「信仰」カテゴリーアーカイブ

時の流れ

10年がひと昔ならば、もうみっつも昔に流行ったテレサテンが歌った「時の流れに身をまかせ」

時は、その時その時を鮮やかに駆けて行き、想い出に変わっていく。

今はひとり暮らしの学生さんも必ずもってる電子レンジも、出始めはかなり高級品で 使ってみると便利なので、電磁波がどうのこうのって言っても使ってしまう電氣製品。

電話だって、小学生の頃我が家に電話が着いたときは、凄くわくわくして 電話が鳴ると競って受話器に向かったような。

FAXが家庭用にも使えるようになったり、全自動洗濯機が主流になってきたり、一家に2台も3台も車があったり、道路がアスファルトになったり、木造住宅が鉄筋住宅になったり、窓がサッシに変わったり…。

世の中もどんどん移り変わって来たけれど、私自身もコーヒーにミルクやお砂糖を入れてたのが、ブラックになったり、ピーマンやシイタケが食べれるようになったり、

日本酒や焼酎を美味しいと感じたり…。

時が嗜好を変えてくれたり、思考も変えてくれたり…。

多くの便利なものが出て来てはいるけれど、そのどれもが人々の身体や生活にとって良いものかと言うと、???って言う感じのモノも多いかも知れません。

車社会になり、どんどん便利になる一方、空氣も汚れ事故も増え、テレビの番組で伝えるニュースは、悲惨な事故や悪質な犯罪。

まるで、昨日ブログで書いたソドムの町の様にも思えるような事件までも…。

夜も昼も開いているコンビニや、スーパーが私の住む田舎町でも当たり前にあり…。

日本人や田舎の人間は、同胞意識が高い為か、誰かと変わったことに凄く抵抗を感じる人も多いようです。

ツーと言えばカーと言うように、思っていること考えていることもまた凄く伝わりやすく…。

今、世の中で注目されている「水素商品」

我が家は、昨年から飲んだり水素風呂にしたりと、普通の家庭より少し早く水素のある生活を始めました。

そして、太陽院でも扱い始めました。

水を電気分解することで発生する水素。

きっと世の中の常識になっていくのもあと1~2年程かと思います。

3,780円で借りられる水素風呂は、経済にも健康にも、美容にも効果抜群!

使わないと始まらないし、使い始めるとやめられない…かっぱえびせんのような(?)水素風呂。

カセットテープがMDになり、すぐにCDに変わっていった様に、世の中はどこかで何かに仕掛けられ、また何かの力に抑圧されながら流れて行ってるような…。

宇宙にだって人が行く時代。

小学生の頃、21世紀の世界を想像してたけれど、今まさに21世紀。

便利になりすぎることで、大切なものを失ってしまってるのも今かも知れません。

アトランティス大陸が3回の地殻変動で海底に沈んだり、ノアの方舟が40日40夜洪水の中漂ったり、ソドムの町が滅ぼされた時のように、

人類のいちばんの罪は「神から離れてしまうこと」

三重県津市の赤塚さんが自身の会社でずっと提案し続けている「健康になるための住宅」の話を聞き

あー   世の中では人が住まう住宅も有害物質で簡単に張り付けられた味氣ない産業になり、

また神の宿る身体を治していく医までも算術になってしまおうとしているのかと…。

時は常に流れ、人も変わっていくけれど、変わらないものがあるとしたら、見えない世界から届けられている人々への希望と愛。

その時どう思い、どう動くか。

様々な試練にも立ち向かい、初めてのおつかいに行く幼子のように、迷いながらも自分自身が求めるモノに向かって…。

そして今宵は 懐かしい沢田 研二「時の過ぎゆくままに」

 

 

 

