「古事記」カテゴリーアーカイブ

阿奈波(あなば)神社

今日、午後しまなみ海道を抜けて、先日話を聞き 氣になってたイワナガ姫を御祭神に祀る大三島の「阿奈波(あなば)神社」行って参りました。

なんと、到着寸前で 道に 通行止めの看板。

向こうに見える、鶴姫様の像が 「こっち こっち」と呼んでくれてるようで、車を止めて 「通行止め」の看板をくぐり、鶴姫様の姿の見えるほうへ…。

近づくと、阿奈波神社周辺の山が 崖崩れ。

そして、たどり着いた「阿奈波神社」は 不思議にも御本殿は綺麗なままで建ってあり、周辺は全て崩壊。

その場に立ち、柏手を鳴らし お祈りしていると、泣けて泣けて…涙が止まらず…。

そして、合わせた手がずっと離れず…

イワナガ姫の憤りのない寂しさ…苦しさ…までも込み上げてきて…

「ごめんなさい…ごめんなさい…ありがとうございます」…と。

何分くらい手を合わせて居たでしょうか?

海側にある大きな木の葉が、音を立て 優しい風が吹いていました。

いつもお参りさせて頂く、伊曾乃神社にはイワナガ姫の妹のコノハナサクヤ姫様が 摂社となる古茂理神社の御祭神として祀られており、境内には黄金に輝く像まであるのに…。

ニニギノミコトさまに追い返されただけでなく、こんなにも離れた所で 崖崩れに会い訪れる者もなく…。

イワナガ姫様は寿命を司る神様。

なんだか、ここを何とかしないと この日本の寿命が…などと思ってしまったほど。

今、世間では森友学園の園児が「教育勅語」を唱和していることを、あたかも洗脳教育のように取りざたされる時代。

どうか イワナガ姫さまの寿命と コノハナサクヤ姫さまの繁栄が共に働き、日本が本来持つ「大和魂」を呼び起こし、世々限りなく続きますように…。

そして、イワナガ姫が祀られている「阿奈波神社」の一日も早い復旧を祈ります。

 

 

 

日の本

今日2月11日は、建国記念の日。

日本國が誕生して2677年。

明治21年に作られた「紀元節唱歌」

紀元節

一、
くもにそびゆる たかちほの  たかねおろしに くさ
なびきふしけん 大御世おほみよを  あふけふきょうこそ たのしけれ
二、
うなばらなせる はにやすの  いけのおもより なほひろき
めぐみのなみに あみしを  あふけふきょうこそ たのしけれ
三、
あまつひつぎの たかみくら  千代ちよよろづうごきなき
もとゐさだめし そのかみを  あふ今日きょうこそ たのしけれ
四、
そらにかがやく もとの  よろずくにに たぐひなき
くにのみはしら たてしを  あふけふきょうこそ たのしけれ

