「大和魂」カテゴリーアーカイブ

国旗

今日は、1月9日成人の日で カレンダーでは国民の祝日…旗日。

ハッピーマンデーが制定されるまでは1月15日が成人の日。小正月。

我が家が、祝日に国旗を掲揚するようになったのは、もう6年前になるでしょうか。

ホームセンターで購入し、6年前の元旦。しっかりと国旗掲揚させてもらいました。

白地に赤く 日の丸染めて
あぁ 美しや 日本の旗は

アサヒの昇る 勢見せて
あぁ 勇ましや 日本の旗は

戦前の唱歌「日の丸の旗」

歌の通り、昔日本の家々の軒先には祝日となると、国旗がどの家にも掲げられ、赤と白のおめでたい色が 心を穏やかにしてくれていたように思います。

011正月の朝

私がまだ小学生のころまでは、我が家でも祝日には国旗を揚げて…

翌日、学校では「昨日、国旗を揚げた人?」と調査があったのを覚えてますが、これは日教組の行った調査だったのでしょうか?

そのうち、右翼と呼ばれる街宣車が、車には天皇陛下万歳と書き、日の丸をはためかせ、軍歌や君が代を大音量でかけて街の中を走ったり、若者がバイクにまたがり日の丸を振り回し…。

国旗を揚げたり天皇という存在が軍国主義の象徴のような錯覚を起こさせるようになってしまったようで…

祝日の街中では、日の丸を掲げる所がなくなり、挙句の果てには学校で君が代も歌わない学校も出てきたりしているようで・・・。

そういう私も、私が師と仰ぐ三重の赤塚さんから 7年前の47歳の時、日本のことを教えてもらうことがなかったら…国旗を揚げることもなかったと思います。

6年前の元旦の朝、ホームセンターで購入してきた新しい国旗を玄関に…。

1年間の祝日や祭日は、たった15日だそうで、心躍らせながら朝国旗を掲揚させてもらい始めました。

ところが、その年の5月3日夕方4時私が往診に出かけるときはあったのに、戻ってみると

「ない!!」

しかも棒が半分残って…。

ちょうど、夕方6時半から来ていた主人の塾の子供たちに、

「塾に来たとき国旗掲かってた?」と聞くと、

「あったよ!」と。

じゃ~塾の子が来た夕方6時半~私が帰ってきた7時半までの間の1時間に誰かが持って行ったとしか考えられない。

ホームセンターで5千円もしないくらいの値段だったので、特に被害届を出すようなものではないけれど、モノが国旗だけに なんかもやもやして、警察に電話。

そして、事の経緯を告げて もし町の中で旗振り回してる子がいたら注意してください。そしてなんていう名前だったか忘れましたが話を聞いてくれた警察の方の名前を教えてもらい電話を切りました。

そして、またホームセンターに行き2つめの国旗を購入。

しかしまたその年の9月の祝日、2度目の国旗盗難。
この日は、朝掲げたと思ったら すぐに消えてしまい…

すぐに警察に電話。前回の警察官の方がその日はおらず、5月にもあった件を伝えさせてもたったですが、聞いてもらっただけで、その後何も音沙汰なし。

取られることよりも、なぜ国旗を取って行ったのか?

そこが知りたい!!

そして3代目の国旗は、今年のお正月や今日の祝日にも 我が家の軒先で力強くはためいておりました。

ちなみに、70歳くらいの知り合いに国旗紛失事件を言ったところ

「あんた 国旗なんかあげるけんよ!右翼みたいなけん もうあげられんよ!!」と一言。

自分の祖国の国旗を尊いと思えないようになってしまったこと。

オリンピックやワールドカップでしか日の丸を大切にしなくなってしまったこと。

私自身は、何度盗まれようと、自分自身の出来ることで もう一度この日本に生まれて良かったな~と思える生き方をしていきたいし、

私が来た時よりも、もっともっと素晴らしい日本になって天に還るようにしたいな…と思います。

「来た時よりも 美しく!!」ですね。

 

聖なる導き

2010年5月、三重県津市の工務店の社長…赤塚高仁さんに会う前に聖書を知っておきたいなー!と、思い  市内のプロテスタントの教会に行き 毎週行われる日曜礼拝にも参加させてもらうようになりました。

