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アンガーマネジメント

昨日、市の産業情報支援センターが主催する「女性チャレンジスクール」の第5回目の講義でした。

今回は、「ストレスとの上手な付き合い方」

講義の中、初めて耳にした「アンガーマネジメント」という言葉。

アンガー=イライラやストレスや怒り(ungryの名詞)

マネジメント=後悔しないこと

だとか…。

怒らないことが良いことではなく、起こる必要のあることは上手に怒り、
怒る必要のないことは起こらないようになること…だそう。

人間の感情は、喜怒哀楽と言われるように 喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだり…と。

嬉しい時に喜べなかったり、怒るべき時に怒れなかったり、哀しい時に泣けなかったり、楽しい時に楽しいを満喫できなかったり…。

「美しいものを 美しいと言える 君の心が うつくしい」と相田みつおさんが歌われた様に、人間の持つ感情のコントロール。

文部科学省でも、アンガーマネジメントを「感情理解教育」と位置付け、

〇子どものうちから自分のイライラ・怒りと上手く付き合える

〇身の回りの人と良好な関係を築ける

〇自尊心や自己コントロールを身につけられる

〇自分の感情に責任を取れるようになることで、人生においてより多くの選択肢、可能性を手に入れられる

そんなアンガーマネジメントを2時間でしたが学べたことは、なかなか素敵な時間でした。

アンガーマネジメントを出来るようになると、

あ~あの時 こう怒っておけば良かった…とか
怒らなければ良かった…とか、後悔しなくなり、

他人を傷つけず、自分を傷つけず、モノを壊さず上手に怒っていることが表現できるようになるのだとか…。

日本に限らず、世界中の国で イライラや怒り、不安や不満が渦巻く現代。

何かの原因を自虐的に考え、落ち込み自殺してしまったり、他虐的な人間は他人に対し攻撃的になったり挙句の果てには殺人などという風になってしまったり…。

聖書やエドガー・ケイシーの学びから、
「全て起こることはひとり一人にとって意味のあること」と、頭では分かっていても、瞬間湯沸かし器のようにかーっとなってしまったり…。

怒りが起こってくるのは、「不安」「つらい」「苦しい」「痛い」「嫌だ」「疲れた」「寂しい」「虚しい」「悲しい」などなど…様々な感情が怒りとなって表現されてくるらしい。

そして、イラッとしたり、腹が立ったり、頭に来たり…というカーッとくる怒りのピークは、長くてもたった6秒だとか…。

この6秒を、数を数えてみたり、深呼吸してみたり ひとり一人が最適な状態で「無」へ持って行けるようになる方法をみつけると良いのだとか…。

この6秒のピークにさらに気持ちが高ぶるような、怒り倍増状態を作ってしまうとアウト。

もう感情のコントロールどころでは無いかも…。

会社や子ども、上司や家族、社会のルールや時間の使い方など様々な生活の中、人は「こうあるべき」「こうすべき」という理想。

「べき」という、自分の願望や希望、欲求を象徴するような 一見するととても正しいように思える言葉。

そこに生じる理想と現実の間に起こるギャップが生み出す「怒り」

この「感情の奴隷」にならないためにも 怒りのピークとなる6秒を、自分自身のいちばんやりやすく合う方法で21日間実践すると、習慣になりやすいのだとか…。

数年前亡くなられた 江本 勝さんが出版された「水は答えを知っている」では、

ありがとう”と書いた紙を貼ったコップと”ばかやろう”と書いて貼られたコップの水の結晶。

明らかに写し出される結晶の違い。

人間の身体の中は60~70%水。ストレスや怒りで発生する「悪玉活性酸素」

今日、通りがかったお寺の前に書かれていた御言葉

「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」という言葉

せっかく知ったアンガーマネジメント、今の世の中だからこそ本当に大切な学び。

先ず、私も努力し「かーっ」となった時には6秒ルールで対処していきたいとおもいます。

今日は岩崎 宏美さんの「聖母たちのララバイ」

 

 

 

 

青春

16年ぶりの友と、再会しました。

カイロプラクティックを共に学びながら、ちょうど介護のケアマネージャーの資格習得の為 忙しくなりなかなか合うことがなくなり16年。

8年前に自身で介護事業所も立ち上げ、今は所長となりイキイキと動いてる彼女の話に、あの頃と体系も変わりお互いおばさんになってしまったけれど、16年たっても変わらずあっという間の時間でした。