文献によると、天照大神の孫 ニニギノミコトが高天原に降りてきた後、神武天皇が奈良の橿原に向かうまでの時は179万2470年あまりになると書かれていました。

古事記の中、神武天皇はニニギノミコトの子供…山幸彦の孫。

ニニギノミコトが山の神さまの娘コノハナサクヤヒメと結婚し、

また山幸彦は海の神さまの娘トヨタマヒメと結婚。

そのトヨタマヒメと山幸彦の間に生まれたウガヤフキアエズノミコト。

このウガヤフキアエズノミコトの孫が神武天皇となるんですから、ニニギノミコトから6代。

初代神武天皇は、天照、山の神、海の神の全ての血縁を得ての建国。

179万2470年間で6代…それは1代約298,700年づつ生きていたことのようで、

また神武天皇から125代目の今の今上陛下までが2,677年を単純に計算すると、1代21,4年間。

聖書の中でもノアは950歳まで生き、アブラハムは175歳だったと…。

まっ深く探求はしませんが、「日の本」日本を治めていく天皇とは 身を犠牲にしながらも国民、国家の平安を祈り守っていく尊く有り難い存在。

そして、日本國の建国を宣言する前

スサノオノミコトの子孫が納めた179万2470年と

アマテラス子孫が繋いできた2677年を足してみると、

179万5147年。

ニニギノミコトが天孫降臨の時預かって来た詔

「天壌無窮の神勅」

豊葦原の千五百秋の瑞穂の國は、
これ吾が子孫の王たるべき地なり。

爾皇孫、就きて治らせ。
行矣。

寶祚の隆えまさむこと、
當に天壤と窮まりなかるべし
(日本書紀巻二)
~~~~~~~~~~~~~

現代語に訳すと次のようになるそうです。

~~~~~~~~~~~~~
豊かな葦原で、
秋になると稲穂がたくさん稲が稔る國は
私の子孫が統治する地です。

なんじ皇孫よ、これから行って統治しなさい。
元気で行きなさい。

寶祚(天皇の御位)が栄えることは、
当然に天地と共に永遠で窮まりないことです。

~~~~~~~~~~~~~

奪うことなく、和をもって尊しとなすと読んだ聖徳太子

シラス國。

和の国。

紀元節第4章に「万の国にたぐひなき」と示されたように

世界に類を見ない唯一無二の日の本日本。

イザナギ、イザナミによって国生みされ179万5147年余り。

出雲の国譲りからアマテラスの世へと移り2677年。

人の寿命は、長く生きても今は100年。

多くの人が生まれては死に、死んでは生まれ…。

永い永い年月を山や海、大自然に包まれ、また地震や津波 厳しい天からの試練をも越えて存在する「今」

アトランティス大陸などは、3度の地殻変動で海底に沈まされたんですから、「在る」ということは奇跡の連続、神さまの計らい。

「今」を歓び、堪能し、何が私に出来るのだろうと天に問いつつ

世界が、日本が主の御恵に満ち満ちたものとなりますように…。

日本國 皇紀2677年 お誕生日 万歳…!!

そして、今日は吉元由美さん作詞 平原綾香さんの歌う「Jupiter」

 

 

 

 

 

生きること

今日、運転中前方に2羽のカラスが雀を追いかけ…そして1羽が雀を食べてしまいました。

大通りで突然繰り広げられた「弱肉強食」の生き物の食物連鎖。

目の前で、1羽の小さい雀が逃げ延びられず終わりを迎えるその様は、自然界では当然のことなのだけど、唖然としてしまいました。

初め、1羽のカラスが雀を捕らえ それを見つけたもう1羽のカラスが近づき 先のカラスは雀を落とし、雀は命からがら逃げようとするけれど、2羽のあの黒いカラスが追いかけると…もうアウト。

この間、1分もかからない時間。

逃げて!!逃げて!!と祈り叫んだけれど、これが自然の法則。

なんとも はかない命。

ノアの方舟が、大洪水の後 トルコのアララト山に漂着し、地に緑が芽吹いて来たかと 放った初めの鳥は「カラス」

そして、カラスは戻ってくることなく、次に放ったのが「鳩」

鳩は、オリーブの葉をくわえて戻ってきたところから オリーブや鳩は平和の象徴となっていった様ですが、では初めに放った「カラス」はどんな意味があるのでしょうか?

鳩とカラス

白と黒。

草食の鳩と雑食のカラス。

日本の神話の中では、3本足の「八咫烏(ヤタガラス)」が初代神武天皇を導きます。

私にはなぜカラスだったのかわからないですが、方舟に戻って来なかったカラスを 日本の神話では3本足になって、神の使いとなり 報われないカラスを救済したのでしょうか?

しかし、弱肉強食・・・食物連鎖に目の前で遭遇し、生きることの奇跡を改めて感じることとなりました。