先日、「クリスマス島の塩」を購入しました。

その前は、友達にプレゼントしてもらった「地球の塩」

そして、他にも今我が家には、「フランス天日塩」や「ピンクソルト」が置いてあります。

私が生まれたその時、なかなか泣き止まない私に ゆで卵用に持って来ていたお塩を舐めさせたら泣き止んだ!!と母から聞いたことが有ります。

生まれたての赤ちゃんに塩・・・。

ちょっと 考えられない話ですが、おかげさまで私はお塩が大好きです。

ナトリウムではない 美味しいお塩。

大自然の中、手間暇かけて出来上がった海からの贈り物。

3年前、イスラエルに行った時 塩分濃度30%もある「死海」に行った時、ちょっと舐めてみるとお塩の味ではなく、にが味だけ。

濃度が違うだけで、小錦のような大きな身体までぽっかり浮かんでしまうんですから、不思議です。

聖書の中、神さまの目にはもう見ていられないほど 人々が神から離れ、堕落した者たちの住む場所となったソドムという町。

この町を滅ぼすために、ふたりの天使が町を訪れ…その天使をも犯そうとするソドムの町の者たち。

そんな中、ただ一人アブラハムの甥っ子ロトだけは、神さまから使わされたふたりの天使を心からおもてなし…。

天使たちによって告げられた、ソドムの町を神さまが滅ぼしたいという計画。

そして、ソドムの町を出る時に約束された「決して振り向いてはいけない!!」という言葉に反して、振り向いてしまったロトの奥さん。

そして、塩の柱とされてしまったロトの妻。

「後ろをみるな!!前に進め!そして神の言葉に従うように…」

その時の意志の弱さと過去への執着。

そして、ノアの方舟の大洪水と同じように、神さまから離れたモノへの見せしめ?

神さまの存在は100%

目には見えないけれど、必ず存在する聖なるモノ。

日本人には、木にも石にも山にも海にも全てのモノに宿る神の霊。

そして、この聖なるモノが穢れた時に、清めるための塩。

ロトの奥さんも塩となり、ソドムの町をずっと清めているのかも知れないですね。

そして今日は 加山 雄三さんの「海 その愛」

 

 

 

 

 

意識と無意識

身体が元氣な場合、歩く時 特別に、左 右 左…と考えながら歩くという人はなかなかいないと思います。

人は、1日の内 無意識のうちにいる時間の方が多いのかも知れません。

何かを始める時や日常の生活に変化をもたらしたい時、人は意識的に記憶された中で行動を起こしていくように思います。

「癖」っていうものも、また「無意識」の領域の中にあるようですが、この癖や無意識が良い方向に向かったり、はたまた混乱を起こしてしまったりすることも有ります。

無意識に行う行為は  本当に数限りなくあり、どれも最初からすんなり出来たものでもなく…

例えば、自転車とかキャベツの千切りとかアイロンがけとか…

意識と言うのは自分が現在何をやっているか、今はどんな状況なのかなどが自分でわかる、心の働き…と書かれてもあり

この意識と無意識の中間にあるモノはどんなものなのでしょうか?

スキーの教本の中に、「習う」→「滑る」→「なれる」という練習段階を示した言葉が有ります。

先人が経験の中 秘訣を教えてくれ、そして日常の生活の中で活用していき、その行為があたりまえになっていく。

私たちは、生まれた時から誰かの真似をして生きて来た!!と以前ブログで書かせてもらったことが有りますが、

最初の最初にお米を炊いた人は、きっと試行錯誤を繰り返したに違いありません。

失敗して…失敗して…どこかに光を見つけ完成していく。

その光は、頭で考えている間はなかなか届いて来ないかも…知れません。

日常の無意識の中、ふとした瞬間に「ハッと」示される神様からの福音。

目に見えないものがあるから、目に見えるものが現れる!!