これから、また新たに繋がり、共に歩んで行くことになる彼女とのご縁に感謝。

その後、またまた数年ぶりに、花咲塾の1期生と再会。

今は、松山に住むという彼女の彼はフランス人。

英悟も日本語も苦手な彼女にとって、フランス語は一番しっくりくるんだとか…。

中学生時代もなかなかクラスメートとの距離や考え方に馴染めず少し不登校ぎみだった彼女。

人が人と出会うことの奇跡を思った時、きっと一生懸命生きてる彼女の前にフランス人の彼が現れたのも主の祝福。

しかも絵を描くことの好きな彼女にぴったりの、彼の家族。
お父様が画家だとか…。

彼のワーキングビザが3月で切れるらしく、もうこれで別れてもいいと言う彼女だけど、

色々聞いてると、本当に彼女の不器用な所も含めて守り、大切にしてくれる彼氏の存在は貴重。

日本好きの彼氏は、6歳の頃「7人の侍」を観て日本に憧れ、まずは京都に来たのだとか…。

そこで出会った彼女は、逆にフランスに興味あり 夢の中で第一次世界大戦のころドイツ軍に攻め入られた夢を見たこともあるとも…。

しかも、まだまだ21歳の若い彼女。

舞台は揃い、フランスへの一歩を踏み出すかどうかは、彼女が「決める」ことなのだけれど、

絵の勉強も含め、環境を変える絶好のチャンス。

色々、私が彼女と話してる中ずっと黙ってた主人が放った一言が…

「人間は環境の奴隷になってしまう」と…。

自分が変わりたければ、環境を変えることが一番であると…。

自分の身を置く場所によって、人は向上もするが、堕落もしていく。

カイロを教えてくれていた会長が「腐ったミカンは伝染する」と、いつも言ってたことを想い出します。

大きく一歩踏み出すか、このまま見送り美しい思い出で終わるのか…。

一歩踏み出すためには、NHKの朝のドラマではないけれど

「勇気」「愛情」「信頼」「希望」と四つ葉のクローバーが揃うことで大きく羽ばたいて行けるそう。

ただWikipediaによると、「希望」「誠実」「愛情」「幸運」の4つのようですが…。

そんなことはどうでもよいことで、出逢った人が自分自身の使命に氣付きイキイキと過ごすことが出来たなら嬉しいです。

いつまでたっても青春!
いくつになっても求め探し動く者の道は開かれる!!

今日、久しぶりに会えたふたりと話してるとき、ふと浮かんだ【青春】というこの詩

詩:サミュエル・ウルマン  訳詩:岡田義夫

青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ

年を重ねただけで人は老いない
理想を失う時に初めて老いがくる

歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ
苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、
精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か

曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる
事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く
求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大そして
偉力と霊感を受ける限り、人の若さは失われない
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ
人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる

明日は、昨年42歳の若さで突然旅立った友の1周忌。

いつまで…と自分自身でも知ることが出来ない人生。

いつ、終了~とサイレンが鳴るかわからない現実。

「今」「この時」を、共に生きることの奇跡噛みしめて…。

そして歌は、「こころ旅」

 

 

 