私自身、生きて行くために お魚も食べるし、お肉も食べる。

「いただきます…とは命いただきます。」

いのちの儚さ、生きてる奇跡。

感謝して・・・。

いきものがかりの「ありがとう」

今日の雀に、そして命ある全てのモノに・・・

 

百薬の長

お酒は「百薬の長」と言われますが、誠にその通りだと思います。

日本酒にビールにワイン…焼酎だって大好きです。

私の原動力になってるのかも知れません。

スキーインストラクター1年目、夜9時過ぎまでナイターで練習し、宿に戻ってお風呂に入り、帰りに自動販売機でビールを購入。

同じ部屋のみんなと、なんだかんだ話しながら飲むひとときが大好きでした。

シーズンも終わりに近づくと、どんどんビールの量も増えて行きます。

OL時代は、居酒屋やスナックなど 会社の行事で連れて行ってもらうくらいで、友達と行くといっても 何か特別な日に飲みに行くくらい。

最近、時代は変わったな~と思うくらい、若者が氣軽に行けるお店が増えて来たと思います。

そして、スキーでヨーロッパへ行ったことで、好きになった赤ワイン。

滞在中、スーパーで安いワインを買ってきて、毎晩コップに1杯の赤ワインを飲むのも楽しみでした。

ドイツ語で、赤が「ロートワイン」、白が「ヴァイスワイン」そして、赤ワインをいろんな香辛料を入れて甘く作った「グリューワイン」

スキー場でも、仲間と飲みに行っても、
「アイン  ロートワイン…ビッテ!!」
「アイン  ビアー…ビッテ!!」

で、1杯のビールや赤ワインがテーブルまで届けられるのですから、ドイツ語も英語も話せなくても、必要な単語だけはちゃんと…(笑)

アルコールは、百薬の長だけでなく、仲間との交流も楽しませてくれます。

オーストリアに居た時、「シュナップス」というアルコール度40度以上のお酒。

寒い季節に最高の蒸留酒。みんなでゲームしながら小さいカップで何杯飲んだことでしょう!!

シュナップスという呼び名は「命の水」という意味もあるそうです。

そして、カイロプラクティックを始めたことで、好きになったのが日本酒。

この日本酒という呼び名は、明治天皇の玄孫竹田恒泰氏によると、 日本酒ではなく、「国酒」。日本史ではなく「国史」と…。

なるほど、わざわざ日本と付けなくても祖国のお酒。祖国の歴史ですよね。

もともと日本は稲穂の国。
アマテラスの孫、ニニギノミコトが天孫降臨の際伝えられた
「天壌無窮の神勅」と「斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅」にも稲のことが示されており、

中でも「斎庭の稲穂の神勅」は …
『吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし。』

とあり、天上界の田で育った稲を地上に植えて、この国を天上界のような稔り豊かで安定した国にしなさいと。

この稲から取れたお米で作る国酒。

日本の祭日には、稲に関わる祭日が多くお米は欠かせないもの。
陛下ご自身がお手植えの稲を神様に捧げるのですから、本当に日本は瑞穂の国。

聖書の国では、ぶどうから作られたワイン。

ヨハネによる福音書15章にはこうある

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。

そして、最後の晩餐の中にも記されている。

マタイによる福音書26章より

一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、
「取って食べよ、これはわたしのからだである」。

また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、
「みな、この杯から飲め。これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。」

古事記にも聖書にも示されている、神さまが用意してくれた命の水。

やはり、お米から作るお酒のほうが、田植えから稲刈り、またお酒になるまで手間・暇かけて作られ 本当に世界に誇れるアルコールなのではないかと思います。

色々と講座や講演会を開催させてもらう時にも、一番大切なのは、終わった後の「懇親会」

「乾杯」…乾いたさかずきとはひとり一人の魂のことでしょうか?

「レハイム」…ヘブライ語で「乾杯」は…命頂きますとのこと。

72年前、特攻隊員が出撃前に交わしたのは「別盃」と呼ばれるそうですが、どんな味がしたのでしょうか。

