「学び」カテゴリーアーカイブ

対面同席五百生

太陽院院長   近藤千恵子です(*´-`)

とある勉強会で 初めて聞いた「対面同席五百生」というお釈迦様の言葉。

対面し、同席している人は、最低でも五百回、人生を一緒に過ごしているという意味だそう…。

この言葉を聞いた時、ふっと浮かんだ  NSPというバンドが歌った「北北東の風」

北で生まれた僕が  寒さにふるえ、南で生まれた君が汗かいていた…♪

人が人と出逢うことの奇蹟。

世界中で思えば 77億人分の1。

海外で出逢ったあの人も、今日出逢ったこの人も…

一瞬早すぎず、一瞬遅すぎず…

その中でも、夫婦であったり  家族であったり、仕事で関わる人であったり…濃い関係となる人々。

前世でも今世でも、前々前世でも出逢う関係。

「対面同席五百生」…今生、初めて出逢った方とも「お久しぶりです」という思いで挨拶を交わすと良いのだとか…

何だか嬉しくなります。

どうか  良き出逢いを…(*^o^)/\(^-^*)

神さまとの契約

太陽院院長  近藤 千恵子です(^_^)v

2020年が あと2日という今日…虹をみました。

聖書の中、創世記9章

ノアがアララト山にたどり着き、神さまがノアに言った 契約。


これはわたしと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべての生き物との間に代々かぎりなく、わたしが立てる契約のしるしである。

13 すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。

14 わたしが雲を地の上に起すとき、にじは雲の中に現れる。

15 こうして、わたしは、わたしとあなたがた、及びすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた契約を思いおこすゆえ、水はふたたび、すべて肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。

16 にじが雲の中に現れるとき、わたしはこれを見て、神が地上にあるすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた永遠の契約を思いおこすであろう」。

17 そして神はノアに言われた、「これがわたしと地にあるすべて肉なるものとの間に、わたしが立てた契約のしるしである」。


新しい元号となって2年目。

日本だけでなく、世界中を襲った 新型ウイルス。

そして、聖書の中  40日40夜続いた大洪水によって 地球上の全てのものが 洗い流され  そして ノアに語った 神さまの契約。


イザヤ書43章 5節の

恐れるな、わたしはあなたと共におる。」


見えないものに  大きく変えられた 2020年。

生き方も考え方も 半ば強制的に…

しかし  今日神さまは

「大丈夫だよ!」

と雲の中に 虹をかけて 見せてくださった。

有難いことです(*´-`)

色々あるから 本当に 人生って面白い(*^o^)/\(^-^*)

 

今日は母の誕生日

近藤 千恵子です(*´-`)

今日、11/15は 7年前に天に還って逝った母の生まれた日。

昭和8年、4人姉妹の末っ子で生まれ  長女のハルヱさんは 看護婦となり満州で還らぬ人となり…

後に残った次女の叔母シメ子は、7歳の時 脊髄カリエスで大手術の末  当時は 障害を持ったことで 結婚もせず生涯独身。

その次女シメ子を 洋裁と介護の仕事で支えて来た参女トミ子も、独身のまま 両親の代わりに姉であるシメ子と共に暮らし…

四女であった 私の母だけが  結婚。

そして  娘3人の母となりました。

私の母のまわりには  自身の姉達や 父の姉…小姑達の思いや考えに従いながらの毎日。

小さい頃は、貴重な牛乳を末っ子でありながらも 5つ上の姉が 脊髄カリエスという重い病気だったため  飲むことも後回しで…

ただ 母がお見合いで結婚した私の父は 子煩悩で優しく、晩年は 共に病気に成りながらも 一緒にデイサービスに行き、父より 7年も早く 天に還って逝ったけれど…

今年5月、同じ所へ還って逝った父ときっと再会しふたり仲良く 私達のことを見守っていてくれる様で…

今日、生きていたら87歳の誕生日。

生まれた時から 常にそばに必ずいてくれた 父と母を天に見送り、思えば天からのエネルギーが半端ない毎日。

生きてる時も、天に還ってからも 変わらぬ父母の愛。

今日、母の生まれた日…改めて 母の子に生まれて来れたことを嬉しく思います。

 