天上界にいる大いなる者の姿は誰もみたこともなく、ただそこから放たれるエネルギーは、ひらめきや光となり その後、形になっていく…のかも知れません。

2017年、今日 立春を迎え、新しい年。

お昼、行かせてもらった「数派」の勉強会の中、教えて頂いた今年の流れ。

火の酉…鳳凰…フェニックス…不死鳥。

今年は、60年に一度の「火の酉」だそうです。

大きな流れが終わり、新たな局面への大変化が始まる年でもあると…。

また日本だけでなく、政治・経済が大きく動くとも…。

そして、「酉」という字は、器の中で酒が発行している状態。

少し意識して、今までの自分とは違う 光り輝く意識に切り替え、新しい何かを現していければ幸いです。

今日教えてもらった 人の身体の中、「発酵できない身体の10の行動」

1.氣づくとグチ・不平・不満・文句を言っている人。

2.生活の中、浴室や洗面所、水回りが汚い人

3.いつも誰かに嫉妬している人

4.女性らしい容姿を意識していない人

5.愛を感じていない!愛に飢えている人

6.頑固で柔軟さがない人

7.肌や髪のケアを怠り、肌や髪に氣を使ってない人

8.添加物を多くとり、身体に氣を使わない人

9.出来ない!だって!!でも…とやる氣のない発言の人

10.常にイライラしていて、人を攻撃する人

意識ある内も無意識の中でも、身体の中でしっかりと発酵するエネルギー。

そして、マタイによる福音書24章42節のこの言葉

だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである

主の時が来たときに、発酵した状態でいることが出来ますように…。

そして意識高い系で(笑)!!

そして、今日はなんとなく 円広志さんの「夢想花」

 

 

風習

何年ほど前だったでしょうか?

コンビニで「恵方巻き」という風習が大きく書かれ、「予約受付中」と…。

その年の吉方を向き、お巻寿司を無言で食べきるというもの。

何か難しいことをするわけでも無く、お巻寿司を食べるだけで 幸せを引き寄せるのなら こんなに有り難いものはない。

立春を迎えると、玄関で豆をまき…、自分の年の分だけ豆を食べる。そして恵方巻き◎

10代の頃は、もっといっぱい食べたいな~と思いながらも、年の数以上食べると 何か悪いことが起きると嫌だな~と思い 年の数だけ豆を食べたものです。

あの頃、いっぱい豆が食べられる大人が羨ましかった…かも(笑)

昔から、受け継がれてきた風習。

お正月のしめ縄やお供え餅…豆まきやお雛様。

お花見やこいのぼり、菖蒲湯に七夕様。

夏越せ祭りに秋祭り…お月見や大祓いなどなど。

そこに、バレンタインやホワイトデー、ハロウィンやクリスマス。

大きな和の心で受け入れ育んできた日本人。

しかし、度が過ぎてしまうと 全てがどこかの企業が仕組んできたもののようにも見えてくる。

葬儀の形式もそうかもしれない。

豊かな国だな~とつくづく思います。

「地獄の沙汰も金次第?」

私には子供もいなく、主人が二男のため、亡くなってから入るお墓はまだありません。

主人の実家のお墓に入る方法もあるのかも知れないですが、常日頃思うのは、「生きてるうち…」という考え。

生きているうちに何が出来るか?

いくら高いお金を払って最高のお経をあげてもらっても、高い戒名を付けてもらい、立派なお墓に入ったとしても…。

天の神様は、そんなもので人を判断することはきっとないと思うし。

昨日書いた「犬の十戒」ではないけれど、人は神様との約束を持って この混沌としたこの世で暮らし、そして神のもとへと還っていく。

そしてそんな中、立春の日には「鬼は~外、福は~内」と豆をまき、恵方に向かってお巻寿司を無言で食べ…。

1999年の新婚当時から、欠かしたことのない風習。

そんな中、脳出血で倒れた主人…。

入院中、看護師さんが

「近藤さんのお宅は「豆まき」とかされますか?」と、聞かれ…、

はい!我が家は恵方巻きも、豆まきも欠かさずやってますよ。でも病気にはなるんですよね…と(苦笑)。

この病に倒れることも恵方巻きによる、ご利益なのかも知れない。

坂村 臣民が書いた詩の中に

「病がまたひとつ 新しい世界をひらいてくれた…桃咲く」

成ってみなければわからない世界。

死んで戻ってくることはないけれど、ただ一人復活したひとりのユダヤ人が示した、死んでも死なない世界。

永遠の命に繋がるモノのために、頭ではなく先人が残してくれた風習を感じることも大切なことなのかも知れない。

今日、小学校1年のS子ちゃんが、「明日、鬼来るの怖い!!」…と。

初め鬼が「うに」と聞こえ、えっ?明日給食でウニ?って返答してしまった私は反省。

鬼やサンタさんをリアルに感じられる「おさなごころ」持ち続けていたいですね。

今日の歌は、「鬼は外、福は内」

 

 

 

 

 

小さな幸せ

昨日の夜から、カレーを作りました。

骨付きの鶏肉を、炒めた野菜と一緒にコトコト…コトコト煮ると、野菜と鶏肉から美味しいダシも出てきます。

そして、今朝 鶏肉の骨を取り出し 市販のルーを3種類混ぜて出来上がり。

我が家では、エドガー・ケイシーを知って以来、炭水化物同士の食べ合わせは、消化に良くないそうなので…カレーにジャガイモは入れなくなりました。

炭水化物同士のラーメンとチャーハンは一緒に食べることはあるので…かなり身勝手な実践ですが…。

小学校の時 誰のお誕生会に行っても、カレーライスが出て来てました。

どこの家も、ジャガイモと玉ねぎと人参そしてバラ肉で作られた昭和のカレーライス。

でも、小学6年生の頃だったでしょうか?