人生色々な場面で登場するお酒。
百薬の長として、嬉しい時も…哀しい時も…歓びの時も…別れの時も…!

今日は、梓みちよの「二人でお酒を」

 

 

 

朝夕勤行

今日、仏さんのお正月ということで、お墓参りに行ってまいりました。

我が家は、真言宗なので いつもは般若心経だけ唱えさせてもらうのですが、今日は小雪舞う中 経本の最初からお唱えさせてもらいました。

経本の一番初めに「朝夕勤行のこと」とあり、こう書かれております。

朝は希望に起き、夕は感謝に眠る。これが菩薩行の一日一日である。

希望をもつもの必ず神に祈り、感謝をもつもの必ず佛に礼拝する。

朝に夕(ゆうべ)に、念誦(ねんじゅ)の一刻(ひととき)静座して心を正しうしなければならない。

この一節を読ませてもらうだけでも、背筋がピンとします。

神に祈り、仏に感謝する。

先祖代々、ひとり欠けても今の私は存在しないし、繋がっていない。

かくいう私は、それを途絶えさせたのだから ご先祖様には大変申し訳ないと、今の年になってつくづく思うし、本当の親孝行とは家庭を持ち、孫を見せて安心させてあげることなのかなぁ~と思うこともある。

エドガー・ケイシーが遺したリーディングの中に、

「人たる者にとって、魂がこの物質世界を経験出来るよう、そのための経路となることほど、偉大な任務はないからである。

だから(妊娠と出産を)安易な道であると思ってはならない。

むしろ全知にして慈悲深き万物の創造者が、あなたを経路として用い、あなたを通して慈悲深き神の人間に対する愛が示されることを、喜んで求めるべきである」 480-30

と、あるが誠に妊娠出産は、神さまへのボランティア。

もしも、結婚しなかったり、妊娠出産する機会に恵まれなかったとしたら、社会へのボランティアをしなさい!!とも言われています。

笑い話の様ですが、私と結婚した時 うちの主人は「結婚のきっかけは?」と、尋ねられた時いつも

「ボランティアです!!」と言って笑いを誘ってましたが、誠に結婚はお互いのボランティアなのかも知れません。

他人同士が一緒に暮らすこと。

お互いの魂の成長のために出会わされた二つの魂。

きっと前世からのご縁がかなり深くないと、「結婚」はないのだと思います。

スキーのインストラクター時代、志賀高原の麓「山ノ内町」の甘精堂という温泉まんじゅう屋さんとご縁頂き、広い一軒家を借りて住ませて頂いてました。

そして、ちょうど同じインストラクターの仲間も一緒に住みたい!と言うことで、一緒にシーズン中寝泊りを共にするのですが、

だんだん慣れてくると、どこかお互いのアラも見え始め、イヤだな~と思い始めると余計そこが目につき…。

でも、まっ…雪が溶けるまでの間…と我慢もしたことも有りました。

お互い言いたいことを言って、良くなっていくことも有りそうですが、逆に言わない優しさもあるかな…とも。

でも、友達と一緒に暮らすことと、結婚して夫婦で暮らすのは全く違うなーと、まず新婚生活が始まった時に感じました。

お互い35歳も過ぎての結婚だった為か、お互い持っている末っ子特有のあまえたれの性格か?

ん?なんで… なんでそこで そうなる???ってことも多々。

色々出て来たとき、「この人とは一生一緒に居たいから、ここは話ししないと…」と。

人は、目で見せられ 耳で聞かされ 口で話され…。

この目と耳と口をどう使っていくか!!結婚当初は、かなり言葉も選び自分の思いを愛を以て伝えていたように思います。

愛あればこそ…でしょうか。

ただ、それが1年たち、2年たち、5年たち、10年たち…今18年目。

日本の神話古事記の中でも 最初の夫婦イザナギとイザナミも夫婦喧嘩で言い争います。

黄泉の国に逝ってしまったイザナミを追いかけて黄泉の国に行ったは良いけれど、一足遅く黄泉の国の食べ物を口にしてしまったイザナミ。

もうあなた様の住む世界には戻れないと思いますが、ちょっとここで待ってて下さい。そして、待ってる間この扉は開けないで下さいね。

という夫婦の約束を破って、中を覗いてしまったイザナギ。

変わり果てた姿を見られてしまったイザナミは大激怒!

イザナギに向かって「一日に千人の人を殺してやる!!」と…。

そうすると、イザナギは、「ならば私は、千五百人の人を生みましょう!!」と…。

イザナギとイザナミの夫婦喧嘩によって、生死があるとしたら「えっ?」って感じではあるけれど、この数が反対ならば それもまた怖いことなのかも知れないし…。

以前、このイザナギとイザナミの夫婦げんかのお話を三重の赤塚さんがお話下さった時に、言われたのが