関 行男さん

終戦を迎える前年  昭和19年10月20日、フィリピン・ルソン島で編成された 「敷島隊」・「大和隊」・「朝日隊」・「山桜隊」の神風特別攻撃隊第1陣。

「敷島の 大和心を 人問わば 朝日ににおう 山桜花」の和歌からついた各隊の名前

関 行男さんは、10月25日フィリピン・マバラカット空港より、敷島隊の隊長として敵艦セント・ローに身体ごと体当たりし命中…。

関さん行年23歳。ほかの隊員も19・20歳の若さでの突撃。

関さんは、私の暮らすこの西条市で誕生し、同じ大町小学校を卒業。

その後、現在の西条高校の前身  西条中学を卒業後、海軍学校へ。

私が関 行男さんのことを知ろうと思ったのは、三重県津市の赤塚建設社長赤塚さんから聴かせてもらった数々の日本のお話の中から…。

日本が世界で一番長く続く国家であること。

天皇陛下が、終戦後マッカーサー元帥のところを訪れ、この日本国民のために命をかけて会いに行ってくれたこと。

日本を守るために命をかけて突撃した特攻隊というものがあったこと。

などなど、学校では教えてくれることの無い、真実を聞いたとき 魂が震え、そして西条にも関行男さんって特攻の方がいたな~と、

石碑のある西条楢本神社を訪れて初めて知った日本の特攻作戦の中でも、1番戦闘機として飛び立っていたということ。

その後、数多くの若い命が、祖国のために命をかけて突撃して行った特別攻撃隊という存在。

ここ西条の楢本神社では昭和50年に、関行男さんの石碑が建立され、その後昭和56年に敷島隊の4名も含め「五軍神祀碑」として建立。

毎年10月25日に追悼式典が開催され、私もこのことを知った2011年よりお手伝いさせてもらうようになりました。

驚いたことに、初めて五軍神の資料館に入った時に目にした 関さん小学校5年生のころの写真は、私がカイロプラクティックを始めた頃 凄く大事にしてくれた田坂さんが寄贈したもの。

関さんと同級生だったそうで、田坂さんのご実家が写真館ということで 田坂さんのお父様がなんと立派な子供だろうということで 我が子と並んで写した1枚の写真。

終戦後、田坂さんが資料館に寄贈されたんだと思うけれど、もう10年程前に肺がんでこの世を去るまで、一度も田坂さんの口から特攻の話も もちろん関さんの話も聞いたことはなく…。

あの小学校5年生で二人並んだ写真を見た時、田坂さんが私に

「俺の自慢の同級生、関行男君。どうかたくさんの人に知らせてね」と言ってるようで、胸が締め付けられました。

日本のこと、戦争のこと、特攻のことを全く知らなかったあの頃、もし話を聞いていたとしても ふーんとしか思わなかったかも知れないし…。

時が来て、知ったことも意味があるんだろうと 今…思います。

その後、私の近所に住む現在85歳のおばさんも、施術中

「関さんのお母さんは、私の家の近くに住んでて 私が小学生のころ、関さんがお母さんのところに戻って来たときは、カツ カツ カツっと革靴の音が響いて ついて歩いて触りに行ったよ」と、話してくれて

「あの頃、兵隊さんっていっても革靴履いて あんなにかっこよかった人はいなかったしね」…とも。

生きている関さんをみた人は、たとえ自分がまだ幼くても しっかりと胸に焼きつけられてるようです。

追悼式典のお手伝いさせてもらい、まだ6~7年だけれど 奉賛会の役員会にも加えて頂き 私に出来ること少しづつさせてもらってます。

今日、来月の総会に向けての役員会。

世代交代もあり、また新しい体制で始まる29年度。

私にとっては、関行男さんは私の中で英雄。

「武士道と云うは死ぬ事と見つけたり」ともあり、国のため 愛する家族のため 玉となって突撃する姿は、仁・義・礼・智・信・忠・孝…全て。

特攻作戦を知らされた時、関さんは

「日本もおしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて」
「僕は最愛のKA(妻の意味の海軍隠語)のために行くんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだ素晴らしいだろう」と言ったとか。

現に終戦前年から、海軍が行った特攻作戦は 敵国アメリカに、かなり精神的な打撃を負わせたと思う。

アメリカ軍は身体ごと体当たりしてくる特攻機に「クレイジー」と…。

先日ブログでも書いてみたが、私の主人が今から25年前 アメリカにホームステイした時のホストファミリーのお父さんが、戦後45年たっているにもかかわらず、日本人が体当たりしてきた特攻のことを聞いて来たのだから…。

イエス様が十字架にかかり昇天したように、命懸けで突撃する様にアメリカ人は衝撃を受けたのだと…。

私自身、命をかけて祖国を守ってくれた英霊の方々に出来る限りのことをしていきたいと思わされてなりません。

もちろん戦争を賛美するつもりは全くなく、ただ国家があることはあたりまえでない現実ということだけ…。

西条市出身の秋川 雅史さんの歌った 「千の風になって」は天に還った英霊からのメッセージとも受け取れる名曲

西条市出身の秋川さんが歌ったのも感慨深い…。

 

 

 