礼拝が終わり、そのまま帰る日もあれば  婦人部での勉強会にも混ぜてもらうようになりました。

礼拝に来られてる方々は、本当に清らかで神様と共に生きる生き方をされておられました。

そんな中お昼の食事…愛餐会が終わり、婦人の方だけでのお話の中、ある方が「私などダメでダメで…」と謙遜しておられ、

それを聞いて私もったいないなーと思い

「こんなに素晴らしい聖書の世界を勉強しているのに、ダメなことはないと思いますよ。なかなか聖書を手にすることの出来ない人の方が多い中、こうやって勉強出来てること事態、幸せですから…」と…。

「そして、日本人は、イエス様のことが一番理解しやすい国民だと思います。だって国家のために命をかけた特攻隊の人たちはイエス・キリストの様なもの。」

「天皇陛下も国民のために命がけで祈り続けてくれてる方だし…」

と、話した途端 そこにいた婦人の方々から総攻撃。

イエス様と特攻隊を一緒にしないで!!
天皇陛下は神さまじゃない!!…と。

えっ???  日本人なのに…天皇陛下は神さまじゃないけど、古事記から続く神様に一番近い人だし、

戦争で国家のため命懸けで戦ってくれた人たちって、イエス様と同じとまでは言わないけれど、何かのために命をかけるって神さまの示した愛のかたちじゃないのかな?と思わされ…

でも、ここで言ってもきっと平行線。

賢くその場は「そうですか…」と。

でもその翌週の日曜礼拝あたりから、あんなに心躍りながら通ってた教会へあまり行かなくなり…。

そんな中、たまたまyoutubeで見つけた「凛として愛」という映画。

1/7~7/7まで続く動画。

1/7を見始めたのが、夜中。7/7が近づいた時には夜中3時も近くなりながら、主人とふたり泣きながら見終り。

そして、知ったのがこの映画、靖国神社で上映するために作られた映画なのに、たった2日上映されただけで上映中止になってしまった映画だと…。

この映画の泉水隆一監督は無念の中、天に還って逝かれたとか…。

この映画を知ったのは2012年。

そして、知ってしまったら  どうか多くの人にこの映画を観てもらいたい!!2012年8月18日西条の文化会館で上映会を開催。

そして、その時赤塚さんにも講演をお願いし、その後の懇親会でまた聖なる導きが…。

赤塚さんの沖縄のお友達が癌にかかり、何度もお見舞いに沖縄まで行った時、共に友達のために祈ってくれたという、キリストの幕屋という無教会宗派で伝道をされていた、竹下先生。

ちょうど愛媛松山で伝道をされており、赤塚さんが西条に講演に来られることを知り、映画「凛として愛」も観に来て下さり、懇親会にも参加して下さいました。

そして、私も御挨拶させてもらいプロテスタントの教会にも行ってるという事をお話させてもらったところ、

「あなたの魂は、教会では浮かばれませんよ」…と。

あっ!!はあ~…と。

「西条まで来ますよ。お勉強してみませんか?」…と。

即答しないまでも、竹下先生ご夫婦はすごく感じの良いご夫婦で、赤塚さんも良かったら竹下先生から学んでみたら…と声かけて下さり…。

そして、またまた翌週松山での明治天皇の玄孫竹田恒泰氏主幹の「竹田研究会」で竹下先生とも再会。

「いつ西条に行きましょうか?」との言葉に、その場にいた仲間と相談し「では来週の木曜日からでも…」という事で、8月最後の週の木曜日我が家で初めての幕屋の集会が開催されることに…。

集会当日、竹下先生夫婦と「凛として愛」を一緒に観に来てくれた仲間の方も一緒に来られ、

そして引き続いてピンポーンという音に玄関に出てみると、なんとなんと三重の赤塚さん!!!