「怒る女とスネる男」

さすが…そうだな~と納得したことを覚えており名言。

男の人はいつまでも子供!!とよく耳にするし、またヒステリーは女性の代名詞の様なもので、「怒る女とスネる男」は私の中で大ヒットでした。

と、今日仏さんのお正月からなんだかんだで、夫婦喧嘩の話にもなってしまったけれど、元来夫婦は「相和し」と、明治天皇が発した教育勅語の中でも書かれており、

夫婦相和しの前に、父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ…と続く教育勅語。

アマテラスさまの孫がこの地に降りてきた「天孫降臨」の頃から大切にしてきた日本人の掟…神様とのお約束でもあるようです。

時に、エデンの園でイブに禁断の果実を食べさせたあの蛇の誘惑のように、この掟を破ってしまいそうなのが、誘惑多いこの世の生活。

父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ…そして、仏経本の中  朝は希望に起き、夕は感謝に眠る。神に希望…仏に感謝。

そして、願わくは、此の功徳を以て あまねく一切に及ぼし 我らと衆生とみな共に 仏道を成ぜんことを…

神道の教え、仏教の教え、また聖書の教え…さまざまなことを与えられ、真実を求めて生き 仏の道を超えた時 本物の光へと向かっていくのでしょうか。

今日は菩薩と呼ばれた百恵ちゃんの「さよならの向こう側」

 

 

月読命

古事記の中、「国づくり」を果たしたイザナギとイザナミの命。

その後、風の神、木の神、山の神、海の神、川の神、岩の神、石の神などなど自然の神様が次々と生まれ

最後に生んだ火の神さま。

この火の神さまを生んだところ、女神のイザナミさまは大やけどを負って死んでしまい、

残された男神イザナギさまは、寂しくて寂しくて「黄泉の国」へと逢いに行き・・・。

でも一足遅く「黄泉の国」の食べ物を食べてしまったイザナミは、もう元の世界には戻れないと…。

そこで、イザナミさまは「黄泉の国」を支配するものに、きいてみるから「私が良いというまで、この戸は開けないで下さいね」と、イザナギに言って中に入って行き…。

待ってたイザナギさまは、なかなか出て来ぬイザナミさまを待ちきれず 「開けてはいけない!」と言われた戸をこっそり開けてしまい…。

そこで見たものは、変わり果てた妻イザナミの姿。

「見たな~」「開けたな~」と、醜い姿になったイザナミ。

そして黄泉の国の者たちに追われ追われて、ようよう逃げたイザナギ様。

川のほとりにたどり着き、「あ~醜いものを見てしまった!」と、左目を洗うとアマテラスさまが生まれ。右目を洗うとツクヨミさまが…。そして、鼻を洗うとスサノオさまが誕生。

スサノオさまは、アマテラスさまの孫がこの地に降り またその孫がこの地を治めるまで、スサノオの子孫がこの地を治めており

アマテラスさまの世になった時も、スサノオさまの時も、夜の闇を照らし支配するのがツクヨミさま。

アマテラスさまが、天岩戸に隠れ闇の世になり困ったけれど、闇もまた必要。

闇があるから、光が生きる。

また光があるから、闇がまた尊い。

新約聖書「創世記」の中にも光と闇が創られる。

はじめに神は天と地とを創造された。 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。

神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
今日は、今年初めての満月。

夜の闇を、明々と照らしてくれる。

実は2013年、私の母が亡くなる3日前の12月16日

ちょうど伊勢の外宮さんの隣にある「月夜見宮」をお参りさせてもらった時、照らす太陽がまぶしくて写真におさめようとした時、不思議な光が踊り輝いて見えて、月夜見宮でみたこの太陽の光は、お月さまを自ら光らせていることを感じさせてくれた様に思います。

2013年月夜見宮で撮った光の写真
自動代替テキストはありません。

そして、昨日のブログで書いたペリリュー。

勤労奉仕

このペリリュー島のあるパラオ共和国が、独立するとき国旗の選択をした際、一番人気があり決まったこのパラオの国旗。

パラオは日本のひとつの県にしてほしい!と願ったほど、日本が大好きで、国旗も日本の国旗に似たものが一番人気。

青い海に浮かんだ丸い月

月の光は、太陽の光を浴びて輝く。

太陽とは、日本のこと。

天皇陛下が訪問した日が、パラオの祝日に制定されたほど。

