私には、姉がふたりいます。
2歳づつ離れて、生まれたので 小学校の時の参観日、母は大忙し。
それも楽しかったのかも知れません。
あの頃の参観日は、どのお母さんもプ~ンとお化粧の匂いをさせて、着物を着てくるお母さんも会ったほど…。
「学校の先生」っていうのが、また権威も持っていたような氣もします。
私は姉たちといっぱい喧嘩もしました。
すぐ上の姉は一番喧嘩したかもしれません。
3人姉妹なので、1:2で戦う(笑)ことが多かったかも…。様々な組み合わせで…(笑)
中学校の時は、すぐ上の姉と手を繋いで学校に行ってました。
あたりまえに手を繋ぎ登校してたところを、誰かに「仲イイね~」と言われて、ん?仲は良くないけど…(笑)手、繋いでる!!と…。
私は、妹がいないので 姉の氣持ちはわかりません。
でも生まれた時から、いる姉。
姉としたら、一人っ子だったのに妹が出来て、また一人で来て…
「姉ちゃんなんだから…と言われて。」
すぐ上の姉も、わたしが生まれてなければ、末っ子。
もっと両親に甘えられたかも知れません。
姉妹って不思議です。
前世ではどんな関係だったんでしょうか?知ったところで、何が変わるわけでも無いですが、今回の人生では 私は生まれた時から姉がいます。
私の旦那様は、すぐ上の姉と同級生です。
だから、姉のことを「みちこ」と呼び捨てにします。
姉の旦那様は、姉のことを「みちこちゃんとかお母さん」と呼ぶのに・・・。
私たちが新婚旅行から帰って、お土産を持って行った時 私の旦那様に「我が儘な子やけど、我慢してね」と言ったとか…。
姉は、我が儘な妹という見方をしてたんだと、その時初めて知りました。
うちの姉たちは、市内の伝統ある進学高校にふたりとも行きました。
お勉強も出来てました。
私は…というと、自分の予想に反して全く成績が悪く、それと姉と同じ学校に行って、「~の妹」と言われ続けてきた小・中学校の頃がイヤで、
誰も私のことを知らないところに行きたい!!という思いも手伝い、電車に乗って隣の市の商業高校に通いました。
姉がいなかったら、高校の選択も違ってたかも知れないですが、母は頭のいい姉たちの方が自慢でした。
自分が選び進んだ高校を卒業したことは、私の選択に自信が出来た一番最初の出来事だったかも知れません。
姉たちは、受験勉強をして短大に進みました。
母は、女の子は短大で十分という考えでしたし、長女に至っては四国から外に出ることはNGという感じでした。
私は…というと、商業科だったので進学するにしても、専門学校の方に興味あり、勉強も嫌いなのに短大に行くことは選択肢になく…。
私は、あまり母に相談はしてませんでした。
高校3年の夏、先生と母と私の3人で三者面談の際、私が専門学校に行きたい!!と言うと、母は「専門学校は学校じゃない…」と。
今 思えば、え~って感じですが、昭和8年生まれの母は典型的な学歴重視の時代に子育てをしたことで、そういう思い込みがあった様で・・・。
高校進学の時も、わたしが隣の市の商業高校に行きたいと言った時、猛反対。市内にも学校があるんだから…と。
中学校の時も、高校の時も、担任の先生は私の氣持ちを察してくれて、母を説得してくれました。
3人目だったからこそ、自由な選択が出来たのかも知れません。
結局短大にも、専門学校も行かず、あのやりとりを見ていた学校の先生が紹介してくれた会社に就職することになり、姉たちよりも一足早く運転免許も取り、OLになったのですから…本当に末っ子だったからの選択なのかも知れません。
高校の卒業式の後、母が「この高校に来れて良かったね」と、言ってくれたことは本当に嬉しかったです。
姉たちがいるおかげで、両親の介護も落ち着いて出来たのかも知れません。
上の姉は、私のやっている水素風呂早々に一緒にやり始め…すぐ上の姉も今日一緒に始めようか!!って事で、60歳を前に3姉妹でまた新しい世界が広がりそうで、今日何だかワクワクです。
3姉妹…3人違ってみんないい!!
3と言う数字は、今の私にはちょっとしたキーポイント。
水素・酸素・カイロ
オステ・バーズ・カイロ そして
けいこ・みちこ・ちえこ
父・子・聖霊
そして、先日勤労奉仕に行った友達が送ってくれた★★★星3ッつオリオン星が描かれた夫婦揃いのお箸。
1の今年、トリニティー三位一体がポイントになるのでしょうか。
3人姉妹と言えば、かしまし娘(笑)