回り廊下のある大きなお家に住んでる友達のお誕生会に行った時、やはりカレーライスが出て来たんですが、ルーの上に生卵の黄身がのってあり、

「お金持ちの家は、卵の黄身をのせて食べるんだ!!」と感動。

その日から、何度かカレーに生卵の黄身だけをのせて、お金持ちの真似をしてた頃が懐かしいです。

小学生の頃デパートの屋上のレストランで食べるのも、必ずカレーライスを注文してもらってました。

あの銀の容器に別に注がれて運ばれてくる、家とは違うデパートならではのライスカレー。

そう…カレーライスではなく、ライスカレーという方が似合うカレー(笑)

今、考えると幼いあの頃。小さな幸せな日々…。

坂村 真民さんの

何も知らなかった あの 素直さにかえりたい

一杯のお茶にも手を合わせて頂いた日の

あのはじめの日に かえりたい

この詩のように、誰かと比べることも 何に捕らわれることもなく

ただ感謝だけで過ごすことは、もう少し年を取らないと悟れないでしょうか?

人は裸で生まれ 裸で死んで行く。

人の一生、どんなに財産を築こうが、金銀財宝を倉に山のように溜め込もうが 高価な宝石を買い集めようが

死ぬときはその金銀財宝、地位も名誉も持って行くことは出来ない。

ならばなぜ、この世に地位や名誉、財産などがあるのか?

持って行くことの出来ない数々のモノのために…。

その得たものを、どう使うか?

…なのかも知れない。

世間で有名になり、鼻高々になっても所詮は魂の修業のために生まれてきた者。

そこで、傲慢になったとしたら…神さまの思う壺。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉通り、立派な人 できた人ほど謙虚でどんな人からも愛される。

きっと人知れず夢に向かって自分の思いを手に入れた人だからこそ、謙虚なのではないかと思う。

あの松下幸之助さんなどは、お会いしたことはないけれど、丁稚時代もあり そしてまた自分の思いを実現させて行った先に 多くの人々の支えもあり 世で言う成功者になったのだと思う。

感謝すれば成功するんだったら、もっともっとたくさんの人が成功してるに違いない。

魂が震えるほどの感謝を知るかどうか。

何かしてもらったら「ありがとう」と言葉で表現されるけれど、この「ありがとう」に思いがどれだけのるか。

魂が震えるほどの感謝を人生で何度味わえるんだろうか?

先に詠んだ詩の中の杯のお茶にも手を合わせて頂いたあの日」

渇いた砂漠のなかで、飲む一杯の水のようなものでしょうか。

「ありがとう」の反対は「あたりまえ」

モノが豊かな時代…だからこそ渇いてしまう魂。

旧約聖書イザヤ書35章の中

荒れ野よ、荒れ地よ、喜び踊れ 砂漠よ、喜び、花を咲かせよ 野ばらの花を一面に咲かせよ。

と、あり水の無い砂漠の中だからこそ咲く花が…尊く美しい。

そして、新約聖書マタイによる福音書5章の中、イエス様が群衆に向かって言ったこの言葉。

こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。

悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。

柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。

義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。

あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。

心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。

平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。

義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、

天国は彼らのものである。

この世の地位も名誉も財産も金銀財宝も、そこに至るまでのプロセスの中、武士道にもしめされる

・仁(思いやり)
・義(正義)
・礼(礼節)
・智(叡智工夫)
・信(信頼)
・忠(誠をつくし)
・孝(目上の者を大切に)