3000キロも離れた南の島で、先人が遺した大和心が今もなお生きていること…あのパラオの青い海を思いだす今日満月の夜。

勤労奉仕

もう年が明けたので、3年前になるけれど、2014年の5月、皇居の勤労奉仕へ参加させて頂きました。

2010年11月に、昭和天皇がマッカーサー元帥に、謁見された際

『この度の出来事は、全て私の責任です。私の身体はどうなっても構いません。どうか国民を飢えから救ってください』

と、自らの命を引き換えにするほど、国民を愛し守り続けてくれた昭和天皇のお話を聞いた時から、天皇陛下や皇室に対する思いが180度変えられたこと、今も忘れられません。

その後、東北の震災があり、今上天皇と美智子皇后が共に被災地へ行かれ、ひざまずき被災された方々に寄り添われるお姿や多くの犠牲者をのみこんだあの海に向かって、追悼されるお姿に、

慈愛あふれる両陛下に守られているこの日本に生まれて良かった…!!と魂いっぱいの歓びを感じ…

そんな私に、声かけて頂いた『勤労奉仕』

三重県の赤塚さんを団長に28名の全国から集まった仲間と愛媛からは3人で参加させてもらいました。

4日間東京に宿泊し、東宮御所と皇居へのご奉仕。

私たちの時は、ちょうど出雲大社の権宮司さまと高円宮典子女王との結婚発表があった時。

出雲と言えば、美智子皇后が詠った歌が大好きで

「国譲り 祀られましし 大神の 奇しき 御業を 偲びて止まず」

2677年前、譲られたアマテラスオオミカミの世。

アマテラス様の世に、そのころ奇しき御業によって譲られ2677年。

その譲り、譲られた出雲の大神様にご縁ある方とアマテラス様のご子孫の結婚が決まったのですから、また素晴らしい!!

私たちが、勤労奉仕に参加させて頂いた際、初日は赤坂御用地内のご奉仕そして東宮御所での皇太子さまの御会釈。

そして、勤労奉仕2日目、皇居での清掃初日に天皇皇后両陛下の御会釈を賜りました。

奉仕団は全部で4団体。その代表で、我らが団長赤塚さんが両陛下に『万歳三唱』をすることになり、赤塚さんに続いて我々4つの奉仕団員が万歳!!

天皇陛下に3回、皇后陛下に3回。合計6回の万歳の渦。

代表の赤塚さんは、1メートルほどの至近距離で、言葉に出さずとも伝わる思い。

言挙げせずとも聞こえてくる両陛下の「ありがとう」の言葉。

あの日。万歳三唱の代表をされた赤塚さんを通して、ペリリュー島の英霊が両陛下の訪問を願ったのではないのか。

赤塚さん自身、あのペリリュー島で軍医をされていた三重県松坂市の上島先生がもう一度行きたい!と言ってた南の島ペリリューに2010年10月ご縁あって訪れペリリューの英霊たちに触れ

その後、行く先々でパラオの国旗とペリリューでの激戦玉砕されたお話をされてきて、私自身も何度聴いたことか…。その度に涙。

そんな赤塚さんが、万歳三唱の際、「陛下どうかペリリューを顧みて下さい。」という思いものせて万歳三唱。

言挙げせずとも伝わるペリリュー島への想い。

そして、勤労奉仕が終わり7~10日ほどたったある日、宮内庁から発表された

『天皇皇后両陛下ぺリリュー島ご訪問』

そして、もう2年前になってしまいましたが、ペリリュー島を両陛下がご訪問され、あの軍艦「あきつしま」にてご宿泊。

陛下のひとりひとりへの想い、あの島に眠る多くの英霊の御霊が、祖国日本へと戻って来られたことだと感じます。

以下ペリリュー島の島民と日本軍のお話☟

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遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。

「あそこでみんな死んでいったんだ・・・」

沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。

太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。

老人は村の若者達と共にその作業に参加した。

日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという

やがて戦況は日本に不利となり、いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。

仲間達と話し合った彼は代表数人と共に日本の守備隊長のもとを訪れた。

「自分達も一緒に戦わせて欲しい」と。

それを聞くなり隊長は激高し叫んだという。