あれほどビックリしたことはないほど、ビックリさせてもらって 仲間も加わり我が家での最初の集会。

讃美歌をみんなで歌い、竹下先生が初めて幕屋の集会に行った時のお話や聖霊を受けた話、赤塚さんとの出逢いの話等々  本当に聖霊舞い降りる有難い時間を過ごさせて頂きました。

その日から、毎月2回竹下先生が松山から来て下さり旧約聖書の初め「創世記」から学ばせて頂くことになりました。

なるほど、なるほど…「教会ではあなたの魂は浮かばれませんよ」と言われた竹下先生の言葉通り、日本人が大和の心で読み解く聖書。

内村鑑三氏があの「Boys,be  ambitious …」と言ったクラーク博士から、札幌農学校での在学中聖書を学び

大学卒業後、「聖書が読まれている国に行ってみたい!!」と熱い思いを胸に、アメリカに行ってはみたけれど、

聖書に書かれてる神の愛の世界を感じることが出来ず、日本に戻り、教会に神様はいない…と無教会主義を唱え

その内村鑑三氏の無教会主義の流れを受け、自ら戦後 熊本阿蘇の山の中で聖霊に打たれ、「キリストの幕屋」を創設した手島 郁郎氏。

ヘブライ語から聖書を読み解き、自らイスラエルに行き、聖書を日本の心で読み解いてきた手島郁郎氏が、説いてきた聖書の愛の世界。

竹下先生は出会った時、70歳を超えており また手島先生から直々に聖書を学び、聖霊に導かれ伝道してこられた素晴らしい方。

その竹下先生から、聖書を毎月2回仲間と共に、学ばせて頂き 2014年4月にはちょうど赤塚さんの呼びかけでイスラエルに行く際にも、

10日間で巡る先々の聖書のことを予習させてもらい、あの聖地イスラエルを巡らせてもらったことは、旅を何十倍も有意義なものにしてくれました。

おそらく竹下先生がお元氣な間は、我が家での聖書集会が続くものと思っていた所、あの私を聖書の世界へと導いてくれた赤塚さんが名古屋で10回の聖書講座を開催すると知り、

「参加したいな~。」

「でも竹下先生から学ばせてもらってるし、名古屋遠いしな~。」

と、思って迎えた2015年新年。

幕屋での新年聖会に参加させて頂き、祈る前に歌った讃美歌

「二つなき誓」

1、寂しさの 極みに耐えて 祈らまし 暮れゆく み空に 魂極るまで

2、主は近し 天主イエスの 世紀近し 熱き涙もて 聖前に誓う

3、二つなき 心を 主にとどめおき 我さえ我にぞ 別れぬるかな

4、生き死にも 神のまにまに キリストの 御使いのごとく    仕えまつらん

5、山は裂け 海はあせなん 世なりとも 主にふた心 我があらめやも

この讃美歌を聖会の中、竹下先生が選ばれ、この歌詞を知った時、私の心の中のふたつの心

・赤塚さんの聖書講座に行きたい!
・竹下先生が伝道できなくなったら我が家での幕屋の集会も終わらせてもらおう。

と、この竹下先生が伝道できなくなる=寝込んだり、この世でのお別れを望んでいるような私の心をみてしまい…

あ~こんな人の死を望むような自分がイヤで、そしてふたつの心を持つことなく、私を聖書の世界へ導いてくれた赤塚さんのされる名古屋での聖書講座に行かせてもらおう!!と、

そして、竹下先生は私の思いをおおらかに受けて下さり、2015年1月大いなるキリストの愛の恵みによって導かれた我が家での聖書集会最後の集会をきちんとさせて頂き、

2015年2月から10回名古屋に通わせてもらいました。

赤塚さんの伝えて下さる聖書の世界は、教会よりも、我が家での集会よりも  また素晴らしい聖書の学びの時を持たせていただきました。

その学びはまた、ゆっくりと書いてゆけると嬉しいです。

やまとこころで読む聖書の世界は、本当に世界までも変えていくと感じます。

友!

新約聖書 ヨハネによる福音書/15章13節

人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。

と、あります。

友ってなんだろう?と、ふと思いました。

学生時代の友、OL時代の友、スキー学校での友、カイロを学んできた中での友、そして結婚してからの友との関わり。

今年もたくさんの年賀状をパソコンで簡単に作り、宛名書きさえもプリンターに頼ってしまい、でも一年に一度だけの元旦に届く友からの便りはまた嬉しくて…

美味しいものを食べに行ったり、どこかに旅に出たり、悩んでることを話してみたり、嬉しいことを共有してみたり、たまに思いが伝わらずすれ違ってみたり…。

この聖書の一節のように、命を捨てられるほどの友って、私にはいるのだろうか?

