「家族」カテゴリーアーカイブ

贈る言葉

太陽院院長 近藤  千恵子です(^.^)

今日は、8日夕方息を引き取った義父との最期のお別れの日。

8人兄弟の長男であった義父…兄弟姉妹の配偶者と娘…息子たち。
そこに、子供が出来て…親族だけでも何人集まってくれたのでしょうか…。

2時からの葬儀だったけれど、納棺もあり朝10時過ぎに今日の葬儀会場でもある主人の実家へ…。

白装束に整え…天に還る準備の出来た義父。

そして、不思議なことがひとつ…

昨日、通夜の際 主人がしていたお数珠…どこに行ったか分からなくなり…今日は持って行かなくてもいいかな…なんて思っていたところ…

納棺の際、お義母さんがお義父さんの使ってたお数珠を、今旅立とうとするお義父さんに持たせようと持って来て…

お義父さんのお数珠は、四国別格霊場を巡り作ったお数珠。

文献によると、「四国遍路88か所+別格20ヶ寺=108」

108=煩悩の数。

そんな大切なお数珠…お義父さんの身体と一緒に焼かれてしまうなんてもったいない!!

「お義母さん!!浩二さんのお数珠昨日から見当たらないので そのお数珠貸してもらっていいですか!!」

「えっ!!そうなん…そんならあげるよ!!形見分けじゃ…」

そして、もらったお数珠。

浩二さん…お義父さんが息を引き取った時、ちゃっかりお義父さんの腕時計も形見にもらっていながらですが…。

しかし…不思議。

昨日のお通夜の時はあったはずのお数珠が今日見当たらず…

そして、手に入れたお義父さんが20ヶ寺お参りして作ったお数珠。

聖書の中…すべてに時があると書かれているけれど、本当に8日お義父さんが天に旅立ち…そして巡り巡って主人の所に届けられたお数珠。

そして、お義父さんの葬儀が始まるまでの間に、お義父さんへの思いをお義父さんの姉妹はもとより…家族、親族みんなにお義父さんへのメッセージをひと言づつ色紙に書いてもらい…

それぞれが、お義父さんに向けて贈ったお別れのメッセージ。

読むと…泣けてくるような最後のメッセージ。

棺の中に眠るお義父さんの頭の方に入れられ…みんなの思いのこもった言葉と共に今日旅立って逝きました。

そして、喪主の一人であった主人…葬儀に立ち会ってくれた方々へ最後のメッセージ。

楽しかった思い出…辛かった思い…

「親孝行 したい時には 親はなし」と、言いながら…、享年91歳で旅立ったお義父さんへ対し…やりのこしたこと。

人間の人生なんて…本当にいつ何が起こるか…わからない!!

今、この時…主の御恵みの中

動じることなく…(*^^)v

ありがとうございました…

太陽院院長    近藤  千恵子です(*´-`)