 

祝福の虹

太陽院院長  近藤 千恵子です(^^)/\(^^)

暑い暑い日が続く毎日…夕方突然の雨。

そして  現れた 大きな虹。

玄関の前に、現れた大きな虹は 直ぐに消えることなく   長い間 コロナ禍で 少し曇りかけてた心に光をみせてくれました。

そして今日は、とある勉強会で「ハチドリの一滴」というお話を教えていただきました。

「ハチドリの一滴」とは、こんな短い物語。


森が燃えていました

森の生き物たちは われさきにと 逃げて いきました

でもクリキンディという名のハチドリだけは 行ったり来たり

口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは火の上に落としていきます

動物たちはそれを見て
「そんなことをして いったい何になるんだ」と笑います

クリキンディはこう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」


今の私に出来ること…

コツコツと積み重ねること…

小さなくちばしの一滴、行える私で有りたいです(о´∀`о)

 

 

日本の夏

太陽院院長  近藤 千恵子です(^-^ゞ

終戦から75年目の夏…

大きな難局を生きた日本。

250㌔の爆弾を乗せて突撃していった 特攻兵…

8/6の広島、8/9の長崎…

今日、8/15終戦記念日 そしてお盆。

義父、父母、叔母のお墓参りのあと 四国中央市にある 関 行男氏のお墓にも行って参りました。

大義院釋暁忠居士…我が町 西条で大正10年 生を受け、昭和19年終戦の前年 始めての特攻隊「敷島隊」隊長として 飛び立ち敵鑑に体当たり…

散華していった関 行男中佐のお墓。

お母さまのサカエさんの遺志により 昭和29年、四国中央市の地に建立されたお墓は 綺麗に掃除されておりました。

蝉時雨の中、線香をたて、般若心経を唱え…深々とご挨拶。

靖国神社に眠る 英霊の御霊に恥じないよう 生きて参ります。

ツガイノツバメ

太陽院院長 近藤 千恵子です(о´∀`о)

我が家の軒下には、今年もツバメがやって来て、南向きに2つ 東向きに2つ、北向にも1つ…

大勢のツバメが どんどん家族を増やして行きます。

で、そのツバメ達の中で、ここ3年ほど 1羽だけで巣も作らずに 夜を過ごしていたツバメが  今日ふと見上げると 小さな巣だけれど 巣を完成させてました。

そして、なんと夜になると2羽のツバメが仲良く並んで巣の中に…。

あ~

そんな寄り添うツバメを見ると 今月5日に天に還って逝った 父と 7年前に先に逝った母が やっとまた天上界で 寄り添っている姿を見せてくれたようで凄く嬉しくて 久しぶりのブログ更新となりました。