を肝に銘じ、鞭打たれても、父なる神に対して 仁・義・礼・智・信・忠・孝を尽くし、まことの侍であった2017年前に生まれたひとりの男性。

今この肉体を持ってしか出来ないこと、この世でしか出来ないこと、心弾ませて…。

ひとり一人が、神の愛と恵みと慈しみによって、生まれて来たのだから…。

森山  良子さんが歌う讃美歌 「緑も深き」

 

 

 

 

観音力

観音力とは、観音する力。

それは、
頭で考えて判断することとは対極なところにある
「心の目で観て・心の耳で音を聴く力」だそうです。

2012年4月、西条でイサム・ノグチの母を描いた映画「レオニー」の上映会を企画した時のこと。

西条市の総合文化会館の大ホールは1000人入れる会場。

「レオニー」を初めて松山で観た時、ストーリーと映像の美しさと音楽の素晴らしさ、そして松井久子監督の思いに共感。

もっともっと多くの方々に観て欲しい!!
しかも大画面で…!!
と思い、無鉄砲にも大ホールで2回上映を企画。

何のあても無く、ただ「大丈夫!きっと何とかなる!!」という、根拠のない自信だけが私の中にあり…。

そんな時、我が家を訪れた友達が持って来てくれた「観音力」のオラクルカード。

観音力カードセット

サイコロをコロッと転がし、出た目で1枚のカードからのメッセージを受け取るのですが、その時出たカードが「千手観音」

観音力カード:4.千手観音

メッセージの言葉はもちろん、千手…あの手この手でやりきる!!と思えたこと。

この日から、この千手観音の写真を待ち受け画面に、上映の日に向けて動いてた時が、昨日のことのように思い出されます。

人は、神と繋がりたいとき、

神社で「おみくじ」を引き、「様々な占い」でも神さまのメッセージや自分に与えられた使命を確認しようとします。

そして、示される神様からのメッセージ。

大自然の中でみる、太陽の光や月の光、彩雲や虹もまたそのひとつ。

求めよ…さらば、与えられん!
捜せよ…さらば、見つからん!
たたけよ…さらば、開かれん!

あのコロッと転がすサイコロから導き出される観音さまからのメッセージを受け取る観音力カード、実は欲しくて欲しくて4年程まえ購入。

今日、久しぶりに観音様のメッセージを聴いてみたくて、サイコロを転がしてみました。

33.「藤飛天」

観音力カード:33.藤飛天

「あなたの思いが光となって現れる日が必ず来ます!その日まで、静かに微笑んで…」と

書かれたメッセージのひとこと一言に一喜一憂。

草場一壽さんと優蘭.さんの
観音力カード体感してみたい方は、こちらから☟

http://manai.co.jp/shop/uranai.html

そして、聖書の中、モーゼが主なる神さまから受けた「十戒」

その十戒が、あれもこれもと増「613」もの戒律へと膨れ上がり、ユダヤ人たちが求めた救世主。

神の言葉を預る、預言者たち。

救世主は、来るよ!

こういう形で生まれ、こんな風に神の言葉を伝え、こんな風に死に、

そして、こんな風に復活するよ・・・と!!

そして、救世主は2017年前ベツレヘムに生まれ、30歳からたった3年間ユダヤ人達の元に現れ、預言の通り神の言葉を伝え、死に…そして復活。

預言者の預言通りに、現れた救世主を救世主と認められず自分たちの手で十字架へと送ってしまったユダヤの人たち。

そしてその後、2000年国を失い流浪の民となったユダヤ人。

イエスさまが言った「目を覚ましていなさい」と言う言葉。

目を覚ましていなければ、神様からのメッセージが届けられても、神さまが現れても氣付けず…。

ユーミンの歌
「どうしてなの?今日に限って安いサンダルを履いてた!」とあるこの歌。

いつ現れるかわからないチャンスに向けて常に目を覚ましていたいものです。

ユーミンとゆずで「DESTINY」

 

 

 

 

 