今年お正月…主人の実家に行った時 いつもお義父さんが座ってる所に姿がなく…別の部屋で酸素マスクをし、布団に…。

「お義父さん!」

呼んでも眠ったまんま…。

主人も、行って覗いてみる…。

人氣を感じ、こちらを見るお義父さん。

「お義父さん!あけましておめでとうございます…しんどい?」

昨年の11月頃 お義父さんとお義母さんをモーニングに誘い、行ったけれど 2~3口食べて…そのまま食欲もなく…。

12~3年前、まだ主人が脳出血で倒れる前、肺がんと言われ…抗がん剤治療も放射線もしないことを選択。

そして、今年お正月寝込んでしまうまで、比較的元氣だったお義父さんが、今日夜7時容態が急変…そして、あっという間に天に還って逝ってしまいました。

本当に、あっという間に…。

お正月に、お義父さんの容態が良い状態ではないことを知り、主人と あれやこれや持ってちょこちょこ主人の実家へ。

そして、今日も「ずっと寝たきりだと退屈だから…」と、CDラジカセと、落語のCDを持って、主人の実家へ。

今日から、介護用のベッドを設置してもらい…心地良さそうに寝ているお義父さん。

落語のCDを聞こえるようにセットし、手の先が青くなってたので しばらく撫でていると、血行も良くなり…

「お義父さん!病気に負けたらだめよ~!!」と、声かけて…

我が家に帰って、夕食の準備してる所に…主人の実家から電話…

「容態が急変して…今お医者さん呼んでる…」と…。

私と主人が行ったのが、夕方5時~6時。

そして、「えええええ~?????」と信じられないような連絡に、慌てて主人の実家へ…。

お医者さんはまだ来ておらず、訪問看護の看護師さんが駆けつけて、お義父さんの脈を確認したり…目の瞳孔を確認…。

そして、お医者さんもその後に来て…「よく頑張られましたね」と…。

お医者さまから、入院を勧められても、ここが良い!!と、自宅で最期まで過ごしたお義父さん。

夕食の準備をし、リクライニングベッドを起こし…お茶を二口飲んだ所で、むせることも無く 息をしなくなったそうで…

私と主人が再び訪れた時には、顔色が青くなり ピクリとも動かないお義父さん。

そして、バタバタと親戚が集まり…葬儀場の方が来て…白い布団に寝かせられ…。

肺がんになって、自身の選択で癌に対する治療を拒否し…最期2ヶ月くらい寝込み、それでも尚 自宅で家族との生活を望んだお義父さん。

昭和3年(1928年)5月7日に生まれ…今日平成30年(2018年)2月8日逝去。

今年90歳の誕生日の3ヶ月前に天に還って逝った義父。

残されたお義母さんとは、62年共に過ごし…今日もお義母さんの目の前で旅立って逝った義父。

少しづつ…少しづつ…天に知り合いが向かって行き、いつか私も最期は行く場所。

今日は お義父さんに献杯…

そして  ただただ…お義父さんには、

「ありがとうございます」

お義父さんの分までしっかり残された人生頑張ります…と、天に向かって叫びます。

 

嬉しい悲鳴♡

太陽院院長 近藤   千恵子です(*´з`)💛

今日は、何とも嬉しい悲鳴…

市の子育て支援のひとつファミリーサポートに数年前から登録し、子育て中のお母さんのサポートで  子供さんを預かることが昨年から増え…

頻繁にサポートさせてもらう子もいたり…

数か月ぶりに預からせてもらう子もいたり…

昨日日曜日ということで、市役所にも連絡できず…夕方4か月ぶりにお母さんから直接サポートの依頼。

そして、今日の昼間…11月から仕事に復帰し  ちょこちょこサポートさせてもらってるお母さんから  緊急依頼。

ちょうど時間は重なるけど…きっと何とかなる!!と、「いいですよ~」と、引き受けさせてもらいました。

1歳4か月になる男の子と11か月の男の子。

子育て経験は無いけれど、2人の子供を同時に預れるなんて我が家は一気に託児所状態…

倖せ過ぎる~と、お昼からワクワク。

夕方6時…いつも来ている1歳4か月の「そうちゃん」をお迎えに行き…夕食をデイサービスから戻った叔母も主人も一緒に食べ…

そして、少し食べ残ってる分は主人に食べさせてもらう様お願いし…まだ1歳にはならない11か月の「きよちゃん」を保育園にお迎えに…。

ご機嫌よく保育園を後にしたものの、我が家に到着した途端…大泣き(>_<)

お腹すいた?

と、荷物の中の哺乳瓶が目に入ったので、先ずお湯を入れてミルクを200ml分作り…ゴクゴクゴク。

まだまだ泣き止まない「きよちゃん」

一緒に居る5ヵ月お兄ちゃんの「そうちゃん」も心配そう…。

そうちゃん…君も初めて来て3回目くらいまでは、ずっと泣いてたよね(笑)