「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」

日本人は仲間だと思っていたのに・・・。

みせかけだったのか。

裏切られた想いで、みな悔し涙を流した・・・。

船に乗って島を去る日、日本兵は誰一人見送りに来ない。

村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。

しかし、船が島を離れた瞬間に日本兵全員が浜に走り出てきた。

そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。

先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。

その瞬間、彼は悟ったという。

あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・。

 

9の年

2016年も、残りあと数時間で終わる本日は大みそか。

2016年は、2+0+1+6=9ということで、9の年だったそうなんですが、

そこに自分の生年月日、私は9月27日生まれなので

2+0+1+6+9+2+7=27

そして、さらに一けたにするために、2+7=9

ということで、私にとっても9の年でした。

占いやジンクスをまるっきり信じるわけではないけれど、世の中は9年周期で動いてるという話を聞き、9は9年間の総決算の年。

2016年の元旦に出した年賀状に、偶然にこんな聖書の一説を書いて出させてもらってました。

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救世主キリスト・イエス誕生前、書かれた旧約聖書の中「伝道の書」

天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生まるるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、
保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、
黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。
と、全てに「時」があると…。
そして、この3章はもう少しこのようにも続いている。
働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。
神のなされることは皆その時にかなって美しい。
神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。
わたしは知っている。人にはその生きながらえている間、楽しく愉快に過ごすよりほかに良い事はない。
またすべての人が食い飲みし、そのすべての労苦によって楽しみを得ることは神の賜物である。
わたしは心に言った、「神は正しい者と悪い者とをさばかれる。神はすべての事と、すべてのわざに、時を定められたからである」と。
わたしはまた、人の子らについて心に言った、「神は彼らをためして、彼らに自分たちが獣にすぎないことを悟らせられるのである」と。
みな一つ所に行く。皆ちりから出て、皆ちりに帰る。
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全てに「時」があり、神のなされることは皆その時にかなって美しく、今大晦日を迎え また明日は新年。
 
太陽は今日も西に沈み、明日はいつもと変わらず東から昇ってくるが、大晦日とかお正月を作ったのも神さまの計らい。
以前、明治天皇の玄孫である竹田 恒泰氏主幹の「竹田研究会」で
『正月はめでたいか?』
という題でお話下さった時、お正月は特にめでたいわけではないと…。
Why???
この聖書の一節にも書かれているが、
『人にはその生きながらえている間、楽しく愉快に過ごす』
『人が食い飲みし、そのすべての労苦によって楽しみを得る』
『人はその働きによって楽しむにこした事はない』
神さまが求める楽しむこと=歓ぶこと!!
ここに繋がってくるようで、1年365日毎日は変わらないけれど、お正月の三日間だけくらいみんなが
「おめでとう!!おめでとう!!おめでとう~!!!」と歓ぶためにあるんだと。
昔、宮中では天皇陛下にいつも歓んでもらってようと、毎日食事にお頭付きの鯛が出され、宮中で働く者もまた不幸事や何かある時には出入りを禁止されたそうで・・・。
もしかすると、天照大神様から繋がる天皇家には、あの天照大神様が天の岩戸に隠れ、世の中が真っ暗になったあの古事記の一節も関係しているようです。