ナイチンゲール誓詞

「ナイチンゲール誓詞」

世の看護師さんたちの戴帽式で読まれるこの誓い。

われはここに集いたる人々の前に厳かに神に誓わんーーー

わが生涯を清く過ごし、わが任務を忠実に尽くさんことを。

われはすべて毒あるもの、害あるものを絶ち、

悪しき薬を用いることなく、また知りつつこれをすすめざるべし。

われはわが力の限りわが任務の標準を高くせんことを努むべし。

わが任務にあたりて、取り扱える人々の私事のすべて、

わが知り得たる一家の内事のすべて、われは人に洩らさざるべし。

われは心より医師を助け、わが手に託されたる人々の幸のために身を捧げん。

この言葉は、「ヒポクラテスの誓い」にならってつくられたものらしい。

ヒポクラテスの誓いはこんな感じ…。

医神アポロン、アスクレピオス、ヒギエイア、パナケイアおよびすべての男神と女神に誓う。私の能力と判断にしたがってこの誓いと約束を守ることを。

1.この術を私に教えた人をわが親のごとく敬い、わが財を分かって、その必要あるとき助ける。

2.その子孫を私自身の兄弟のごとくみて、彼らが学ぶことを欲すれば報酬なしにこの術を教える。そして書きものや講義その他あらゆる方法で私の持つ医術の知識をわが息子、わが師の息子、また医の規則にもとずき約束と誓いで結ばれている弟子どもに分かち与え、それ以外の誰にも与えない。

3.私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない。

4.頼まれても死に導くような薬を与えない。それを覚らせることもしない。同様に婦人を流産に導く道具を与えない。

5.純粋と神聖をもってわが生涯を貫き、わが術を行う。

6.結石を切りだすことは神かけてしない。それを業とするものに委せる。

7.いかなる患家を訪れる時もそれはただ病者を益するためであり、あらゆる勝手な戯れや堕落の行いを避ける。女と男、自由人と奴隷の違いを考慮しない。

8.医に関すると否とにかかわらず他人の生活について秘密を守る。

9.この誓いを守りつづける限り、私は、いつも医術の実施を楽しみつつ生きてすべての人から尊敬されるであろう。もしこの誓いを破るならばその反対の運命をたまわりたい

医は仁術…。愛の世界。

ナイチンゲールの名言集の中に、

「私はすべての病院がなくなることを願っています。」とあり、また

「天使とは、美しい花をまき散らすものではなく、苦悩する者のために闘う者のことだ。」…とも。

生老病死…人の人生の中、一度も病の苦しみを味わうことなく過ごす人はいないし、医療が発達した今 どの病院を訪れ、どのお医者様に診てもらい、どんな治療を受けるか…。

ここに、ヒポクラテスの誓いがあり、ナイチンゲール誓詞を胸に、目には見えない大いなる力が働くことで、病に苦しむ中でもきっと一筋の光が射してくるんだと…。

エドガー・ケイシーのリーディングの中、

ホスピスとは、次の生まれ変わりへの準備の場所であり、次の生まれ変わりのことを理解する場所でもあり、苦しみながら死を迎えると次に生まれ変わる時、魂が躊躇してしまうことがあると…。

病も死もそして老いることも、避けることの出来ないもの。

その時、どう関わるか!その時、自分自身でもどう思うか…。

お釈迦さまも、人はなぜ生まれるのだろう?(生)

人はなぜ老いるのだろう?(老)

人はなぜ病になるのだろう?(病)

そして、なぜ人は死んで行くのだろう???(死)

と思い、瞑想…。

また、なぜ愛する人との別れがあるのだろう?(愛別離苦)

なぜ、嫌いな人と出会ってしまうのだろう?(怨憎会苦)

なぜ、お金や地位や名誉が手に入らないんだろう?(求不得苦)

なぜ自分の心や体をコントロールできないんだろう?(五蘊盛苦)

この四苦八苦しているときに、忍び込むのが悪魔。

聖書の初め、アダムとイヴが 神さまと共に暮らしたエデンの園を追放され過ごすこの地上で、如何に悪魔に支配されず…歓び生きていけるか?