で、何かしてあげよう…としてる時に「そうちゃん」のお母さんがお迎えに…。

もうちょっと一緒に居たそうだったけど、バイバイしてお母さんとお家へ…

そして、そうちゃんのお母さんがお迎えの間も 抱っこされながらずっと泣いてた「きよちゃん」

あっそうそう…離乳食もあるって言ってたな~

そして、電子レンジを廃棄したので…スチームで温めてお口に持って行くとパクパク…(*^^)v

エ~ンと泣きながらお口を開けてモグモグ…

そして、食べるとまたエ~ンと泣きながらお口を開けてモグモグパクパク。

そして、ひとつ食べ終え  二つ目も口に持って行くと…もうお口を開けず…

そして、まだまだ泣き止まない「きよちゃん」

そうこうしてると、きよちゃんのお父さんがお迎えに来てくれて…ホッ。

結局、我が家に来て…お父さんが迎えに来てくれるまで泣き止まず…

世のお母さま方…尊敬致します。

また年子や双子ちゃん…5人育てた私の実の姉も改めて尊敬!!

そして、離乳食を先に食べさせれば良かった…と、反省…。

6時から8時までのたった2時間だけど…嬉しい悲鳴を上げながらのサポート。

そして、しばらく放心状態(笑)

で、夜9時過ぎ…お風呂に入れる気力も無くなり…認知症の叔母を寝床に…。

ものごころ付き  お話しが出来ると少しは楽かも知れないけれど、泣いてもわからず…

おむつを見ても 出ておらず…

数か月に一度のサポートだったことで、「ん?この家は我が家では無いぞ??」と、知恵も付き…。

もう1歳や数か月の子供たちから見ると、私はおばあちゃん(~_~)

フェイスブックの中でも、自身の赤ちゃんの写真upしてる同級生もいるんだから…仕方ない。

我が子には恵まれなかったけれど、主人の塾の子供達や…ファミリーサポートで預からせてもらってる可愛い天使たち。

本当に有難い限りです…主の計らいに感謝(*´з`)💛

権利擁護セミナー♡

太陽院院長 近藤  千恵子です(*^_^*)

スーパームーンとブルームーンとブラッドムーンを全て含む、

今宵はスーパーブルーブラッドムーンなんだとか。

そして、太陽と地球とお月様が一直線に並ぶという皆既月食まで…。

夜10時頃 屋上まで上がってみたけれど、残念ながら雲があり…見えず。

で、facebookにどんどんあげられてくる全国の皆既月食やスーパーブルーブラッドムーンの写真。

有り難い事です。

そんな今日、朝から夕方近くまで 民生委員の勉強会へ…。

権利擁護セミナーの中、「安全で安心して暮らせる地域共生社会を目指して」…と題され しっかり勉強させて頂きました。

中でも特別講演の淑徳大学 准教授の山下 興一郎先生の講演は、認知症・知的障がい・精神障がい・発達障がい・虐待・DVなどの人々への擁護。

また身体的なものではなく、生活困窮や災害、また多様な状況の中での生きづらさ。

講演の中、「高齢者は、○○と○○のなかで生きている」この○○には何が入るのかと問われ…

んんん「不安」は入る!と思いながら聞いていると…

「見栄」と「欲望」 だったり、「不安」と「絶望」だったり、「金」と「プライド」、「不安」と「葛藤」などが入るのだとか…。

そして、介護人への言葉として、「愛情に似た○○○○」には…

「おせっかい」かと思ってたら、 「自己犠牲」が入るのだと…。

愛情に似た自己犠牲。

んんん~凄くわかるかも…。

私がしないと…と、頑張り、自分を犠牲にしてしまっている状態も…。

介護保険制度が出来たことで、少しづつ変わってきた家族の負担。

ただ、介護保険を使うことをプライドや金銭的な負担から、使わなかったり 使えなかったり…

世の中には、想像も出来ないようなことが起こったり、どうしようも無いことがあったり…

だけど…その中で生きて行く現実。

一人ひとりが、生まれて 大人になって 老いていく時
「愛されて、愛して…また、愛される」とも。

民生委員になって、2年目。

色々勉強もさせて頂き、地域の皆様も私自身も 笑顔溢れる毎日…

安全で安心して暮らせる地域共生社会目指します…です(^_^)/

怒りスイッチ…

太陽院院長 近藤  千恵子です(*’▽’)