大好きな父は 昭和3年3月3日に生まれ、令和2年5月5日夜10時14分 天に還って逝きました。

女の子のお節句に生まれ、男の子のお節句に 寿命を迎えた父。

5月7日、葬儀を終え 肉体をまとった父とお別れし 見上げた空には 大きくまん丸の月。

後で、ウエサク満月だったことを知り 天の神様がこの日を選び 父を満月で照らし迎えてくれたんだな~と

ひとつの大きな節目を越え 新しい時の扉をまた開いてくれた様です。

思えば、平成15年…

父が脳出血で倒れてから 始まった両親への介護。

元々 パーキンソン病の母を 父が看てくれてたところへ 父の介護がプラスされ、

父母ふたり揃ってのデイサービス…

父母の新しい形での夫婦生活が始まった時でもありました。

今日、ツガイで寄り添うツバメを目にし 父母ふたり寄り添い過ごした晩年を見たようで…

母を見送り、まだまだ父とも共に過ごしたかったけれど

「死ぬに時があり…」

「生まれるに時があり…」

きっと全ては 神様の壮大な計画の中…

これからは もっともっと近くで 常に父母の大きな愛を感じながら しっかりと生きて行きて参ります(^_^)v

見えない敵?…

太陽院院長  近藤 千恵子です(^-^ゞ

目には見えないコロナウイルスの脅威で  世界中が 今までにないほどの 激震…。

2011年 未曾有の大災害となった   地震と津波によるあの被害を目の当たりにした時の恐怖と不安とは また違う意味での  国難。

小学校も中学校も高校も、3/2から日本全土で休校…

長い長い  春休み。

八ヶ岳に住む 滝沢 泰平さんは、Facebookでの投稿に「強制不登校」と表現。

なるほど…

ウイルス拡散を防ぐ為に  子供達は 外出も出来ず引きこもり状態となるようで…

まさに、強制不登校…

テレビや新聞も、新型のコロナ対策を唱えているけれど

ふと 頭をよぎった日月神事の中にある 「悪を抱き参らせよ」の言葉。

以前、勉強させてもらっていた キリストの幕屋という 無教会の信仰の集団を創設した手島 郁郎氏は、ハンセン病の療養所を訪ね  ハンセン病患者にハグしたという事実も…

聖書の中、「恐れるな  主はあなたと共にいる」という言葉があるように…

もしも 我が子が  コロナウイルスに かかったならば 、母は精一杯の愛を持って 我が子を抱くことでしょう。

今、地球規模で 大きな意識の革命の時。

この時期に神さまが、中国武漢を通して 作ったコロナウイルス…

きっと大きな神の様な愛が  一番の特効薬…。

コロナウイルスでこの地上での人生を終えた方々を数え、あちらで感染者が…こちらでも感染者…とまるで犯人探し…

手段や方法論を  あ~でもない!こ~でもない!と テレビでは 有識者が朝から晩まで報道するけれど…

神様から授かった神宿る大切な身体…

免疫力をしっかり高め、邪気を祓い無邪気に…さらに正氣を高めて参りたいものです。

2020.0202

太陽院院長  近藤 千恵子です(*^^*)

今日は、2020年2月2日

同じ数日が並ぶのは  何だかとても嬉しい…

そのうえ、並べてみると 天使ナンバー

2020      0202

で、お昼2時22分  スマホの画面に表示された 2:22  カメラにおさめてみました。ついでに

3:33も…

2といえば、「ツイン」「陰陽」「善悪」「明暗」…

1が先頭で 2は補佐的な感じも…

3となれば、「三位一体」父と子と聖霊  や肉体と魂と精神

全く詳しくはないけれど、それぞれの数字が持つ意味があり  世の中は不思議な力で動いてる様な…

そして 今年は令和2年で やはり「2」

二つのものが合うことで「和」が生まれ  2は、平和を現すのだとも…

明後日はいよいよ立春。

素晴らしい一年が始まります(*^o^)/\(^-^*)

如月朔日

太陽院院長  近藤 千恵子です(^-^ゞ

2月1日…父の入院先で 夜を過ごし、朝9時 伊曾乃神社での朔日祭に参列させて頂きました。

境内の梅の木にも 赤や白、ピンクの花や蕾が 寒い中でも春の訪れを感じさせてくれます。

そして、今日は 松山の通称「お椿さん」と言われる伊豫豆比古命神社での お祭りに 夕方から行って参りました。

旧暦正月8日を例祭日として、その前後の3日間斎行され、初日の午前0時の大太鼓から始まり、最終日の24時迄の72時間行われる長期のお祭りで、「縁起開運」「商売繁昌」「大漁満足」を祈るお椿さん。