この世は、混沌。私も療術家の一人として、凛として主の道を歩んでいきます。

今日は、光になった本田美奈子さんの歌う讃美歌「アメイジング グレース」

 

 

 

 

神は愛なり

今日、新しいアメリカ大統領の就任演説の中、アメリカをどの国よりも愛することを宣言されました。

自分の生まれた祖国を愛することは、大切なこと。

この演説の通り、自国だけを愛することが今後どのようになっていくのかは、私には想像も出来ず神のみぞ知るところですが、

アメリカ国民によって選ばれたのですから、これも神さまの計画の中のひとつの出来事。

聖書マルコによる福音書12章の中でイエス様が、律法学者の質問に対して答えた言葉と今日の演説を聴き改めて読んでみました。

「すべてのいましめの中(で、どれが第(一のものですか」…との律法学者の問いに

イエスは答()えられた。

(一のいましめはこれである、『イスラエルよ、(け。(なるわたしたちの(は、ただひとりの(である。

(をつくし、精神(をつくし、(いをつくし、(をつくして、(なるあなたの(を愛()せよ』。

(二はこれである、『自分((するようにあなたの(((せよ』。これより大事(ないましめは、ほかにない」。

そこで、この律法学者()(はイエスに()った、
先生((せのとおりです、『()はひとりであって、そのほかに(はない』と(われたのは、ほんとうです。

また『(をつくし、知恵(をつくし、(をつくして((し、また自分((するように(((する』ということは、すべての燔祭(犠牲(よりも、はるかに大事(なことです」。

自分を愛するように隣人を愛すること…この言葉の通り、自分も他人も同じように愛することがどんなものよりも大切であると・・・。

両親を愛し、兄弟を愛し、
自分の住む地を愛し、その地に共に住む人々を愛し、
国を愛し、その国に住む人を愛し、
隣国を愛しその隣国に住む人を愛し、
地球を愛し、その地球に住む人々を愛し、
宇宙を愛し、その宇宙に住む全てを愛し…

そして、同じように自分自身も愛すること。

「如己愛人」

そして、全てを愛する者にも そうでない者にも常に変わらぬ愛を与え続けてくれている神さまという存在。

「私はお前を見捨てはしない!」という この詩。

*************************************************足跡(FOOTPRINTS) マーガレット パワーズ

ある日私は夢を見た。
私は、主と共に渚を歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出されていた。
どの光景にも砂の上に二人の足跡が残されていた。

一つは私の足跡、
もう一つは、主の足跡だった。

これまでの人生の最後の光景が映し出された時、私は砂の上の足跡に目を留めた
そこには一つの足跡しかなかった。

私の人生で一番つらく悲しい時だった。
このことがいつも私の心をみだしていたので、私はその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ、私があなたに従おうと決心した時、あなたはすべての道で、私と共に歩み、私と語り合ってくださると約束されました。

それなのに、私の人生でいちばんつらい時
一人の足跡しかなかったのです。

いちばんあなたを必要とした時に、
あなたが、なぜ、私を捨てられたのか、
私にはわかりません。」

主はささやかれた。

「私の大切な子よ、
私はあなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に。
足跡が一つだった時、
私はあなたを背負って歩いていた。」

*************************************************大好きなこの詩と共に
愛国心と利他の心…育んでいきたいです。

讃美歌 聖歌392番(新聖歌89番)

神はひとり子を たもうほどに
よびとを 愛したもう
神は愛なり
あゝ神は愛なり けがれはてし
われさえ愛したもう
神は愛なり

罪をばおかして 神にそむき
てきとうわれさえ
なお愛したもう
あゝ神は愛なり けがれはてし
われさえ愛したもう
神は愛なり
罪ゆるさんために われにかわり
イエスきみ十字架に
死にたまえり
あゝ神は愛なり けがれはてし
われさえ愛したもう
神は愛なり
いざとく来りて 神の愛に
汝身をゆだねよ
すくわるべし
あゝ神は愛なり けがれはてし
われさえ愛したもう
神は愛なり

真実の扉

真実ってなんでしょうか?