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以下、古事記の天岩戸開きの一節
スサノオは調子に乗り、アマテラスの田んぼを壊し、御殿で汚物をまき散らす等の乱暴を働きます。
 
スサノオがやらかす度にアマテラスは弟を庇いますが、調子に乗ったスサノオは止まりません。ついに機織りの部屋に馬の皮を投げ入れ、それによって中に居た機織女が死んでしまいます。
 

これにはついにアマテラスの堪忍袋の緒が切れ、天岩戸に閉じこもってしまいました。

太陽の化身でもあるアマテラスが天岩戸に隠れた為、世界は闇に閉ざされてしまいます。

八百万の神々は集まって相談し、思慮の神オモイカネを中心に作戦をたてます。

まず、太陽の使いの長鳴鳥を集めて、いっせいに「アサー」と鳴かし、

タマノオヤに玉飾りを、イシコリドメに鏡を作らせると、これらをマサカキ(サカキ(榊)のこと)に結びつけました。

そしてアメノコヤネが祝詞を献上するなか、玉飾りと鏡を結んだマサカキを携えた神々が岩戸の外を取り囲みます。

岩戸の前ではアメノウズメが踊り舞い、これを八百万の神々がはやしたてます。まさに大宴会。

騒がしい外の様子が気になったアマテラスは、戸を少し開けます。

すると踊っているアメノウズメが「あなた様よりも貴い神様がいらっしゃいます」と言うではありませんか。

そこへ差し出されたマサカキ。そのマサカキに結ばれた鏡には、美しい女神が映っています。

その女神を自分だとは思わずに、アマテラスは身を乗り出します。

その時、岩戸のすぐ横に隠れていたタヂカラオがぐいっとアマテラスの手を握り、外へと引っ張り出します。

そしてフトダマがしめ縄を張り、中へ戻れないようにしました。

こうして、世界は光りを取り戻しました。

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 この天の岩戸開きでも、アメノウズメの舞を見てみんなが 笑い歓び楽しんだところでアマテラスが出てきたとされ…、楽しむこと、歓ぶこと。
新約聖書の中、パウロがテサロニケ人にあてた第一の手紙の中でも
いつも喜んでいなさい
絶えず祈りなさい
すべての事について、感謝しなさい

これが、キリスト・イエスにあって、神があなた方に求めておられることである。

毎年、11月に入ると喪中欠礼のハガキが届くけれど、この年内に親族が亡くなったりした場合は送られ、喪中の人はお正月が出来ないか?というと、そうではないらしい。

 宮中で働く者もまた不幸事や何かある時には出入りを禁止された様に、他の人が喜べないといけないからだけで、喪中のお家であっても外に言っては他の人が氣をつかってしまうから、

家の中では「おめでとう!!おめでとう!!おめでとう~!!!』と歓んで新年を迎えると良いそうです。

っていうことで、天皇陛下は毎日尾頭付きの鯛を食べてもらい、毎日新しい正絹のふんどしを身に着け、いつもお正月状態で喜んでいてもらうということが、以前はあったそうです。
今は、毎日尾頭付きの鯛を食べて…という形ではないですが、天皇皇后両陛下がいつも喜んでくれていることが一番大切なことで、私たちはお正月3日間だけでも、歓ぶ日を…ということで、お正月がおめでたい日とされてるようです。
しかし、聖書にも古事記にも 歓び楽しんでいなさいと書かれていることは、本当に何があっても神さまの胸の中、喜んで生きていきたいと改めて思う大晦日でもあります。
そして、古事記天の岩戸開きでも、まず初めに太陽の使いの長鳴鳥を集めて、いっせいに「アサー」と鳴かしたそうで、
神社での御神事の際にも、神主さんによって「うぉー―――――」と長鳴鳥の声真似をされ始まり、終わる時も「ううぉ―――――」と。
2017年の干支でもある鳥は始まりの知らせでもあり、また終わりの時でもあるようです。
ということで、最初の9の年に戻りますが、
来る年2017年は
2+0+1+7=10   一桁に足すと1+0で1
2017年は、終わりではなく、9年周期で動く世の「1」始まりの時。
何だか うきうき…ワクワク…してきます。

私自身も「1」始まりの時、あっ!水素も原子記号1番。水素の年かな?

今年もたくさんお世話になりました。

そして12月本格的に始めたブログも毎日更新目標に、

また1年…楽しみ歓んで参ります。
 
 
 
 

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