怒りスイッチってあるのでしょうか。

怒りの正体は、「自分が大切にされてない事に対する不満」

人間の感情の中、喜怒哀楽…この「怒」への感情はあまり感じたことがなく、“怒り”の前に なんでこんなことするんだろう?…と、“哀しみ”が出て来る方が多く…。

もう20年ほど前、自己啓発セミナーに参加したことがあり、その時受けた「怒りの実習」

自分の中の「怒り」を出そうとするけれど…出て来ず…。

でもその時に一番嫌いな人を思い浮かべて…怒ろう!!と思い出したのが、今一緒に住んでる認知症の叔母のこと(>_<)。

しかし、その時も叔母が私達姉妹にしてくれたことや、孤独に対する不安からくる寂しさの裏側で嫌な事を言ったりしたんだろうな…と思い、大きな怒りの感情を吐き出すことも出来ず…逆に憂いや哀しみに。

世の中には、肩で風切って「おら おら おら…」って怒りだけで生きてる様な人もいるけれど…私自身、怒ることが人間的には劣っている様にさえ思えるほど…。

そんな、私の元に昨年5月末から一緒に住み始めた認知症の叔母…。

初めの一か月、お風呂に入るとき服を脱ぐのを嫌がったり…これ触ったらダメというものを平気で触ったり…1分も経たないうちに忘れてしまう叔母。

認知症だから…と氣長に接しながらも、ふと私の「怒りスイッチ」がONになることも…。

子育て経験のない私にとっては、子育て中のお母さんが子供を叱ることも大切な親の役目。

「怒る」という行動は、ただ自分が大切にされてない事に対する不満の感情をぶつけることに対して、「叱る」という行動は相手に氣付きを与えること…。

子育ての中、子供へ叱ることで子供は社会でしっかり生きていくことが出来る様になり…

しかし、今年米寿を迎える叔母は、社会で生きた後の今の人生。

私の中で  みてあげてるのに~

なんで言うこときかないの~

…っていう自分本意の考えから出てくる怒り

そして、5月末から一緒に生活し…やっと叔母との生活のペースが出来て来た頃…12月14日から1月8日まで、ほぼ一か月、叔母が入院。

退院し、筋力が少し弱ったものの前と同じような感じに戻り…

しかし、一か月叔母のいない生活は、のんびりと主人と二人だけの介護ストレスのあまりかからない状態。

そして今、引き取った時と同じようにまた一緒に暮らす生活ペースを作り直す時。

楽をした分、先のことを思うと、私にどこまで出来るのか…と先の見えない不安も感じ…

そして最近たびたび、私の中の「怒りスイッチ」がONに!!

