれていく世界。

日本人こそ  この見えない世界を大切にしてきた民族。

そして、日本にたくさんある新興宗教もまた神さまの臨済によって開かれて来たであろう宗教。

どうか、教理や教則ではない真の信仰が世の中を救っていきますように…祈り求めます。