もし、生まれてお母さんが「りんご」を「みかん」と呼び、子供にも「りんご」を「みかん」と呼ばせたとしたら・・・。

昔、オオカミに育てられた少女は、オオカミの毎日の習慣を真似て育ったので、四つ足で歩き ご飯も口でかぶりついていたとか・・・。

当然、服を着ることもなく排泄後始末することも、オオカミの真似をして、オオカミがお手本ですから…。

人は、出会う人 目の前の人の真似をして育ちます。

人だけではないかも知れません。

「みにくいあひるの子」は、あひるの中で育ったので あひるだと信じ、周りのみんなと比べ劣等感を持つことさえあり…。

そこにある「りんご」は確実に存在する物体。

それを、呼ぶ名称が「りんご」と名付けられ、「りんご」とみんなが呼び、当たり前に継承されていく。

だから、社会生活で混乱が起こらず 過ごせているのかも知れない。

でも聖書の中、「バベルの搭」のお話の中では、神さまは全ての言葉を変えて、混乱させ、世界中  それぞれの言語で意思が通じ合わなくされたとも…。

日本人同士であれば、固有名詞はちゃんと伝わり良いのだけれど、生活習慣や思想的なもの…そういったものに関しては、やはり真実はひとつとは限らないように思えます。

実際、今の日本には、新興宗教やキリスト教、また仏教の中にも、宗派が色々あり、真実を「これだ!!」と決めることのないのが日本人の良い所でもあり…。

また、色々あるから迷っている人もいて…。

昨年から、太陽院で扱っている「水素」や「健康寝具」に関してもそう…。

「水素」は何か薬剤を入れるわけでも無く、水が電氣分解され発生するだけのものなので、悪くても現状維持。

良ければ、体液の質が変化し、また皮膚疾患にも変化が出てくるし、しかも冬は湯冷めもしにくく、私自身がイイと思ったので取り扱わせてもらっており、

「健康寝具」に関しても、開院以来20年以上扱ってますが、モデルチェンジもなく、また私自身が使用しているマットや枕も、20年以上使えており、

素材自体も“東レ”が開発した冬面は体温をこもらせてくれる“東レぺフ”、夏面は通気性に優れ、しっかり就寝時に身体をサポートし筋肉を緩め、

自分自身の持ってる自然治癒力を引き出してくれて、なにしろ施術の回数を減らせてくれる。

まっ、何を自分自身が信じるか!

信じたものが、真実と呼べるものであるかどうかは ひとりにひとつづつなのかも知れないし、誰が言ったものを信じるかどうかなのかも。

そして、モノだけでなく   やはり見えない世界のことは、

特に誰に出逢うか?何を信じるか?っていうのは、人生を豊かにもつまらなくもしてくれる氣がします。

私は、2008年エドガー・ケイシーを伝えてくれる日本エドガー・ケイシーセンター会長光田秀氏に出逢い、伝えて下さる様々なことが真実であると直感し、それから色々学ばせて頂きました。

そして、光田先生を通して語られる見えない世界や古代史、ケイシー療法の数々も…。

見えない世界だからこそ、人はあれこれ迷うけれど、伝え続けてくれる光田先生自身がぶれずにケイシーを信じ伝えてくれてるので、私は素直にそこに真実をみることが出来てるように感じます。

その光田先生から紹介してもらったもらった三重県津市の建設会社社長赤塚高仁氏。

聖書や古事記、日本のことや、天皇陛下のことそして、真実のイスラエル…なかなか伝えることが難しいことの数々を、わかりやすく伝えてくれる赤塚さん。

赤塚さんから伝えられるひとつひとつのことが、伊勢に行き、イスラエルに行き、皇居の勤労奉仕で天皇皇后両陛下の御会釈を賜り、そしてペリリューにも行かせて頂き…。

私自身もこの目でこの足で、感じさせてもらい、そして確実に真実の扉がひとつひとつ開かれていったと感じます。

何か見えないエネルギーに寄って、出会わせて頂いたお二人が、「りんご」を「みかん」と読んでたら、私も「みかん」と呼び始めるかも知れません。

お二人を知らない方は、「えっ!!大丈夫???」って思うかもしれませんが、私はそれで良いと思ってます。

事実はひとつだけれども、真実はひとりにひとつ。

誰に出逢い、何を信じ、何を感じるか…。

自分が、自分自身はこういう人間なんだ!と思ってることでさえ、また真実の自分自身は違うかも…。

そして、それがもし間違いだとしても、真の光を求めて動くこと事態を、きっと神さまは「よし!!」としてくれるのだと…。

新約聖書「エペソ人への手紙」より

神はその恵みをさらに増し加えて、あらゆる知恵と悟りとをわたしたちに賜わり、

御旨の奥義を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに示して下さったのである。 

それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである。

わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。

それは、早くからキリストに望みをおいているわたしたちが、神の栄光をほめたたえる者となるためである。

あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。

この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。

20歳頃好きで聴いてた河島英五さんの「てんびんばかり」