今日、仏さんのお正月ということで、お墓参りに行ってまいりました。
我が家は、真言宗なので いつもは般若心経だけ唱えさせてもらうのですが、今日は小雪舞う中 経本の最初からお唱えさせてもらいました。
経本の一番初めに「朝夕勤行のこと」とあり、こう書かれております。
朝は希望に起き、夕は感謝に眠る。これが菩薩行の一日一日である。
希望をもつもの必ず神に祈り、感謝をもつもの必ず佛に礼拝する。
朝に夕(ゆうべ)に、念誦(ねんじゅ)の一刻(ひととき)静座して心を正しうしなければならない。
この一節を読ませてもらうだけでも、背筋がピンとします。
神に祈り、仏に感謝する。
先祖代々、ひとり欠けても今の私は存在しないし、繋がっていない。
かくいう私は、それを途絶えさせたのだから ご先祖様には大変申し訳ないと、今の年になってつくづく思うし、本当の親孝行とは家庭を持ち、孫を見せて安心させてあげることなのかなぁ~と思うこともある。
エドガー・ケイシーが遺したリーディングの中に、
「人たる者にとって、魂がこの物質世界を経験出来るよう、そのための経路となることほど、偉大な任務はないからである。
だから(妊娠と出産を)安易な道であると思ってはならない。
むしろ全知にして慈悲深き万物の創造者が、あなたを経路として用い、あなたを通して慈悲深き神の人間に対する愛が示されることを、喜んで求めるべきである」 480-30
と、あるが誠に妊娠出産は、神さまへのボランティア。
もしも、結婚しなかったり、妊娠出産する機会に恵まれなかったとしたら、社会へのボランティアをしなさい!!とも言われています。
笑い話の様ですが、私と結婚した時 うちの主人は「結婚のきっかけは?」と、尋ねられた時いつも
「ボランティアです!!」と言って笑いを誘ってましたが、誠に結婚はお互いのボランティアなのかも知れません。
他人同士が一緒に暮らすこと。
お互いの魂の成長のために出会わされた二つの魂。
きっと前世からのご縁がかなり深くないと、「結婚」はないのだと思います。
スキーのインストラクター時代、志賀高原の麓「山ノ内町」の甘精堂という温泉まんじゅう屋さんとご縁頂き、広い一軒家を借りて住ませて頂いてました。
そして、ちょうど同じインストラクターの仲間も一緒に住みたい!と言うことで、一緒にシーズン中寝泊りを共にするのですが、
だんだん慣れてくると、どこかお互いのアラも見え始め、イヤだな~と思い始めると余計そこが目につき…。
でも、まっ…雪が溶けるまでの間…と我慢もしたことも有りました。
お互い言いたいことを言って、良くなっていくことも有りそうですが、逆に言わない優しさもあるかな…とも。
でも、友達と一緒に暮らすことと、結婚して夫婦で暮らすのは全く違うなーと、まず新婚生活が始まった時に感じました。
お互い35歳も過ぎての結婚だった為か、お互い持っている末っ子特有のあまえたれの性格か?
ん?なんで… なんでそこで そうなる???ってことも多々。
色々出て来たとき、「この人とは一生一緒に居たいから、ここは話ししないと…」と。
人は、目で見せられ 耳で聞かされ 口で話され…。
この目と耳と口をどう使っていくか!!結婚当初は、かなり言葉も選び自分の思いを愛を以て伝えていたように思います。
愛あればこそ…でしょうか。
ただ、それが1年たち、2年たち、5年たち、10年たち…今18年目。
日本の神話古事記の中でも 最初の夫婦イザナギとイザナミも夫婦喧嘩で言い争います。
黄泉の国に逝ってしまったイザナミを追いかけて黄泉の国に行ったは良いけれど、一足遅く黄泉の国の食べ物を口にしてしまったイザナミ。
もうあなた様の住む世界には戻れないと思いますが、ちょっとここで待ってて下さい。そして、待ってる間この扉は開けないで下さいね。
という夫婦の約束を破って、中を覗いてしまったイザナギ。
変わり果てた姿を見られてしまったイザナミは大激怒!
イザナギに向かって「一日に千人の人を殺してやる!!」と…。
そうすると、イザナギは、「ならば私は、千五百人の人を生みましょう!!」と…。
イザナギとイザナミの夫婦喧嘩によって、生死があるとしたら「えっ?」って感じではあるけれど、この数が反対ならば それもまた怖いことなのかも知れないし…。
以前、このイザナギとイザナミの夫婦げんかのお話を三重の赤塚さんがお話下さった時に、言われたのが
「怒る女とスネる男」
さすが…そうだな~と納得したことを覚えており名言。
男の人はいつまでも子供!!とよく耳にするし、またヒステリーは女性の代名詞の様なもので、「怒る女とスネる男」は私の中で大ヒットでした。
と、今日仏さんのお正月からなんだかんだで、夫婦喧嘩の話にもなってしまったけれど、元来夫婦は「相和し」と、明治天皇が発した教育勅語の中でも書かれており、
夫婦相和しの前に、父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ…と続く教育勅語。
アマテラスさまの孫がこの地に降りてきた「天孫降臨」の頃から大切にしてきた日本人の掟…神様とのお約束でもあるようです。
時に、エデンの園でイブに禁断の果実を食べさせたあの蛇の誘惑のように、この掟を破ってしまいそうなのが、誘惑多いこの世の生活。
父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ…そして、仏経本の中 朝は希望に起き、夕は感謝に眠る。神に希望…仏に感謝。
そして、願わくは、此の功徳を以て あまねく一切に及ぼし 我らと衆生とみな共に 仏道を成ぜんことを…
神道の教え、仏教の教え、また聖書の教え…さまざまなことを与えられ、真実を求めて生き 仏の道を超えた時 本物の光へと向かっていくのでしょうか。
今日は菩薩と呼ばれた百恵ちゃんの「さよならの向こう側」