大好きなお友達の惠子さんと一緒に夕方西条を出発して行って参りました。

長い長い参道も 両脇の出店を見て楽しみながら  前に前に進み…

ちょうど御神門のところへ来たとき  軽快で 賑やかなお囃子も鳴り  30年ぶりの椿祭り…何とも有り難く迎えて頂きました。

そして ご本殿を参拝し…ぐるりとご本殿の裏を回り、御朱印と椿祭りの名物「貸し銭」で20円をお借りし、戻ろうとした時  御神体が 境内に…

あーーーーー

神さまが 来たときも、帰る時も最高の場を プレゼントして下さり  感謝感激。

今年は、旧暦のお正月が  1月…と、早く 今年は 1/31~2/2までということもあり  椿祭り行きたーいと思わされ  ホント30年以上ぶりの椿祭りの時期での参拝。

20円の貸し銭もさせて頂いたので  また 来年は倍額にして戻しに参拝させて頂きます。

2月如月…我が家の夫婦揃って 算命学の中 戌亥天中殺だった為、立春を数日後に控え  気分も上々。

そして…今朝、伊曾乃神社でのおみくじは大吉…

「神の教」は…

神の心に叶えば嬉し、暗いこころも、晴れて来る。

金をためたら、慈善をするといい人は、ためるお金に限度がないからなかなか慈善が出来がたい。

物がなければ力で、力がなければ言葉ででも、人を慰め、人の力になってやれ。

情は人のためならず慈善をすれば心が明るくなって、まず自分が救われる。

不死鳥

太陽院院長  近藤 千恵子です(*^^*)

1月が後数時間で終わろうとしている今、入院中の父の病室で 久々のブログの更新です。

今月22日、父の入院先の病院から 電話が入ってるのを  気付かず 三重県に住む友人家族と久しぶりの再会を楽しんでおりました。

10代の頃 臨死体験をしたという彼女の話や 脳出血から 見事に復帰したお母様の話で盛り上がり 昼食後 ふと携帯電話を見ると 父の病室から 3度も着信。

一昨年前の11月入院後、ほとんど電話等なかっただけに  ただ事ではなく…

昼食後 友人家族とは 別行動だった為  慌てて病院へ電話。

父が大変危険な状態だと…

自宅から数分の病院だけれど、しまなみ海道の見える今治まで来ていただけに  病院まで 車で急いでも1時間以上。

父の生命力を信じるしかなく…慌てても仕方ない。

病院でまず 先生にお話を伺うと、今朝  嘔吐し、熱が38度。

血圧も上が60程しかなく、酸素の値も40に減ってしまってるけれど、血圧 上げる点滴はしますか?…と。

「血圧は上げられるのならば、上げてください」と、お願いし…

その後、姉も揃って 先生からのお話…

「非常に危険な状態です。」と、再度告げられ…目の前で 酸素マスクを付け 寝ている父を見るけれど  信じられず…

そして、翌日の23日~27日まで 断ることの出来ない予定に   23日だけは 事情を説明し何とか良い形でクリア出来、24日~27日までの予定は変更する事もあえてせず…

神さまが きっと良い風にしてくれると信じ…

昼間は姉達が 父に付き添い、私は動ける夜 付き添いに…

今年3月3日に92歳になる父は、人生の中、何度も死と直面しながらも  その度に生還してる生命力。

まさに不死鳥。

状態が非常に悪かった22日から  おかげさまで  4~5日で 血圧は、ほぼ120/70前後で安定するようになり、酸素量も99まで…

22日から9日経った今日の夜も   肺炎の症状から  タンが呼吸を苦しくさせるけれど  後は  今までと変わらない程 元気に復活。

末っ子で父親大好きな私は、夜 父の側に付き添いし見てる事が苦痛でなく 楽しみに…

毎日代わる夜勤の看護師さんが  父のタンの吸引に来てくれた時に  嫌がる父の手と身体を押さえるだけで  それ以外は 能天気に熟睡。

この世での 父との時間が 後 数時間なのか、数日なのか、数ヶ月なのか、数年なのか…

いつか訪れる 別れがあるから、病院で父の寝息を聞きながら 側に入れるこの時が  有り難くもあり貴重なひととき…。

神さま…どうか よい風に(*´-`)