逆に命を捨ててくれるほどの友もいるのだろうか?

あの大東亜の戦争の時、祖国の為に散って逝った命があり、その命もまた同胞。

アメリカ軍は、誰かが死んでも自分だけは生きて帰りたい!!という思いで戦地へ行き…。

日本軍は、誰かのために 命懸けで戦おうと戦地へ行き…。

250kの爆弾を積んで、敵艦に突撃していった 若き英霊たち。

その様をみて、「クレイジー」と思ったアメリカ軍。

日本が敗戦となり、アメリカが一番恐れていたのは、この武士道精神、大和魂、日本精神。

戦後、教育が変わり私が生まれた昭和37年は、昭和20年の終戦からたった17年。

昔と違って、玄関に鍵がかかり サッシの窓が音も消し、教育や高度成長によって変えられてしまったのか…。

信じる心、愛する心。そして真実を見抜く心。

軍歌であり、準国歌として 歌われてきた「海ゆかば」

行かば 漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ

初めてこの歌を目にしたとき、私は衝撃でした。

この歌を小学校から歌ってきた日本。

イスラエルが2000年ぶりに建国される基となった ユダヤ人トルンペルドールは、日露戦争の後、大阪でロシア軍の捕虜としていた時に、日本を手本に もう一度自分の祖国を取り戻したい!とシオニズム運動を興し、

そして トルンペルドールは、テル・ハイの村で開拓中、アラブ人の侵略によって 命尽きる最期の時

「国のために死ぬことはよいことだ」

と言って死んで行ったそうな…。

親子や兄弟姉妹、そして隣近所、学校、職場…魂の触れ合うこの世の中、「袖振り合うも多生の縁」

人類の罪を背負って十字架にかけられたキリスト・イエスのように…

また夏の暑い日も  冬の寒い日も、国民(くにたみ)のため、無私の氣持ちで祈り続けて下さっている陛下のように…

同じ時代に生まれ、出会えた多くの友に…

愛のかたちを、届けられる人になっていきたいと 思う今日でした。

 

 

 

 

聖なる書

2008年、「イエスを人生に招き入れる」というひとつのDVDで知った、赤塚高仁さん。

この人に、会いたい!!と思って2年たった2010年8月初めて西条に来て頂き会えることが決まった、5月。

赤塚さんに会うには、聖書知っておかないと!!…と、思い本屋さんへ。

エドガー・ケイシーの福音を伝えてくれる光田先生が、「新共同訳」の聖書がいいよ!!ということで、探してみたけど  聖書そのもののことを全く知らない私には、本屋さんで一冊を選ぶことが出来ず…。

主人が、教会に行ってみたらあるんじゃない?…との言葉を受けて教会を訪ねてみました。

初めて訪ねた教会で、小坊主さんのような、ちょうど神学大学を卒業したばかりの牧師さんが出て来られ、私が「聖書…新共同訳の聖書が欲しいんですが…」と言ったところ、ここにありますよ。

お貸ししますから、どうぞ持って帰って下さい。そして、良かったら日曜日 精霊が舞い降りるこの場所に来てみませんか?

そして、実はその日から2年半毎週日曜日、教会の日曜集会にも行かせて頂き、学ばせて頂きました。

スキーでオーストリアに行ってた頃、村の教会にも行かせて頂いたり、ザルツブルグまで出かけて行った時には、大きな教会にも入らせて頂きましたが

その中に描かれたキリスト・イエスと十字架への道の絵。

私自身、あんな犯罪を犯した人のことをなんでみんなアーメン、アーメンって祈るのかな?と思っていたくらい。

精霊舞い降りると言われる教会で、聖書を学び、讃美歌を歌い、救世主イエスさまのことを知り、私の中で救世主イエスさまがありありと描かれ始めました。

8月7日第3回目の西条でのケイシー講座の時、初めて赤塚さんにお話して頂いた時は、ちょうどあの「はやぶさ」が見つかり地球に帰ってくる前。

はやぶさの打ち上げのお話や神さまのお話もして頂き…やっぱり来てもらって良かった~と。

そして、8月二人の講座が終わった後も、また来て頂きたい!!と、思いは益々湧き上がり…。

いつ?いつ来てもらおう??