イスラエル

アジアの西の端にある、四国と同じくらいの面積の国…イスラエル。

エドガー・ケイシーは、「イスラエル」とは、同胞に先立って召し出されたものという意味だと言われました。


旧約聖書の中、神さまが99歳のアブラムと交わした契約。

「わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは多くの国民の父となるであろう。
あなたの名は、もはやアブラムとは言われず、あなたの名はアブラハムと呼ばれるであろう。
わたしは あなたを多くの国民の父とするからである。」

アブラハムから始まった子は2人。


ひとりは子供に恵まれなかった妻サラの仕え目ハガルに生ませた子イシマエル。

そしてもうひとりは、年老いた妻サラが神の霊により生んだイサク。

仕え目の子イシマイルには子が、12人。そこから広まった今のアラブ人。

そして、正妻サラの子、イサクには 兄エソウと弟ヤコブのふたりの子供。


アブラハムの孫の中 イサクの子であるヤコブに神さまは

「あなたは、もはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです」

そして、しばらくたって後にも神さまはヤコブの前に現れ

「わたしはアブラハムとイサクに与えた地をあなたに与えよう。また  あなたの後の子孫にその地を与えよう」と言われ、

聖書の中で初めてイスラエルと呼ばれた者。


このイサクからヤコブ、そしてヤコブの12人の子へと続く子孫がイスラエルの12部族へと繋がっていくそうなのですが…。

アブラハムから繋がって来たイスラエル…神さまから祝福された者の子孫のひとり、ヤコブの子ヨセフはやがてエジプトを救う王となり 兄弟たちも共にエジプトに住むようになるが

時が経ち、エジプトでユダヤ人はエジプト人の奴隷として使われ嫌われるようになり…。


そして、モーゼが神さまから命を受け、イスラエルの民を連れて出たエジプト。

海を越え、神さまとの約束十戒を受け、聖なる地に向かい40年。

モーゼは約束の地に入ることはなかったけれど、その意を継いだヨシュアが民を連れヨルダン川を渡って入った約束の地、イスラエル。

モーゼが受けた十戒。神さまとの約束…律法を守ることで神さまに忠実に従ってきたユダヤ人。

その10の約束事が、どんどん細かく制約されて613にまで増えてしまった律法。


とことん神さまに忠実に生きようとするユダヤの民にとって、どんどん増えていった律法は苦しみともなり…救世主を求めるように。

そのユダヤ人の願いが聞き届けられ、2017年前 天から命を受けて生まれて来たひとりのユダヤ人。

キリスト・イエス

神の言葉を伝え、神と共に生きる生き方を示し、人のために命を投げ出し救い、そして人は死なないということを示すために復活して見せた神のひとり子 救世主イエス。


私が聖書を読み、この小さな聖なる地に憧れ 訪れるようになったのも イエス様を愛し、イスラエルという国のことを多くの方々に伝え続けている三重県津市の赤塚建設社長の赤塚さんに出逢ったことから。