怒れば余計やりにくくなってしまう介護…救いは1分前のことを忘れてくれる事。

忘れ…ニッコリされると「ごめん」と、私自身に渇が入り…

そして、私の脳に またなんであんなに怒ってしまったんだろう…と、記憶されていく現実。

認知症という前に、きっと昔…叔母を嫌いになった時の感情や、今日などは天に還った私の母が持っていた姉である叔母に対する怒りの感情まで乗っかって来たような…。

認知症…成りたくてなったわけでもない病いで有り、叔母と一緒に過ごすことになったのもきっと大きな力が働いてのこと。

1月31日には、数えで88歳…満87歳のお誕生日♡

結婚せず子供のいない叔母は、若いころから誰かを養女に…と、策略を立てる叔母が大っ嫌いだったけれど、

結局私も子育て経験のない私が、子育てとはちょっと違うけれど、赤子の様に何も出来ない一人では生きて行けない叔母の面倒を見ること…。

怒りは、ただ自分が大切にされてない事に対する不満の感情…神さまも御先祖様もきっとこんな私を笑ってみてくれてると思い…怒りではなく…笑顔で過ごして参ります♡

今日は何の日…ふっふ~♪

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^^)v

今日は、仏様のお正月…念仏の口開け日。

歳神様は、念仏が嫌いであることから、12月16日の「念仏の口止め」から今日1月16日までのお正月の間は、念仏は唱えないとされてるそうで…。

そして、近藤家、実家の安藤家、そして私の母の実家…5月から同居中の叔母の小西家…お墓詣りに行って参りました。

お墓に行って、香の花に水を入れ…火を灯し…お線香をあげ…般若心経を唱え…。

御先祖様から続いているこの命。

そして、今年も早16日目。

見えないけれど…確かに感じる仏様である御先祖様たちの優しい愛と、大いなる神さまの愛。

今日は、お日様は時々しか顔を出さないけれど、寒さも控えめ…風もなく…まあまあのお墓詣り日和。

2013年12月19日17時28分…天に還って逝った母も、今日はお正月。

「かあちゃん!昨年から、とみ叔母さんと一緒に暮らすようになって、てんてこ舞いだけど、かあちゃんの分までしっかり叔母さんの世話するから…笑いながら見ててね!」

時々、母の姉の叔母さんは母に似てて 間違えてしまいそうだけれど、母にはやっぱり叔母さんは敵わず…

私自身、子供がいないから姪っ子や甥っ子が可愛いけれど…やっぱり親の愛には敵わないモノ。

姪っ子や甥っ子が大きくなってくると特に実感。

まっ!親でも相手にしてくれない時も有るそうだから、叔父さんや叔母さんは当然ですが…

そして、55歳になった今…どんな時でも この母、この父の子供として生まれて来たことを誇りに思えること。

私自身も、主人の姉兄の子供達も含めて10人の叔母。

私の姉妹は叔母にとっては唯一の姪っ子…3人。

母にとっては姉だった叔母の意見は絶対。

私は、年を取るごとに、母を支配しているような叔母が大嫌いに…。

今思えば、叔母さんの心の中の寂しさも 分かる様な…。

子育て経験の全くない私、姉達に対してかなり偉そうに説教したことも含めて…叔母と生活し始めたことでわかったこと。

母の眠るお墓の前に立ち…思い出もいっぱい!

そして、今日はお正月。

どうかどうか今年も一年天から笑いながら見守っていてくださいね。

 

いきなりステーキ

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^_^*)

昨年末、我が町西条に進出してきた「いきなりステーキ」

全国に広がるフランチャイズチェーン。

四国には、まだ徳島と愛媛西条店のみ…。

って、いうことでオープンからいつも お店のそばを通ると長蛇の列。

いつか行ってみたいな~と思いながらも、あの長い列に並ぶ勇気もなく今日、夕方からの患者さんが終わったあと…夜9時半過ぎ

そうだ!!今ならきっと空いてる!!

と、言う事で夜9時半を過ぎて…「いきなりステーキ」

しゃれた感じの店内…奥の低い椅子の席に主人と並んで座り、初めてで要領のわからないお店

感じのいい若い店員さんは、色々教えてくれて ヒレ200gとロース300gを注文。

ご飯とサラダのセット…そして、私はビールを1杯。

新年早々…いきなりステーキです。

で、今年はじめての外食♡

北海道から沖縄まで、全国に展開し…繁盛しているのにはわけがある。

何だろう?

ステーキという高級な料理を、隣の席では 高校生のような6人組が食べに来て…おかわり自由なご飯を大盛りで 2~3回頼み、ステーキも2枚目に突入。

きっとお正月、もらったお年玉でお肉をお腹いっぱい食べる倖せ♡

私が高校生の頃は、お好み焼き食べに行くのが精いっぱい。

お寿司も回るお寿司が出来て、休日には家族連れでいっぱい。

仕掛ける人がいて、仕掛けられて満足する人がいる構図。

食の好みは、人それぞれだけれど「万人受けするメニュー」そして家とは違う異空間でのひととき…

新年早々 景氣良いお店で…しっかりお肉も堪能!!

活力養い今年も頑張ります(^O^)/

光を浴びて…

太陽院院長 近藤  千恵子です(^.^)

今年、戌年…いぬの漢字は 何だか成功の成の字に似ているよう…

そして、そんな成功しそうな新年の2日目の今日11時24分…満月に!