その時、ふと「間髪入れずに来てもらいたい!!」と思わされ、光田先生を通してお願いさせて頂き、そして次回11月開催の時にも来てもらうことに…。

2回目の時に聴いたお話が、ペリリュー島での日本兵のこと。

そして、昭和天皇とマッカーサー元帥との謁見のお話。

2010年11月、私は日本に生まれたことを…、
この天皇陛下が祈ってくれるこの日本に生まれて来たことを…、心底有り難いと感じることが出来るように変えられました。

マッカーサーとのお話の中、昭和天皇が

この度の出来事は、全て私の責任です。私の身体はどうなっても構いません。どうか国民を飢えから救って頂きたい」と言われたお言葉。

そして、この言葉を聴いた時、あの聖書の中のただひとり 神様が
「神さまとはこういう風に生きるんだよ」と、無私の心で、神共に生きる生き方を示し33歳で何も悪いこともしていないのに、鞭打たれ   十字架にかけられた

救世主キリスト・イエスのような人が天皇陛下なんだ!!と思えた時、魂震え有り難く…私自身この天皇の国、日本に生まれたことに感謝溢れ…。

そして、ここから続く伊勢の神宮、ペリリュー、イスラエル、皇居へと導かれていくのですから、本当に聖なる書  精霊が働き導いてくれた様なこの始まり…人生は面白いですね。

 

 

ご縁(3)

2008年3月、一冊の天中殺の本が導いたエドガー・ケイシー研究の第一人者光田 秀氏との出会い。

ご縁(2)

そして、広島のケイシー講座の時に出会った一本のDVDがまた私の人生に大きな祝福を持って来てくれました。

広島のケイシー講座は、当時2日間開催されており、初日参加させてもらった際、講師の光田先生が 「そちらに置いてあるDVDはお薦めですよ!!」と言われたこともあり

本やオイルなど販売されてる所に置いてあったDVDを手に取ってみました。
「イエスを人生に招き入れる」と題された2枚組のDVDセット。

光田秀氏と赤塚高仁氏

この二人のお話が収録されているDVDの様でしたが、値段を見てみると、なんと6,300円!!

わっ!こんなにするんだー!!…と、そっと元のテーブルに戻させて頂きました。
光田先生は知ってるけど、赤塚高仁氏って知らないし…。

3~4セットほどあった、DVD はその日のうちに売り切れ まっ私は買わなくて良かったんだ!!売り切れたし…良かった!良かった!!と思ったほど。

広島に主人と二人で参加してたので、交通費や宿泊費、講座参加費とかかっており、無駄使いも出来ないし…っということで。

そして、翌朝 2日目の講座に参加させてもらった時、前日も参加されてた女性が 昨日購入したあのDVDを戻してるところを発見。

見てしまったんです(笑)

見てしまった私の心の中では、「光田先生が薦めるDVD…やっぱり観てみたーい!!」と湧き上がり ちょうどその日の会場の一階にあったATMでお金を引き出し購入。

いろいろな会場があるけれど、会場の中にATMがあるところも 珍しく、ちょうどすぐに引き出せたことも…天の計らい?

と、いう事で6,300円のDVD「イエスを人生に招き入れる」を持ち帰り、早速観ることに!!

心踊るケイシー講座を受けたからか、広島から愛媛西条まで約180km。ドライブの疲れもなく、そしてお薦めのDVDの内容が氣になって、氣になって…。

ピンクのシャツを着た「赤塚 高仁さん」

衝撃でした!!

運転の疲れもなく、魂震える赤塚さんのお話し。

この人に会ってみたい!!と思わされました。

そして、2010年8月6日、思いが実現。

2010年2月から始まった西条でのケイシー講座の3回目にゲストで来ていただけくことになり、前日に光田先生とふたりで西条に到着!

JR伊予西条駅の改札で、光田先生に続いて 改札を抜けて初めてお会いした赤塚さんは両手を大きく広げ登場!!