2014年4月に10日間 一緒に聖地イスラエルを旅させて頂きましたが、訪れるひとつひとつが、聖書に示されている聖なる地。

そして、イエス様や弟子のペテロの足音や会話が聞こえてくる空間。


2000年前、自らの救世主を自ら十字架に張り付けにさせてしまったことで 国は滅び戻る場所もなく 各地で流浪の民となってしまったユダヤ人。

イスラエルという国が、願い祈り再建された1948年。

その初代首相ベングリオン氏のお墓で歌うイスラエル国歌「ハティクバ」

希望という歌

どこまでも続く砂漠。

10日の間、旅人は雨の心配をすることのない国。逆に言えば、砂漠の中 渇き水を求め続けている国

梅雨の季節もあり、水の心配をすることなく、自然の恵みと四季折々の喜びを感じられる日本とは違う過酷な国であるにもかかわらず、

人は寄り添い、国を愛し、神と共に生きる国イスラエル。

イスラエルから戻った時感じた、不思議な感覚。


この豊かにみえる日本の中に感じる空洞。

何だか鍵っ子と呼ばれる子供が、家に帰って感じる感覚と似ているかもしれない。

大家族で過ごした子供が、ひとり暮らしを始めてふっと感じるような虚無感のような…。

無くしてみなければわからないもの。

有るから見えないもの。


きっとイスラエルの人々の細胞のひとつひとつには、祖国を失い異国で感じた寂しさ、悔しさ、虚しさ…がずっとずっと繋がれて来ているんだろうとも感じ…。

世界で唯一 再建された国イスラエルだからこそ学ぶことは多い。

日本も愛の国、神の国。

ツーと言えばカーと答えられるほど、相手の思いも感じ取れるほどの、同胞だからこそ感じられる愛。

東京オリンピックのプレゼンテーションの時に言った「おもてなし」の国。

この国が永遠に続きますように…と、一度国を失い再建した国イスラエルを肌で感じたからこそ願う思い。


平和と感じる中にどっぷりと入ってる今、何かポッカリと空いた空洞を 愛で埋められるように…

この日本という国を選び生まれさせて頂いたことに感謝し

国を愛し、自然を愛し、人を愛し、何より自分自身に求められていることを知り…

ケイシーが言うように、同胞に先立ち召し出された者のひとりとして…

希望を胸に祈り動いて参ります。

日本よ!永遠なれと…。

今日の動画はイスラエルとは違うけれど、

母をたずねて三千里 「草原のマルコ」

 

 

 

 

 

 

 

 

エレガントに!

人生の内で何度 自己紹介をする場面ってあるでしょうか?

あらたまった場所だけでなく、人が人と出会う時自分のことを どう紹介するか?

自分のこと、一番知ってるようで 知らない自分。

そして、もしかすると 本当はこんな風になりたいけれど なれない自分。

よく自己紹介の場で、エレガントに自分を表現される人をみると 憧れる。

今年、ひょんなことから 西条市の産業情報支援センターが開催している「女性チャレンジスクール」に、第2講座から参加させて頂くことになり

今日は第4講座 3回目の出席。

女性の起業家を支援するために 数年前から開催されている人気のセミナー。

今回は「起業に必要なビジネスマナー」

講師の先生はキャリアライズKAMEOKA 亀岡 さちこ先生。

ビジネスにおけるマナー…出来てるつもり、しているつもりを見直すためにも年に1度くらいは見直しのために受けてみるのも良いそうで…。

お客様に満足して頂くための有形・無形のサービス。

目指すは、Customer   Delight (カスタマー ディライツ)

喜こんでもらえるサービス…感動のサービス。

その中で先ずは、自己紹介。

「こんばんわ!!初めまして!(30度のおじぎ)
近藤  千恵子と  申します。
私のチャームポイントは、健康な笑顔です。
近藤  千恵子と  申します。
よろしくお願い致します。(30度のおじぎ)」

これだけの 紹介の中でも 学ぶところはたくさん。

3時間の講座の中、背筋が何度伸びたことか…。

名前は2度言うと、覚えてもらえるし、近藤と千恵子の間は 一呼吸おくくらいの間を入れて…。

そして人の第一印象は、なんと6秒で決まるそう!!

視覚55%  聴覚38%  言語は7%  いかに身だしなみや笑顔、また目線も大切か…。まさしく「目は口ほどにモノを言う!」

挨拶の「挨」とは、心を開く!

「拶」は近づく!迫る!押し開く!!

そして挨拶も聞こえなければ独り言っていうことで滑舌も練習次第らしく

「アエイウエオアオ! カケキクケコカコ・・・」

「お綾や母親におあやまりなさい」  「隣の客はよく柿食う客だ」
「五郎が五両、十郎が十両、十五郎が十五両」…

あのアナウンサーのように、美しい声に近づいてみたいな!!…とも。

そして、魅力的な表情「笑顔」も4段階。

①にこやか ②微笑み ③にっこり ④思いっきりの笑顔

思いっきりの笑顔は「ウイスキー だいすきー」で作れるそうで、私のいちばん得意な表情かも知れない。

かの松下幸之助さんも「商は笑して勝なり」と言ったとか!!

ショウはショウしてショウなり!!

おまけのない時は、笑顔を付ける…なるほど なるほど。

誠に、「笑う門には福来る」

笑うと 人が寄って来て、その福の人はいい情報をも持ってくる。

チャレンジスクールもあと2講座。

改めて学ばせて頂く機会を与えて頂けたこと、主に感謝です。

そして、いつかエレガントでスマートな私になれますように…。

今日は、最高の笑顔の三波 春夫さんの「世界の国から こんにちは」