しかもスーパームーンと呼ばれる 普段より少し大きなお月様。

昨日元旦は、お日様が世界中で拝まれ…そして今日は大きなお月様が主役。

昼を守るお日様  と  夜を守るお月様。

お日様によって、光り輝くお月様。

陰と陽の様だけれど…どちらも光。

日本の神話「古事記」の中では、イザナミさまが黄泉の国から 逃げて帰り…醜いものを見てしまったことで 左目を洗い生まれ出た太陽の神「アマテラスさま」…そして、右目を洗って現れたのが月の神「ツキヨミさま」

明るい昼間の光は、全てが光で探しにくく、夜の光であるお月様の光も、28日間で大きくなったり…小さくなったり…。

今日のような満月はどこにいても存在間満載…しかし、一旦暗雲が前を横切っていくと一瞬で闇夜になってしまう 受け身のような性格のツキヨミさま。

そして、ツキヨミさまは  自ら光らず…太陽の光を浴びてでないと光れず…

なので、お月さまはずっとお日さまを求め…お日さまの方も自身の存在を確認するようにお月さまを照らし続け…。

闇は光を…光は闇を…

求め続けるスターとファンの様な関係。

ファンが増えるとスターは輝きを増し…スターが輝くとまたファンが増える…。

お月さまもお日さまが輝かせてくれ…それを見て私達地球に住む者が歓び、また輝きを増し…。

光が光を求め…そして輝き…その輝きがまた人を歓ばせていき…

存在するモノ全てが光の存在…そして誰もが光を浴びて輝き、光が光を生み…

どちらが先かも全く関係なく…

長い長いお箸しかない所…自分が自分の為に食べようとすると、全く食べられず…隣の人と喧嘩になってしまうような地獄の絵図。

それと違って…

長い長いお箸しかない所…誰かに食べさせてあげることで、自身も食べることが出来、争う事のない天国の絵図。

お日さまの光と、お月さまの光から始まった今年は きっと光り輝く素晴らしい一年になりそうです。

皇紀2678年始まりました!!

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^♪

奈良の橿原で2月11日神武天皇が建国宣言をされ…日本國が誕生し、今年の2月11日で丸2677年を過ぎ…2678年目が始まります。

初代神武天皇から125代目の今上天皇。

そして、今年平成30年。

今上天皇の御上位が決まり、平成という年号が最後を迎えることが 寂しくも有り、またわくわくも致します。

2014年5月に4日間、皇居勤労奉仕に参加させて頂き、天皇皇后両陛下、そして皇太子さまの御会釈を賜りました。

両陛下も皇太子さまも内側から滲み出てくる 慈愛に満ちたお姿は今でもしっかりの私の胸の中に刻まれ…言葉には出来ないほどの感動も…。

そして、今年平成30年が始まりの今日…実は朝6時から天照さまの荒御魂をお祀りする伊曾乃神社での歳旦祭に参列する予定が…寝過ごしてしまい、起きた時間は6時半。

あちゃ~と思ったけれど時は戻ってもくれず…。

そして、12月インフルエンザにかかった後 大腸壁からの出血で入院検査し、異常は無いものの 今年7日まで入院させてもらう予定の認知症の叔母を迎えに…。

入院中、ほとんど歩くことなく 寝た状態だった叔母は 少し弱ってはいるものの 機嫌よく戻り…久しぶりに水素風呂にも入浴。

少しの間だったけれど今年  数えで88歳米寿を迎える叔母の外出も無事出来…久々の介護は楽しくも有り大変でもあり…。

昨年、5月末から共に生活し始めた認知症の叔母…今回突然の入院で、私達夫婦にとっては  ほぼ、1ヶ月の骨休め。

年末年始…夫婦水入らずで迎えた大晦日までの日々…。

認知症という肉体の病ではない状態の叔母の介護をして来たことで、ふたりだけの生活だけだった時では味会うことのない解放感も経験。

今年の始まり 寝坊し歳旦祭に出席は出来なかったけれど、これもまた現実。

2018年…今年 現実を受け入れながら、明るい未来をしっかりと引き寄せて参ります(^^ゞ