その日の晩餐が、本当に最初の晩餐となり その後大きく私の人生が変わっていったのですから、本当に私の人生にキリスト・イエスを招かせて頂いた様な感じです。


再版されたこのDVD、3,500円

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天皇の国、日本

日本の神話、古事記に記された天皇。

今の今上天皇は125代。

初代神武天皇が建国を宣言され、2676年続く皇室。

天上の神々の中で初めての夫婦となった、イザナギとイザナミが  コ~ロ  コ~ロ  と、長い矛で混沌とした海を回して落ちた雫から、

淡路島、四国、隠岐の島、九州、壱岐の島、対馬、佐渡島、本州・・・と続々と国が生まれ、

その後、風の神、石の神、海の神、水の神、火の神等々を生み・・・。

火の神を生んだ時に、大切な所をやけどし 黄泉の国へ逝ってしまったイザナミ。

ずっと一緒にいたかった嫁を亡くし、寂しくて寂しくて黄泉の国に逢いに行ったイザナギ。

せっかく会いに行ったものの、黄泉の国の食べ物をもう食べてしまい、もう元の世界には戻れないイザナミ。

しかしせっかく来てくれたイザナギの事を思い、「ちょっと黄泉の国から戻ること出来るかきいて来るから、待っててね。でも中はぜったい覗かないでよ!」と。

そういわれて、待ってたものの  待ち遠しくて…待ち遠しくて…そっと覗いてしまい、そこで見たものは…

この世の者とは思えないほど醜い姿となったイザナミ。

覗いてはダメ!と言われながら覗いてしまい、あの醜い姿を見てしまったイザナギは、

「見たな~」と言うことでイザナミに追いかけられて・・・。

追われ、途中桃を投げつけながらも、ようよう逃げ切り・・・水辺へ。
※そういうことで桃が邪氣除けの様で。

たどり着いた川で、「おおおおお~醜いものを見てしまった~」と、禊。

イザナギが、左の目を洗うと「天照大神」がうまれ

右の目を洗うと「月読みの命」、そして鼻を洗うと「スサノオノミコト」とイザナギが禊をしたことで生まれた3人の神様。

しばらくの間は、スサノオの命の子孫が大社大和の国を治めていたが、何せ鼻から生まれた者で鼻息荒く、天上界から見ていた天照大神さま。

自身の子孫がこの国を治めた方が良いと、子の時代にはまだ時に至らず、

その孫ニニギノミコトが九州の高千穂に手には稲、そして 鏡・勾玉・刀と三種の神器を持って「天孫降臨」

地上に降りたニニギノミコトは、出会った美しい「コノハナサクヤヒメ」に一目ぼれ。

お父さんである山の神さまに「娘さんと結婚させて下さい」と・・・。

「良いですよ!」ってことで、喜んだものの  山の神さまにもう一人いた娘の「岩長姫」も一緒に嫁入り。

「コノハナサクヤヒメ」と「イワナガヒメ」名前からも顔が想像できそうなほど・・・。

もうしわけないけれど、「イワナガヒメ」は、山の神の元へ追い返され。
娘を返され怒った山の神さま。

神さまには、寿命が無いはずなのに、この「岩長姫」が父の元に返された所から寿命が決められたそうで・・・。

ここまで、読んでも「神さまって人間的!!」っていう感じ。

その後、コノハナサクヤヒメは妊娠。本当にわたしの子供か?と疑うニニギノミコトに、出産の際 コノハナサクヤヒメは 産屋に火を放ち、「あなたの子であれば必ず生き残るはず…」と。

そこで生まれたのが通称「山幸彦」、「海幸彦」ともうひとり3人の子供。

この山幸彦がお兄ちゃんの海幸彦とお互いの仕事道具を交換。
その時、海幸彦の大切な釣り針を無くしてしまったことで、海の世界へ。

そして、山幸彦が海の神さまの娘と結婚して出来た4人の子供の中の一人が日本の建国を宣言し最初の天皇となった神武天皇。

神話から現実の世界へと広がる日本の神話「古事記」

そして、万世一系男子で繋がるこの国での天皇陛下のお仕事は、この国の平安と国民の幸せを祈る事。

2014年5月、4日間の勤労奉仕に参加させて頂いた際  皇居で天皇皇后両陛下のご会釈を賜った際、「あ~有り難いな~」と全身で感じた慈しみと愛の波動。

魂の底からの感謝と本日83歳のお誕生日を心よりお祝い申し上げます。

側近が語った今上陛下の素顔